シロ×クロ=バディー!

@kamo014

シロ×クロ=バディー!

プロローグ 白と黒の開幕



もうすぐ日を跨ごうかという月夜。俺は、いや、俺たちは窓から光が差し込んだ長い長い屋敷の廊下を駆け抜けていた。

「おい東雲、そろそろ着いただろ?」

 俺は隣を走っているバディーへ話しかける。

「まだよ。もう少し」

 答えたのは、黒のスカートタイプコンバットドレスを着て、その上から同色の外套を羽織った少女──東雲。栗色のショートカットに鋭いネコ目が特徴的な東雲は、いつも通りの愛想が一寸もない無表情でそう告げる。

「あそこだ! 逃がすな!」

 俺たちが話し合っていると前から声が聞こえてきた。俺と東雲は咄嗟に柱の陰へ身を隠す。直後、それまで立っていた場所に数発の弾丸が撃ち込まれた。

 銃声の先には、黒いスーツを着た男が数人。

「目と耳を塞いでなさい」

 こちらにそう告げると、東雲は懐を探り何かを取り出す。

取り出されたその道具は三センチほどの正方形をしたサイコロで、東雲はそれを軽く握ってから追手たちの方へと投げ込んだ。次の瞬間、甲高い破裂音を伴った閃光が炸裂する。

──閃光賽(フラッシュ・ダイス)。東雲お手製のサイコロ型閃光手榴弾が瞬く間に男たちの視覚と聴覚を奪う。

「ぐうっ!」

俺は驚声が聞こえた瞬間柱から飛び出すと、予想通り目を押さえている男たちに向かって飛びかかった。先頭に立っていた黒服の男に対し、懐に飛び込んだ俺は拳を腹部にめり込ませ意識を奪う。続けて後ろの男へ殴りかかろうと振り返ると、小さい裂音が鳴り二人目の男が声もあげずに崩れ落ちていった。

弾丸の飛んできた方へ視線を向けると、東雲がサイレンサー付きの拳銃を構えている。

「おい、まさか実弾使ってないよな?」

「安心しなさい、ASB(特殊加工ゴム弾)を使っているわ。あなたこそ、少しは銃を使ったら?」

「嫌味かよ。俺の射撃実技の点数、どうせ知ってるんだろ?」

「15点」

「わざわざ口に出さなくていいんだよ、この……っと!」

 言葉の途中で、前方の廊下角から現れた男たちがこちらへ迫ってきているのが見えた。俺たちは引き返そうとするが、後方からも追手がやってきている。

 他に逃げ道はなく、俺たちはあっという間に取り囲まれてしまう。

 相手は体中に蔦が絡まっている奴や腕にノコギリが生えている奴、顔が馬になっている奴など、実にバラエティー豊かな姿をしていた。

「やるしかねえか」

「そうみたいね」

 東雲は懐から拳銃といくつかのダイスを取り出すと構える。対して俺は着ていたスーツの襟を直すと、右の掌を上へ向け能力発動のトリガーを呟いた。

「黒の道化師・手札公開(アトルギアジョーカー・ショーダウン)」

 言葉と同時に何もない無から、笑みを浮かべたトランプのジョーカーが掌へ現れる。左目の下あたりに灯る熱は、能力を発動した証となる道化師の刻印が顔に現れた証拠だ。

「発動させるな! 潰せ!」

 こちらが能力を発動する前にカタをつけようと、警備の男たちが飛びかかってきた。

「──緋の先駆者(カーディナルエース)!」

 構わず続けて言葉を唱えると、ジョーカーは黒く輝きその姿をハートのエースに変える。

 右手でカードを掴んだ俺は、手の中で躊躇無く握り潰す。カードが光の破片となって散った次の瞬間、体を電流が駆け抜けていく感覚を覚えると同時に、雷撃が男たちを吹き飛ばした。

 体は何時間でも戦えそうなほどにみなぎり、時折体には緋色の雷が走る。

「──振り飛ばすぜ」

 次の瞬間、俺はまるで時が飛んだかのような速度で男たちの目の前に躍り出た。

 そして一番手前にいた男を殴り付けると、他の奴らも巻き込んで吹き飛ばす。

 回避が間に合わなかった数人が、防御や能力の発動さえ出来ず地面を転がっていった。

「うおらぁ!」

 続けて横から掴みかかってきた男の手を躱し、みぞおちへ叩き込んで意識を刈り取る。

更に振り返りざまに後ろへ向けて回し蹴りを振ると、命中した馬男が扉を巻き込み破壊しながら飛んでいった。

「コイツ、化け物か……!」

 殴っては投げ、蹴っては吹き飛ばす。俺は複数人を同時に相手しないように意識して立ち回りながら、男たちを次々と倒していく。

 すると背中に蝙蝠の翼が生えた男が、いつの間にか目前に音もなく迫ってきていた。こちらへ向けられたナイフの切っ先が、月光に当たって鈍く光る。

 このまま何もしなければ、凶刃が俺へ向けて躊躇無く振るわれるだろう。しかし。

「俺にばっかり構っていて良いのかよ?」

「──自由への非常口(ドアドア)」

 廊下の壁に突然扉が現れると、離れた位置にいたはずの東雲が中から現れ銃撃を放つ。不意に翼を撃たれてバランスを崩した蝙蝠男に対し、再び扉に入った東雲が今度は上から出現して刺すような蹴りを決めた。叩き落とされた蝙蝠男は顔面から床に落ちる。

「く、くそっ!」

「無駄よ」

 仲間をやられて動揺し、体に茨が生えた男が東雲へ向けて棘を放つ。が、それは東雲の体に開いた扉へ入ると、背中側に開いた扉から抜けていった。

「よ、っとお!」

 俺が首筋へ手刀を叩き込み、茨男を気絶させる。

「油断ね。お礼は食事をご馳走してくれればいいわよ」

「はっ、今のは見せ場を作ってやったんだよ。てめえがやらなくても、俺だったら一人でどうにかなったつーの」

 あたりに倒れ伏して気絶した警備の男たちが、誰一人として立ち上がってこないのを確認すると、俺は一つ息を吐く。

「終わったか?」

「ひとまず、周囲に人の気配はないわね」

「じゃ、さっさと逃げて……」

 突如、下の方から爆音が聞こえた。

「なんだ!?」

「おそらく、追加の爆弾でしょうね」

 驚きも束の間、床にひびが入ったかと思うとガラガラと崩れ始めた。

 足場を失った俺たちは、空中に体を放り出される。

「掴まれ!」

 俺は東雲を抱きかかえると、崩れ落ちていく瓦礫の中を跳びぬけた。そして着地した廊下から何かに使うのであろう巨大なホールまで、一息に走り切ったところで下ろす。

「あっぶねー。ったく、迷惑なもん仕掛けやがって」

「今の身のこなしだけ見れば、立派な泥棒ね」

「ふざけんな。泥棒だなんて絶対に御免だ」

「そうね。あなたみたいなどうしようもない程愚かで馬鹿な人間には絶対に向かないわ」

「お前人格二人いんのか?」

「私は私よ。ひとまず、別のルートから戻りましょう」

 走り出そうと一歩を踏み出したその時、ふと気配がして、前方に広がっているホールの中央を見据える。そこには他の警備と同じ服装をした小柄な男が佇んでいた。いかにも臆病そうな男は不安げに俺たちの方を見ており、体は震えている。

 あれも警備か? にしてはなんつーか、頼りにならなそうだが。

「うっし、ここは俺がやるぜ。お前は温存してな」

「や、やらなきゃ、僕も役に立たなきゃ……!」

 何かをつぶやいている警備の男に向かって、俺は一歩踏み出した。

「ずいぶんと自信ありげね」

「任せとけって。あんな小さな奴、俺なら一人でも」

「ぐ、がああああああああっ!」

 言葉の途中で、突如として男は叫んだ。

 次の瞬間、男の体はまるで空気を入れた風船のように膨張していく。次第に耐え切れなくなって裂かれたスーツの中から現れたのは、黒い体毛がびっしりと生えたたくましい胸筋。それだけで変化は止まらず、厚い筋肉と茂る体毛で男の全身が包まれていく。

 クマの三、四倍くらいか。たった十数秒で、男は先ほどまでの小柄とは程遠い巨大な猿のような姿へと変貌した。見上げると、猿男の野性味溢れる瞳と目が合う。強い闘志を感じさせる迫力満点の目つきは、とてもさっきの男からは想像できない面構えだった。

「うおおああああああああああああ!」

 息を吸い込んだ猿男は胸を叩きながら叫ぶ。耳を塞ぎたくなるような咆哮が、空気を震わせ地面を揺らした。

「あー……やっぱり二人で戦わねえか?」

 振り返ってそう聞いた瞬間、横から重たい一撃を受け吹き飛ばされた。咄嗟に飛ばされる方向へ跳躍して勢いを殺そうとしたが、それでも受け流しきれず壁に激突させられる。

「っ、ってー……。この野郎!」

 直前で挟み込んで防御したはずの左腕がじんじんと痺れている。いい一撃じゃねえか。

「ふんがっ!」

 続けざまに放たれた追撃の拳を避けると、足元へ距離を詰めていく。

 うっとおしそうに振り回された足を躱しながら腹の真下までたどり着くと、俺は力の限り跳躍し拳を構えた。狙うは鳩尾。いくらでかくなっても、急所の位置は変わらねえだろ!

「おらあっ!」

 掛け声とともにノックダウン確実の拳を放つが、打撃をくらわせた感覚はない。なんだ?

「なっ……!」

 気づけば、猿男は巨体に見合わぬ素早いバックステップで俺から距離を取っていた。

 そして空中で身動きが取れない俺へ向けて右腕を振りかぶる。やべっ!

防御の姿勢を取ろうとしたその時、

「仕方ないわね」

という言葉の後に何かが俺の肩あたりに当たると、目がくらむような強い光と激しい音が放たれる。なんだ!?

咄嗟に顔を背けたというのにかなり白んだ視界の中、地上へ目を向けるとダイスを手にした東雲がため息を吐いていた。

くそっ、呆れたような表情しやがって……!

「見てろ! 今からぶっ飛ばしてやるよ!」

 俺は一度床に着地すると、光で視界を奪われた猿男の腕へ向けて跳躍しその上へ登る。

 猿男は腕を振り回してこちらを振り払おうとするが、まだ視界が戻ってきていないのか動きはおぼつかない。今がチャンスだ。まるで芝生のようになっている腕の上を駆け抜け、十分に勢いがついたところで巨大な顔めがけて跳躍する。

「バナナの夢でも見てな、デカ猿!」

 そして猿男のアゴへ向けて、全力の右ストレートをぶちかました。

 放った全力の一撃は、目を潰されて身動きができていない猿男のアゴ先を的確に殴り砕く。

「うぐ、お……」

 激しく脳を揺さぶられた猿男は、わずかに苦悶の声をあげると、白目を剥いて頭から倒れる。

 そして体が段々と縮小していくと、全裸の状態で床の上に伸びていた。

「思ったより手こずったな……」

 息を深く吐くと、俺は能力を解除する。

「どこかの誰かさんが舐めた態度を取るからよ」

「うっせ。とにかく逃げるぞ!」

「ええ」

 俺たちはホールを抜けると階段を上がって館の二階へと戻り、再び元のルートを目指す。

「そういや、例のもんはちゃんと持ってきてるんだよな?」

「落とすわけないでしょう。あなたじゃあるまいし」

 東雲は黒いスーツケースをこちらへ掲げて見せた。

「ああ? 誰が落とすっつーんだよ!」

「じゃあ最近無くした物を挙げてみなさい」

「落とし物? んー、確か、ハンカチ一枚にティッシュ二つ、学校で配られたプリントが何枚かだろ? 後は……そうそう、この間車のキーを落としたな」

「痴呆症の老人レベルじゃない」

「……」

 なんてこと言うんだコイツ。

「それと、落とし物探しを紺に依頼するのはやめなさい。情報屋の無駄遣いよ」

「てめ、なんでんなことまで知って」

「ここだっ、急げ!」

 不意に声が飛んできて振り返ると、そこにはまたもや追手がやってきていた。

 男が抱えていたのは俗に言うロケットランチャーという奴だ。

 砲口はこちらに向けられ、今にも砲弾が放たれるのは明らかだった。

「飛ぶわよ」

「嘘だろ、おい……!」

 俺たちは全速力で廊下を駆け抜けると、窓を割りながら外へ飛び出す。

「うおおおおおぉぉっ!?」

 俺たちが窓から飛び出すと同時に何かが勢いよく射出された音が鳴り、次の瞬間とてつもない熱と爆風が背中に襲いかかった。

 一体何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ……!

 背後からの爆風に吹き飛ばされ宙を舞う中、俺はまるで走馬灯のように自分の身に降りかかったことを思い出す。

 記憶にあるのは二週間前、入戸高校探偵科の二年生になって数日のこと。

 横にいる少女、東雲玻玖亜に出会ったその日が、俺の運命が決まった瞬間だった。



第一章 探偵×探偵=迷コンビ



「九郎。この後どっか寄っていかねー?」

「悪い、用事があるから無理だ」

「あーそっか、バディー発表これからか。んじゃまた誘うわ」

「おう、またな」

 友人からの誘いを断わった俺は、教室から出ると校舎の中を目的地に進んでいく。

 入戸高校探偵科。未来ある探偵のタマゴたちが集う学び舎は、今日も収まることを知らないきらめくような賑わいで満ちている。

「ええ、尾行調査になるだろうから車両と変装道具の用意をお願い」

「わかりました。手配しておきますね」

「合同警備のミーティングって何時からだったっけ?」

「ああ、それ週末に伸びたらしいわよ。なんか調整したんですって」

「お前、明日から任務なんだろ? 日帰りか?」

「現地で二日泊まり込み。しかも田舎だぜ? 最悪だよ」

 猫探しや浮気調査と言った民間の依頼から、指定エリアの見回りや対象人物の警護などの学校から交付されるような任務まで、様々な仕事を請け負う生徒達が廊下を行き交っている。

 俺はぶつからないように気をつけながら、人波の間を縫うように進んでいく。

 目的地は校舎最上階に位置する校長室。

そこでバディーの相手と顔合わせする予定が俺にはあった。

全国の探偵科に所属する生徒は二年生になると全員が、適性や性格を考慮して選ばれた同じ学年の誰か一人と組んで依頼や任務をこなすことになる。

「バディー、誰と組むことになるんだろうな」

 相手は当日顔合わせする時まで知ることは出来ない。

 それを出会いの機会と捉えているのか、学内ではここのところバディーとして組むことになって相手についての話を聞くことがかなり多い。

「俺の相手、めっちゃ可愛い女子だったわ! もう電話番号とかも交換しちゃったし、いや~、薔薇色のバディーライフ間違いなしで悪いな!」

「マジかよ……。俺とかごっついマッチョだぜ? 良いやつそうなんだけどな。俺も女子が良かったよ……」

 なんて会話が聞こえてくるほどに、ここ最近の探偵科は色めき立っていた。

 まあ実際のところ、俺もどんな相手と組めるのかわくわくしている。

 探偵科で出会ったバディーと、卒業後もそのまま組み続けて探偵として働くと言う話も決して少なくない。生涯の相棒と出会うこともあるのかもしれないと考えると、楽しみにしない方がおかしいというものだ。

そうして校舎内を歩いていると、ようやく目的地にたどり着く。

「どうぞ~」

 校長室の扉をノックすると、間の抜けた声が向こう側から聞こえてきた。

 重厚な装飾の施された扉を開け、中に入る。

「あ、九郎くんじゃん、やっほ~!」

 部屋の奥に置かれた机で書類と向き合っていた声の主は、俺の姿を視界に捉えると人懐っこい笑みを浮かべた。フリルの塊のようなロリータファッションに身を包み、両手をぶんぶんと振って挨拶している白髪の少女。顔は丸みを帯びた童顔であり、ぱっちりとした瞳と華奢な体躯がその服装と相まって人気のアイドルのようでとても愛らしい。

彼女こそがこの入戸高校の校長であり、世界でも二十人程度しかいない二つ星探偵の久遠寺愛里咲(くおんじありさ)だ。

……ちなみに、実年齢は六十代を超えている。

「こんちわっす、久遠寺先生」

「のんのん! ありっぺって呼んで♡」

「いや呼べませんって。何歳差あると思ってるんですか、俺ら」

「あーっ! タブーの話をしたなあ!?」

 不満そうに頬を膨らませている様子も、俺より数周りも年上だとはとても思えない。

「で、俺のバディーはどこにいるんすか?」

 このまま会話を続けると面倒なことになりそうだったので、本題を切り出すことにする。

 そう、先ほどから俺と久遠寺先生以外、この部屋には誰もいない。

「あー、そだったそだった」

 先生はまるで今まで忘れていたような素振りを見せると、ウザったらしく舌を出す。

 まだボケるような歳でもないだろうに。

「でもまだ遅れているみたいなんだよねー」

 その時、扉がぎいと音を立てて開いた。

「遅れてすみません。東雲玻玖亜、到着しました」

 夜の闇を通り抜ける風のような声が、背中側から響く。

 振り返るとそこには、一人の少女が立っていた。

 栗色のショートカットに、細く鋭い瞳。口元は固く結ばれており、吊り気味の眉も合わさってどこか冷たいイメージを抱かせる顔つきだ。動物であれば犬よりも猫。それも気品高く懐かないタイプの猫のような印象の少女だった。紺色のブレザータイプである探偵科制服に身を包んだその姿は、自分よりいくつか大人びて見える。

 この子が俺の相手か。女子で嬉しいっちゃ嬉しいけど、なんつーか、気難しそうな子だな。

「おお、来た来た。入ってー」

「はい」

 少女はそう答えると俺の横まで歩いて並ぶ。まつ毛長いな、芸能人みてえ。

「よーし、二人そろったね! じゃあお互いのこと紹介しようか。東雲ちゃん、こちらは棺九郎くん。強襲科から熱心に声がかかるほどの近接格闘術の持ち主だよ」

「いやあ、それほどでも……」

「その代わり銃の腕は今年の新入生と比べても最下位。いっつも赤点なの」

「ちょっとプライベートなことまで話さないで下さいよ!」

 ったく、この人は……。

「んで九郎くん、こっちが東雲玻玖亜ちゃん。工作・追跡に関してはエキスパート。もう三年生以上の腕前な上、銃撃の腕も申し分ない。ぶっちゃけ優秀生過ぎて教師側が困っちゃうくらいの良い子なんだよ?」

「へえ……」

 なるほど、工作・追跡のエキスパートか、それは助かるな、俺はどちらもあまり得意な方じゃないし、正直誰かに任せられるなら託したいくらいだ。

 加えて銃撃も得意と来た、確かにこの人なら、俺は安心して前を張れるだろう。さすが入戸高校、よく考えられたバディー人選だな。

「……」

 東雲さんは何のリアクションもせず、ただ校長を見据えている。

「それじゃあ発表します。棺九郎、東雲玻玖亜! 今日から君たちはバディーとして、常に二人で任務や依頼にあたってもらいまーす!」

 バディー。その言葉を聞いただけで、自然に背筋が伸びた。

 遂に俺も、プロの探偵と同じようにバディーを組むんだ。

 俺は自分の口角が自然に上がっていくのがわかった。

「バディーの試用期間は二ヶ月、その間の成績や本人達へのヒアリング次第ではバディーの組み替えもあるから、まあそんなに気負いすぎず気軽にね。後は注意事項とかその他諸々とかあるけど、そこらへんはもう担任の先生方に聞いているだろうし、省いちゃいまーす」

「それでいいんですか……?」

「おっけおっけー。だって校長アタシだし」

 うち、一応探偵科のある高校の中では十本の指には入る名門のはずなんだけど、この人が校長でいいんだろうか。

 そんな校長にも反応することなく、東雲さんはノーリアクションを貫いている。

「で、二人ともここまでで何か質問あるー?」

「後方支援(オペレーター)はどうなるんですか?」

「今のところは後方支援が必要にならない任務と依頼をこなしてもらうつもりでいるよ。適性とか志望変更とか色々あるからね」

「なるほど」

「で、バディーに慣れてきたら今度は上級生のチームと一時的に組んでやってもらう感じかな。そん時は上級生側の後方支援が付くから、自分たちで勧誘とかはしないで良いよー」

「わかりました。ありがとうございます」

「東雲ちゃんは?」

「……いえ、特にはありません」

 校長からの質問に対し、東雲さんは首を横に振る。

「そう? なら大丈夫そうだね。ほいじゃ、これから諸々の適性を見るために実技考査をやるよーん。二人とも、準備は出来てる?」

 俺と東雲さんは同時に頷く。

「だったら今すぐ第三演習場へレッツゴー! あ、担当はシグマちゃんに頼んであるからねー」

「シグマが?」

「そ、今年度から指導教員として入ってもらったんだよね」

 実に良く知った名前を耳にした俺は、思わず顔をしかめる。

 榊原シグマ。

 俺にとってはよく知った人間で、今は三ツ星探偵として働いている男だ。

 探偵業が天職、生涯辞めるつもりはないとまで言っていたシグマが、探偵科の指導教員? 何か心変わりでもあったのだろうか。

 まあ、四年前のことを考えるとシグマの考えに何かあったとしても不思議ではない。

「ちなみに伝言預かってるよ、『明日は予定を空けておくことをおすすめする』だってさ」

「ボコボコにする気満々じゃねえか……」

 小さく舌打ちをして俺がぼやくと、校長はカラカラと笑う。

「ま、シグマちゃんはスパルタ主義だからねえ」

「あれはスパルタじゃなくてパワハラっつーんですよ」

「にゃはは、一理ある」

 皮肉と几帳面が肉体の八割を構成しているシグマが、教員なんて出来るのかね。

「で、第三演習場でしたっけ? 待たせて嫌味言われるのもあれだし、さっさと行きますかね」

「いってらっしゃーい! 東雲ちゃんも、頑張ってね!」

「……はい」

 とてつもなく脳天気そうな校長の見送りを受けながら、俺たちは校長室を後にした。



「それで、東雲さん」

 廊下を少し歩いたところで、東雲さんに話しかける。

 東雲さんは反応して少しだけこちらを向いたが、すぐに興味なさげな様子で視線を戻した。

「さんは付けて呼ばなくてもいいわ」

 抑揚の少ない冷静な声で、東雲さんはそう答えた。

「じゃあ、東雲。改めて、棺九郎だ。これからよろしくな」

 俺がそう言って右手を伸ばすと、東雲さんはそれを一瞥して。

「──よろしくしなくて、結構よ」

そして、応えること無く顔を逸らした。

「……え?」

 予想だにしない対応に、俺は間抜けな声が漏れる。

「私はあなたと協力するつもりは、いえ、誰とも協力するつもりはない」

 東雲さんは感情が伝わってこない氷のような声で、淡々と俺との協力を否定する。

 その言葉はまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

「私は私でやる。だからあなたも勝手にやりなさい。それじゃあ、私は先に行くから」

 それだけ言い切ると、東雲さんはさっさと廊下を先に歩いて行ってしまった。

「……」

 俺は開いた口が塞がらないまま、東雲の背中を見送った。そのまま振り返ることもなく、足早に廊下を歩いて行き、角を曲がって見えなくなる。

「なんだアイツ……!」

 少しして驚きと呆れが消えた途端、沸々と怒りが腹の内に湧いてくる。 

 相当優秀なのかも知れねえが、あんな言い方ないだろ!

「ったく、初めてのバディーがあんな嫌なやつなのかよ……」

 俺はぶつくさ文句を言いながら、東雲の後を追いかけて歩く。

 さんなんて誰が付けるか。

 それにしても、このまま演習か。まあ、態度はあれだが、相当優秀なんだろうし、なんとかなるだろ。

 …………大丈夫、だよな?



「ごへあっ!?」

 コンクリートの床にたたきつけられた俺は、まともな受け身も取れずに叩き付けられ間抜けな声をあげた。

「考査の結果を発表する。総合評価、Eマイナス。おめでとう、九郎。ここまでの低評価を取ったのはおそらくお前たちが初めてだろう。師として私も鼻が高いよ」

 入戸高校に存在する、戦闘演習用に制作された屋内フィールド。市街地の一角に似せたその空間で、シグマは髭を撫でながら、俺を見下ろしてそう告げた。

灰色のブランドスーツにきっちりと整えられたオールバックの茶髪。四十代を超え皺が更に増えたその顔は、呆れた表情を浮かべている。

「くっそ……」

 俺はしたたかに打ち付けられた背中をさすりながら、目の前の男を睨み付ける。

「バディー制度が出来る前から探偵をやっていた身として、突然見知らぬ相手と組み戦わなければならないという不自由さには同情しよう。だがしかし、それにしてもあまりに連携がお粗末だ。これならまだ一人で戦う方がマシだろう」

 シグマは俺たちと三十分ほどやりあったにも関わらずほんの少し乱れた程度の息でそう告げると、埃一つ付いていないスーツを軽く整え、碧色の瞳でこちらを見据える。

「二人ともに言えることだが、相手を倒すことより、まずはバディー相手を気遣うという概念について知ることから始めた方が良い。味方の銃撃が背中に当たるなんて、幻惑系の能力者相手でもない限り聞いたことがない」

「いや、それはコイツが……」

「人のせいにするなんて、良いご身分ね。自分から人の射線に飛び込んで置いて、責任は自分にないだなんて。いつから探偵科は詐欺師の養成まで始めたのかしら」

 東雲は表情一つ崩さず毒づいてくる。

「てめ、後ろにいたなら、もうちょっと俺のことを考えてたっていいだろうが!」

「ごめんなさい、あなたのようなただ真っ直ぐに突っ込むしか脳のないイノシシに使う気遣いは持ってないの。いえ、持ちたくもないわ」

「っ、この女……!」

「喧嘩はよせ。時間と体力の無駄だ」

 横からシグマにピシャリと一喝されて、俺は渋々続く言葉を引っ込める。

 東雲はそれを見てつまらなさそうに鼻を鳴らす。こいつ、いつか絶対に泣かせてやるからな。

「確かに、ミス東雲の言うとおりだ。九郎、お前はあまりにも直情的過ぎる。狙いも攻め手も手に取るようにわかった。これでは相手にどうぞ反撃してくれと言っているようなものだ。加えて、だ。近接格闘のみを仕掛けてくる点も、弱点を敵に知らしめているような物だと思え」

「だってよ。俺が銃をまるで使えないことくらい、シグマならわかってんだろ?」

「だっても何もない。プロの探偵として敵と抗戦することがあれば、ほんの一瞬の攻防で命を落とす可能性だってあり得る。その際に銃撃が出来るか出来ないかで、生死を分けることだってあるだろう。その時にもお前は『だって』と言い訳をするのか?」

 確かにシグマの言うとおりだ。反論のしようがない。

 俺は苦虫を口に放り込まれたような顔をして黙り込むことしか出来ない。

「次はミス東雲だが、銃撃による攻防の動きも反撃への対処も冷静で的確。こちらの動きをよく見て反応できている、その点は素晴らしい。だが、あまりに一人で動くことを想定しすぎだな。九郎を協力相手ではなく、遮蔽物の一つとして使っているように感じられた」

「……」

 東雲は何も反論することなく、冷めた瞳でシグマの顔を眺めている。

 何を考えているのか全く透けて見えてこない、あまりに冷徹で無感情なその横顔は、どこか不気味にさえ感じられた。

「ふむ……、もしこのまま関係が改善しそうにないのならば、バディーの組み替えも十分にあり得るな。今のままでは、能力を使った戦闘で事故が起きかねん」

 シグマの言う通りだ。俺の能力はただでさえ派手に暴れ回るようなもので、攻撃を仕掛けようとしてバディーとぶつかり合うような現状では、怪我をさせかねない。

「所感はこんなところだ。後で詳細な評価レポートを送るから、目を通しておくように。ひとまず、二人で食事会でもして親睦でも深めてみてはどうかな?」

「コイツと? 冗談よせよ、雑草の方がまだマシだ」

「あなたに雑草と話す趣味があったなんて、意外ね」

「ほらな、こんなことを言うようなやつだ」

「やれやれ……これは来週と言わず、今週にでもまた考査をする必要がありそうだな」

 シグマは深くため息をつくと、手に持っていた書類をバインダーに閉じる。

「二人とも、次回までの課題として最低限の連携、そうだな……、お互いの攻撃を邪魔しないでいられるくらいにはしておくこと。本日の考査は以上、解散!」

「「……ありがとうございました」」

 俺は不満を隠さずに、東雲はまったく表情を変えることなく礼を述べる。

 シグマはひげを撫でながら一つ頷くと、演習場を立ち去った。

「……で、どうするよ、この後?」

 シグマの背中を見送った後、俺は視線をそのままに東雲へ尋ねた。

「この後?」

「シグマの言っていた課題だよ。連携、どうにかしなくちゃだろ?」

 コイツと連携するのはシャクだが、少なくとも自分がバディーと協調しようとしていた意志は見せておかなければ。プロの探偵としてやっていくためにこんなことで挫けてはいられない。

 それに、せっかくシグマに考査して貰えるんだ。少しは良いとこ見せないとな。

「へえ、あの人の言うことは素直に聞くのね」

「そりゃそうだ。なんて言ったってシグマは俺にとって恩人なんだからな!」

 そう、俺にとってシグマは恩人なんて言葉じゃあ表せないほどに助けられた人の一人だ。

 かつて荒れていた俺を更正させてくれただけでなく、シグマたちに憧れて探偵科に入りたがった俺に探偵のイロハと勉強を教えてくれた。俺の探偵人生はシグマ無くしては語れないほどだ。そんな相手に応えたいと思うのは、誰だって当たり前のことだろう。

「そう、なら恩人との仲を更に深めると良いわ」

「は?」

 なんてことを俺が考えていると、東雲はまたも小生意気なことをのたまった。

「用事があるの、それじゃ」

「あっ、おい!」

 呼び止める暇も無く、東雲はまたもさっさと進み更衣室に繋がる廊下へ消えていく。

「ったく、仕方ねえなあ……」

 俺は深くため息をつくと、さっきシグマが立ち去った方へと走る。

 少し走ると、すぐにシグマの背中は見つかった。

「おい、シグマ!」

「む、九郎か」

 声をかけると、シグマは振り返って目を細めた。

どうやら他の学生たちと会話をしていたようだ。シグマの奥から数人の女生徒が見てきた。

「なんだよ、ナンパでもしてるのか?」

「言うに事欠いて失礼だなお前は。先日発表した遺物に関する論文について、学術的な意見を交換していただけだ。それと、学校では榊原先生と呼べ」

「へいへい、悪かったよシグマ」

「はあ、どうやら私の教え子は鶏と同様の記憶領域しか持っていないらしい」

 大げさに肩をすくめてシグマがそう言うと、女生徒たちはくすりと笑った。

「あの、榊原先生。そちらの方は?」

 どうやら女生徒たちはシグマとため口で話していた俺のことが気になったらしい。

 こちらへ興味ありげな視線を送りながら尋ねてきた。

「ああ、これは私の教え子で、棺九郎という。今年で二年生になる探偵科の生徒だ」

「これって言うな、これって。どうも」

 軽く会釈をすると、向こうも同じく会釈を返してくる。

「それで、バディーの彼女と初めましての食事にでも行くのではなかったのかね?」

「振られたよ。寂しいおっさんの話し相手にでもなってやれだってさ」

「はっはっは。なるほど、独り身には痛い言葉だ。教えてくれてどうもありがとう九郎。次回の考査は覚えておけ」

 しまった。下手なことを言わなければよかった。

「い、いやー、お構いなく。そ、そうだシグマ、飯でもどうだ?」

「突然どうした? 内申点でも稼ごうという腹づもりか?」

「そんなんじゃねえって。良いだろ? なんだかんだこうして会うのは久しぶりなんだからよ」

「ふむ、一理あるか。というわけでレディーたち、私はこの教え子と食事に付き合ってやらねばならんので、お話はまたでも良いかな?」

「は、はい」

「よければ私の研究室を訪ねてきてくれたまえ。君たちみたいな可愛い生徒ならば、茶と菓子でもてなそう」

「本当ですか!?」

 シグマの応対に、女生徒たちは色めき立った。こんな中指を立ててやりたくなるようなセリフを素面で吐けて、しかもそれで異性からの評価が上がるのがシグマだ。髭親父のくせに。

「俺は?」

「お前には椅子すらやらん」

 どうやらシグマの中で俺はかなり評価が低いらしい。髭むしるぞ。

「それでは、また」

「榊原先生、ありがとうございました!」

 シグマは外面ばかりは綺麗な笑顔を向け一礼すると、女子生徒たちの前から立ち去る。そして俺はその背中に付いていき、しばらく歩いたところで口を開いた。

「なぁにが学術的な意見交換だよ。女子の前で鼻伸ばしてただけじゃねえか」

「何を言う、それはあくまで副次的な目的だ」

「否定はしねえのかよ」

 シグマは返事代わりに小さくウインクを返してきた。

それを見た俺はつい吹き出し、釣られてシグマも口角を上げる。

「で、何か話したいことでもあるのだろう?」

「わかるか?」

「当たり前だ。私は探偵で、お前の師だぞ」

「さすが、話が早い。で、話って言うのはさ、今年の墓参りなんだけど」

「やはりそのことか。……まだ、四年しか経っていないのか」

 シグマはそう言うと、ひどい渋面で空を睨み付ける。

「時と言うのは残酷だ。素晴らしい時は一瞬きで過ぎていくのに、辛く苦しいときは永遠に続くのではないかと思えるほどに長く感じる」

「シグマ……」

 そう、もう四年になる。シグマの相棒であり、かつて世界一の名探偵とうたわれた灰炉小次郎の命日から、それだけの日が過ぎようとしていた。

 探偵協会にバディー制度が作られるきっかけとなった事件である、灰炉小次郎を始めとした連続殺人並びに能力者による爆破テロなどが行われた一連の事件。

通称『羅刹事変』と呼ばれているその事件によって刻まれた傷はあまりにも深く、それは共に事件を解決してきた相棒であるシグマも同様だった。

 今でもはっきり覚えている。あの日からしばらく、シグマは羅刹事変の犯人を挙げようと寝食をほとんど取らずに調査をし続けていた。

 頬は痩せこけ髭と髪は伸び放題、まるで自分が殺人犯かのような目付きとなったシグマの姿は、執念という言葉を体現したかのような姿だった。

 結局、体の限界が来て倒れるまで調査を続けた結果、その反動でシグマは一ヶ月近くも入院することになったのだが。

 しかしその時に比べれば、ずいぶんと余裕が戻って来ているようになったものだ。だがそれでも、心象的な傷は決して治る物ではない。俺だって、事件当時のことを思い出すと今でも胸が締め付けられるような気分になる。シグマはきっと、俺以上に苛まれているのだろう。

 俺が何を言おうか考えていると、シグマはこちらを見て頬を緩めた。

「四年経てばもう少し大人になるかと思ったが。九郎、お前はまだまだ子供だな」

 どうやらこっちが気を遣っているのに気づいたらしい。シグマの奴、大人ぶりやがって。

「そういうアンタは、少し老けたか?」

「そんなことはない。まだまだ若いさ」

「白髪、生えてんぞ」

「本当か? どこに?」

 俺が指で後頭部を指し示してやると、シグマは慌てて頭を探る。その必死な様子がどうも面白くて、俺は思わず笑みを零した。

「ほら、後ろのここ」

「っ、おい! 勝手に抜くな! 白髪は抜くと増えるというのを知らないのか!」

 俺がシグマの白髪を抜いてみせると、こちらを恨めしそうに睨んでくる。

「ははっ、悪い悪い」

「まったく……、ん?」

 呆れた表情を浮かべたシグマは、何かに気づいたような表情を浮かべると自分の体を探る。

「どうした?」

「いや、職員室に少し忘れ物をしたようだ。おかしいな、確かに持っていたはずだが……」

「お、老化でボケでも始まったか?」

「やめてくれ、考えたくない」

 うんざりとした表情を浮かべた後、シグマは校舎の方へと足を向ける。

「すまんが、取りに戻る」

「んじゃ、待ってるよ」

「いや、先に行っていろ。店は任せる」

「高級料亭でも?」

「構わんが、舌が肥えてお前の好きなバーガーが食えなくなっても知らんぞ」

「そりゃ困る、やめとくよ。そんじゃ、後で」

「ああ、後でな」

 シグマと別れ駐車場の方へと向かおうとしたその時、ちゃりんと足下で音が鳴る。

「あ?」

 下を向くと、そこには何かの鍵が落ちていた。質素なキーホルダーが付いたリングには、小さな鍵がいくつか束ねられている。

「これ、シグマのだよな?」

 さっき忘れたとか言っていた物ってこれか? こんな近くに落として気がつかないなんて、アイツ本当にボケたんじゃあないだろうな。

 シグマに聞いてみようと思い振り返るが、既に姿はない

 まあ、シグマに連絡して、違ったら学校の事務にでも出しておけばいいか。

 鍵をポッケにしまったその時、何か焼き付くような視線を首の後ろに感じた。なんだ?

 振り返ってみるが、そこには誰もいない。

「……気のせいか」

 俺は気にしないことにして、改めて駐車場に向かう。結局その感覚は、駐車場でシグマと合流するまで続いたのだった。



「はー、こんな季節がずっと続いてくれればいいんだがねえ……」

 シグマとの食事を終えた後、バイトを終わらせた帰りに散歩をしていた俺は、いつの間にかすっかり暗くなっていた空を眺めて息を吐いた。

 春だというのにまだ少し寒い空気が、歩いて温まった体に心地いい。

「にしても、今日は散々だったな……」

 バディーを組んだと思ったら、あの冷血性格最悪女と組むはめになった。

 本当に最悪だ。夢ならとっと覚めてくれると良いんだが。

「……ん?」

 後方からサイレンが聞こえて振り返ると、パトカーがこちらの方の通りへ向かってきているのが見えた。

「あそこだ、追え!」

 警察官が指さす方向を目で追うと、五階建てほどあるビルの間を跳躍し、まるで風のように跳び抜けていく人影が視界に入る。どうやら誰かを追っているらしい。

「泥棒か……? うっし!」

 こうなったら憂さ晴らしついでだ。泥棒だろうがなんだろうが捕まえてやる!

 俺は人影を見失わないように追いかけながら裏路地に入ると、

「手札公開・不透明(ショーダウン・ブラインド)」

 と呟いて能力を発動させる。

 能力の限定開放。

 通常の三分の一ほどの出力しかないが、能力の発動条件を無視して即座に行使できる。

 これなら能力を発動するところを見られずに済む。

 すぐに体は漲ると、まるで体重が半分ほどになったかのように体が軽くなり、指先まで力がみなぎってくる。俺は足に力を込め、思いっきり地面を蹴り跳躍した。

 ビルの四階部分まで飛び上がると、壁を蹴りつつ体を反転させ、その反対側にあるビルの壁へ更に跳んでいく。その繰り返しで十階建てのビルの上まで登ると、少し離れたところに泥棒らしき人影を見つけた。

「そこか!」

 俺はビルの屋上を駆けては建物の間を跳び、泥棒との距離を一気に詰めていく。

 次第に見えてきた泥棒は、黒いマントに同色のハットとブーツを身につけているようだった。

「なんだあれ、全身黒づくめかよ」

 すると、向こうはこちらが追ってきているのに気づいたらしい。

 走るスピードを上げて振り切ろうと試みてくる。

「はっ、そんなので逃げようったって──」

 俺はビルに設置された看板の横面へ両足をかけると、今出せる最大の力で跳んだ。

「──無駄なんだよ!」

 飛ぶ鳥のような勢いで空を駆け、ついには泥棒を追い越し先回りする。

 泥棒はまさに黒づくめという言葉が合っている姿をしていた。

 黒いスーツの上下に同色のシャツ。顔に付けたフルフェイスのマスクは劇にでも出てくるような装飾が施されたもので、これも漆黒を基調にしていた。

 泥棒は無言のまま、懐へ手を入れ姿勢をわずかに低くした。

 どうやら戦う気になってくれたらしい。

 俺は腰を低く落とし、拳を正眼に構える。

「ぶっ飛ばすっ……!」

 相手が何を出すか分からない以上、速攻を仕掛けて手の内を見せる前に制圧する。

 俺は不規則な動きで間合いを詰めていく。泥棒は懐から拳銃を抜いて射撃するが、俺は狙いを読むと体を最小限にずらした。腕のすぐ横を、弾丸がかすめていく。

「……!」

「しゃあっ!」

 そのまま拳の射程圏内に入りジャブを叩き込もうとすると、相手は一息でムーンサルト跳躍を行い、頭の上を跳びながら射撃をしてきた。

 横へ転がり回避し、続けて奴の着地点へ走り追い打ちをかける。逃がすかよ!

 地面へ降りる瞬間を狙い、全力の前蹴りを繰り出す。

 もちろん能力で強化された一撃だ。出力が落ちているとは言え、当たれば一般人なら即ノックアウト、能力者でもよほど頑丈じゃ無い限りダメージは避けられない。

 だがしかし、またも攻撃は当たらなかった。

「ちっ、ちょこまかとうざってえ奴だな」

 更に前へ出て圧をかけようとした次の瞬間、左足が何かに引っかかる。

 それをワイヤーだと視認した時には既に遅く、ワイヤーの先に仕掛けられた爆弾が爆発する。一秒もかからず、こちらへ爆風が襲いかかってきた。

「くっ……!」

 素早く身を伏せて床を転がり、爆発の被害を最小限にとどめる。

 くそっ、いつの間にこんな罠を仕掛けてやがったんだ……!

 しかしそんなはずはなかった。ここへ来て戦っている間、ほとんど目を離していなかったはずだ。罠を仕掛ける瞬間があれば必ず目撃しているだろう。

 だったら、能力? ……いや、もしかして、罠は最初から仕掛けてあって、俺に追われていると分かったからここへ誘導しやがったのか……!?

 ちっ、やることなすことウザってえ。どこまでもムカつく野郎だ。

 だけど、この瞬間は俺にとってチャンスでもある。

 爆風で視界が遮られたであろうこの一瞬を利用すれば、奴に手が届くかもしれない。俺は素早く立ち上がると、今出すことの可能な最大速度で走り出す。

 加速度を維持したまま爆煙から飛び出すと、あたりを警戒していた泥棒のすぐ前に躍り出た。

「よお。ご覧の通りピンピンしてるぜ」

「……!」

「それともう一つ」

 俺は瞬時に上半身に重きをおいた構えから、腰は落とし両手を開き、重心を低くしたレスリングの姿勢へ変える。そのまま速度を落とすことなく、即座に懐へ飛び込んだ。

 だがさすがというべきか、奴はこちらがテイクダウンを狙えないように、銃口を即座に合わせると連続で発砲する。

けれどそれは、ある程度実践を積んできた人間なら誰でも反応しうる部分だ。

 俺はすぐさま速度を活かして体を捻ると、そのまま一回転させ相手の右側に立ち位置を変えつつ間合いを詰め切る。そして右手は顎前へ、左手を中段においた空手の構えへ転じると、相手のみぞおちへ向けて全力の掌底を放った。

「はあっ!」

 予想通り、反応できなかった泥棒は真正面から攻撃を受ける。

「……っ!?」

「──俺が使うのは、ボクサーの技だけじゃねえんだよ」

 よし、今の一撃は手応えがあった……!

 今の動きは格闘経験者には読まれることがあるものの、能力に頼っている相手にはかなり有効的となるフットワークだ。まあ考査の時にはシグマに通じなかったのだが。

 泥棒は屋上を少しの間吹っ飛んでいくが、しかしさすがに向こうもそれでノックダウンとまではいかせてくれない。地面を転がりながらも体勢を立て直すと、拳銃を再度構えていた。

 だが今の奴は予想外の一撃を受けて動揺しているはず、これはチャンスだ。俺は再び泥棒へ近づくと、今度は胸元めがけて手を伸ばした。

 ダメージが大きいのか、奴はその場で動かないままこちらを見ている。

「よっしゃ! これで、捕まえっ……!」

 伸ばした手が、確かに泥棒のスーツの胸元を掴んだ。そのはずだった。

なんだ、手応えが──

 その感触の正体を理解する前に、さっきまでスーツを掴んでいたはずの手が空を切っていた。

「嘘だろ、どうなってんだ!?」

 確かに掴んだはずだ。なんでいつの間にかすり抜けてんだ!?

 驚きもつかの間、体を電流が流れるような感覚が襲う。

 泥棒が取り出していたスタンガンが、腹のあたりに押しつけられていた。

「くそが……!」

体が痺れて上手く動かせていない間に、泥棒は素早く俺の横をすり抜けて距離をとると、屋上から飛び降りた。

「あっ、おい! 待て!」

 体を少し引きずるようにしながら屋上の手すりへたどりつくと、掴まって奴が消えた場所の下を見てみる。しかし既にあの野郎の姿はない。飛び降りていったらしい先には平坦な駐車場しかなかった。おそらく、能力を使ってどこかへ隠れるなり逃げるなりしたのだろう。

「ちくしょう、逃がしたか……!」

 どっちにせよ隠れられては俺の能力じゃ追いようがない。

 ようやく体を自由に動かせるようになってきた俺は舌打ちを一つすると、手すりのポールを軽く蹴った。

ちくしょう。さっきすり抜けたのは一体、何をされたんだ……?

 ……にしても、あそこまで追い詰めといて逃がすかよ、普通。

「あーくそ。ダセえな、俺……」

 俺は手すりへもたれると、重い息を吐いて足下に目を落とす。すると、屋上に何かが落ちているのが視界に入った。

「なんだ、これ?」

 俺は泥棒がさっきまで立っていた場所へしゃがみ込む。そこには手中に収まるサイズの、おそらくプラスチックであろう破片が落ちていた。

 破片は爪ほどの大きさをした正方形に近い板で、片面に黒いシミのような点がついており、もう片面には小さなネジ止めのようなものが溶接されていた。

 これ、もしかしてアイツが落とした物か……?

 あの黒づくめの泥棒の姿が目に焼き付いて離れない。立ち上がった俺は、泥棒が去って行った方の路地に満ちた暗闇を睨み付ける。何もかもを飲み込んでしまう沼のような闇は、ただ静かにそこへ満ちているだけだった。



泥棒と遭遇した三日後、土日が過ぎ去り、新たな一週間の始まる月曜。

俺は連絡を受けて、学内に存在するとある一室へ来ていた。

「依頼?」

「そう。私たちをご指名だそうよ」

そこは校舎内に設置された、生徒用のブリーフィングルーム。中央に置かれた大型のテーブルに備え付けられた椅子に腰掛けた東雲は、こちらへ一通の封筒を投げ渡してきた。

「任務じゃなくて依頼か?」

 受け取った封筒を眺めながら、東雲とは正反対の位置にある椅子へ座る。

「ええ。それも結構な大物から」

封には探偵協会の印を模した封蝋印が施されており、その中には一通の手紙が入っていた。手紙には依頼人の名前と身元、依頼内容が書いてある。

そして確かに、依頼者の指名だというようなことが書いてあった。

……ん? なんだこれ。

「依頼内容は秘匿って、どういうことだよ」

 本来、依頼内容について書かれているべき箇所には簡潔に秘匿とだけ書かれており、それ以上何も書かれてはいなかった。

「内容については依頼人の元へ赴いて直接聞くように、だそうよ」

 直接聞け、か。まあ依頼としてはよくあることだが、それにしても。

「どうしてまた探偵が、それも二年の俺たちに……」

「さあ、何か理由があるんじゃない?」

「ってか、こんな怪しげな依頼、よく探偵協会が通したな」

「依頼主の身分を考えると、探偵協会としては依頼を発行しても構わないという結論にいたったんでしょう。少なくとも信用はされているでしょうから」

 確かに、依頼人は信頼できるが、だとしてもだな……。

「それで、どうすんだよ」

「話だけでも聞いてみましょう。少なくとも、あなたと考査へ向けてコンビネーションの練習なんかをしているよりはずっとマシよ」

 俺の質問に、東雲は表情を変えず淡々と答えた。

「マジで? いやまあ、後ろの部分は賛成だけどよ」

「それに、もし話を聞いて、難しければ断わればいいだけの話だもの」

「……それもそうか」

「私は一人でも構わないし、一人でも解決できるのだけど」

「本当減らず口だな、お前……」

「あら、ただの事実を提示しただけよ」

 東雲はモニターに映したテレビへ視線をやったまま今日も毒舌を吐いてきた。

 ああ言えばこう言う。毒舌が服着たような人間だなコイツは。

 これ以上つついても無駄だ。絶対にこの女相手だと面倒になる。

そう判断した俺は口を閉ざすと、何げなく同じように画面へ映っていたニュースを見てみる。

『──なお、盗まれた宝石は昨日未明に返還されており、警察は愉快犯の可能性と見て捜査を続けています。続いてのニュースです。先月より愛知県一帯で起きている連続爆破テロ並びに連続殺人事件についてです。昨日、蒲郡市内で新たな被害者と見られる遺体が発見、加えて同市内にて原因不明の爆発が発生しました。警察は──』

このニュース、あの時の野郎のことか。

くそっ、思い出したら更に腹がたってきた。

「こんな犯人、とっとと捕まってくれりゃあいいのによ」

「……ええ、そうね」

 何故か歯切れの悪い返事をすると、東雲はテレビの電源を切って立ち上がった。

「さあ、もう行きましょう」

「ああ」

「──四ツ星探偵、五十六尾道。私たちの依頼人の元へ」



第二章 背負わされた罪



「で、依頼主とはここで待ち合わせっつーことでいいんだよな?」

「ええ、そのはずよ」

 入戸高校から車で一時間ほどのオフィス街に存在する、政治家や資産家が御用達の高級ホテル。たった一晩泊まるだけで俺の一ヶ月のバイト代がいともたやすく吹き飛ぶようなその場所が、俺たちに依頼してきた四ツ星探偵が泊まっているホテルだった。

「でっ、けー……」

「置いていくわよ」

 首が痛くなるほどにホテルを見上げていると、東雲はさっさと歩いていってしまう。

「お前、よく物怖じしないな」

「あなたの経験が貧弱というだけよ」

「てっめえ……」

ホテルに入ると、メインエントランスには豪華な装飾の施された、大理石の噴水が建てられており、荘厳な雰囲気で来客をもてなしていた。五メートルほどはある吹き抜けの天井にはシャンデリアが煌々と光っており、上品な光が塵一つ無い床に反射して鈍く光っている。

「おー……」

 あまりにも縁遠い世界が目の前に広がり、俺は文句を言いかけた口から気の抜けた声を出すばかりだった。そんな俺に対して、東雲はこれが普通だと言わんばかりに堂々と闊歩している。

「すみません、十四時から五十六尾道氏と面会を予定しているものですが」

 そのまま受付に向かうと、恭しく会釈をしてくるコンシェルジュに話しかけた。

「伺っております。五十六様は十四階のルームAにてお待ちです。お手数ですが五十六様からの指定ですので荷物を全てお持ちになったまま、あちらのエレベーターからお上がり下さい」

 示す先には、ボーイが待ち構えたエレベーターが鎮座していた。

「ありがとう。……だそうよ」

「お、おう」

言われるがまま従った俺たちは、エレベーターに乗り込み上の階へと向かう。

「こんなところに泊まっているなんて、四ツ星探偵ってそんなに儲かるのかね」

「さあ、興味ないわね」

「お前、多少は興味持てよ。将来自分がこうなるかもしれないんだぞ?」

「……」

「無視かよ」

 なんて会話を交わしながら、エレベーターは目的である十四階に着く。

「どうぞごゆっくり」

 そんなボーイの言葉を受けてエレベーターから出ると、広々としたロビーに出る。

 まだ部屋には着いていないと言うのに、ロビー全体には至る所に華美な装飾が施されており、何の匂いかは分からないが、どこからか高級そうなお香の匂いがした。

 左手を見ると、短距離走が出来そうなほどに伸びた廊下の先に目的の部屋が見える。

「あそこか」

 廊下を抜け部屋の前に立つと、俺は扉をノックし声をかける。

「五十六さーん? ご指名で来ました、棺と東雲ですけどー」

「……入れ」

 少しの沈黙の間、扉の奥から聞こえてきたのは、地の底から響くような声。声を聞いただけだというのに、背中には少し冷や汗をかくような威厳のある声だった。

 俺は東雲の方へ顔を向ける。相変わらず表情を変えない東雲は、さっさと入れという表情でこちらを見ていた。そこまで見てくるならお前から行けよコイツ。

「し、失礼しまーす」

 俺は扉を一息に開けると、中に踏み込んだ。部屋に入ってまず、入り口から伸びた廊下の先、俺の背丈ほどはありそうな一枚ガラスの窓に広がるパノラマビューが見えた。

 窓外には気持ちの良い青空と街の風景が写っており、一枚の絵画になりそうなほどに美しい。

続けて目に入ったのは、部屋のインテリアだった。

置かれた調度品はどれも、一目でわかるような高級感を醸し出していながらも、決して下品ではなく、見るものに静謐ながらも荘厳な印象を与えていた。確かに、この部屋ならあの馬鹿みたいな値段でも納得出来る。こういうことに疎い俺でもわかるほどだ。

 そして部屋の中を進んでいくと、部屋の奥に置かれた革製の四人がけソファーに腰掛けている一人の男が見えた。

「……来たか」

 先ほどの声の主のようで、決して大声を張っているわけでも無く、むしろ呟く程度だったというのに、その声は数メートル離れたここからでもはっきりと聞き取れた。

 男は書類に印鑑を押すため俯いていた顔を上げるとこちらを見据える。

 その男──五十六尾道は、その姿を一言で表すとするならば、引退した軍隊の指揮官のような風貌の男だった。顔には幾重にも皺が入っていて、頭は綺麗に丸められている。左目には眼帯を身につけ、残った右目はまるで猛禽類のごとく力強く鋭い眼光を放っており、豊潤に蓄えられた髭と相まって、男からは溢れる荒々しさを感じられた。

 剛隆とした肉体を白のシャツにマリンブルーのジャケット、そして黒のジーンズに包んだ姿はとても齢七十二とは思えない力強さに溢れており、探偵として現役だった頃は各地で強襲制圧を幾度も成功させてきたという経歴も、一目見るだけで十分に理解できた。

 なるほど、さすがシグマのように能力を持たない身で四ツ星探偵にまでのし上がってきただけのことはある。ここからでも十分な威圧感だ。

「あんたが俺たちを指名した五十六さんっつーことで良いんですよね?」

 尋ねてみるが、五十六さんはこちらを見たまま何も答えない。

「あの?」

 返答は無し。どうしたんだこの爺さん? 突発性の痴呆症か?

「あのー、大丈夫ッスか?」

「なるほど、あの男の弟子なだけのことはある」

「は?」

「先ほどの問いに答えよう。いかにも、私が五十六尾道だ」

 こちらの困惑を意にも介せず、五十六さんはそう答えた。

「はあ、どうも。棺九郎です」

 なんだかずいぶんと面倒くさそうな爺さんだな。東雲と同じくらいに。

 横に立つ東雲を横目で確認すると、飾られていた花瓶を手に取り眺めていた。

 コイツ……。

「で、あれが東雲玻玖亜です。それで五十六さん、こうして来といて言うのもなんなんすけどね。俺とアイツ、相性最悪なんすよ。なんでバディーとしては大して役に立たないと思いますけど?」

「構わん、私が依頼する仕事は必ずしも二人で動く必要はない。各々が優れた実力を持っているなら、それで十分事足りる」

「そうっすか……」

 それにしても、なんで経験を積んでいる三年生では無く俺たちをわざわざ指名したのか。

 俺には目の前の老人が一体何を考えているのか、さっぱり分からなかった。

「で、早速依頼内容について教えてほしいのだけれど」

 さっきまで呑気に花瓶なんて見ていたくせに、東雲は早急に本題をせっつきだした。

「そう焦るな。それと、捜し物は見つかったか? 娘」

「……いいえ、残念ながら」

「おい、何の話だよ」

「ここまで言われて察せない知能のあなたには教えられないわ」

「けっ、そうかよ」

 くそっ、本当に口が減らない奴だな。

「依頼というのはこれだ」

俺たちのやりとりを気にせず、五十六さんは足下からスーツケースを一つ取り出すと、机の上に置いた。スーツケースは一般的な物より二回りほど大きいサイズで、重厚感のある黒いボディーにはいくつかの錠前がついている。

「このスーツケースが、どうかしたんです?」

「中身を教えるその前に、お前たちに一つ問う」

 五十六さんはおもむろに立ち上がると、部屋に備え付けられたウイスキーボトルを手に取る。そしてグラスに注ぐと、一息に飲み干した。

 すっげ、あれサカザキの三十年物だろ。一杯で十万は行く酒じゃねえの?

「──真実を知る覚悟はあるか?」

 そう語った五十六さんの声はこれまでのどこか威圧的なものとは違った、この男の根底にある誠実さを感じさせる声だった。

 俺はあっけにとられて何も言えず、ただ五十六さんを見つめる。

「覗いた者を引きずり込み、どこまでも底へ落とすような真実。お前たちには、それを知る覚悟が、その身のうちにあるか?」

 どうやら、目の前の男は冗談を言うつもりではないらしい。

「一体、どういう……」

「なければ直ちにここを去れ。そしてもし聞くつもりなのであれば、この先の人生、常に己が背後に闇を抱え続けることと知れ」

 まるで、自身がそうであったかのような、実感のこもった言葉だった。

 なんなんだよ。この爺さんは俺たちに、一体何を伝えようとしているんだ。

「俺は……」

 どう答えるべきか。俺が言葉に詰まっていると、

「私は聞くわ」

 躊躇いなく五十六さんの対面にあるソファーに腰掛けた東雲は、一切の迷いを感じさせない声色ではっきりとそう答えた。

「あなたの言う真実は、きっと私にとって価値のあるものだろうから」

 いつも通り表情はまったく変わらない東雲だったが、いつになくその顔は真剣に見えた。

 五十六さんは一度頷くと、今度はこちらに視線を向けてくる。

「っ、ああもう、分かったっての!」

 俺は叫ぶように言うと、東雲の隣に腰掛けた。

「別に、帰ったっていいのよ?」

「やだね、ここまで来てすごすご帰れるかよ」

 ……それに。

「それに、この話は聞き逃しちゃいけない。聞かなきゃいけない気がするんだよ」

 ほとんど勘に近かったが、そんな予感が確かに、俺の中にあった。

「両者とも、いいのだな?」

 俺たちは首肯して返す。

「よろしい、ならば、お前たちに──」

 ガシャン。

 五十六さんの言葉を遮ったのは、その手に持っていたはずのグラスがこぼれ落ちて、机で割れた音だった。

「ぐ、う」

 突如として五十六さんは顔を苦痛に歪めると、左胸を右手で押さえる。そして少しの間そのまま呻くと、その場に崩れ落ちた。

「は?」

 何が起きたのか分からず、俺は数瞬あっけに取られる。しかし、目の前で起きたことが演技などではない現実と理解すると、俺ははじかれるように駆け寄った。

「五十六さん!」

 急いで五十六さんを抱き起こす。その顔は真っ青を通り越して白くなっており、顔や体には脂汗を大量にかいていた。

「おい、どうしたんだよ!」

 俺は尋ねるものの、五十六は痛みに呻くばかりで何も言えずにいる。

 あの酒に毒でも入っていたのか? いや、だったらもっと違う症状が出るんじゃ?

