異世界ファンタジーオタク、異世界へ行く
カガワ
プロローグ
少し前まで、平和な世界だったはずだ。しかし、いつの間にか黒みがかった雲で覆われ、空に大きな亀裂が入り、この世の終焉を思わせるほどまで状況は一変していた。亀裂からゆっくりと姿を見せる奇怪な生き物。
高層ビル程の巨大さなのにも関わらず宙に浮かび、触手が絡まり合いぐちゃぐちゃになった身体。
触手の間から見える獰猛な肉食獣のような眼が力の差を分からせている。
まさしく、絶望というのはこういう事を言うのだろう。そんな怪物になす術もなく恐れおののく人々。
叫び声を上げながら、本能のままに必死に逃げ惑う。
能力を持った力のある者たちですら何もできずその場に立ち尽くす。
ものの数分で町は半分焼けて崩壊し、それでも挑む者たちは簡単に蹂躙される。もうどうしようもないのだと、この状況を覆せる者は誰もいないと、誰もがそう確信した。
…はずだった。
町の奥側、雄大にそびえ立つ城から光が漏れて一気に溢れ出す。そこにいた人々、ましてや怪物までもがその光から目を離すことが出来ない。一瞬だった。突如現れたその人影が怪物を宙に打ち上げる。
その手に握られたのは希望を象徴するような、輝きを放つ剣。それは何千年も城の地下で眠っていた、誰も抜くことの出来なかったはずの聖剣。
全員がそれを手にした男について分からないが、新たな英雄の誕生に声を上げる。
唯一、少年の正体を知っている者があまりの驚きに声を上げた。
「エイド!?」
そう、その聖剣を手にしたのはまさしくエイド。
この日、聖剣を手にした彼の物語は大きく動き出した。
―バンッ!
「ひゃあ!」
急に背中を叩かれ、着ていたワイシャツがしわを寄せる。その衝撃に少年は正気を取り戻した。気づけばもうとっくに三十分ほど時が流れていたようだ。
読んでいた小説は、何度も読まれたせいかブックカバーは意味を成さないほどボロボロになっており、下にある「聖なる剣に導かれて」というタイトルが見え隠れしていた。
そのタイトルを横目で見た後、背中を叩いた犯人は目の前の席に座る。
「またけんみち読んでる。見かける度に読んでるから、流石に感心するわ。」
「だって何回読んでも面白いし、ケンちゃんだって分かってるはずでしょ。」
「奏太のお陰でな。そんなことよりほら、今日なんだろ発売日。
待たせちゃって悪かったな、早く行こうぜ。」
その言葉を合図に二人は同時に立ち上がる。
ここまで息が合っているのは、二人が長い友人であることの証明と言えるだろう。
学校を出て、一気に走り出した友人を追いかける一人の少年。今日の出来事を語るには、この少年について説明する必要があるだろう。
何か特技を聞かれれば…思いつかない、今までやった凄いこと…思いつかない。
自慢が出来ることがあるとすれば、ケンちゃんこと
しかし、そんな彼にも熱狂できるほどの趣味があった。それが、「聖なる剣に導かれて」という小説だ。聖剣を手にし、覚醒した主人公が仲間たちと共に様々な困難に立ち向かう、王道で熱い設定。更には、キャラクターたちも物語の質を高める一因となっており特に主人公の人間性が魅力的で人気が高く、けんみちの略称で今なお慕われ続けている作品である。
奏太もそんなけんみちが大好きで、小説はもちろんのこと映像作品やグッズなども集めるまさしく第一線級のオタクといえるだろう。
「急げ急げ~」
と、道の先で手を振る健司を追いかけながら目的地へ向かう。ここまで張り切っているのは、今日はけんみちの新刊が出る日だったからだ。新刊が出るのは実に一年ぶりとなる。
他メディアの展開で忙しかったり、作者が体調を崩したり。様々な理由があるがとにかくこうして無事に新刊を見られることは嬉しくて仕方がない。普段は運動をしない康太も必死に足を動かしていた。ようやく目的の書店に到着し、高揚感は最高潮まで達する。
「よし、ようやく着いたね。」
「早く中入ろうぜ。俺、予約してないから無くなっちゃうかもしれない。」
ようやく最近全巻を買った健司ですら、明らかにワクワクした様子を見せる。それほどけんみち好きは皆、今日の瞬間を待ちわびていたのだ。
奏太も、その喜びを何とか抑えながら遂に店へと足を踏み入れた…のだが
「申し訳ありません、何でかまだけんみちの新刊が出回っていないようで。」
「へ?」
奏太はベッドにダイブし、顔を埋めたまま十秒はあったであろう長いため息をつく。
正直、あの後のことはよく覚えていない。放心状態のまま健司と別れて家族との挨拶を済ませて、あの時の自分にとっての最高速でここまで戻ってきた。
子供みたいだな、とは自分でも思う。
しかし、それだけけんみちというのは自分の人生にとってかなりの割合を担っていたのだ。
本棚を眺める、学校で読んでいた一巻だけが抜け落ちてアンバランスに傾く本の数々。
そのどれもが、何度も読み古されていてボロボロ。 新刊が出たら何度繰り返して読んでしまうのは恐ろしかったほどだ。結果、今日はその悲願が叶うことはなかったわけだが。
ふと、部屋を見渡す。けんみちが無ければ、本当に特に言う事がない。それどころが本当にベッドと机以外何も残らない程だろう。施錠された机の引き出しですら、もう鍵のありかを覚えていない。
机の上には本が一冊あって、なんとなく力を振り絞ってその本を戻すため立ち上がる。
28巻。
手に取った瞬間に感じる違和感。そもそも、ブックカバーが付いていないし表紙も見たことがない。いや、そんなことより誰よりも期待していた奏太だからこそ分かる。これは、
「今日発売の新刊?」
勝手に体が熱くなって、勝手に心が揺れ動く。 頭は生まれてきて一番動いているんじゃないかと思う程に色々な可能性を探し求める。だがそれすら無駄だと感じてしまう程に今、目の前のご褒美に手が勝手に動く。全部後から考えればいい、とにかく読みたい。
そして、ページをめくる。
「え?」
その中身は、全てが白紙だった。
「奏太―、入るよ。」
母親が部屋のドアを叩く。返事がないため扉を開けるも、そこには誰の姿もない。
「あれ、ちょっとーお兄ちゃんって帰ってきてたわよねー!」
「帰ってきたんじゃない?わかんなーい!」
一階にいる妹はテレビを見ながらまた一個、チョコを口まで運ぶ。
母は、よく分からない息子だと下にまた降りてくる。
ベッドの上、母親も気づかなかった奏太のスマホが振動する。そして遂には、画面を光らせてとあるニュースの内容を映し出した。一階にいる母と妹も、スマホの画面と同じニュースをテレビで不安そうに眺める。そこにはこう、書かれていた。
「人気小説、聖なる剣に導かれての作者失踪
未だ行方分からず」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます