一年の月日

 4月になり、僕は入社した。

 着なれないスーツ、まだ上手く巻けないネクタイ、ビジネス用の黒いリュック…

 そう、小学校のランドセル、中学校や高校の真新しい制服のように、誰がどう見てもだった。

 最初の1ヶ月を目処に、オリエンテーションで会社について学んでからブラジルへ向かう事になっている。滞在先は日本語でも大丈夫な環境だけど、やはりポルトガル語には慣れておいた方が良い、という事で語学も学んだ。

 そして出発の日が来た。


 空港には母さん、絢也、じぃちゃん、ばぁちゃん、裕太、牧野さん、そして澤村会長も見送りに来てくれた。挨拶をしている時に、遠くで人が行き交う一瞬、綾小路鈴華の姿が見えた気がした。

「翔吾、どうかした?」

「いや、なんでもない。」

 きっと見間違いだろう…

 呼び出しのアナウンスが流れる。

「じゃあ、行ってきます。」


 

 ブラジルに着いてから、毎日が忙しかった。勉強に仕事、もともとコミュニケーションが苦手な僕は、言葉の壁があった…なんて事はなかった。現地ではフレンドリーな人が多く(たまにそうじゃない人もいるけど)、またコーヒーの関係者になると、なんとなくニュアンスや聴き慣れる単語でなんとかなった。と言う事にしておこう。

 仕事はコーヒーのカッピングがメイン。現地で収穫された豆の品質評価に、小型のサンプルロースターを使って焙煎(ばいせん)をするサンプルロースト。これが僕の一番楽しい時間だった。

 



 そして一年が過ぎ




 カラン…

 鈴の音と共に、店のドアを開ける。

「いらっしゃいませ〜。」

 カフェエプロンをして、接客している綾小路鈴華の姿があった。相変わらず小さいけれど、髪はお団子頭で可愛らしく、少しだけ大人びていた。そして、振り向いたその瞳は大きくこぼれ落ちそうだった。

「翔吾様…ですの?」

「うん。」

「びっくりですわ!帰国だなんて知りませんでしたもの。肌も真っ黒に日焼けして、髪も伸びて…誰だかわかりませんでしたわ。」

「おや、翔吾か。もう帰ってきたのか。」

「ただいま、じぃちゃん。びっくりさせようと思って、連絡しないでまっすぐここに来たよ。綾小路さんに働いてもらってるんだね。」

「いいえ、翔吾様。今はですわ。」

「え?牧野?」

「綾小路家を出て、父と暮らしてますの。学費を稼ぐ為に、こちらでアルバイトをさせていただいておりますの。」

「そうなんだ。それはビックリ。」

「鈴華さんに手伝って貰ってるおかげでな、男性客が増えたよ。」

 じぃちゃんは笑いながら言った。

「嫌ですわ、マスターったら。」

「元気でよかった。また来るよ。とりあえず会社に報告行って、家に帰る。」

「ああ、いつでも来なさい。」



 

 


 

 

 

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