練乳をかけるなら、今日みたいな桜舞う春の日に、貴女から私に。

はんぺんた

練乳をかけるなら、今日みたいな桜舞う春の日に、貴女から私に。



 春は嫌いだ。

 志穂子と別れた中学の卒業式を思い出すから。

 桜の美しく散る頃は、とくに嫌いだ。桜吹雪が幻想的で夢みたいだったあの日を思い出すから。

 舞い散る桜が美しすぎて、なんだか急に不安になって、思わず彼女の手を握ってしまったあの日。

「そばにいるよ。大丈夫だよ」と言ってくれた志穂子の笑顔と握り返してくれた手の温もりを思い出す。

 桜並木の下を歩くたび、いまは隣にいない彼女のことを考えずにはいられない。

 もう会えないのだという現実に胸が締めつけられて涙が出る。

 二十年以上たっても忘れられない。きっとこれからも一生、桜を見ると悲しくなるのだろう。

 こんなふうに。

 涙がまた。



 頬に触れるやわらかな感触に目を覚ます。ベッドサイドのランプがオレンジ色に光り、周囲をほのかに照らしている。

 すぐ隣で志穂子が心配そうにこちらを見つめていた。

 おとな二人が眠るには狭すぎるシングルベッドがいまはありがたい。

 私にぴたりとくっつくように体を寄せてくる志穂子の体温をパジャマ越しにも感じて、夢でみた喪失感が消えていく。


「こわい夢でも見た? 泣いてたよ」

「うん……。でも、起きたら忘れちゃった」

「そうなの? 優希ちゃんが泣いてるからびっくりしたよ」


 そう言って、涙をすくう様に私の頬を指で軽く撫でてくれる。


「心配させてごめん」

「ううん。もうこわい夢みないように、もっとくっついて寝ようね。優希ちゃん、おいで」


 まるで子供をあやす母親みたいだ。私は志穂子に言われるまま身体を寄せる。おでこにキスをされて、優しく抱きしめられて、背中をトントンされて。

 本当に赤ちゃんみたいに甘やかされる。ふわふわと柔らかな胸元に鼻をよせてスンスンと匂いを嗅ぐと、練乳みたいな甘いかおりがして、あたたかくて心が安らぐ。

 志穂子には夢の内容を話せない。不安になってると思われなくない。

 だって、今はこんなにそばにいるのだから。

 心地よい一定のリズムで背中をトントンされて優しさに包まれながら、私はまた夢の中へ誘われていった。



 カチャカチャという食器を並べる音、チンというトースターの音、パンの焼けたいい匂い、こぽこぽとコーヒーを入れる音。

 眠い目をこすりながらキッチンへ向かうと、そこに広がるのは志穂子のいる幸せな朝の風景だ。


「おはよう」

「おはよう〜。ちょうど朝ごはんできて起こそうと思ってたところ」


 朝に弱い私とちがって、志穂子はいつも私より早く起きて朝食の用意をしてくれる。

 私の家のキッチンだというのに、もう完全に調味料や食器の位置を把握していて、まるで彼女の家のように手際良く準備をすすめている。

 志穂子がテーブルにお皿を並べている間に、私は寝癖もそのままにのそのそとイスに座る。


