マリア様とおきつね様
一本杉 朋恵
第1話 マリア様
――じゅっ!
到底あり得ないような音がした。プラスチックの石突の先端が銅を溶かす音だったのだが、そんなことがあるものか、と呆気に取られている間に、ピカピカの十円玉はそのまま穴が空き、五円玉のような風体になってしまった。
しん、と四人は何も口に出せないまま、傘の柄の部分を持った美少女に目が釘付けになり、そして、口をぽかんとあける者もいた。
少女は、その顔をさらに凶悪にゆがめて、四人の非難とも呆けともとれない眼差しを真正面からひとりずつ受け止めると、はあああと大きなため息を吐いた。そして、一言。
「あほらし、帰る。全員くたばればいいのに」
と、蕾のような唇からたしかにそう発言して、そして、そのまま傘を振り回しながら教室から出て行った。
一番に正気に戻ったのは、唯一の男子参加者だった
「ちょっと、おい! まて!」
と叫んだが、長身の少女は一切気にしない様子で黒髪をなびかせながら部屋を出ていくのに、『あーもう』とかなんとかもどかしそうに頭をかきながら、私たちを振り返った。
「ごめん、本当にごめん!」
そして、慌てて謝りながら、自分のスクールバッグを急いでまとめて、部屋を出て行こうとしてそれから申し訳程度にもう一度振り返る。
「ごめん、あいつ、マリアは、悪気はないんだ、たぶん! ちょっと俺、先に帰るから、またな」
止める間もなく去っていく彼に、私たちはただぽかんとしていた。
暗い放課後の化学室だった。そこかしこに夕日が射しこみ、そして光が届かない場所には闇がわだかまっている。教室の電気はわざと消してあった。校庭とは廊下を挟んで逆側に位置するため、クラブ活動の喧噪も聞こえない。私はクラブに属していないから知らないけれど、そもそも定期テスト間近のため自粛期間なのかもしれない、校舎には人の気配が極端に少なかった。いつもはそこかしこを駆け回る足音、友人を呼ぶ声、楽しそうな歓談が響いているはずの校舎、それらすべてから教室は隔離されていた。だからこそ、今日この時間を選んだというのもあるだろうが――。
「ちょっと、どうする?」
ヒリヒリといつの間にか乾いてしまった唇をやっとのことで動かしたヒナちゃんが、私とユイちゃんを目だけを動かして交互に見た。体はいまだに凍り付いたままだ。それは、私もユイちゃんも一緒。
「あー、えーっと、この場合って、どうすればいいの?」
ユイちゃんは困ったようにへらっと笑った。どうすればいいんだろう、と再度左手で私たちの右手の人差し指が集まった紙の上を指さしながら首を傾げた。
そこには、穴の空いた十円玉が取り残されていた。
そして、そこに乗せていた私たちの右手が所在投げに置かれている。
「うーん、わからない」
私も困り顔を浮かべた。
「そうだよね。びっくりしちゃって離しちゃったけど、これ、終わるまでは、十円玉から指を離しちゃだめなはずだし」
ヒナちゃんの言葉に、ユイちゃんが恐そうに震えた。
「どうしよう、おきつね様? 怒らせちゃったかな?」
「だ、大丈夫だよ」
私は明るく笑って見せた。
「そうだよね、だって、ほら、十円玉は鳥居の上にあるわけだし、一応帰ってくれたんじゃないかな?」
ヒナちゃんが励ますようにそう言葉を続けた。
赤い水性ペンで書かれた鳥居の下に、ぴったりとおさまっている十円玉は、先ほど変な音と煙をあげたとは思えないほど無機質な状態に戻って放置されていた。
「あの子、すごい美人だったね」
私が、ぽつんと思い出したように言うと、ヒナちゃんとユイちゃんが少し怒ったような顔になった。
「なに言ってんの、もう!」
「せっかくの”おきつね様“が台無しだよ! ほんとぉにびっくりしたんだから!」
