三日目

殺人鬼と大学生

「社会学とは、心理学や経済学、統計学だと見落とされ勝ちなものを拾い集めて研究する学問です」


 立石湊が社会学を専攻したのは、単純に大学の単位が足りそうだったからという理由だったが、そのときにいい教授に出会えた。

 教授は社会学の未来について大変に憂いている人物だった。


「たとえば殺人事件があったとして、犯人の実家を調べ、持ち物や趣味趣向を調べただけでは、彼が凶行に走った原因はまずわかりません。それより探索許可を広げなければ意味をなさないのです。極端なことを言ってしまえば、包丁を置いていたとしても、普通は片付けるので、それで人を刺そうなんて思いつきません。そのときに誰かと喧嘩をして気が高ぶっていたとか、包丁を片付けるスペースがなかったのかとか、そういうところから調べなければなりません。心の闇があったから包丁で人を刺したなんていう単純な話ではないのです」


 その話が大変面白かったがために、立石は犯罪という犯罪を収集して回り、それの調査をするようになった。

 万引き常習犯の行く店の間取りや路地、交番の位置を確認したり。殺人事件の起こったマンションのオートロックに引っかかって中を確認できなかったり。

 新聞もできる限り大きくもらった記事から、最後の面で三行ほどしか使われてない記事を切り取ったり、スマホやタッチパネルで写真を撮って保存したり。

 ひとつの事件から、少しずつ少しずつ周辺情報を集めるように気を配っていった。

 彼の趣味で集めた情報は、はっきり言ってマニアック過ぎる上に固執狂な片鱗が見え隠れする。レッテルを貼りたがるマスコミが見逃してくれるものではないために、彼は犯罪プロファイリングを続けながらも、常に品行方正で生活していたのである。

 もっとも。

 立石は興味のあるものに対しては目が輝いていたり、饒舌になったりするが、表情筋が死んでいた。無表情の不愛想にしか見えなかったため、より一層品行方正な言動をしていなかったら、彼の持ちものを調べられたら最後、勝手になにかの事件の犯人と容疑をかけられても仕方がなかった。

 そのせいで、彼は都市伝説になっているファムファタールの函庭に閉じ込められて真っ先に思ったのは「ここでなんとか無傷で帰らないと、部屋を調べられる」という危機感だった。

 思春期男子よろしく、部屋を調べられたくない一心、持ち歩いているタッチパネルを没収されたくない一心で、この館で生活を送っていた。

 立石は指令が送られ、その内容を与えられた部屋で見た瞬間に「どうしたものか」とポロリと溢していた。

 ひとりで館内を調べ回るのに、果たして七日間だけで足りるのかはわからないし、もし七日間以内で達成できなければ死ぬのである。

 初日にまさか、一番普通らしい高校生が感電死するとは、立石だって思っていなかった。

 どうもこの催し物を主催している人物は、本気で人が死ぬのを見たいらしかったので、余計に立石は急がなければいけなかった。

 しかし。ひとりだけでは無理な指令内容な以上、誰かを味方に引き入れないといけないが、誰を引き入れるべきか。

 都市伝説のことは知っていたし、それらのログは全て閲覧していた。

 ファムファタール……フランス語で言う【運命の女】であり、その運命の女により人生を弄ばれると揶揄されて【魔性の女】と訳される。

 たしかにこの館内に閉じ込められた中にひとりだけ女子はいたが、それはとてもじゃないが、人の想像するファムファタールから外れている、普通の女子高生だったのである。

 ただ、傍から見ていると危なっかしい。

 女子ひとりで移動しようとする……既に人が死んでいるのだから、もう少し主催側の動向も疑ったほうがいい。

 なにかにつけて噛みつく……相手が比較的温厚な石坂だったらともかく、殺人鬼にまで噛みつくのだから、見ていたら肝が潰れそうになる。

 理不尽な暴力にさらされたことのない、普通に愛されて育った女子なんだろうとは、見ていてもよくわかるが、既に彼女の彼氏が殺されたばかりなのだから、もう少し考えてから行動してほしい。

 おまけに彼女は知らないせいか、中柴のようなろくでもない者すら気に掛ける。人間的には全くもって正しいのだが、彼女は普通が過ぎて人を見る目が足りない。

 結局立石が美羽に声をかけたのは他でもない。

 放っておいたら、利用された末に殺されそうだから。それはいくらなんでも駄目だろうという善意からだった。

 間違っても彼女に魅力があって、ファムファタール的に人生を揺さぶられたからというものではない。


****


 浜松が亡くなり、コンシェルジュにより回収されたあと、二日目が過ぎた。

 一日目の深夜と昼間に人が亡くなったのだから、まさか二日目も堂々と人が亡くなるのではないかと危惧していたが、幸い誰も死ぬことはなかった。

 しかし、誰も死んでいないということは、現状が硬直状態だということに変わりはない。

 美羽は石坂と一緒に中柴に食事を運んではいるが、彼に無下に追い出されてばかりだった。さすがに制服をトマトソースで汚してしまったせいか、彼女は大正風のデザインのワンピースに着替えていた。

 紅が褒める。


「へえ、美羽ちゃん衣装チェンジ? いいね。可愛い」

「……ありがとうございます」


 美羽はすっかりと紅を苦手意識し、逆に石坂を頼りにして彼の背中に隠れるようになっていた。

 それを見ながら、意外なことに榛が誰も殺してないことを意外に思う。


「どういう風の吹き回しだ?」


 食堂で回鍋肉を食べながら、立石が尋ねる。榛は酢豚に入ったパイナップルを一生懸命箸で小皿に避けている真っ最中だった。


「なにがぁ~?」

「……誰も殺さないなと思っただけだ」

「アハハハハ! ゲームが硬直状態になったから不安になっちゃったんだぁ?」


 違うとは言い難かった。ただ、立石は榛を見た。

 この催し物の主催者がどういう基準で殺人鬼である榛を放り込んだのかはわからないが、これは全員が指令を必死に達成させようとするためのものではないかと踏んでいる。

 つまり、この催し物の鍵は三つ。

 ひとつ、どこからか主催の指令を受けて行動しているコンシェルジュ。何度か彼の後をついて脱出路を確保しようと試みたが、どういう理屈かいつも撒かれてしまう。

 ひとつ、この館内で唯一の女子である美羽。彼女のメンタルも生い立ちも遥かに普通の人間だが、この館内において唯一普通の倫理観を持っている人間と思っていい。彼女は鉱山のカナリアであり、彼女のメンタルにダメージが入ったそのときが、この館内の催し物が大きく動くときだ。

 そして最後のひとつ。それがどう考えても主催が催し物を円滑に進めるために送り込んだこの殺人鬼。今の時点で、この館内で行われている殺人はこの男によってのみ行われている。この男の考えひとつで人が死ぬのだから、監視を続ける必要があった。


「……あんたの指令の達成条件は、【期限七日目の生き残りを三人にすること】だったな?」

「そうそう」

「……このペースを守っていたら、期限内に三人に絞り込めないんじゃないか?」

「えっ? なにそれ、アンタ死んで残りの人を助けたい訳? やっさしいのー」

「違う、そうじゃない。ただあんたのその生き残らせる人数の中に、明空さんが入っているかどうかを確認したいだけだ」

「ええ~? みゅみゅを死なせたくないのぉ~?」


 それに榛は目をキラキラとさせる。それを見ながら立石は考える。

 この男はたしかに一日目に言ったのだ。

 もしも翔太が感電死しなければ、真っ先に彼を殺しに言っていたと。つまり彼の快楽殺人の条件は、人を殺すことで誰かのリアクションを楽しむこと。

 初日からカップルとして寄り添っていたのだから、美羽が絶望する顔が見たかったからだろうと察することができた。

 だとしたら、彼の殺さない人数に入れる方法は、ひとつだけある。


「……彼女が一番、人が死んだときのリアクションが面白い」

「……へえ?」

「西くんと浜松さんの死んだときのリアクションは、彼女はどちらも違った。おそらくこの中で一番リアクションのバリエーションがある。だから、彼女を殺すよりも、生かして絶望させたほうが面白い」

「……ふーん」


 榛はケラケラと笑い出した。立石は背中に冷たい汗が伝うのを感じていた。

 彼が笑うのは了解したからではないと、肌でわかったからだ。


「……アンタ、たしかミナトだっけ? みゅみゅがそんなに好きなの?」

「そうじゃない」


 単純に一番気の毒なだけだった。あまりにも騙されやすい彼女が。立石の淡々とした言葉にも、榛はケラケラと笑い続ける。


「じゃあアンタがみゅみゅのことを好きになったら考えてあげてもいいよぉ。まあ、オレもみゅみゅのリアクション芸が消えるのはちょっと面白くねえし、最後のほうまで取っといてやるヨ。でも最後で殺すかどうかはねえ~、わっかんない」


 そうケラケラ笑った後「オレの奴、肉よりパイナップルのほうが多くね!?」と癇癪を起こした。立石は自分自身の皿を見つめる。ぱっと見た限り肉が多い。

 立石が黙って自分と榛の皿を交換したら、榛は笑って皿ごとダストボックスに放り込んでしまった。

 子供のように癇癪を起こしたと思ったら、いきなり笑い出すし、かと思ったら人の神経を逆撫でしてくる。

 立石は少なくとも最終日前後までの美羽の命の担保だけは確保したことに、ひとまずはほっとしておいた。

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