 とにかく、今は急いで助けを呼ばないと!

「東雲、急いで救急車を呼んでくれ!」

「もうやってるわ」

 東雲は既にスマホで電話をかけていた。よし、後は……。

「ならん……!」

 何か他にやれることがないか頭の中で探っていると、五十六が絞り出すような声と共に俺の手を掴んだ。

「大丈夫、すぐに救急車が来る! だから安心して」

「ここにいてはならん……!」

五十六の言葉の意味が分からず、俺はまたも困惑する。

「はあ? どういうことだよ!?」

「依頼だ、若き探偵たち……! このケースを持って、逃げろ……!」

 逃げろ? こんな非常時だっつーのに、一体何を言ってんだこの爺さん!

「お前たち……迫って……」

「何言ってんのかわかんねえよ!」

「奴が……が遂に……て……真実、を……!」

 そこまで言うと、五十六は目を大きく見開いて、口を開けたまま動かなくなった。

「五十六さん!? おい、起きろって!」

 手首に指を当てるが、脈は感じられない。続けて心臓の鼓動、呼吸音に耳を澄ませるが、どちらもまったく聞こえてこなかった。

 まずい、心臓が止まってる……!

 原因はなんだ? ついさっきまで、そんな前兆なんてまるで無かった。

くそっ、今はそんなこと考えてる場合じゃねえか!

「死なせてたまるかよ……!」

 俺は五十六さんのシャツを胸の部分だけはだけさせ、首の向きを変え気道を確保すると、心臓マッサージを始める。

 数セットの心臓マッサージと、人工呼吸。それを繰り返しても、五十六さんは目覚めない。

「東雲、救急車はまだか!?」

 後ろにいるはずの東雲に尋ねるが、答えは返ってこない。

「おい、東雲!」

「静かに、誰か来る」

 横目にちらりと見ると、東雲は壁に耳をあて聞き耳を立てていた。

「救急か!?」

 良かった、これで助かるかもしれねえ!

「いえ、これは……」

 東雲が言い終わらないうちに部屋の扉は蹴破られ、スーツを着た男たちが五人、部屋になだれ込むようにして入ってきた。

「棺九郎に東雲玻玖亜だな。両手を挙げて床に伏せろ」

 男の一人が懐から何かを取り出すとこちらに向けてくる。それは警察手帳で、男の写真と警察の身分を表すエンブレムが載っている。

「確かに通報はしていたけれど、ずいぶんとお早い到着なのね。まるで、最初からこの近くにスタンバイしていたみたい」

「……数分ほど前に通報を受けたんだ。ここに殺人事件の容疑者がいるってねえ」

「何の話だよ! つーかあんたら警察なら、早くこっち来て手伝ってくれって!」

「いいから、手を挙げて床に伏せろ!」

 助力を要求してみるものの、男は語気を荒げてこちらへ命令してくるばかりで、一切手伝おうとする素振りはない。

「ふざけんじゃねえ! こちとら人の命がかかってんだよ!」

「……ふうん、逆らおうってわけかい。なら、こっちは公務執行妨害の現行犯で捕まえさせてもらおうかなあ」

 心臓マッサージを続けながらそう返すと、手錠を懐から出し男はこちらへ近寄ってきた。

 しかし、俺と男たちの間に東雲が立ち塞がる。

「お嬢ちゃん、邪魔するなら手荒くしちゃうよお? どいときな」

「さっき話していた、殺人容疑って一体何のことかしら? ここへ私たちを捕まえに来たというのなら、令状があるのでしょう?」

「それは必要ない。君らはこのまま現行犯で挙げる」

「現行犯? 五十六尾道が倒れたのはあなたたちが入る前よ、一体どこを見て現行犯だと判断したのかしら。この部屋の様子を監視していたのじゃああるまいし。それに人命救助と公務、どちらが優先されるべきか、まさか警察官が分からないとは言わないわよね?」

 圧迫感のある言動で対応してくる刑事に対し、東雲はまったく怯むことなく言い返す。

 アイツ、こういう時には頼りになるな。

「……一ヶ月ほど前から続いている、連続爆破テロ並びに連続殺人事件は知っているだろう。その容疑者として、僕らは君たちを逮捕しにきたのさ」

「何か証拠でも挙がったのかしら?」

「ああ、君らの指紋が爆破現場から出た上、事件に使用されたとされる武器や凶器からも同じように検出された」

「指紋が? おかしいだろ、俺はんなところに行ったことも人を殺した記憶もねえ!」

 何かの間違いじゃあねえのか!?

「私も同意見ね。一切そんなものに関与した覚えはないわ」

「こちらでで照合した結果ピッタリと符合したんだもの、論より証拠さ。なんて反論しようが決定的なものが出ちゃってるからねえ」

「……なるほど、そういうことね」

 少しの間顎に指をあて考え込む素振りを見せると、東雲は得心がいったようだった。

「あなたたちはどうやってでも私たちをこのまま無理やりに逮捕したい、狙いはおそらく、五十六尾道を殺したかった誰かの代わりに、私たちに濡れ衣を着せるためといったところかしら」

 東雲の話した内容は、にわかには信じられない内容だった。

 そりゃそうだ。その内容が真実なら、警察が俺たちに冤罪を着せようとしていることになる。

 国家権力の警察が、ただの探偵科生徒二人に連続殺人とテロの濡れ衣を?

 なんておかしな話だ、ここまで突飛だと笑えてくる。だが、今それがこうして目の前で現実になろうとしていることくらい、俺にでもわかった。

 目の前で語られている陰謀論じみた考察に対し、

「……さて、一体何の話だか、よく分からないな」

 男はそう呟くように答えると、薄ら寒い笑みを浮かべる。

 その顔には情熱というものは感じられず、ただ胸底に渦巻く何かが写って見えた気がする。

 コイツの言葉は何一つ信用に値しない。俺の胸内で、直感がそう囁いた。

「ところで、市民を守ることが仕事である警察の皆さんは、さっきからそこで倒れているご老人の救命活動にはご協力いただけないのかしら?」

「もちろん市民を守ることが一番大事さあ。だからそのためにこうして君らを見張っている。何せ、相手は危険な爆破テロと連続殺人の容疑者なわけだからねえ」

「そう。刑事というのはずいぶんと楽な仕事なのね。憧れてしまうわ」

 男と会話を交わしながら、東雲は左手を俺のいる背中側へと回してきた。そして手でこちらへ示す。これは……。

 後ろ手に示していたのは、探偵の間で使われているハンドサインだ。

 『五秒後』、『敵へ』、『仕掛ける』、『耳』、『目』、『注意』。

 どうやらコイツ、何かをやらかすつもりらしい。止めなければならないのかも知れないが、応急処置をやめる方が最悪だ。俺は五十六さんの応急手当を続けながら、横目で東雲の様子を窺っておく。すると、その足下に突如として何かが落ちた。

「拾っても?」

「……いや、こちらで拾おう。君たちはそれ以上動かないでくれ」

 何か仕掛けてくると疑ったらしい。動こうとする東雲を手で制してくる。

「私の大事な物なの。誰にも触れさせたくないのだけれど」

「悪いが、そういうわけにもいかない。手袋はする、それで勘弁願うよ」

 妙に引き下がってくる東雲に対し、刑事は頑として譲らない。

 コイツまさか、何か仕掛けようとして失敗したんじゃねえだろうな……!?

「……分かったわ。なら今すぐ拾って貰えるかしら、紳士な刑事さん」

 渋々といった様子で頷くと、自分が立っている場所から一歩退いた。

 その時、ほんのわずかに東雲がこちらへ目配せをする。

 っ、そうか。そういうことかよ。

 俺は目の前のコイツが何をしようとしているのか理解すると、身構えて時を待つ。そして東雲が落とした物を拾おうと刑事がしゃがみ込み、他の刑事たちと共に視線を注目させたその時。

「──失礼」

 足下へ落ちていた何かを東雲が踏みつけたと同時に、あたりがまばゆい閃光と耳をつんざくような高い爆発音に包まれた。

 ──閃光手榴弾。

 高い金属音のような音と光で対象者の視覚と聴覚を封じ、制圧を容易にする非殺生型手榴弾。

 おそらく、アイツはその類いの物を使ったのだろう。

 既に目と耳を塞いでおいた俺は、すぐさま立ち上がる。そこでは真正面からまともに閃光を喰らった男たちが、目と耳を押さえながらふらふらと体をゆらし、うめき声をあげていた。

「ぐっ、何を……!」

 東雲は一番手前の男に近づくと、懐から黒い機械を取り出して胴体へ押し当てた。

 バチッという電気が弾けるような音が流れると、男はうめき声を上げ倒れる。

 その手に握られていたのは、黒いスタンガンだった。

 東雲は続けて二人目、三人目とスタンガンを当てていく。

「このガキっ……!」

 まだ視界が上手く定まっていないながらもつかみかかろうとした男の手をひらりと躱すと、いともあっさり気絶させた。

 手を軽く払った東雲は、平然とした様子でスーツケースを取る。

「今のうちよ、逃げましょう」

「逃げるって、警察相手にか!?」

「なら、あなたはこの逮捕に納得できるの?」

「出来るわけないだろ! でもあの人らから逃げるっつーのは、つまり……」

 国家権力である警察から逃げると言うことは、罪を認めて逃亡犯になるということだ。

 そんなことをすれば国に追われる立場になるだけじゃなく、探偵ライセンスも剥奪されることになる。納得はもちろんいっていない。だがそれは、出来ることなら避けたい道だった。

「考えなさい。偽造された証拠に、五十六尾道への怪死、そしてその後即座に駆けつけてきたこの男たち。どう考えても今の私たちが置かれた状況はおかしい。このまま素直に捕まったところで、冤罪だと発覚するとは思えない」

「シグマや校長たちなら俺たちを信じて調査してくれる! だから捕まったとしても」

「彼らでさえ、絶対に信じられると言える? 国家権力である警察でさえもこうして私たちを陥れようとしてきた。この状況で、それでもそんな脳天気なことを口に出来るの?」

「っ……!」

 東雲の言うとおりだ。信じてと口にした俺でさえ、今絶対に信じられるのかと言われれば嘘になる。本来俺たちにとって味方のようなものである警察が仕掛けてきた。その衝撃は、あまりにも大きかった。

「今この場で私たちが多少であれど信用できると言えるのは、冤罪の身同士であるお互いだけ。あなたの頭でもそれぐらいは分かるでしょう」

「……ああ」

「なら早くしなさい」

「けどよ……!」

 俺は五十六さんの胸の上に添えていた拳を、固く握る。

 まだ心肺蘇生の可能性が残されてはいる。けど蘇生確率は心肺停止から時間が経つほどに低くなる。こうして眺めている今も、五十六さんはどんどん死へと近づいていた。

 そんな人を見捨てることなんて、俺には……!

「良いわ、あなたが逃げたくないと言うのなら、それも自由。好きにしなさい。ただ彼が望んでいたのは、『自分を死なせるな』なんてことだったかしら?」

「……!」

 そうだ。この人は自分が危険な状況に遭っても、自分のことではなく、俺たちへスーツケースを託し、逃げろと言っていた。俺たちに、探偵に最期の依頼を託した。

 そんな彼の思いを尊重するのだったら、依頼を受けた探偵なのなら。

やるべきことは、ただ一つだ。

「悪い、五十六さん。後で絶対、謝りに行くからよ」

 せめてもと瞼を閉じさせると、俺は立ち上がる。

「行きましょう」

「おう」

俺たちは男たちを越え部屋を飛び出した。そのままエレベーターホールへ向かうが、取り逃がさないようにするためか、ここにもさっきの奴らと同じ格好の男たちが待っていた。

「押し通るぞ!」

「ええ」

 奴らはこちらに気づくと、各能力を使って各々攻撃を仕掛けてくる。俺は手前の男が口から吐き出した種のような黒い球体に対し、来ていたジャケットを盾にして防ぐ。そのまま接近し相手の顔に被せて視界を奪い、続けざまのみぞおちへの一撃で意識を刈り取った。

 続けてタコと化して掴みかかってきた男の八本腕をジャブとストレートを織り交ぜたコンビネーションで弾く。めげずに再び掴もうとしてきた男の顎に一発右フックをかましてから、足の一本を掴んで背負い投げで床に沈める。

「こいつっ!」

 声の方へ振り返ると、男が長いハンマーを構えて今にも振り下ろそうとしていた。俺が避けようとしたその時、横から飛来した銃弾が男の手に命中した。苦痛に顔を歪めた一瞬の隙をついて、前蹴りを胴体に叩き込む。吹き飛んで壁に激突すると、ハンマー男は気絶した。

 銃弾が飛んできた方には、当たり前だが東雲がいた。その足下には数人倒れている。俺が戦っている間に倒したのだろう。

「どうも」

 コイツ、俺を助けたのか。さっきのことといい、もしかしたら本当は良い奴なのかも──。

「お礼を言う暇があるなら、もっと早く倒してくれるかしら?」

 駄目だ。やっぱり後でしばこう。

 今すぐに文句を言いたい気持ちをぐっと抑えて、俺は東雲に続いて階段を降りていく。しかし、俺たちが逃げたことが伝わったのか、下の階からは階段を昇っている大勢の足音と人影が見えた。

「何人いやがんだよ。どうする? このままあれを相手していたんじゃ、目え覚ました上の奴らと挟み撃ちになりかねねーぞ」

「なら途中階にある連絡通路で別棟に行きましょう」

「よっしゃ、ノった」

俺たちは途中の階で階段を抜けると、廊下を駆けていく。ありがたいことに他の客はおらず、スムーズに連絡通路へたどり着いた。通路は床部分以外はガラス張りとなっており、そこからは通路の真下にある道路の様子やその奥にある街の景色が見えた。

「ガキどもだ、いたぞ!」

 だが、どうやら向こうはこちらの動きを読んでいたらしい。またしても数人の男たちが、連絡通路の向こう側に立ち塞がっていた。

「ちっ、仕方ねえ。また強行突破を……」

「その必要はないわ」

 東雲は俺の言葉を遮ると、懐から二つのダイスを取り出した。

「ダイス? 今んなもん出してる場合じゃねえだろ」

 ん? つーかこのダイス、どっかで……。

「いいから、見ていなさい──煙幕賽(スモーク)」

 こちらを制すと片方は男たちへ、もう片方を壁のガラスへ投げる。

「確保!」

 向かってくる男たちの方へ投げられたダイスは一度跳ね、灰色の煙を吐き出した。煙は廊下へ満ちると、俺たちの姿を隠す。それとほぼ同時に壁へ当たったもう一つのダイスは、直後手で遮りたくなるほどの熱と耳をつんざく裂音を鳴らす。気がつくと、ガラスの壁には人が通れるほどの穴が開いていた。

「炸裂賽(ニトロ)」

「くっ、視界が……! 風を使える奴はいるか!?」

「駄目だ、何も見えない!」

男たちは煙に包まれた中で爆発が起きたせいで、すっかり混乱しているようだ。

で、東雲の奴はどうするつもりなんだ? 後ろも追手が来ているかも知れないし、この状態だと後逃げられる場所は……。

……まさか。

「飛ぶわよ」

「嘘だろおい!?」

いくら多少階を降りてきたとはいえ、まだ十階近くある。飛び降りたらどう考えてもただではすまないどころの騒ぎじゃ無いだろう。俺の能力だったらおそらく耐えられるのだが、だがそれでも、出来ると言うことと平気というのは全く別だ。

「早くしなさい。煙がそろそろ切れるわよ」

「急かすな! 色々あるだろ、心の準備とか!」

 正直、あまり高いところは得意じゃあ無い。遊園地の子供向け観覧車だってあまり乗りたくないんだぞ、俺は。

「そう」

「ああ、だからもうちょっと深呼吸してから」

「じゃあ行くわよ」

「おいだから待てってちょ引っ張るなうおおおおおっ!?」

こっちの言葉をまるで聞かず、こちらの袖を掴んだ東雲は俺を引っ張ると連絡通路から飛び出した。視界いっぱいに下の風景が広がる。た、高え……!

「っ、手札公開──」

 あっという間に落下していく視界の中咄嗟に能力を発動させようとするが、その前に俺の体は前方から発生した強い風に落下を押しとどめられた後、ふんわりとして心地よい柔らかさに包まれた。

「な、なんだ?」

 状況が分からず、俺はあたりを見回す。そこはどうやら連絡通路の下を通りかかったトラックの上らしい。車両の駆動音と共に周りの景色が流れていく。

 なら、この下にある物はなんだ? 視線を向けると、空気が詰まったクッションのような物が敷いてあった。車のエアバッグのようなそれは、少しすると空気の抜けていく音と共に段々としぼんでいき、最後にはしなしなになったクッションとそれが繋がった一つのダイスが残った。

「空衝賽(エアー・ダイス)よ。どう? 飛び降りた気分は」

「ああ、最高だよ。てめえ覚えてろ!」

「そう。なら良かった」

「いいか、次からは飛ぶときに予告しろ! じゃねえとぶっ飛ばすからな!」

「こうして無事に生きているでしょう? 文句は死んでから言ってちょうだい」

「『死人に口なし』って言葉知ってるか!?」

「そろそろ降りるわよ」

「ちょっ、おい待てやこら!」

 最悪な女を追ってトラックを飛び降りる直前、転がったダイスに視線をやる。

 さっきから頭の片隅にある一つの疑い。それが今、段々と形になろうとしていた。

 しかし今は気にしないことにして、東雲の後を追う。

 降りた先にあったのは、ホテル近くにある商店街だった。

 足早に人並みを抜けていく東雲を追いかけながら尋ねる。

「で、どこに行くつもりなんだよ。まさかお家に帰るとは言わねえよな?」

「まさか、もう行き先は決まっているわ」

「どこだ?」

 質問に対し、東雲は答えず立ち止まった。

 無視ならしばいてやろうと肩を叩きかけたとき、肌がそわつくような感覚を覚える。

 なるほど、そういうことか。

 俺はすぐさま構えを取り、敵の襲撃に備える。

「何人だ?」

「おそらく二人、でもさっきとは質が違うわね」

 そう言うと東雲は懐のホルスターから拳銃を抜き、地面へ向け発砲した。

 最初は状況が飲み込めなかった人々だったが、もう一発東雲が撃つと、次第に今の自分が置かれた状況を理解し、悲鳴を上げて逃げ出し始めた。

「てめ、何やってんだよ!」

「ただの空砲よ。このままじゃあ巻き込む可能性がある。人質を取られては面倒でしょう?」

「だとしても、もうちょいやり方ってもんがな……」

「来るわよ」

 その一言と同時に気配を感じ、前へ視線を向ける。そこには俺たちから逃げようとする人たちとは逆に、こちらへ向かってくる二人組がいた。

 数は報告通り二人。だが警察の人間とは違い明らかにゴロツキの類いだった。

片方は黄色に黒の虎模様が派手なジャケットを羽織り金髪を長く伸ばした男で、出刃包丁を手に持っている。もう片方は地味目の紫パーカーにヘッドホンをした同じく二十代ほどの男。そちらは前髪を真横で揃えているのが印象的だった。

「白昼堂々襲撃とは、ずいぶんと血の気が多いのね」

「アンタらをとっとと捕まえて、夜は報酬でしこたま飲むって決めとんねん。悪いのお」

 虎模様の男は出刃包丁を軽快に回しながら、軽薄な笑みを浮かべそう答えた。

「どうする? 逃げるか」

「そうもいかないみたいよ」

 東雲が視線で示した方を見ると、いつの間にかあたりに蜘蛛糸が張り巡らされており、逃げ道は全て封鎖されていた。何重にも張らず一面につき一枚なのはおそらく、触れた相手を捕縛出来るのだろう。おそらく無理に破ろうとするのも難しいはず。

「やるしかねえってことか」

「そうやで兄ちゃん。とっととふんどし締めて、覚悟キメやあ!」

虎模様の男は言葉と同時にこちらへ飛びかかり、出刃包丁を振り下ろしてくる。

横へ跳び避けようとするが、何かに足を引っ張られてその場でつまずく。足下を見ると蜘蛛の巣が足へ絡みついていた。

「くそっ!」

仕方なくその場で身を捻って躱すが、出刃包丁は肩をかすめると服を裂き肌の表面を切った。

「どうや? うちの久茂田の能力は! 上手く動けんやろ!」

「刃内、喋ってねーで手え動かせ!」

そう呼ばれた虎模様の男もとい刃内を警戒したまま後ろを確認すると、そちらでは東雲と久茂田がやりあっていた。放たれた銃弾は久茂田が手から出す糸で絡め取られて届かず、逆に東雲が糸を避けてもそれが床に残留し埋め尽くされていき、少しずつ足場を削られようとしている。

ただでさえ面倒な相手に加えて東雲は五十六さんから託されたスーツケースを持って戦っている。相当やりづらいだろう。

「よそ見とは余裕なやっちゃのう!」

意識を刃内に戻すと、出刃包丁の連撃をステップで避けていく。

「はあっ!」

 相手の息が途切れるまで動き続けると、攻撃の合間を縫うように飛び込んだ。狙いはカウンターでのアッパーだ。

 しかし刃内は上体を反らすと拳を空振りさせる。ならもう一撃ぶちかますまでだ……!

 ジャケットの襟を掴むと力任せに壁へぶん投げる。そしてすぐに自分も同じ方向へ走ると、前蹴りを叩き込むべく足を構えた。だが上手くはいかない。刃内は壁を蹴って上へ跳ぶ。

 狙いはさっきと同じ上からの一撃だろう。迎え撃とうと構えた俺は、狙いを定めるべく上を向くと、目の前に広がる光景に思わず笑みを零した。

「びっくり人間かよ、おい……!」

 そこでは虎模様のジャケットをたなびかせて、刃内が天井に立っていた。

「せやろ、飲み会では最高の掴みネタや!」

天井から落ちてきながらの斬撃に対し横へ跳び、着地したところを肉薄して回し蹴りで狙い撃つ。しかし刃内は後ろへ下がると、壁を天井へ向けて走り抜けた。

天井や壁を地面と同じように動くことの出来る能力か、厄介だな。

跳躍して追おうとするが、足下の蜘蛛の巣がそれを許さない。

くそっ、片方だけの能力ならなんとかなるのに、面倒な奴らだな……!

こちらは機動力が奪われるのに対し、向こうは壁や天井を使って攻撃を仕掛けてくる。

腹が立つほどに良いコンビじゃねえか。俺らと違って。

こっちもコンビネーションで突破するか? ……いや、無理だな。アイツと意思疎通出来るとは到底思えねえ。しかし、このままここで戦い続ければ警察が来る可能性もある。決着は出来る限り早く着けたいところだった。

……仕方ねえ。ここは個人技で突破するしかねえか。

「おい東雲、ちょっと暴れるぞ」

「……わかったわ」

 その言葉だけでやろうとしていることを察したらしい。

 さっきまで動き回り続けていた東雲は、銃撃で敵を牽制する動きにシフトする。

 こういうときは素直なのかよ。まあ、助かるが。

「なんや、面白いもんでも見せてくれるんか?」

「ああ、見せてやるよ。最も、お前らに取っちゃ面白くはねえだろうけどな」

 俺は右手の掌を上へ構えると、能力発動のトリガーを呟く。

「──黒の道化師・手札公開(アトルギアジョーカー・ショウダウン)」

 その言葉を呟いた次の瞬間、周囲の空気は震え、肌には痺れるような感覚が起きる。

 刃内たちや東雲も、突如として発動した能力が放つただならぬ雰囲気に気圧されて、言葉を失いただ目の前の状況を静観していた。

そしてさっきまで何も無かったはずの掌の上に、一枚のトランプが出現した。同時に俺の左目の下には、道化師の刻印が現れる。

「──緋の先駆者(カーディナル・エース)……!」

 能力を解放するための第二のトリガーを宣言すると、トランプに変化が起きた。

 気味悪く笑った道化師が描かれた一枚のカードは黒く輝くと、その姿を緋色に輝くハートのエースに変貌させた。

俺は掌に浮かんでいたカードを掴むと、全力で握り砕く。

 すると体にカードと同じ緋色の稲光が走り出し、体に力が漲り出した。

 これで能力は発動完了だ。

「降参するなら今のうちだぜ。しねえってなら、三分間で沈めてやるよ」

 俺は唖然としている刃内たちへ声をかける。

「はあ? 何アホ抜かすねんこのタコ。そっちこそ、命乞いするなら、ッ」

 瞬間、刃内は言葉の続きを言うことなく殴り飛ばされる。そうなった理由は単純明快、俺が瞬きする間もない速度で天井にまで肉薄し、全力の一撃を叩き込んだからだ。

 『緋の先駆者』。

 能力は肉体機能の超強化、ただそれのみ。しかし単純であることとそれなりに肉体への反動が存在している故に、出力は強化系統の能力でも屈指の強さを誇る。

 瞬間的な最高速度はF1の最高速度である時速420キロを越え、力に関しても数秒であればショベルカーなどの重機と真正面から対決しても上回るパワーを誇る。

 シンプルイズベストを体現したようなこれこそが、今の俺が持つ能力だった。

「うおぇっ、兄ちゃんごっつええパンチしとるやんけ! 一瞬死んだかと思うたわ……!」

 どうやら、蜘蛛糸がクッションになって衝撃を和らげたらしい。

 刃内の膝は震え咳き込んでいたが、一撃でノックアウトとまではいかなかったようだ。

 今の一撃でも自動車を軽々吹っ飛ばすくらいの威力だったはずだが、丈夫なんだな。

「まだまだ、こんなもんじゃねえ、よっ!」

 俺は声と共に再び走り出す。刃内は咄嗟に攻撃に合わせて出刃包丁を振り、カウンターを仕掛けようとしてくるが、そうはいかない。

 到達する直前で真反対に切り返すと、今度は糸を出していた久茂田へ攻撃を仕掛ける。

 気づいた久茂田が糸を吐き出すが、俺は切り返した瞬間に拾って置いた商店街の看板を盾にして防ぐ。そして久茂田の懐へ入ると腕を掴み、そのまま腕力に任せて思いっきり地面へぶん投げた。咄嗟に横の壁へ糸を張って少しでもダメージの軽減を試みるが、東雲が横から放った銃撃によって阻害され、そのまま受け身も取れずにコンクリートへ叩き付けられる。

「が、はっ……!」

「久茂田ぁ!」

 焦りでこちらへ刃内が飛びかかってくる。しかしもう遅い。

「──悪いな、終わらせる」

 後ろへバックステップで躱してからの、最高速度の走り前蹴り。能力で跳ね上がった力に最高の加速度が乗った一撃が、出刃包丁をたたき折りながら刃内を吹き飛ばした。

 吹き飛ばされた刃内は蜘蛛糸すら破ると、商店街の壁へ轟音を立てて激突した。

「ば、化け物、やな……」

「あったりまえだ。俺は最高の探偵たちの弟子なんだぜ?」

 刃内は刃が無くなり、柄だけが残された出刃包丁を手からこぼれ落とすと、意識を失いその場に崩れ落ちた。もう片方、久茂田の方を確認すると、その側に立って懐を探っていた東雲が首を縦に振る。どうやら気絶しているらしい。

「うっし、ひとまず片付いたな」

「ええ」

 俺は弾んだ息を整えると、能力を解除する。

「こいつら、探偵か何かか?」

「違うみたいよ。探偵ライセンスは持っていなかったし、そもそも彼、身分がわかるものを一切所持していなかった。おそらく彼らは賞金稼ぎで、さっきの彼らと同じく何者かに手を回されて私たちを捕らえに来たところ、と言ったところかしら」

「賞金稼ぎぃ? そんな奴らまで追って来てんのかよ。どうなってんだ……?」

「どうやら私たちの相手は、そこまでの価値を私たちに見いだしているみたいね。まったくもって光栄なことだわ」

「嬉しくねえよ……」

「……」

「……ん? な、なんだよ、どうかしたのか?」

 まさか、俺の能力のカラクリがバレたのか?

 じっとりと冷や汗を背中に覚えつつも、俺は出来る限りポーカーフェイスに努める。だがしかし、どうにも美味く取り繕えている自信は無い。平静を装うというのは苦手だ。

 そう、俺の能力『黒の道化師』には種も仕掛けも当然存在する。それも、もし特定の人間にバレたなら確実に面倒なことになる厄介な事情が。

「いえ、愚直なあなたらしい能力だな、と思っただけよ」

 だがその焦りはどうやら杞憂だったようだ。

「そうかよ。じゃ、逃げようぜ。こいつらみたいなのがまだ来るとも限らねえ」

 心の中で胸をなで下ろすと、俺は親指で先への道を指し示す。

「そうね」

 俺たちは走り出すと、商店街の細い路地に駆け込んだ。



 商店街から一時間ほど移動したあたり、廃ビルや空き店舗が羅列されているシャッター街。

「……撒いた、か?」

 三階建ての小さなビルにひとまず逃げ込んだ俺たちは、一度軽い休憩をしていた。

「おそらくね」

「はあ、疲れた……」

 周囲の様子を確認してから、タイル張りの床に座り込む。

 追手を撒いた俺たちは、ほとんど空きテナントとなっていたビルへ忍び込んでいた。

「追う側は何度も経験したが、まさか追われる側になる日が来るとはな……」

「こうなった以上、誰かに連絡を取ることは出来ないし、そうすれば私たちの居所を探知される可能性が高い。とりあえず、スマホの電源は切っておきましょう」

「おう」

 懐からスマホを取り出し電源ボタンを押す。しかし、反応はない。

 長押しなども試してみるが、うんともすんとも言わなかった。

「うん? どうなってんだこれ」

「もしかして、そっちも壊れているの?」

「そっちも、ってお前もか?」

「ええ。何をしても反応がないわ」

「くそっ、ジャミングか、それとも能力で何かされてんのか?」

「かもしれない。けれど、今の私たちにとっては逆に好都合。今の状況であればスマホが使えなくても問題ないと考えていいでしょう」

「それもそうか」

 ……なら、なんで向こうは俺たちのスマホを使えなくさせたんだ?

