サクラ・マトリクス〜零都探偵風雅小次郎物語~

奈々野圭

前編

 高層ビルが屹立する中、一際目を引くビルが中心にそびえ立っていた。全面ガラス張りで、表面を太陽が乱反射する。


 これはゾーネ社の本社ビル。ここ零都の中心で周囲を睥睨へいげいする様は、さながら封建社会の領主である。


 中心地から離れると、公園や商業施設といった市民の憩いの場が並んでいる。今は桜の季節のようだ。穏やかな日差しの元に桜が辺りを彩っていた。


 そんな桜並木から離れたところに、四階建てのビルが経っていた。辺りの商業施設と比べると年季が入っているようにも見え、悪目立ちしている感が否めない。


 そのビルの二階の窓には、こんな字が踊っていた。


 ――風雅探偵事務所。


「マスター。桜が綺麗ですね」


 少年が男に向かって話しかけた。少年ではあるが、レースがふんだんについた黒いワンピースを着ているため、少女にも見える。


 髪型は、少年らしくショートヘアだ。しかし、顔は伺いしれない。頭の上に乗っている黒い帽子から、裾にレースの着いた黒い布が下がっており、目元を覆っているからである。


 男は椅子に座り、目の前の事務机に置いたコーヒーを口にすると、こう答えた。


「俺は桜が嫌いなんだよ」

「なんでですか? 綺麗なのに」

 少年は、不服だと言わんばかりに頬を膨らませる。


「ロダ。本当に綺麗だと思って言ってるのか? 桜を見たら『綺麗だ』って言うようにプログラミングされてるだけだろ」


「意地悪を言わないでください」

 ロダと呼ばれた少年は、ますます頬を膨らませた。


「マスターこそ、なんで桜が嫌いって言うんですか。僕からしたら、マスターの方がひねくれてます」


「それにはちゃんと理由があるの。ここに植わってる桜は、全部ホログラムだ」

「別にいいじゃないですか。綺麗なことに変わりないし」


「そこなんだよ。桜ってのはな、ことに日本人のナショナリズムを掻き立てる花だ。その時点でろくでもない。


 それをゾーネの奴らときたら、『季節感を演出するための小道具』に変えちまったんだ。オマケに、本物は手入れと後始末が面倒、という理由で全部切ってるし」


「切られちゃったのは、可哀想です」

 ロダの声色が沈む。


「でも、桜は悪くないですよ。やっぱりマスターはひねくれてます」

「桜は気を狂わせるんだ。坂口安吾を読めばわかる」

「坂口安吾は創作です」


 ――ジリリリリン。

 ロダと男が言い合いをしている最中、部屋中に黒電話の着信音が響き渡った。男は、事務机に置いてある黒電話を取り、応対した。



 電話がかかってきてから一時間後、事務所に一人の人物がやってきた。

 上品な雰囲気の女で、物腰は柔らかだ。だが、憂いを帯びているようにも見える。


「そちらにおかけください」

 男はソファを指し示す。女は軽く会釈をし、ソファに座ると、向かい合うようにして男も座った。


御手洗幸子みたらいさちこさんですね? 私は、所長の風雅小次郎ふうがこじろうです」


 男は名乗った後、名刺を取り出し、女に渡した。そこには『風雅探偵事務所 所長 風雅小次郎』と書かれている。


「本日はどのような件でこられたのでしょうか?」


 御手洗は深呼吸をするかのように大きく息を吸うと、口を開いた。


天城典示あまぎのりじ。彼を殺した犯人を捜してほしいのです」


 それを聞いた小次郎は当惑した。

「えーと、そういったことは警察の領分です。当方は、あくまでも依頼人の身辺調査や素行不良の調査が主であって……」


「いえ、警察は駄目なんです!」

 御手洗は大きな声を出した。顔には悲痛な様子が浮かび上がる。


「天城典示は反ゾーネ団体に所属してて、つい最近までスタジアム建設反対運動をやっていたんです。その矢先、殺されたんですよ。警察がまともに捜査するとは思えません」

 御手洗は俯いた。


「……わかりました。まずは詳しい事情をお聞かせ願えますか?」

 小次郎はまず、話を聞くことにした。


「はい。私と天城は大学の同級生です。私が二十二歳で彼が二十三歳の時です。彼の方から告白されたので、私たちは付き合うことになりました。


けれども、彼はある日『俺はゾーネと戦うと決めた。君を巻き込むわけにはいかない』と言って出ていってしまったんです」


「天城さんが亡くなられたという話を、どこでお聞きになりましたか?」

 小次郎が尋ねる。


「天城の所属している反ゾーネ団体の人からです。スタジアムの建設予定地になっている公園で、倒れているのを発見したと」


「天城さん、別れた後も御手洗さんのことを気にかけていらしたんですね。ご心中お察しいたします。

それと『殺された』と仰っていましたが、その根拠は?」

「遺体には銃痕があったと言っていました」


「なるほど……」

 小次郎は一息置くと、意を決したように目を見開いた。


「わかりました! 犯人、捜しましょう…………ですが、お代はいただきますよ? 生憎、ボランティアというわけにはいかないので……」

 威勢よく宣言したものの、後半、申し訳なさそうに口ごもる。


「ありがとうございます! もちろん、お金は支払います」

 そう答える御手洗の目は、涙で潤んでいた。



「マスター。どうして警察は天城典示殺害事件の捜査をしないんですか?」

 御手洗が事務所を出て行ったあと、ロダは小次郎に尋ねた。


「反ゾーネ運動をしてるからだよ。警察はゾーネに逆らえないの。零都警察は実質ゾーネのものだからね。警察だけじゃないよ。ここ零都は、みんなゾーネのものだ。ゾーネが支配しているんだ」


