26話
日曜日、待ち合わせ場所にあけみはやってきた。
「お待たせしました」
あけみは普段の装いとは違い、浴衣を着ていた。その様子は可愛らしいというより、上品と言った方が的を射てるはずだ。
「その浴衣、かわいいね。よく似合ってるよ」
僕が姿を褒めると、
「ありがとうございます」
あけみは微笑んだ。
「じゃあ、行こうか」
縁日はそれなりの人で賑わっていた。屋台に吊るされた電球が冷やかしにきた客の顔を柔らかく照らしている。何処を見ても楽しそうに人が歩いている。僕は毎年、鷹取神社の縁日の手伝いに駆り出されているので、『祭り=しんどい』の方程式により、夏祭りにはヘイトを抱いている。そんな中での唯一の癒しは浴衣姿の美女。これに限る。それを見れば疲れなんて一気に吹き飛ぶが、彼氏を連れているのを見ると、途端に憎悪が芽生える。平和を謳っているガンディーもそんなカップルを見れば、明日から空手を始めようと決心するはずだ。
(だけど、今の僕はそんな僻みまくった弱者のような考えは微塵も思い浮かばない!)
隣に女の子を連れているだけで、もうなんつーか、無敵だ。今の僕は絶対王者なのである。きっとサッカーブラジル代表もこんな気分で試合に臨んでいるはずだ。
隣を歩くあけみは、輝く視線を屋台に奪われていた。その様子を見た僕は、毎年の縁日の手伝いもこういう人のために、がんばってよかったと思えた。
あけみはりんご飴や、かき氷や、様々な屋台を楽しそうに周っていた。彼女は、知らない間に両手にいっぱいの荷物を抱えていた。
「っていうか、全部食べ物じゃん」
「はい。たくさん食べないとパワーが出ないですから」
あけみは嬉しそうに言った。パワーの意味がよくわからないが、やはりスポーツのできる人間というのは、食べることに関しても人一倍の才覚を持っているものなのだろう。
「持つよ」
僕が言うと、
「あっ。ありがとうございます」
あけみは僕に食べ物を何個か渡すが、何処に隠し持っているのか、受け取っても受け取っても減ることはない。ハトを出しまくるマジシャンか。
僕は彼女のことをどこか風変わりだと思った(ずっと僕やみなもに対して敬語のところとか)。だけど、それが可愛らしく思ってしまう。アテナが前に、あけみのことを妹みたいと言っていた意味がわかる気がする。
不意に雷が落ちたような音が響き、夜空を見上げると、花火が打ち上がっていた。それは閃光を散らした途端煙になって、理科の実験で作った葉脈標本のように、軌跡を残す。それが次々打ち上がる花火の閃光に照らされて、また軌跡をうつし、合わせ鏡のように、どこまでも続いてゆく。
僕は周りの歓声の中で、静かに花火に圧倒され、言葉が出てこない。
「すごいですね」
あけみの顔がさまざまな色に照らされていた。
「うん」
僕は花火に酔いしれて、頷くことしかできない。
「漱石くん」
あけみは僕の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
「私をキャッチボールに誘ってくれたり、誕生日会を開いたりしてくれて、すごく嬉しかったです。それがなかったら、私はここでこうして花火を見ていなかったはずですから……」
「そんなことないよ。みなもも協力して……」
僕は言いかけるが、声が打ち上げ花火の音にかき消される。
「私に素敵な思い出を作ってくれて、ありがとう」
あけみは飛びきりの笑顔を僕に見せてくれた。彼女の顔は、白い花火の光に明るく照らされて、眩しく輝いた。……これで恋に落ちないヤツなんていないだろう。
「どういたしまして」
僕も微笑んだ。
花火が終わり、周りの人に流されながら、僕らも帰り道を歩く。
「綺麗な花火だったね」
「そうですね。毎年来ているんですけど、今年の花火が一番綺麗でした」
僕は、花火はいつ見ても綺麗だろうと思ったが、そんな無粋な言葉は口にしない。きっと花火大会というのは、花火が目的ではなくて、誰と見るかが重要なんだと思った。不意にアテナの顔が浮かんだ。
……僕はあけみに伝えなくてはいけないことがある。
「ちょっと寄り道していこうか」
「……はい」
これから僕は彼女の友人として、真実を突きつけなければならない。
僕らはあけみの家の近くにある公園のベンチに腰掛けた。
「…………………」
「…………………」
ともすると、耐え難いような重苦しい沈黙だった。そう思っているのは僕だけなのだろうか? あけみは屋台で買ったベビーカステラを食べていた。僕の視線に気づいたあけみは、
「ひとついりますか?」
「いや、大丈夫だよ。ありがとう」
「遠慮しなくていいですよ。たくさんあるので」
わりかしグイグイと勧めてくるので、一つもらうことにした。緊張のせいで、味がよくわからなかった。
彼女のペースに呑まれてしまいそうだが、僕は自分のペースを守ることにした。
「あのさ、実はアテナが殺された事件を個人的に追っかけているんだ」
意を決して放った僕の言葉で、あけみの動きが止まった。
「……そうなんですか」
「うん。いろいろあってね」
僕は話しながらあけみの表情を伺うが、辺りが暗いせいでよくわからない。だけど、わからない方が都合がいい。情に流されることもない。
「それで、アテナの家にあった腕時計の空箱がきっかけで、犯人を見つけることができたんだ……」
