第二章:脱走蜂女

第4話 破られた誓い

 クインヴィ=エーデ・カヴトは、トルヴィア・カヴトの従妹である。彼女の父はトルヴィアの叔父、即ち当代の国王に当たる為、彼女は立派な王女である。

 だが、立場上あまり家族にかまってやれない王は、兄夫婦に彼女を託し、トルヴィアの事を姉として慕うように、と小さなころから言いつけていた。

 トルヴィアは彼女を実の妹のようにかわいがった。彼女もトルヴィアの事を実の姉のように慕った。その関係性は、それぞれ家業を継ぐ立場となってもつづいていた。


 しかし今、城下町の雑踏で、まぶしい限りの金色の髪を隠し、庶民の格好をしながら歩くクインヴィの顔は、いささか不機嫌であった。なぜなら、姉と慕うトルヴィアが”誓い”を破った可能性がある、との報告を執事サナグから受けたからだ。おととい姉の体に生じた異変はすでにクインヴィにも伝えられていた。そしてこれはトルヴィアにも秘密にしていることだが、秘密裏にお嬢様を監視してほしい、と彼から密命を受けているのだ。


 そして、彼女は彼からおそらくお嬢様はここにいるだろうと見当をつけた場所にたどり着いた。なるほど、確かにここなら姉はいそうだ。

 そこは飲食店だった。だが、普通の飲食店ではない。店の戸が開き、客が入れ替わるたびに中からは鼻が曲がるほどには濃い豚骨のにおいが漂ってくる。

 その店は黄色い看板に赤字ででかでかとこう記してあった。

「ジロウケイ」、と。


 ・・・


 トルヴィア・カヴトは、おととい偶然が重なった結果虫人になってしまった。かろうじて元の姿に戻れたものの、虫人になった原因の一つであるジロウケイを2度と食べないと誓わされてからまだ3日もたっていなかった。しかし、彼女は我慢できずに掟を破ることになった。


「8番さんお待たせしました、ニンニクいれますか?」

「ニンニクマシマシ、ヤサイマシマシ、アブラマシマシ、カラメ。」

「はーい全マシマシカラメね、あいよ!」


 彼女は自分の正体が露見しないように厳重に変装した。なぜなら、執事サナグが誓いを立てた後、それでもお嬢様が欲にかまけることを見越して先手を打った。王国にある全てのジロウケイの店主にお嬢様を入れないように、見かけたら直ちに連絡するように、と厳命したのだ。流石にカヴト家に長年仕えただけあって根回しが早い。そんなサナグに彼女は敬服と畏怖の念を同時に覚えた。


 だが、このトルヴィア様はそれくらいではへこたれない。もしもの時の為にあらかじめ用意してあった典型的な王国民の服を秘密裏に所持していた彼女は、それを隠し持って城下町へ買い物に出かけると、とサナグを欺き、邸宅から十分に離れた所で付き添いの侍従に”袖の下”を渡して変装を手伝わせたのだ。わざわざその美しい赤髪をまとめて隠し、”かつら”をかぶってさらに頬に少々土ぼこりをかぶせたその姿は、もう誰も彼女がかのトルヴィア・カヴト令嬢だとは見破れないほどに変貌していた。


 そうしてまでようやくたどり着いた王国一の”ジロウケイ”の店は、味が濃いにもかかわらず飲みやすいスッキリとしたスープで女性にもかなり人気があるのが特徴であり、彼女のお気に入りの店でもあったため常に繁盛していた。そして、いざ、トルヴィアの目の前に”ジロウケイ”が置かれた。まるで山のように積まれたヤサイ(キャベツともやし)にへばりつくようにして刻みニンニクと分厚い豚肉が5枚。そしてその下には小麦で作られた麺が、豚骨スープの下で眠っている。


 トルヴィアは食券を渡し手を合わせていただきます、と言って割り箸を口にくわえながら割ると、目の前のヤサイの山を切り崩してスープの中から麺をたぐり、ずるずるとすすり始めた。これはジロウケイ常連が主に行う”天地がえし”という食べ方である。ニンニクを汁の中に溶かし、引き出された麺をすすりながらヤサイを浸し、すすり終わった後に十分に汁が絡んだシャキシャキのヤサイととろけた肉を味わい、そして全ての味が合わさった残りのスープを全て飲み干す。これが彼女流の”ジロウケイ”ルーチンである。そのながれるような動作のどこにも無駄はない。


「ごちそうさま!」

「まいど!」


 胃袋と心を同時に満たした彼女は意気揚々と店を出た。


「ふー、ここのお店はいつ食べても美味しいわね、全くこんなにおいしいものを禁止だなんて、サナグも酷なことをするわ、まったく。」

「・・・誓いを破ってまで食べる”ジロウケイ”の味は美味しいですか?お姉さま。」

「げぇっ!?」


 突然、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてトルヴィアは思わず飛び上がった。振り返ってみれば、そこには静かな怒りを込めたまなざしで従姉をにらむクインヴィの姿があった。


「あ、え、えと、ど、どちらさまでしょうか・・・」

「しらばっくれても駄目です!!このクインヴィ=エーデ・カヴト、お姉さまが誓いを破ってどんぶりを飲み干す瞬間、この目でしかと見届けました。かくなる上は、サナグさんのもとに引きずりだして、きつーくをすえてもらいます!」


 そういい放つと、軽蔑の目線を一時も離さずにトルヴィアにじりじりと近づいた。どうしても捕まえる気らしい。トルヴィアは従妹のにじみ出る怒気に圧倒され、思わず後ずさる。


「クインヴィ、ちがう、これはちがうのよ、これには深い訳があって・・・」

「問答無用!!」

「ひいっ!」


 従姉をつかまえんと飛び掛かったクインヴィを間一髪で避け、トルヴィアは人込みを無理やり押し分けるようにして逃げだした。


「お姉さま!!絶対逃がさない、待ちなさい!!」


 やや遅れて、クインヴィがトルヴィアの後を追いかけ始めた。王族姉妹による長い長い鬼ごっこの始まりだ。


 ・・・


 その頃サナグは、邸宅内で先ほどトルヴィアの買い物に付き合った侍従と話し込んでいた。この侍従もやはりサナグが根回しした”先手”の一つであった。


「お嬢様は、わざわざ一般人に変装してまで何が何でも”ジロウケイ”を食べるつもりでおりました。自分はサナグにいっぱい食わせてやったとお思いでしょうが・・・」

「はぁ・・・やはりか。もうよい、分かった。お嬢様は私が後できっちり叱っておく。お前は下がれ。」

「御意。ああそれと、これはその時渡された袖の下です。後でお嬢様にお返しください。」


 侍従はそこそこの金額が入った小袋をサナグに返そうとしたが、サナグは拒んだ。


「返さなくてよい。それはお前への褒美として受け取っておけ。」

「よろしいのですか!ご厚恩、感謝いたします・・・!」


 侍従はサナグに一礼をして嬉しそうに小袋をしまうと、踵を返して元の持ち場へと戻っていった。それと入れ替えに、もう一人の侍従がサナグの元へかけてきた。


「申し上げます!サナグ様、国王陛下がお越しになられました!お出迎えをお願いいたします!」

「な、なんだと!?それはまことか!?要件は何だ!?」

「は、一昨日のトルヴィア様のご病気の件でお話があるとか・・・陛下は今門前にてお待ちいただいております。」

「すぐに門を開き迎え入れよ!そして残りの者は応接間にて至急茶の用意だ!」

「「「「御意!」」」」


 突然の国王の訪問にサナグの身は引き締まった。一昨日の件は厳重に緘口令かんこうれいを敷いたはずだが、まさかもう王の耳に入ってしまわれたのか・・・王からの使者ならまだしも、王自らが直々に来られるとは、果てさてどうしたものか、とサナグは不安げに独り言ちながらも、小走りで門へと向かい王を丁重に出迎えることにした。




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