第12話 怒り心頭のマコト

 ジンが毒に倒れたことを知り、全速力で駆け付けるマコト。念波の様子からは、危険極まりない状況だ。敵がいなければ、ソフィアの力で何とかなるかもしれないが、敵が健在なら、ジンが回復する前に、ソフィアも他の人もみんなやられてしまうことは明白だ。


 マコトはファーストクラスのパーティション入口に到着し、シールドを解除して中に飛び込むように入る。


 ダダン、がしゃ。


 マコトは駆け込むと、同時に入口をシールドで塞ぐ。息を切らしながら、ジンの姿を探す。


「はぁはぁはぁ、パパ、パパァ?」


 ジンを視界に捉えた。


「え! パパァーっ!」


 ぐったりと倒れているジンの姿が飛び込んできたマコトの瞳は、一瞬で怒りの表情に変わる。ジンのそばに今すぐ駆け寄りたいが、ジンにはソフィアが付いている。敵が健在なら、そちらの対処が優先だ。今にも迫り来る敵から目を離すわけにはいかない。


「パパァ? パパァ? パパァ?」


 敵の姿を捉える傍らで、必死に呼び掛けるマコトの言葉に、ジンからは何の応答もない。ジンはどんなときでも、呼び掛けると必ず返事だけはくれていた。例え寝ていてもだ。それができないのは、完全に意識を失っているか、それができないほどの瀕死の状態に他ならない。


 これは夢? パパほどのスゴい力なら、目の前のクズ野郎に負けるはずがない。一体どんな汚い手を使った? そういえば、毒針、サイコキネシス、軌道を変える、の単語が念波で届いてた、と記憶を振り返るマコト。毒といい、爆弾といい、さらにはサイコキネシスで意表を突く攻撃を仕掛ける。どこまでもいやらしい、なんて卑劣で残虐なのか。許せない、赦せない。そんな思いが怒るマコトの感情に火をつけ、油を注ぐ。いや、この状況においては、不充分な表現だ。ジェット燃料をドクドク注いで、アフターバーナーを点火するほどの勢いだ。


「おや? なんと可愛らしい、娘さんかな?」

「お、ま、え、かぁぁぁ! おまえがパパをやったんだな?」


 マコトの怒りの感情は、一瞬で燃え盛る炎のように、異常な高まりを見せ、急激に膨れ上がる。


 ジンはやはり瀕死の状態だったようで、マコトの危険を案じて、念波にもかかわらず、やっとの思いをひねり出す。


 『……マコト……ダメだ……逃げろ……』


 紡がれた言葉は、そんな状態を察するに充分すぎるか細さだった。


 『逃げない。赦せない!』


 マコトの激情に呼応するように、纏うオーラは溢れんばかりの魔力を蓄積し、どんどん密度を増していく。空気はゆっくりと集まり周囲の気圧は下がっていく。密度の濃い空気は寄せ合い擦れ合い、生じる静電気がビシビシと空気を震わせる。まさに低気圧のような構図となるが、大自然のそれとは違い、上昇気流は生まれない。この状況はマコトの身体の表面から少しだけ浮いたところに形成される薄いオーラの層に吸収され続ける。


 しゅーーーっ・・・

 っと、吸収される空気からそんな音は生じない。震わせる媒体がないため全くの無音だ。しかし、微細な空気圧の変化やそんな流れを感じ取れる繊細な感覚の持ち主ならば、そんな状態を音のように捉えられる種類の人間もいる。野性の動物なら、もしかすると普通に備える能力かもしれないが、マコトたちを除くふつうの人間にはおそらく聞こえることはないだろう。


 次第に圧縮される空気はどんどん熱を帯びていく。大気の場合、熱量の差異により対流が生まれ、雲、雨、風と、変化を収めるべく自然に大気は安定へと向かう。しかしマコトのオーラに纏われた空気構造の場合、上方になど逃がしたりはしない。それゆえに、ゆっくりではあるが、ひたすら吸い込むだけのブラックホールのような状態となる。ただ、見た目はそれほど異常な状態とはならない。強いていえば、熱を帯びているせいか、わかる者にはやや赤みがかった印象を感じ取れるかもしれない。


 ほかには、ほんの少し静電気が弾け、気圧が低下するくらいだろうか。気圧の低下は、ここ航空機の中では変化に追従し気圧を一定に保とうとする航空機の機構により、異常な状態と認識してフル稼働で対応しようとする作動音のうるささが、周囲の者にとっては一番の異常な状態と言えるかもしれない。


 男にどれほど認識されるかは不明だが、そんな微細な変化を除いても、わかる者にはその尋常ではない状況が認識される。ジンの治癒に掛かり切りだが目だけは一部始終を視界に収めていたソフィアは、顎がはずれそうなくらいの開口状態で目を見開いたまま驚くほどに常軌を逸した状況であることは間違いなかった。治癒途上のジンですら、空気集結の密度の変化は、肌で感じられるほどの威圧感があり、オーラの層の中でぎゅうぎゅうに圧縮される空気から推測される熱量の凄まじさを想像するだけで、飛行機が消し飛ぶのではないか? と思えるような状況に身震いしてしまうほどだ。

 未だ落ち着き払っている、マコトの目の前のこの男は、武術か暗殺術には長けていても、異能という観点では、本人が誇るほどの能力者ではないのかもしれない。


「ほぅ、娘さんも異能を充分に受け継いでいる。いや、なぜかそれ以上のものを感じるぞ? ふむ、もしかして母親もスゴいのか? 大変興味深い。そうか、この子がその集大成なのであれば、この子を連れ帰れるならば、他は要らないか、ふむ」


 ソフィアは、念波でマコトに語り掛ける。能力では圧倒するはずのジンですら、男の策にはまり、毒に倒れたことから、仮に能力は勝っていても、心配が尽きることはない。


 『何とかなる策でもあるの? マコちゃ』

 『ないけど、何とかする』


 怒りが振り切れてるマコトは、念波での言葉もトーンは低い。


 『わかった。私もシールドとかで、危ないときは援護するわ、パパが復活できるまで、なんとか持ちこたえてくれるだけでいいからね!』


 ソフィアを見やり、マコトは無言で頷き、男に向き直る。


「パパを殺そうとする、おまえは絶対に赦せない。たくさんの人の体内に爆弾を仕込んだのもおまえなんだな! 神様が許してもマコは一切容赦しない」

「ほほぅ、その小さな躯体で何ができると? ふむ。殺さず連れ帰りたいから麻痺毒か?」


 マコトはいつも本気の言葉を吐く。そのマコトが一切容赦しない、と言ったことは、自分を抑制するリミッターも解放するということ。マコトは内に秘める怒りを少しずつ身に纏いながら男にゆっくりと歩み寄る。両手に如意棒を固く握り締め、ひたすら伸縮させる連打を始める。最初は距離を確かめるジャブのような打突で。しかし、まだ男は脅威には感じてはいない。


 膨大な魔力を余すことなく放とうとするが、自身の防衛本能と、敵と定める目の前の男以外を傷付けるつもりのないマコトは、自分の表面と、煮えたぎるオーラの外側を冷却する、無意識下の抑制作用が働いていた。そう、3層構造のオーラが形成されていたのである。どんどん膨れ上がる魔力で真ん中の層のオーラはマグマの如く煮えたぎる。その熱量の増加に応じて、両側のオーラ層は急速に温度を失っていく。辺りは徐々に冷ややかさを増していくが、それが男の脅威を感じるセンサーを鈍らせていた。


 目の前の幼き少女に畏怖など微塵も感じない男は、余裕の表情を浮かべ痺れ針を大量に放つ。


 シュシュシュシュ。


「はい、これでお終い!」


 が、マコトが全身に纏う、煮えたぎるオーラに届く前に、その外の冷たいオーラで冷やされた空気は気流を生み、表面は、静かだが超高速の風を纏う状態となっており、針は力なく弾かれる。マコトのオーラに触れた針は、男のサイコキネシスらしき力の呪縛からも遮断される。


「なに? 何が起こってる?」


 状況を掴みきれない男。今度は拡散しない指向性と威力速度が最大のありったけの針を放つ。


 シュシュシュシュシュシュシュシュ。


 が、男の思惑通りに風に弾かれずに進む針も、マコトの煮えたぎるオーラ層に届いたものの、灼熱の熱さの前には敢えなくとろけ落ちる。


「バ、バカな! なんなんだこの娘は」


 そうしてる間に、ゆっくりと距離は詰まり、ジャブのような如意棒の連打が当たり始める。


 パシッ、カスッ、パンッ、ドスッ、ドドン。

「ちっ、うっ、ぐほっ」


 遠くからでも当てることは可能だが、遠い間合いでは、避けられたり、他のものを壊したり、何よりも今のマコトの怒りが削がれてしまう気がするためか、逃れられないように追い詰めて、至近距離により打突することを無意識に選択していた。


 ドドドン。

「ぐほぅっ」


 男は反撃したくとも、針は尽き、チェーンは使えず、何よりも、他の暗器を取り出そうにも、マコトの怒涛の連続攻撃の前にはそのいとまが見いだせない。男は知らず知らずのうちに後ずさるが、いつの間にか壁に垂直な退路を強いられていたことに気付く。背に壁が当たり、もう後がないことに。そしてそんなことに気付けないほど、余裕を失っていたことに。


 ドドドドドドン!


「あがっ、ごがっ、ごごっ。ゴボッ……」


 マコトの如意棒の打突は主にお腹に向けられた。その衝撃は胃液とともに、内蔵破裂による吐血まで引き起こす。


「赦さない。赦さない。赦せない……」

「ま、待ってくれ! 話を聞いてくれ! あ、いや、ゆ、赦してくれ! グボッ」


 ベチャッ


 さらに間合いを詰めていく。するとマコトは身に纏う灼熱のオーラで男を包む。


「熱い熱い熱い、止めてくれぇ! うぎゃーーっ! かはっ」


 男は燃えて、皮膚がただれ始める。


「マコト! もういい。もう充分だ!」


 しかし、怒り心頭のマコトに、ジンの声は届かない。


「う、がはっ」


 男はあまりの痛みに失神する。もう死ぬ直前の状態で息もしていない。


 『マコト!!! パパは大丈夫だ!』


 念波で届くジンの声にようやく気付き、はっ、と我に返るマコト。纏うオーラはこの一瞬で解かれ、平常のマコトに戻る。

 圧縮空気は、ふわっと周りに馴染むように解放するが、周囲の気圧は急に高まり、付近の人は、一瞬だが、耳に軽い圧と痛みを感じる。もちろん航空機のエアコンディショナーやコンプレッサーは大忙しだ。オーラの冷と熱はうまく中和するが、そのとき生まれる水蒸気で、ふわっと霧に包まれ、辺りを覆い隠す。そして、ゆっくりと霧散していく。


 『え? パパ? 無事だったの?』

 『あぁ、ソフィアの癒やしがなければ死んでいたかもしれないが、なんとか救われたみたいだ。でも戦いの手助けは要らなかったみたいだな』

 『あぁぁ、無事でよかったよぉ。でも、え? 戦いは終わったの?』

 『覚えてないのか?』


 次第に霧は晴れ、辺りの子細が明らかになっていき、目に映る状況にマコトは仰天する。


「え? なに? ぎゃー、誰? 死んでるの? 酷い火傷。惨い。誰がやったの?」


 マコトはただただビックリしていた。


「いや、マコト、お前だよ」

「え? マコがやったの?」


 マコトは考え込む。ジンが倒れているところを見るまでは、まだ冷静だったことを思い出す。そこから先のこと、ジンが毒に倒れたことを事前に知って、実際に倒れている姿を見た瞬間、マコトにとって尊いとても大切な存在を奪おうとする者に対して、許し難い、途轍もない怒りが沸き上が……あれっ? ……そこからがもやもやしている。っと、記憶の混濁を自覚する。


「ソフィア? この男、ヤバいかも? オレは蘇生を、ソフィアは腹部あたりの治癒を頼む」

「わかったわ。もう始めてる。それより、マコちゃは身体に異常はないの?」

「え? あぁ、うん。何ともないよ。っというか、むしろ絶好調。力が漲る感じだよ?」

「もしかしたら、マコちゃは真の力が覚醒したのかもしれないわね?」

「真の力?」

「ママもまだその境地には至ってないから、詳しいことはわからないのだけど、母、アイリ、マコちゃのお祖母さまね。そのアイリから聞いたことがあるわ。私達の力にはその先があるって。今はこいつの回復に専念したいから、その話はまた後にしましょう?」


 今更だが、ソフィアは魔女の末裔だ。ただし、遥か昔から受け継がれる生粋の魔女の血筋なだけでなく、約800年前、その中でも桁外れな能力を有する魔女と、極東のとある武人との交わりから化学反応的に生まれ出づる、圧倒的な力を備える魔女の末裔でもあった。その能力たるや、他を遥かに凌駕する稀有かつ秀逸極まれりな存在でもあり、漆黒の髪で生まれてくるその特徴から、知る人ぞ知る、『漆黒の魔女』と呼ばれるが、永い時を経て、その血の特性は徐々に薄まる傾向にあった。しかし、ソフィアと運命的に結ばれることとなったジンは、何の偶然か、極東の武人の血を継ぐ末裔でもあった。


 そしてそんな血を引くマコトだが、800年もの時を経てのまさに奇跡的な邂逅によって、更なる化学反応のごとき、圧倒的な力をもたらす資質を秘めるものと推測されている。まだ幼い身ゆえの資質形成の入り口付近かもしれないが、にもかかわらず、普通の魔女の力量ならば、あっさりと置き去りにしてしまえるほどの能力は既に使いこなすに至っており、そこからの伸び代を考えればこそ末恐ろしさも半端ない。


「うん、わかった。でも、この人のこの酷い状況はマコがやったらしいけど、よくは思い出せないなぁ。ただ、何人もの人を殺した悪い人なんでしょう? そんなに必死になって助ける必要もないんじゃないの?」


 マコトは、多くの人はもちろん、自分達まで殺そうとした相手をわざわざ助けることに疑問を感じずにはいられなかった。


「ああ、そうだな。こんなヤツは死んで当然だが、それでも死なせてしまったらマコトを苦しませてしまうからな。それに殺人罪に問われないとも限らない。絶対生かすぞ! ソフィア」


 日頃のあまりの聡明さに接していたからこそのギャップを感じるマコトの考え方を耳にして、やはり年端のいかない幼女の一面なのだと再認識するジン。頬がやや上がり、愛おしさとともに守りたい思いの深まりを感じながら、目前の男の蘇生に集中を見せる。それにはソフィアの力が不可欠であり、蘇生成功に向けてソフィアとともに鼓舞の言葉をかける。


「任せて。でも完全には治さないわよ。こいつに殺された人は何百人いるかわからないもの」


「あぁ、それでいい。生きてさえいれば、良くて終身刑、裁くのはオレ達じゃなくていい」


「マコのため? マコなら大丈夫だよ。あぁでも罪を背負うのは……やっぱり避けたいかな」


 悪いやつをやっつけたことで自分が苦しむ? どうして? と疑問が生まれるが、それが罪になるのなら、と『罪』のワードには過剰に反応するマコト。


「あぁ、罪ももちろんあるんだが、そんなことよりも、人を殺すということは良くないことなんだ。人をたくさん殺したこの男はすごく悪い人になるけれど、その男を殺す、ということはマコトも人殺しになってしまう。罪に問われなくても、その事実は残る」


 マコトは連想する。そういえばと、そういうドラマやアニメを沢山観たことを思い出す。人を殺したことを知った友達や知らない人、マスコミまで、多くは怖がられたり、避けられたり、苛められたり、新聞やテレビでは面白がる誰かに好き勝手なことを言われたり、そのうち世間から糾弾されたり、心が病んで耐えられずに生きることを諦めたり、そんな動画のコマが数珠繋ぎのように脳裏を駆け抜ける。それぞれいろいろな結末だが、手放しで喜べる幸せな結末はほとんどない。実体験ではなく観た記憶だが、詳細はわからなくとも、ジンやソフィアの言っていることの先に待っているものが重いということだけは理解するマコト。


「あぁ、そうか。そうだね。けっこう重いね」

「それに今はまだ記憶が混乱していてわからないと思うけど、人の命を奪うことの怖さは、これからのマコトの人生の中の消せない記憶として、ずっとマコトの心を蝕み続けるんだ」


「そ、そういうものなの?」


「あぁ、まぁ、今回の場合はあまりにも残虐非道な輩だからそれほど悔やむ気持ちは生まれにくいかもしれないけど、それでも命は命。たとえ大悪人でも命の重さは変わらない。マコトもこれから成長していつか命の重さを実感できるようになったとき、心がその重さに耐えきれなくなってくると思う。だからそうならないために法による裁きというシステムがあるんだ」


 先程の連想内容も、マコトの脅威の記憶力ゆえに、ストーリーに沿って貼り付けられた絵面がそのまま記憶に留まっているだけで、心情や背景事情といった、中身への深い理解はない。が、今のジンの話す内容も、そんな絵面が何かで観た記憶と重なることに気付く。確か退役した軍人さんが、現役時代に敵とはいえ人を殺めた過去に苦しむ話だったと、記憶を振り返る。


「わかった。理解はまだ半分だけど、パパもママもマコのためにしてくれているってことなんだね。2人ともありがとう。愛されてることがすごく実感できる。パパママ愛してる!」


「お、おぅ」


「うふふ、私もよ。マコちゃ」


 マコトに返事とアイコンタクトを交わした両親は、目の前の命が失われないための蘇生活動に至急で復帰する。それほどに重要な局面であり、ここで気を抜けば蘇生は失敗するからだ。


「それでジン? 内臓はなんとかなりそうよ。問題は火傷ね? それだけでも死んでおかしくないくらいの大火傷だわ? 今、皮下組織から再生を促している。これ、時間が経ってたらどうにもならなかったかもしれないけど、直ぐの治癒だからなんとかなるかもしれないわ。心肺蘇生はうまくいきそう?」


「あぁ、微かだが呼吸は取り戻せている。ショック症状でもない限りは大丈夫じゃないか?」


 それから、男はソフィアの懸命の治癒で、みるみる回復していく。

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