第五十話 巨象のワルツ
熊は食肉目である。これは猫や犬のいるグループであり、その名の通り、肉食に長けた動物が多い。
その中にあって、熊はやや雑食に寄っている種といえた。ネコ科のような鋭敏な感覚やしなやかな俊敏さを得ることができなかったが、その代わりに巨大な体躯を得ている。これにより、天敵といえる相手はほとんといなくなった。反面、ハンターとしての性能は低くなり、植物性の餌にも手をつけるようになったのだ。
そのため、熊が獣を狩って餌とすることは少ない。だが、狼と熊のテリトリーが重なった場合、どうなるか。熊の中で、獣肉を餌とする比重が劇的に上がる。これは、狼の食べ残した獣肉を熊が餌とするからだ。
孤高の狩りに長けたネコ科と違い、狼は集団による持久戦という狩りに特化することで生存の道を選んだ。個々の狩りの能力ではネコ科に劣るということだろう。だが、そんな狼たちよりも、熊は劣る狩猟能力しかないのである。
それに対し、牛の進化は実にスマートなものだ。
牛はその胃をシステマチックに進化させ、一度消化したのちに、
この進化により、牛は食事の回数を減らし、牛を狙う天敵の居場所を意図的に避けてきた。嗅覚の利く範囲も広く、視界もパノラマで多角的だ。これにより、牛は世界中に分布し、草食動物の覇者と呼ぶべき存在になっている。
熊は自らの生存のためにグルメを諦め、その生息位置を狭めた。対して、牛は自らのグルメを特化させることで繁栄してきたのだ。
進化の流れという大局から見て、そうである。
だが、局地的に見ればどうか。
襲いかかる
◇
ドシンドシン
轟音のような足音が近づいてきていた。次第にその距離は私の進んでいる場所と近づきつつある。
アツィタはシューニャの意志によって、その体躯を本来のものに代えられていた。私は人間に近いサイズのままである。歩行速度に大きな差があるのだ。
このままでは追い付かれてしまうだろう。
何か、何かできないか。
私は焦ったまま、必死で走った。
やがて、道は建物で塞がれた場所へと行きついた。
アツィタも近づいてきている。ここで勝負するしかない。私は覚悟を決めた。
ドンドンという音が鳴っている。
「もう、逃げないでよぉ。疲れちゃったじゃない!
ねぇ、ここで死んでよね」
アツィタがその剛腕を振り上げた。
来る。今しかない。
私は壁沿いにあるスイッチに手を掛ける。カチッと音が鳴った。それとともに壁に隠されていた扉が開く。
ガバァッ
何かがその扉の奥から現れる。それは私に向けて突進してきた。だが、それは予想していたことだ。
私がひょいっとよけると、それはアツィタに張り付いた。
「トゥエンティの……、トゥエンティの仇なんだから!」
それはカタツムリの仔、イワカルア=クマカヒ・ハワイーだった。
私は臭いを感知して、彼女が怒り狂いながらも、この場所から出られないでいることを知っていた。イワカルアが怒りの対象とするならば、姉弟とも恋人ともいえるナメクジの仔、トゥエンティ=トゥ・トリボニオ=フォルスを殺した相手に対してだろう。
トゥエンティを殺したのは私ではない。シューニャの意志によって暴走したトゥエンティは、同じくシューニャの意志に歪められた豚のスー・ジューに殺されたのだ。それでも、こうなることは予想できた。そのため、この場所にアツィタをおびき寄せたのだ。
イワカルアは扉が開く前から突進を繰り返していた。どうにかこの扉を開けようとしていたようだ。
彼女もまた匂いから私を感知していたのであろう。扉を越えると、私に飛び掛かるつもりで、アツィタの顔から胸にかけて覆いかぶさったのだった。
「ねぇ、これ、やだぁ。取ってよぉ」
アツィタは必死でイワカルアと剥ぎ取ろうとするが、どうしても剥がれない。カタツムリの身体は粘性が強く、どんなものにでもしがみつくことができる。力任せに取ろうとしても、上手くいくものではない。
「痛い、痛い、何よこれぇ」
さらに、コンクリートでも噛み砕く、イワカルアの歯がアツィタに向かったのだろう。アツィタは悲鳴を上げ始めた。
