第五章・一-2「三つの試練-all blue」
音がなかったはずの暗闇から足音が戻ってきたのは突然だった。
「待って。止まって」
最初に気づいたのはブーケだった。彼女の声でおれとエドは足を止めた。そうしたら、ポン、という音と一緒に周りが明るくなった。
振り返ると、ブーケが小瓶の中でドングリを数粒燃やしながら立っていた。
ガチガチに緊張した顔で彼女は先を歩いていたおれたちを見た。
「音が」
ごぽっと鳴る音が後ろから、さっきまでおれたちが進んでいた先から聴こえた。水の音だ。
おれは後ろを振り返った。
道の先には明かりはまだ届かない。真っ暗闇がおれたちを待ち構えていた。
「湿ってる」
エドが照らされた周りの壁を見て言った。
ぴちゃっと水が滴る音がした。湿ってるんじゃない。濡れてるんだ。水がすぐそこにある。
また、ごぽっと鳴る音が聴こえた。
音が、聴こえた。
音が! 聴こえたんだ!
卵のある場所は無音の世界。音が聴こえるはずがないんだ。どんなに激しく泳いだって、どんなに岩を爆破したって、音は全く聴こえなかった。
だから、今おれたちが立っているこの場所は、もう、
「別の、世界」
別の世界だったんだ。
おれのいた世界からどんどん離れてる。そんな気がした。
あれだけ冒険に心が踊っていたのに、いざ遠くに来ちゃうと不安になる。たった一人で迷子になった時みたいに。
でも大丈夫。膝よ、震えるな。おれは一人じゃない。エドとブーケがいる。おれたちは三人でここにいるんだ。一人じゃない!
世界が変わる瞬間っていうのは何か境があるってことじゃないんだ。自分で変えるんじゃなくて、そう。
世界が書き変えられる。そういう瞬間のことを、きっと言うんだ。
そうだよ。
誰かに、
自分の考えの基準を、
自分のいた世界の基準を、
まるっと変えられる、
そんな、
そんな瞬間
「!!?!!?」
目があった。
暗闇の先のずっと先。何があるか見えない道の先。
おれは見た。
何かと目があった。
大きな大きな一つの目。
あってしまった。
おれは声も出せずにエドの後ろに隠れた。ブーケの後ろじゃすぐに見つかっちゃう。いや、もう見つかってるのかもしれないけど、少しでも時間稼ぎしたかった。無駄な時間でも、今だけはちょっと待って欲しかった。
「え、トラどうした」
おれの行動にエドも慌てた。おれは指だけで道の先を示した。
「前? え、ブーケ?」
なんでかブーケまでエドの背中にしがみついてきた。おれには見えてたけど、ブーケには見えなかったはず。なのになんで。
彼女はがっちりとエドの腕を抱えて言った。
「なにか、いる」
すごく大きいのが、前にいる。
ブーケは感覚が鋭かった。特に生き物の気配に。
おれは目がとにかくいい。
逆にエドは鈍かった。ずっと命を持たない鉱石と宝石に囲まれて育ったせいだ。エド本人が言うんだからそうなんだろう。毒とかそういうのには敏感なのに、生き物に関して彼は鈍感だった。多分、鉱石病の影響かもしれない。
だから、真っ暗な中でそれに気づいたのもおれとブーケだけだったんだ。
向こうはおれたちに気づいたのか?
一気に心臓が駆け足になった。違う、これは逃げ足だ。逃げろ、逃げろって頭と体は叫んでる。なのに心は冷静で無理だって諦めてる。
どくんどくんからドクドクどくどくへ。一気に速さが上がって息切れしそうだ。
身体中に、何より頭に血を送り続けるために心臓は走り出した。
目の前のあれから生きて帰れるように。
どくどくドクドクどくどくドクドク
おれは今、生きている。
おれたちの足を動かしたのも、止めた時と同じ水の音だった。もう後には引けない。そんな雰囲気だった。
ゴボリと一際大きく耳に響いた気がした。
来ないのか。弱虫め。
そんな風に言われてる気がした。
前に、進め。
「ごめん、驚いただけ。行こう」
おれは握っていたエドの服から手を離して進もうと促した。手のひらには汗がべったりついていたことにはエドだって気がついているはず。
こわい。こわい。でも、進もう。おれたちが自分で決めたことだ。進もう。おれの声は震えていた。
進めば進むほど周りは寒くなっていく。いや、寒いどころか冷たい。吐く息まで白くなってきた。
ブーケの小瓶の中のドングリは変わらずに燃え続けてくれている。エヴァンが何か細工してくれたのかもしれない。
どれだけ時間が経ったのかわからない。気を張り続けていたから、すごく長い気もした。でも実際はそんなに経っていないのかもしれない。
ろうそくを持ってきていればとちょっとだけ思う。そこまで考えられないだろうけど。
足の下には小石がじゃりじゃりと音を鳴らしている。つまづくような石はない。
恐くて前なんて見れなかった。おれは足下に注意をして、前に進むことだけ考えた。隣にいる二人のことなんて気にしてられない。
「あ」
ブーケが止まった。エドも止まった。おれは止まれないで進もうとした。頭の中は「前に進む」ってことでいっぱいだった。
おれはそこに突っ込もうとした。前を見てなかったから。
「トラ! それ以上は進めない!」
エドが腕を引っ張って、その時やっとどういう状況かわかったんだ。
目の前には道なんてなくて、黒い闇なんてのもなかった。ある意味行き止まり。
鼻の先にちょんと水がついた。本当に目と鼻の先、真ん前にあったのは水の壁だった。
「う、わ」
突然現れた水の壁に息が詰まった次の瞬間、おれはまた見た。
あの目!
