心やわらぐその先に

 立石が中柴の元から立ち去ったあと、美羽は一生懸命二階の宿泊施設に向かって昼食を運んでいた。


(榛は露骨に怪しいけれど、あの人は主催側の人間じゃない。残りの面子だけれど……正直立石さんと紅さんだったら、立石さんのほうが怪しいんだよな。紅さんはホストのせいか、口から出任せばっかり言ってくるけど……これが主催側の人間だからあたしに取り入ろうとしてくるのか、ホストだからなのか、指令内容に寄るものかがわからない)


 紅にベラベラベラベラと話しかけられたとき、それを遮ったのは榛だった事実を思い出し、美羽は苦い物が込み上げてくるのを感じた。


(……あの人、人が死ぬことなんとも思ってないじゃない。まだちゃんと話したことなかったのに、浜松さんは)


 彼に助けられたという事実を、美羽はどうしても認められなかった。

 榛を除外しても、立石はよくわからない。紅は鬱陶しいがまだ黒とは言い切れない。中柴はそもそも引きこもっているんだから無害だろう。そうこう勝手に判断している中。


「おや、美羽さん。また薰さんに食事ですか?」


 石坂が声をかけてきたのに、美羽はパッと気持ちが明るくなった。

 男性陣はどうにも懐の入り方が落ち着かなかった。中柴は美羽より年下なのもあって可愛げがあるが、他は土足で人の中に踏みにじるような距離の詰め方なのが気に障っていた。

 その点、石坂はなににつけてもスマートだった。


(お金持ちだから余裕があるのかな。石坂さんについては、普通にいい人で済ませてもいい気がするんだよなあ)


 そう思いながら美羽は会釈をした。


「はい。中柴くんに。食堂で食べてても、神経尖らせてちゃ駄目ですしね。食べてもらったほうがいいかなと」

「ええ、それがいいでしょう。階段だと重いでしょう? 階段だけでも運びますよ」

「ありがとうございます」


 美羽は石坂にお礼を言って、トレイを引き渡す。階段でも難なく運ぶ石坂さんに感嘆しながら「はあ……」と溜息をついた。


「どうしましたか? ここでの生活、女性がひとりですからいろいろ神経を削ることもあるでしょう。なにかありましたか?」

「そこなんですよね……あたし、彼氏が死んじゃいました」


 言葉にしてみるとそれだけだが、それでも美羽の中では重要なことだった。

 翔太が死んでしまったことで、弱音を吐ける場所がなくなってしまった。気を遣ってくれているのは、今のところこの中で最年長の石坂くらいだ。

 美羽は俯く。


「彼氏が死んじゃったことで、自分の脳天気さに腹が立つと言いますか……とにかく、これじゃ駄目なのに、流されているだけだなと考えているところです」

「……ふふ」

「石坂さん?」


 階段を昇り終え、美羽は石坂から「ありがとうございます」とトレーを取ろうとするが、石坂は「どうせそこですから」と言いながら運んでいく。


「あなたの普通さがいいのだと思いますよ」

「普通って……今、変な催し物に参加させられているのに、その中で普通でいいんですかねえ?」

「ええ。普通というのは、その場における倫理観の基準点になりますからね。たしかにこの場にいる皆さんは、少々普通から外れているようですが……あなたは違いますね?」


 美羽は少しだけ言葉を詰まらせる。石坂はにこやかに美羽に告げた。


「あなたがこの館の光になることを、誰もが望んでると思いますよ」

「……あたし、自分のことそんな風に思ったことは、一度だってないですよぉ」

「それでかまわないかと思いますよ。特別なことをしなくても基準点に立っていることが、普通なのですから。この異常事態で普通でいることは難しいですからね。自分をどうぞ誇ってください」

