第19話
これだけ情報が得られればもうここに用はない。戻って何かが行われる前に逃げられるよう、準備をするに越したことはない。
西園寺が財布から数枚の札を取り出し、男性へと差し出す。男性は合計金額を確認することもなく札を手にし、機嫌良さそうに笑った。
「興味深いお話聞けて良かったです。ありがとうございました、先生」
「いや、俺も笑わせてもらったんでね。まあなんだ、この村にいる間に何か体調崩したりすることがあれば来るといい」
「それはどうもありがとうございます」
「そういえば一つ気になることがあるのだけれどよろしいかしら?」
「何だ、お嬢さん」
「……梨奈から取り出されたの子供の頭、あれはどう処分されたのかしら」
「ああ、あれか。普通ならそのまま破棄するんだが、教会の奴らが供養したいだとかなんだとかで、アイツらが持っていった」
「それ以外は本当に何も無いわね?」
「なにもねえよ。強いて言うなら、個人的にお嬢さんが一番タイプだな」
「ナンパはお断りしてますの、残念でしたわね」
西園寺は男性へ札を渡したあと、ふたつに結い上げ縦に巻いた髪を手で払う。そんなひとつの動作にも男性はヒューゥ、と茶化すような様子を見せる。それが西園寺の癇に障ったらしく、彼女の表情に怒りが滲む。
これ以上ここにいたら西園寺の精神的にも良くない。そう判断した岡崎は、西園寺と梶野の手を引いて足早にそこを後にした。
薄暗い待合を横切り、柳田医院の外へ出る。その頃には西園寺の怒りは随分おさまっており、岡崎は少しだけ胸を撫で下ろした。
「情報を得られただけ良かったですけど、なんか、こう、先生っぽくない方でしたねえ」
「ああいう男性がいちばん嫌いなのよ、わたくし。なんですの、馴れ馴れしい」
「先輩は嫌いそうですよねえ。……梶野さんに今回の件、ご説明しないといけませんね。その前に詩嶌さんに少しお話をお伺いしないといけませんけど」
「これ以上なにか聞くことがあるかしら?」
「棺から罹の発症というか、行先についてまだお話聞けてませんからね。最終的にどうなるのか、そうなる前に何か出来ることがないかを確認しないといけませんから」
「確かにそれはそうね」
岡崎の言葉に梶野は自身の体をきゅ、と抱きしめた。棺から罹が最終的にどうなるのか。それを考えなかったわけではないのだろう。どうなるのか分からないその不安が、可視化されたその行動に岡崎は彼女の手を握って笑った。
大丈夫ですよ、私と先輩がいますから。
その言葉で少し安心したのか、梶野の表情が和らぐ。
神凪家への道を辿り、家に着く頃には門限の六時を越しそうな時間になっていた。心配だったのか玄関口まで迎えに出て来ている咲穂へと手を振れば、咲穂は安心したような表情を見せながら玄関を開けた。
昨日同様大広間に準備された食事を摂っていれば、咲穂がこんなことを口にした。
「そういえばね、お祭りなのだけれど街の人をあんまり田舎に留めておくのも悪いだろうって事で、明日やることに決まったの」
「明日ですか? 急ですね」
「準備はもう済んでるし、お祭り自体はちゃんと問題なく出来るから安心してね」
「お祭り、楽しみですねえ」
「そ、そうですね、先輩」
やっぱりか。岡崎と西園寺は舌打ちをしそうになった。日にちの前倒しは、風嵐邸を訪れたことによる情報漏洩を恐れてのことだろう。
その判断は村人としては正しいが、生贄に捧げられるこちらとしてはタイムリミットが一日縮まっただけ困りものだ。命がかかっている以上、これ以上無駄な動きをするわけにはいかない。
どうしたものかと岡崎が思案している内にも、奇祭の話はどんどん進んでいく。
「お洋服は三人分ちゃんと用意してあるから心配しないでね」
「お洋服。お祭り用に何か特別なお洋服が用意されてますの?」
「ええ、今年のは豪華なのよ、きっと皆さん気にいるわ」
「それは楽しみですわね」
「……そういえば、咲穂さん。少しお伺いしたいんですが」
「あら、何かしら?」
「咲穂さんってお姉さんか妹さんがいたりします?」
「あら、私には姉がいたわ。よく知ってるわね?」
「いえ、何となくそんな気がしたので。お姉さんとは今でもご連絡を?」
「いいえ、姉は二十年くらい前だったかしら、行方不明になってそれっきりなの」
「なるほど、そうでしたか。失礼なことをお伺いしました」
「いいのよ。食事が終わったらお風呂に入ってちょうだいね、今日もいい具合の温度になってるはずだから」
「はい、ありがとうございます」
岡崎の貼り付けたような笑顔に気付かず、咲穂は大広間を後にした。岡崎は食事を中断して、自分の荷物からノートと筆記用具を取り出して梶野と西園寺へ見やすいように広げた。
西園寺は視線をちらりとやるだけであまり注目しなかったが、梶野は何事かとノートを覗き込んでいる。
「いいですか、これからこの村で起きている、起ころうとしていることをこちらにお書きします」
岡崎がそう言った時だった。三人の耳にまたあの嫌な下駄の音が聞こえてきた。
ーーかんからり、かんからり。
それは昨日よりも明らかに近付いた場所で鳴っている。鳴っているでは正しくないかもしれない。言葉を紡いでいる。
梶野の体が緊張で強ばる。岡崎は目を細めて外へとそれを向ける。まだ家へ入ってくるような距離感ではない。だが明日になればもっと近付いて、家へ入るような距離感になるだろう。
棺から罹に追いつかれたらどうなるのか。まだその情報が確かでない今、果たして村を早期に脱出するのが正しいのかも分からない。
そもそも脱出手段を封じられた今、何をどうしても悪あがきでしかないのだが。岡崎はまるで自身達を嘲笑うかのように鳴る棺から罹に小さく舌打ちをしてノートへと向き直った。
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