がむしゃらに暴れる腕は、イワカルアの殻にぶつかり、破壊する。
殻が壊されたカタツムリはその内臓が剥き出しになり、やがては死亡する。猶予はない。
私は全速で走りは始めた。そして、猛スピードのままアツィタに突進する。
ズサァッ
私の
アツィタの叫び声が響き渡る。
「ひどい、ひどいよ。どうして、こんなことするの?」
大急ぎでアツィタから離れる。
イワカルアの身体に覆われ、アツィタは視界を奪われている。無我夢中で腕を振り回すが、その爪は私には当たらない。やがて、その動きは緩やかなものになり、そして、力尽きた。
かつて、食事を共にした動物の仔を自らの手にかけてしまった。やるせない気分が胸中を巡る。
だが、私は急がなければならない。急がなければ、シンクエも
私は再び走り始めた。
◇
シューニャの意志の存在する中枢のある建物が近づき始めた。
私はホッと安堵する。建物の中が安全だとは思っていないが、それでも巨大哺乳類たちや昆虫たち、蜘蛛たちを撒くことができたと思ったからだ。
それは思い違いに過ぎなかった。
建物の前には巨大な動物の仔が待っていた。
巨大な耳を持ち、つぶらな瞳、長い鼻を持つ動物。象のサハストラ・マキシマムだ。
「やっほー、エナムくん。待っていたんだよ。シューニャの意志がさあ、エナムくんを通しちゃダメだから、踏みつぶしちゃえだってさ。
ごめんね、私やるしかないんだよね」
その言葉を言い終わらないうちに、サハストラの足が上がった。そして、私目掛けて振り落とされる。
ドーン
だが、避けられないほどのスピードではない。私は走って彼女の足を避けるが、さらに別の足が落ちてくる。それを寸でのところで回避する。
それは幾度となく繰り返された。四本の足が次々に上がり、そして落ちる。まるでサハストラがワルツを踊っているかのようだった。
このままではじり貧だ。だが、サハストラは巨体。建物の中には入ってこれない。
私は建物の入り口に急ぐが、その動きは読まれている。サハストラの足が私を襲った。
パカラパカラッ
軽快な足音が聞こえた。次の瞬間、私を襲っていたサハストラの足は、馬のシンクエのドロップキックによって弾かれた。
「どうにか追いついたな。結構な犠牲は払っちまったけどよ、でも、この場を通せるだけの数は残っているぜ」
シンクエの言葉通り、いくらかの動物の仔たちが来ていた。
スナドリネコのティスエカ・ディーヴァラバララーが一本の足に爪を突き立て、しがみついている。サイのソーラ・ユニコルニスがサハストラの背後から突進をし、狙われると逃げるを繰り返した。
もっと大勢で来ていたのだろう。カバのスィティーニ・キボコがシューニャの意志に意識を乗っ取られていたのだ。彼女によって犠牲になった動物の仔たちもいるのだろう。
「みんな……」
思わず感嘆の声を漏らした。
しかし、私のすべきことは先へ急ぐことだ。再び、建物に向かって走り始めた。
みんなが来てくれて、油断があったのかもしれない。サハストラは私が通ることを許そうとしない。彼女の前足が再び私を襲った。
グチャァ
私の背後にゴリラのテン・G・G・ディールハイが現れていた。そして、私を突き飛ばしつつ、サハストラの足を受け止めようとする。だが、そのまま踏み潰された。
身体はぺちゃんこになり、どくどくと真っ赤な血が水たまりのように溢れている。
「エナムくん、行って……」
こんな状態でなお、サハストラの足を掴みつつ、嗚咽を漏らすように、それでいて力強い声で、テンは呟いた。
テン……。身を挺して、私を守ってくれたのか。
躊躇が生まれていた。彼女を放ってはおけない。
「行くのじゃ! 使命を忘れるでないぞ!」
三津さんの金切り声が響いた。
ハッとする。そして、再び私は走り、そして、シューニャの意志が存在する中枢へと進んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます