第7話 土曜日、行く先
翌日――海の指定した土曜日。あかりは何となく緊張しながら家を出た。
【魔王】と【救世主】に関わる事柄についての話があると確定しているのだ。緊張してしまうのは当然だったが、よくよく考えると、あかりにとって異性と休日に会うということ自体が初めてで、もしかしてこの緊張はそれに起因するところがあるのでは、と思って、状況のわりにそんなことを気にしてしまう己にあかりは少しばかり落ち込んだ。
ともあれ、待ち合わせ時間より早めに到着した公園で適当に時間を潰していると、ほどなくして海が現れた。待ち合わせ時間よりも十分ほど早く、海は時間にきっちりした人なのだろうとあかりはぼんやり思う。
「おはよう、相模さん。待たせたみたいで、ごめん」
「お、おはよう、志筑くん。さっき来たところだから、気にしないで」
「それならいいけど……。それじゃ、行こうか」
促され、公園を出て歩き出す。しばらく無言の道行が続いたが、さすがに気になってあかりは口を開いた。
「……あの、どこに、行くの?」
そこでようやく、海はあかりに何の説明もしていないことを思い出したようだった。もしかすると海はちょっと天然なところがあるのかもしれない、とあかりが思ったのも仕方ないことだっただろう。
「とりあえず、花屋かな」
海の口にした内容に、あかりは目を瞬いた。
「志筑くんが言ってた用事って、お花屋さんに行くことだったの?」
「いや。用事を済ませるのに、花が必要だから」
一応『どこに行くのか』の答えではあったものの、結局肝心なところは何もわからない返答だった。しかしそれ以上問いを重ねることもできずに、あかりはまた黙々と、海の後をついて歩くことに専念することになった。
途中にあった花屋に寄って花束を買った海は、今度はバス停に向かった。しばらく待ってやって来たバスに乗り込む前に、「相模さんの分は俺が払うから」とだけ言って、一人用の座席に座ってしまった。あかりは迷って、少しだけ離れた、海の様子がうかがいやすい席に座ることにした。
することもないので、海の買った花束について考える。手慣れた風に店員さんに注文していたところから見ると、海の言う『用事』は何度も繰り返しているものなのかもしれない。一般的に花束というのは誰かに渡すためのものだろうから、これから誰かに会いにいくのだろうか、と思うものの、それが誰かというのはさっぱり予想がつかないし、いくら海がマイペースな性格のようだからと言って、事前の説明も無しに誰かに会わせようとするとも考え難かった。思考に詰まったあかりは、結局答えを模索するのを諦めた。
そうしていくつかのバス停を通り過ぎ、あかりに馴染みのない地名ばかりになったころ、海が停車ボタンを押した。停車するバス停の名前を見ても、やはりあかりに覚えはない。迷いのなさに、この辺りが海の地元なのか、それとも通い慣れた道なのか、と考えはするが、やはり訊ねる勇気は出なかった。立ち上がった海に続いてバスから降りる。
そこは街中の様相とは違い、落ち着いた自然が見受けられる場所だった。住宅の姿もあまりない。
あかりが下りるのを待って歩き出した海はやはり無言のままで、この沈黙にそわそわしてしまうのはあかりだけのようだった。
それは多分、あかりがわからないことだらけの状態だからなのだろう。こうして異性と歩くのに慣れていないことも要因としてあるのは否定できなかったが、何をするためにどこに向かっているのかを知らずに、ただ他人についていくということが、思ったよりも落ち着きを無くさせるということをあかりは知った。
やがて、辿り着いた――海が足を踏み入れた場所に、あかりは息を呑む。
そこは、墓地だった。
慣れた足取りで海は歩を進める。数秒立ち止まってしまったあかりも、その後を早足で追いかけた。
(ここは墓地で、志筑くんが向かっていたのはここで。……言っていた『用事』がここに来ることで、花束はそのためのものなら……)
それはあまりにも、率直に訊ねるには踏み込んだ事柄だった。けれどその内容が、「何故そんなにも簡単に【魔王】の運命を受け入れられるのか」と問うたあかりへの答えにも繋がるのだろうと察せられたから、あかりはただ海の後を追う。
