屠友戦記
中野ギュメ
第1話
「AIが最終進化すれば人間は釦ぽちぽちになる。」
そのどこから来たかもわからない不明な少女は廃工場の錆びたパイプ椅子に座りながらそう言った。
立ったままの胡乱な少女は問う。
「どういう事だ。」
「行動だけでなく思考までもAIが代行する。」
時刻は午前だが夜中。だというのに二人の少女が明らかに住居としていないはずの廃工場の中に居る。
不明な少女は話を続ける。
「既に人間の思考から見た物を画像で再現する実験は大体完成しているし脳波で動かすデバイスも出来つつある。」
「人間の行動を機械が代行する部分が大きくなりつつあるという訳だな。」
胡乱な少女の言葉に不明な少女は首肯し、話を続ける。
「2008年に公開されたアニメーション映画『ウォーリー』では世代宇宙船の中で何から何までAIによって管理された結果ぶくぶく太って自立も困難になった人類の姿があった。宇宙船の艦長は差し出されたマニュアルに話しかけたがあれは自然言語で操作可能なデバイスが十分に普及した未来の常識の表現だろうな。最近話題の大規模言語モデルの開発が完了した場合の未来像だ。」
胡乱な少女は首肯した。
現代社会ではタッチパネルを理解できない老害達が多すぎる。つい最近では日本の航空会社が空港から巨大な案内板を廃止してスマートフォンを利用する事を客に要求したが不慣れな客達はそれに対応できずに職員を捕まえて質問攻めにしたという報道された。もしスマートフォンが自然言語に対応した万能デバイスだったら『飛行機の案内をお願い。』から始まる会話に十分に対応できていた事だろう。
不明な少女は話を続ける。
「2013年4月から放送された『翠星のガルガンティア』というテレビアニメ作品ではナノマシンと遺伝子操作によって変化した元人間の種族であるヒディアーズが登場した。圧倒的に頑強な肉体を持つ彼等は文化も情操も捨て去り完全に怪獣化してしまっていた。人間が肉体を高度な技術で強化すればその反面知能は退化する事だろう。」
胡乱な少女はまたも首肯する。実際、脳の大きさでは鯨や象は上位に位置する。しかしそれでも文明を築き上げる事は出来なかった。便利な機械に依存するのが嫌だからと言って正反対の肉体の頑強さに頼り切る方向に舵を切ればそいつはただの野生動物に成り下がる。
不明な少女は話を続ける。
「2018年1月から放送されたテレビアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』では直接脳内に快楽を注入する人間が登場した。VRが現在一部では盛んに楽しまれているが、その過程を飛ばしたという訳だな。」
胡乱な少女は三度目の首肯を返す。VRは現実に存在する物をどれだけ再現できるかという点が重視されているが、現実の三大欲求自体が食事をする、性的行為をする、睡眠をする、という動作を必要としている。それらの疑似的な再現をVRは目指しつつあるが、その動作を無視して直接快楽を摂取すればVRなんぞ不要である。
不明な少女の説明に納得し三度首肯を返した胡乱な少女。
だが彼女はこう言った。
「君の説明は非常にわかりにくい。」
自分が理解しているかどうかはどうでも良い。とにかく不明な少女の言葉で語って欲しかった。いつまでこうしていられるのかわからないから。
胡乱な少女の胡乱な内心表明に不明な少女はこう返した。
「良かろう。説明してやる。」
不明な少女は勢いよく立ち上がり、意味も無くパイプ椅子を蹴り飛ばして語り始めた。
「まず映画『ウォーリー』。何から何まで機械によって世話されるようになれば人間は歩く事すら不要になる。機械が身体を運んでくれるのだからな。その上言葉を話せば機械がそれを受け入れて最適なサービスを提供してくれるのだから文字を読んで知識を頭に入れてそれを元に行動するという過程が完全に無駄になる。」
「だから人間は動かなくなり身体は膨れ上がりそして文字も読めなくなると言いたい訳だな。」
「文盲化については色々議論があるだろうが、肥満化については現在のアメリカ合衆国でもデパート内を電動カートで移動する肥満アメリカ人が多数存在するからありえる話だろう。」
不明な少女は蹴り飛ばしたばかりのパイプ椅子に近づきそれを二つに引きちぎって話を続ける。
「次に『翠星のガルガンティア』のヒディアーズ。圧倒的な肉体強度を得た進化の果てには人間は文化を必要としなくなる。例えば衣服。寒くもないのに毛皮のコートを着たがる奴がどこに居る。」
「可愛ければ着たがる女性は多いだろう。」
「そうだな。だが皆が一様に肉体を強化して頑強な身体を手に入れれば人間の大部分は悩みから解放される。可愛いとかいう心理的な価値基準は可愛くないというマイナスの状況を回避する為に設定されている努力目標であると私は解釈している。つまり永遠の安心を得た人間は文化を投げ捨てる。」
「確かにそれはそうだ。歌を歌わなくても生きていけるなら大部分は歌わないし実際に多くの人達がそうして日常を送っているのが現代だ。一部の狂人達は娯楽に金と時間を費やすが大部分は生きていければそれでいいだろうしな。」
「その大部分から不安を取り去ってしまえば娯楽とか文化なんて精神安定剤は見向きもされない。思考を放棄し、唯一残った死への不安を払拭する為にそれをもたらす敵の殲滅に邁進するだろう。」
不明な少女は二つに引きちぎったパイプ椅子の残骸を廃工場の窓に向かって投げつけた。軽く投げた程度の腕の振り方だったのに二つの残骸は遥か高くにある窓ガラスを叩き割って工場の外へと消えた。
落下音が響くより早く不明な少女が言葉を続ける。
「最後に『ダーリン・イン・ザ・フランキス』について。VRは美少女とお手軽に会える素敵な娯楽だが、それは要するに快楽を得る為の手段でしかない。VRヘッドマウントをかぶる。アバターを設定する。ワールドに入る。美少女を認識する。快楽物質が脳内にあふれる。じゃあ快楽だけ直接摂取すればその前段階の動作全部要らない。」
「AIによって脳波から情報を取得できるならば逆に脳に直接情報を送る事も不可能ではない訳か。」
「そう単純な話ではないだろうが、今のAIの進化速度を見れば可能性位はあるだろうな。この場合体験は失われ快楽だけが残る。昔聞いた話だと『お前は押せば快楽だけが手に入る釦を差し出されたら死ぬまでその釦を押し続けるのか。』という質問に快楽主義者は答える事が出来ないそうだ。」
「はたから見ればVRも頭に変な被り物してありもしない空想の世界相手に喋ったり手を振ったりするから同じようなものでは。」
「それより以前はアニメとか小説とかが馬鹿にされる時代があった。恐らく根底には現実に存在する問題への対処こそ優先されるべきであり娯楽に興じる者を否定しなければいけないという思想があったのだろう。人間は元々は野生に生きていた猿なのだから。」
「野生動物時代の生存競争によって形成された本能が娯楽への嫌悪感を呼び起こす訳か。」
「だが娯楽は快楽を齎す。そして快楽だけを得るようになれば人間はその沼から抜け出せなくなる。」
「要するに何が言いたい。」
「別に。なるようになるだけだろう。小説もアニメも馬鹿にされていたが受け入れられた。VRも馬鹿にされていたがメタバースを大企業が掲げて徐々に広まりつつある。快楽を直接得る方法があったとして、それらが中毒性が低い物でなおかつ社会的影響が少ないと証明されれば、それも広まる事だろう。」
「だから釦ぽちぽち。」
「そうだ。AIが全て世話をしてくれるので自分からは一切動かず、不安を便利な機械やあるいは肉体改造によって取り除くから不安を回避する為の思考も必要無い。そして技術が究極化すれば直接快楽を摂取する事も可能となり最終的には人間はAIの提案を許可するか否かになるが許可だけになるだろう。」
「二者択一にならない根拠は。」
胡乱な少女の質問に不明な少女は万民が反論不可能な言葉の刃を突き刺した。
「君は新しいソフトウェアを導入する度に利用規約を読んでいるのか。」
誰だって読まない。当然の事だ。
不明な少女は話を続ける。
「極めて高性能なAIは極めて高性能である為間違えない。間違えない事がわかりきっているならばAIの提案にひたすら許可するだけで良い。同意する釦連打だ。」
「快楽って言っても種類あるでしょ。性欲とか食欲とか。」
「それは種類ではあるけどもっと言えば手段だ。性欲は性行為、食欲は食事と不可分になっているから。手段を捨て去り欲だけになればただ一種類の快楽だけが残る。」
不明な少女は胡乱な少女の目を睨んで、言う。
「想像しろ。肉体を動かさず思考もせずひたすら脳内にAIが『快楽を得ますか』と質問してそれに延々と同意釦を押し続ける人間の末路を。」
そしてどこからともなく不明な少女は最近のアニメ作品にしてはやたら頭が大きいロボットのフィギュアを取り出してアニメの考察を語る。
「だから『翠星のガルガンティア』のチェインバーは『パイロット支援啓発インターフェイスシステム』に過ぎなかった。人間という主がありAIという従があった。この絶対の線引きがあったからこそ人類銀河同盟の人間達はどれ程高性能なAIを手に入れても人間であり続ける事が出来たのだ。」
「最終回視ればわかるけど戦うだけならAIに任せればいいんだよねあれ。にも関わらずに機械に人間のっけて戦場に送り出す非効率的な事をわざわざしてたのはナノマシンに取り込まれて思考を放棄したヒディアーズに対して最初から最後まで人間であり続けようとした人類銀河同盟の絶対の意思の現れだよねあれ。」
「思考も肉体も不要になって延々と快楽を得続けたいならば最悪水槽の中の脳みそになるのが一番効率的だからな。そして水槽は頑丈であればある程良い。ナノマシンで構成された頑強な巨体は理想的でありそれ故に怪獣化した。幸福だけを追求すると必ずそうなる。私はそうなりたいと願う人達を止めないけど私はそうなりたいとは思わない。」
「それは何故か。人間が必死になって働くのは金を稼ぐ為であり金を稼ぐのは金で欲しい物を買う為であり欲しい物を買うのは欲しい物を手に入れて快楽を得る為だ。その過程を全て飛ばして快楽だけを手に入れれば無駄が無い。」
「モデルケースが無い事が最大の理由だ。人間は所詮猿の一種だからな。人間の原種は過酷な野生での生存競争を生き抜いた。要するにストレス環境に身を置く事こそが人間にっとって最も自然な環境であり、ストレスを全て取り除いたらどのような悪影響があるかが不明である以上賛同は出来ない。」
「それで、結論は。」
不明な少女は取り出したロボットのフィギュアを大事そうにドローンに載せて飛ばし、先程割った窓ガラスの穴から工場外へと逃して手を振って見送った後に胡乱な少女に向き直って、言った。
「AIに関する奴等の中だと『AIは自分を拡張する手段』とか『AIは自分と共に歩くパートナー』のように『自分』を常に見失わない奴が一番好感が持てる。」
「つまり。」
「君は何一つ信用できないって事。」
爆発が発生した。
廃工場の天井が吹き飛び、そこから爆風を身にまといながら現れたのは真っ赤な目を持つ異形の怪人。
世界征服を企む秘密結社が作り出した改造人間。サイボーグ。機械を身体に埋め込んだ違法生物。
「正義の味方のつもりか。」
その怪人、胡乱な少女が炎の光を浴びながら廃工場へと向けて言うと、その直後に廃工場の壁を貫通する爆風の渦が飛び出した。本来ならば拡散するはずの爆風に強力な指向性をもたせた光と熱の槍。それを自分の目の前に到達する直前にわずかに右へと歩いて回避した胡乱な少女の眼前にもう一体の怪人の足裏が迫った。
眼前で即座に両腕を交差させて受け止める胡乱な少女だったが、勢いが凄まじい。もう一体の怪人の背中からは燃える推進剤が噴出し続けており、胡乱な少女は立ったまま後方へと押し出され続け、地面が彼女の足によって削られ続けた。
その距離20メートル超。
胡乱な少女が両足に力を込めると後退は終了し、そして彼女は両腕に力を込めて開くようにしてもう一体の怪人の足を押しのけた。
逆らう事無くその勢いを受けて吹っ飛び、胡乱な少女の遥か前方へと着地するもう一体の怪人。
「正義の味方はもう居ない。」
その怪人の動かない口部から発せられたのは不明な少女の声だった。
1971年。秘密結社によって改造され、そして秘密結社と戦ったあの少女は決して正義の味方を名乗らなかった。何故ならば正義の味方はその時もう既に居なかったから。
たった一人、戦後の日本で戦った月光の少女だけが、自分を見失ったからこそ正義という訳の分からない妄想を訳のわからない妄想のままにせずに理想化して味方する事が出来たのだ。
自分を見つけた奴が正義の味方になれる訳がない。滅私奉公の時代は昭和の40年代の時点で既に終わりを迎えていたのだ。
だから不明な少女は正義を掲げない。正義の味方にはならない。
今ここに居る自分の為に戦う。
秘密結社による改造手術は人間の身体に機械を埋め込み、驚異的な身体能力を与える。そして秘密結社は手術を受けた構成員達を特別な存在であると吹き込む。明らかに性能が格下のいわゆる戦闘員という部下達を与えるのものその為だ。優越する力を手に入れた者達に優越する心を与えて暴走させる。
それは戦後教育で抑圧されその後の様々な好景気に乗る事も出来なかった個性を殺され続けた世代が掲げる『好きな事で生きていく』という思想に合致する。何者にもなれなかった弱い世代がせめて心だけでも自由でありたいと願っている所に力を与える。だから悪だとも言えるが正義であるとも言えるのだ。
悪でもあり正義でもある存在と敵対する者が正義の味方である訳がない。
「では君は一体何者だ。」
怪人の姿のまま、胡乱な少女が不明な少女に言う。
不明な少女は怪人の目で胡乱な少女を睨みつけながら宣言した。
「自分の不愉快と戦うだけの唯一人の、エゴイストだ。」
2023年4月9日午前3時38分。
二体のサイボーグが激突した。
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