第35話「草刈り」

 こ、こいつは――『あの路地』でった、中折れ帽の天然者! 容易ならぬふたりの天然者を従えながら、そのふたりをあっさり見限り切り捨てた、恐るべき男! なぜ、日中の公園の芝生広場なんかにいる!? 祇園が呼んだのか!? ……なぜ!?


 思わず半身はんみになってしまったのは、中折れ帽の天然者を警戒してか、それとも腰が引けてか、五十郎にはわからなかった。それを見てであろう、中折れ帽の天然者の揺らめく顔の口に相当する箇所が、ぐにゃりと飴みたいに曲がった。


「どうも、大いなる誤解を受けているようだね。今日は、きみに危害を加えるつもりはない。むしろその逆で、大いなる福音ふくいんをもたらしにきたんだよ」


 笑ったつもりらしかった。

 彼らを遠巻きに眺める見物人たちは、お互いの顔を見合わせて首を傾げている。中折れ帽の天然者の声が聞こえていないのだ。三尺四方にしか聞こえぬ忍者の声音こわねである。五十郎は応じて、忍者の声音で問う。


「ふ、福音? ……説明とやらか?」


 そういえば、祇園が『スランプの説明は彼がする』というようなことを言っていた。


「それがひとつ」


 中折れ帽の天然者、人差し指を立て、頷いていわく。


「ずっと、きみたちのいくさを見させてもらっていたが――」

「ま、待て! なんだって!? ず、ずっと!?」

「人手不足になったものでね。きみたちの活躍で」


 中折れ帽の天然者は、特に皮肉っぽくはないものの、微妙な言い回しをした。五十郎は祇園を見た。祇園は頷いた。


 ぜ、全然気づかなかった……


「続けていいかな? よさそうだね。

 天堂五十郎くん。きみは最初の一週間こそ彼女を殺すつもりで戦っていたが、それ以降は、彼女のつぎの――そのつぎの、そのつぎのつぎの一手を探り、確かめるように戦っていた。ちがうかね? わたしは、それが悪いとは思わない。なぜかって? それはきみ自身が、一番よくわかっているはずだ。

 しかし、きみはいつしか、それに慣れてしまった。

 誤解を恐れずに言えば、練習に慣れてしまったんだな。

 すると、にぶるものがある。

 勝負勘だよ。

 きみは実戦から遠ざかりすぎて、勝負勘が鈍ってしまったんだ。だからいつまで経っても、勝負どころの五十手目をしのげないんだよ」


 その説明はに落ちた。五十郎は否定できなかった。

 言われてみればそのとおり、それこそ中折れ帽の天然者たちと遭遇するまえとあとでは、祇園との戦の目的はちがった。それ以前は祗園を殺そうと闇雲に戦っていたが、それ以降は、一撃必殺技を決める隙を見つけるため、祇園の全自動戦闘プログラムの解析を目的に戦っていたのだ。

 鈴木との練習も、命の危険はあるとはいえ、所詮は練習にすぎない。その危険性も、いまでは低くなっている。


 だから、勝負勘が鈍った。


 五十郎はショックを受けた。なんとなれば、忍学を卒業して以来、アサニンとして常に第一線で戦ってきた自負じふがあったからだ。警察官僚の道を選んだことで、実戦から遠ざかるであろう卒業生たちをあざけってさえいた。

 その五十郎自身が実戦から遠ざかり、勝負勘を鈍らせるとは、なんたる皮肉か!

