7話
電車を乗り継いで、あけみの家へ向かった。彼女の家はアテナの家の近くにあった。
あけみの家は、アテナの家と違って、普通の一戸建てではあるが、ずいぶん昔に建てられたのか、古臭さを感じ、周りの家と浮いていた。庭には大きな畑があり、野菜を育てていた。
「来たのはいいけど、どうするんだ?」
僕はアテナに訊いた。
「あけみに私の想いを伝えてほしいのよ」
「なんて言えばいいんだ?」
アテナは“想い”を口にした。
「わかった。そのまま伝えるよ」
僕は家の見た目の割には最新型になっていたインターホンを押した。チャイムが鳴ってから、自分が何者で、どういう目的で来たかを、どう説明すればいいかわからないことに気づいた。まあいいや。それは相手が出たときに考えればいい。
「はい?」
インターホンからひび割れた声が聞こえた。
「あっ。あの、僕はあすなろ高校の塚本漱石と申します。あけみさんにお話ししたいことがあってお伺いさせていただきました」
言葉が咄嗟に出てホッとした。インターホンのカメラ越しから映る僕を、不審者だと思わないだろうか、ドギマギしていると、
「ああ。塚本さんのところの……」
相手は妙に納得した様子で、待つように言った。
「あれ? あけみのところと知り合いだったの?」
アテナは軽く驚いた様子で、僕に尋ねた。
「いや。全く知らないよ」
僕は首を振る。
玄関が開き、中からあけみの祖母が出てきた。
「あけみは外に出てるから、中で待っててちょうだい」
§
「君がきてくれて嬉しいわ」
祖母が台所でお茶を淹れている間に、リビングを眺めた。床が綺麗なフローリングになっていて、家具もヨーロッパのおしゃれな家具ばかりが揃えられていた。家の外見の割には全てが真新しいものに見えたので、きっとリフォームをしたのだろう。
壁際に表彰状が飾られていた。それはあけみの父のものと、あけみのものと分けて飾られている。父の表彰状を見てみると、僕の母さんと同じ警察署の名前が入れられていたので、もしかしたら、祖母の反応からして、あけみの父と僕の母が仕事の関係で家同士の付き合いがあったのかもしれない。
リビングを区切る襖の向こうは和室で、仏壇が置かれていた。そこには綺麗な女性が写っている。
祖母は僕の前にお茶を差し出した。
「ありがとうございます」
祖母は躊躇いがちに口を開いた。
「……漱石君は今のあけみを知っているのかしら?」
祖母の唐突な言葉が胸にひっかかる。まるで、あけみが以前とはすっかり変わってしまったかのような言い方だ。
「いえ。知らないです」
僕がそう言うと、祖母は悲しげな笑みを浮かべた。
「あけみは一年前から引きこもりなのよ。いわゆる登校拒否なの」
彼女の言葉に鳥肌が立った。それ以上説明されなくてもすべてが理解できた。あけみは親友のアテナの死がショックで、そこから立ち直ることができていないのだ。
僕はアテナの方を見ることができなかった。きっと、悲痛な表情をしているに違いない。
玄関の鍵の開く音とともに、階段の軋む音が聞こえる。
どうやら、あけみが帰ってきたらしい。
リビングの扉が開かれると、アテナによく似た背丈の女の子が入ってきた。愛らしい顔立ちだが、しかし、優しそうな瞳に
「おかえり。お友達がきてるわよ」
祖母が優しく声をかけるが、あけみは無反応だった。
「お邪魔してます」
僕はあけみに頭を下げた。
あけみは、聞き慣れない声に、困惑した様子で、僕の方を見た。
「初めまして。僕は塚本漱石。君に伝えたいことがあってきたんだ」
あけみは僕の姿を見て、口もとを抑えた。
「その制服……」
突然、あけみはしゃがみ込んだ。呼吸が荒くなり、嗚咽を漏らす。そして、うめき声とともに、床に吐瀉物が散らばった。一瞬にして、リビングが凍てついた。
「大丈夫かい?」
祖母は慌ててあけみのもとに駆け寄った。
「もういい……帰ろう」
アテナの震える声が、耳元で囁かれた。
祖母は再び、悲しげな笑みを僕に向けた。
「ごめんよ。もう帰ってくれるかしら」
「あけみは、幼馴染だったアテナちゃんが亡くなってからずっと引き篭っちゃって、私、心配なのよ」
玄関前であけみの祖母がため息をついた。
「たぶん、君の制服と同じ学校に通っていたから、思い出したんだろうね。見苦しいところを見せてしまって、ごめんね」
僕はあけみも同じ高校だったことに驚いていた。だから、あんな反応だったのか……。
「いえ。こちらこそ、事情も知らずに、押しかけて……あけみさんを傷つけてしまって、ごめんなさい」
僕は頭を下げた。
「いえいえ、漱石君が頭を下げることはありません。ここ最近はアテナちゃんの一件といい、あけみにとってショッキングな出来事が多かったのよ。それは、あけみに悪霊に取り憑かれているからだ、っておじいさんが言い出して、鷹取神社にお祓いに連れて行ったんだけど、効果はなかったみたいね……」
「鷹取神社ですか?」
僕は訊きかえした。
「ええ。お祓いで有名なところよ」