二人がぷりぷりしながら右手を紙の上から外したので、私も苦笑しながら動かして、そして、十円玉を持ち上げた。
「でも、すごいキレイだったんだもん。モデルさんになれそう。どこのクラスの子だろう?」
穴のあいた十円玉から無光の蛍光灯を覗く。黒い髪は重たげではなく軽やかだったし、手足はスラっと白く長かった。思わず、推してしまいたくなるような容姿だった。
「タマは知らないの?」
ほんとに? と、ユイちゃんは、眼鏡を直して私のことを信じられないと二度見する。
「小学校が違うんじゃない?」
「ああ、そうか。でも、もう三年生だよ、私たち。ほんっとうにマリア様を知らないの?」
「まあまあ、マリア様あんまり学校に来ないじゃん」
ヒナちゃんがそれに、と、くすっと笑った。
「タマは世間知らずだもんね~」
「ちょっと!」
私が怒って頬を膨らませてみせると、ヒナちゃんがお決まりのようにほっぺたをつついた。
「タマってほんっとうに他人に興味ないよね」
「べつに興味がないわけじゃ……」
ただ単に、コミュニケーション能力が低くて同級生の情報に疎いだけだ、と付け加えようとして、私は落ち込んだ。唇を尖らせて不服そうに言ってみる。
「噂話をしないだけです。でも、他人に興味がないわけじゃないよ。あんなに美人な子、お話ししてみたいなあ」
どんな子なんだろう、可憐な容姿で何を考えているんだろう。あわよくば、お友達になれるかしら、そんなことを考えていると、ユイちゃんがやめた方がいい、とあいうえおの五十音を書いた紙を机から持ち上げながらぴらぴら振った。
「マリア様にはあまりかかわらない方がいいよ。いい噂聞かないし」
「あー、ね」
ヒナちゃんも同意した。
ヒナちゃんとユイちゃんがそんな風に他人のことを評するのをクラスの問題児たち以外に見たことがなかったので、私は驚いた。そんな人たちとあの子が関わっているのだろうか。
「マリア様、って言うの?」
「うん、マリア様」
頷くヒナちゃんに前のめりになる。少しでもあの子の情報が欲しい。知りたい、と私は渇望していた。
「下の名前がたしか『まりあ』なんじゃなかったかな。どういう字を書くのかは知らないけど」
私は意外だった。マリア、ってなんとなく言葉の響き的に栗色の髪、洋風で暖かな眼差しとセットという印象だったからだ。でも、髪は染めればいいのだし、あの激怒していた瞳も笑ったら柔らかくなるに違いない。
「たしかに、『マリア様』とはほど遠いかもね」
私が考えていたことが伝わったのかユイちゃんが苦笑いした。
『どういうこと』と聞く前に、ユイちゃんが、ヒナちゃんを振り返った。
「ヒナ、これどうする?」
「あ、うん、えっと、破らないといけないはず、たしか」
「破るの? こんな感じ?」
ユイちゃんが思い切り紙を半分に裂いたので、ヒナちゃんがびっくりして叫び声をあげた。
「ちょちょちょっと」
「なに」
「やっぱりこういうものには作法が、が、が!」
「えー、じゃあ教えてよ」
「ユイはなんでそんながさつなの?」
「ヒナが先に言わないのが悪いんじゃん!」
私はついコントのような目の前の情景に吹き出してしまった。
私達三人は、――番井君もいれて、みんなで『おきつね様』という名のこの学校に伝わる独自の【こっくりさん】を行っていたのだ。
おどろおどろしい雰囲気を醸し出すために、普段はあまり使われていないこの化学室を選んだし、逢魔が時の夕方を選んだ。それに、ヒナちゃんは、それっぽくするためにろうそくまで用意していた(これは、ユイちゃんに却下された。警報機が鳴ったり、先生に見つかったら厄介だからだ)。
私が笑ったのに毒気を抜かれたのか、二人は目を合わせて笑い合った。
「えっと」
ヒナちゃんが手順を説明する。まずは、半分に破いて、さらにそれを半分にして……。
ユイちゃんがバラバラにした紙片を水道に流す。そこに塩を振りかけて、これで終了らしい。
「決まりごとがたくさんあるんだね」
「ほんと、ヒナよく知ってるよね。私がやってるホラーゲームでこんなに細かくやってる人みたことないよ」
「うーん、これはなんていうか、普通のこっくりさんじゃなくて、うちの学校のこっくりさんっていうか。名前もおきつね様だし……」
ヒナちゃんが化学室の電気を点けながら私たちに向き直る。
「うちの学校の七不思議のひとつ。先輩から聞いたんだよね」
「ああ、この間久しぶりに会ったって言ってた? 佐久間先輩?」
「そうそう。うちの学校にも七不思議があったなんてびっくりしたよね。でも、他のはわからないらしいから、また調べるしかないかなあ」
「それじゃあ七不思議じゃなくて一不思議だね」
私が口を挟むと、ヒナちゃんとユイちゃんがぷっと吹き出した。
「タマは本当に面白いことを言うね。でも、確かに。みんなオカルトに興味ないのかな」
『私なんて興味津々なのに』と拳を作って力説するヒナちゃんは、それから少しがっかりしたように肩を落とした。
「お父さんの時には、なんかたくさんあったみたいだけど、お父さんもサッカー部だったからそういうの疎くってさー。トイレの花子さんとか自慢げに話してくるんだよ。花子さんは全国区でしょ、って。トンカラトンの方がまだ怖いよね。ほんと、使えない……」
父親を使えない発言はすごいな、と聞いていると、ユイちゃんが頷いた。
「文化って継承していかないといけないんだけど、流行ってるときはいつか廃れてしまうなんてまっこと気づかないからね~。記録することの偉大さよ。人間の叡智よ!」
私は難しい単語が並んだユイちゃんの言葉を翻訳するのに一苦労した。ユイちゃんは国語のテスト勉強なんてしないに違いない。
はじめる前はすごく怖がっていたのに、二人は毒気を抜かれたようにキビキビと帰り支度をしている。たぶん、マリア様の乱入で白けてしまったのだ。
ヒナちゃんは、私を振り返り、
「その十円玉、貸して」
と手を出した。私はなんとなく、出し渋って、
「よかったら、くれない?」
と言ってしまった。ヒナちゃんは目をぱちくりとした。私はそんなヒナちゃんに尋ねた。
「何か、この十円玉も、この後しなきゃいけないことがあるの?」
「うん、おきつね様をしたら、すぐに使わないと」
呪われちゃうのよ、と、いう言葉に、少しぞっとする、が、穴のあいた十円玉は珍しくて、マリア様が穴をあけたのだと思うと、ますます手放しにくかった。
「呪われちゃう、ってどうなっちゃうの?」
私の質問に、ユイちゃんも、ヒナちゃんを見た。
「そうよ、どうなっちゃうの? それにさ、終わりにもできなかったけど」
「うーん」
とヒナちゃんは腕組みをした。
「先輩が言うには、『おかえりください』って言って、終わりにしなきゃいけなかったんだよね、本当は」
「『はい』って言って、鳥居に戻ったら終わりなんでしょ、前に観た実況のゲームでもそうだったよ」
「そうそう。おきつね様がきて、それに帰ってもらわなきゃいけなかったんだけど……」
私たちがはじめたおきつね様は、乱入者であるマリア様によって妨害され強制終了してしまったのだ。
そもそもは、ヒナちゃんが発案者だった。ヒナちゃんが、準備をして、ユイちゃんと番井君を誘ってはじまったのだ。
「もともと、この地を治めてたおきつね様がいて、その子孫がこの学校の周りにまだいらっしゃるらしいのよね。それで、そのおきつね様をよび出すってことらしいんだけど」
なんでもそのおきつね様は昔からこの辺りを治めていらっしゃるので、生徒の困りごとには精通しているのだとか。だから、質問をしたらなんでも答えてくれる。正規の手順で、敬って行えば、普通のこっくりさんよりもよっぽど精度が高くて、安全だという話だった。
「でも、注意点があって――」
そう、オカルト話にはなんにでも注意しなければならないことがある。破った者にはそれ相応の罰が下るものだ。だから、ヒナちゃんもきちんと準備をして行っていたはずだったのだが。
「第一に、きちんと帰ってもらうこと。第二に、使用した紙は決められた手順で破って水に流すこと。第三に、使った十円玉はすぐに使うこと。それを破ると――」
「やぶると?」
私と、ユイちゃんはごくりと唾をのんだ。
「なんでも、おきつね様が帰らないんだって」
「帰らない?」
「そう、クラスメイトが一人増えるとかなんとか。それは帰れなかったおきつね様で、そのおきつね様が帰してもらえない復讐にくるとかなんとか」
「なんとか?」
「そこは、先輩も知らないのよ。何しろ、失敗したことないって言ってたしね」
「先輩は何度もやってるの?」
「そうみたいよ。なんならテストの内容も当たったって」
「さっきの当たってるのかな?」
「そうだと思うよ」
今度のテストに出そうなところをさっきのおきつね様に山勘してもらったのはそのためだったのか。
「でも、帰ってもらえなかったよね?」
私が言うと、二人は口を噤んで、それぞれが目を合わせた。
「マリア様が、妨害しちゃって」
「そうだけど……」
ヒナちゃんが後ろめたそうに、指で爪をはじく。
「でも、十円玉はほとんど鳥居に入ってたし」
「私ですらこっくりさんは帰ってもらうまで十円玉から手を離しちゃいけないの知ってるけど……。でも、ヒナは責められないよ。だって、マリア様がいきなり入ってきたんだしね」
「だーかーら、こっくりさんじゃないってば! おきつね様なの!」
「わかってる、わかってるから。ヒナちゃんのこと責めてるわけじゃないの。でも、失敗したらどうなるのかな、って」
「先輩に会えたら今度聞いてみるよ。今日の夜、連絡もしてみる」
ヒナちゃんは落ち込んだようにした。
マリア様と呼ばれるさっきの美少女が乱入してきたのは、そろそろおきつね様に帰ってもらおうかというところだった。化学室の扉がいきなり開いたかと思うと、躊躇なく私たちの机に歩いてきた彼女は、雨でもないのになぜか右手に傘を携えていた。そして、それを思い切り、私たちの指が集まっていた十円玉に向かって振りかざしたのだ。
「あぶないっ!」
そう叫んでくれたのは番井君だった。私たちは闖入者に何が起こったのかもわからずただ呆然としていたのだけれど、その声に驚いて指先を離した。みんなそうだったと思う。
鋭利な先端が刺さった十円玉は、まるで断末魔を上げるように音を上げカタカタと揺れながら串刺しになり、なんと煙を出したのだ。そしてみるみるうちに穴があいて、静かになった。
私達四人はそれを呆気にとられて見つめているしかなかった。
そして、美少女はそこから傘を抜くと何の説明もなしに暴言だけを残して部屋を去って行った――。
化学室を出る準備をして扉を閉めながら、ヒナちゃんは小さく『ごめんね』と言った。私とユイちゃんは振り返って慌てて励ますようにした。
「もう、謝らないでってば。ヒナちゃんは悪くないよ。それに、言ってたでしょ、おきつね様は悪い神様じゃないって。私たちを見守ってくれてるんだよね? それじゃ、別に、困ったことにはならないんじゃないかな」
「そうだよ、ヒナは悪くない。悪いとしたら、マリア様だと思う」
「うん、一応、いい神様のはずだから、呪われたりはしないと思うんだけど……。でも、なんか、気味悪いし、後味悪くなっちゃった。ごめんね」
それぞれ大丈夫だよ、と言いながら、夕日のせいだろうか? 二人とも顔色が悪い。私も心なしかドキドキしていた。
「マリア様は、何組なの?」
私は、無言になるのが嫌で聞くと、ユイちゃんが答える。
「マリア様は、一組じゃない? たしか、そうだったと思うよ」
「そうそう、毎年一組だよ。マリア様は特別だもん」
ヒナちゃんが下駄箱で靴を変えながらそう言う。
「特別?」
私が聞き返すと、ヒナちゃんは頷く。
「たしか、お家が、お金持ちだって聞いたことあるなー。土地持ちだとかなんとか」
ユイちゃんが思い出すように言ったのに、ヒナちゃんが、
「お父さんが政治家なんだって。東京にいるらしいけど」
と付け加えた。
「トウキョウ……」
目を丸くした私に、ヒナちゃんは頷く。
「そうそう、国会議員とかなんとか」
「離れて暮らしてるの?」
「それは知らないけど」
ヒナちゃんの言葉に、ユイちゃんも驚いたようだ。東京ねえ、と独り言ちて、
「うらやましいな。行き放題じゃん。私も、東京のイベント参加してみたい!」
と頬を両手で押えた。ユイちゃんのスクールバッグにつけられているアクリルキーホルダーが呼応するようにカチャカチャと揺れる。ユイちゃんはゲームの実況動画が好きで、そのイベントが開催されるたびに『また東京だ―!』とよく頭を抱えていたからものすごく羨ましそうだ。
「でも……」
校門を通過しながら、ヒナちゃんが俯いて言った。
「ごめん、謝っちゃだめって言ってたけどさ、二人ともごめん。ほんとなんか気味悪くなっちゃった」
「それは……」
さっきの十円玉があげた奇妙な現象を、ヒナちゃんはまた思い出しているのか、身震いした。
化学室にいるときは、何が何だかわからず呆気にとられていて、怖いという感情はあまり起きなかった。いや、麻痺していたのかもしれない。けれど、少し時間が経ってきて、思い返してみるとやはりおかしかったように感じる。
「だ、だいじょうぶだよ、きっと!」
私の根拠のない言葉に、ヒナちゃんがうん、と頷くが、納得していなさそうだ。
「それに、マリア様が来たのもなんか不気味で。呪われたりしたら、いやだな」
その言葉に私は目をぱちくりする。ユイちゃんもヒナちゃん同様に少し暗い顔をした。
「まー……なんていうか、マリア様が来たせいで、こう、ホンモノっぽい感じにはなっちゃったよねー。べつにヒナのこと疑ってたわけじゃないんだけどさー」
「『ホンモノっぽい』? どういうこと?」
「マリア様の噂聞いたことないの? まあ存在も知らなかったしな~。タマはこういう話に本当に疎いんだなぁ」
眼鏡を持ち上げたユイちゃんが、私の目をじっと見てくる。私はマリア様のことが気になってしまって、彼女のことなら何でも知りたかったので、興味津々な顔をした。こうしたら教えたがりのユイちゃんがむくむくと顔を出して色んなことを教授してくれることを私は知っていた。
「小学校の頃から有名だよ、あの子は。霊感少女、って」
「れいかん?」
「そうそう、お化けが視えるって話だよ。最近は学校に来ることもめったにないから、すっかり忘れてたけど、やっぱり本人見ると強烈だよね」
ヒナちゃんが思い出したように頷く。
「ヒナちゃんは同じ小学校だったの?」
「ユイもそうだよ。同じクラスになったことはないけど」
「そうそう、私もないけど、たしか番井は何度かなってるんじゃないかな?」
霊感少女、と私は口の中でつぶやいた。そんな子が本当にいるとは。そして、それがあの子だなんて。思い返してみると不思議なオーラを纏った子だった。化学室にいたのは、五分にも満たなかっただろう、なのにあんなに強烈に私の脳裏に姿が焼き付いている。
――お近づきになりたい!
私は、スカートのポケットの中に入れた十円玉をこっそり握りしめた。結局ヒナちゃんに返さずに私が持っている。これを持っていれば、まだ繋がっていられる、となんとなくそう思う。
そんな私の野望を知らず、二人はマリア様の噂話をしてくれた。
曰く、土地持ちの名家のお嬢様。小学校の頃からなんとなーく不登校で、最近は中学校にも来たり来なかったり。美人だけど、彼氏がいるという噂はない。先生たちが彼女に注意しているところを見たことがない。誰かを殴って停学になったとか、ならないとか。
「な、殴った?」
驚いた私の言葉に、
「うーん、なんか、こう、暴力的な人なのよね」
とヒナちゃんが困ったように微笑った。
「そういえば、三組の林が一年生のときに、『マリア様に呪われた』って騒いでたな~」
ユイちゃんが思い出したように言った。
「あー、なんか何人か同じこと言ってる子がいたなあ」
ヒナちゃんも同意する。
「マリア様ってそんな感じの子なの?」
動揺した私の言葉に、
「あまりいい噂はきかないね。だから、近づかないんだよ、みんな」
とユイちゃんも困ったようにした。
「小学校の時は、もっとひどかったような……違うクラスだったから覚えてないけど、なんか、事件があった気がする」
「先生が辞めたのも、それかも」
「先生が辞めた?」
二人はうーんと記憶をたどるようにした。三年以上前のことなので、思い出すのが難しいようだ。私は、どうしても聞きたかったが、ふと、坂の下の交差点に近づいていることに気が付いて、歩みを止めた。
「……。」
私が止まったのを見て、二人が振り返る。
「どうしたの?」
「あ、ううん。えっと……」
私の視線の先に気が付いたユイちゃんが、ああ、とそっと手を引いてくれた。
ガードレールの下に置かれた花束が車の振動で揺れていた。ゆらり、とおぼろげな女性の姿が私には視えた。その姿は、煙のようにおぼろげだったが、私の視界の端でちらついている。その影は必死に何かを叫んでいるようだったが、何も聞こえない。私はつらくて視線をそらす。こういう場所は苦手だ。交通量の多い、事故の多い、こういう場所は。
二人は何も気づいていないのか、女性の方へ視線をやることはなかった。
「この間もここで事故があったよね」
「気をつけなきゃね。ひき逃げの犯人まだ捕まってないのかな」
「ここのところ多いよねー」
立て看板に『目撃情報を求む』旨の文字が見えた。そして、少し先には『死亡事故多発』と書かれたポスター。啓発俳句や、人型の看板などが安置されているが、役に立っているのかいないのか。陸橋はもう何十年も前に造られたのであろう、小汚かった。作り直せばいいのに、それもなく、蔦が絡まっているせいでなんだか陰気臭い。――私はこの場所が嫌いだ。
陸橋を支える柱のかたわらにお地蔵様が安置されていて、その隣に小さな祠があったが、打ち捨てられて等しいありさまだった。寂しい光景だ、そう思う。
その近くに、先ほどの女性の影が蠢いているのを私は目をやらずとも気がついていた。彼女はいつもそこにいる。そして何かを言おうとしているのだが、誰にも視えず、聞こえていないようだ。――この二人にも。
「明日、来ると思う?」
気まずくて、二人にそっと問いかける。
「誰が? マリア様?」
ヒナちゃんの問いに、私はううんと首を振る。
「マリア様はあまり学校に来ないんでしょう?」
「そうらしいけど、まあ一応登校はしてるんじゃない? じゃなきゃ、進学できないだろうし」
ユイちゃんが言うのに、そうか、と頷いて、
「違くて、番井君。明日、番井君来るかな?」
途端にヒナちゃんの顔がぽっと赤くなる。私はなんだかその様子に愛らしいなと思って微笑んだ。
「なんか、番井君、マリア様と仲良さそうじゃなかった? だから、何か聞けるかなぁと思って」
ヒナちゃんは、少し口を尖らせた。
「べつに、仲良いわけじゃないんじゃないかな」
「あ、違う、そういう意味じゃなくて」
慌てて否定しながらも、否定する自分にいやいやどういう意味だ? と私は突っ込んだ。乱入してきたマリア様。それについていってしまった番井君。――顔見知り以上の仲ではないのだろうか、と初対面の私でもそう思ってしまったのだが。
番井君は、ヒナちゃんの想い人だ。言葉にして聞いたことはないが、普段の会話の内容からもたぶんそう予想はついた。ヒナちゃんは認めないが、クラスの中では仲良くしているし、今回の降霊術に誘ったのもヒナちゃんだ。
顔も凡庸で、成績も凡庸、運動神経も凡庸で、性格が特別陽キャとして明るいわけでもない。それでも、なぜか老若男女問わず人気があるのが番井君だった。クラスの真ん中にいるキャラクターではないし、グループで騒いでいるわけではない。けれど、誰とでも打ち解けている。すごく不思議だったが、あのマリア様とも繋がりがあるとは――。私は、番井君のポテンシャルに驚いていた。
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