25話
みなもを家まで送り届けた後、自分の家の玄関の前で、ウロウロしていた。
さて、本論の前にまずは序論だ。僕はみなもの話を聞いて、納得したのはいいが、アテナになんて説明すればいいだろう? それに、あけみちゃんに犯人を打ち明けると聞けば、彼女は反対するかもしれない。
(だけど、それこそ、この件をアテナに黙っていたら、アテナは傷つくぜ?)
確かにな。
(お前は今、崖の底を覗き込んで、落ちたらどうなるだろうって思ってしまっているんだ。頭の中で起こってもないことで恐怖している。そういう状態なわけだ)
まあ、そういうことだ。話してもいないのに、アテナが反対するって勝手に想像している。
(でも、実際は、おまえは崖から落ちているわけじゃなくて、もう崖の下に落ちている状態なんだよ。事件に関わった時点で、もうやり直せないんだ。お前はアテナと一緒に、さらにはみなもまで巻き込んで、深淵にダイブしちまったわけさ。今さらアテナに隠し事をしようとしても、もう遅すぎるんだ)
わかってる。ただ現実逃避したかっただけだよ。目の前の現実なんて見たくないのは誰だってそうだろう? だけど、ちゃんと現実に向き合ってるからこそ、逃避したいって気持ちも生まれるってもんだ。でも、僕が心配しているのはそこじゃないんだよ。
(じゃあ何を心配しているんだよ?)
アテナより先にみなもに……、
「こんなところで何ウロウロしてんの?」
後ろから声が聞こえて、肩が強張った。もう一人の僕はどこかへ消えてしまった。
振り返ると、アテナが立っていた。
「なんだ、アテナか」
僕は現実逃避から、無理やり現実に放り出されて、何を考えていたか忘れてしまった。
「何してるの?」
アテナは僕に訊ねた。
「今家に入ろうとしてたんだよ。お前こそどこ行ってたんだ?」
「あんたの親友を探してたのよ。ほら、はやく家に入るわよ」
「ああ」
家に上がって、靴を脱いでいると、
「漱石。右手どうしたのよ?」
アテナは僕の手を指差した。
「右手?」
見てみると、灘に掴まれた右手が赤くなっていた。
「ああ、これな。あけみちゃんのお父さんにやられたんだよ。今日、職場見学で警察署に行ったんだ。自首してアテナに頭を下げろって詰めたら、俺が捕まれば、あけみちゃんが再び傷つくことになるって、あけみちゃんのことを盾にしたんだ。それで頭にきてブン殴ってやろうと思ったけど、あっさり掴まれたんだ。ごめんな、謝らせることができなくて……」
そう言って、アテナを見ると、彼女は俯いていた。
「どうしたんだよ?」
「アホッ……そんな危ないことして……」
「アホって、おまえ、この事件が解決しなかったら、アテナは一生被害者のままで、かわいそうなヤツってレッテルを貼られたままなんだぜ? だからこうして幽霊になって彷徨い続けてるんだろう?」
僕は言うが、アテナは俯いたままだ。僕はこれ以上なんて言っていいかわからなかった。あけみの親父に食って掛かろうとしたのは、そもそもアテナのためなんだけど、そう思ったきっかけは……、
「……ああ、もう、なんていうかさ、もう無理すんなよ。から元気だってわかるんだよ。おまえらしくない」
「えっ?」
アテナは驚いて顔を上げた。僕は、前まではコイツのことをどんな時でも前の向ける人間だと思っていたけど、そんなヤツじゃないんだと、最近のアテナを見てわかった。彼女だって弱い部分もたくさんある。彼女のあの涙を見た前と後では、僕の中で何もかもが変わっている。
「いつものお前に戻ってくれよ。そんな悲しそうな顔すんな。張り合いがないんだよ」
「漱石……」
アテナは表情を緩ませる。
「僕はおまえのために、何がなんでもあけみのお父さんを自首させる。僕を信じろよ。絶対に大丈夫! 元気があればなんでもできる! やる気! 元気! 井脇!」
僕が一生懸命励ましていると、アテナは突然笑い出した。彼女は笑い出すとしばらく止まらなかった。