祖母の言葉で僕はみなものところだと確信した。ただ、あけみの反応を見るに、お祓いの効果がなかったようだ。
家の中から祖母の呼ぶ声が聞こえてきた。
「戻るわね」
祖母は頭を下げて、家の中へ戻った。僕は茫然としながら、それを見送った。
§
帰り道は、すっかり暗くなっていた。
「あけみ。ずっと笑ってないんだろうね」
アテナは悲しげに呟いた。
「アテナ。大丈夫か?」
「なにが?」
アテナの声に絶望が混じっていた。
「さっきのことだよ」
「……わからない」
アテナは拳を固めて項垂れる。頬に涙が伝って、時々、鼻を啜っていたのが見えた。
「……私が、私が死んじゃったばっかりに、あけみが傷ついた」
「そんなことないよ」
僕は彼女を慰めるために、優しく言うと、
「そういうことじゃない!」
アテナは声を荒げた。やりばのない怒りの矛先が僕に向けられた。
「あけみは、私のせいで……私が殺されてしまったせいで、心を閉ざしてしまったのよ。可哀想じゃない?」
アテナに訊かれて、僕は黙り込んだ。不意に、もう会うことはできない親友の顔が浮かんだ。そんな後悔をアテナにもさせたくなかったから彼女を連れて来たのに、結果的にアテナを傷つけてしまった。良かれと思って行動したのに、アテナに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「アテナの方が可哀想だよ。アテナはここにちゃんといるのに、あけみちゃんからはアテナのことが見えないし、言葉も届かないんだ。これより残酷なことはないよ」
僕が言うと、アテナは声を上げて泣いた。
しばらくして、彼女は掠れた声で話し始めた。
「どうすればいいかな?」
「?」
「これ以上、あけみを傷つけたくない。だから、私が想いを伝えるのは諦めた方がいいのかな?」
アテナは悲しみを湛えた目を僕に向けた。そんな目をされると僕まで悲しくなってくる。だけど、僕としては、アテナの意識がここにあるうちに、彼女の“想い”を伝えるべきだと思っている。会えなくなっては何もかもが手遅れなのだ。
「アテナ、あのさ……」
「何?」
「ここで、あけみちゃんと会わなくなったら、彼女は一生あのままだと思うんだ」
「……………」
「あけみちゃんは、あのままだと、アテナのことを一生引きずって生きていくと思う。たぶん、アテナが成仏できていないように、あけみちゃんも未練を抱えながら、人生を終えることになる」
「もしそうなったら、あけみは幽霊になって、今の私に会えるじゃない。そうなれば、あけみと私は一生親友のままよ」
「本気で言ってるのか?」
自分の顔の眉のあたりが
「……………」
アテナは黙ったまま首を振る。
「……なんとかしてさ、アテナの一件に向き合ってもらって、彼女なりの答えを出した方がいいと思うんだ」
「……………」
アテナは黙ったまま頷く。
「僕は苦しんだままの人を見過ごしたくないんだよ。あけみちゃんに、アテナの死と向き合ってもらって、ケリをつけたほうが、現状からは救われるはずだ。アテナだって、親友が苦しみ続けるのは嫌だろう?」
僕の言いたいことは果たして、アテナに伝わったのだろうか?
しばらく、無言が続いたが、アテナが口を開いた。
「漱石の言う通りだと思う」
そして、アテナは縋るような瞳を僕に向けて、言葉を続けた。
「あけみを助けてあげて」
アテナの切実な声色に、胸が揺さぶられる。説得したのは僕なのに、まるで、説得されたような気持ちになった。
「うん。わかった」
僕は先のあけみの祖母が語ったことを思い出した。あけみは親友を失ってしまったから、心を塞ぎ込んでしまったのだ。だから、まずは彼女の友だちを作ることだ。
あけみはアテナの死をたったひとりで抱え込んでしまっている。しかし、自分ひとりだけではどうすることもできなかった。きっと、アテナの死因と自分の行動は無関係なのに、自分自身を責めたりしたことさえあったはずだ。
だから、まずは友だちを作ることで、彼女に心を開いてもらって、最終的に、あけみと友だちが一緒になって、アテナの死に向き合い、それを共有すれば、彼女の心の負担はもっと軽くなるはずだ。そうなれば、あけみは自分が抱えている重く暗い過去にケリをつけやすくなる。
だから、まずは僕とあけみが友だちにならないといけない。だけど、あけみの友だちが僕ひとりだけというのは、いささか
僕が言うと、アテナは頷いた。
「まずは、僕とみなもがあけみと友だちになることから始めるか」
「うん。きっと、あけみの友だちになって、彼女を支えてあげて」
アテナはすっかり明るさを取り戻したように言った。まだ若干の鼻声だけど、どんなに悲しみに暮れていても、すぐに前を向けるタフさが、彼女を奮い立たせているんだと思った。
「OK。みなもに声をかけてみるよ」
僕はアテナの気持ちを受け取った以上、彼女の気持ちを無碍にしないようにしようと自分に誓った。
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