奇跡を叶えるダンジョンと、レイヴン――遺志を継ぐ者

御咲花 すゆ花

前編 ダンジョンの謎と別解組

第1話 カラサ病

 カラサは貧しい。

 荒れ果てた大地では、ろくに作物が育たず、村の子供たちは痩せ細っていた。

 レイヴンやエルヴァもその一人である。

 おまけに、カラサには厄介な風土病が蔓延していた。

 カラサ病である。

 この病には治す術がなく、一度、罹患してしまうと、やがては衰弱死してしまうという、非常に恐ろしいものであった。


 そして、それは時間の問題だったのだろう。

 エルヴァが数日前に、カラサ病を発症させてしまったのだ。

 発熱と疲労感、おまけに皮膚に現れた緑色の湿疹は、どうしようもないほどに、それがカラサ病であることを物語っていた。


「今、戻ったよ。姉ちゃん」


 起き上がることをしない姉。

 吐息とも、喘ぎ声とも判別のできない音声が、レイヴンの耳に入って来る。

 レイヴンの目に映る姉の体は、痛々しいほどだった。


(症状の進行が速すぎる……)


 今までにレイヴンは、カラサ病の患者を何人も見て来た。

 そのどれもが、数年の単位をかけて、ゆっくりと体を蝕まれていったというのに、エルヴァの場合にはまるで違う。たった数日で、末期の症状を呈していたのだ。


(元々、無理をしすぎていたんだ……)


 両親を亡くしてから、塞ぎがちになってしまったレイヴンに代わって、エルヴァは体に鞭を打って働いていた。その無理が、今になって祟ったのだろう。


 姉に対する申し訳なさと、自分の不甲斐なさとで、流れそうになる涙を堪えながら、レイヴンは姉に声をかける。


「何か、してほしいことはある?」


 意識がないのだろうか?

 瞼は、ゆっくりとした動きで開閉をくり返しているが、彼女の口から出て来るのは荒い呼吸ばかりで、声ではない。


「まあ、何かあったら声をかけてよ。今日はもう、ずっと家にいるからさ」


 そう言って、レイヴンは毛布代わりの古い布切れを、姉の肩までかけ直した。

 隙間風の多すぎる荒屋では、ろくに温まることもできないだろう。レイヴンは、不愉快さを隠すことなく、自分の家を睨みつけていたが、やがては自身も丸くなって暖を取った。







 掠れるような音に目を覚ます。


(いけないっ!)


 浅く目を閉じるだけのつもりだったが、どうやら思いのほか、深く眠ってしまったようだ。

 姉の様子はどうだろうか?

 そう思って、飛び跳ねるように首を曲げれば、掠れるような音の正体が、姉の声であったことがわかった。


「……ヴン……レイヴン?」


 自分の名前を呼んでいるのだ。

 大慌てで、レイヴンは姉の枕元へと駆け寄っていく。


「ごめん! 何、姉ちゃん」

「カラサの……村の様子はどう?」


 聞かれ、ぼろぼろの窓から夜の村を窺ってみるが、そこには、いつもと変わらない光景が広がっているばかりだ。つまり、何もなくて、ただ貧しいだけのカラサがあった。


「普段と変わらないよ。みんな……元気でやっている」


 嘘だ。

 村のみんなは、いつもやつれた様子であって、元気などほとんど残っていないだろう。レイヴンのそれも、少しでも姉に楽をさせてやりたいという、動機に根差しているからこそのものであり、なにも元気だからこそ動けているわけではなかった。


「……そう。まだ、カラサ……は、貧しいままなのね」


 レイヴンの胸が、きゅうっと詰まった。

 もはや姉は、カラサ病のために、昼と夜の違いどころか、時間の感覚さえ不明瞭になってしまったのだろう。


 やるせなさに耐えかね、束の間、レイヴンは拳を固く握りしめる。


「大丈夫だよ。すぐに……なんとかなるから。みんなで、頑張れば……」


 尻すぼみしていくレイヴンの言葉にも、エルヴァは何ら反応を示さない。

 自分の声が耳に届いているのかさえ、レイヴンにはよくわからなかった。


「ねえ、レイヴン……」

「何、姉ちゃん?」

「カラサを……私たちの村を、救ってくれる? 私の代わりに……。父さんや、母さんの愛した……この村を」


 レイヴンは、両親のことをよく知らない。

 姉であるエルヴァとは仲良くやっていたようだが、レイヴンが子供の頃に二人とも亡くなってしまったため、両親に対する愛着は人並みにあるものの、思い出と呼べる何かは、彼にはほとんど残っていなかった。ただ、どうしようもないほどの喪失感のため、長らく塞ぎこんでいたことだけは覚えている。


 親代わりでもあった姉の……恐らく、最後の頼み。

 今にも零れてしまいそうな涙を必死に拭いながら、レイヴンは強く姉の手をその胸に握った。


「もちろんだよ、姉ちゃん。俺が必ずなんとかしてみせるから。だから……」


 死なないでくれ。

 思わず、口から漏れそうになる言葉を、レイヴンは、どうにか胸の中だけに留めることができた。


(ダンジョンに行こう……。もう、それしか手立てがない)

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