銀色に光る、二つの目!
ドラゴンだ!!!
水の壁の奥に大きな大きな、ヘビみたいに長く大きい生き物がゆっくりと游いでる!
暗いせいでしっかりとは見えないけど、あの影の形はドラゴンだ!
おれはもっとよく見ようと水の壁に近づいた。その時、
「うわっ!」
水の壁からトゲみたいなものが突然突き出してきた!
「危ない!」
ブーケがとっさにおれの体を横に倒してくれたおかげで、串刺しは回避できた。エドは水の壁から離れた岩の壁にぴったりと体をくっつけている。
おれとブーケの二人とエドの間には、真っ白な鱗に覆われた長い何かが水の壁から生えていた。その先にはトゲが数本。どう見ても刃物だった。
「なんだよ、これ」
呆然とするおれにブーケが言った。
「これ、尻尾だよ」
壁の向こうにいるドラゴンの尻尾。
こんなに、デカイ。
避けれなかったら、
「トラちゃんのバカ! 相手はドラゴンだよ!? 今ので死んでたよ」
命が何個あっても足りない。
好奇心に引っ張られて顔を出そうとしたおれがバカだった。
人はドラゴンを観察することなんてできない。彼らの方が強くて頭もいいんだから。観察されるのはおれたち人の方なんだ。
壁の向こうにゆっくりと戻っていく尻尾を見ながらおれは後悔した。
何が冒険だよ。何が探検だよ。扉の向こうに行って帰って来れなかった人を何人も知ってたじゃないか。なのになんでおれは油断したんだよ。
冒険に行くなら自分の命をかけないといけないんだ。冒険者なら誰だってそう。
おれは自分の命と卵の中身を天秤にかけたはずだった。だから、死にそうな卵とおれは秤に乗らないといけない。おれは、死ぬかもしれない危険を侵して冒険をしなくちゃいけないんだ。
エドが尻尾を挟んでおれたちに叫んだ。
「どうする!?」
「こんなドラゴン、倒せるはずないよ!」
「壁の向こうにだって行けない!」
おれは壁の向こうに行けないって言った。その時、すぐ横にいるブーケが意味わかんないって顔をした。
「トラちゃん、何言ってるの?」
「だって、あの水の壁からドラゴンが出て…」
「違うよ! あれは壁じゃない! あのドラゴンは泳いでるんだよ? あそこにあるのは水面なの!」
そうだ。向こうにいたドラゴンの動きは飛ぶとか這うとか、そういうんじゃない。泳いでた。
水の中を、泳いでた!
向こうは水の世界だ!
おれたちは向こうには行けない!
「どうしよう…」
水の中を泳ぐドラゴン相手におれたちはどうすればいいんだよ。
「倒せなくていいから、涙だけ取れる方法ってないよね…」
ドラゴンのことが尻尾以外見えていないエドが呟いた。彼は向こうにいるドラゴンの全身の影も、ブーケが感じた動きも知らない。でも、あの尻尾の一撃で自分たちとドラゴンの差を知ってしまった。
おれたちはドラゴンを倒せない。勝てない。
違うんだ。始めから違ったんだよ。
この冒険は卵を孵すことが目的だ。そのためにドラゴン三匹分の涙を集めたい。竜の涙さえあれば、ドラゴンに用はない。
「あの人が言ってた、ドラゴンを泣かす方法…」
倒すんじゃなくて、泣かせるための方法。
おれだったら見えるって言ってた、その場所。
おれは尻尾が完全に戻っていった水面を覗きこんだ。よぅく、よぅく、目を凝らしてドラゴンを見た。瞳孔が細くなった。虎みたいに。いつかのエヴァンみたいに。
見えた!
「目だ」
ブーケの顔をしっかり見ながら、おれははっきり言った。
「あのドラゴン、目を狙えば泣かせられる」
あのドラゴンは目が弱点だ!
なんかわかんないけど、おれの中の何かがそう教えてくれる。目を狙えって。
でも、どうやって?
おれたちは揃ってもう一度水面を見た。
見た瞬間、三人揃って目が合った。
「あ」
目があった。水面から一つ目だけがおれたちをじっと見ていた。
あの、銀色の瞳がおれたちを見ていた。
心臓はドキドキばくばく言っている。
ナニモ
カンガエラレナイ
頭が真っ白になるってそういう状態。
やっと瞬きができるようになった時、その目はすいっと退いていった。
見逃してくれた?