「……大人ですねえ。石坂さんは」


 美羽の茶化した言葉にも、石坂は悠然と微笑むばかりだった。

 そんな風に褒められたことなど一度もなかった。

 ホストのはずの紅の言葉は、はっきり言って薄っぺらく、美羽の心になにも響かなかったが、石坂の言葉は知らず知らずの内に弱っていた美羽の心にたしかに届いた。


(……あたし、このままでいいんだ)


 その言葉にほっとした。

 自分は主催側の人間を探さないといけない、そのせいでこの場にいる全員を疑ってかからないといけないとばかり思っていたため、こうして肯定されると少しだけ心に余裕ができる。


(多分だけれど、石坂さんは違うね)


 そう美羽の中で、主催容疑者リストに石坂の名前が赤線で消された。そうこう言っている間に、中柴の部屋が見えてきた。

 美羽はカツカツと扉を叩く。


「中柴くん? 昼食だけれど」


 返事がなかった。それに美羽は困惑する。


「寝てるんですかねえ?」

「薰さん。薰さん。どうなさいましたか。薰さん」

「……えって」


 低い唸り声が返ってきた。


「帰って」

「えっ、中柴くん」

「帰れって言ってんだろう……!?」


 いきなり扉が開かれ、トレーの中身がぶちまけられる。美羽も頭にミートボールがかかる。


 朝に見た中柴よりも、気のせいか目が落ちくぼんでいた。血走っていると言ってもいい。


「どうしましたか、薰さん。顔が」

「うるさいなあ、帰れよ! みんなこっちの気も知らないで、ペラペラペラペラ好き勝手言って!」

「ちょっと……他にも誰か来たの?」

「知らないよ! もう帰れよ! 見たくないよ!」


 中柴は美羽の質問になにひとつ答えず、バタンと扉を叩くようにして閉めてしまった。あたりにはミートボールの匂いだけ残る。美羽は黙ってそれらを拾った。あとはロボット掃除機とコンシェルジュがやってくれると信じるしかないだろう。


「……中柴くん、追い詰められてましたけど」

「ここに我々が来ない間に、彼と接触できる人は、ひとりだけです」

「……立石さん?」


 石坂は頷く。

 美羽はあの無表情のメガネの青年を思い返した。


(あの人、全然表情が読めなくって、悪い人じゃないと思ってたのに……なにを言って中柴くんを追い詰めたの?)


 美羽は折角久々に穏やかな気分になったというのに、すっかりと気持ちが打ちひしがれてしまっていた。そしてトレーを食堂に戻しに行く。既に榛も紅もどこかに行ってしまっていなく、美羽は石坂と別れると、そのまま立石を探しはじめた。文句のひとつでも言わないと気が済まなかった。

 一階はエントランスの向こうの食堂以外に、ランドリーが存在した。美羽は制服が汚れたのを見て、明日の朝イチに洗いに行こうと思い立つ。しばらく歩くとラウンジがあった。セルフサービスらしいが、出てくるメニューは食堂の決められているものとは違い自由に決められるらしかった。


「こんなところあるんだったら、もっと早くに気付いてたら、昨日お腹空かせて眠らなくってもよかったのに……」


 コンシェルジュの説明不足について思うが、これは自分自身で質疑応答しないと教えてもらえなかったことだろうと割り切ることにした。実際に風呂の問題はそこで聞き出したのだから。

 美羽はプリプリ文句を言いながらも、辺りを更に探索する。エントランスの螺旋階段以外にもここにも階段があることに気付いたので、ここから宿泊施設に戻ることもできるんだなと確認している中。

 ずっと階段のひとつひとつを叩いて回っている立石を見つけた。


「あっ! やっと見つけた!」


 立石はタッチパネルから視線を移して、無表情なりに目をパチパチ瞬かせて驚いているモーションをした。


「明空さん大丈夫か? ソースがかかってるみたいだが……」

「中柴くんに食事引っ繰り返されたんですよ! あの子ひどく脅えてて……あたしたち食堂、石坂さんとはそこで合流したんだから、消去法で考えたらあなたしかいないじゃないですか。中柴くんを脅すようなこと言ったのは……!」


 それに立石はしばらく黙って顎に手を当てた。それになおも美羽は腹を立てる。


「なんですか。どうして黙るんですか」

「……いや、君は思っている以上に頭の回転が速いと思っただけだ」

「それ、馬鹿にしていますか!?」

「していない。ものすごく感心している。だから、手伝って欲しいと思っている」

「なにをですか!?」

「俺の指令だ」


 そう言われて、思わず美羽は言葉を詰まらせた。


「……今の話の流れのどこで、そんな展開に?」

「俺も誰を頼るかを考えあぐねていた。正直、俺の指令内容は少々手こずるから、これは七日以内では無理だろうと思っていたところだからだ」


 美羽は榛の指令内容を思い返して、首を振った。


「……あたし、人を殺すような指令だけは、絶対に嫌ですからね」

「しない。むしろ俺の指令が達成できたら、もしかすると指令が達成困難な人間でも助けられるかもしれない」

「……え?」


 思わず榛のことが頭に浮かんだ。

 ……七日間までの間に参加者を三人にするなんて指令、人を定期的に殺さないと無理だ。

 美羽が思わず黙り込んでいる中、立石はタッチパネルをタップして情報を見せてくれた。それは見取り図らしかった。


「これって……」

「この館内の見取り図をつくっていた」

「え、でもこれ……プロの仕事みたいに正確ですけど……」

「製図ソフトで歩きながらつくった。ここが一階の部屋の全容」


 一階のエントランスから右に給湯室、倉庫、ダストルーム。左に食堂、厨房、ランドリー、ラウンジ。どちらも一番端に行けば階段がある。


「……地図をつくるのが指令なんですか?」

「違う。これは指令のための下準備」


 そう言いながら懐から指令の入った封筒を取り出すと、中身を見せつけた。


【七日以内に脱出路を発見すること】


「これって……!」

「……正直、指令達成条件によれば、榛のようにまずい人間もいる。だから誰が信用できて、誰が信用できないか、判断してからでないと巻き込むのは難しいと思っていた」

「どうしてあたしにはこれを?」

「君はあの中学生を信用できたからだ」

「……だって、最年少ですし」

「俺は君ほど優しい人間にはなれない。だから彼を傷付けたし、君をソースで汚してしまった。すまない」


 美羽はあれだけ腹が立ったというのに、あっさりと謝ってきたのに拍子抜けする。むしろ全員が助かる道を探して、ひとりで見取り図をつくったり、建物のひとつひとつを確認して回るような手間暇をかけていたり、かなり勤勉なほうだ。


(でも……よくよく考えたら、この人が小瓶をくれたから、翔太の遺髪を取っておくことができたんだ……)


 彼が悪い人間なのかが、もう美羽にはわからなくなってしまった。

 立石は言う。


「君の気が向いたらでいい。協力して欲しい。あと、できればこのことは誰にも言わないで欲しい」

「どうしてですか? だって、皆で探したほうが……」

「……ファムファタールの函庭」

「……っ」


 自分たちが巻き込まれた現象を語る都市伝説の名前だ。


「これは信用できる人間を強制的に選ばされるゲームだ。少なくとも、俺がログを見た限り、全員が助かったことはなかった。つまりは」

「……指令内容によっては、妨害されるから?」


 立石は頷いた。


「だから、今は誰にも言わないほうがいい」


 そう言いながら、立石はタッチパネルをタップしはじめた。それに視線を落とす。


【必要なことは、口では言わないほうがいい】


 立石はさらにタッチパネルをタップする。


【初日にコンシェルジュがこの催し物は監視されている旨を言っていた。隠しカメラがあちこちに忍ばれていると思っていい。このタッチパネルには防犯対策で特殊フィルムを貼ってあるから、カメラでは写らない。必要な会話は、これで伝える】


 美羽はそれを黙って読んで、頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る