「あんたって本当に器用じゃないわね」
アテナは笑いすぎて、目尻の涙を拭った。
「うるせい。こういうことしか言えないんだよ」
「……でも、元気出たわ。本当にありがとね」
そう言って、アテナははにかんだ。
「あっ、うん」
彼女の気恥ずかしげな表情を見ると、僕まで恥ずかしくなってきた。勢いに任せて変なことを言ったことを後悔した。
「それでさ、アテナに話したいことがあるんだよ」
僕は恥ずかしさをひとまず心の隅に片つけた。
「何かしら?」
「実は、あけみちゃんに事件の犯人を打ち明けようって、さっきみなもと相談してたんだよ」
僕が言うと、アテナは微妙な表情を浮かべた。
「……そんな大事な事を、私より先にサノバビッチみなもに相談したんだ」
「いや、このことをアテナに話すタイミングが無くってさ」
僕が言うと、アテナはため息をついた。
「そういうことはさぁ、はじめに私に相談しなさいよぉ」
アテナはムッとした。悪い予想が当たってしまった。
「いやだから、タイミングがさ……」
「言い訳はいいわよ。時間が巻き戻るわけでもないし」
「……ごめんなさい」
僕が謝ると、アテナはまあ、いいやと言った。
「そんなことより、どうしてあけみに打ち明けようと思ったのよ?」
「それは、お前が探してくれているやっすんに関係がある話なんだ……」
僕はやっすんと仲直りできないまま死別した話をした。みなもがやっすんの病気を隠していたから、僕はさらに苦しむ羽目になり、みなもも負い目を感じていたと語ると、
「……そういうことなら、納得せざるを得ないわね」
アテナは神妙な面持ちで頷いた。
「私だって、あの時、あけみに謝ることができなかったから、ウダウダしてた訳だし、そういう過ちはもうしたくないわ。でも……」
「でも?」
「わかってる。納得してるんだけど……事実を伝えるって、やっぱり可哀想だと思うわ」
アテナは寂しそうな顔をした。
「だから、この話は漱石に預けるわ。漱石がそうするべきだと思ったのなら、私は何も言わない」
「でも、アテナが可哀想だと思うなら、やっぱり……」
僕が言うのをアテナは遮った。
「私は漱石のこと、信頼してるから。私にとってあんたは事件を解決してくれたスーパーヒーローなのよ。誰がどんなことを言おうと……」
アテナは一息おいて、
「私は漱石の決めたことを信じてあげる」
そう言って笑顔になった。彼女から寄せられた期待に、僕はどうしていいかわからないけど、ただ、僕は彼女のために何とかしたい。
(期待に応えるのは簡単だ。おまえはこう言えばいい……)
「わかったよ。アテナがそういうなら……」
僕は一息おいて、自分の拳を手のひらで叩いた。
僕は彼女のために応えたい。なぜなら、僕はアテナのスーパーヒーローだから。
「スーパーヒーローに任せとけ」
§
リビングで夕食の準備をしていると、母から電話がかかってきた。
「もしもし、そーちゃん?」
「なに?」
「ちょっと署まで出頭してくれるかしら?」
「もうその冗談はいいよ。着替え持っていけばいいんだろ?」
「話しが早くて助かるわ。そ、れ、と……」
「?」
「あんた、私に話さなくちゃいけないことがあるはずよ」
母のトーンが鋭いものに変わった。
あっ、これはもう怒られるやつだ。お決まりのパターンだ。母さんはよく『あんたのこと心配してるから怒ってるのよ!』なんてヒステリックに叫ぶけど、本当に心配してるなら、もっと優しく諭してくれるはずだ。どうせ、みなもがさっきの話をチクったのだろう。彼女と僕の母さんは異常に仲がいいからな。彼女は母が力になってくれるとは言っていたけど、よくよく考えれば、僕が下手を打てば、母さんのクビが飛ぶ可能性があったのだから、怒らないほうがおかしい。
「わかった、わかった。着替え持って行くから、その時に話すよ」