 五十郎はいいのをもらったボクサーみたいに腰砕けになり、息を切らしながら言った。


「ど……どうしたら?」

「そこで、ふたつめだ」


 中折れ帽の天然者、中指を立て、頷いていわく。


「これぞ、きみを待ち受ける大いなる福音……」


 そこで区切ると、中折れ帽の天然者は祇園のほうを向いた。祇園は頷いた。


「ふたつめもわたしが説明するのか?」

「うん」


 中折れ帽の天然者、肩をすくめて曰く。


「実戦だよ。鈍った勝負勘をきたえなおせるのは、実戦だけだ。ちょうど、おあつらえ向きの相手がいる――」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 五十郎は両手を突っ張り、さえぎった。


「おれに暗殺を依頼するつもりか? あんたも知ってのとおり、おれはすでに依頼をけている。アサニンギルドのおきてじゃあ、一度に請けられる依頼は一件まで。重複して請けることは認められていない。依頼人に失礼だし、何件も依頼を重複して請けたアサニンが、一件目の依頼に失敗して死んだりしたら、アフターケアに要する労力は想像もできないからだ。その掟を破れば、抜け忍とみなされて、命を狙われることになる」


 アサニンギルドの追手からのがれながら祇園暗殺をこころみることなど不可能である。というより、追手に殺される可能性のほうが高い。中折れ帽の天然者の申し出は渡りに船かと思いきや、その川は三途さんずの川だった。

 しかし中折れ帽の天然者は、


「それは、わたしがギルドにかけあってあげる」


 と言った。呆気あっけに取られる五十郎に、中折れ帽の天然者は、立てたままの二本の指をひらき、ピースサインにして見せた。


「『お誂え向きの相手』は、ギルドの抜け忍だからね。これは依頼じゃあない。『草刈り』だ」


 その一言で五十郎は、中折れ帽の天然者もまた、アサニンギルドの忍者なのだとわかった。忍者の仕事は暗殺だけではないのだ。

 さて、アサニンギルドの問題は解決したが、まだ問題はある。


「し、しかし、ギルドが納得しても、おれの依頼人が――」


 言いかけて、五十郎は想像した。彼が抜け忍の追討ついとう――『草刈り』におもむくと知ったら、鈴木はなんと言うだろうか? こう言うにちがいない――『返り討ちに遭ってきてもいいんだぞ』と。


「問題なさそうだな?」


 依頼人も問題なさそうだった。

 残る問題はただひとつ。

 罠の可能性が否定できないことだ。なにせ、一度は五十郎を殺そうとした、中折れ帽の天然者が持ってきた話である。


「どうして、あんたがやらないんだ?」

「わたしは嫌われていてね」


 五十郎が探りを入れると、中折れ帽の天然者は肩を竦めた。


「彼は、わたしが北から追えば包囲の南を破って逃げ、西から追えば包囲の東を破って逃げるんだ。逃げるのが得意なんだよ」

「……おれ相手なら、そいつは逃げずに戦うってことか?」

「きみは、なめられやすいからね」


 否定できぬ!

 五十郎が歯噛みしながら、なおもあれこれと検討していると、中折れ帽の天然者はまた肩を竦め、今度は首まで振りながら言った。


「あまり、彼女に恥をかかせるものではないぞ」

「彼女……?」


 ……祇園のことか? なんで、祇園が出てくる?


 中折れ帽の天然者には、五十郎の心の声が聞こえるらしい。彼は残る三本の指を立て、手をひらくと、それを祇園のほうに倒した。


「この話は、彼女がわたしに持ちかけてきたんだから」

「え?」


 五十郎は祇園を見た。祇園はいつものように顔色ひとつ変えないまま、ピースサインをしていた。中折れ帽の天然者の仕草を真似ているのだろう。


「なっ、なんで?」


 五十郎が問うと、祇園はピースサインをしたまま言った。


「悩んでたから」


 それはたった七文字ではあったが、五十郎には、俳句の二句に勝るとも劣らない情緒にあふれているように感じられた。

 勿論、中折れ帽の天然者が用意した『実戦』がなんであろうとも、五十郎ならクリアすると祇園が信じているようであることも、五十郎の胸を打った。

 しかしそれにも増して五十郎を驚かせたのは、あの一言目には『どうでもいい』、二言目にも『どうでもいい』と言っていた祇園が、他人の心情をおもんぱかったばかりか、そのために行動を起こしたことであった!