 向こうからしてみりゃ無駄に妨害をかけるよりも、万が一こっちが連絡を取る可能性を考えて放っておいた方が良さそうなもんなのに。

 それとも、何か他の狙いが……?

 思考を巡らせてみるが、まったく持ってあり得そうな答えは浮かんで来ない。

 ただ、何か小骨が喉の奥に引っかかったような感覚だけがあった。

「ねえ、あれを見て」

 さっきからずっと窓の外を監視している東雲に声をかけられ、ひとまず疑問を胸の内にしまっておくことにして立ち上がる。

「あ? どれだよ」

 俺は東雲が示すとおり、放置され埃を被っていたブラインドの隙間から外を窺う。

すると、そこからは通りに設置された街頭テレビが見えた。

「何々、『入戸高校探偵科の生徒が連続殺人・テロに関係、被疑者として行方を捜索中』……、はあ!?」

「まあ、妥当な流れでしょうね」

「嘘だろおい、冤罪だっつーのによ……」

「言ったでしょう。向こうは何であろうとこちらをはなから捕まえるつもりだと」

「くそっ、ふざけやがって」

 俺は無駄だと分かっていても苛立ちが隠せず、テレビを睨み付ける。

 すると、続けて『四ツ星探偵、同事件に巻き込まれ不審死』と書かれたニュースが流れた。

 さっきまで居たホテルから担架に乗せられて運び出されていく、おそらく五十六さんであろう白布のかかった遺体が写った瞬間、俺は絶句し唇を強く噛んだ。

 ……五十六さんっ……!

 行き場のない感情を、全力で拳を壁に打ち付けて紛らわせる。しかし情けない自分への憤りが更に増すばかりだった。

「悔しがる気持ちは理解できなくはないけれど、今は冷静になりましょう」

「……ああ」

 冗談じゃねえ。なんで五十六さんが殺されなきゃいけねえんだ。

 どこの誰か知らねえが絶対に見つけてぶっ飛ばしてやる……!

 静かに決意を固めると、数度深呼吸してひとまず気を落ち着ける。

「それで、どうする? このまま逃げ続けても、いずれは捕まるだけだぞ」

「なら、そうならない場所へ行きましょう」

「はあ? 海外逃亡でもする気かよ」

「いいえ。そこまでは言っていないわ。でもあるでしょう、警察が手を出しづらい場所がそう遠くない位置に」

「だから、そんな場所……ああ、そういうことか」

 確かに、あそこだったらある程度は安全だろうな。

「ひとまずそこで潜伏して、現状把握をするとしましょう。これからの状況次第では、物資調達も必要になってくるだろうし」

「だな」

 俺たちは目的地を定めると、扉を出て再び裏路地へ入る。

 目指す先はかつてあった最悪の時代によって生み出された、ある者にとっては正の、ある者にとっては負の遺産。

 様々な裏の人間が入り乱れる、欲望と混沌が渦巻く場所。

──異聞街だ。 



第三章 不可侵の街



「ご注文はお決まりですか?」

「ダブルチーズバーガーのセットを一つ。サイドはポテト、飲み物はオレンジスカッシュで」

「……ねえ、ちょっと」

 東雲が服の袖を引っ張ってくる。

「分かってるよ、お前の分も頼めば良いんだろ?」

「腹立たしい勘違いをしないで欲しいのだけれど」

「お連れのお客様は、何になされますか?」

「で、どうするんだよ」

「…………任せるわ」

東雲はうんざりといった様子で頭に手を当てると、深いため息を吐いてそう言った。

 なんだよ。せっかく俺が奢るって言ってんのに。

「じゃ、同じもんをもう一つお願いします」

「かしこまりましたー!」

 店員の元気な声が店内に響いた。

 ここは五十六さんが殺害されたホテルから車で約二時間ほど。ショッピングモールやブティック、ショップが立ち並ぶ街、栄町。ひとまず追手を振り切った俺たちは、栄町の大通りに面するハンバーガー屋で腹ごしらえをしようとしていた。

「私たちの置かれている状況、分かってる?」

 注文したものを席で待っていると、東雲は刺々しい視線を向けてくる。

「当たり前だろ? だからこうして追手を見つけやすい店に入ってるんだからよ」

 俺は自分たちが座っているテーブル席の横に設置された、広々とした一枚窓を指し示す。ビルの二階に位置するこの店の一枚窓からは大通りが一望でき、追手が来てもすぐに分かる。

「それに、変装だってしてる。バレやしねえって」

 そう、俺たちはこれ以上の追跡を避けるため、制服から着替えラフな格好となっていた。

 俺はジーパンにパーカーを着て髪をオールバックに、東雲はスカートにジャンパーを着てキャップを被っている。

 これならそうそうばれることはないだろう。

 ちなみに、服は東雲がいつの間にか持っていた紙袋の中に入っていたものだ。

 本人曰く「代金は置いてきた」ということらしい。

 ……コイツ、実は盗んできたとかじゃねえだろうな。

「それにしても、ずいぶんと綺麗だな。いくつか異聞街は知ってるが、他に比べるとだいぶ普通の街っぽいし、こんな場所が異聞街だとは思えねえ」

俺は窓の外を見ると、そう呟く。

外の大通りでは家族連れが楽しそうに歩いており、団らんを楽しんでいる。その様子は、とてもこの街が異能開禍時代の産物である異聞街だとは思えなかった。

異聞街。

人類が異能に目覚めたばかりの頃、各地で犯罪率がこれまでの数倍にまで増加した異能開禍時代があった。その時に裏の人間が自分の縄張りを守るため、犯罪者の対応で人手がまったく足りなかった警察の代わりに自治を行った区域。それが異聞街だ。

ちなみに、異聞街は異能開禍時代の産物として探偵と同列に挙げられている。

数は減ったものの今なお全国に六つある異聞街は、そのどれもが異能開禍時代から二十数年経った今でもその時の自治の中心となった人物・組織が実質的に牛耳っており、ここでは国家権力の警察でさえ手をだすことは難しい。

俺たちは警察と探偵の追手から逃れるため、異聞街に潜伏することにしたのだった。

「ここにゃあ初めて来たが、本当にここが異聞街なのかよ?」

「栄町異聞街は地下がメインよ。地上はほとんど普通のビル街で、ぱっと見は異聞街に見えない。それが栄町異聞街の特徴でもあるのだけれど」

「へえ」

「かと言って、地上に関してもこの異聞街の主、雷禅大牙の掌の上よ。警察だろうと悪党だろうと探偵だろうと、下手なことをすればすぐに雷禅の手が伸びてくるから、気をつけなさい」

「そんなに厳しい奴なのか?」

「『何人であれど栄町を侵すべからず、もし荒らせば大雷顕われその悉くを滅せん』。ここに生きる裏の人間たちの多くが知っている言葉よ。だから皆、仕事をする際は雷禅の逆鱗には決して触れないようにしているの」

「ふうん」

 なんかよくわからねえ相手だな。

「そいつが怖いのなら、全員街を出れば良いじゃねえか? なんでここに執着するんだよ」

「彼は栄町異聞街を踏み荒らす相手には容赦しない。それは警察や探偵にも同様よ。だからここに拠点を構える裏の人間は、雷禅の逆鱗に触れるかも知れないと同時に、雷禅の庇護を受けているような状態にあるってこと」

「なるほど、虎と猪を狩るキツネって奴か」

「……まあ、似たようなものね。それらを天秤にかけてメリットの方が大きいと考えた人間が多くいたから、ここは異聞街の中でも屈指の大きさを誇る場所となったのよ」

 今、東雲の奴「何言ってんだコイツ」みてえな顔をした気がするが、気のせいか?

 ひとまず気にしないことにして、会話を続ける。

「そう考えると、異聞街の中じゃあここは大分マシな方だな。ありがたく隠れ蓑にさせてもらおうぜ。それにしても、この異聞街についてずいぶんと詳しいんだな」

「知り合いがこの付近に住んでいるの。ただのまた聞きよ」

 とにかく、今の俺たちにとってここはセーフティーゾーンというわけだ。

 もちろん警察では無く、探偵ならば潜り込むこともある程度容易いはずだ。しかし異聞街というものは一筋縄で行くような街じゃあないことは俺も知っている。ここに潜伏した人間を追うのは中々至難の業だろう。

「今はありがたく、一時の休憩を噛みしめようぜ」

「だとしても、油断すると──」

「お待たせいたししました。こちらご注文のお品になります」

「来た来た、ありがとうございます」

「……はあ……」

「ほら、今はとりあえず飯を食おうぜ。腹が減ったらなんとやら、って言うだろ?」

 俺が自分の分を取り東雲にトレイを差し出すと、東雲は渋々受け取った。

「んじゃ、いただきます」

「……いただきます」

 それぞれ手を合わせると、俺はまずオレンジスカッシュに口を付ける。口の中に広がるオレンジの酸味と炭酸は、ここまで逃げるので疲れた体に良く染みた。ふと東雲の方を見てみると、なぜか俺が飲み物に口を付けるのを見てから、自分の飲み物を飲んでいた。

 ……まさか。

「おい、今俺に毒味させたろ。万が一のこと考えて」

「気のせいよ」

 嘘つけ。

「ったく……」

 油断のならない女は放って置いて、俺はバーガーにかぶりつく。ガツンとした肉のうまみと、チーズの塩気が合わさったカロリーの塊は今までの苦労が全部吹っ飛ぶほどに美味い。

やっぱりここのダブルチーズバーガーは最高だ。こんな最っ高に美味い食べ物がいつでも食べられるなんて、本当良い時代に生まれたもんだ。

「……ん?」

 またも東雲の様子が視界に写る。東雲はまだバーガーに手を付けず、ポテトをもしゃもしゃと食べている。もしかして、コイツ……。

「なあお嬢様。まさかとは思うが、お前ハンバーガー食ったことないとか言わないよな?」

「……そんなことないわ」

「なんで最初ちょっと黙ってたんだよ」

 今の世の中でハンバーガーを食ったことがない人間に会うとは思わなかった。

こいつ、貴族か何かか? ……それにしてもそうか、ふーん。

「気持ちの悪い笑みを浮かべるのをやめてくれる? 言いたいことがあるなら言ったらどう?」

「いや、別に」

 なるほど、俺の様子を見ていたのは毒味じゃ無くて、食べ方を窺っていたのか。

「仕方ねえなあ。ほら、あーん」

 俺は東雲用に頼んだダブルチーズバーガーを手に取り包装を半分ほど剥くと、東雲の方へ向けて差し出した。

「そんな屈辱を受けるくらいなら、舌を噛み切って死ぬわ」

「ひっでえ。そこまで言うかね……、ほら」

 本気の目をしていた東雲に、俺はバーガーを手渡した。

「そのまま手に持って、思いっきりかぶりつけ」

「……他のマナーは?」

「ねえよ。好きに食って好きに楽しめ。それがファーストフードの良いところだ」

 東雲はしげしげとハンバーガーを眺めてから、小さく一口かじりつく。

 そして少し咀嚼した後、二口、三口と食べ進めていく。

「どうだ? 美味いだろ?」

「……嫌いじゃ無いわ」

 東雲は表情を変えずに食べ進めていくが、食べるペーズはかなり早い。どうやらお嬢様のお気に召したようだ。

 ハンバーガーに夢中になっているその姿は、毒舌で冷淡な東雲のイメージとは違う年相応の少女に見えて、俺は自分が追われていることも忘れてつい口角を上げる。

 いつもこんな感じなら、可愛げがあるのにな。

「……何?」

「いや、何でもねえよ」

 睨んできた東雲の視線から逃げるように、俺は自分のハンバーガーを食べる。

 結局、ハンバーガーが大層気に入ったらしい東雲は俺よりも早く食べ終えると、ご満悦そうに追加で頼んだ食後のコーヒーを飲んでいた。



「ここかあ。へえ、結構よさげなところじゃねえか」

 ハンバーガー屋から徒歩で少し歩いたところにある、小さな通りが迷路のように張り巡らされた住宅街。外から見ればただのオフィスビルに見える建物の一室、前に立っても中には会議室があるようにしか思えない扉をくぐると、そこには二人でも快適に暮らすことが出来そうな、3LDKの部屋があった。

「こう見るとマジで外側からじゃ分からねえな」

 ちゃんと調達してきた食料品を置いた俺は、部屋の内装を眺める。

 キッチンは新しい設備で清潔、家具も種類こそ最低限ではあるが、質は決して悪くない。

 これならしばらくの隠れ家生活でも快適に過ごせるだろう。

「徹底的に偽装してあるもの、当然でしょう」

外へ出入りする時には地下を通らないといけないことだけが不便だが、この部屋を使えるのならそれを補ってあまりある利点があるというものだ。

つうか二人用とはいえ、俺の住んでいる部屋よりも広いなここ。

 ソファーに体重を預けて深く持たれると、テレビを付ける。

「中々快適だな。これならしばらく潜伏したとしても楽しく過ごせそうだぜ」

「旅行に来た訳じゃあないのだけれど。理解しているのかしら?」

「分かってるっての。にしても、まさかビルで暮らすなんてな。てっきり俺は漫画喫茶とかホテルあたりにでも泊まんのかと思ったぜ」

「馬鹿ね、その当たりはすぐに手が及ぶ。いくら異聞街とは言え、警戒しておくにこしたことはないわ。その点、今契約した物件ならそれなりに安全と言えるわ」

「金は良いのか? 半分出すぞ」

「良いわ。私のポケットマネーで容易に支払える」

 分かっていたことだが、やっぱりコイツお嬢様なんだな。だったらもっとこう、お嬢様らしい態度とかするべきじゃねえのか? なんでこんな毒舌なんだよ。

「そんなもんか。にしてもお前の知り合い、ずいぶんと顔が広いんだな。異聞街の物件取り扱っている奴とか初めて聞いた」

 東雲の態度についてはこれ以上追求すると面倒そうだから、ひとまず飲み込んで尋ねる。

「探偵の仕事やプライベートで、色々とね。とにかく、これでしばらくの寝床は確保できたわ。私に感謝しなさい」

「へいへい。どうもありがとうございます」

「何か感謝が込められていない気がするのだけれど」

「気のせいだろ」

 まあ、実際あまり込めていないのだが。コイツに感謝するのはなんか癪だし。

「はあ、まったく……」

 呆れた様子でため息を吐いている東雲の様子を横目に確認する。

 ……そろそろ、聞いておかないとな。

 これから一緒に動くことになるのであれば、確かめておかなければならないことがあった。

 それによっては今この場で、決別することとなりかねない。

「東雲」

 小さく決意を固めた俺は、上着を脱いでハンガーに掛けていた東雲へ声をかけた

「何?」

「一息ついたことだしよ、そろそろ、話してくれても良いんじゃねえの?」

「何の話かしら?」

 東雲は心底何のことかわからないという声でこちらに尋ね返してくる。

 その表情の変わらなさは、ここまで来ると不気味とも感じられるようなものだった。

 だが怯んでもいられない。俺はそのまま質問を続ける。

「お前が何者か、についてだよ」

 東雲は呆れたような口調でそう言うと、ため息を吐いて頭を振る。

「今更何を。あなた、自分のバディーを忘れたの?」

「そういうことじゃねえよ」

「なら、私の家のこと? あいにくだけど、私のプライベートについては──」

「それも違う」

「じゃあ一体、何を──」

「何って、そこに写っている奴のことだよ」

 顎で示す。そこに写っていたのは、週末に現われ資産家の邸宅から宝石を盗んでいった、今巷で話題の怪盗と呼ばれる盗難犯に関するニュースだった。

「お前が最近話題の、泥棒なんだろ?」

 これについては聞かなくても良かったのかもしれない。

 だが、それでもはっきりと白黒付けておかなければ我慢がならなかった。

「……!」

 俺がそう告げると、東雲は押し黙って静かにこちらを見つめる。

「黙ったな。肯定ってことでいいか?」

「何を言っているのか、さっぱりね」

 東雲は少し取り乱した様子は見せたものの、すぐさま表情を取り繕うと白を切り出す。まあ、これについては予想通りだ。

「ならこの間怪盗が出た夜のアリバイを話してみろよ。ジジババじゃねえんだ、数日前のことぐらい覚えてるだろ?」

「生憎ね、あの日の夜は疲れてすぐに眠ってしまったから覚えていないの。それに、もし私にアリバイがなかったとして、その怪盗が私だという証拠はあるの?」

「もちろんあるぜ」

「そう、なら見せてもらえるかしら。出せるなら、だけど」

 向こうは強気だ。それも当然だろう、怪盗がどこから来たのか分からない以上、あの日アリバイを証明できない人間なんて山ほどいる。その中からコイツが犯人だと証明するには、証拠を出す以外に道はない。

「コイツが、お前が怪盗だという証拠だ」

 俺が取り出した物へ視線をやった東雲は、隠そうとはしていたものの、確かに驚愕の表情を浮かべていたように見えた。

「お前が使っているダイス。コイツはその破片だろう?」

 取り出したのは、先週の夜に怪盗とやり合った際に拾った破片だった。

 破片を見たときからずっと既視感があったが、ホテルで東雲が使っているところを見たときにようやく気づくことが出来た。この破片は、ダイスが砕けたものだ。おそらく、あの時俺が与えた一撃で壊れ、懐からその破片が落ちてきたのだろう。

「あの時、咄嗟の時に使うためにお前はダイスを持ってきていたんじゃあないか? もしそうなら一致するはずだ。お前の持っているそれと、この破片がな。どうだ、反論があるなら言ってみろよ。──泥棒」

 最後の詰めとなる言葉を突きつけたその瞬間、東雲の周りの空気が揺らいだような気がした。

「間違っているならそうだと言え。もし合っているなら……」

 もし合っているなら。その先の言葉は続かなかった。

 自首をしろ? それは俺もお互い様だ。俺だって本来は捕まって事情聴取を受けて、そこで無罪を出張するべき立場なんだ。だというのに、俺は逃げた。

『逃げたいと思うのなら、あなたも来なさい』

東雲にそう問われたとき、俺は捕まるのではなく、一緒に逃げることを選んだ。あれは心のどこかで、逃げなければならない気がしたからだ。このまま捕ればきっと誰かの思い通りになる、そうなってはならないのだと。

そう。あの時東雲も同じことを考えたのだろう。だが戸惑っていた俺とは逆に、東雲は逃げることをすぐに選択し、俺に付いてくるかどうかまで尋ねた。

放って置いて自分だけとっとと逃げる選択肢があったはずなのに、コイツは俺に選ばせた。

 そんな俺が、コイツに自首を勧める? どの口が言えるっつうんだよ。

俺は霧の中に立ち尽くしているような感覚を覚えて、それ以上何も言えなくなってしまった。

 相対する東雲も同じく、何も言わずに立ち尽くしている。

「あなたの言うとおり、怪盗はこの私よ」

 しばらくして、東雲は唐突にそう言った。

「認めるってことで、良いんだな?」

「ええ。これで満足かしら? 探偵さん」

「別に、満足なんてしてねえよ」

 元からこの行為に、暴き立てて責め立てる意図なんてない。

 ただ、これから一緒に動く相手の正体を確かめておきたかった。それだけだ。

「お前、なんで怪盗なんてやってんだよ?」

「……復讐のため、とでも言っておきましょうか。私には盗まなくちゃ、取り返さなくちゃならない物がある。そのために怪盗を続けているだけよ」

 復讐。その言葉は、決して縁遠い物じゃない。それに一時ひどく取り憑かれてしまった人間を、よく、よく俺は知っていた。

「……それで、あなたはこのことを、誰かに話したの?」

「いいや。というか、誰かに話す暇なんて、今の今までなかっただろ」

「そう、なら──」

「っ!?」

 息もつかせぬ速度で俺に詰め寄ってくると、頭に向けて拳銃を突きつけた。

「悪いけど、ここで捕まるわけにはいかないの。あなたをおとりにしてでも、私は生き残る。生き残らなくちゃならない」

「……それはこっちも同じだ。見てみろよ」

 顎で示した方向を警戒したままちらりと見た東雲は、目を見開く。

 そこには俺の掌底が、東雲のみぞおちに触れる直前で構えられていた。

 この状態であれば拳銃の引き金が引かれるより早く、俺の一撃が意識を刈り取る。

「お前の能力を俺は完璧に把握してはいない。だがそれはお前も同じだ。もしかしたらお前は今、劇的に不利な状況かも知れないぜ?」

 正直言うと、今の言葉はハッタリだ。俺の能力は発動にトリガーがある以上、それを踏まえなければただの人間。相打ち覚悟で銃弾を撃たれれば重傷は免れないだろう。

 だが今の東雲は俺と同じく、相打ちというリスクを踏めるだけの状況にない。ここが異聞街といっても、俺たちは容疑者として指名手配中の身だ。下手な傷を負うことは許されないはず。

 まあ、東雲の能力が打撃を無効化する何かしらだった場合、俺の行為は無駄になるのだが。

「…………いいわ。なら、今は引き下がってあげる」

 そう言うと、東雲は離れて拳銃をホルスターにしまう。

「ただし、その代わりにあなたが持っている本当の能力を教えてもらうわ」

「っ……!」

 予想だにしなかった言葉に、俺は面食らって目を見開く。

 コイツ、まさか気づいてやがるのか……!

「今度は私があなたの隠している秘密を暴き立てる番よ。──棺九郎」



「さて、俺には隠している秘密なんて一切無いぜ?」

 出来る限りポーカーフェイスに努めて、俺はそうしらを切る。

「単刀直入に聞くわ。その能力、あなたのものではないのでしょう?」

「何言っているんだよ。これは俺の物だっての」

「そう、あくまでしらを切るのね。……異能の名前は初めて発現した際に、まるで最初から覚えていたかのように自然に頭の中に現われる。そして同じ名前の能力は、同血統の中でしか生まれることは無い。これが一年の能力学で習う内容よ」

「そうだっけか?」

「この規則に関する反証はこれまで一つもなく、まだ提唱されて長くないにもかかわらず教科書に載るほどの定説として語られているわ。そしてこの説が正しい物である限り、あなたがその能力を持っているはずがない。なぜなら」

 一呼吸置くと、東雲は切り出した。

「その能力、『緋の先駆者』は灰村小次郎の持っている異能力のはず。どうしてそれを、何の血縁関係にないあなたが持っているのかしら」

「……っ!?」

 突然の指摘に、心臓を握られたような感触を覚える。

「あなたに関する情報は収集済み。棺九郎十七歳、両親を火事で無くした後、新宿歌舞伎町異聞街にある孤児院で育つ。そこで探偵の灰村小次郎・榊原シグマに出会い、以後はその弟子として身元を引き取られ育てられる。後は割愛させてもらうわ」

 そうかコイツ、さっき別れたときに俺のことも調べてやがったのか……!

「なんで小次郎の能力名がそれだとわかる? 違う可能性だってあるだろ」

「私はかつて、お父様の仕事関係で灰村小次郎と会ったことがある。その時に巻き込まれたトラブルの中で、彼の能力名を知った」

 くそっ、本人に聞いたんじゃあ誤魔化しようがねえか。

「あなたと灰村小次郎の間に血のつながりは無い。となれば血統による能力の継承ではなく、その他の何かで能力を引き継いだ。それは何か? 私は、あなたが自身の能力で灰村小次郎から能力を得たと考えているわ」

 東雲は冷静な推理でこちらを追い詰めてくる。

「その根拠は?」

「あなたの能力発動にはタイムラグがある。それは他の身体強化系能力にはない特徴よ。その理由は、自身の能力を使った上で持っている能力を何らかの形で展開しなければならないのではないかしら?」

「……」

 俺は反論すること無く、静かに東雲の推理を聞き続ける。

「さっきの戦いで見せたあなたの能力、手に浮かんでいたカードが変わり、それを砕いた時から身体強化が発動していた。となれば元の黒いカードこそがあなたが本当に持つ、他者の異能を得る能力。それが私の出した結論よ。どう?」

 ムカつくことに、コイツの言っていることはほとんど当たっていた。

 なんだよ、泥棒のくせに探偵らしいことしやがって。

 これ以上とぼけたところで、おそらくコイツは更に追求してくるのだろう。

 ……仕方ねえ。ここら辺が種の明かし時か。

「ああそうだよ。俺の能力は別にある。これで満足か?」

 そう、俺が使っている『緋の先駆者』は自身が生まれ持って得ていた物じゃあない。

 師匠であり憧れの探偵である灰村小次郎から得た、いや、奪った能力だ。

「やけにあっさりと認めるのね」

「そこまで推理されてちゃ逃れようが無えよ。それに、こっちもお前の知られたくないことを暴き立てたんだ。お互い様だろ? あ、一応言っておくが、能力のこと、誰にもバラすなよ。バラされた俺だけじゃ無くて、お前にも被害が行くかもしれねえんだからな」

「どういうこと?」

「目的は知らねえが、この能力を狙っている奴らがいるんだよ。俺が能力を隠しているのは、そいつらから隠すためってのが理由だ。もしお前が話したら、手がかりを持つ人間ってことでお前が狙われる可能性だってあるんだぞ」

 この秘密を知っているのは俺にシグマ、久遠寺先生。後は限られた探偵や関係者のみだ。

 もしバレようものなら、とてつもなく面倒な事態になりかねない。

 だから誰にも話してなかったんだが、よりにもよってまさかコイツにバレるとは。

「なるほど、だから能力を偽っていた、と」

「そうだ。もし小次郎の能力を俺が持っているとバレたら、アイツを殺した連中から今度はこっちが狙われかねない」

「私がそうだという可能性は考えなかったの?」

「……前に一度、そいつらの一人らしき男と遭遇したことがある。なんつうか、人の悪性を煮固めたような最悪の人間だったよ。お前は気にくわねえが、それでもそいつより数億倍マシだからな。だから、多分違え」

俺は掌を上に向けると、黒い道化師のカードを出現させる。

「名前は『黒の道化師(アトルギア・ジョーカー)』。能力は対象に触れた秒数だけ能力を奪う」

「触れた秒数……? その能力で一体どうやって灰村小次郎から能力を奪ったというの?」

「ま、それは大したことじゃねえよ。ただちょっと裏技を使ったってだけだ」

「そう言われると、逆に気になるのだけれど」

「気にすんな。んなことより、マジで面倒なことになりかねねえんだからよ、俺の能力の正体、絶対にバラすんじゃねえぞ」

「それはどうかしらね。あなたがひっそりと私の秘密を打ち明けて、こちらだけを逮捕して口を封じてくる可能性だって十分にある。絶対な身の安全が保証されない以上、絶対に保守するなんてことは決してないわ」

「ちっ、そうは言われても、どうやって保証なんてすればいいんだよ……」

「これを使うのはどうかしら?」

 そう言うと東雲は懐から一枚のコインを取り出した。どうやら金貨らしいコインの片面には鷹の紋章が、その裏側には天秤の紋章が描かれていた。

「なんだこれ?」

「これは約定の金貨、裏の人間が契約を交わすときに使う印よ。このコインを用意し、二枚あるコインの依頼者が鷹の面、請け負う側が秤の面にそれぞれ血判を押して取り決めを交わすの」

「ふうん。で、これで約束したからってどうなんだよ」

「このコインは裁定者と呼ばれる裏世界の調停人によって発行される。もしコインを使った取り決めを破った場合、裁定者がその代償として命を奪う。どこへいようがどんな人間だろうが、表の人間であっても容赦なく、ね」

 裁定者。その名前を聞いた瞬間、俺は生唾を飲み込んだ。

 前に何かの噂で聞いたことがある。異聞街にはそこをまとめるトップと同時に、そのトップと並ぶ力を持った異聞街での契約を担う役割の人間も存在していると。都市伝説か何かだと思っていたが、まさか実在していたとは。

「だから重要な契約や互いに破られたくない約束事には、この約定の金貨が使われているの。これで私たちも契約を結びましょう。それとも、怖じ気づいたかしら?」

「別に、びびってなんかねえよ。いいぜ、それで契約しようじゃねえか」

「なら、始めましょうか。今から私が契約の祝詞を唱えるから、あなたは私が尋ねた時に『誓う』と答えなさい。いいわね?」

「おう」

 東雲は二枚のコインを手に握り胸の前に持ってくると、契約の言葉を口にする。

「裁定者の元に、東雲玻玖亜と棺九郎、両名ここに契約を成さん。契約の担い手は東雲玻玖亜。契約の内容は、『東雲玻玖亜は棺九郎の能力について他言をせず、棺九郎は東雲玻玖亜の正体について他言をしない』。我は契約の元に生を全うせん。契約の結び手は棺九郎。汝、契約の元に生を全うすると誓うか?」

「ああ、誓う」

「ならば我らは今ここに互いの血を持って、永遠の約定を交わさん。……さあ、これで祝詞は終わり。後はそれぞれのコインに血判を押して終了よ」

 俺は一枚のコインを受け取ると、歯で指の表面を噛みきり血を出し血判を押す。

 東雲もナイフで指を切りもう一枚のコインへ血判を押すと、俺たちは互いにコインを交換してもう一方にも同じように判を押した。

「これで、契約完了か?」

「ええ。一枚は契約の印としてあなたが持っていなさい」

「なんつーか、拍子抜けだな。てっきり裁定者とかいう奴らがすぐに来るのかと思ってたが」

「裁定者の姿を見た人間は契約を不履行して始末された人物以外にいないわ。けれど裁定者は確実にいるし、私たちの契約を知っている」

「ふうん。ま、これで秘密が守られるならありがてえけどな」

 コインを懐へしまうと椅子へ座る。

「さて、これで俺たちは互いの腹の底を見合ったってわけだな」

「まさか、あなたに知られるとは思っていなかったけどね」

「俺もだよ。バレねえと踏んでたんだがなあ……。まさか泥棒に暴かれるなんてな」

「それこそ私のセリフよ。後、泥棒じゃ無くて怪盗よ」

「どっちでもいいだろ……」

 ソファーに再びもたれながら、東雲がコーヒーを淹れている後ろ姿をなんとなしに見つめる。

「で、これからどうするつもり?」

「どうするとは?」

 俺が聞き返すと、東雲はコーヒーを一口傾けてから答える。

「この地下でもある程度合法の仕事はある。容疑が解けるまで働きながら地下で過ごせばそうそう捕まらないでしょうし、望むなら運び屋に接触して海外へ逃亡することも出来るはずよ」

「だろうな」

「だろうな、ってあなたね」

「けど、そいつは選びたくねえ」

 天井に視線を移し、そのまま語り続ける。

「俺たちは何の罪も犯してない。だってのに誰かに任せて、後はこそこそ隠れて生活しろだあ? ふざけんじゃねえ。俺の無実は自分自身の手で証明して、お天道様の下を歩けるようになってみせるさ」

 これは俺の問題だ。自分のケツくらい自分で拭く。

 誰かに後を任せて隠居生活だなんて、まっぴらごめんだった。

「何より、何よりだ。最初っから俺に罪を被せるだけにしておけばいいものを、五十六さんを殺して……、人の命を奪ってまで濡れ衣を着せたってのが気にくわねえ」

 自身の私利私欲のために、人の命すら道具として扱う。

 犯人からはそんな思想が透けて見えた。悪人の中でも正直一番嫌いなタイプだ。

「俺は必ずこの事件の真犯人を突き止めて、真実を全部明らかにしてみせる」

 黒幕をこの手で捕まえて、なんでこんなことをしたのか吐かせてやる。

「だからその時までは抗い続ける。そう決めてんだ」

 全てが解決するその日まで、戦いをやめるつもりはない。それが俺の覚悟だった。

「五十六尾道が言っていたこと、覚えてる? 『もし聞くつもりなのであれば、この先の人生、常に己が背後に闇を抱え続けることと知れ』って。つまり、私たちがやり合うのは四つ星探偵がそう宣告するほどの相手になるだろうってことよ。かなりの危険が付きまとう」

「上等だ。誰が相手だろうと、こんなふざけた真似は絶対に許せねえ。俺一人だろうと、この事件の黒幕を見つけて、落とし前を付けさせる」

 はやる気持ちを抑えきれず、右手の拳を左手の掌にぶつける。

 誰だか知らねえけど、先にこっちへ手を出してきたのはそっちだ。絶対にぶっ飛ばしてやるからな……!