そんなわけない!
おれたちがそのドラゴンを一部しか見れないみたいに、向こうからもおれたちは穴の中にいる虫なんだ。
おれたちからは大きすぎるドラゴン。ドラゴンからは小さすぎるおれたち。的にするには不相応。
でも理由があるから相手は的を狙ってくる。おれたちは竜の涙が欲しい。あのドラゴンはおれたちと目が合った。だから、相手もこっちも狙い合う。
「届かないんだ、あっちが大きすぎて」
「尻尾か、爪? ここに突っ込むしか向こうは方法ないんだ思う」
「こっちだって方法がないんじゃ同じだよ」
どうする?
どうすればいい?
おれたちは考えた。
「攻撃した後にさ、多分今みたいに覗きこんでくると思う。その時しか、おれたち、狙えるタイミングないよ」
目を、狙う。
「攻撃できたとして、その後は?」
もしも攻撃できた後。涙が出るんだろうな。出た涙をどうするんだ?
「トラちゃん、エドちゃん。ドングリ、どっちかの瓶にまとめて」
ブーケが何かひらめいたみたいだ。
残ってた爆発ドングリをエドの瓶にまとめた。ブーケの残ってた分も入れて、エドの瓶にはドングリがみっちり詰まる。
「爆発ドングリで攻撃だな」
それしかない。おれたちにはもともと攻撃の手段なんてなかったんだ。ただ、行けばどうにかなる。
そんな安易な考えで冒険に出たんだ。
おれたちは子どもだった。
子どもっていうのは単純な生き物でありまして。
単純だからこそいろんな可能性を持っている。そう、おれは思うんだ。
子どもの強いところ。多分きっとかもしれない気がする。大人たちが欲しがる具体性とか理屈とか、そういうのなしでぶっ飛んだ発想ができる。
多分きっとかもしれない気がする、っぽい。思ったままに、感じたままに動ける。失敗した結果を知らないから、未来を夢見て飛び込んでいける。
「爆発ドングリにはお休みしててもらいます」
おれとエドを見て、ブーケはにっこり笑顔で言った。
「うまくいかなかったらごめんね☆」
おれたちは子どもだった。だから仲間が、友だちが失敗したときに笑って許すこともできたんだ。
もし次がなくても、また今度頑張ろうって笑って言い合えたんだ。
「おれたち、どうすればいい?」
ブーケの小さい手の中で、小瓶に入った爆発ドングリが燃え続けていた。
まずは避ける。全力で。
向こうにいるドラゴンは大きすぎて、穴の中にいるらしいこっちには手が届かない。届いたとしてもさっきみたいに尻尾だとか、爪でしか攻撃は届かない。と、思いたい。
それで攻撃した後は当たったか確認する。穴に片目を近づけて、よく見る。
その時ならおれたちでもドラゴンへ攻撃できる!
弱点の目に攻撃が当たれば涙が出るはず。司書さんが言ったとおりなら。それを空っぽにした瓶に入れる。
入れた瞬間、ダッシュで逃げる!
それがブーケの作戦だった。
今回の攻撃隊長はブーケ。どうするのかは聞いてない。でも自分でやろうって言い出した作戦なんだ。きっと何か案がある。
おれはブーケを信じる。
ダメだったら生きて戻って、笑えばいい。
生きて戻れなかったら、ダメだったなって最期に言って笑えばいいよ。
これはおれたちの冒険だ。
始まりも終わりも、おれたちがよければそれでいい。そうであって欲しいんだ。
とにかく。まずは次に来る攻撃を避けないと話にならない。おれたちは後ろに下がった。
今一番緊張してるのはブーケのはず。
ブーケを後ろにして、ジリジリと下がっていく。エドはあのドラゴンの動きが見えない。おれが合図しないと避けれない。
涙の回収係をエドに回して、おれは瞳を細くした。
まだ…
まだ…
まだ…
今だ!
「来る!」
おれたちは壁にぺったりと張り付いた。その間を二本の、二本の、何だあれ? さっきのトゲみたいなものが突き出てきた。鱗がないから尻尾じゃない。でもトゲでもない。薄く幅が広い刃が二枚、通路に突き刺さった。
通路の上から下までの幅。でも薄い。どれくらい薄いかって言うと、もう一枚のそれを突き抜けて向こう側にいるブーケが見えるくらい。透明なんじゃなくて薄いんだ。
薄く、薄く研がれた刃。
「爪だ!」
エドが叫んだ。
爪。
嫌な予感がした。
「走れ!」
おれは爪が生えている方と逆に向かって走り出した。そのすぐ後を二人は追った。
次の瞬間、爪がぐるんと回った。縦一文字から横一文字へ。壁の岩を削り取りながら、爪が向きを変えた!
あのまま壁に張り付いたままだったら、おれたちは。息が止まった。
誰も血を流さないまま、二枚の爪はゆっくりと水の中へ戻っていった。
さっきと同じなら、次はドラゴンはここを覗きこむはず。
「ブーケ!」
おれは全部をブーケに託した。
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