第5話 一代前の〈彼ら〉

 その日、家に帰り、諸々を済ませてあとは寝るだけという状態になって、あかりは海が言っていたように、【魔王】と【救世主】が望めば知ることできる〈情報〉を知ろうとしてみることにした。


 ベッドに腰を下ろし、なんとなく居住まいを正して、目を閉じる。

 【魔王】と【救世主】にまつわる、知ることのできる全てを知りたいと思っているわけではない。やはり今でも、深く考えるのを怖いと思う気持ちはある。ただ、海に比べて、自分はあまりにも知識が足りない状態だと感じたのは確かだった。そんな状態では、海の開示する事柄に対して、何を言うこともできない気がした――何かを言わなければならないというわけでもないのだろうが。


(【魔王】と【救世主】の仕組み、か……)


 海の言い回しを思い出す。その言い回しがしっくりくるほどに、あかりと海に否応なくさだめられた【魔王】と【救世主】という役割、そしてそれにまつわる状況は、どこかシステマチックな印象だった。


(私たちの前の【魔王】と【救世主】は、どういう人たちだったんだろう)


 そう考えたのは、思考としては自然な流れだった。深く何かを思ってのことではなく、ただ単純に気になっただけの。

 けれど、それが引き金だった。

 奔流のような〈情報〉が、一瞬であかりの意識を飲み込んでいく。


 ――それは、一代前の、【魔王】と【救世主】の〈七日間〉だった。



(その日はいつも通りと言ってもいい、なんの変哲もない日だった)

(学校行って授業受けて部活して帰って、と宿題やって、合間にゲームして)

(そんな普通の一日が過ぎて、日付が変わった、その瞬間)

(非日常が、降ってきた)


 あかりの前の【救世主】から見た〈七日間〉。

 超常的な物事になんて縁のない、普通の、どこにでもいる学生だった『坂上さかがみ春人はると』と『神原かんばらよう』。

 【魔王】と【救世主】という役割が付加される前はただの幼馴染でしかなかった二人は、世界の命運を背負った〈七日間〉、運命を受け入れた者と、運命に抗うことを選んだ者として、何度もぶつかり合った。


(殺したくなんてない、死なせたくなんてない)

(なのにハルは簡単な、当たり前のことを言うみたいに、殺せって言う)

(【救世主】として、【魔王】を殺せって言う)

(〈声〉が降ってきたときは俺と同じように戸惑ってたのに)

(たった一晩で、覚悟を決めてしまったみたいな顔をして)


 【魔王】となった坂上春人は、海と同じように早々に【魔王】として世界を滅ぼさないために死ぬことを許容してしまった。対して【救世主】となった神原陽は、【魔王】を殺す運命を認めたくなくて、『坂上春人』というを喪いたくなくて、どうにかして辿り着く結末を避けようとしたけれど。


(ひとりにしないって、決めたのに、思ったのに)

(おじさんとおばさんとナツが死んで、ひとりぼっちになっても泣けもしなかったハルを)

(泣けよって、泣けばいいだろって、泣いて喚いた俺に、お前が泣くからそれでいいって言ったハルを)

になるのがダメなくせに、くせに、何でもない顔をしてみせるバカなハルを)

(……自分のためには泣けなくて、うまく人にも頼れないなら)

(せめて俺だけは近くに居続けようって、思ってたのに)


 どんなに【魔王】と【救世主】の間にあるルールをさらっても、世界と個人を天秤にかける、その大前提を崩す術は見つからなかった。

 故に、『【魔王】は【救世主】に【刻印】を傷つけられない限り死なない』、『七日目が終わるまでに【魔王】が死ななければ世界は滅ぶ』――そのルールが、神原陽に坂上春人をという選択肢を選ばせてはくれなかった。

 もし、【魔王】としての坂上春人を殺さずに世界が滅んだとしたら、『坂上春人』はその世界にひとり残されることになるから。

 世界なんて大きすぎるもののことはうまく想像できなくても、幼馴染の行き着く未来――それだけはダメだと思い続けていた未来になってしまうことは、想像できてしまったから。


 殺さなければいけない。死なせなければいけない。


 理解していても、最終日である七日目まで踏ん切りをつけられなかった【救世主】に、【魔王】はそうなることなんてわかっていたと告げて――【魔王】と【救世主】のルールを逆手にとって、死を選んだ。

 【魔王】は【救世主】に殺されない限り死なない。どんなに致死を免れないような状況に陥っても、何らかの奇跡的な偶然が作用して傷つくことすらない。――けれど、それは【救世主】がその状況に絡んでいなければの話だった。

 過去の【魔王】と【救世主】の関わりからそれに気付いた坂上春人は、【救世主】の絡んだ致死的な状況を作り上げて――直接的に神原陽が彼を傷つけずに済むようにして、死んだ。世界から、消えた。


 世界の命運をかけた七日間に【魔王】が死ぬと、その存在の消失は、に起こったことになる。


 『【魔王】と【救世主】にまつわる物事について、他者に関わりを持たせることはできない』――そのルールが適応され、世界がつじつまを合わせて、世界の命運をかけて【魔王】として死んだのではなく、かつてどこかで自然の成り行きで死んだことになったり、元からいなかったことになる。


 坂上春人の場合は、彼以外の家族が死んだ事故で共に命を落としたことになった。


 『滅びずに継続した世界において、【救世主】は人間に戻る』――〈七日間〉にまつわる何もかもがなかったことになった世界で、【救世主】でなくなった神原陽は、〈七日間〉の記憶も、あったはずの坂上春人と過ごした時間の記憶も無くして、ただの人間として生きていくことになった。

 〈七日間〉の苦悩も、喪うことへの嘆きも悲しみも、何もかもを忘却させられて。



 ――世界が滅びることなく継続するのなら、それが自分の行き着く先なのだと、その予感だけがあかりにとって確かだった。


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