そうして、ついにひとつの墓碑の前で立ち止まった海は、あかりを見ないままに口を開いた。
「相模さんは、俺がどうして【魔王】として死ぬ運命を受け入れられるのかと訊いたけど――これが、答えだよ」
海が墓碑を撫ぜた。いとおしむような仕草だった。
「相模さん、俺はね、――ずっと、死に場所を探してたんだ」
『志筑家之墓』と彫り込まれたそれを前に、海はようやくあかりに向き直る。
「少し昔の話をしようか。面白い話ではないけれど」
「まぁ、そんなことは言わなくてももう察してるよね」と海は独り言ちるように呟いた。
「俺の家族は、もう全員、ここに眠っている。父さんと、母さんと、妹と。俺だけを残して、みんな一緒にいなくなってしまった。それが三年前だ」
不自然なほどに、乾いた声音だった。何の感情ものっていない、平坦に過ぎる声。
「その日は前々から家族で出かける予定だった。うちは家族仲がよかったから、それが面倒だということもなくて、俺はいつものように楽しみにしていたんだけど、あとは出発するだけ、というときになって、俺を訪ねてクラスメイトがやってきた。その理由は、まぁいわゆる――告白というもので、こういうのもなんだけど、俺にとってそういうのは珍しくなかった。俺の顔が、けっこう女子に好かれるものだというのは、嫌でも自覚することだったし。よくあることだったけど、その子は別に俺と親しかったわけでもないし、話した記憶もないくらいの子だった。気持ちに応える気はなかったから、それなりに穏便に済ませて帰ってもらった。そうして予定より遅く出かけた先で――事故に、遭った」
そこでまた、海はあかりから視線を外し、墓碑を見つめた。
「事故の瞬間のことは、正直よく覚えていない。そういうのは珍しくないことなんだと、医師から聞いた。後から教えてもらった話だと、運転手が心臓発作を起こした車に突っ込まれたらしかった。俺が助かったのは、本当に奇跡のようなものだったんだって」
その『奇跡』に、海が感謝の気持ちを抱いていないということは、口振りから伝わってきた。あかりは何を言うこともできず、ただ海の話に耳を傾けるしかできない。
「誰が悪いのかと言ったら、誰が悪いとも言い切れないものなんだろうと思う。世間的には突っ込んできた側の運転手が悪いことになったけれど、事故に遭ったのはあまり車の通らない道だった。ほんの少しそこを通りかかる時間がずれていれば、その運転手も加害者にはならなかっただろうね。……誰もが少しずつ関わって、その結果二台の車が衝突する事故になった。それだけなんだろう。悪い意味ので偶然が、重なってしまっただけ。……だけど俺は、思わずにいられなかった。俺のせいだって」
そこに悔恨が滲んでいれば、あるいはあかりは安心できたかもしれない。けれど、どこまでも海の声音は変わらなかった。話始めたときと――もっと言えば初めて言葉を交わしたときと変わらない、変わらなさすぎるままだった。
「俺のせいで出発が遅れなければ、事故に遭うことはなかったはずだと、何度も思った。でも時間は戻らない。あの出発の日の朝には戻らない。ひとりだけ残されたことがつらくて、ひとりで生きていくのはつらくて、でも自殺はできなかった。俺は、俺の家族が、ひとり残った俺のことを恨むなんてことをしないのを知っていたから。ひとりだけでも助かったことを喜んで、天国なんてものがあるなら、そこでお土産話を楽しみにするような、そんな家族だと知っていたから。……それでも、俺は死にたかったんだ――ひとり、おめおめと生き残った自分が許せなかった」
息苦しい、とあかりは思った。平坦で、淡々としていて、何の感情ものらない声音と口調で、だけれど海の語りは奔流のようだった。あかりはただ、流され、溺れるしかできない。
「……だから、〈声〉が聞こえて、〈作り変え〉られて、自分が【魔王】になったのだと自覚したとき、俺はこれで死ねるんだと思った。自殺じゃない方法で、意味のある死を迎えられるんだと思った。家族のところに、ようやく行けるんだって。――俺たちより前の、【魔王】と【救世主】については、もう知った?」
問いを向けられて、あかりはなんとか頷いた。ぎこちないあかりの素振りにも頓着せずに、海は「それならわかると思うけど」と話を続ける。
「【救世主】の手で【刻印】を傷つけられた【魔王】は、そのせいでいなくなったんじゃなく、もっと前からいなかったことになる。ちょうど一代前の【魔王】は、俺と同じで事故で家族を失くしてたけど、彼と同じように、多分俺も、家族がいなくなる原因になった事故で死んだことになるんだと思う」
自分たちより前の【魔王】と【救世主】はどんな人たちだったのか――そう意識を向けた結果、湧き出た〈情報〉にほとんど飲み込まれるようにして一通りさらうことになった、一代前の【魔王】と【救世主】の記憶。
世界の命運が決まった後、【救世主】から【魔王】の記憶は失われ、【魔王】となった人物がその〈七日間〉まで生きていたという痕跡はどこにも残らなかった。数年前にあった事故で一家全員が亡くなったことになり、それ以降の【救世主】となった彼との関わりもなかったことになった。海が言っているのは、そのことだろう。
奇妙なほどに似通う部分が存在する【魔王】の過去。思考。結論。それは本当に偶然なんだろうか、とあかりはふいに思う。あまりにできすぎているのではないか、と。
そんなあかりの思考を知る由もない海は、まるで諭すように、当たり前の理論を説くように、言った。
「だから、相模さんは――【救世主】は、本当は何も思い悩む必要もないし、俺の事情を考えることもない。だって『無かったことになる』んだから。こうして俺と話したことも、【救世主】だったことも。最初に言った通り、俺は【魔王】として死ぬことを受け容れてる。望んでいると言ってもいい。だから、相模さんは、ただ少し、俺の【刻印】を傷つけてくれるだけでいいんだ」
その、海の言葉に対して。世界を滅ぼすことを選べない以上、あかりは反論する言葉を持たない。――持たない、はずだった。感情という一点を除いて。
「……っそんな、ふうに、」
気付けば、あかりは口を開いていた。考える前に言葉を発していた。
「そんなふうに割り切れるものだったら、私も――前の【救世主】も、苦しむことなんてなかったよ……!」
ああ、これはほとんどは自分の言葉じゃないのだ、とあかりは吐き出してしまってから気付いた。今までの【救世主】――全てを忘れさせられる前の【救世主】たちが、皆思ったことだった。
泣けたらどんなにか楽だろう、と思うほど、これまでの【救世主】の思いが己の中から湧き出てくる。けれどそれは結局己のものではないから、ただ苦しいだけで、泣くこともできない。
あかりの投げつけた言葉に、僅かに目を見開いた海は、しかしすぐに平静を取り戻したらしかった。それがまた、あかりの癇に障る。
「……そうだね、ごめん」
ごめんなんてそんな言葉で宥められる思いなんかじゃない、と思ったけれど、湧きあがった自分のものでない激情はあかりがそれを知覚するとともに瞬く間に沈静してしまったので、口に出すことはできなかった。
代わりに、疑問をひとつ、投げかける。
「……〈七日間〉の最終日まで待って欲しい、って言ったのは、どうして?」
海の話からは、この〈七日間〉――一週間の最終日まで待って欲しいと告げた本意は読み取れなかった。もしかしたら、そこに僅かでも生きる時間を延ばしたいといった気持ちが無意識下にあったのでは、と思いたかったのかもしれない。
けれど、あかりのその淡い希望じみた思考は、あっさりと打ち砕かれた。
「月命日が、最終日だったから。俺がいなくなったら、もう月ごとに参るような人もいないんだなって思ったら、なんとなく、最後にちゃんと参りたいと思って」
海の声音にも、表情にも、自らの命を惜しむようなそぶりは全くなくて、それはやはり【救世主】という立場からすれば有難いことなのだろうと思ったけれど、どうしても遣る瀬無さを拭い去ることはできなかった。
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