「そう。なら、バディー続行ね」

「あ?」

「私たちはお互いに事件の真犯人を捕まえる必要がある。利害が一致している上、互いに相手の弱みを握っている以上裏切らない。これはお互いにとって好都合じゃない?」

 確かに理に適っている。人間としてはともかく、探偵としては東雲の実力は確かだ。

「性格が地獄の果て並みに相性最悪だけどな、俺たち」

「それは妥協箇所よ」

 いや、一番重要な部分だろ。

「仕方ねえ、人手は多い方が良いだろうしな。じゃあ改めて、よろしくな」

 俺は握手をすべく、ソファーから立ち上がると東雲に近づき手を差し出す。

しかしその手はあっさりと掌で叩き払われてしまった。

 嘘だろコイツ、今のは握手する場面だろ……。

「そうか、お嬢様はハンバーガーの食い方に加えて握手って言葉も知らねえらしい」

「あら、今のはハイタッチだと思ったのだけれど」

 嫌味に対してあっけらかんと答えてくる。ああ言えばこう言う。本当に面倒くさい奴だ。

「普通ハイタッチしたくてシェイクハンドを差し出す奴、いるか?」

「あなたみたいな変人なら、そういったこともあるのかと思って」

「誰が変人だ。ったく、お前、もうちょっとバディーに優しくしようって気はねえのかよ」

「前回の無視に比べれば、ずいぶんとマシになった方だと思わない?」

「そうかあ?」

 どっちかってーと今回のがムカついた気がするけどな。

「それじゃあ、早速装備調達へ行きましょう」

「今からか? もう夜だぞ」

「善は急げよ。それに、向こうからすれば夜の方が好都合。まだ気取られてはいないだろうけど、準備は早いに越したことはないでしょう?」

「分かった。で、装備っつっても今普通の装備店には使えねえし、裏の店にでも行くのか?」

「正解よ。あなたにしては頭が回るじゃない」

「俺にしては、ってなんだよ。俺の頭の中はいつだって灰色の脳細胞がフル回転してんだよ」

「それ、もう燃え尽きているのじゃあないかしら」

「うるせえ!」

 無駄話はこのぐらいにして行きましょうと言うと、東雲は立ち上がった。

「『狐』。この栄町異聞街に住む情報屋の中でも、物資・情報どちらにしても調達できないものはないと言われる彼女の住処が、私たちにとって次の目的地よ」



「で、その情報屋ってのがここの地下に住んでいるんだよな?」

「ええ。そうよ」

 家へ向かうための地下道。そこから何度も曲がりいくつもの扉を抜けた先にあるエレベーターホール。そこに俺たちは立っていた。

「正直、一人じゃ絶対に来れる自信がねえんだけど」

「あなたの低容量の脳をすべて使ってでも覚えておきなさい。一人で来なければならない時もあるのかも知れないのだから」

「て言われてもなあ……」

 その時チンと音が鳴り、扉が軋んだような音をたてながら口を開けた。

 俺たちは乗り込むと、ボタンを押す前にエレベーターが動き出す。

「なんか気味悪いな。異界に繋がるとか言う怪談を思い出すぜ」

 エレベーターはしばらく下へ行くと、一度停止してから右、前、左と十秒ずつ動く。それから扉が、またチンと音をたて開いた。

 俺は差し込んできた光を手で遮りながら外へ踏み出す。

「すっ、げえー……」

想像していたよりも遥かに広大な世界が眼前に現れ、俺は思わず呟く。

エレベーターを降りると、そこには普通の町とそう変わらない光景が広がっていた。

ただ一つあげるとすれば、それぞれの建物が数十メートルあるおそらく地上なのであろう天井に、その最上階をピタリと密着させるように建っており、まるで建物全てが地下空間を維持する柱のようになっているという見た目になっていることだった。

そしてもう一つ目立つ違いは、町をぐるりと囲んでいる巨壁と、人工照明が光る天井だ。だが天井はそれなりに高さがあるせいか、地下なのに圧迫感や窮屈には感じない。照明が放っている光も外にいるのかと勘違いするほどに自然だった。

「これが地下に広がる通称『ウラサカエ』。栄町異聞街の本体よ」

「マジで広いな。どのくらいあんだ?」

見回しながら東雲へ尋ねる。

見えている区画はオフィス街のようで、金融会社や運送業者といった地上にも普通にあるような会社がビル内に入っていた。これも全部裏の企業なんだろうか。

……お、マジか。コンビニまであるな。

「さあ。ただ一つの町は軽々飲み込むくらいの規模はあるわね。雷禅の関係者のみが入れる区画を足せば更に増える」

「こりゃもう異聞街どころか、異聞市って言われても納得できるな……」

改めて見渡すと、俺たちが今いる場所は壁の根本あたりにある非常口のようだった。こちらの方は商店街のような方式で、日用品や雑貨を取り扱っている店が一本道の左右に広がっている。

「さあ、早く行きましょう」

「お、おう」

階段を降りると、商店街の風景が目に入る。

「らっしゃい! 今日はカボチャが安いよ!」

 頭にタオルを巻いてエプロンをしたいかにも八百屋という風貌をしたおっちゃんが、店先で呼び込みをしている。だがそのおっちゃんのそばにはスキンヘッドの頭にタトゥーをいくつも刻んだ男がおり、エプロンを着けて接客している。よく見てみると、商店街に並んだどの店でも強面の男が従業員として働いていた。

 なるほど、異聞街らしいっちゃらしいセキュリティーだな。

そのまま商店街を抜け、細い路地の通った道を歩いていく。二十分ほど歩を進めた俺たちがたどり着いたのは、どの区画からも離れた郊外に位置する場所だった。

まだ普通の格好をしていた人間が多かったが、ここに来てからあからさまにそういう道だというような面構えの人間とゴロゴロすれ違う。大体の人間はタトゥーや刺青が標準装備で、不自然に片方の肩が下がっている奴も多くいた。大方、懐におおっぴらには見せられない武器を隠し持っているのだろう。

「ここら辺はまさに異聞街って感じだな」

ずいぶんと見慣れた風景だ。他の異聞街に比べると安心感すらある。

「この先よ」

指し示された先にあったのは、更に地下へと伸びた階段。真っ暗で向かう先が見えない不気味なそれを、我が物顔をして下りる東雲の背中についていく。

「地下にいんのに更に地下かよ。じゃあここはなんて呼ぶんだ? 地下地下?」

「知らないわ。私たちにとってはここが地上だもの」

そんなもんか。

「しっかし、本当にこれが地下にある街だとは思えな、……っ!」

階段を抜けて少し広めの地下広場へ出た瞬間、不意に柱の裏から人影が現れ東雲へ攻撃を仕掛けてきた。俺は間に割り込むと、繰り出された拳を防ぎ回し蹴りを放つ。

しかし相手は後ろへ回転しながら飛び、俺の一撃は空振りに終わった。

「てめえの国では殴るのが挨拶なのかよ。誰だお前?」

 俺は前に出ると襲撃者を睨み付ける。白の道着を身につけ草鞋をはいた時代錯誤も甚だしい女は、こちらが尋ねると白い歯を見せて笑う。それと一緒に、後ろ手にまとめた長い紫の髪がにわかに揺れた。

「儂か? 儂は八ツ星探偵加土狼世(かづちろうぜ)。お主らを討ちし武士よ」

「げっ、探偵かよ」

「まさかここまで入り込んで来るなんてね」

俺たちはそれぞれ拳銃と拳を構えると、いつでも攻撃できるように備える。

「何、ちと手引きをしてくれたものがいてな」

「それは誰?」

「さてな、儂も知らん。突然手紙を受け取ったのだ」

「つーことは、コイツも今までと同じく俺らをハメた奴の差し金か」

「でしょうね」

「気をつけろ、コイツ、多分今までの奴らより強いぞ」

目の前にいる相手は、五十六さんが殺された時からこれまでやりあった奴らとは強さの格が一つ違う。ただ構えているだけだが、それでもすぐに感じ取れた。

「さあさあ、早くやり合おうではないか」

「上等だ。ぶっ飛ばしてやるよ。行くぞ、東雲」

「私に命令しないでくれるかしら。背後には気をつけなさい」

「おい、勝手に一対一対一にすんな」

「ふははっ、愉快な者たちだ」

「笑うのはコイツだけにしてくれ。──黒の道化師・手札公開」

 俺は右手にジョーカーを出現させ、能力を起動する。

「──緋の先駆者」

 カードを砕き赤雷を身にまとった俺は、正眼に拳を構えた。

「ほお。それが主の能力か。うむ、ますます滾るわ。……いざ、参らん」

 纏う雰囲気を武人のそれに変えると、加土は即座にこちらへ間合いを詰めてきた。放たれた右の抜き手を躱し、胴への前蹴りを返す。みぞおちへ突き刺さったと思った次の瞬間、まるで微動だにしない壁を蹴っている感覚が襲ってきた。

「固えっ……!」

 怯んだところへ追撃で飛んできた掌底を身を捻り避けるが、続いて打たれた水平蹴りが胸に命中する。コイツ、俺の動きを読んでやがるっ……!

 後ろへ飛ばされた俺は、蹴られ乱れた呼吸を整えながら奴の体に目をやる。

 奴の来ている道着の隙間からは、何やら岩のようなものが肌へ表出しているのが見えた。

 なるほど、岩を使ってこちらの打撃を軽減しつつ、自身の打撃は威力を上げる。その上格闘技術ではおそらく俺を少し上回っているときた。俺とは相性最悪の相手だな。

「あんた強えな。本当に八ツ星か?」

「生憎、磨き上げ続けてきたこの拳以外儂は得手とせんのでな。探偵の技術や知識もなければ、この能力も鍛錬を重ねようやく体へ纏う程度、しかも能力の発動には石を食わねばならんと来た。まったく不便な物でな。おかげで万年六ツ星よ。おっと」

「俺も勉強は苦手だからな、分かるぜ。にしても拳一本とはかっけえじゃねえか。こんな形じゃなきゃダチになって欲しかったくらいだ、ぜっ!」

 お互いに相手の急所を的確に狙いつつ向こうからの攻撃を躱す打撃戦を繰り広げながら、俺と加土は言葉を交わす。

「あなたは単に勉強しても馬鹿なだけじゃない」

「うっせえ」

「そちらこそ、良い気の込められた一撃だ。相当の鍛錬を積んできたと見受ける。日銭を稼ぎに来たつもりが、まさかこのような強者に出会えるとは。今日はなんたる僥倖の日か!」

「そりゃどうも」

 にしてもやりづれーな、どうやって突破すっか……。

「攻勢は終わりか? なら、お次はこちらの番と行こう!」

 繰り出された一撃に、咄嗟に防御の姿勢を取る。しかし完璧な防御をしたのにも関わらず、腕全体に痺れるような衝撃が響いた。

「重てっ……!」

俺はとにかく防御に徹するが、拳を岩で固めた一撃一撃がとてつもなく重く、能力で強化した腕で防いでも響いてくる。

だったら!

俺は素早く加土の腕をとると、背負い投げの姿勢へ移る。だが。

「悪くないが、ちと技が荒いな」

まるで岩を担いでいるかのように、加土はびくともしなかった。

コイツ、どんな体幹してやがんだよ!

俺は続けて素早く締め技に移行しようと首へ腕を回す。

「甘いっ!」

しかし逆に腕を絡められ掴まれると、動きの勢いを利用して壁まで一気に叩き付けられる。

背中を強く打ち付けられ、肺から息を無理矢理に吐き出させられた。

続けて打ち込んできた膝蹴りを足の裏で止めると、そのまま蹴って跳躍し下がる。

「くそっ、面倒な相手だな……!」

「まだまだぁっ!」

 ちっ、こうなったら、とっておきの奥の手を使うしか……!

 仕掛けようとした俺の前に、突然東雲が割って入ってきた。

「仕方ないわね。下がってなさい」

「おい、危ねえぞっ!」

「友を庇うその心意気は良しっ! それに免じて華々しく散るがよいっ!」

 東雲は何度も拳銃の引き金を引くが、岩の手甲によって弾丸のことごとくを弾かれていた。

「一体何がどうなって私と彼が友人に見えているのか、小一時間問い詰めたいところなのだけれど。それに」

 加土の拳が、東雲の体へ迫る。

「何の計算もなしに飛び出すほど、情に生きる女じゃないの」

 その時急に足下へ扉が現われると、上へいた東雲を飲み込んだ。そして同時に、天井へ出現した扉から東雲が落ちてくる。

「──自由への非常口(ドア・ドア)」

 見失った隙をついて放ったダイスが加土の肩へ当たると、派手な爆発を起こして破裂した。

「ぬう……」

 呻いてはいるが、加土が傷を負っている様子はない。

「大したダメージにはなっていないようね。どこかの誰かと同じ、体だけは丈夫」

「てめえ、やっぱり本当の能力を隠してやがったな!?」

「お互い様よ」

 淡々と語りながら、東雲は拳銃を連射する。

 何もないところへ扉を出現させ、別のどこかへ繋ぐ能力。

 なるほど、前にやり合った時一瞬で消えやがったのはそういうことだったのか。

「ふん!」

「無駄よ」

 加土が掴みかかるが、東雲の体に扉が開くと指をすり抜けさせる。

 あの技、多分俺とやり合った時にも使った奴だな?

「はっ、お前らしい小狡い能力だな」

「人の物を盗む能力のあなたに言われたくないわね」

「悪かったなっ!」

「なるほど、実に奇怪な能力だ。しかし前兆がある以上、気配さえ追えば……!」

 加土は再度東雲に向かう。東雲は再び扉に入るが、加土はそれを見た瞬間あたりを見回し、現われた扉へ向かって跳躍する。

「ここかっ!」

 だがその扉から現われたのは、東雲ではなく二つのダイスだった。

 直後、ダイスは先ほどと同じところへ着弾すると派手に爆発し、岩の鎧を一部破壊した。

「残念、はずれよ」

 別の扉から現われた東雲は、そう言いながら壊れた部分を狙い撃ち、更に崩していく。

「おらあっ!」

 加土がそちらへ気を取られている隙に接近した俺は、東雲が砕いた箇所へ右ストレートを差し込んだ。確かな手応えと共に、加土は地面を転がっていく。

「ぐう……!」

 さすがに今の一撃は効いたらしい。すぐさま立ち上がるものの加土の息は乱れていた。

「ぬう。連携もまた良し。主ら仲が悪いのか良いのか、一体どちらだ?」

「「最悪」」

俺と東雲は全く同時に答える。

「はっはっは。阿吽の呼吸だな。生涯の良き相棒と見受けられる」

「今のどこをどう見りゃ、んな結論になんだよ」

「最悪ね。なんだか気分が悪くなってきたわ。少し外の空気を吸いに行っても良いかしら?」

「おい。逃げようとすんな」

「こうなれば我が不利は明白。となれば!」

 次の瞬間、自分で能力を解除し岩の鎧を脱いだ加土が、恐ろしい速度で加速した。

 嘘だろ、んなことまで出来るのかよ!?

「させっか!」

 俺も同程度まで加速して殴りかかるが、読まれいなされると足払いを掛けられる。

どうにか耐えるものの、加土は俺が体勢を整えている隙に横を抜け、東雲の元へ向かった。

 コイツ、面倒な方を速攻で沈める気か!

「っ、東雲、距離を取れ!」

 まずい、今のアイツの早さは俺で追えるくらいだ。東雲にはほとんど見えてねえはず……!

「終わりね」

「絶望することはない、数舜の後に意識を刈り取ろうっ!」

 あっという間に距離を詰めると、加土は抜き手を繰り出す。

「違うわ。終わるのは──あなたの方よ」

 次の瞬間、東雲と加土の足下へ巨大な扉が出現した。

「なっ……!?」

 地面が一瞬にして無くなった東雲と加土は、落下して扉に飲み込まれていく。

 そして天井から吐き出されると、重力に沿って落下してきた。

「舞台は整えたわ、決めなさい」

 東雲はそういうと、懐から出したフックの付いた銃を壁へ撃ちその場を離れる。

「よっしゃあっ!」

 空中ならスピードがどんなにあろうと変わらねえ。これなら……!

「ぶちかますっ……!」

 拳を構えると、呼吸を整えながら全速力で加速する。

「う、ぬうっ!」

 加土は防御を固めようと、能力で岩の鎧を急速に展開していく。このままでは打撃が通りづらくなってしまうだろう。

だけど、それは読んでんだよ!

「──はあっ!」

 俺は加土の体へ向けて、全力を込めた掌で打ち付けた。

 外に打撃を与えるのではなく、内側に浸透させ体の中から響かせる一撃。いわゆる鎧通しと呼ばれる打撃が、みぞおちへ深く食い込んだ。

 加土は苦悶の表情を浮かべ吹き飛ぶと、十数メートル離れた壁へ叩きつけられめり込む。そしてそのまま崩れ落ちると、体に纏っている岩がすべて剥がれ落ちていった。

 意識喪失による能力の強制解除。今の一撃で気絶したとみていいだろう。

「ふーっ……。マジで強かったなコイツ」

 俺は息を深く吐き出すと、額を手の甲で拭った。

「まったくよ。能力を切らされるとは思わなかった」

「つーか、能力使えんならそう言えよ」

「必要ないと考えたから明かさなかっただけ。さあ、先を急ぎましょう」

 何ともなさげにそう言うと、東雲は能力を解除して歩き出す。

 俺は慌てて背中を追うと、同じように能力を解除した。

「だけって、お前なあ……」

 それを最初から使っていたら、もうちょっと楽になった場面があったんじゃねえの?

「盗みに入る時に使うことになるだろうし、敵と戦う時にも有用になるだろうから、私のバディーのつもりなら覚えておきなさい」

「つもりってなんだよ。にしても、まさか今になってバディーの能力を知るとはな」

「手札は勝負まで基本的に明かさない主義よ。それに、全てが終わった後あなたが私を突き出さないとも限らないもの」

「しねえよ。つーか前にした約定ってのがある以上、ばらすのは無理だろ」

「そうだとしても、よ。」

 本当、人を信用しねえ奴だな……。

「とにかく、次何か仕掛けるときは説明してからにしろ。俺らは一応、バディーなんだからよ」

「……善処するわ」

「それはしねえ奴のセリフなんだよ」

 シグマもよく言ってるくせに全然やらねえからな。

「あれに乗れば、狐のところまですぐよ」

 東雲が指さした先には、やけに古びたエレベーターの扉が鎮座していた。

「これにか? 床が抜けたりしないだろうな……」

 俺は一歩一歩踏み確かめながら、扉が開いたエレベーターへおそるおそる乗りこんだ。

 東雲は階数のボタンを一度押したかと思いきや、その後いくつかのボタンを追加で押していく。すると、少し不安感を覚える音と共に、やや埃の匂いがするエレベーターは降りていった。

 ……ん? 降りる? 階数表示を見るが、そこには上を向いた矢印と三階を示す数字が表示されているのみだった。

「おい、このエレベーターマジで壊れてねえか?」

「これで合っているわ。その表示は偽装」

「ずいぶんと手の込んだセキュリティーなんだな」

「ここではこのくらいの警戒はして当然よ」

「そんなもんか」

「そもそも、彼女は普段非音声形式での連絡しか取らない。クライアントと直接会うのは稀なことよ。こうして会うことが出来るのも」

「お前と共犯だから、か?」

 東雲曰く、泥棒をする際に使う道具や情報の調達手段として利用しているのが、件の情報屋らしい。俺たちが拠点にしている場所も、そいつから借りた部屋なんだとか。

「ビジネスパートナーと言ってちょうだい」

「格好つけるんじゃねえっての。泥棒は泥棒だろうが」

「泥棒じゃ無いわ。怪盗よ。センス無いわね」

 それはお前の方だろと言いかけたところで、エレベーターは停止した。

 少しぎこちなく開いていく扉から出ようとすると、突然前に大きな人影が立ち塞がる。

 それは身長が二メートルは優に超えている筋骨隆々の人間で、浅黒い肌とスキンヘッドが相まってただ立っているだけでもそれなりに迫力があった。

「へえ、ずいぶんと筋肉質でがっちりとした女だな。でもこれじゃあ、情報屋っつーより用心棒とかその類いだろ」

「紺、くだらないイタズラはやめて、出てきなさい」

 東雲がそう言うと、目の前の巨体は静かに体を横へ避ける。

 巨体の横を抜けて奥に進むと部屋の全貌が見えてきた。

 そこら中に配線が張り巡らされた打ちっぱなしのコンクリート壁に、予備のケーブルや工具、その他パーツが散乱した同色のフローリング。

「あはは。ごめんごめん。初めてのお客さんだから、ついついからかってみたくなっちゃって。それは見た目こそ人間っぽいけど、ただのロボットだよ」

そして部屋の中央、十台近くのモニターが設置された作業机の前にある長椅子が、声と共にぐるりと回る。

「どうも、初めまして棺九郎君! ボクの名前は九条路紺! 君のことは好きな食べ物から口座番号までお見通しだよ」

 情報屋──九条路紺は、まるで今から人を化かすつもりの狐のような笑みを浮かべた。

 快晴の海を思わせる、透き通るような水色のショートカット、その下にどこか眠たげな碧色の瞳をした顔があり、ダボついた黒いパーカーに同色のスウェットパンツを着て椅子にもたれかかった姿と相まって、ずいぶんだらけきった印象を受ける。

九条路を動物で例えるとするなら東雲と同じく猫だが、アイツと違ってこちらは一日中ぐうたら寝ていそうな猫といったところだ。

「それで、お望みのお品物は何かな? 今話題になっているあの人の後ろめたい秘密? それとも監視カメラ映像? もしくは、怪盗仕事に向けた潜入ルートの開拓?」

「今日はどれも違うわ。というか、今の私たちが置かれている状況くらい、あなたならとっくに把握していることでしょう? どうせ」

「もっちのろんろん。いやあ、大変だね玻玖亜。お餅のアイスを片方あげてもいいくらいには同情しているよ」

「おい東雲、コイツが本当に腕の立つ情報屋か? ただの怠け者にしか見えねえんだが」

 俺がそう言うと、九条路は不満げに頬を膨らませる。

「あー、この天才であるボクを馬鹿にしたね? いいよいいともいいだろう! ちょっと証拠を見せるがてらお仕置きをしてあげるっ!」

 九条路はモニターに向き合うと、少しの間キーボードを叩く。すると一枚の紙がプリンターから吐き出される。それを紙飛行機の形に折ってから、こちらに飛ばして寄こした。

「なんだよ、こんな紙くずで何が……っ!」

 紙を開いた俺は、衝撃に言葉を失う。紙には俺の口座番号と預金額、その他バレたくないような個人情報が書かれていた。

「さっき言ったでしょ、君のことはお見通しだって。ボク、結構やり手の情報屋なんだよ? なんなら、口座の中身を空っぽにして見せても良いけど?」

「はっ、んなことが出来るわけがねえ。それ以上何かするつもりなら、お前が泣いて謝るほどにしばき倒して……」

「ちょっと準備いるけど、消すだけなら三十分もかからないくらいで」

「どうやら俺は見間違いをしていたみたいだ。お前みたいな最高の天才に出会えたこと、一生の誇りにするよ。だからそれは勘弁してくれ」

「結構貯金しているのね。てっきり散財ばかりしているのだと思っていたけれど」

「お前は勝手に覗いてんじゃねえ!」

 素早く東雲の視界から紙を外すと、クシャクシャにしてポケットに突っ込む。

 ったく、油断も隙もねえ!

 にしても九条路の奴、東雲とは違う意味で面倒なタイプだな!

「あははっ、この人面白いね玻玖亜。君が気に入るのもよく分かるよ」

「気に入る? 肥だめに捨てたいの間違いでしょう?」

「おい」

 人を汚物と一緒にするな。

「またまたぁ、ここに誰か連れてくるなんて、初めてじゃない」

「そうなのか?」

「うん、いっつも一人だし。誰かと一緒に行動してても、ここに来るときは一人になってからだよ。だから多分、君の……」

「それ以上無駄口を叩くとここら辺一帯にある機器の風通しを良くするわ。具体的に言えば、激しい隙間風が入るくらいの穴を開けたいと思っているのだけれど」

 九条路の言葉は、拳銃を抜いて引き金に指までかけている東雲に遮られる。

「わあっ、やめてやめて! 一台いくらすると思っているのさ! カスタムにだってそれなりに時間をかけてるんだよ!?」

 東雲の前に割り込むと、自分の上半身より一回り大きいPCにひっしと抱きついていた。

「ならさっさと仕事を受けてくれる?」

「はいはい、分かりましたー。で、依頼は装備とかの物資の用意ってところで良いの? 特に要望ないならいつも通りのでやっちゃうよ?」

「ええ、それと彼の分も追加で」

「オッケー、ちょい待ちね」

 今度は電子パッドを手に取ると、何かの操作をしている。

「良いのかよ、俺の分まで」

「装備がなくて足手まといなんて面倒だもの。それに、払った費用以上の貢献はしてもらうつもりよ。そのための初期投資としておくわ」

「ほおん。ま、貰えるもんは貰っておくぜ。ありがとよ」

「よし、っと。ひとまずこんな感じねー」

 九条路は頷くと、自身が操作していたものより一回り小さい電子パッドをこちらへ手渡してくる。画面を見てみると銃火器や防護ベスト、通信機といった基本装備に加え、ピッキング用具やハッキングツールなどの道具もリストに載っていた。

「他に何か必要な物はある? 大体の物なら用意できるけど」

「へえ。ならヘリとか戦車とか用意できたりするのか?」

「うーん、ヘリならなんとか一週間くらいで用意できなくはないけど、戦車はなあ。多分最低一年はもらわないときつそうだねえ」

「それでも無理ではないのかよ……。マジで用意できない物は無いんだな」

「そうでしょ? でしょでしょ? これでも栄町の情報屋の中じゃあ一番有名って言っても過言じゃあ無いんだから。えっと……」

「九郎で構わねえよ」

「ありがと。九郎も必要な物があったら連絡してね。対価に見合う仕事はばっちりさせてもらうつもりだよ」

「ありがてえけど、違法なのはやめてくれよ?」

 無罪を証明し終えたとしても、違法な行為を情報屋にさせることを認めたとかで探偵ライセンスを剥奪されたらたまったもんじゃない。

「だいじょーぶ! いざとなったら気合いと根性でどうにかなる!」

「法は気合いと根性じゃどうにもならねえんだよ!」

「冗談だって。そこらへんはちゃんとお客さんに合わせて気使うから平気。ま、この町じゃ実際法はなんとかなったりしちゃうんだけどね」

「おい、追われている身とは言え探偵の前で言うなよな。頼むぜ、マジで……」

「それと紺、今回の事件について、私たちの指紋が付いた凶器を証拠として提出した人間を調べ上げてくれる?」

 俺が呆れていると、一通り電子パッドを見ていた東雲が顔を上げて口にした。

「証拠を提出した人間? なんでんなもん調べんだよ。真犯人を調べろって依頼した方が楽に見つかるんじゃねえか?」

「思い出してみなさい。犯人はあそこまで計画的な犯行を仕掛けてきた上、警察まで動かしてきた。おそらく自身に繋がる痕跡は裏に至るまで消しているはず。となれば、その周りから糸をたぐって黒幕を見つけていくしかない」

「なるほどな。その証拠を出した人間から聞き出していきゃ、いつかはぶっとばすべきクソ野郎を見つけ出せるってことか」

「そういうこと。それと、これもお願い」

 東雲はそう言って、一つのUSBメモリーを手渡した。

「ん? なんだよそれ」

「あのスーツケースに入っていたものよ」

 平然とした東雲から告げられた突然の事実に、俺は面食らう。

「お、お前、一体いつ。あ、さっき連絡するって分かれた時か!」

「そうよ。中身が危険な物の可能性もあったから、一応見ておいたの。そうしたらそれが出てきた。中身を確かめようとしたけど、私にも解けないプロテクトがかかっていたわ。でもあなたなら解除できるでしょう?」

「もちろん。この天才にお任せっ! それじゃあ、追加で証拠の提出者とメモリーの解析の依頼ってことね。りょうかーい、今すぐやるよ。と言いたいところだけれど、今日はもう定時だから業務終了~」

 そう言うと九条路は机の横に置かれたベッドに体を投げ出し、ゴロゴロと転がり出した。

「こちらとしては今すぐにでも調べ始めて欲しいのだけれど」

「サラリーマンならもう家に帰ってる時間だよ? とにかく仕事は明日、今日は終わり! 君らも体を休めないと、明日からも真犯人探し、するんでしょ? だったら休息をとらないと、いざって時ガス欠になっちゃうよん」

 裏の人間ってもっと固いイメージがあったが、実際はずいぶんと自由なんだな……。

「仕方ないわね。こうなった紺は梃子でも動かないし、拳銃を突きつけても泣いてぐずるだけよ。今日は帰りましょう」

「やったことあんのか……」

 コイツの方がよっぽど裏の人間らしい気がする。

「仕方ねえ。今日は帰るとすっか」

「二人ともばいば~い」

 九条路は棒アイスを口に加えながら、実に呑気な口調と共に手を振っていた。

 ……本当に大丈夫なんだろうな?