僕は一方的に電話を切った。
おいおい、また怒られるのかよ……。仕方ない。今日はそういう日だと思って諦めよう。人間は天候を操れないように、嵐がこようが、僕にはどうすることもできないのだ。
§
僕は警察署の近所で、母と落ち合った。
「着替えありがとね」
「うん。また泊まり込み?」
「緊急の事件が起こったからね。もう大変よ」
「そうなんだ、お仕事がんばってね。じゃあ」
僕は会話の流れで帰ろうとすると、
「っていうか、そーちゃん。私に話さなくちゃいけないことがあるでしょ?」
母は僕の肩を掴んだ。痛い痛い痛い。
「べつに、話すことなんてないよ」
「嘘ね。さっきみなもちゃんからメールがきたよ? あんたが三ノ宮家の事件を捜査してるってね」
母の態度に僕は観念してカバンの中に入れていた事件の証拠を見せた。
「……灘さんが三ノ宮家強盗事件の犯人なんだ。証拠がある」
母はそれを神妙な面持ちで眺めた。
「今日の職場見学で、灘さんを問い詰めたら、あっさり認めたよ。事件現場の証拠を消して、調査資料も隠しているってさ。だけど、灘さんは開き直って、これ以上事件の調査をすると、母さんのクビが飛ぶぞって脅された。ごめん」
僕が謝ると、母はため息をついた。
「あんた、自分の取り憑いた被害者のためにそこまでやってたの……」
僕は母の言葉に、一瞬固まった。
「……気づいてたのかよ」
「それもみなもちゃんが教えてくれたのよ」と、母が言った。
「あの事件ね、私も調査してたんだけど、すぐに現場から外されて、別の事件の担当になったのよ。だけど、あんたと同い年の子どもが殺されたのが気がかりだったから、後になってその事件の鑑識から話を聞いたんだけど、現場検証の報告書を灘くんが揉み消してるって言ってたわ。それを告発しようとしてたんだけど、その人は別の部署に移動になったのよ」
母は表情に暗い影を落とした。
「でも、その話はあくまで噂の域を出なかったし、私は灘くんがそんなことするような人間じゃないと思っていたから、人事異動も偶然だって思っていたけど……ここに証拠があるからね。仮に犯人じゃなくても嫌疑は充分にかけることはできるわね……」
母は証拠を自分のカバンにしまった。彼女は胸の内で何かを決心した様子だった。
「嫌疑をかける?」
僕は話の続きを促すと、母は再び口を開いた。
「私は上司としての灘くんを尊敬してるし、みんなが慕っているから、こういうことは言いたくなかったけど、事件を起こすような刑事は……」
母は言いかけて、自分の拳を手のひらで叩いた。
「腐ったみかんと一緒よ。組織にはいらないわ。クビが怖くて警察なんかやってられないわよ。私が灘の隠してる証拠資料を見つけて、灘を告発するわ」
「母さん、本当にいいの?」
「あたりまえよ。それで、あんたに取り憑いている幽霊がうかばれるってもんでしょ? なら、その方が絶対いいに決まってる」
母はそう言って、白い歯を見せた。
ガミガミ怒られると思っていた僕は内心ホッとした。この人が母親でよかった。結婚相手を見る目は死ぬほどないけど。
「その証拠は資料室に隠してあると思うけど、私だと持ち出しに上司の許可がいるから、別の上司に頼んでみようと思う。じゃあ、あんたはさっさと帰って、一葉に晩御飯作ってあげなさい」
そう言って、母は警察署へ戻って行った。僕は犯人逮捕を確実なものにすることができて、胸を撫で下ろした。
(これで事件は一件落着を見ることになるぜ)
ああ、そうなるな。そういえば、母さんと話していた時に、スマホに通知がきていたことを思い出した。
——今週の日曜日、空いてますか?
あけみからのメッセージだ。僕は深く息を吐いた。もうここまできてしまったのだ。今更、後には退けない。
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