セーフティーボックス
二十三
前編
友人の村田と田城とは、東京の大学で知り合った。
俺が『木村』で、名字が尻取りになっているという、子供みたいな理由で仲良くなった。
俺たちは趣味も好きな芸能人も、全員違うが、なぜか気が合った。
「就職したら、今みたいに会えなくなるし、卒業旅行しよう」
ランチ時に、突然、村田が切り出した。
「いいねぇ、じゃあ海外旅行にしよう」
村田はそう言ってはしゃいだが、田城がバイクで転んだ古傷が痛むとか言い出し、湯治がいいと駄々をこねた。
「えー、温泉かよぉ」
オヤジ臭いと難色を示す村田を、戦国武将好きの田代が、湯治はいいぞと強引に説き伏せた。
「まぁ、三人でドライブってのもいいんじゃない?」
実のとこ、俺は飛行機が苦手なので国内でよかったと思っていた。
「車は? 誰も持ってないじゃん」
「そこはレンタカーでいいだろ」
「運転は? 誰がすんの?」
村田の言い方は、いかにも面倒臭そうだった。
田城の運転は一度乗せてもらったことがあるが、正直、よくあれで実技試験に受かったなと思うほど酷かった。
「俺がするよ」
「まじで? じゃ、いいや」
俺たち三人は東京を出発。高速に乗って北上し、途中サービスエリアで休憩を挟みながら、約四時間半のドライブを経て、とある温泉旅館へたどり着いた。
古い佇まいの旅館は、営業中かどうかもあやしい雰囲気だったが、玄関先に車をつけると、作務衣を着た老人がひょこひょこと現れた。
老人はしかめっ面で、睨みつけるように俺たちを見た。
「あの、今日お世話になる木村です」
そう挨拶すると、老人は途端に笑顔を見せ、キーを挿したまま、車を降りるように言った。
「あからさまだな」
「あんな腰曲がってて、運転なんてできんのかな?」
田城の耳打ちに、俺は苦笑いで同意を示した。
ロビーは静かで薄暗く、ほかの宿泊客の姿はなかった。
「もしかして宿泊客って俺たちだけ?」
「そんなことない、と思うけど」
旅館の予約を取ったのは田城だった。なんでも、昔は戦国武将が傷を癒すためによく訪れていた場所で、切り傷、打ち身、捻挫、疲労回復その他諸々、どこの温泉施設にも書いてある効能のみでなく、どんな怪我も病気も消してしまう、有名な温泉だと自慢げに話した。
俺は、そんな温泉聞いたこともなければ、メディアで宣伝しているところも見たことがない、と田城に言ったが彼は、「宣伝すると客が殺到し、対応に手が追えなくなるからしないんだ」と息巻いた。
それにしても閑散としすぎている。
少しは宣伝した方がいいんじゃないか、と勝手に心配していると、突然、玄関から騒がしい声が聞こえてきて、ぞろぞろと団体客が入ってきた。
すでに酒で出来上がり、顔を赤くしているおやじたちが、ロビー全体に響き渡る大声で、「やっと着いたかー」「飲むぞ飲むぞ」「すでにいっぱい飲んだやろ」「まずは風呂や」「そう、そのために来たんや」「最近腰が痛くて」などと話しながら、チェックインカウンターに並ぶ。
みんな、異常に声が大きい。
だが、ロビーが騒がしくなると、今まで暗く沈んでいた旅館内の雰囲気が、途端に活気付いて明るくなった。さっきまで人がいなくて不安だったのに、今度は静けさを求めている俺がいる。
あの人たちと近くの部屋は嫌だなと、横目で彼らを見ながらチェックインカウンターに身を乗り出し、『ご宿泊者の方はこちらに記入をお願いします』と記された連絡帳に備え付けのペンで書きはじめた。
名前、住所、電話番号、車のナンバーを書き終え、顔を上げると青白い顔の中年女性が俺を見下ろしていた。
「ひっ!」
思わず小さな悲鳴を上げてしまった。失礼なことをしたとおもいながら、視線を上げると、女性の胸にある名札が目に入った。『小森』と書いてある。
改めて小森を見ると、ファンデーションのせいか、顔が異様に白い。目は虚ろで、鼻が低く、おうとつがないため、まるで能面のようだ。髪は後ろにまとめているが、所々から垂れた後れ毛が、疲労感を漂わせていた。このまま幽霊役ができそうな風貌だ。
小森が薄く開いた口からボソボソと、館内の説明をしてきたが、声が小さすぎてよく聞き取れなかった。
非常口とか風呂の場所なんて、大体どこも同じような説明だし、館内地図見れば分かるだろうと、流していると、聴き慣れない単語が通り過ぎた。耳を集中させる。
「……お出かけになる際や、お風呂へ行かれる際には、貴重品をセーフティボックスの箱にお入れください。その際、もう一度言いますが、二番目の箱だけは、絶対に開けないよう、お願いいたします」
「え?」
俺は、聞き返したが、小森が続けて「詳しくは部屋にある案内書をお読みください」と流したので、まぁいいかと思った。
とにかく、早くチェックインを済ませて部屋でゆっくりしたい。道中、村田と田城は車内で爆睡していたが、俺はずっと運転していたので疲れていた。
自分が運転すると言い出したんだからしょうがないが、村田も田城も「ずっと起きててやるよ」と言いながら、出発して十分も経たないうちに、いびきの大合唱を始めやがった。
さっとひとっ風呂入って、夕食まで一寝入りしたい。
小森から部屋の鍵と館内地図を受け取った俺は、ロビーの椅子に座って待っていた村田と田城に声をかけ、エレベーターへ向かった。
「何階?」
「四〇七だから、四階かな」
「夕食の時間は?」
「六時」
「まだ一時間あるな」
「俺、ひとっ風呂浴びたらちょっと寝るわ。さすがにずっと一人で運転は疲れたからさ」
「おう」
村田と田城は、俺の遠回しな愚痴に気づいてくれなかった。
「そういえばさ。チェックインの時、変なこと言われた」
「何?」
「なんか、セーフティーボックスの二段目を開けるなとか」
「はぁ? なにそれ」
「いや、なんかよくわからないんだけどさ」
「なんで詳しく聞かなかったの?」
「聞こうと思ったけど、館内案内書に全部書いてあるっていうし、読めばいいかなって。それに、あの小森って人、なんか、ボソボソと聞き取りづらくてさ」
「ああ、なんか、幸薄そうな顔してたよな。接客におくならもっと、明るい感じの人を雇った方がいいのに」
「田舎の若者はみんな上京して、働く人がいないんじゃね?」
チンっと音がして、エレベーターが動きを止めた。
四階の通路は静かだった。高級そうなお香の匂いが充満して鼻腔をつく。右の窓からは、濃い霧がかかった山の景色が見えた。
「四〇七……地図だとこの一番奥になってるな」
「角部屋か。いいじゃん」
「左隣があの団体だったらどうする?」
「テンション下がるこというなよ」
俺は、渡された鍵で部屋の扉を開いた。
靴箱には館内で使用できるスリッパが人数分揃えてあった。
「おお! 結構広いじゃん」
村田が部屋に入ってすぐの襖を開いて言った。
田城も「どれどれ」と、靴を蹴飛ばして部屋に入る。
「こっちにも部屋がある!」
「すげーな、高そうなのに……安かったんだよな?」
「ああ」
「会計の時、0が一個多いとかないよな?」
「やめてくれ」
「あっ。こっちも部屋がある! ちがうわ。ここはトイレだ」
「こっちは風呂」
「温泉に来てわざわざ部屋の風呂使うやつっているのかな?」
俺の質問に田城がニヤリとした。
「女とか使うことあるだろ」
「なんで?」
「突然生理になったとかでさ」
「温泉にも入れねぇ、ヤるのも無理てなったら最悪だな」
「そらショックだわ」
村田と田城が女の話で盛り上がっている間、俺は一人で客室の探検を済ませ、浴衣が置いてあるクローゼットを開いた。不意に、視線を落とす。浴衣と丹前が畳んで置いてある右手に、セーフティーボックスがあった。
しばらく固まっていると、村田と田城が肩越しに覗き込んできた。
「なにこれ。セーフティーボックス? 四段式?」
セーフティボックスは、縦横四〇センチほどの四角い鉄の箱で、四段に分かれていた。それぞれに鍵穴があり、ゴムバンドのついた鍵が差し込まれている。
二番目だけは鍵がなく、『封』と書いたシールが鍵穴に貼ってあった。
「なんで四段?」
村田の問いには田城が答えた。
「そりゃあれだよ。ここ、四人部屋だろ。それぞれで使うんだ」
「別に、一緒でもよくね?」
「だって、友人同士でも信用できない時ってあるじゃん。だから、貴重品は各自、自分たちで管理しろってことだろ?」
「なるほど。確かに。誰かが風呂に入ってる時に鍵持ってる奴が盗まないとは限らないもんな」
「ああ、なんかあったらやっぱ鍵持ってる奴が真っ先に疑われるし、各自で管理できるのはいいことだ」田城は俺と村田を見て、「まぁ、俺はこの三人でなんかあっても誰も疑わないけどさ」
「……でも、俺の財布に百万入ってるっていったらどうする? 一万ぐらい抜かれてもわかんねーかも」
村田のセリフに、俺と田城が目を剥く。
「冗談、冗談! けど、俺たち三人でよかったな。一段使えないし、四人だったら、一人誰かとシェアしなきゃいけなかったとこだ」
「だから格安でこの部屋になった……とか?」
「そこまで考えて部屋割りしないだろ」
田城が封と書いてる鍵穴の上を指でなぞった。
「おい、絶対開けるなって言ってたぞ?」
「単に、壊れるからだろ?」
田城がそう言いながら、角に爪を立てて開こうとした。
「やめろッ! 開けるなッ!」
突然、村田が大声を出した。
俺と田城はおどろいてすっ転んだ。本当に、漫画みたいに。
「な、なんだよ急に! 大声出して……びっくりするだろ!」
「開けちゃ、ダメだ……それは……ダメ……」
村田が、青白い顔でボソッと言った。
セーフティーボックス 二十三 @ichijiku_kancho
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