「ん……」

 どこからか聞こえてきた水音で、俺は目を覚ました。

 警戒の面から窓が無いこの部屋では、朝日が差すことは無い。

 いつもはそれで目覚めていたから、どうにもこの状況には違和感があってしょうがない。

 瞼をこすりながら体を起こすと、水音はどうやらリビングの奥にある浴室の方から聞こえてきているようだった。

 俺は六畳ほどの個室から出ると、リビングを抜けて顔を洗いに洗面所へ向かう。そして欠伸を共にカーテンを開けた。能力の反動か、ちょっと頭がぼうっとすんな……。

 ん? つーか水音がするってことは、誰か風呂使ってるってことじゃ……。

 ようやくそのことに気づいた時には既に遅く、洗面所に隣接している浴室からたった今出てきたのであろう、風呂上がりらしくバスタオル一枚のみを体に纏っている東雲と目が合った。

 俺は目の前の状況を飲み込めず、少しの間その場に立ち尽くす。

「あー……悪い」

「殺すわ。誰か分からないほどに全身を挽肉にして殺すわ」

 ようやく立たされている状況が理解できて謝った俺に対し、東雲はいつもより五割増しほどの冷徹な声を出すと、着替えの置かれていた場所から拳銃を素早く取り出し躊躇無く発砲した。

「危ねえっ!?」

 ほとんど反射で体を左に捻ると、頬あたりを弾丸がかすめ廊下の壁にめり込んだ。

「避けないで貰えるかしら?」

「悪いって言ってるだろ! 間違いだ間違い!」

「言い訳はそれで終わり?」

 おかげで目が覚めたが、今度は永眠させられかねない危機だ。

 東雲が二発目の銃弾を撃とうとしたその時、インターホンが鳴った。

 俺たちはそのまま耳を澄ませる。インターホンはそれから二度鳴ると、最後にドアノブを四回ガチャガチャと動かし、最後にノックを五回した。

これは俺たちの間で決めておいた仲間が来たという合図だ。紺が来たのだろう。

「おい、来客が来たぞ。とりあえず服着ろよ」

「……仕方ないわね。処刑は後にしてあげる」

 処刑するのは決定事項なのかよ。

 ひとまず洗面所を出ると玄関に向かう。扉を開けると、分かっていたことだがそこには紺が欠伸をしながら立っていた。

「やっほー九郎、ぐっもーにん! ひとまず頼まれてた証拠提出者の情報、持ってきたよ!」

「うっす紺。情報か、それは助かるけど、またなんでわざわざ直接来たんだよ。メールなり何なり送る方法があんだろ」

 抱いた疑問を尋ねてみると、紺は人差し指でばつの悪そうに頬をかいた。

「いや、そろそろ朝ご飯食べる頃かなーと思ってさ。出前も頼める時間帯じゃないし、コンビニご飯も飽きちゃったんだよ。お願い、何か作って食べさせて! お金なら払うから!」

「しょうもねえ理由できたもんだな……」

「しょうもなくないよ! 自炊してないと手作りの味に飢えるものなの!」

「はあ、仕方ねえなあ。言っておくがあんま大したもん作らねえぞ?」

「それでも良いからさ! ここのところ会った人で手作り料理作ってくれて、しかも了承してくれそうなの九郎くらいしかいなかったんだよ! ねっ!?」

「お前、なんで俺が料理作れること知ってるんだよ……」

「それはまあ、置いといてさ。お願いっ!」

 九条路はよほど飢えているのか、両手を合わせて頼み込んでくる。

 大方、俺のことを調べている間に知ったってところだろう。まあ、別に作る食事の量が増える程度、構わねえか。

「良いぜ、上がってけよ。ただし、ちゃんと洗い物とか片付けするんだぞ?」

「! はーい!」

 俺が手振りで部屋へ招くと、九条路は満面の笑みを浮かべた。



「よしっ。出来たぞお前ら」

 鮭が十分良い焼き色になったことを確認すると、俺は背後にある食卓へカウンター越しに声をかけた。

「わーい! ご飯だ!」

「ほら、持ってけ」

 無邪気な声と笑みでキッチンへ来た九条路へ鮭の乗った食器を渡し、共に食卓へ運んでいく。一畳分ほどのサイズをした食卓テーブルには、白米にわかめと豆腐の味噌汁、卵焼きにきんぴらごぼう、そして鮭の塩焼きと言ういたって純和風な食事が並んだ。

 昨日の夜仕込んでおいたから、調理時間に対して出来はそれなりに良いだろう。

「以外、料理なんて出来るとはね。出来るにしても肉料理とか一皿で済む料理だとか、大雑把なものしか作れないと思っていたのだけれど」

「誰が大雑把だ。……小次郎たちと暮らしていたときは、よく留守番で飯を任されたりしていたからな。ちょくちょく作ってたんだよ」

「おー、久々の手料理だあ! うう、どれも美味しそう……!」

 どうやら相当腹が減っていたんだろう、九条路は餌を前にして待てをされている犬のような表情で食事を見つめていた。

「んじゃ、冷めないうちに食うか。いただきます」

「いただきます」

 おれたちはそろって手を合わせると、それぞれ朝食へ手を付ける。

「……ふう」

 シンプルな味噌汁を口にすると、思わず息が漏れる。

 続けて鮭を白米にのせてかっ込む。鮭の塩味と白米の甘さがちょうど良くて、食が進みに進む。ジャンクフードも美味いが、こういう食事もやっぱり良いな。

「はあ……これだよこれ。あ~最高~!」

 九条路はすっかり気に入ったようで、うっとりとした表情で頬に手を当てていた。

 ここまで嬉しそうにされると、作った甲斐があるというものだ。

「……」

 一方の東雲は黙々と食べ進めていた。しかし別に不味かったわけではないようで、ハンバーガーに並ぶほどの速度で食器を空にしていた。

 どうやら二人とも満足してくれているようで何よりだ。

 さて、俺も調査に向けてしっかりと食わねえとな。

 俺たちは「九郎、醤油とって」「ああ」、「あなたのきんぴら、仕方ないから貰ってあげるわ」「ふざけんな」だとか、たわいのない会話をしながら、あっという間に全ての食器を空にした。

 分担して片付けと食器洗いを済ませると、俺は食後のコーヒーを出しながら九条路に尋ねる。

 ちなみに俺がミルクと砂糖一つずつ、紺がブラック、東雲がミルク多めのカフェオレだ。

「満足したか?」

「うん! ねえ、ハンバーグとか唐揚げとか、他の料理も作れたりする?」

「ああ。よっぽど凝ったもんでもなきゃ、大体は作れるぜ」

「本当!? ねえねえ九郎、もし探偵やめて仕事が必要になったらうちに来て、住み込みの家政夫さんやってよ。好待遇で雇うからさ!」

「悪いな、俺は探偵一筋なんだよ。でもま、一応覚えとくぜ」

 九条路の嬉しそうな食事の姿を見ると、それも少し悪くないと思うが。

「紺、やめておいた方が良いわよ。こんな原始人にデスク周りの掃除なんてされたら、色々と壊されるだろうから」

「誰が原始人だよ、おい」

『昨夜、豊田市にて起きたトヨダ工場内での爆破・殺人事件について続報です。殺害されたのは会社員の男性──』

なんてことを話していると、流しっぱなしにしていたテレビから、不意に気になるニュースが流れてきた。誰ともなく俺たちは揃って画面に目をやる。

「ん? んー……」

なんだこの場所、どっかで見たような、気のせいのような……。

「どしたの? 九郎」

「いや、ちょっとな。この間爆破起きたのって、確か蒲郡のあたりだったよな?」

「そだよ。そっちも確か探偵協会の人だったよね」

「そっちも? ニュースではどちらも会社員としか書かれていなかったはずよ」

「表向きはね。でも二人とも本当は探偵協会筋の仕事も兼業してたみたいだよ」

 殺されたのは探偵協会の人間、そしてこれまでに起きた爆破場所……。

「なんか、引っかかるんだよなあ……」

「それで、情報を持ってきたと言っていたけれど、そろそろ見せて貰えるかしら」

 何か出てきそうな気がしたが、東雲が九条路に催促する声によって、それは実像を結ぶ前にどこかへいってしまう。

「あ、そだったそだった。ちょっと失礼~」

紺が持ってきていたバッグから取り出した電子パッドをテーブルに置くと、俺たちはその画面へ目をやる。そこには一人の男の画像と、いくつかのプロフィールが並んでいた。

「藤木大輔。二十八歳の男性で能力は無所持。現在は探偵協会の構成員として働いているこの人が、君たちを容疑者にした証拠を提出した相手ってわけ」

「さっすが情報屋、手が早いな」

「へへー。もっと褒めてくれても良いんだよ?」

「メモリーの中身に関してはどう?」

「そっちはまだかかりそうかなあ。でも夕方ぐらいには終わると思うよ。プロテクトが結構頑丈でさあ、面倒ったらありゃしないよ」

「んじゃ、ひとまずコイツから情報を聞き出すか」

 藤木の画像を改めて見る。スポーツ刈りの頭に引き締まった顔はとても他人を陥れるような人物に見えなかった。だが、もしかしたらこの人が、俺たちに濡れ衣を着せ五十六さんを殺した犯人かもしれない。

 違ったとしても、犯人に通じる何かしらの手がかりを持っているはずだ。

「あ、それと五十六尾道の死因も出てたよ。磁力による生命維持機器の破損が主な原因だって」

「生命維持機器?」

「そそ。ペースメーカーとか他にも色々、このおじいさんは体に入れてたみたいでさ。それが磁力で誤作動起こされたり、無理矢理引きちぎられるみたいに部品が破損させられたりしたのが駄目だったみたい」

「待てよ。んな能力使ってた奴、俺らがぶっ倒した中にはいなかったぞ」

「調査によると下の階から強い磁力を通してたみたいだよ。相当強力な異能だね」

「なるほど、私たちのスマホが壊れていたのはそういうわけね」

 ああ。電子機器を磁石に近づけちゃいけないとかいうあれか。

 九条路は机の上に紙を広げる。そこにはレポートが残っていた。

「現場の監視カメラは磁力で壊れた以外はハッキングで止められてたし、君らと追手、それからホテルのスタッフ以外の足跡とかも残ってないみたい」

「他の証拠はないの?」

「そっちもダメ。でも調べてみた感じ、ちょっと綺麗すぎるんだよねえ」

「綺麗すぎる?」

「なんていうか、部屋の一部分だけやけに丁寧な掃除されてるって感じ? 所感でしかないけど、誰かいたんだと思うよ。君たちをハメたであろう誰か、もしくはソイツが仕向けた刺客がね」

「くそっ、俺らにこんなことして、何が目的なんだよ」

「ここまで何も分からない相手だと不気味ね」

「後、一個気になってることがあるんだけどさあ」

「なんだよ?」

「おじいさんを殺したのは多分磁力か、それに関係する異能持ちだと思う。でもそれをやれる能力者が、今ここら辺一帯にいないんだよねえ」

「はあ?」

 九条路の報告に思わず俺は素っ頓狂な声が出る。

「どういうこと、紺」

「そのままの意味だよ。このおじいさんを殺害出来る条件に当てはまる人間が、裏表含めて全くいないの。不思議なんだよねえ」

「凄腕の殺し屋が誰にもバレないようにやった、とかはねえのか?」

「う―ん、そんな凄腕なら雷禅さんの関係筋が察知するだろうし……。多分ないと思うけど……」

「んだよそれ、訳分かんねえ……」

 ますます頭がこんがらがってきやがった……。

「ひとまずその謎は置いておきましょう。今は藤木大輔から情報を聞き出す方が先決よ。何か握っているかもしれない」

「だな。考えるよりまず動こうぜ」

 東雲の言葉に頷くと、拳を固く握る。

 待ってろよ真犯人。誰だか知らねえが、関係ない他人の命を奪ってまで俺たちにこんなことを仕掛けてきやがって。

 絶対に捕まえて、罰を受けさせてやる。



「おい、来たぞ」

 夕暮れで染まった住宅街の一角。チェーンの喫茶店でカウンター席に腰掛けていた俺は、窓の外をターゲットが横切っていったところを確認すると、小さく通信機のマイクに声をかけた。

『了解、こちらも視認したわ』

 耳に付けた小型のワイヤレスイヤホンからは、どこかの建物にある屋上から対象を監視しているだろう東雲の声が聞こえてきた。

 通勤ルートに待ち伏せて、不意を突き捕縛して接触する。

 それが藤木から情報を引き出すために俺たちがとった作戦だった。

『想定通り、ターゲットが捕縛ルートに入ったわ。後二分で対象を回収するわ。終わり次第すぐに合流して』

「了解」

 俺は冷め切ったコーヒーを一気に飲み込み手早く勘定を払うと、こちらに気づかれないように藤木を尾行する。今はシャツにスラックス、黒縁眼鏡と言った変装をしているから、傍目には大学生あたりにしか見えないだろう。

 十数メートルほど離れた位置から、ゆったりとした歩幅で藤木の後ろを歩いて行く。

 藤木は筋肉の付いた体をスーツに包んでおり、爽やかなスポーツマンという印象だった。

 本当に、この人が俺らを容疑者に……? ……いや、今はそんなこと考えず、情報を引き出すことに専念すべきだ。

 あくまで同じ道だという偶然を装って風体で追い続けると、少し経って十字路に差し掛かったあたりで突然、右から歩いて来た女に藤木は声をかけられた。同僚らしきスカートスーツを着た、後ろでまとめた黒髪が特徴的な女は藤木と会話を交わすと、そのまま一緒に帰り道を歩いて行く。何を話しているかは、今の俺の距離じゃあ聞こえなかった。

 そうしてまたしばらく移動すると、女が言葉と共に道の途中にある裏路地を指した。男は戸惑っていたものの、何かを囁かれるとやや興奮した面持ちで裏路地へと入っていく。

 俺はそれを見送って三十秒ほど経ってから、周囲に誰もいないことを確認すると同じ道へと進んだ。夕暮れ時にしてもやや暗めの道を、足早に抜けていく。近くで工事をしており、車両や機械の駆動音がかなりうるさかった。そのまま歩いて行くと、

「こっちよ」

 と声をかけられる。そちらを見てみると、道の途中にある建物のくぼみのようなスペースに、女と藤木がいた。藤木は手足を縛られて座らされており、目隠しと猿ぐつわ、耳栓までされ完全に周囲の情報を遮断されていた。

「すげえ上手いことやってたみてえだが、なんて言ってここまで連れてきたんだ?」

「別に、ただ少しお誘いをかけてみただけよ」

 女は無感情にそう言うと、顎のあたりにある皮膚、もとい変装マスクに手をかけ一気に剥がした。その下からはいつも通り愛想のない表情をした東雲の顔が現われる。

「それじゃあ、始めましょう」

 俺は頷くと、藤木の耳栓を外し囁く。

「今からお前に質問する。暴れたり叫んだりせず正直に答えることが出来たら、危害は加えねえ。分かったな? 理解できたら一回頷いてくれ」

 何度も頷いたのを確認すると、猿ぐつわだけを外す。

「ぼっ、僕のことはいい、だけど、佐島さんは解放してやってくれ」

 数度呼吸を繰り返した後、恐怖のせいか、ややかすれた声で男はそう言った。

「安心しなさい。本物の佐島さんは今頃家に帰っているわ」

「へっ!? そ、そうなのか……なんだ……」

「聞きたいことっつーのは、今起きている連続爆破テロと殺人事件について、あんたが提出した証拠のことだ。つい先週あたりだ、まだ覚えてんだろ?」

「だっ、出したけど、それがどうしたって言うんだ」

 東雲に目配せをすると頷く。よし、これからだ。

「あれは自分で出した物か、それとも誰かに指示されて出した物か? 詳しく教えてくれ」

「そ、それは……」

 最初は言いよどんでいたものの、状況からしてもうどうしようもないと観念したのか、藤木はポツポツと語り出す。

「あの証拠は、頼まれてというか、脅されて提出したものなんだ。……ある日、家に手紙が届いたんだよ。中身は金の代わりに証拠の提出を頼みたいって書いてあって、書類にサインしてだすだけで良いし、金は既に振り込んで置いたって内容だった」

「それはいつだ?」

「証拠を出した前日だから、それこそ先週だよ。次の日出勤したら、僕の机の上にもう証拠品と関係書類がもう僕のサインを入れるだけの状態で置かれてた」

「それで、サインをして証拠を提出した、と」

 東雲が追及すると、男は力なく項垂れる。

「仕方ないだろ。手紙には両親や兄弟の隠し撮りが入ってた上に、他言すれば報復する、だなんて書いてあったんだからさ!」

 駄目だ。この人は真犯人と何の繋がりもない。手がかりを得るのは絶望的だろう。そう理解した瞬間、思わず俺は小さくため息をついた。

 横へ目配せして首を横に振るが、東雲はそれを無視して尋ね続ける。

「その内容以外に、何か手紙について覚えていることはある? 何でも構わないわ」

「覚えていること? って言われても。うーん……あ、そういえば手紙の最後に何か、鯨の印鑑が押されていたような気がする」

鯨……? 鯨だと!?

「おい、その印鑑って鯨の横に帆船が描かれてなかったか!?」

 肩を揺すりながら問い詰めると、藤木は思い出したように頷く。

「た、確かだと思う。鯨が右で……、うん、左に船が描いてあったはず」

 嘘だろ、どうなってんだよおい……!

 予想だにしない事実に、俺の頭は疑問に埋め尽くされる。

 誰かはおそらく分かった。だけど一体、何のために? 何か手がかりが掴めるかと思いきや、出てきたのは更なる謎だった。霧がかかった迷宮に放り込まれたような気分になる。

「……行こうぜ。これ以上の情報は得られなさそうだ」

「ええ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! まさかこのまま放置して、っ……!?」

 スタンガンを押し当てて気絶させると、目隠しを取り手足の拘束を解き、俺たちは立ち去る。

「それで、一体誰なの? 彼を脅迫した相手は。その様子だと思い当たりがあるのでしょう?」

「……まあな」

「なら、教えなさい。相手が分かったのなら、すぐにでも次の準備をする必要があるのだし」

「いや、その準備は必要ねえよ」

「はあ?」

「聞きようがねえんだ。だってその人はもう、死んでいるんだからな」

「それって、まさか……」

 目を見開いて立ち止まった東雲に、俺は頷いて返す。

「海上自衛隊の出身であるその人は、探偵になっても大好きな鯨と帆船を特注の印鑑にして、サインの代わりに書類へ押している。前にシグマが話してんのを聞いたことがあんだよ。そしてあの時、確かに使ってるところを見た」

 まだ混乱している頭を整理するために言葉にしてみるが、まだ正直信じられない。

 なんで、あの人が?

「──五十六尾道。俺たちに濡れ衣を着せる証拠を提出させたのは、スーツケースを俺たちへ託した張本人だ」 

   


第四章 真実を盗め



「二人とも、おっかえりーって、何その新しいメモリ設置したら規格合わなかったみたいな顔」

「なんだその例え。いや、実はな……」

俺たちは先ほど入手した情報を紺へ伝える。

「ふーん。それはまた変な話だね」

「だろ? わけわかんねえよ」

「でも、理解できない話じゃない」

「は? なんでだよ」

「だって、それはその五十六って人が本当に死んでいたらの話でしょ?」

 予想だにしない考えに、俺は首をかしげる。

「どういうことだ?」

「実は死んでいたのは偽物とか仮死状態になっていたとかで、周囲には死亡したと思わせておいて本当は生きてました~。とかだったら二人に濡れ衣を着せる意味はあるんじゃない? ま、目的は知らないけど」

「そんなはずはねえ。確かにあの時心臓が止まっていたんだって!」

「空を飛んだり人に変身出来たりするような、とんでもビックリ人間が実在しているこの時代だよ? 絶対に五十六尾道本人が死亡したって言える? それを確定できる能力でもないと無理だと思うよ。科学捜査だってこの能力社会では絶対とは言えないし」

「それは……」

 確かに、今の世の中で人間が生き返ったと言われても、少し疑う程度で受け入れられないことはないかもしれない。

「紺の言うことは一理あるわ。この情報で、私たちは依頼者さえも疑わざるを得なくなった」

「でもよ。それだったらあの時、俺たちにスーツケースを渡した意味ってなんだよ。どうされるか分かったもんじゃねえのに、初対面の相手に託すか?」

「ええ。あの行動の理由を考えるためにも、私たちはメモリの中身を知る必要がある。紺、もう解析は終わった?」

「あー、それがねえ……」

「何だよ。爆発でもさせたか?」

「んなわけないじゃん。でも、そうしたいくらい面倒なことにはなってる」

 紺は頬をかくと、椅子に深くもたれて話し出す。

「メモリの第一プロテクトは突破完了したよ。でもその次が問題。このプロテクトを突破するためにプログラムキーが必要なんだよ。でも無いじゃん? だから面倒なことになりそうなんだよねー」

「ぷろぐらむきー?」

 なんだ? 電子マネーとかの鍵版みてえなもんか?

「そのままの意味だよ。扉を開けるための鍵になるプログラムってこと。これが無くても開けることは出来るけど、解析しつつ手探りでプログラムを一から組む必要がある。となると結構時間がかかっちゃうんだよ」

「どのぐらいで終わるの?」

「そうだなあ。これが一つだけならちょっとの時間で済むけど、正直なところ何重にかけられていてもおかしくない。そうなってくると一年近くはかかっちゃうかなあ」

「一年!? そんなに待てねえって」

 一ヶ月や二ヶ月なら待てるが、さすがに一年は厳しい。

 今ですら面倒だっつーのに、そんなに時間が経っちまったら俺たちの状況はますます悪くなっていくはず。それはごめんだ。

「仕方ないよ。僕が取れるのはこの方法しかないんだから」

「その口ぶりじゃあ、まるで私たちにはあるとでも言いたげね。さっさと話しなさい、どうせあなたのことだし、他の方法も考えてあるのでしょう?」

「さっすが玻玖亜。ボクのことよく分かってるー。実は、もう一つやり方があるんだよねえ」

「もったいつけてねえで、とっとと教えてくれよ」

 俺は安堵のため息を吐くと、九条路にそう質問した。

「この方法は僕だけじゃあ出来ないんだ。二人に協力、それも危ない橋を渡ってもらう必要がある。その覚悟はある?」

「当然!」

「もちろんよ」

「わあお即決、頼りになるねえ」

 紺は笑うと、キーボードを触り一枚の画像を映し出す。

「プログラムキーを手っ取り早く開けたいのなら、偽物を作るんじゃなくて本物を持ってくれば良い。五十六尾道のPCの中からね。こんな形の奴、ホテルの部屋の中になかった?」

 監視カメラのキャプチャーだろう。やや粗めの画像に移っていたのは、ノートパソコンらしき黒色の四角形だった。

「パソコン? ……ああ、そういやそんなのが部屋の奥に置いてあった気がすんな」

「そう。僕もホテルの監視カメラを見たんだけど、遺体と証拠が持ち出されたとき刑事の一人がノートPCを持っていた。それをどうにか盗んでこれたら、あっという間に開けちゃうってわけ」

「でも、絶対にそのプログラムが存在するって保証はあるの?」

「こんなプロテクトをかけるくらいだし、身近に持っていたのなら確実にあると思うよ。そうでなくても、PC内のネットワークからプログラムキーに通じるある程度の手がかりをたどれるはず」

「でもよ、俺たちが出ていった後、警察が来て調べたんだろ? パソコンも調査されてるだろうし、鍵なんて見つかってどこか別の場所へ移されてるんじゃねえか?」

「プログラムキーはあっても気づかないと思うよ。見た目はただのアプリだろうし」

「……そういうことか、わかったぜ」

「どう見ても一欠片さえ理解をしていなさそうな表情をしている可哀想な彼に、仕方ないから説明してあげなさい、紺」

 俺が頷いていると、呆れた視線で東雲は促した。

「なんで分かった!?」

「あなたは表情に出過ぎなのよ。能力に反してポーカーはやるだけ損なタイプね」

 嘘だろ、そんな出てんのか……?

 顔を触ってみる。皮膚の感触がした。当たり前だ。

「そういうことをしている時点でアウトだって分からないの?」

「う、うるせえな。」

「プログラムキーって言うのは見た目はただのアプリなんだ。普通の人の身近なところで言うとメモ帳とかブラウザとかね。けど特定の鍵穴、今回で言えばこのメモリー内にあるファイルがある状態で起動すると、そのプログラムの挙動が鍵になって開くってわけ。だから鍵穴がない状態で普通に起動してもただのアプリなんだ」

「へえ。つうことはそのまま残っている可能性が高いってことか」

「そういうこと。だからPCさえ盗み出せば、見つかると思うよ」

「で、その本体は一体どこにあるって言うの?」

「警察に持っていかれたなら、置いてあるのは大方警察署とかだろ? んなとこに盗みに入るのかよ。面倒そうだな」

 そうなったら最悪、三ツ星や二ツ星の探偵とやり合うことになりかねない。

 俺とコイツで勝てんのか? ……無理だな。多分途中でコイツが俺をおとりにして逃げる。

「あら、盗みに入ること自体は嫌がらないのね」

「……あっ! そういやそうじゃねえか! やっぱ俺はやらねえからな!」

「えー、さっきの威勢のいい返事は~?」

「取り消しだ、取り消し」

「情けないわね。一度口にした言葉を反故するなんて」

「うるせえな。俺は探偵なんだよ。泥棒はやる側じゃなくて追う側だっての」

「でも、今のところ殺人とテロの容疑者だよ? もし無実を証明できても、時間をかけすぎると張り付いたレッテルがこびりついちゃうかもしれないし」

「うっ……」

 確かに……。

「それに、相手は用意周到な人間よ。今動かなかったら、まだ残っている手がかりすら消されてしまう可能性があるわね」

「ぐぐっ……!」

 た、確かに……!

「九郎たちのことはバレないようにするからさ。もしバレても、真犯人を見つけるためなら許してくれるってきっと」

「……はあ、仕方ねえ。言っておくが、盗みに加担するなんてこれっきりだからな」

「こんなに安易に承諾するなんて、やっぱり騙されやすいわね」

「九郎、詐欺の手口とかちゃんと勉強しておきなよ?」

「おい」

「じゃあ、盗みに入るということで決まりね。で、一体どこに盗みに入ればいいのかしら? 紺」

「それはねー、ここ!」

 と、モニターの一枚に画像を表示させた。

「げっ、マジかよ……!」

 それを見た瞬間、思わず俺は顔をしかめる。

「何? 知っている場所なの?」

知っているも何も、ここは……!

