脱出路で鬼ごっこ
美羽が荷物をまとめて部屋を出たら、廊下でひょっこりと榛に出会った。思わず美羽は目を細める。
榛は相変わらずなにも持たずに、美羽を見た途端にへらへらと笑って寄ってきた。思わず美羽は仰け反った。
「なに、そのリアクション」
「……あたし死にたくありません」
「アハハハハハハハ、みゅみゅマージでオレに懐かなかったよねぇ」
「懐く要素どこにあんですか」
「アハハハハハ、生意気ぃ」
口ではそう言っているものの、この時点では不可思議な殺意がなく、また美羽に変に距離を詰めてくる様子もなかった。ただ榛はヘラヘラと言う。
「でもオレ、みゅみゅにヤッてるとこ見せなかったと思うけどなあ」
「……で、でも……人、平気で殺してんじゃないですか」
「うん、ここだったら結構自重したけどぉ、そこそこヤッたぁ」
自重……ここで死んだ人間を半分くらい殺してそう言い切る榛に、美羽はやはり彼とわかり合うのは無理だとばかりに、必死に身を縮めて、ふたり分の荷物を盾にして身を守った。
それに榛は目ざとく発見し、ニヤリと笑う。
「え~、ふたり分の荷物持って脱出する気ぃ~? 重くね? しょたの分くらい置いてけばいいのに」
「……持って帰ります。遺体、コンシェルジュに持っていかれちゃいましたから」
「髪の毛あんじゃん? そんじゃ駄目なの?」
「……ご家族になんも返せないじゃないですか。あれは、あたしの分です」
「ふーん」
そこで沈黙が降りてしまった。
美羽が黙り込んでしまっている中、荷物をまとめた立石が出てきた。彼はフィールドワーク中に誘拐されたのか、美羽以上に大荷物のスポーツバッグを引っ提げていた。
「荷物はそれだけで大丈夫か?」
「オレ、普段からあんまり荷物持ち歩いてねえし」
「……明空さんは?」
「あたしは……自分の分と翔太の分です」
「そうか」
そこで立石が声をかけてから、皆でラウンジへと向かった。ラウンジのドラム缶は隠されてしまうんじゃとハラハラしていたが、そんなことはなく、普通に横に倒されていた。
それを立石は黙って、見つけたときのように縦に置き直す。すると昨日と同じように、床が音を立てて開き、階段が出てくる。それに「おお」と榛が歓声を上げる。
「とりあえず、食料を見つけ次第、それを持って逃走」
「……さすがにここには、電流もう流れてないですよね」
「昨日見に行った限りでは、その仕掛けはなかったからな。コンシェルジュが普通に出入りしていたし、端から脱出路を見つけ出すのも催し物の一角だったんだと思う」
「ふーん。じゃあオレが先出て、その次みゅみゅ、最後はミナトでいいのぉ?」
「それが妥当だろうな」
正直美羽はスカートの中身を榛に見られるんじゃないかと一瞬嫌な思いがしたが、ここにずっといるよりはマシと我慢することにした。
本当ならスマホでもっと足元を確認してから行きたかったが、もしかしたらここにあのコンシェルジュの格好をした何者かがいるのかもしれないと思ったら、スマホの懐中電灯を使う気にはなれなかった。
榛はするすると階段を降りていく中、美羽は本当に恐々と階段を降りて行った。
ライトをつけてないせいで、昨日よりも薄暗い。
しかしその中でも榛は平然と歩いて行く。
「ちょっと……どこ行くの」
「食い物探してんのぉ。ここ、無茶苦茶新しい道じゃん。そんなかにちょっと湿っぽいにおいするから、そっちに置いてんのかなあと思って」
榛に言われて美羽も鼻を動かしてみるが、いまいちわからなかった。
身体能力といい、やたらと恵まれた体躯といい、その危ない性癖の発露といい、榛はすっかりと付き合いも六日目となってしまった今でも、謎しかなかった。
最後に降りてきた立石が、どうにか脱出路に降りていくと、「おい、あんまり先に行くな。ここでいつ襲撃されるかわからないんだから!」とどやす。
美羽は「ちょっと、待って!」と思わず立石の服の裾を掴む。それに立石は少し驚いて彼女を見た。
「明空さん?」
「あ……あたし……ごめんなさい」
「そうだな。今日は明かりをつけられないんだから、この暗がりから脱出するとなったら不安か。大丈夫。榛は目が利き、鼻も利くから」
「そう……ですね」
「……本当にすまない。俺がもっと強かったら、君のことは俺が守るなんて格好いいこと言えるんだが」
「い、いえ……! 立石さんには、ずっとお世話になっていますから」
美羽は必死に言い繕った。
思えば変な関係だった。この三人は初日に翔太が死んで泣きじゃ来るのを宥めるために、厨房で白湯を飲んでいた仲なのだから。そして、その中には石坂もいた。
そのことに鼻の奥がツンとして、苦しくなる。
「明空さん?」
「……なんでもありません。行きましょう」
こうしてふたりは、先行する榛を追いかけて歩いて行った。降りて行ったラウンジの厨房の光源は遠くなり、美羽と立石は必死に歩いて行く。
「榛? どこに行った?」
「……ここ、足音が思ってるより響きませんね?」
「たしかに。声もこれだけ狭かったら反響しそうなものなのに、ちっとも反響しない……そういえば、前に塗料でこういうのがあった」
「とりょう?」
「ここは比較的真新しい道みたいだから、最先端技術による塗料を使われていると思う。その塗料は声の反響を伏せぐらしい。未だに防音効果のある壁を用意するのは高いが、塗料にすることによってそのコストを削減できると」
「塗料でだったら、かなり楽ですよね。それにしても不思議な技術ですね」
「おそらく本来の目的は、富裕層の騒音対策だったんだろうが。ここでは事件が起こった際に「聞こえなかった」という責任逃れのためなんだろうが……本当に榛はどこに行った」
そんなことをしゃべっている中。
反響しないはずの床が、カツンと鳴った。
「え……?」
「……嘘だろ」
おそろしい勢いで、コンシェルジュが執事服に顔全体を覆うマスクを被ったまま走ってきたのである。
本来あんなすっぽりと覆うような仮面をつけていれば前しか見られず、そこまで視界がクリアにはならず、ましてや光源の乏しい脱出路を全力疾走するのは脅えが入るはずなんだが。その走りには迷いがなかった。
その上、驚くほど速い。
「明空さん、逃げるぞ」
「は、はい……!!」
ふたりは必死に走りはじめた。
しかし運動不足な大学生と、体育以外でまともに運動をしたことがない女子高生が、荷物を全く持っていないコンシェルジュに足で勝てる訳がない。
それでも必死に腕と足を動かし、もつれそうになっても、こけそうになってつんのめっても、それでも走ることを止めなかったら、ギリギリ均衡だけは保てた。
(このまま……逃げ切れたら……!)
希望的観測が過ぎているが、それでもゼイゼイと息を切らして走っている中。やっと榛の長身が見えた。
それに美羽は喉を引きつらせそうになるが、榛はどこで拾ったのか長い棒を持っているのに恐怖する。
(背後にはコンシェルジュ……目の前には榛……ヤダ、死にたくない。死にたくない。死にたくない……!!)
