撮影
それからしばらくは、何の変化も無かった。僕は変わらずに日常を過ごしていたし、七菜子さんから連絡が来ることもなかった。
あの日帰宅してから勇気を出して自分の撮影した写真を見てみたが、七菜子さんの言った通りフラッシュを焚いていなかったので、何が何だか全く分からない写真になっていた。
公園での出来事から二週間程経った夜、急にメッセージが入った。送り主の「七菜子さん」という名前を見た途端、僕の体は強張った。ベッドの中で早鐘を打つ胸をおさえながら着信を開いた。
画像が添付されており、載っていたのは人間の顔だった。けれど殆どの部分が血にまみれて表情も何も分からない。恐怖を覚えるというよりは、血に汚れた部分が多いという印象しか抱かなかった。しかしこんな状態になるということは、またこの前のように滅多刺しにしたのだと思うと僕は身震いした。
そして写真の後に文章が続いていた。
「今度の日曜日、私の家に来ない?永生君の趣味の話が聞きたい」
普通、女性の家に誘われたら違う意味で動揺するのだろう。けれど僕が考えたのは勿論自分の身の安全についてだった。
しかし害を為すつもりなら、もっとましな言い訳を使って呼び出す気がした。それに彼女が人を動機もなく殺害する理由に触れたいと僕は思っていた。
掛け布団を掛け直しながら僕はメッセージアプリに文字を打ち込み、送信した。
日曜日、僕は七菜子さんから聞いた住所に向かっていた。
『
それは僕の家から自転車で三十分程の場所にあった。
「錦」という表札を確認し、家の前に自転車を停める。大きくはないが新しくて小洒落た家だった。
深呼吸をしてインターホンに手を伸ばす。人差し指が僅かに震えていた。
意を決してボタンを押した。気持ちと呼吸を整えていると、しばらくして玄関の扉が開いた。
今日の七菜子さんはベージュのガーディガンに白のパンツスタイルだった。公園で見たのと同じような艶っぽい笑みで僕を迎えると、茶色いダイニングテーブルの一席に僕を座らせた。
「わざわざ有難うね、来てくれて。緑茶と紅茶とコーヒー、どれがいいかしら」
「あ、じゃあ・・・緑茶で」
緊張をにじませた声で僕が答えると、七菜子さんはマグカップに緑茶を入れて持ってきてくれた。僕は礼を言うと、おそるおそるそれに口を付けた。
「永生君は、どうして死体の写真を見ているの?」
スーパーに売っていそうなチョコレートやクッキーをテーブルに並べた七菜子さんは僕の向かいの席に座るといきなり聞いてきた。どうやらあたりさわりのない雑談をする気は無いらしい。
「えっと・・・」
口を開いた僕は適度な言葉を探していた。七菜子さんに対する警戒心が無くなった訳ではなかったし、この話題に関して人に話をするのは初めてだったからだ。
「多分、他の人が恋人を作ったり、仕事に打ち込んだり、何かの趣味に没頭したりするのと同じな気がします。そうすることで穴が塞がるというか、生きている気がするというか・・・・・・」
伏し目がちに僕の話を聞いていた七菜子さんは頷いた。
「他のことでは、あまり楽しめないんだ?」
「・・・そうですね。友人と遊んだりするのが楽しくないわけではないんですけど、何か物足りないというか、やっぱり死体の写真を見ることでしか塞がらない部分があります」
僕が続けると、七菜子さんは何かを考えながらティーカップに入った紅茶をスプーンでぐるぐるとかき混ぜていた。やがてその手を止めると、カップの縁にスプーンを打ちつけ、スプーンに付いていた水滴を落とした。
「私もきっと、同じようなものだと思う」
頬杖を付きながら斜め前に視線を落とす彼女を僕は見た。
「人ってどうしても
「それで殺人を・・・ってことですか?」
僕は生唾を飲み込んだ。
「ええ。私の、永生君で言うところの穴埋めがそれだということ。もっと普通の、人に迷惑がかからない手段だったら良かったのだけどね」
七菜子さんは薄く笑った。出会ってから今まで、淋しい笑い方しかしない人だった。
それから一週間後、更に二週間後と僕は二度、七菜子さんから写真を受け取った。
けれど最初に貰った写真同様、どれも顔が真っ赤だったので、悦に入ったり、恐怖を感じたりすることさえも無かった。
ある日曜日、僕は予定が無かったので家でだらだらとしていた。昼食を食べ終えて、午後は録画していた映画でも見ようかと思っていた時、スマートフォンに1件のメッセージが入った。送り主は七菜子さんだった。僕達は写真以外のやりとりをしていなかったから、昼間にメッセージが来るのは珍しいことだった。
『これから私の家に来れる?』
文章はそれだけだった。またこの前みたいにお互いの“穴埋め”の話でもしたいのだろうか。暇だった僕は了承することにした。
『大丈夫です。一時間後くらいでいいですか?』
『いいわ。待ってる。鍵を開けておくから、勝手に入って来て』
僕は身支度をし、家を出ると自転車にまたがった。走っていると風が少し肌寒かった。彼女の家に向かいながら僕は、七菜子さんから送られてきている写真の感想を求められたらどうしようと案じていた。彼女の創り出す赤まみれの写真にはあまり何の感想も抱いていないからだ。
言い訳を考えているうちに七菜子さんの家に着いた。勝手に入っていいとのことだったので、インターホンを押さずに玄関へと向かう。「お邪魔します」と言って僕はそうっと扉を開けた。
中に入ったが、七菜子さんが出迎えて来る様子はなかった。そのまま入っていいものか分からなかったが、もう一度、今度は大きな声で呼び掛けても返答が無いので、仕方なく僕はリビングルームのドアを開けた。
茶色一色のドアを開けた瞬間、「それ」は目に入った。
リビングの照明器具から伸びる紐、それが「彼女」の首へと繋がっており、それを支えにして七菜子さんは部屋の真ん中で、僕と向き合う形で宙に吊られていた。
もがき苦しんだのか、表情は僕がネットで見てきたどの写真よりも悲惨で目も当てられない。
吊るされてそう時間が経っていないのか、彼女の身体はわずかに横に揺れていた。
思考が追い付かなかったけど、意外なことに頭の半分くらいは冷静に働く部分が残っていた。
七菜子さんは何故わざわざ死ぬ瞬間を僕に見せつけたのだろうか。何故自ら命を絶ったのだろうか。
数週間前、ここのダイニングで七菜子さんと向かい合っていた時間を思い出す。
彼女は理由も無く人を殺めることが心の穴埋めだと言っていた。これは僕の想像でしかないが、そんな道はずれた行いでしか満たされない自分の心と付き合っていくのに疲れてしまったのかもしれない。あるいは、犠牲になった人に対していくらかの罪悪感があったのだろうか?
他人と
未だに少し揺れている彼女を僕は見る。僕がやるべきことは一つだった。ポケットからスマートフォンを取り出し、カメラモードを起動すると彼女へレンズを向ける。明るさの調整は必要無さそうだった。そして彼女の全身がおさまるように画角を調整すると、カシャリと撮影ボタンを押した。
photography 深雪 了 @ryo_naoi
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