第36話「一撃」

 月も星もなく、常夜灯じょうやとうの冷たい光だけが差している。

 かぐろい海に映ったその光は、死んだ魚の腹のように揺れている。

 吹きさらしの港湾道路は凄然せいぜんとして、並ぶ倉庫は墓標ぼひょうのごとし。

 いま、一匹の忍者カメレオンの舌で綱引きをしている、天然の忍者と養殖の忍者――どちらかが死ぬにはぴったりの夜だった。


「……『笑わないのか?』だと? そりゃ、当然! 養殖者風情が、たまたま初手を防いだくらいで、笑えぬ冗談をほざいてくれたからな」

「なら、代わりにおれが笑ってやろう。自慢の忍法を破られながら強がるその無様、面白いぞ」

「きさまごとき相手に、忍法は不要……」


 『忍法五車ごしゃの術』の応酬おうしゅうを重ねながら、五十郎はカメレオンの天然者を見て、「こいつ、思ったより健康そうだな」と思った。血色はよいし、筋肉もつくべきところについたままで、落ちた様子はない。ぎらぎら光る血走った目玉だけが、抜け忍らしい。

 五十郎は察した。


「けちな盗みにはるのに?」

「……なに?」

「おまえだろ? 連続窃盗事件の犯人は。

 アサニンギルドの天然者が、制止を振り切って祇園に挑んだ挙句、返り討ちに遭い、びびって逃げたばかりに抜け忍の烙印らくいんを押されて、ギルドに追手を放たれたうえ、忍法に任せて盗みに入り、PNCの養殖者にまで追いかけ回されるに至るとは……

 落ちぶれたもんだな?」


 天然者をおおう忍者カメレオンたちの半分が、それぞれの舌を五十郎の首、両手首、両足首めがけて伸ばした。重力の二六四倍の加速度で無数の舌が迫るがしかし、すでに五十郎の姿は地上にない。彼は掴んでいた舌を手放し、真上に跳躍していた。


「きさまの命をるほうが容易たやすいわ!」


 天然者が必勝をして雄叫おたけびをあげれば、残る半分の忍者カメレオンが宙にある五十郎の足に舌を伸ばした。

 あの日、『あの路地』、あのときと同じだ――五十郎を除けば!


「あっ!?」


 五十郎は空中で半回転、天地逆さになるや、飛来した舌すべてを両手で掴んだ! そのままさらに回転すると、


「お、おまえたち!」


 掴んだ舌を引っ張って、その持ち主たる忍者カメレオンどもを天然者からがした!

 五十郎はさらに回転! 彼が掴んだままの忍者カメレオンたちも回転!

 一回転、二回転、三回転、四回転! たちまち五十郎は回転する楕円だえんに! 忍者カメレオンたちはたばねられて振り回され、ハンマーなげのハンマーのごとし!

 そのハンマーと化した忍者カメレオンの塊が、天然者へと横殴りに叩きつけられる!


「うぬ!?」


 天然者は咄嗟とっさに、体に残っていた忍者カメレオンたちを集めて盾にしたが、防ぎきれるものではない! 天然者は倒れ、忍者カメレオンたちは衝突の衝撃で舞い上がり、怪雨かいうみたいに空から降る仕儀しぎ相成あいなった!

 それらに忍んで降る者がある。

 げにも、空からしたたる夜の化身。頭巾に鉢金はちがね上衣うわぎはかま手甲脚絆てっこうきゃはん足袋草鞋たびわらじ――『忍法変身遁しぇいぷしふとん』の織り成したる忍者装束をまとった、天堂五十郎だ。


「笑い草! 観念して草葉くさばの陰にゆけ!」


 五十郎は、いまだ立ち上がれずにいる天然者にとどめを刺すべく、間合いを詰めた。

 そのときである。

 天然者の陰から五十郎の足に向かって、重力の二六四倍の加速度で舌が伸びてきた。まだ動ける忍者カメレオンがいたのだ。

 五十郎はサイドステップで、難なくかわす。


 これで終わりだ!


 ……それは、声にならなかった。

 というのも、その瞬間、五十郎の後頭部に衝撃が訪れていたからだ。

 前のめりにバランスを崩しながら、五十郎は見た。視界の端で、大物を釣り上げたときの釣り竿と釣り糸みたいにしなる、舌を……その先が捕まえている、忍者カメレオンを!

 先ほどの舌は、五十郎の足を狙って伸ばされたように見えたが、そうではなかった! 彼の後ろに転がっていた、忍者カメレオンに向かって伸ばされたのだ! 

 そして、その舌先にらわれた忍者カメレオンがフレイルのように振るわれて、五十郎の後頭部を死角から打擲ちょうちゃくしたのである!

 無論、致命傷ではない。


「『笑わないのか?』とか抜かしてくれたな!?」


 しかし致命的な隙だ!

 天然者が、二匹の忍者カメレオンをスターティングブロック代わりにしてクラウチングスタートを決め、一瞬で距離を詰める! 立ち上がれずにいるように見えたのもまた、ブラフだったのだ!

 天然者は、倒れかかっている五十郎の目のまえで右の手刀を振り上げると、


「やっと笑えたわ! あはははは!」


 笑いながら、五十郎の後頚部こうけいぶに振り下ろした!


 すべてがスローモーションに見えるなか、五十郎はくしていた最後のピースを見つけた気がして、感じっていた。


 これが、勝負勘がにぶるってことか。

 実戦では、刻一刻と状況は変化する。

 練習とはちがう。

 以前のおれなら、さっき伸ばされた舌の延長線上に、忍者カメレオンが横たわっていたことに気づけたかもしれない。こんなピンチにおちいることもなかったかもしれない。


 ……だが、いまのおれならば!


 五十郎は、右の手のひらを天然者の右手刀の側面に当て、左にさばいた。

 全然浅い。無理矢理だったから、当然だ。

 しかし、わずかに軌道をらすことはできた。

 天然者の右手刀が、五十郎の左肩に命中する。

 好スタートの勢いが乗った、あまりにも重い一撃。

 それゆえに、五十郎の体は回転扉みたいに半回転した。

 即ちいま、天然者に五十郎の背が向く。


「は?」


 天然者はその背に、速度抑制装置スピードリミッターが壊れた濃紺の二十五トントラックのフロントを見出みいだした!


 港湾道路が震撼しんかんし、蜘蛛の巣状に割れた。

 さかしまに波が立ち、砕けた。

 遅れて、海面に無数の波紋が生じるさまは、拍手のようだった――貼山靠てんざんこうの残心を取る、天堂五十郎への。


 では、カメレオンの天然者はどこへ行ったのか?


 ……もう、どこにもいなかった。

 倉庫の壁に点々と貼り付いた肉色の染みだけが、彼の名残なごりだった。

 主の死を悟った忍者カメレオンたちが、一匹、また一匹と入水して、葬送曲を奏でていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る