【3分で読めるショートショート】異世界へ転生できるチャンスを棒に振った話

秋桜空白

第1話

黒猫は言った。

「あと3分でこの異世界への扉は消える。だから、早くどっちにするか決めた方がいいよ」

本来、ベランダにつながっているはずの窓の部分がきらきらと光っていた。この光の中をくぐっていけば異世界へ転生できるらしい。


「お前より有能な人を雇ったから」と言われ、部長にリストラされたのが一日前のこと。

「ほかに好きな人ができたから」と言われ、妻と離婚をすることになったのが一時間前のこと。

俺は今、失うものが何もなかった。異世界へ行かない理由はない。そう思い、足を一歩前へ出す。しかしそこで足が止まる。


「何を迷うことがあるんだい?」

と黒猫は首を傾げた。

「異世界でも、俺は結局嫌な人生を送るんじゃないかな」

黒猫が歯を見せながら笑う。

「君には異世界でチート能力を授けるよ。最強の攻撃魔法が使えて、お金も錬金できるようにしてあげる」

「マジで?」

俺はまた一歩踏み出す。けれどまた足を止めた。


「まだ何かあるのかい?」

「どうせ異世界でも俺はブサイクなんでしょ?」

黒猫はめんどくさそうに

「あーわかった。君はイケメンで女の子にモテモテになるように設定しておくよ」

と言った。

「本当ですか?」

俺はまた一歩踏み出す。けれどまた足を止めてしまう。


 目の前の扉が瞬き始めた。

「あと二十秒で消えるよ。何を迷っているんだ?」

と黒猫は言った。

「・・・」

本当にすべて完璧じゃないか。ここまでお膳立てされているのに、何が俺を引き止めているんだろう。


「あーあ。扉が消えちゃった。あと少しで君は最強で、お金持ちで、女の子にモテモテだったのに。なんだかんだで現実から離れたくなかったんだろう?君は自分の人生にまだ期待しているんだね」

そう言って、黒猫は心底つまらなさそうにあくびをした。そして

「まぁ、いいや。達者でね」

と言って、部屋の影に紛れて消えてしまった。


 真っ黒な部屋の中で窓の向こうだけが、まだ少し明るかった。俺はベランダへ出て、五階からの景色を眺めた。


 夜空の中で地平線付近だけが火に焼かれているかのように真っ赤だ。レースのカーテンが風でなびいて揺れていた。俺はそれらをぼーっと見ていた。


最強だからなんだ。お金持ちだからなんだ。女の子にモテモテだからなんだ。全部、むなしいだけじゃないか。俺は、疲れているんだ。


 そう思いながら、俺は靴を脱いだ。そして、ベランダの柵をのぼって、そのまま飛び降りた。

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【3分で読めるショートショート】異世界へ転生できるチャンスを棒に振った話 秋桜空白 @utyusaito

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