第2話
翌日、ソラは約束どおり指定された場所を訪ねた。細長い雑居ビルの三階にローズ保険事務所はあった。
人が二人くらいしか乗れないような小さなエレベーターに乗り込むと途端に緊張してきてしまう。
三階で降りると目の前に大きな鉄の扉があり、インターホンの下に「ご用の方は押してください」とかすれた文字で書いてあった。
震える指でボタンを押すと「は〜い。どちら様でしょうかぁ〜」とインターホン越しに可愛らしい声が聞こえてきた。
「あの、今日、十時からこちらのお仕事を見学させていただく谷中ソラといいます」
「ああっ! 来てくれたんですねっ! よかった〜! カギ開いてますから、中に入ってきてくださぁい」
おそるおそる扉を開けると、中は意外にも明るくて、きれいな事務所であった。正面奥に大きめのデスクが見え、その手前には来客用なのかソファとテーブルが置いてある。花や観葉植物、かわいらしいぬいぐるみがいくつか飾られていて、ソラが想像していた事務所のイメージとはちがい、温かみのある雰囲気だった。
だが暮里の姿はなく、さきほどの声の主も見当たらなかった。
右奥に扉が見えたので、そちらの部屋にいるのだろうと見当をつけて、少し大きめの声で挨拶をする。
「おはようございますっ! 谷中ソラです!」
「元気ですねぇ〜! 元気なのはいいことですぅ」
すぐ近くでさきほどの可愛らしい声が聞こえた。ソラは驚いてキョロキョロとあたりを見回す。どこかに隠れているのだろうか。だが、姿を隠せる場所は少ないし、声はかなり近距離から聞こえてきたのだ。そう、例えば目の前のソファに置いてあるぬいぐるみの位置くらいから。
もしかしたら、ぬいぐるみにマイクが仕掛けてあるのかもしれない、と思いつく。三十センチほどの大きさで牛のようなそのぬいぐるみに顔を近づけてマイクを探す。
「ちょっと、ちかい、ちかい〜! いくらあたしがかわいいからって、いきなりチューしようとしないでくださぁい!」
「ひゃっ! う、動いたっ?!」
「そりゃ、動きますよぉ。ぬいぐるみじゃないですからぁ。……って、あれ? 一織ちゃんから聞いてませんでしたぁ?」
ぬいぐるみのようなものは、ピョンとジャンプしてソラから少し離れるとくるくる回ったり、その場でダンスをしはじめた。最初は驚いて目を白黒させていたソラも、やがてその華麗なダンスと可愛らしさに自然と笑顔になっていった。
「ふふふぅ。ソラちゃんは笑顔がとってもキュートですねぇ。驚かせちゃってごめんなさいですぅ」
「いえいえっ。わたしこそいきなり顔を近づけてすみませんでした」
「ううん〜。そもそも一織ちゃんがきちんと説明してなかったのが悪いんですぅ。そして当の本人は急用でいないから、とりあえずあたしがお仕事のこととかお話するですぅ」
ソファに座るとぬいぐるみのような手で器用に紅茶を淹れてくれた。動作がいちいち可愛らしくておもわず見守りたくなる。
「まずは自己紹介ですぅ。あたしはポコミですぅ。本名はポーグルドルオンキッコビンミっていうけど、一織ちゃんが長すぎて覚えられないからって、ポコミになりましたぁ。キュートな怪人ですぅ。よろしくですぅ」
「ポコミさん、よろしくお願いします。あの、さっそく質問なんですが……」
「なんですかぁ? あたしのかわいさの秘訣ですかぁ?」
「いえ、あの、ポコミさんは自分も怪人なのに、暮里さんが怪人を倒すことをなんとも思わないのかなって……」
「な〜んにも思いません〜。怪人とか地球人とか関係なく、危害をくわえるやつを倒すことに心は痛みません〜」
「怪人でも地球人でも関係ない……」
「そうですぅ。ソラちゃんは、ゲスミルっていう怪人組織が昔あったことを知っていますかぁ?」
ゲスミル。最近ではもうその名前を聞くこともほぼなくなったが、ソラが幼いころにはテレビでもよく「地球防衛軍とゲスミルの戦いの歴史」についての番組が放送されていたので知識としてはあった。
「はい。地球防衛軍がゲスミルを壊滅させたっていうことは知っています」
「あたしはもともとそのゲスミルに所属する戦闘員だったんですぅ」
「えっ。ポコミさんが?!」
「戦闘員といっても、このかわいらしい見た目ですし、力もないから最下層の雑用係でしたけどね〜。ゲスミルは力こそ全ての厳しい組織でしたぁ。それぞれの師団を指揮する幹部怪人によって程度の差はあれ、強いものの命令は絶対なんですぅ。だから、あたしはよく殴られたり、理不尽なひどい扱いを受けてましたぁ……」
つらい過去の出来事を思い出したのか、ポコミはうつむきながら肩を震わせた。
「ひどい……。こんなに小さくて可愛らしいポコミさんを殴るなんて……」
「あたしが所属していた師団はとくに弱いものへの差別がひどかったんですぅ。いまではこんなに、毛並みもきれいでまるいフォルムが愛くるしい姿ですけど、一織ちゃんとはじめて出会ったときは、毛玉だらけでガリガリでボロ雑巾みたいでしたぁ」
「一織さんとはどんなきっかけで出会ったんですか?」
ポコミが一息つくようにたっぷりとミルクを入れた紅茶を口にする。ソラもそれにならってひとくち飲むと華やかな香りが口に広がる。それから、ポコミがはや起きして作ったというクッキーを食べるとその美味しさに重たい空気が少し和らいだ。
「その日もみんなのストレス解消で殴られたり蹴られたりして、ボロボロの状態でゲスミルの本部施設の部屋で倒れてたんですぅ。そこに一織ちゃんが所属していた超撃戦隊ケンゴウファイブが突入してきたんですよぉ」
「えっ? 一織さんって戦隊メンバーだったんですか?!」
「あれ? それも聞いてなかったんですかぁ? そうです、一織ちゃんはケンゴウピンクだったんですよぉ」
どおりで強いはずだ。暮里が地球防衛軍の精鋭部隊である戦隊メンバーだったと知って、ようやくあのデタラメな強さに納得がいった。
「一織ちゃんがボロ雑巾みたいだったあたしを救ってくれたんですぅ。そして、あの地獄みたいだった組織をぶっ壊してくれたんですぅ。だからあたしは、地球人だから敵だとか怪人だから味方だとか、そんなの関係ないんですぅ」
ポコミは晴れ晴れとした顔できっぱりといった。
ちょうど話し終えたと同時にプルルと事務所の電話が鳴り響く。
ポコミが受話器をとると、どうやら暮里からのようであった。わるい知らせなのか、しきりに「えぇっ?」とか「困りますぅ」とか「はぁぁ〜」といった声が聞こえてくる。
電話を終えたポコミが戻ってくると、ソラに向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「ソラちゃん、ごめんなさいですぅ。一織ちゃん、今日は仕事で戻れなくなったそうですぅ。せっかく来てくれたのに……。明日また同じ時間に事務所にきてくれますかぁ? それとも、もうイヤになっちゃいましたかぁ? あたし、ソラちゃんともっと仲良くなりたいのにぃ……。くすん」
「いえいえいえっ! イヤになんてなってないですから、泣かないでください! 明日も同じ時間に必ず来ますから!」
「やった〜! 嬉しいですぅ! 指切りげんまんですぅ!」
ポコミの毛で覆われたちいさな指と小指をからませて約束をする。
暮里のことはまだ信用できないソラであったが、ポコミのことはすでに大好きになっていた。
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