「そんなゾーネが関わっている事件を捜査するなんて、大丈夫なんですか?」

 ロダが心配そうに、小次郎の顔を覗き込む。


「大丈夫……じゃないね! ああ、なんで俺はこんな厄介な依頼を」

 小次郎は頭を抱えた。



***

 ――翌日。小次郎とロダは、天城典示が遺体となって発見された公園に向かう。公園は立ち入り禁止になっていた。

 周辺には『スタジアム建設反対! 住民の憩いの場所を奪うな』と書いてある看板が掲げられている。


「天城典示は公園の中で発見されたんですよね。でも、公園の中には入れませんよ」


 ロダが公園を指さす。何もないところを指したのだが、抵抗感があった。どうやら、公園全体に透明な障壁が張られているようだ。


「ゾーネ社がフィールドを張ったようだ」

 小次郎は呟いた。

「ゾーネ社は、ここを取り壊すつもりだな。だから入られないようにしたと」


「天城典示は、どうやって中に入ったんでしょうか」


「ふふふ」

 突如、小次郎は含み笑いをした。

「どうしたんですか」

 ロダは心配そうに声をかける。


「だって、これ、密室殺人じゃないか! まさにミステリーだ! 探偵だったら一度は憧れるシチュエーションだ!」

 小次郎は目を輝かせながら言った。


「何言ってるんですか。マスター、殺人事件ですよ」

 ロダは呆れたようにこぼした。


「とにかく、一旦戻ろう。ここに長居したら面倒が起こりそうだ」

 そう言うと、小次郎はロダと共に事務所に戻った。



「マスター、現場に入れないんじゃ調査ができませんよ」


 事務所に戻るなり、小次郎はパソコンを立ち上げ、画面と睨めっこを始めた。その様子を、ロダは訝しそうに見ている。


「俺を誰だと思ってるんだ。名探偵風雅小次郎だぞ」

「初めて聞きましたよ」


 ロダの憎まれ口にも構わず、小次郎はパソコンの操作を続ける。しばらくすると、画面に先程の公園が出てきた。


「これで中の様子がわかるぞ」

「凄いです。どうやったんですか?」

 ロダは怪訝そうな様子から一転、尊敬の眼差しで小次郎を見る。


「障壁はカメラにもなってるんだ。障壁を出してるコンピュータをハックして、このパソコンにも写してるというわけ」


「ハッキングは違法です」

 ロダは真顔で答えた。

「人が死んでるのに、うやむやにしてる方が悪いのっ」

 小次郎は開き直った。


「天城典示は、公園の隅にある桜の木の下で殺されたみたいだ」

 小次郎は気を取り直し、事件があったとされる時間帯のカメラ映像を見た。画面に、桜の木の下で倒れている天城が映し出される。


「御手洗幸子は『銃痕があった』って言ってたけど、ここからじゃよく分からないな。どちらにせよ、ここで死んだことは間違いなさそうだ」


「時間を遡れば……あれ?」


 倒れた時刻から遡ろうとしたとき、画面がブラックアウトした。


「なんで消えたんでしょうか」


「この時間に、誰かが障壁を消したからだろうね。消えてる時間は……十分か。さっきの画面は午前一時半だから、殺害された時間は一時二十分から半の間、といったところか」


「殺された時間はわかったけど、これだけじゃ犯人はわかりませんね」


「いや、手がかりは掴めたぞ。まず、犯人は俺のようにハッキングスキルがある。そうじゃないと障壁解除はできないからね。これで、だいぶ特定出来る。それと……」


 小次郎はもう一度、天城が倒れている場面を出した。

「桜の木の根元なんだけど、掘り返した跡がある。おそらく、ここに何かが埋まってたんだろう」


「何が埋まってたんでしょうか」

「なんだろうね。でも、大事なものなのは確かだ。犯人は、これ目当てで天城典示を殺害したのかもしれない」


 小次郎は大きなため息をついた。

「なーんだ。障壁解除しただけか。密室トリックとしてはつまんないな」


「つまんないってなんですか。だいたい、犯人はわかったんですか?」

「こういうのは、だいたい第一発見者が犯人だ」

「だいたい第一発見者って、いい加減じゃないですか?」

 ロダは呆れたように言った。


「とにかく、捜査の目処はついた。次は――」

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