ミハルの青空教室

谷地雪@悪役令嬢アンソロ発売中

第1話

 春の暖かい陽光が降り注ぐ。一面は鮮やかな緑の芝生。今の季節は色とりどりの花も綺麗だ。鳥の鳴く声がして、いかにものどかな空気が流れている。

 ここはリルカの谷。獣人の住む谷である。


「せんせーっ! ミハルせんせーっ!」


 白い子虎が駆けてくる。獣人は、獣の遺伝子が強いだけで、人と同じように言葉を操る。人と同じように服を着て、人と同じように家族で暮らして、人と同じように感情がある。


「せんせー、もうみんな揃ってるよ!」

「わわっ、ごめんなさい! すぐ行くね!」


 ミハル先生、と呼ばれたその人影は、まだ十六・七の少女だった。

 ふわふわとした緩い栗色の癖毛に、同じ色の瞳を持つ、小柄なだった。

 その少女はばたばたと本やら何やらの荷物を抱えて、小さな木造の家から飛び出すのだった。




「はーい、では今日の授業を始めます!」


 はぁい、という元気な声が答える。

 ここは青空教室。晴天の日のみ開催される、小さな子どもだけを集めた任意の勉強会。獣人の子どもたちは、各々自分の体に合ったサイズの、木で作った簡易な椅子に座って、膝の上に木版を載せてノートを取る。

 ミハルは石板を使って、石灰岩で文字を書く。ここでは、ミハルは先生の役だ。

 ミハルは教師として、この谷へ来たわけではない。偶然訪れたこの場所で、獣人たちがほとんど読み書きできないことを知り、自分で役に立てるのならと簡単な文字や計算を教える役を買って出た。


 人間の子どもたちは、皆学校に通う。ここ、ラドルカ王国の識字率は決して低くない。しかし獣人は人間の学校に通うことができない。

 獣人はそれぞれの集落で暮らしている。あまり人の集まる都会へ出ていくことはない。そのため、各地から獣人だけを集めて通わせる学校というものを作ることが難しく、また獣人にものを教えられる獣人もいなかった。そのため、獣人たちには学習の機会がないまま現在に至る。


 ミハルは、特別多くの知識を有しているわけではなかった。人にものを教えた経験もない。それでも、リルカの谷の獣人たちは歓迎してくれた。

 文字が読めれば、商人の持ってくる本を読むことができる。計算ができれば、商人との買い物でごまかされることがない。そういう知識を子どもたちが持てることが、自分たちにはありがたいと。


 それからミハルは。この青空教室の、先生なのだ。

 そして、もうひとつ。


「はい、じゃぁ今日の授業はここまで」

「さよーならー!」


 元気よく挨拶をして、子どもたちが駆けていく。これからおやつを食べたり、遊んだりするのだ。子どもたちの毎日は忙しい。

 そんな中、子兎の女の子と、子狐の女の子が二人、ミハルの元へと走り寄ってきた。


「ねぇねぇ、ミハル先生!」

「ちょっとお話きいて!」

「はぁい」


 苦笑して、ミハルは二人の前に屈み込んだ。

 

「どうしたの?」

「サラちゃんがね、無視するの!」

「昨日からずうっと怒ってるの!」


 怒っているとも、悲しんでいるとも取れる二人の様子に、ミハルは眉を下げた。


「そっかぁ。それは悲しいね。サラちゃんと、何かあったの?」

「わかんない」

「わかんないけど、怒ってるんだよね」


 ねー、と二人は顔を見合わせる。うーん、とミハルは腕を組んで悩んでみせた。


「昨日は、サラちゃんと会った?」

「会ったよ」

「遊んだよ」

「何して遊んだの?」

「おままごと!」

「サラちゃん、好きだから」

「その時は、どうだった?」

「ふつうだったよ」

「ね、ふつー」


 ねー、と二人は頷き合う。おままごとの時は普通だった。ということは、おままごとの中で何かあったわけではない。


「そのあとは?」

「かけっこー」

「コウくん来たから、きょーそーしよって」

「四人で一緒に走ったの?」

「ううん、サラちゃん審判」

「サラちゃん、走るの好きじゃないから」


 サラは子鼠の女の子だ。他の獣人たちよりも、体格で劣る。だから、あまり体力勝負の遊びが好きではない。

 原因はそこかな、とミハルは当たりをつけた。


「それは、サラちゃんに聞いた? 審判やりたいかどうか」

「ううん、やってねってお願いした」

「だってサラちゃん、一回も走る方やりたいって言ったことないよ」

「聞かれるの嫌だと思って」


 顔を見合わせる二人に、ミハルは眉を下げた。二人の息は、ぴったりだ。こういうところも、原因の一つかもしれない。


「そうだね。二人がそうやって、サラちゃんのこと考えてあげたのは、えらいね。でもサラちゃんも、たまには走りたいかもしれないじゃない? 走りたくないんだ、って最初から決めつけられちゃうの、嫌だったんじゃないかな」

「えぇー? ならそう言えばいいのに」

「あたしも走りたい、って言えば、無理に審判させたりなんかしないよ」

「うん、そうだよね。けどサラちゃん、あんまり自分のやりたいこと言うの上手じゃないから。お願いね、って言われたら、断れなかったのかもしれないね」

「そうかなぁ」

「そうなのかなぁ?」


 不安そうに二人が顔を見合わせる。素直な子たちだ、とミハルは内心で顔を綻ばせた。


「怒っちゃったんじゃなくて、悲しくなっちゃったの、うまく言えなかったのかもしれないね。なんて言ったらいいかわからなかったから、無視しちゃったんじゃないかな。きっとサラちゃんも、良くないことしたなってわかってるから。サラちゃんが謝ってきたら、仲直りしてあげようね」

「うん……」

「わかった」


 二人は、こくりと頷いた。


「ミハル先生、ありがとー!」

「ばいばーい!」


 そうして、子兎と子狐の二人は、青空の下を駆けていった。


「さて、と」


 二人がこうして相談に来たということは、二人はまだサラと仲良くしたい、ということだ。怒って仲違いをするのなら、二人の方も無視すればいいだけ。

 子どもは絶対に仲良くしなければならない、とは思わない。許してあげなければいけない、とも。子どもには子どもの理屈があり、コミュニティがある。無理な大人の介在は、亀裂を生む。

 けれど、仲良くしたい、という意思があるのなら。ここは協力するのが、先生というものだろう。助けを求められたその時に、ほんの少し手を貸すのが大人の役割だ。




「あら先生、いらっしゃい」

「こんにちは。サラちゃん、いますか?」

「ええ、ちょっと待ってくださいね」


 サラの母親が、家の中に向かって大声でサラの名前を呼びかける。ややあって、おずおずと子鼠の女の子が姿を現した。


「こんにちは、サラちゃん」

「ミハル先生……」

「良かったら、これから先生と一緒にお茶しない?」


 ミハルは、持ってきたお菓子の入ったバスケットを掲げた。


 鼠一家の住居は小さい。サラを外に誘い出して、気持ちの良い風の中、ミハルとサラは芝生の上に座っていた。


「今日はお天気がいいね。ピクニック日和だ」

「うん……」


 返事をするサラは、元気がない。

 ミハルはバスケットから、小さな焼き菓子を取り出す。


「良かったら、どうぞ。サラちゃん、クッキー好きでしょ?」

「うん、好き……」


 ミハルから小さな手でクッキーを受け取って、さくりと齧る。


「おいしい……」

「良かった」


 明るく笑ったミハルに、サラは少し黙って、ぽろぽろと泣き出した。


「先生、わたし、リリちゃんとアンちゃんとケンカしちゃった」


 リリ、というのは子兎の女の子。アンは子狐の女の子の名前だ。


「うん、二人からお話聞いたよ。二人のこと、無視しちゃったんだって?」

「無視するつもりじゃ、なかったの。だけど、昨日から、なんだかやな感じで。もやもやして、二人と楽しくおしゃべりできなくて、それで」

「うん、そっか」


 ミハルはサラの背中をそうっと撫でた。大丈夫、大丈夫。落ち着いて、と。


「二人とも、体も大きいし、足も速いし。本当は、いっぱい動く遊びが好きなの。わかってるの。わたしに合わせて、おままごとしたり、絵本を読んだりしてくれるの。でもわたし、苦手だけど、走ったり、したくないわけじゃなくて」

「うん」

「昨日は、コウくんがきたの。コウくんが、わたしたちの方にくるの、珍しいから。わたし、コウくんと、遊びたくて」

「うん」


 ほんのり、気づいていた。サラは、コウのことが気になっているようだった。それは本人もまだはっきりと自覚することのない、小さな恋心。


「コウくんがね、かけっこしたいって。だからわたし、コウくんと一緒ならって。コウくんは、足が遅いの、ばかにしたりしないから。一緒にって思ったら、リリちゃんが審判やってって。えって思ったんだけど、アンちゃんにもお願いって言われたら、断れなくて。その時は本当に、審判でもいいやって思ったの。思ったんだけど、三人でかけっこして、そのまま三人で盛り上がってて、わたし、入れなくて。なんか、仲間外れにされた気が、しちゃって。入れてって言おうとしたんだけど、また三人で走り出しちゃって、追いつけなくて、それで、それで……」

「うん。そっか。寂しかったね」


 ぽろぽろと泣く子鼠の涙を、柔らかいハンカチで拭う。


「一緒にいるのに、いないようにされるの、悲しいよね」

「うん……」

「昨日は、サラちゃんが寂しかったね。今日は、サラちゃんにいないようにされて、リリちゃんとアンちゃんが寂しかったね」

「あ……」


 サラは目を真ん丸にして、落ち込んだように視線を落とした。


「わたし、おんなじこと、しちゃった……?」

「そうかもしれないね。でも、わざといじわるしたかったわけじゃないでしょ?」

「違うよ!」


 すぐに大きな声を上げたサラに、ミハルは微笑んだ。


「うん。二人も、おんなじ。いじわるしたかったんじゃないよ」

「うん……。二人は、いじわるなんか、しないよ」

「そうだよね。ちょっと、お互いの考えてることが、わからなかっただけ。だから、ごめんなさいって、しよっか。わざとじゃなかったけど、二人が悲しくなることをしちゃったから、ごめんねって。それで、サラちゃんが、どうして悲しくなっちゃったのか、二人にもちゃんと言おう。こうされたら悲しいから、嫌だよって。そうしたら、二人はサラちゃんが悲しくなること、もうしないよ」

「うん……」


 力無く返事をして、サラは窺うようにミハルの顔を見上げた。


「でも、二人とも、許してくれるかなぁ」

「大丈夫。だって、二人とも、サラちゃんと仲直りしたくって先生のところに来たんだから」

「ほんと?」

「本当だよ」


 サラの瞳が希望に煌めいた。俯いて、もじもじとしだす。これはもう、大丈夫そうだ。


「先生、わたし、これから二人にごめんなさいってしてくる!」

「うん。行ってらっしゃい」


 手を振ると、「先生、ありがとー!」と叫びながらサラは駆けていった。

 それをミハルは目を細めて見つめていた。


 女の子の友情は難しい。女の子は、奇数で集まるのが良い、という通説がある。最終的に、多数決で物事を決められるからだ。集団意識が強いから、数の多い方が有利になる。これはつまり、常に多数と少数に分かれ、少数が潰されることを意味する。

 三人で集まると、必ずと言っていいほど二人と一人に偏りが出る。常に三人一緒、ということはあまりなく、それぞれと二人で過ごす時間ができる。その時に、もう一人よりこの子の方が合うな、と思ってしまう。

 けれど女の子の強かなところは、それを表にはっきりと出さないことだ。誰の目にも見えないのに、確実に生まれている歪み。それを既に、肌で感じ取っているのかもしれない。

 だからと言って、あぶれるわけにはいかない。子どもはああして小さなコミュニティの中で、大人になった時の予行演習をしている。微笑ましく見える無邪気さの中で。薄氷の上を渡るような駆け引きを、覚えていく。

 その第一歩が。相手の気持ちを、推し量ることなのだろう。


「……頑張れ」


 未来ある子どもたち。今はまだ、暖かな陽だまりの中で。素直にぶつかって、傷ついて、大きくおなり。いつか鋼の心を手にするまで。


 ミハルは立ち上がって、大きく伸びをした。


「さて、本日のお仕事、終了~!」


 リルカの谷での、ミハルの仕事は。

 青空教室の先生と、お悩み相談の先生である。

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