「ど、どういう風の吹き回しで……」


 五十郎が信じられないような気持ちでうめくと、祇園は首を傾げた。


「『頑張ろうね』って言ったでしょ?」


 ……ややあって、中折れ帽の天然者が、


「やるだろ?」


 と確認するように尋ねた。その声は笑っていた。


「……やってみよう」


 五十郎は頷いた。『忍法火遁かとんの術』が暴発しそうだった。




 その日の深夜!

 五十郎は、中折れ帽の天然者に指定された持ち場――芝浦埠頭の北東、立ち並ぶ倉庫と東京湾のあいだをまっすぐに貫く、だだっ広い港湾道路上に立っていた。

 最終世界大戦で日本以外の国家が滅亡して以来、貿易という概念はなくなって、一時、港湾運送業界には暗雲が垂れ込めたが、もともと国内貨物の埠頭として利用されていた芝浦埠頭はその影響をまぬがれて、いまも昔も隆盛りゅうせいを誇っている。

 ただ今夜は、五十郎のほかには誰もいなかった。中折れ帽の天然者が手を回したのかもしれない。

 風は強く、巨大な倉庫群に挑むかのようである。一方で、海は死んだように静かだった。そのおもてに映った、常夜灯じょうやとうの無機質な光が揺れていなければ、波もあるかなきか。

 殺伐さつばつとした夜だった。

 五十郎は目を閉じて、中折れ帽の天然者とのブリーフィングを思い出す。


『まず、わたしが彼を芝浦埠頭に追い立てる。彼が埠頭に入ったら、わたしの仲間の忍者ときみとで、埠頭を包囲するんだ。しかるのち、わたしは南から埠頭に入る。彼は北上しながら、包囲網の穴を探すだろう。

 その穴が、きみだ。彼にとってはね。彼は必ず、きみの持ち場にあらわれる。そのとき、殺してもらいたい。

 りにする必要はない。彼は罪を重ねすぎたからね。法の外にも罪はあるものだ。

 ああ、彼が海に逃げる可能性は考慮しなくていい。彼らが泳げないからね。

 え? なぜ、彼にとってきみが穴かだって? それはね――』


 五十郎の耳は、風にまぎれた音を聞き逃さず、五十郎の鼻は、潮に混じった臭いを嗅ぎ逃さなかった。

 ひるがえした右手が、飛来とびきたる柔らかくぬるぬるしたものを掴んだ。

 五十郎は目をあける。

 右手のなかから、夜に伸びているものがある。

 ミミズのようなものが、虚空に向かって伸びている。

 と見るや、徐々にその虚空に色がにじんでゆき、解像度が低い画像のような、妙にぎざぎざした輪郭をびはじめた。

 やがてあきらかになったその姿いかにといえば、あたかもひとの形のジグソーパズルのよう、裸身に隙間なく無数のカメレオンを敷き詰めまとわせたる異形――

 

 『あの路地』で遭った、カメレオンの天然者だった。

 

 五十郎の右手が掴んでいるのは、忍者カメレオンの一匹から伸びた舌だ。まさか不意打ちを防がれるとは思ってもみなかったのか、カメレオンの天然者は茫然自失として、カメレオンみたいに左右の目を別々に動かしている。

 カメレオンの天然者が、驚きと動揺のあまり集中力を欠き、隠形おんぎょうたもてなくなったことに疑いはなかった。


 『忍法避役隠形かめれおんぎょう』は破れた!


『それはね――彼は一度、きみに勝ったと思っているからさ』


 クスクス笑いながら嘲る中折れ帽の天然者の姿を思い出しながら、五十郎は告げた。


「どうした? やっと、姿をあらわせたのに――笑わないのか?」


 カメレオンの天然者の顔が、憎悪にゆがんだ。

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