明らかにあけみの様子がおかしかった。そりゃそうだ。親友を殺した犯人を見つけたと言われたのだ。冷静に聞いていられるわけがない。僕は犯人の名前を言うか、迷ってしまう。事実を打ち明けずに、花火が綺麗だった、あけみに感謝されて嬉しかったいう思い出だけを残して終わりたい。だけど、そうしてしまうと、あけみは余計な苦しみを味わうことになる。僕はそのつらさがわかる。余計な苦しみを味わうぐらいなら……止めを刺された方がマシだ。
僕は腹を括った。
「犯人は灘祐介。君のお父さんだ。彼はアテナの家で金目のものを盗んだ後、証拠を消したんだ。だから事件が未解決のままだったんだ」
あけみは目を見開いた。瞳孔の向こう側に灯っていた希望の光が消え、真っ暗な絶望が後に残ったのが、わかった。しかし、僕は止めるわけにはいかない。
「……この前、僕が聞くとあっさり犯人だと認めた。だけど、証拠を隠しているから、逮捕されなかったんだ。だから今は、僕の母さんに頼んで、証拠を手に入れようとしてもらっている。直に逮捕されると思う」
僕が言うと、あけみの呼吸が荒くなった。
「逮捕された後に、僕が犯人を知っていたってわかったら、話がややこしくなるから、あけみちゃんに打ち明けたんだ。でも、この話はみなもと僕しか知らない。もちろん他の人に言ったりしてないし、絶対に話さないよ」
「どうして……どうして……」
あけみは困惑して、肩を振るわせていた。夏の夜なのに、寒々しいぐらいに顔が青ざめていた。
「隠し事はよくないからだよ……僕は前にね、僕の親友が病気だって事を知らずに、喧嘩別れしたことがあるんだ。その親友はみなもにだけ、病気のことを話して、彼女に口止めしたんだ。その後に、親友は死んで、僕は喧嘩別れしたことを後悔したんだ。そして、みなもが病気の事を口止めされていたことを後で知ったから、僕は余計に苦しんだ。きっと同じように、あけみちゃんも後で、どうして話してくれなかったんだろうって、苦しみ続けることになると思ったから……」
僕が言うと、あけみは話を拒むように頭を抱えた。ギロリと開かれた目は、苦悩の色に染まっている。彼女のうなじには異常な量の汗が流れていた。僕はその姿の痛々しさに心苦しく思った。彼女を助けてやりたいが、すでに止めを刺された彼女にかける言葉なんて、思いつかない。
「……漱石くんは、たとえ、私が殺人犯の娘でも、友だちのままでいてくれますか?」
あけみは彼女は葛藤に悶え苦しんでいる中で、僕という藁にすがろうとしていた。
「……もちろんだよ。あけみちゃんがどんな奴だろうと、僕はあけみちゃんの見る目を変えたりはしない」
僕は肩書きや生い立ちで判断するような、クソみたいな人間にはなりたくない。
あけみは僕の言葉を聞くと、堰を切ったように泣き始めた。僕は彼女の頭をそっと撫でた。
「私……お父さんに自首してほしいです」
あけみは声を震わせた。
「アテナに謝ってほしい……それで、アテナが帰ってくるわけではないけど、それでも、頭を下げて欲しい。私も事件解決に向けて協力します。お父さんを説得します」
あけみは泣き腫らした目を僕に向けて言った。その視線は真っ直ぐだった。前みたいに、昏い瞳をする素振りはどこにもない。アテナが死んで、母親が死んで、心の拠り所を失ったから、以前の彼女は心を壊してしまったけど、僕とみなもが彼女を日常へ連れ出したのだ。ひとりよりは、みんながいる方が、心強いはずだ。
§
次の日の朝に母が帰ってきた。彼女はリビングに入るなり、カバンを放り出して、ぐったりと椅子に座り込んだ。
リビングにいた僕は、焼いたパンを母に差し出して、正面に座った。
「証拠は持ち出せた?」
僕が聞くと、母は首を振った。
「ダメだった。灘がすでに根回ししていたみたいね」
そう言ってため息をついた。
「人事考課が近いからね。みんな、灘にビビってるんだ……」
「そうか……」
証拠がなければ、灘を容疑者にすることは無理だ。せめて、ボイスレコーダーを奪われていなければ……昨日はあけみが父を説得すると言ったが、娘を盾にするような父が、娘の話を耳を貸すとはとても思えないし……。
「ごめんね、そーちゃん」
「ううん。大丈夫」
僕は気を取り直して言った。まだ1日の始まりだ。考えて続ければ、灘を追い詰める良いアイデアが浮かぶかもしれない。
しかし、そんな簡単にアイデアが浮かぶわけがない。学校に行って、自分の席について、いくら考えたところで、堂々巡りするだけだ。こういう時、誰か相談できる相手がいればいいのだが、みなもは実家の神事で休みだし、アテナはやっすん探しで居ない。こういうときは辛い。
もういっそ、全部投げ出してしまおうかな? いや、そんなことはしたくないなぁ。だけどなぁ……。
学校から帰る頃にはさすがに疲れてきて、その悩みから逃れるように、今日の晩御飯の献立を考えるが、知らない間に事件のことを考えている。
家に帰って、自分の部屋でグダグダしていると、カレンダーを見て、今日はバイトがあることを思い出した。
(バイトよりも事件解決をどうするか考えたいのに……)
僕はめんどくさい気持ちを全面的に態度に出しながら、バイト先へ向かった。
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