第三十五話 ヤンマのグルメ
「よぉ、あんただな、エナムってのは」
そう話しかけてきたのはトンボの仔、
鳶のイレヴンや大蝙蝠のラビンでは実現しなかった、飛行能力を維持して進化改造がなされているのだ。
しかし、いきなり呼び捨てというのは気に入らない。
「おっと、エナムさんと呼ぶべきか。アニ
弥十郎は悪びれた様子もなく、そう返してくる。
うん? こっちってことは、蔵六が先輩の場所もあるってことなのか。
「まあ、そうだろ。俺たちトンボが何億年前からいると思ってんだ。
哺乳類なんかポッと出じゃねぇか」
なるほど、そういう意見か。
しかし、生物に昔からいるとか、最近出てきた、なんてことがあるだろうか。生物の起源が一つであるとすれば、どの生物も等しく同じ年月を経て、進化してきている。
身体の構造が確立してから長い、ということはあるだろうが、それさえも進化の選択なのだ。
「ふーん、そんな考え方もあるか。
そうは言ってもよ、俺たち昆虫は地球上の動物の中で、最も数が多く種類も多いんだ。それは揺らがないんじゃねぇか。
ま、だからって俺が偉いなんて言う気はねぇよ。そういう事実があるって言いたいだけだ」
確かに昆虫は地球上でもっとも繁栄した動物といって過言ではない。生物の限界である高所や寒冷地でなければ、どこにでも昆虫はいる。
それはやはり飛行という強力な能力のもたらしたもので、海も山も越えて、住む場所を選ばない、その力によるものだろう。
「そうそう、俺が言いたいのは、そういうことだ。
そん中でもよ、トンボっての飛行能力に特化してるわけよ。飛行速度も高いし、正確さも凄い。空中で留まることもできるし、旋回も自在だ。もっと褒めてくれていいんだぜ」
それは確かにそうだ。私も認めるところだ。
オニヤンマの飛行能力はスズメバチの上を行き、その運動性を頼みにスズメバチを捕食するという。さすがに、オオスズメバチには敵わないだろうけど。
でも、自分でいうのはどうかなあ。進化改造によって巨大化しつつも、飛行能力を残しているのは凄いが、実際には飛行能力自体は劣化しているだろうし。
「おいおい、こっちは褒めろって言ったんだぜ。そんなことを言ってくるのかよ。
確かに飛行能力は劣化してるぜ。こんだけの図体なんだ。そりゃそうだろ。
まあ、褒めろってのは虫のいい話だったかもな。とはいえよ、今日一日、食レポやってくんだ、仲良くやっていこうぜ」
そういうことか。弥十郎はどうも関係の距離が近いんだな。
でも、私も古株だという感覚があったのかもしなれない。そこは反省しよう。
昆虫のグルメ観は私も興味のあるところだ。
哺乳類とはまた別の系統から進化し、哺乳類以上に繁栄しているのは事実であろう。そこから学ぶことも多いはずだ。
私たちはジェーデンの
◇
カランカラン
食堂の扉を開けると、備え付けれられた鐘の音が鳴る。それを聞いて、ジェーデンの女将さんが厨房から顔を出した。
「あらぁ、エナムちゃん、弥十郎ちゃん、いらっしゃい。うふふ、今、お料理を焼いているのよ。ちょっと待っていてね」
焼いている。その言葉通りに、香ばしい匂いが漂っていた。
「こいつぁ、美味そうだ。期待しているぜ」
弥十郎はジェーデンの女将さんに対しても態度を変えない。どう思っているかはわからないが、女将さんは朗らかな笑顔を
とりあえず、席につくことにする。私が椅子に座ると、同じように椅子の場所まで来るが、弥十郎は座る気配がなかった。飛び続けている。
弥十郎は座らないのだろうか。
「まあ、そうだ。俺はそんな進化改造は受けてないんだよ」
弥十郎は巨大化し、言語を解するが、座る機構は作られなかったらしい。でも、トンボだから飛んでいる状態で快適なのかな。疲れそうだけど。
そういえば、寿命はどうなっているのだろう。トンボの成虫期間は数カ月だったはず。
「その辺は心配無用だぜ。ほかの動物の仔たちと同様に、人間と同じくらいになっているはずだ」
なるほど、寿命は大分延びているらしい。しかし、そう考えると、進化改造は生命そのものを操作しているのだと実感する。人間の価値観でいえば、禁断の実験というべきか。
「寿命が短いってのは一概に悪いことじゃねぇよ。そりゃ、人間の理性とか恐怖心からすると、長く生きたいわな。
けどよ、俺の中の昆虫は言うんだよ。寿命が短いってのは進化に適応しやすいってさ。寿命が短い生物は、その分生命のサイクルが短い。生まれ変わりが早いって言い換えられるか。進化のスピードが速いから、環境の変化に適応しやすいんだ。
寿命の長い生物ほど、環境の変化に弱い。恐竜の大量絶滅なんかも、それが理由だろ」
確かに、寿命の短さは悪いことばかりじゃない。種族全体でいえば、確かにそうだ。
しかし、人間の知性は個人の生き死にに一喜一憂する。これは哺乳類を始め、知能が進化した動物の特徴なのかもしれないが。
そうであるならば、アニマルアカデミーの進化改造は生命のあり方を大きく変え、進化しづらい環境を生み出している。それがシューニャの意志だというのか。
まあ、こんなところで深く考えても仕方ない。ビールを頼むことにしよう。
◇
「かんぱい!」
私と弥十郎はビールジョッキを手にし、二人のジョッキをカチンと合わせる。
黄金色の液体が揺れた。
それを一息に飲む。ハーブの香りが強い。小さくも確かな炭酸の刺激が心地良かった。
苦さとその奥に甘さがある。ジンジャーのような香りもあり、バランスの取れた美味しいビールだ。
「なかなか、いいビールじゃねぇか。いろんな香りが複雑に絡まっているのがいいよな」
弥十郎も気に入ったようである。
「ふふ、お料理ができたから、少しずつ置いていくね」
そう言うと、私と弥十郎の前に皿を置く。何も置かれていない。
ジェーデンの女将さんはすぐに厨房に戻ると、鉄製の大きな串に刺さった肉片を持ってきた。
これはシュラスコという料理だろう。
「はい、弥十郎ちゃんにはお肉ね。これは豚のロインよ。
エナムちゃんはお野菜ね。ズッキーニ」
それぞれの皿にそれぞれの食べ物を置いた。
焼き上がった野菜の香ばしい匂いが食欲をそそる。一口食べる。柔らかな口当たりだが、歯ごたえもあった。噛みしめると、ズッキーニの旨味が伝わってくるようだ。岩塩の味わいも嬉しい。
弥十郎を見ると、彼もはふはふと肉を頬張っていた。顎がもごもごと動き、肉を噛み砕いているように見える。
「いやぁ、こりゃ美味えよ。柔らかくて顎で触れるたびに溶けていくみたいだ。脂が美味いんだよなぁ、この肉。それに塩気もちょうどいいし」
ロインとやらも美味しいらしい。
その様子を見ていたらしく、私たちが食べ終えると、新しい料理を持ってきた。串に刺さっていたそれを皿においていく。
それは椎茸だった。
香ばしい味わい。噛みしめるごとに旨味が溢れ出るようだった。コリコリとした食感もいい。岩塩と合わさって実に堪え難い味わいがある。
「これは鶏のハツだな。鶏の心ってやつだ。
なんていうジューシーな肉なんだよ、これは。血の味わいってやつだな。コリッとした食感もいいしよ、堪んねぇぜ」
ハツは心臓のことだったか。確かに、心臓であれば栄養たっぷりな印象がある。それだけに複雑な味わいなのだろうが、弥十郎は気に入ったようだ。
そして、私たちが食べ終えた瞬間、厨房から女将さんが現れる。
「どんどん食べてくれて嬉しいわ。まだあるからたくさん食べてね」
私の前にはトウモロコシが置かれていた。
トウモロコシというのは美味い。これは絶対のことだ。香ばしく焼かれたトウモロコシの一粒一粒から、その甘さと旨味が弾け飛んでくるようだった。
「これはソーセージだな。リングィーサってやつだったか。
肉の旨味が濃縮されているようだな。スパイスの味わいも利いてて抜群の味わいだぜ。いやぁ、焼いたソーセージってやつは野性味があっていいね」
その後もどんどん肉と野菜をジェーデンの女将さんが持ってくる。私たちはそれをたらふく堪能した。
そして、最後に果物を持ってくる。
「はい、これがデザートよ」
私の前にはバナナが置かれ、弥十郎の前にはパイナップルが置かれた。こんがりと焼かれている。これもまたシュラスコのメニューということだろう。
焼いたバナナは外はこんがりとしているが、中はとろーりとした食感で、なんともいえない甘さがあった。岩塩による塩気もあり、それがバナナの甘さとぴったり合っている。
「パイナップル美味いな! 肉ばかりだったんで、果物がこんなに嬉しいとはな。
甘いし酸っぱいし、なんていうか、めちゃくちゃ美味いぜ」
トンボといえば肉食の昆虫であるが、やはり植物性のものも食べないわけではないらしい。特に、肉に食べ飽きた時には草や果物を食べることもあるのだろう。
◇
こんなところでヤンマのグルメは締めたいと思う。
昆虫を代表しているという自負のある弥十郎はなかなかに厄介な動物の仔であるものの、彼なりの知見も得られた回ではないだろうか。
寿命の短い動物は進化しやすく、環境の変化に対応しやすい。それはまた事実であろう。
逆に、寿命の長い動物は身体の大きいものが多く、その分、成長に時間をかける。その間、親が面倒を見る必要があるのだ。
やはり、身体の大きさは強さである。強くなるためには時間が必要なのだ。
昆虫の場合は、親が子を育てることを選択しなかったともいえるが、逆に奇妙なほどにシステマチックに子育てをする種もある。アリやハチの仲間がその代表だろう。
あるいは大量に子を産み、大半が死ぬことを前提にした生存戦略もある。
進化には正解はない。ただ、生き残ったものが進化した生物と見做されるだけだ。
次回は昆虫の対抗馬である、蜘蛛のグルメとなる。
昆虫と混同されることもある生物であるが、明確に別種の生物だ。昆虫が飛行という能力で世界中に蔓延ったのに対し、蜘蛛の能力は糸である。蜘蛛たちは糸をさまざまな用途に用い、自身の生存領域を広げてきた。
その辺りにも触れていきたい。
それでは、また来週。この時間、この場所でお会いできることを楽しみにしている。
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