「優希ちゃん、今日の寝癖も可愛いね」


 クスクスと笑いながら、エプロンをはずして志穂子も席につく。


「いただきます」

「はい、どうぞ召し上がれ。わたしもいただきます」


 志穂子と晴れて恋人同士になってから、もうすぐ一年。忙しい仕事の合間をぬって、デートしたり、お互いの家に泊まったり、幸せすぎる日々を過ごしている。

 それなのに、昨日はなぜあんな夢をみたのか。理由は多分あれだろう。

 机の上に置いてある一通のハガキ。数日前に届いた中学の同窓会のお知らせだ。

 十年くらい前にも同窓会はあったけど、そのときは欠席をした。

 志穂子に会えるかもと思ったけれど、当時は付き合い始めたばかりの彼女がいたし、いざ会えたときのことを考えたら怖くなってしまったからだ。

 でも今回は志穂子と二人で出席すると決めた。決めたはいいが、私にはひとつ重大な心配事がある。

 志穂子が離婚したことが知られたら、ここぞとばかりに言い寄ってくる奴がいるのではないかということだ。

 出席するかどうかわからないが、とくに笠原くんには注意しなければいけない。

 とはいっても、その心配は同窓会に限った話ではないのだけれど。

 志穂子は贔屓目なしに綺麗だ。昔から可愛かったけれど、歳とともにさらに色気も増して、魅力がグンと上がっている。

 すれ違った人がよく振り返っているのを隣で見ているからよくわかる。

 なのに志穂子にそれを言うと「優希ちゃんが綺麗すぎて、みんな振り返ってるんだよ」と、びっくりするくらい自分の魅力をわかっていない。

 そんな容姿なのに誰にでも優しくて、明るくて愛嬌があって、本当に女神さまみたいで、恋人としてはとても心配になる。

 結婚していたときは指輪もしていたし、人妻だということがわかりやすく、周りにブレーキをかけさせていただろう。

 でも、今はちがうのだ。いつか誰かが志穂子のことをさらっていってしまうんじゃないかと怖くなる。

 志穂子には私という恋人がいるのだと、印をつけたくてキスマークを残すけど、服で隠れる部分にしかつけられない。志穂子が不便な思いをしてはいけないし、それが見えることで志穂子に対していやらしい目を向けられることが嫌だった。

 恋人の印についていろいろと考え抜いた末、指輪をプレゼントしようと思いついた。もうすぐ付き合って一年の記念日だし、指輪をプレゼントするのはおかしくない。

 たとえ「誰にも渡したくない、志穂子は私だけの最愛の人なのだ」という印を刻みつけたいという気持ちが隠れていたとしても。

 昨晩は志穂子が寝たあとに指輪のサイズを測ろうとしたが、私の方が先に寝てしまい測ることができなかった。

 来週からは仕事が忙しくなりしばらく会えなさそうなので、サイズを測るには今日しかチャンスがない。明日は志穂子も仕事だし、今日はうちに泊まらずに帰るだろう。寝ている間に測るのは不可能だ。


「優希ちゃん、どうしたの? わたしの手ばっかりじっと見て」

「えっ! いや、あの、その、志穂子の指はスラッとしてて綺麗だなと思って……」


 どうやってサイズを測るか悩んでいたせいか、いつの間にか彼女の指を凝視してしまっていたようだ。


「え〜、そうかな? そんなこと初めて言われたよ〜。嬉しい。ありがとう」


 はにかんだ笑顔を向けるとテーブルの上に両手を置いて、にこにこと自分の指を眺めている姿が可愛らしい。

 嘘でもなんでもなくて、志穂子の指は女性らしい、しなやかで綺麗な指だと思う。

 この話の流れのまま、指輪のサイズをどうにか測ることができないかと志穂子の手を取る。


「私の指って節くれ立っていてあまり綺麗じゃないから……」


 そう言いながら、志穂子の薬指を上下にさすってサイズがどのくらいか確認する。私と同じくらいだろうか。いやでも、もう少し細い気もする。


「志穂子の指はそんなことないし、長くてしなやかな感じで素敵だなって思うよ。うん……私より細いかな?」


 だめだ。何度さすっても、やはりサイズがいまいちわからない。うまいこと紐かなにかを指に巻くしかない。

 だけど、いきなり紐を巻かせてほしいなんて言ったら絶対にバレそうだ。


「でも、わたしは優希ちゃんの指、好きだよ」


 どうしたものかと悩んでいると、志穂子が逆に私の手を取って、そのしなやかな指を絡めてくる。


「とくに、ここ。ほら……この、ぺんだこのとこが好き」


 私の右手中指にあるぺんだこを志穂子の指で優しく撫でられる。

 爪の先で軽くカリカリと掻くようにされると甘い刺激が指先から伝わって身体の奥を疼かせる。

 昨夜、練乳をかけた指を志穂子の歯で軽く噛まれたときのことを思い出してゾクゾクしてしまう。

 私たちは行為の最中に練乳をかけることが多い。いちごに練乳をかけて食べることが好きな志穂子に戯れでかけてみたら、思った以上に気分が高揚し、激しく乱れた。

 志穂子の潤んだ瞳、熱を帯びた息づかい、濡れた舌の感触、切羽詰まったような甘い声、すべて鮮明に蘇ってくる。


「優希ちゃんが漫画家っていう仕事を本当に頑張ってるんだなって、すごく感じるもの」

「そ、そうかな」

「うん。あとね、いま優希ちゃんがドキドキしてるってことも感じてるよ」

「ち、ちがっ……!」

「優希ちゃんは隠し事が下手だからな〜。ちなみにわたしの指輪のサイズは9号です」

「なっ……」

「だって、あんなに薬指だけ測るみたいにじっと見たり、触ったりしてるから。ふふふ、バレバレで可愛すぎるってば」


 サプライズで格好よく指輪をプレゼントしたかったのに、おもいっきりバレていたなんて恥ずかしすぎる。私はどうも肝心なところが決まらない。


「優希ちゃんの指輪のサイズはいくつ? 一緒にあとでお店に見に行こう」

「私の指輪?」

「うん。わたしも優希ちゃんに指輪をプレゼントしたいって思ってたの」

「え? そうなの?」

「だって優希ちゃんって美人だし、人気漫画の先生だし、絶対にモテるでしょ。だから優希ちゃんにはわたしっていう恋人がいるぞっていう印をつけてほしかったの」


 私の左手を優しくとると、薬指に軽く口づけしてにっこり微笑む。


「優希ちゃんはわたしだけのお姫さまだからね」


 ハートを撃ち抜かれるとはこういうことだろう。普段は可愛いのに、こういう時は格好良い。

 私はうぶな少女のように顔を赤くして「はい」と答えることしかできなかった。



「みんな元気にしてるかな〜? なんか緊張してきちゃった」


 同窓会当日、志穂子と待ち合わせして会場へ向かう。

 場所がホテルの宴会場なので、それなりにドレスアップしているが、きちんと化粧したり髪をセットしたり、慣れないヒールを履いたりで、すでに帰りたくなってきた。だけど、志穂子がしきりに「素敵……!」と褒めてくれるのでどうにか頑張っている。

 それに志穂子のドレスアップ姿も本当に綺麗でいつまでも眺めていたいから。決して露出度は高くない上品な黒のドレスなのに、袖とスカートの裾部分がレースのせいか絶妙な透け感が大人の女性の魅力を引き立てている。

 さらには普段髪の毛を下ろしているのに今日はアップにしているせいか、うなじが見えて色っぽすぎる。変な虫が近づかないように目を光らせなくてはいけない。




「志穂子ー! 久しぶり! 元気だった?」


 会場に着くと懐かしい顔ぶれが揃っていた。やはり志穂子は昔と同様にみんなの人気者だ。すぐに彼女の周りにワイワイと人だかりができる。


「えっ、もしかして遠坂さん? わぁ、久しぶり! また会えて嬉しい!」


 志穂子の隣にいた私にもみんなは笑顔で話しかけてくれる。

 中学一年生の頃はいつも一人で過ごしていた。でも、二年生になって志穂子と出会ってから、私の学校生活はとても楽しいものになった。今もこうして懐かしい友人たちと楽しく会話ができるのもすべて志穂子のおかげだろう。

 昔話に花を咲かせていると、見覚えのある、というか一番警戒していた人物がこちらに近づいてきた。

 昔よりかなりふっくらとしているが、あの顔は笠原くんに間違いない。


「結城さん、久しぶり」

「えっと、もしかして笠原くん? お久しぶりです」

「ははは。あの頃と比べると腹回りに貫禄ついちゃったから誰だかわかんないよな」


 人の良さそうな顔をクシャッとさせて恥ずかしそうに頭を掻いている。

 私は笠原くんと同じクラスになったことも話したこともないので、会話に入らず注意深く隣で聞き耳を立てた。


「ふふ。そんなこと言ったら、わたしだってそうよ」

「そんなことないよ。結城さんは変わらないっていうか、すごく綺麗になってるよ。……っと、今は結婚して結城じゃないんだっけ」

「ううん。離婚したから結城に戻ったよ」

「そうなの? 指輪してるからわからなかったよ」

「これはね、いまのパートナーからプレゼントされたの。ね? 優希ちゃん」

「えっ?! そ、そうだね」


 急に話を振られたことに動揺して、左手で持っていたグラスの中身をこぼしそうになった。

 笠原くんは視線をこちらに向けると、一瞬驚いた顔をしたあと優しげに微笑んだ。


「遠坂さんとは今も変わらず仲が良いんだね」

「うん。一番大事なひとだから」

「……結城さんが幸せそうで良かった。僕もいまとても幸せなんだ。昨日は末っ子が三歳の誕生日でね」

「わぁ、おめでとう!」

「女の子ばかりの四人姉妹で、男は僕ひとりだから肩身が狭いけどね。でも賑やかだし、毎日たのしいよ」

「四人姉妹、素敵ね! 笠原くん、娘さんたちに甘そう〜」


 そうなんだよ、と照れたように笑う彼は本当に幸せそうだ。

 笠原くんのことをいつまでもライバル視していた自分が恥ずかしい。彼はとっくに自分の道を進んで、幸せを手にしているのだ。

 その後は私も混じって笠原くんの娘さんたちの話を聞いたりとしばらく談笑した。

 彼は私たちのことに気づいたのだろうか。去り際に「二人ともお幸せに」と言ってクシャッとした笑顔を見せてくれた。



 ビュッフェで食べ物を取ってこようと友人たちの輪を離れてひとり歩いていると、いきなり肩を叩かれて話しかけられた。


「ねぇねぇ、遠坂さんっていま漫画描いてるんだってぇ?」


 薄ら笑いを浮かべた男が何度も前髪をかき上げながら話しかけてくる。

 この男性の顔にまったく覚えがないのだが、相手は私を知っているようだ。


「ええ、まぁ、そうですね。描いてます」

「遠坂さんの漫画はアニメ化とかしないの? アニメ化するぐらいの人気はまだないのかなぁ?」

「……はぁ」

「俺の知り合いの先輩の友だちの親戚がさ、アニメ化して話題の『キメッキメの八重歯』の作者なんだよねぇ。知ってるだろぉ? 八重歯で吸血鬼たちをカッコよく倒してく、あの大人気の漫画だよ。ちなみに俺も八重歯があるから会社の女の子たちからキャーキャー言われちゃってさぁ」

「……はぁ」

「遠坂さんてさぁ、ずっと独身って聞いたよぉ〜。中学一年のときもずっとひとりだったよなぁ。なんていうか暗いんだよな〜。女は愛嬌って言うけど、それがないんだよ。そんなんだからモテないし、漫画も人気でないんじゃないのぉ? せっかく顔はそこそこ綺麗なのにさぁ。まぁ、俺はそんなとこも君の魅力だと思ってるけどさぁ」


 めんどうなタイプの人間に絡まれてしまった。長々とくだらないことを並べ立てて、相手を蔑む言葉を吐き出すしか能のない類の人間は一番苦手だ。

 距離をとろうと離れてもニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてついて来る。

 先ほどの笠原くんの人の良さそうな笑顔とは対照的すぎて、余計に嫌悪感が湧いてしまう。


「人気が出る漫画の描き方とか教えてもらえるようにその作者と話してみたいだろ? 知り合いに頼んでみるからさぁ。あ、そのときは俺も同席するよ。だって君って話下手だろぉ? 俺がうまく聞き出してやるよ。だから連絡先おしえてよ。俺も実はまだ独り身でさぁ、仲良くしようよ」


 よくもここまで人を不快にさせる言葉を吐き出せるものだ。もうこれ以上、この男の言葉を聞きたくない。

 結構です、と断ろうとしたそのとき。


「痛えぇっ!」

「あっ! ごめんなさいー! そこにいたの全然気づかなくっておもいっきり踏んじゃいましたー」


 志穂子がすごい勢いで間に割って入ってきたと思ったら、ヒールで男の足を踏みつけている。


「ちょっ、また踏んでるぅ! ヒールでグリグリ踏んでるからぁぁっ!」

「ごめんなさーい。そんなことより優希ちゃん、このあと恋人と会う用事あるんでしょ? 早く帰ろう」


 痛みで涙目の男に背を向けると私の手をギュッと握り、そのまま一気に連れ去っていく。志穂子が来てくれてホッとした。

 ありがとうを伝えたかったが、志穂子はこちらを振り返らない。

 前を歩く志穂子の表情は見えないが、なにやら怒っているというのが繋いだ手から伝わってきた。



 ホテルの会場を出て、夕日に照らされた帰り道をふたり無言で歩く。

 他に人影はなく、コツコツとヒールがアスファルトを打つ音だけが響く。

 まっすぐ続く桜並木は、鮮やかで息を呑むほど美しい。だけど、いまはその美しさがあの夢の中の景色と被って寂しさを感じさせる。

 あれからずっと無言で私の前を歩く志穂子に声をかける勇気がでない。どうしたらいいのか、悩んでいると志穂子が急に立ち止まって振り返った。

 その顔は悲しげで今にも泣きそうに見えて、胸が苦しくなった。


「……すぐに助けてあげられなくてごめんね。わたしがもっと強ければ、あの人の方をつまみ出してやったのに」

「志穂子は何も悪くないよ……。あの場から連れ出してくれただけで、すごく助かったよ」

「『わたしだけのお姫さま』なんて言ったくせに、物語の王子さまみたいに悪者を退治できないなんて格好悪すぎ……」


 俯いてぽつりとつぶやく。太陽みたいな笑顔は陰り、ポロリと雨粒のように涙がこぼれ落ちる。


「そんなことない! 格好良かったよ」

「堂々と優希ちゃんの恋人はわたしだって言えなかったし」

「それも言う必要はないよ。望ちゃんにだってまだきちんと伝えてないんだもの。私たちのペースでゆっくり大事な人たちに伝えていけばいいと思う」

「……うん」

「それに、王子さまじゃなくていいよ。志穂子は私にとっても最愛のお姫さまだよ。お姫さまがお姫さまを助けたっていいじゃない」


 涙をそっとハンカチで拭ってあげる。こんなときにもっと心を軽くできるような言葉をかけてあげたり、笑わせてあげられるような人間だったらいいのにといつも思う。

 自分の語彙力のなさ、気持ちをうまく伝えられないもどかしさに悔しくなる。

 暗くて、愛嬌がなくて、話下手。あの男に言われた言葉が的確すぎて胸に突き刺さる。


「わたし、優希ちゃんと気持ちを通じ合わせてからね、自分が男だったら良かったのにって思ったことが何度かあるの」

「え? そうなの?」

「さっきみたいなことがあると、より強くそう思っちゃって、悲しくなったの。でも、優希ちゃんが『王子さまじゃなくていい』って言ってくれたから、なんか救われたよ」


 私のつたない言葉で救われたと言って微笑んでくれる志穂子に、私こそが救われている。

 きっと私には志穂子が必要で。

 志穂子にも私が必要なのだ。

 抱きしめたい気持ちを抑えて、彼女の左手をとると、薬指にはめられた指輪に軽く口づける。


「これからもずっと志穂子のそばにいたい。私と一生ともに過ごしてくれませんか?」


 飾らない言葉でいいのだ。気の利いたことを言えなくてもいい。

 志穂子が教えてくれたから。私は精一杯、思いを伝える。

 風が吹いて桜が舞う。志穂子の頬も桜色に染まっていく。

 彼女が「はい」と嬉しそうに頷く。

 花びらが踊って私たちを取り巻いた。まるで春が祝福するみたいに。


「ねぇ、今日の夜はわたしが優希ちゃんに練乳かけてもいい?」

「へっ?! い、いまそれ言う? こんな良い雰囲気のときに?」

「あはは。優希ちゃん、顔が真っ赤で可愛い〜」


 舞い散る桜の中でふたり笑い合う。手を伸ばせば握り返してくれる。愛おしい志穂子がすぐ隣にいてくれる。

 手を繋いで歩けば、あの日と同じ志穂子の温もりを感じる。あんなに苦手だった春が、いまはこんなにも愛おしい。

 志穂子と過ごす日々が私の中の悲しい思い出を塗り替えてく。これからは桜を見たらきっと今日のこの瞬間を思い出して楽しくなる。もうあんな夢は見ないだろう。

 今夜みるのはきっと、とびきり甘い夢だから。

 練乳をかけるなら、今日みたいな桜舞う春の日に、貴女から私に。



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練乳をかけるなら、今日みたいな桜舞う春の日に、貴女から私に。 はんぺんた @hanpenta

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