Drifting whales

陸野エビ

1.朝を泳ぐ

 街は、クジラの形をしていた。

 古い街なのだ。海上都市の建設が押し進められた2040年代では、海の生物をモチーフにした都市が流行った。豊かな海で、海面上昇に襲われることのない新生活を。それが当時の謳い文句だった。

 午前四時、太陽はまだその姿を見せてない。

 「角持つくじら」とあだ名される街を走る道路を滑るように電気二輪車エレクトロ・バイクで通り抜け、私は港に向かう。

 街並みは白く、骨のように夜闇の中でその輪郭を浮かび上がらせている。夜の海底をなぞりあげるような景色が視界を流れていく。

 観光客が喜びそうな風景を見ながらの運転は、ツーリングをしているわけではない。配達の仕事だ。

 バイクの荷台には弁当がつまったケースが乗っている。

 弁当屋で働く配達業、というわけではない。毎日受けている仕事が弁当運びなだけで、弁当以外も運んでいる。

 私の仕事は個人運送業なのだ。

 五年前に始めて、ようやく軌道に乗り始めてきた。電気二輪車に乗ることしかできない私にとって、この仕事は天職と言って良い。

 頼まれれば、何処へでもいく。

 街の中心へも、外側へも。鯨の頭に位置する電波塔に行くこともある。仕事がなければ釣りをするか、鯨の胸びれに位置する農業プラントの手伝いに行く。

 働く限り、食べることができる。働けなくなったら、その時考える。気楽といえば気楽なものだ。

 登り始める朝日に追いかけられるように電気二輪車を走らせ、私は港にたどり着く。いつも通りに弁当を運び入れて、受け取りのサインをもらった。いつもと変わらない朝だ。

「ニチカ、おはよう!」

 モノクロの日常に色を差し込むように、声がかけられる。私の腰ほどしか無い少年が、水に濡れた髪の毛もそのままにして駆け寄って来た。朝日を浴びて走ってくる彼の赤い髪が、太陽の光を浴びてルビー色に輝く。光に透かした葡萄酒よりも透き通った赤。

「おはよう、カゲツ。潜ってきたの?」

「うん、今日も夜番。人使い荒いよな」

「危ないことはなかった?」

「ちっとも。夜光虫がキレイだった!もうすっかり、光のなかを泳いでるみたいでさあ」

 日に焼けた手足をいっぱいに動かして、カゲツは笑った。

 楽しげに言うけれど、夜番は嫌われる仕事だ。この都市でもっとも海に親しむ潜水夫さえ、夜の海に潜ることを嫌う。

 危険だし、手に入る獲物も少ない。

 そういう割に合わない仕事だから、子供のカゲツにも働く余地があるのだ。

 子供だから安く働かせられる。割に合わない仕事を振っても他に働き口がないから抵抗しない。そう考える大人がいて、そんな大人に雇われることで生き延びる子供がいる。ここはそういう町だ。

「潜水夫は皆そういうね、海が好きだって」

「螺旋に刻まれてるんだ、泳ぐ血なんだよ、俺はさ」

 人懐っこく笑う彼に目を細めて、無理はしないようにねと釘を差した。

 どこまでだって泳げるのだと無邪気に信じて、命を落とす人間はいくらでもいる。  

 どこまでも速く走れるのだと信じて、命を落とすバイク乗りが居なくならないのと同じように。 

「気をつけるよ、大人になりたいもん、ニチカみたいに」

「私みたいな大人になるのは勧めないよ。先がないから」

 白い歯を見せて笑ったニチカを、私は穏やかに嗜める。個人運送業といえば聞こえばいいが、個人だからと安くこき使われて街のあちらこちらを走る仕事だ。怪我をしたら収入は大きく落ちるし、年を取ってバイクに乗れなくなればまた新しい仕事を探すことになるだろう。

「俺はニチカみたいな大人が良いんだ。」

「光栄だけどさ、大人って子供には自分のようにはなってほしくないって思うものなんだ。格好いい自信がない大人は特にね」

「ずるい」

 唇を尖らせて、カゲツが拗ねる。

 俺はニチカみたいになりたいんだ。バイクに乗れる格好いい大人に。

 そう繰り返す彼に、憧れるのはとめないけどねと言いつつ、電動二輪車の荷台に空のケースを固定する。行きと違って弁当は入っていないが、その分ニチカが重いので重心はあまり変わらない。

「ヘルメット被った?」

「うん」

「顎のベルトは?」

「締めたよ」

「よし」

 電動二輪車に跨って、エンジンをかける。ヘルメットをかぶったニチカが私の腰に手を回すのを手伝ってやりながら、朝の通勤ラッシュに引っかからないルートを頭の中で思い浮かべた。

 散々遊び倒したジグソーパズルを組み立てるように頭の地図を完成させて、道路に出る。ニチカの家は”尾の付け根”……クジラの尾びれと背びれの間にあって、入り組んだ道が多い。

 これが仕事の肩慣らしにちょうどいいぐらいの複雑さで、私の気分をゆっくりと今日の仕事に集中させてくれる良いルーティンなのだ。この寄り道が滞りなく済むと、一日の調子がいい……


BoooooooM!!!


 ……だが、今日はそうもいかないようだ。

 エンジンを爆音でがならせた黒塗りのバイクが後ろから私を煽ってくる。ボディには稲妻を背にして大きく遠吠えをする狼のシルエットがひとつ。

 攻撃的な狼のステッカーのそばに、個人輸送業を表すマークが肩身を狭そうにして貼られている。

 朝から事故になるのもつまらないと、歩道側に寄ってバイクを止め、後方のバイクを先にいかせた。

「あいつ、ストライカーズだよね、走り屋の」

「正確に言うと、運送速度を競うタイプの運送屋さんだね。私と同じ。」

「ちっともにてないよ」

「同じだよ。運ぶ速度と格好良さを競うところしか違いはない」

「急いで何の意味があるのさ」

「企業は輸送品が速く届く。彼らのチームは名誉を手に入れる。私は割を食う」

「最後が余計……」

 背中でため息をつくカゲツの言葉に、手厳しいなあと笑い返す。速度を戻せば、こちらを追い越していった黒塗りのバイクはカーブに飲み込まれるように姿を消していた。相変わらずあのステッカーをつける運送チームはせっかちだ。それだけ依頼が多いのだろう。

 ストライカーズ、というグループ内で自主的に運送速度を競う彼らを好む企業は多く、仕事はひっきりなしにあると聞く。速くものを運べば、次の仕事をそれだけ速く受けられる。

 速ければ速いほど次の仕事を受けられて、一日に手に入るお金が増える。目が回りそうな速度競争に適応した人間が大金を稼ぐというスピード基準の序列は否定しないが、如何せん一緒の道を走りたくない相手だ。向こうも向こうで、私と道をともにしたいとは思わないだろうが。

「遠くで眺める分には格好いいんだけどね、彼ら。レーサーみたいで」

「レースしたいならレース場で走ってればいいのに」

 棘のある言葉を吐くカゲツに苦笑する。大嫌いな梅干しが食卓に出たときみたいな顔をするカゲツをこらこらとたしなめれば、だってと彼は唇を尖らせた。

「ストライカーズがいると、ニチカがバイクを楽しく乗れてない顔になるんだもん」

「ヘルメット被ってるのに、顔がわかるの?」

「わかるよ、友達だもん」

 なるほど、それは凄いなと思いつつハンドルを握り込む。苦手な相手のことを考えてばかりいるより、体に浴びる潮風やべつのことを考えたほうが健康に良い。具体的には、私を案じてくれる友人のこととかを。

「さて、そろそろ運転再開しようか」

「安全運転でお願いしまーす」

「はいはい」

 カゲツが私の腰に腕を回し直したのを確認して、バイクを再発進する。ストライカーズが走っていった後を追うように五、六百メートルばかり走る。それから交差点を右に曲がって、細い旧道に入った。

 車一台分の幅があるかどうかの細道を蜘蛛の巣を辿るように進み、住宅街を抜けて放棄されたプレハブや錆びた貸倉庫が立ち並ぶ景色に埋もれそうなほど小さいトタン小屋のそばにバイクを停める。

「ありがと!」

「どういたしまして」

「今日は朝ごはん食べてく?」

「うん、お願い」

「わかった!」

 バイクのシートから跳ねるように降りたカゲツからヘルメットを受け取って、私は彼の申し出にうなずく。手伝うことはある?と尋ねればタバスコを入れないでくれるなら何でも手伝ってほしいよと混ぜっ返された。まだ怒ってるなと思いながら頬をかく。

 スープに赤みをつけようとタバスコを一瓶使い込んで以来、信頼が味付けという側面において極度に低下しているとも言う。子供にはあの辛味は早かったらしい。美味しいのだが。

 跳ねるように走りながら小屋に走り込んだカゲツの後を追ってゆっくりと歩く。トタン小屋の周りに敷き詰められた貝殻が踏み出すたびに割れて音を立て、潮騒と重なり合うように軽やかな旋律を響かせた。貝殻と海が紡ぐ素朴な歌声に耳を傾けながら小屋の中に入り、カゲツがテーブルの直ぐ側に有るストーブに鍋をかけているのを邪魔しないように気をつけながら流し台の下にしまわれている布巾を取って水で濡らした。

「貝柱の味付けどうする?」

「塩」

「任せて」

 ニコリと笑ったカゲツが貝柱を鍋に放り込んでオリーブオイルと塩で味付けするのを横目に、テーブルを拭いて水を入れたコップを並べる。カゲツの家に茶などという洒落たものはない。それは私の家も同じなのだが。

「真珠を取ったあとの貝柱、いっぱい貰ったんだ」

「潜水夫の羨ましいところだよ」

「市場じゃ出回らないもんね、真珠貝の身」

 鍋をヘラでかき回すカゲツが、バターを使えたらなあと贅沢なことを言う。流通するほど出回るのは難しいと思うよと苦笑すると、それはそうだけどさとカゲツがぼやく。

「食べてみたいじゃん、動物性油脂。」

「好奇心旺盛だなあ」

「海の男ですから!」

「それ関係ある?」

 唇を尖らせるカゲツに苦笑しながら、手に入れてやれるなら食べさせてやりたいんだけどなと少し思う。バターや肉は金銭で買えるようなものじゃない。何しろ海上都市のような人工建築には牛や豚を放す余地自体がないのだ。農業研究の一環で育てられている動物たちからほんの僅かに取れる肉や油、ミルクの類はだいたい都市の研究所かそのスポンサーに配られて消費される。真珠貝の身と同じだ。売るほど無い。だから出回りようも手に入りようもない。

「ま、いつか幸運に恵まれる事を期待しておきなよ。食事代はいつもの貯金箱?」

「うん、それで大丈夫。」

 わかった、と相槌を打ちながらブレッドケースから丸パンを4つ取り出して右側面から切れ込みを入れる。それからパンをトースターにかけて、納戸にあるミニトマトのピクルスが入った瓶を取り出した。

「そういえばさ、パンにトマトってくるとお肉を挟むのが昔の料理だったって本当?」

「ハンバーガーのこと?」

「多分それ。古い本でみたんだ。植物性合成肉ソイ・ミートのパテみたいなのが挟んであってさ」

「多分ハンバーガーだね、牛と豚のミンチを混ぜて焼くヤツ。」

「想像付かない。っていうかなんでミンチ?肉ならそのまま切り身で食べればいいじゃない」

 首を傾げるカゲツに、魚のつみれと一緒で食べづらい部位を細かくして食べる方法なのだと教えれば、お肉って皆食べれるところだけなんじゃないのと首を傾げられる。

「合成肉とちがって、天然の肉は食べられない部位のほうが多いよ。生き物は食べられるために生まれてくるわけではないからね。研究所の研究データとか読めば細かく乗ってると思うけど」

 そういうと、アレをよんでたら日が暮れるよカゲツが渋い顔をしてそっぽをむいた。文字を読むのは嫌い?と尋ねればうまく読めないんだもんと返事がかえってくる。

「っていうか、あんな難しい数字が並んでるだけの書類を暇つぶしに読むのにニチカぐらいでしょ。」

「そうかな。意味がわからなくても活字を読めるだけで楽しいんだけどね、ほら……研究データって端末で公式ホームページに飛べば読み放題だし、かさばらないし、床も抜けないし」

 冗談めかして言えば、本を積み上げて部屋の床を抜くのなんてニチカぐらいだからねと釘を差された。そんなバカなと口をへの字に曲げたら、本の虫である自覚を持ちなよと叱られる。

「本はほら……繁殖するんだ、カゲツはしらないかもしれないけど」

「でまかせで言い逃れるのは良くないからね」

 渋い顔で私を叱るカゲツから目をそらしつつ、焼き上がった丸パンの切り込みにオリーブオイルを塗りつける。私は悪くないし、本が勝手に繁殖するのが悪いのだと言い張りながらカゲツが焼いた貝柱と瓶から出したピクルスを挟み込んで皿の上に並べ、二脚しか無い丸椅子の片方に座る。

「主よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事を頂きます。」

「いただきます」

 カゲツがもう一つの椅子に座ったのを確認してから食前の祈りを唱えた。私が唱え終わらないうちにカゲツが思い切りサンドイッチにかぶりつく。随分お腹が空いていたらしい。

 苦笑しながら私もサンドイッチを一口齧る。貝柱の弾力が強く、一度口の中に入れるとなかなか噛み切れない。ものを食べながら喋るのも行儀が悪いので、口の中のものをすっかり胃に落とし込むまで穏やかな沈黙が食卓を満たした。

「噛みごたえがあるね、貝柱」

 唇についたオリーブオイルを指で拭いながら半ば独り言のように呟けば、新鮮だからねとカゲツが言う。彼いわくほろほろに崩れるまで水煮にするのも美味しいらしく、塩味のスープにしてパンをたっぷり浸したりスープパスタにするのがたまらないらしい。聞くだけでお腹が空いてくるような口ぶりだったが、あいにく食べたことがないので味の想像がつかない。

「どんな味なんだろう。水煮はまだ食べたこと無いからわからなくて」

「そうだっけ?じゃあ今度作るよ」

 そういって笑うカゲツにいいの?と首を傾げれば勿論と返事をされた。ニチカと一緒に御飯食べるの好きだもんと素朴な好意を言葉にしてくれる彼に目を細め、じゃあお言葉に甘えてと笑い返した。

 ご飯を食べ終わったらまた仕事?と尋ねるカゲツに、私はしばし考え込む。配達のケースを運ぶのは決まっているが、そのあとの仕事があるかは雇先に尋ねなければわからない。個人運送業と言えば聞こえはいいが、ほぼ日雇い労働者なのである。ケースを返却して、昼の弁当の配達をしたあとに仕事がなければほかの仕事を探すか、農業プラントで農作業を手伝って報酬を受け取るのが定番だが、このあいだ春キャベツの収穫と出荷がひと段落したばかりで仕事がない可能性も高い。

「うーん……配達が昼以外になければ港で釣りでもしてるよ。魚がおいしい時期だしね」

「無謀だと思う」

 ばっさりとカゲツが言った。

「ええ……」

「釣り下手だもん、ニチカ。」

 あんまりバッサリ言われて抗議のうめきを上げれば、カゲツが真実を突いた。事実なだけに反論できないのが悲しい話だ。カンが悪いのかさおを上げるタイミングが遅いのかは知らないが、私が釣りをすると餌をとられてすべてが終わりになることが多い。走ること以外に能がないのだ。

「だからさ、午後に釣りするんだったら声かけてよ。手伝うから」

「いや、そこまでしてもらうわけには」

「友達が腹ペコになるほうが気分が悪いの」

「むう……」

 腕組みをして鼻を鳴らしたカゲツの意志は固そうで、結局わかった、と渋々と返事をするよりほかになかった。プライドという言葉がよぎらないではなかったが、空腹のまま眠りにつくほうがよほど惨めである。仕方がない。

 食器を下げて一通り洗った私は、釣りというものはどうやれば上達するのだろうかとまじめに考えながらカゲツの家をあとにするのだった。

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