美羽が歯を食いしばって恐怖に打ち勝とうとする中、立石が声を張る。
「おい、榛!」
「ハイハイハーイ。約束は守ってまぁーす。で、そいつ殺せばいいの?」
「……そうだ」
「オッケーオッケー。こんなサービス滅多にしねぇんだしさぁ。ちょっとはオレに感謝してくれてもいいんだからねぇ」
そう言いながら、棒を大きく振りかぶる。それを見ながら立石が美羽の腕を掴んだ。
「伏せろ!」
「は、はいっ……!!」
ふたりが頭を下げた途端に、榛が大きく棒をぶん回した。ブンッと風を切る音が頭上で響いて、美羽は頬を引きつらせる。
それをコンシェルジュはひょいっと胴を下げて避ける中、榛は笑いながら棒をブンブンと振り回した。
「やっぱりぃ。運動神経やっばいねえ、あんた」
「なにを言っているんですか、あなたは」
コンシェルジュの機械音には澱みがない。既に本物のコンシェルジュが死んでいるのが嘘だと言われても頷いてしまいそうな危うさを感じた。
立石と美羽は、失速しながらも、走りながら戦う榛とコンシェルジュを見ていた。
「……榛が心配か?」
「全然心配じゃないです。ただ……コンシェルジュを殺したのは誰だったんだろうとだけ思いました」
歩く暴力マシーンの榛と対等に遣り合えている人間。そんな人間、普通にいる訳がない。しかし、現にふたりは対等に遣り合っているのである。
そんな人間がコンシェルジュを殺して、今自分たちに牙を剥いている。そしてそれを抑え込んでいるのが、よりによって殺人鬼の榛だというのには、因果のようなものを感じた。
****
榛とコンシェルジュの仮面をかぶった何者か。
コンシェルジュは平気で棒を振り回す榛を避けきり、時には反撃として長い脚で蹴りを入れようとしていた。
それは組手のようにも見えるが、実際には違う。
榛が狙っているのは、首、鳩尾、股間、脚と、あからさまに急所ばかりを狙っていたし、コンシェルジュが隙あらば榛に目掛けて蹴ろうとする軌道の先にも、鳩尾、股間、脚とあり、あからさまに互いを殺そうとしていた。
「ねえねえ、ひとつ聞きたいんだけどさぁ」
榛は独特の口調でしゃべる割には、六日間酒も煙草も入れなくとも平然としているところからして、どちらも口にする習慣がなかった。いや、彼には必要なかった。
脳内で勝手にアドレナリンを噴出させている人間には、酒も煙草も大して効かなかったから、意味がなかった。
しゃべっていること自体は取っ散らかっているが、その割には頭がいい上に鋭く、比較的楽に真相に辿り着いていた。
「脈取ったけどさぁ、止まってたじゃん。あれどうやってたの、おっさん?」
榛はそう言いながら、棒を激しく突いた。
それでコンシェルジュは背後に避けたが、わずかに目測を誤り、仮面が音を立てて割れる。
その向こうからは、館内で過ごしている間に、理知的な言動や佇まいしかしていなかった石坂の姿が出てきた。
ただその表情は獰猛で、いったいあの紳士のどこにこんな表情を隠していたのか、見当もつかなかった。
「簡単ですよ。圧受容器反射を応用したものです」
本来は大規模手品で復活劇みたいなひと幕で使われるそれは、医学的には問題があるとして、テレビみたいな影響力の強い媒体では現在はあまり見られない。
しかし榛は普通にそれを理解していたようで「ふぅーん」とだけ答えた。
「それも考えてオレ、比較的長めに脈計ったんだけどなあ」
「あなたみたいに殺人愛好家でしたら、すぐ勘付かれると思いましてね。脈拍を鍛えて、コントロール下に置けるようにしているんですよ」
「スッゲ。おっさんマジモンでヤバイじゃん」
「ええ。若い方にそう言っていただけると嬉しいです」
手品のネタで会話が弾んでいるが、弾んでいるのは会話だけでなく、体もだ。
とうとう榛の拾った長い棒は、石坂が蹴り折ってしまった。それを怖がることなく「ヒューッ」と榛は歓声の口笛を吹く。
「おっさんやるじゃん」
「ええ、どうも。しかしクライアントをそろそろ楽しませなければなりませんので、悪いですが君は一旦後回しです」
「ふーん。誰が勝ち残るとか、これ見てる奴らで賭けてんの?」
「まあ、そういうところです。君以外皆殺しをご所望のクライアントがいらっしゃいますからね」
「ふーん、おっさん頑張れぇ」
「君はどっちの味方ですか?」
「オレ?」
榛は立石と約束したことも覚えているし、美羽を殺さないという言質も取られている。
ただ、自分以外がすることを止められてはいない。
「面白そうなほど。今のところ、おっさんがだんちで一番面白いから」
ただ、彼は快楽殺人鬼であり、いかに一番面白い絵が見られるかを優先するだけだ。
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