「九郎にとっては結構身近なところだろうね」

「なんでこんなところに証拠があるんだよ。警察が引き取ったんだろ?」

「警察はもうとっくに調査を終えたから、探偵も調査して良いってことになったみたい。そこで元警察で実力もあるこの探偵が証拠を預かっているってわけ」

「はーっ、嘘だろ、おい……」

確かに、前は警察だったってことをいつだったか聞いたことはあるけどよ……。

「で、どこなのかしら?」

「……お前も会っただろ。ここは、シグマの家だ」

「そ。ここは三つ星探偵、榊原シグマの邸宅だよ。ここの最上階にある金庫に、五十六尾道のPCは保管されてる。僕らの目的は今度この家で開催されるパーティーに乗じて証拠を盗み出すこと。決行は二日後、その時までに二人には盗みに入る準備をしてもらうよ」

「ったく、面倒なことになりそうだな……」

見慣れた邸宅の画像を前にして、俺はため息を吐いた。



「にしても本当広いな、この家。マジで豪邸くらいあるんじゃねえの……?」

「かもしれないわね」

今俺たちがいるのは、紺の家にある機械の試作品を使うレクリエーションルーム。

『ボク結構稼いでるんだよね、天才だから!』

 とは本人の談だが、確かにエレベーターで行き来する必要はあるものの、見てきたどの部屋も広さに関してはそこらの物件をはるかに上回っていた。他にもいくつか部屋があるようだし、実際かなり稼いでいるらしい。

 ……ありかもな、情報屋家政夫の仕事。

「よそ見をしてないで、始めるわよ」

「おう」

ひとまずルートや潜入方法の情報収集、装備の調達に関しては紺に任せ、この部屋で俺は東雲から泥棒に入る際に必要になる道具の使い方をレクチャーされることになっていた。

「じゃあ、ひとまず簡単な説明をしながら道具の用途と使い方を見せるわ」

「おう」

四角形の白色テーブルで机の上に道具を広げた東雲は、道具の一つを手に取って見せてきた。

「まずこれはピッキングツール。これに関しては探偵科でも見たことくらいはあるでしょう」

 そういうと東雲は細い針金のような道具を錠前に二本差し込んで弄る。すると、あっけなく鍵は音をたてて開いた。

「ほら、やってみて?」

「おっしゃ、任せろ」

 ツールを受け取り、早速差し込んで弄ってみるが、どうにも鍵穴は上手く回らない。

 畜生っ、どうなってんだこれ……!

 力を込めて回そうとした瞬間、ピッキングツールがまるで熱されたイカゲソのようにぐんにゃりと曲がった。

「……」

「……あなた、本当に同じ人類?」

「お、俺には合わなかったってだけだ! 次は上手くいくはず!」

「まあいいわ。次はガラスカッターよ」

 手渡された道具は持ち手の付いた丸いカッターで、丸鋸によく似ていた。

「うっし、今度こそ」

 スイッチを押して駆動させると、ガラスに押し当てる。

 ガラスを切っているのにも関わらず、まるで絹でも裂いているかのように音がしない。

 おお、これはすげえな。

「ん~……」

 確かに便利だが、ペースが少し遅えな。もっとこう、ぐっと押し込めば……。

 俺が力を入れた瞬間、派手な音をたててガラスが砕け散った。

「……」

「……わざとじゃないわよね?」

「い、今のは上手くいきそうだったろ。こんなんで割れるようなガラスが軟弱だったんだよ。ほら、次の道具行こうぜ」

 その後も東雲のレクチャーの元、様々な道具を試してくが、俺の使えたものはまったくと言っていいほどになかった。

「分かったわ。あなたの出来前を考慮して役目を決めましょう。とりあえず、あなたは荷物持ちで決定よ。仕掛けは私が解くわ」

「役立たずで悪かったなっ!」

 俺は道具を放り投げて目線を逸らすと、机の端によけられたまだ試していない道具を見つける。それは先からフックを出しているおもちゃの銃のようなデザインをしていた。

「これは?」

「ワイヤーガン、撃つとワイヤー付きのフックが射出されるの。どこかへひっかけて移動したり、高所での上り下りが主な使用用途」

「へえ、格好いいじゃねえか。なんでこっちの使い方練習させてくれなかったんだよ」

 そういや、東雲が前に使ってた気がするな。

「それの扱いは至難よ。いくらあなたの身体能力が良いと言っても、決行当日までに扱えるようにはならないと判断しただけ。あなたには能力もあることだし」

「おいおい、俺のことをなめすぎだろ。自慢じゃねえが、運動神経には自信があるんだぜ? 見てろ、すぐに使いこなしてやるからな。そしたら俺の分も頼んでくれよ」

「まったく……好きにしなさい」

「よっしゃ」

 銃を天井へ向けて撃つと、フックが天井に突き刺さる。

「次はボタンを押してワイヤーを巻き取る」

 ボタン? ……ああ、これか。

 普通の銃であれば撃鉄にあたる部分に付いていたワイヤーを巻き取るボタンを押した瞬間、俺の体は強い力で天井へ向けて引っ張られた。

「うおおおおおおおおおっ!?」

 姿勢を整えようとするが、引っ張られていてまるで思い通りに体が動かない。

 勢いを止めようとボタンから指を離すものの勢いは衰えることなく、俺は蛙のような姿勢で顔面から天井に激突する。そのまま床に落ちると、顔をぶつけた衝撃か鼻血が一筋流れ出た。

「さすが、運動神経に自信があるだけのことはあるわね、惚れ惚れするほど超一流の動きだったわ。コメディアンとして、だけれど」

「……そりゃどうも。いつかお前はしばく」

 東雲を睨み付けていると、九条路が部屋に入ってくるのが見えた。

「二人とも、車とか装備とかが届いたよー」

「お、本当か!?」

 それを耳にした途端、俺は痛みを忘れて跳ね起きる。

「……本当、単純ね」

 ここ最近で一番嬉しいニュースを聞いたことがあって、隣から飛んでくる東雲の蔑むような視線も今は気にならなかった。



「マジかよ! これ、本当に使って良いのか!?」

 作戦当日、逃亡する際に使う車が届いたと言うことで見に来た俺は、車両のボンネットを撫でると、思わず高くなった声で九条路に尋ねた。

「うん。なんか廃車寸前のを趣味で直してたらしくてね。本来なら売りもレンタルもしないけど、これをわざわざリクエストする人にならって貸し出してくれたんだ」

「助かるぜ。いやあ、ダメ元でも言ってみるもんだな!」

「それにしても、それ何かいい車なの? リクエストされた時すごく喜んでたよ、『いつか顔を合わせる日があったら一杯奢る』って伝えてくれってさ。まあ、そのおかげで改造費かなりおまけしてくれたからこっちも助かるんだけど」

「いいも何も、ダッジのチャージャーだぜ!? こんな名車に乗れるなんて、く~っ! ここのところ災難続きだと思ってたが、コイツに乗れるなら耐えてきた甲斐があるってもんだ!」

「あまり理解できない趣味ね。もっと値打ちのある古いクラシックカーならわかるけれど」

「ちょっと口閉じてろ、一番の災難」

 東雲に毒づきながら運転席に乗り込む。シートに座りハンドルを片手で握りエンジンを掛けると、重低音が鳴り響く。その瞬間、笑みと共に嬉しいため息が漏れ出た。

 その名前の通り筋肉質なボディーはどの角度から見ても美しく、内装も当時の物ではないが、それを意識しつつ使いやすくチューンナップしたもので馴染んでいる上に使いやすい。うなるエンジンの排気音は、聞いているだけで背筋が痺れてきたほどだった。

どれを取っても逸品のコイツが理解できないだなんて、可哀想な奴だ。

「それと、九郎が言っていたオプションはちゃんと組み込んであるってさ」

「おっ、マジか。サンキュー!」

 何から何まで応えて貰えるとは。コイツはむしろ、俺が何か奢らせて欲しいくらいだ。

「オプション?」

「大したことじゃねえから気にすんな。シートとか内装とか、そんな程度のもんだって」

「そうかなあ……?」

 注文票を見て首をかしげている九条路は気にしない。

 ひとまずエンジンがかかることだけを確認した俺は運転席から出る。

「ま、とりあえず初乗りは実行の日まで楽しみに取って置いて、だ。もう一つあんだろ?」

「ああ、そうだった。これこれ」

 九条路が部屋の片隅から引っ張り出して来たのは、一つの段ボールだった。



「どうだ? 似合ってるか?」

 作戦の際に着る装備を試着して見た俺は、東雲たちの前に躍り出る。

「ひゅー! いいじゃんいいじゃん! すごいバカっぽい!」

「そうね。底辺のホストみたいでとても素敵だと思うわ」

「お前ら少しは褒めようという素振りくらい見せろ!」

 こいつら、もしかしてお世辞とって概念が一切頭の中に無いんじゃねえか!?

「で、どう? 問題なさそう?」

「バッチシだぜ。どのスーツもこんなに動きやすければ良いって思っちまうくらいだ」

鏡に写った自分の姿を見る。

 黒いスーツのセットアップ上下に同色の手袋、そして赤いワイシャツ。どれも防刃・防弾・耐衝撃加工が施された特殊装備だ。東雲が盗みの時に使っている服と同じ、能力で加工された特殊素材で出来ているのがこのスーツらしい。

 試しに軽くシャドーをしてみると、探偵科の運動着と来ているときと同様に、まったく違和感ない体捌きをすることが出来た。確かに、きちっと決まった格好にもかかわらず動きやすさは抜群だ。これなら能力を全開で発動しても問題ないだろう。

「値段さえもうちょっと安けりゃ、心の底から喜べたのによ……」

 最初に値段を見たときは、九条路が桁を間違えたのかと思ったくらいだ。

「仕方ないよ。プロの探偵が使うような性能の装備なんだから」

「それは分かってるんだがな……」

「じゃあ、私も一応確認しておこうかしら」

「「いってらー」」

 二人で東雲の背中を見送ってから、九条路に声をかける。

「なあ九条路、ちょっと相談なんだけどよ。追加の調達って出来たりするか?」

「もちろん出来るけど、オプションまでこっそり付けた癖に、この上何が欲しいの?」

 九条路の質問に対して、不適に笑って返す。

「何、ちょっとした隠し弾って奴だ」



「よお、眠らねえのか」

「あなたこそ」

 作戦決行の前夜。眠る前に何か飲もうと思っていた俺がリビングに向かうと、東雲がローテーブルの上でいくつかのダイスをバラし、中身をドライバーで弄っていた。

「もう少しで寝る。さすがに徹夜で盗むに入るなんて勘弁だからな」

「そう」

「お前も何か飲むか?」

「ならコーヒーをお願い」

「あいよ」

 俺はコーヒーを手早く二人分淹れると、片方にミルクと砂糖をとびきり入れる。すっかりお子様でも飲めるカフェオレとなったそれを盆において、東雲が作業しているテーブルに置いた。

 こちらも見ずにマグカップを取ると、一口飲んで再びダイスを弄りだした。

「お前、礼ぐらい言えよな」

「あら、言ってなかったかしら? だったら、感謝は明日の行動で返すわ」

「そうかよ。……なあ」

「何よ?」

「そろそろ教えてくれても良いんじゃねえか? お前がなんで、怪盗を続けているのか」

「必要あるかしら?」

「必要は、ないかもしれねえけどよ。でもバディーなんだぜ? 俺たち。組んだ相手の戦う理由くらい、知っておいたっていいだろ?」

「…………なら、今度はあなたが先よ」

 しばらくの沈黙の後、東雲はこちらへ視線を向けてそう言った。

「あ?」

「この前は、あなたが先にこちらの秘密を暴いた。だったら今度は、あなたから明かす番」

「そういうことか、しゃあねえなあ……。つっても、話すことなんてあるか?」

「前に話していた裏技。一体、あなたはどうやって灰村小次郎から能力を奪ったの?」

「ああ。それか。……今から話すことは、俺の能力と同じく誰にも話すなよ。もしそれを知っているとバレでもしたら、他でもねえお前の身が危ないんだ」

 東雲が頷いたことを確認して、俺は少しずつ語り出す。

「……最初は仮説だった。もし俺の異能を死んでいく人間に使って、能力を奪ったまま死亡した場合、返す先を失った能力は残り、奪い続けられるかもしれないって説だ。それを初めて試すことになったのは、仮説を立てた小次郎本人だ」

「灰村小次郎が?」

「ああ。羅刹事変が起きた日に、俺は連絡を受けて小次郎を見つけた。着いた時にはもう、小次郎は瀕死だった。その時だ、自分の能力を奪うように俺に依頼してきたのは」

「でも、確か報道では灰村小次郎の遺体を最初に見つけたのは、付近の住人って……まさか」

「そうだ。小次郎についての情報は、死んだって事実以外全部偽装だ」

「なぜそんなことを?」

「もし目撃者の情報が出たら、そこに誰がいたのか詳しく調べるやつが出るはず。そうなりゃ当然俺に目が向く。その中で俺が小次郎の能力を持っているとバレたら、何が起きるか分からねえ。下手すりゃ羅刹事変以上のことが起きかねない。だから数人の一ツ星探偵の手で、情報は封鎖された」

「一体、何の目的でその能力を?」

「さあな。だが、小次郎は誰かに自分の異能が奪われるのを避けたいみたいだった」

 あの時のことは、今でも思い出す。

『後は頼んだよ、九郎』

 そう言って力尽きた小次郎の顔は、記憶に焼き付いて消えることはない。

「だから俺は、小次郎の能力を奪った。本当はんなこと無視して、すぐにでも病院に連れて行きたかったけどな」

 俺は右手の掌に、ハートのエースを出現させる。

「小次郎の仮説は正しかった。こうして小次郎の異能を無期限で保持できるようになった俺は、今でも使い続けているってわけだ。ま、一つしか保持出来ないせいで他の能力は奪えなくなっちまったけどな」

「なるほど、そういうこと」

 俺が話し終えると、東雲は納得がいったように頷いた。

「つーわけだ。ほら、俺が話したんだからお前もちゃんと話せよ?」

「今はやめておくわ」

「おい」

「冗談よ」

 東雲は少し温くなったカフェオレを一口傾けると、呟くように語り始めた。

「私のお父様は、怪盗だった。それを知ったのは、お父様が死んだ日から少し経ってからのことよ。羅刹事変から少し経ったある日、お父様は誰かに殺害された」

 いつもは無表情な東雲の顔も、今は少し悲しげに見えた。

「怪盗の格好はしていなかったわ。おそらく、不意の襲撃を受けたのでしょう。お父様の持ち物からは、お父様が大切にしていたペンダントと財布、それと腕時計が盗まれていた。そして、その日から家に伝わる宝石も消えた」

「盗まれたのか?」

「おそらく。お父様が持ちだした物を盗んだのだと思うわ」

「犯人は、捕まってないんだったよな?」

 俺の言葉に、東雲は頷いた。

「羅刹事変と同じ、容疑者は一人も挙がらず迷宮入り。それに納得がいかなかった私は独自のやり方でお父様の死の謎を追い続けた。その結果、実はお父様が怪盗をやっていたということ。そしてお父様は誰かに陥れられて殺されたということを知った」

 淡々と話す東雲は、爪楊枝ほどの細さをしたドライバーを使ってダイスのネジを締めていく。

「私は今回の犯人が、お父様を殺した犯人と同じだと思っている。そして、その犯人はあなたと同じ能力を持っているかも知れない」

「俺と……?」

「お父様の異能は磁力を操る力だった。もし殺人犯があなたと同じように異能を奪う能力を持っていて、お父様から奪った能力でまた殺人を犯した。私はそう考えているわ。それなら、紺が言っていたことの説明にもなる」

「でも、能力って遺伝なんだろ? だったらお前も磁力を使えてないとおかしくねえか?」

 子供は基本的に親の能力を引き継ぐ以上、東雲の能力が突然変異で生まれたものでも無い限り、両親のどちらかと同じはずだ。

「それは私も引っかかっているの。お母様は能力を持っていなかったから、私はお父様の能力が遺伝するか、無能力者になるはず」

「もしかしてお前が拾い子だったりしてな。……いや、悪い。今の冗談は忘れてくれ」

「構わないわ。私が誰の子だろうと、両親は育ててくれたお母様とお父様だもの」

「……そうだな。ちなみに、お前の親父さんが能力遺物を持ってたって可能性はないのか?」

 本当の能力は隠していて、磁力は能力遺物によるもの。それだったら説明がつく。

「小さな頃の私もそう考えて、お父様の持ち物を触ってみたことがあったわ、宝石もね。結局、どれを触っても能力が発現することはなかった」

「そうか……」

 何かが引っかかる。別に嘘が混じっているわけじゃあない、東雲の言葉は全部本当のことだろう。だけど、今話したことの中で、何かが頭の中に残るような……。

「お父様と似た格好で怪盗をしていればいつか向こうが接触しようとしてくるかも知れない。そして裏の世界に居続ければ、お父様を殺した犯人の情報が手に入る可能性がある。それが、私が怪盗を続けている理由よ」

「だから探偵科に入ったってわけか。探偵の情報網を利用しながら親父さんの事件について正式に捜査ができる」

「そうよ」

「はっ、なんだよ。俺たち、やろうとしていること大体一緒じゃねえか」

 俺も東雲も、亡くした大切な人間のために戦っている。

 まるで共通点なんてないと思っていたが、案外あるもんだな。

「そうね。でも、あなたは捕まえるのが目的。私は殺すのが目的よ」

 いつもと変わらないトーンで、はっきりと東雲は口にした。

「もし、もし今回の事件の真犯人がお前の親父さんを殺した相手なら、どうするんだ?」

「……その時は、全てを投げ打ってでも殺してみせる。願わくば、生きることを放棄するほどの絶望を与えた後でね」

 その言葉を口にした東雲の瞳は、より黒く光って見えた。

「決意は結構だけどよ。俺らはそいつを捕まえて証言させねえといけねえんだからな? 殺すだとか私情に走るのは、無実を証明してからにしてくれ」

「無実? そんなの、復讐が叶うのであればどうだって良いわ」

「お前なあ……」

「安心しなさい、冗談よ」

 本当に冗談か?

 今の東雲の言葉は冗談と言うより、内に秘めた決意を語るときのそれに聞こえた気がする。

「ったく……。それに、犯人が誰だろうと殺させねえよ。お前は仮なのかもしれねえが、俺は探偵だからな」

「そう。……仕事の前に、一つ忠告しておくわ」

「なんだよ?」

 ダイスの部品を取り出し、虫眼鏡で良く確認してから元に戻すという作業を繰り返しながら、淡々と東雲は語り出す。

「これから先、裏の人間を相手にしていくことになる以上、そんな甘い理想は捨てなさい」

「あ? どういう意味だよ」

「言葉通りよ。誰も殺さず捕まえるなんてこと、難しいのは分かっているでしょう? 能力社会の上で相手は人の命を奪う技術に長けているような人物ばかり。そんな中で、殺さず捕まえるだなんて言える?」

「わかんねえだろ。こっちが殺される前にぶっ飛ばして捕まえりゃいいだけだろうが」

「建前では何とでも言えるわ。……それにもし、もしその捕まえるべき相手が、自分の大切な人を殺した人間だったとしたら? あなたはそんな救いようのない人間でも、決して殺さずに捕まえると言うの?」

「……お前、それは」

「私は、それを美しいとは思わない。あなたが言っているのは、口から生み出されるだけの幻覚にも等しい理想」

 俺の言葉を遮るように、東雲はそう言い切った。

「私は殺す。躊躇いなく、引き金を引く」

 その言葉の響きは冷酷と言うより、痛々しいまでの悲壮な決意のように聞こえた。

「……少しお喋りがすぎたわね、夜風にでも当たってくるわ」

 東雲は弄り終えたダイスを懐にしまい立ち上がると、コーヒーカップを流し台において部屋を立ち去ろうとする。口を閉ざしたまま、俺はただその背中を見送った。

 東雲は部屋を出ると、暗い廊下に消えていく。

 扉が、重々しい音をたてて閉まった。



 そして遂に迎えた、作戦決行当日。

「おい、何もこんなところまで上がってこなくていいだろ……」

「事前の情報収集よ。我慢しなさい」

 俺たちが今いるのは、住宅街の端に位置する五階建てのビル。

 今はほとんど人の気配がしないその建物の屋上で、遠くに見えるシグマの家を窺っていた。

「ったくよお……」

 下を見ないようにしながら、俺は双眼鏡を覗き込む。

 邸宅の玄関に繋がるゲートには既に車が何台か停まっており、ドレスやタキシードを着た男女が次々と中へ入っていく。

 あそこが、俺たちが今から盗みに入る場所だ。

「頼りにしているわよ、探偵さん」

「任せとけ、泥棒さん」

 舐めた口ぶりで俺たちは互いを呼び合う。

 俺がスーツを身につけているのに対し、東雲は前にやりあった時とは少し違い、同じマントこそ羽織っているが、その下に身につけているのは男物のスーツではなく、黒のコンバットタイプのドレスだ。機能性に重きを置いた華美すぎないそのドレスは、東雲によく似合っていた。

「怪盗なのだけれど。いざとなったら、あなたをおとりにして逃げさせてもらうわ」

「……その言葉が無けりゃもうちょっと気合い入るんだけどな」

 最初から裏切るって言われて、「はいそうですか」って納得できると思ってんのか?

「嘘よ。あなたが捕まれば私も終わり。私たち、悲しいことに一蓮托生の身なんだから」

「『私たち』の後の言葉いらなかっただろ、それ」

「あら、句読点を軽視するなんて日本人にあるまじき愚行ね。現代の子供は国語の成績が低いだなんて言うけど、案外本当なのかも」

「あー、もうやめようぜ。お前と話してると頭が痛え」

 ただでさえこの場所にいると調子が崩れそうって言うのに、こんな屁理屈女といると更に悪化しかねなさそうだ。

「奇遇ね。私もよ」

 ため息を一つ吐くと、横目でちらりと東雲の顔をうかがい見る。

 今日の東雲はいつも通りで、昨日のような様子は見られない。あまりにも通常運転過ぎて、あのことが夢か何かのようにさえ思えてしまう。

 その時、耳元の通信機が入電を知らせる電子音を鳴らした。九条路だ。

『二人ともー、わちゃわちゃしてないで、準備は出来たの?』

「おう、行けるぜ」

「問題なしよ」

『こっちもオールグリーン! じゃ、いつでも始めちゃってね!』

「おっしゃ、行くか!」

「ええ。──オペレーション、スタート」

 

 

「招待状をご確認いたします。……金菱様でございますね。ようこそおいで下さいました」

 渡した招待状の中身を見ると、ホール前に居た受付は俺たちへ向けてにこやかにそう告げた。

 引き締まった浅黒い顔を上に被った俺は、無言で頷いて見せる。

「どうもありがとう。じゃあ行きましょう、あなた」

 どうみても六十代の金菱婦人にしか見えない東雲は、普段なら絶対見せないような笑顔をしてこちらを見た。変装姿は何度か見たが、こうして目の前にするとやっぱりマジで中身があの冷血女だとは思えねえな……。

「ああ、……っ!」

つい気が抜けて返事をしかけた俺は、慌てて咳払いをすると口を閉ざす。

 今居るのは、ターゲットである五十六さんのPCが保管されているシグマの邸宅。

 俺たちが五十六さんのPCを手に入れるために取った作戦は、パーティーの招待客に変装して邸宅内に潜入するという手段だった。

 本物の金菱夫妻は今頃ホテルの自室でぐっすり眠り込んでいるだろう。東雲が言うには少なくとも四時間は起きないらしい。それだけあれば盗み出すには十分だ。

「あら、咳? あなたったら喉をまるで使ってないっていうのに、なんで痛めているのかしら。挨拶は私に任せてちょうだい? 悪化したら大変でしょう」

 にこやかに婦人そっくりな声と笑顔をしながらも、その奥からは『お願いだから黙っていてくれるかしら』といういつもの東雲らしい毒を含んだ目線を感じた。

 仕方ねえだろ。お前とは違って人の声なんてコピー出来ねえし、他人になりきるなんて経験、今まで全くしてこなかったんだからよ。

「それじゃあ、失礼するわね」

「ええ、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」

 頷いて答えると、俺たちは腕を組んでホールの奥へと向かう。

「とすると今回の事業には大きく期待を寄せて良さそうですな」

「ええ。今夜そのことについて榊原氏から発表があるようで、何でも能力遺物の開発に関わる新たな研究成果が発表となるそうで」

「はあ、なるほど。通りでマスコミもいくらか見かけるわけだ。これは次のシンポジウムが楽しみになってきましたねえ」

 パーティー会場であるホールには、中央当たりにラウンドテーブルが並び、その周りにスーツやドレスを着た大人たちがグラス片手に歓談をしていた。

 他にもカメラやマイクを抱えた報道陣が会場の片隅で待機しているようだ。

 こういう場には小次郎やシグマの付き合いで数度参加したことがあるが、やっぱり俺には肌が合わねえな。空気はもちろん、学問だとか仕事だとか、会話の内容まで窮屈でしょうがない。

もっとこう、派手な音楽とか流して全員で踊るパーティーにでもしてくれれば良いのによ。

 俺たちは目配せをすると、二人で前もって立てた計画通り、会場の端で時間を潰しにかかる。

 だが、当然上手くはいかない。

 パーティーの参加客である以上、他の客から話しかけられる可能性だって当然ある。

「おや、金菱さん。夫人も、お久しぶりです」

 五分も経っていないうちに、早くも話しかけられた。

 ん? つーかこの声、もしや……。

「あら、榊原さん。お久しぶりね」

「ええ、前にお会いしたのは確か、三ヶ月前のコンサートで偶然にも、でしたかな?」

 げっ、やっぱりシグマじゃねえか!

 俺たちの目の前に現われたのは、こともあろうか屋敷の主であるシグマだった。

 挨拶があるだろうからいつかは出会うと思ってはいたが、こんな早くに来るとは。

「そうだったわね。ほら、あなた」

「……」

 俺はぼろが出ないように出来る限り冷静に努めて、無言のまま軽く会釈をする。俺が変装している金菱というどこかの資産家は無口であまり人と話すことはない。このまま押し通せばなんとかなるだろう。

「ごめんなさいね、この人ったらまったく使わないくせに喉をなぜか痛めているみたいで」

「お気になさらず。体調が優れないなど何かありましたらすぐに誰かをお呼び付けください。それとも今ここで私が診ましょうか?」

「いーえ。榊原さんにそこまでさせられませんわ。きっと夜更かしでもしていたんでしょう。さ、こんな亭主のことなんて放っておいて、他の方へ挨拶を優先してくださいな。まだまだ招待客の方、いるのでしょう?」

「そうですか? では、ご厚意に甘えまして失礼いたします・また後ほど」

 ふう、なんとかなったか……。

 一礼して去って行ったシグマを見送ると、深くため息を吐き出す。

『ひとまず、端へ移動しましょう』

『了解』

 視線でそう誘導してきた東雲に頷いて返すと、人気の少ない会場の片隅へ向かう。

 煌びやかな飾り付けられたパーティー会場を眺めながら、口をあまり動かさないようにして俺たちは会話を続ける。

「九条路からの合図はまだか?」

「まだよ。今は待機」

 そわつきを表に出さないようにしながら、会場を眺める。

 パーティー会場をぐるりと囲んだ机の上には和洋中の料理が並んでおり、どれもこれもが胃袋を強く刺激する香りでこちらの食欲を誘ってきていた。

メニューは見える範囲でも寿司にビーフストロガノフといった分かりやすいものから、テリーヌや卵包みのグラタンなどの少し洒落たものまで。

ちょっと待て。遠くに見えるあれってまさか、北京ダックか?

 ……腹減って来たな。

「なあ。ちょっとくらい飯食っても良いか?」

 周囲に他の招待客がいないことを確かめてから、東雲に声を掛ける。

「構わないけれど、あなた変装元の食事の好みを覚えているの?」

「いいや?」

「ならやめておきなさい。とある探偵は、変装元があまり好んでいなかったはずの物を食べていたことから本人でないと見破り、捕まえることに成功したそうよ」

「マジかよ。……ってそれ、小次郎のことじゃねえか」

 ていうかその現場付き添いでいたな俺、確か。

「ちっ、んじゃやめとくか」

 栄養補給は諦めて壁際で待っていると、不意に会場の照明が落ち、俺たちとは真反対の位置にある壇上にスポットライトが当たる。招待客の注目が集まると、そこに一人上がってくる人影があった。シグマだ。

「会場の皆様、本日はお忙しいところご出席いただき、誠にありがとうございます。私が日頃探偵として活躍出来ているのは、皆様方の御支援・御愛好があってこそです」

 シグマのスピーチが始まると、警備がそちらに集中し、こっちは少し手薄になった。

 俺たちは疑われないように視線だけを向けながら、次の行動を起こす時を待つ。

「そろそろ動くわ。覚悟を決めておきなさい」

「おう」

 五分ほど経った頃、懐に入れていたスマホのバイブが三度振動した。

 合図だ。もう少しすれば、俺たちはシグマに対して泥棒を仕掛けることになる。

 普段は緊張なんてしない主義だが、今ばかりは心臓が高鳴り喉は渇き、手にじっとりと汗をかいている。当然だ。しくじって捕まりでもすれば一環の終わり。

勝利条件はただ一つ。どちらも欠けることなくターゲットを盗み出すこと。それも、三ツ星探偵を相手にして逃げ切れなければならない。

上等じゃねえか。相手にとって不足はねえ。

生唾を一度飲み込むと、俺はマスクの下で笑みを浮かべた。

「──始まるわ」

 東雲の声がしたと思った瞬間、会場全体が突如として停電した。普通であれば非常用電源が付くところだが、九条路によって警備システムのハッキングが行われている今は、それが明かりを付けることはない。

 次第に動揺しだした来客はざわめき立ち、パーティーは騒ぎに包まれる。

「皆さん落ち着いて。どうかご静粛に! すぐに原因を突き止めます!」

 シグマが壇上で声を張り上げるがざわめきはほんの少し収まるのみで、再び騒ぎは大きくなっていき、パーティー会場には混乱がもたらされていく。

「今のうちよ」

「ああ」

 俺たちは素早く会場を抜けると、廊下を足早に歩き出した。

 一度起きる邸宅全体での停電。それが俺たちが会場を抜け盗みに向かい、かつ九条路によってカメラ映像の偽装と感知センサーの無効化が始まるという合図だった。

 この時間は誰もいないことを確認している踊り場に着くと、俺も東雲も変装を解く。

「? 何、私の顔に何か付いているかしら?」

「いや、お前はやっぱりその無愛想な顔が見慣れているなと思って」

「それ、褒め言葉と取って良いのかしら」

「二割くらいはな」

 俺たちは廊下を抜けて倉庫へと向かうと、手早く鍵を開けて中に入る。そして中に置いてあった段ボールをずらすと能力で床下へと通じる扉を開いた。

厳重に鍵を掛けた収納は余程使われていないのか、ずいぶんと埃と錆が溜まっている。そこには他とは年季がまるで違う新品のボストンバッグが一つ入っていた。俺と東雲はそれを当然のように取り出し開くと中に入っていた盗みの道具を身につけた。

 このバッグは東雲が前日下見ついでに仕込んで置いたバッグだ。それにしてもなるほど、これなら絶対にバレることはないな。

「おっしゃ。こちらアルファ、聞こえるか?」

『こちらチャーリー、ばっちしオッケー』

 インカム型通信機を起動すると、九条路の声が聞こえてくる。

「今会場を抜け出した。予定通りルートAで目的地へ向かう」

『了解。今のところ障害はないから、そのまま行っちゃって~』

 事前の調査から人通りがほとんどないと予想されていたルートは、警備の巡回時間とずらしていたこともあって、誰もいなかった。

 窓がなく完全な闇に包まれた廊下をかいくぐり、俺たちは上階へ続く階段へと差し掛かる。

 すると先行していた東雲が、『静かに』『上方』とハンドサインで示して来た。

「おい、管理室へ急げ!」

 という声と共に、階段の上からは動き回っている懐中電灯の光が漏れ見える。

 俺たちは階段の影に身を滑り込ませると、一応いつでもやり合えるよう準備だけをして息を潜めた。だがこちらには来ないようで、少しすると別の階からどこかへ行ったようだ。

「聞いたわね。あまり時間は無い。急ぎましょう」

「おう」

 急いで駆け上がると四階で降り、目的地の金庫室へと走る。すると東雲が途中で立ち止まって壁に身を潜めるように指示してきた。壁に張り付くと、小声で話しかけてくる。

「扉前に二人。私は奥、あなたは手前を」

「了解」

『支援するね』

 九条路の声と同時に、ハッキングによって男たちの上にあるスプリンクラーが作動すると、水を撒き散らしてその体を濡らしていく。

「なんだ!」

「落ち着け。停電の影響による誤作動だろう」

「残念、正作動よ」

 壁から飛び出した東雲は、息つく間もなく男たちの後ろへと忍び寄り口を開いた。

「何っ!?」

 男たちが驚いて振り返った瞬間、横からすり抜けその内の一人へスタンガンで気絶させる。

「ちいっ!」

「そして更に残念。もう一人居るぜ」

 東雲に掴みかかろうとした男の背後を取ると、足をかけ引き倒す。

 そのままチョークスリーパーの姿勢をとり腕を締める。男はしばらくもがいていたが少しづつ体の力が抜けていき、意識を落とした。

「うっし、他にはいないな」

 息をちゃんとしていることを確認してから警備員たちを拘束し、いかにも中に重要なものが入っていそうな電子錠前付きの扉へ向き合う。ここはシグマのコレクションや事件記録など、重要な物が保管された部屋だ。この奥に、俺たちの目当てである金庫室がある。

 三メートルはありそうな高さの扉、その横に設置されたキーパッドへ手を伸ばすと、中にあるコントロールに付いたUSB端子へとケーブルを挿す。ケーブルは東雲の持っているハッキング用端末に繋がっており、しばらくタッチパッドを操作すると、扉の電子ロックがピーという高い音をたてて開いた。

「入りましょう」

「ああ」

 俺たちは赤外線ゴーグルをつけると、暗い部屋の中へ踏み込んだ。そこはあらかじめ見取り図で確認していたとおり、十メートルほどの天井が開放的なコレクションルームとなっていた。絵画や宝石、彫刻やオブジェなどがまるで美術館のように丁寧に展示されている。

「石花海寂練の『晩夜』にカルダンの『花弁の踊り子』。これは……南洋水デザインの切手コレクション。こんな物まであるなんて、あなたの師匠は弟子とは違って中々趣味が悪くないわね」

「盗もうなんて考えるなよ。それと、センスは絶対に俺の方が良い」

 普段とは違ってやや瞳が輝いている東雲へ釘を刺しながら、部屋の奥へと進んでいく。

すると突き当たりの壁に、目的地である金庫室が見えた。

その唯一の出入り口である銀に光る円形の金属扉は、この部屋の入り口にあったものと比べると小さいが、その分頑丈な作りをしているように思える。

コイツは壊すとなったら俺の能力でも手こずりそうだな。

先ほどと同じように手早く自身の端末と扉のコントロールパネルを接続させ、続けて更に端末から九条路の元へと中継する。こっちの扉は手先が器用な東雲でも解錠に時間がかかる代物らしい。だから代わりに遠隔で九条路に解いて貰うことになっていた。

「こちらブラボー。チャーリー、解錠をお願い」

『了解~』

 一分ほど何も起きないまま時間が過ぎた後、

『よっしゃ! 開けシソ目!』

という九条路の声が聞こえると、人一人分はある厚さの扉が音をたてて開いていく。

「シソ目……?」

『それは気にしない!』

 赤外線ゴーグルを外し電気を付けた俺は、金庫の中身を前に目を丸くする。

「これ、もしかして全部探偵の仕事関連の物か……?」

 金庫内には天井まである本棚ラックが一面に並べられており、その棚には日付や事件名が背表紙へ丁寧にラベル付けされたファイルが、年代・五十音順で並んでいた。

 ファイルが上から下までびっちりと入った本棚が視界いっぱいに置かれている景色は壮観で、思わず目的を忘れて眺めてしまう。

 中へ踏み入って棚を見ていくと、一番奥の一角に、押収した物なのかそれとも仕事用に調達したのか、ガラスケースに入った能力遺物らしきものが並べられていた。

 つーか、美術品やコレクションを外に置いておいて、こういうもんは更に金庫の中でしっかり保管するなんて。シグマらしいな、本当……。

 試しに一冊手に取ると、それはシグマと小次郎が二人で解決した事件のレポートだった。事件の内容は豊田で起きた既婚者男性のみを狙った連続殺人事件というもので、二人がどのような調査をして犯人を捕まえたのか、その顛末が記載されていた。

 そういや、こんな事件もあったって聞いたことある気がすんな。……ん?

 俺は何かが引っかかって、レポートをいくつか開いては目を通す。

「何をしているの、さっさと証拠を探しましょう」

「あ、ああ。悪い」

 しかし後少しで何かが見えて来そうなところで東雲に声を掛けられ、あっけなくそれは霧散してしまった。

「情報通りなら、この当たりにあるはずよ」

 東雲が示したのは、ガラスケース横へ置かれたいくつかのスーツケースだった。

 俺たちは手分けしてスーツケースの中身を調べていく。

 開けて中を見てみると、丁寧に整頓された何かの契約書類や血判書、そして様々な小物が、項目ごとに並べられていた。その中には約定の金貨を入れたコインケースもあった。

 次々に開けて調べていくが、肝心のノートパソコンが見つからない。

「嘘だろ、見つかんねえとかいうオチはやめてくれよ?」

 その時、何か冷たく無機質な手触りが手に当たった。それを引っ張り出すと、どこかで見たような黒い四角形の機械が手元に現われる。

「おい、これじゃあねえか?」

 東雲に手渡すと、端末に繋いで中身を調べていく。

「……ええ、間違いないわ。これさえあれば、情報を掴める」

「ならとっととずらかろうぜ」

「こちらブラボー、目的物回収。すぐに離脱するわ」

『グッジョブ! こっちもバック……アッ…………あれ、声……』

 九条路の声がノイズ混じりになった次の瞬間、ブツリと音をたてて何も聞こえなくなる。

「おい、どうした九条路?」

 返信が帰ってくることはない。なんだ、通信機の故障か?

 耳から取り外して確かめてみようとしたその時、耳を塞ぎたくなるようなサイレンの音が、館中に鳴り渡った。

「警報……!? どうなってんだよおい!」

「どうやら罠だったみたいね。通信もおそらく向こう側の妨害、逃げ切らない限り復旧することはないと見て間違いないでしょう」

「マジかよ……! どうする? このまま作戦通りに行くか?」

「ええ。ここでアドリブをしたところで付け焼き刃にしかならない。こちらの動きを封じられる前に逃げ切りましょう」

「おっしゃ、先手必勝だな」

「先手はもう向こうが打っていると思うのだけれど」

 それもそうか。

「じゃああれだ。塀は新作がかっ飛ぶとかいうあの……」

「……もしかして、『兵は神速を尊ぶ』かしら?」

「おっ、それそれ」

「……もうやめましょう。あなたと話していると私の脳細胞が死滅している気がするわ」

「なんだと!?」

 東雲へ食ってかかった瞬間、廊下へと続く扉が勢いよく開かれた。

 中に踏み入ってきたのは警備らしき黒スーツの男たちが二人。男たちは俺たちの姿を見ると

「お前ら、どこから忍び込んできやがったあ!」

 と怒鳴ってきた。

「ほら、あなたが妙な事を話すから」

「いいや、てめえのせいだ!」

「何をするつもりかは知らんが、こんなことをしてただで逃げられると」

「「お前ら(あなたたち)は黙ってろ(黙っててくれるかしら)!」」

 東雲が警備に向かってダイスを投げると同時に、俺は能力を起動して駆け出す。

「手札公開・不透明!」

 東雲が投げたダイスは男たちの目の前で爆発を起こす。しかし男たちはそれに怯むことなくこちらへ突撃してきた。さすがシグマが雇っているだけのことはある。どちらも結構やりやがるな。だけど……!

 加速した俺はこちらへ放たれた弾丸をスライディングで避け滑り込むと、下から拳銃を蹴り上げた。続けて立ち上がり腕を取ると背負い投げの要領で地面へ叩き付ける。

 続けて後ろの男へ飛びかかろうとすると、既に眼前に立っていた男が腕を上げてこちらへ一撃を浴びせようとしていた。

だが男は次の瞬間うめき声を上げると、体をふらつかせて倒れる。

 後ろから現われたのは、電撃が弾けるスタンガンを持った東雲だった。

 多少はやるだろうが、俺たちの敵じゃあねえ。

「ここだ! 全員集まれ!」

「ちっ、追加が来やがったか」

 息を整えていると、いつの間にかたどり着いていた警備の男が五、六人、部屋の入口に姿を見せていた。ちっ、仕方ねえ。面倒だが、全員蹴散らして……

 その時、突如として爆発音がこだました。

「あ?」

 いくつもの方向から聞こえてきた爆音は俺たちのいる部屋の近くからも聞こえてきていた。

 突然の出来事にその場の全員が状況を窺っていた直後、入口の男たちへ爆発が襲い掛かった。

「「「ぎゃあああああっ!」」」

 悲鳴と共に熱風がこちらにも届き、俺たちは顔を背ける。

「なんだ……?」

 屋敷の遠く、パーティー会場のある方向からは悲鳴が響いてきており、何か燃えているかのような音も聞こえてきた。

「……ここが爆破事件に選ばれたのかもしれない」

 顎に手を当てていた東雲が、ぽつりとそう呟いた。

「どういうことだ?」

「これまでに爆破事件が起きたのはすべて同県内かつ探偵協会に所属する人間が関係する場所。それならここが選ばれたとしてもおかしくはない」

「てことは、ここに犯人がいるかもしれねえってことじゃねえか! よっしゃ、すぐ捕まえに……」

「やめなさい」

 今すぐに部屋を飛び出そうとすると、東雲が俺のシャツ襟を掴んで引き留めてきた。

「ぐえっ!」

 一瞬で首が絞まり、思わず間抜けな声が喉から漏れる。

「おい、何すんだ!」

「ここには警備も榊原シグマもいる、捕まえに行くにはリスクが大きすぎるわ。」

「だけどよ! 爆破事件が起こるってことは、殺される人も出るかもしれねえんだろ!? だったらここで捕まえちまえば、全部解決ってことじゃねえか!」

 だとするなら見逃してはおけない。犯人を見つけてぶっ飛ばして、全部の落とし前を着けさせる必要がある。

「それは榊原シグマに任せなさい。警察も味方でない可能性がある以上、私たちは確保されることなく犯人を捕まえなければならない。相手の罠にかかり更に探偵が来かねない今の状況で、それを達成できると思う? そもそも、黒幕が何人なのか、ここにどれだけ来ているのかも分からない」

「くそっ、逃げ出せってのかよ!」

「こちらは重要な情報を掴んでいる。今は戦略的撤退をするというだけ。ほら、行きましょう」

 確かに、不本意だが今は東雲の言うことが正しい。

「……仕方ねえ! で、どうする?」

「ひとまず、ルート10を通って車両地点まで脱出するわよ」

「おっしゃ。で、ルート10ってどこだったっけか?」

「……今度おすすめの脳外科医を紹介するわ」



……そうだ。それで俺たちは逃げ出して、今こんな目に遭ってんだ。

 ロケットが爆発した熱と風を背中に感じる中で、長い長い走馬灯のような記憶が流れると、一気に現実へと引き戻される。

「うおおおおおおおおっ!?」

 強風によって姿勢を崩され、半ば落ちるように茂みに着地した俺は地面を転がる。対して東雲は余裕だと言わんばかりに俺の横で優雅な着地をした。

「いっ、てえー……」

「この程度で姿勢を崩すなんて、無様ね」

「そりゃ先に走ってたお前は余裕だったろうな!」

「いたぞ! あそこだ!」

「うおっ、やべっ!」

 俺たちは口喧嘩もそこそこに、破片や瓦礫が落ちている庭を横断し駐車場へ急ぐ。

「逃すな! 挟め挟め!」

 駐車場の一角に停められたチャージャーが目に入ると同時に声が響く。するとこれまで追ってきていた後ろだけでなく前からも男たちが現れ、こちらに詰め寄ってくる。

 それを見た東雲は素早く懐からいくつかダイスを取り出すと、広範囲にばらまいた。

 煙幕賽(スモーク・ダイス)。ばらまかれたそれは軽く地面で跳ねると、白色の煙を次々と放出していく。煙はあたりを包み込むと、一歩先がようやく見えるほどの空間を作り出した。

「なんだ、見えねえ!」

「おい、無闇に撃つなよ! 同士討ちの可能性がある!」

「この隙に急ぎましょう」

「ああ」

 俺と東雲は煙の中を駆け抜けていくと、隠して停めて置いた車に乗り込む。

「頼むわよ、ドライバーさん?」

「任せておけ」

 俺はエンジンキーを差し込むと、アクセルを強く踏み込む。

「開いた口が塞がらないくらいのドライビング、見せてやるよ」

 エンジンの駆動音が鳴り響くと、車は力強い唸り声をあげて発進する。

 あっという間に駐車場を突破すると、夜の住宅街へ躍り出た。

「で、この後はどうする?」

「ひとまずルートDで異聞街まで向かうわ。追手の動き次第でルートEかIへ変更」

「了解、っと」

 俺はアクセルを更に踏み込みながら、気味の良いエンジン音と共に夜を駆けていく。

 そのまま車は住宅街から異聞街へ繋がる繁華街方面へと抜ける。深夜ということもあってか、通行人はちらほらと見かけるものの、車はほとんど見られなかった。

「来たわよ」

「分かってる」

 バックミラーで追随してくる複数台の車両を確認すると、俺はハンドルを右へ切った。

 そのまま小道に入ると、速度を維持したまま角をドリフトして曲がる。

 追手の車は何台かがそのまま追いかけてくるが、曲がり損ねた車が一台壁にぶつかり停止すると、その車にぶつかり後続車も次々とクラッシュしていった。

 残りは……、五台、いや九台か。

 追手の車が別の道から新たに合流し、俺たちを逃がすまいと追ってくる。

 向こうもある程度の改造を施しているのだろう。こちらがフルスピードを出しているにも関わらず、次第に並んできた車は、俺たちが乗る車体を挟み込むと、車体をうねるように走らせてからスピードに乗せぶつけてくる。

「おいおい、穏やかじゃねえな」

 俺は負けじと何度かぶつけ返すと、向こうが更に勢いを付けてぶつけてこようとしてきた瞬間、速度を落として車の間からすり抜ける。

 ぶつかる相手をなくして勢い余った車両は、反対側で挟んでいた車を巻き込んで側道へと転がり込んでいった。直後、背後から派手なクラッシュ音が聞こえてくる。

「殺人罪」

「正当防衛だろうが! ……まあ、元はと言えば盗んだ俺らが悪いんだけどよ。つーかんなこと言ってる暇あったら、手動かすなりか俺を褒めるなりしろ! 結構上手くやれてんだから!」

「よちよち、よく出来まちたねえ」

 突然耳に滑り込んできた声に、思わず俺は背筋を震わせた。

「うげっ、お前表情も声も変えずにんなこと言うなって。気持ち悪いを通り越して怖えんだよ」

「あなたが褒めると言ったのでしょう? ありがたい褒め言葉よ。深謝して受け取りなさい」

「新車? いきなり何の話してんだ?」

「……」

 なんで隣に座っているコイツは、急にどこか憐れんだような目でこちらを見だしたのだろう。

「っと」

 なんて話をしている間にも敵はこちらの車を停めようと仕掛けてくる。

 追い抜いて動きを止めようとしてくる敵に対し、俺はアクセルを強く踏み込んだ。

悪いな、そこいらの車に負けるほどコイツはヤワじゃねえんだよ。

追いつきかけた車を全速力でぶっちぎると、カーブをドリフト気味に曲がっていく。カーブとは逆方向へ体が引っ張られる感覚の中ハンドルを切る。後ろではスピードを出し過ぎて曲がり切れず、横転した車が団子になっていた。

「どうだ、上手いもんだろ」

「前」

「あ? うおおっ!?」

 急に右から飛び出してきた車両が目に入った俺は、慌ててハンドルを切って避ける。

 あっぶねえ……!

「一安心しているところ悪いのだけれど、まだ安心出来なさそうよ」

「なんだ? ……げっ、マジかよ」

 俺の視界に映ったのは直線上数十メートル先の大通り、そこで道路を占拠した敵の車が車体でのバリケードを築こうとしている姿だった。

「今から加速しても、間に合うかはちょっと分からねえな……」

「仕方ないわね。車体を安定させなさい」

 そう言って窓から上体のみを出した東雲は、懐から拳銃を取り出し正眼に構える。そして狙いを定めると、それぞれの車へ向けて三発づつ連射した。精確な射撃を叩き込まれた双方の車輪には穴が開き、空気の抜ける音と共に萎びていく。

 タイヤがパンクした車はうまく動かず、バリケードの構築に手間取っていた。

「うし、これなら……! 突っ込むぞ、掴まれ!」

 アクセルを強く踏み込むと車体を全速力で加速させる。そして俺たちの乗る車はやや隙間の空いている敵の車の間へ突っ込むと、バリケードを吹き飛ばした。

「ふーっ、今のはちょっとやばかったな!」

「この様子だと他のルートに手が回っていてもおかしくないわ、面倒なことになりそうね」

「となると、やるしかないか」

 俺はそう呟くと、片手にハンドルを持ったままダッシュボードに手をかける。

「何をするつもり?」

「俺のとっておきの策さ。言うなれば、ルートスペシャルだ」

「とてつもなく知能指数の低い名称ね」

「うるせえよ、っと」

 ダッシュボード付近にあるボタンを押した俺は、アクセルを更に強く二回踏み込んだ。

 すると機械音が車両からなり、変形完了を知らせる低い機械音が鳴る。

 直後、車は後部からとてつもない轟音をたて、最高速度を越えた更なる加速を見せた。

 東雲は小さく肩を跳ねさせる。

「っ、何をしたの?」

「オプションの話、前にしたろ? 特製のターボだよ。こんなこともあるかと思ってな」

 集中した視線を外すこと無く答えると、俺はハンドルを切る。

 軽くGが体にかかるほどの速度にまで到達していく。

スピードメーターはとうに振り切れ、窓の外の風景は視認したと同時、あっという間に後ろへと流れて消えていく。

 さすがにここまでの速度には追いつける車両ではないのだろう。ナックミラーに映る追手の車も、すぐに姿を消していった。

「撒いた……?」

「いや、多分先回りしてんだろ。この先は一本道、逃げようがないからな」

 向こうもこっちの逃走ルートは読んでいるはず。だったらここで無理に追いつくより待ち構えて網を張り、捕らえたところを一息に潰す方を選ぶだろう。

「なら、車を捨てて地下に逃げ込みましょう」

「いや、ソイツはどうだろうな」

「何か不安なことでも?」

「地上での逃走が難しいから地下に逃げる。んなのアイツだったら一手目には想定してるはずだ。そしてそれに対抗する策も仕掛けず放っておく奴でもねえ。だから多分、降りる方が面倒なことになると思うぜ。俺の知っているシグマだったらそうしてる」

「だとしても、この道を走り続ける理由は? このままだと捕まるわよ」

「理由? 当然、逃げ切る算段があるからさ」

 そう。そう読まれると知っていたからこそ、俺はこの道を選んでいた。

 シグマが住んでいる家の周辺マップを見たときにひっそりと覚えていた、俺がこの車両を使うことで使用可能になる逃走ルートの一つを。

「ほら、見えてきたぞ」

「え?」

 俺の視線の先には、急カーブの曲がり角が見えていた。

 カーブは高台に出来た崖へ設置されており、右曲がりの急なカーブ道は、その数十メートル奥に繋がった道が伸びているのが見えるのみとなっていた。

もしここから跳躍することが出来たなら、奴らの待ち伏せもすり抜けられるだろう。

「まさか……!」

 俺の考えを察したのか、東雲の瞳が驚きでわずかに見開かれる。

そう、そのまさかだ。

「安心しろ、九条路の計算だと成功率は八割だそうだ」

「気のせいかしら、私には二割で失敗すると聞こえた気がするのだけれど」

「そろそろ黙ってしっかり捕まってろ。舌噛むぞ!」

「ねえちょっと、きゃっ……!」

 横からの文句を無視して、俺はターボの出力を最大にまで上げる。

 東雲から女の子らしい悲鳴が上がるが、アクセルに置いた足はべた踏みのまま変わらない。

 俺は最高速度のまま、ガードレールに向けてフルアクセルで突っ込んだ。

「行けっ……!」

 ガードレールを突き破り飛び出た車両は、最高速度のまま空へと飛び出す。

 次の瞬間、体は浮遊感に襲われ、俺は席から軽く浮いた。

 そんな宙を舞う感覚が数秒続いた後、車は派手なスリップ音と共に反対側の崖へと着地する。

 対岸の崖からのジャンプによる、大規模なショートカットルート。それが俺の考えていた、非常用の逃走経路だった。

 まあ、正直なところここまで上手くいくとは思っていなかったが。

「はははっ、今のは刺激的だったな!」

 素早く態勢を立て直して車を走り出させた俺は、興奮気味にそう声をあげた。

 あまりにもエキサイティングな体験に、心臓は高鳴り、手は震えている。

「……次やったらこめかみを撃ち抜くわよ」

 東雲は懐に手をやりながら、恨めしそうな蔑みの視線をこちらにぶつけてきた。

「それは良かった。喜んで貰えたみたいだな」

 その様子はこれまでに見たことにないもので、少し胸がすいた気分に包まれる。

「非常識ね。もし失敗したらどうするつもりだったの」

「ああでもしないと逃げ切れなかったかもしれないだろ?」

「……あなたに運転手を任せた私が馬鹿だったわ」

 東雲は深いため息をつくと、シートに身をもたれさせる。

「ほら、とっとと帰るぞ」

 バックミラーで追手がいないことを確認すると、車の行き先を帰り道へ向ける。

 遠くに見える輝く街のネオンは、まるで俺たちの成功を祝っているように見えた。



「冗談じゃねえ!」

 無事異聞街のアジトへと戻ってから少し経った頃。

 俺は机へ拳を叩き付けると、目の前のモニターを睨み付ける。

 九条路の予想通り、五十六さんのPCにはプログラムキーが入っており、俺たちは休憩もほどほどにメモリーの中に入っていた証拠を見ていたはずだった。

 だけど、これはなんなんだよ……!

 モニターへ表示された自分の目を疑う情報を前に、俺は歯ぎしりをする。

「ちょ、ちょっと九郎。そんなに怒らないで……」

「これが冷静でいられるかよっ!」

 苛立ちのままに言葉を吐き出した瞬間、少し怯えたような表情をした九条路と目が合い、俺は口を閉じる。

「……悪い」

「う、ううん。ボクこそ、ごめん」

「今のは紺が正しいわ。一度深呼吸でもして頭を冷やしなさい」

 壁にもたれて様子見していた東雲が、呆れたように口を開く。

「でもよ……!」

「動揺する気持ちも分からなくない。けれど、これが真実よ」

「いいや、これは何かの間違いだ。そうに決まってるっ!」

「じゃあ、五十六尾道が託した死ぬ間際に託したこれが、ただのダミーだとでも言うつもり?」

「それは……!」

 俺としては、絶対に否定したいところだった。でも、五十六さんが死ぬ間際になりながらも俺たちに渡そうとしたこれが間違いだとは思えないし、思いたくもなかった。

 けど、この情報は……。

「ざっと見てみた感じ、これ以外に隠しているものはないと思うよ。このプログラムキーもダミーの可能性は限りなく低い」

「なら、何か隠されているもんがあるはずだ! そうだ。きっとそうに決まって……」

「諦めなさい。残酷かもしれないけれど、これが紛れもない真実よ」

「……っ……!」

 容赦のない東雲の指摘に拳を固く握りしめる。

 んなことわかってる。でも、正しいならどんな事実でも受け入れられるってわけじゃない。

 俺は振り返ると、部屋の出口へ足を向ける。

「どこへ行くつもり?」

「先に帰る。祝いは二人でやってくれ」

「はあ……。そんな状態で放っておいたら、何をしでかすか分からないでしょう? 私も帰るわ。紺、この情報について話し合うのは明日にしましょう」

「う、うん。またね」

 扉を開けて、外に出る。

 重々しい音をたてて閉じた扉は、俺の頭の中を示しているように思えた。



 部屋へと戻った俺は、着替えもせずにソファーへ飛び込んだ。

そして数度寝返りを打つと天井を眺める。

 あの情報が真実なら、俺にはやらなくちゃならないことがある。

 けど俺にはやれるのか? 迷うことなく、探偵として真実を明らかに出来るのか?

 盗みに入るまでしっかりと固まっていたはずの足場が急に不定形な何かに代わってしまったような感覚が、胸の中にあった。

「あーだこーだ悩んでても仕方ねえか……」

 気分を切り替えようと飲み物を取りにソファーから立ち上がる。

 キッチンに出ると、そこには東雲がいた。

「落ち着いたかしら?」

「……まだ少し、混乱中だ」

「無理もないわね。あんな物を見せられたら」

 珍しく気を遣ったのか、俺の目の前にコーヒーが置かれた。

「ありがとよ。なあ、明日俺に着いてきてもらっても良いか?」

「何をするつもり?」

「異聞街を出て、本当のことかどうかを確かめてくる。止めても一人で行くつもりだ」

「あなたね……」

 東雲は何かを言いかけるが、俺の顔を見ると少しの間考える素振りをして、それから大きくため息を吐き出した。

「……分かったわ。紺にもそう伝えておく」

「ああ、頼む」

今はひとまず落ち着いて、考えないようにしよう。色々と考えるのは、明日真偽を確かめてからでも遅くないはずだ。コーヒーを一息に飲み干すと、深く息を吐き出す。

 すると、どこからか聞きなれない音が聞こえてきた。

「なあ、何か変な音がしねえか?」

「音?」

 怪訝な視線を向けながら、自分の分のコーヒーを入れた東雲はテーブルの席に座る。

「なんかこう、時計だとかタイマーみてえな音だよ」

「私の耳には何も聞こえないけれど」

「なんだ、この音……?」

 普段なら気にしないはずのこの音が、今はやけに心をざわつかせた。時計の音でもタイマーの音でもない。そしてこの部屋の中にそんな音が鳴る物はこの二つ以外にないはずだ。

 なら、一体何が……。

 さっきまで混乱してばかりだったっていうのに、今はまるで別人のように冷静な思考が巡っていく。しばらく思考を回していたその時、今までに起きた事件とこの音がピタリと一直線上へ重なって、すとんと胸の内へ落ちていった。

 まさか、この音の正体は……! だとしたら、ここに居るのはマズい!

「逃げろ、東雲っ!」

 東雲へ向けて手を伸ばした直後、耳をつんざくような爆音と焦がすような熱が俺たちを襲う。

「『緋の先駆者』……!」

 能力を発動させた瞬間、視界は吹き飛んできた瓦礫に埋め尽くされた。



 目が覚めると、視界に入ったのは辺り一面の瓦礫だった。

「く、そ……」

 体の痛みがひどいが、動けないほどではない。上半身を起こしてあたりを見回す。

 俺たちの居た部屋はひどい惨状になっていた。家具はそのほとんどが吹き飛んでおり、壁も半分以上壊れて穴が空いている。天井は上の部屋が見えるほどまでなくなっており、吹き抜けのようになっていた。

 そうだ。東雲はどうなった?

 東雲の名前を呼んでみるが、自分の声が聞こえない。どうやらさっきの爆発音で耳がやられているようだ。頭を何度か振ると、次第に音が戻ってくる。

「東雲!」

「ここよ」

 もう一度読んだ直後、側にある瓦礫の中から東雲が現われた。

「良かった。生きてたか」

「ええ、おかげさまでね。そっちは無事じゃなさそうに見えるけれど、どう?」

 東雲はスカートの埃を払いながら、こっちへやってくる。

「何本か骨がイかれてんな。けどまあ、死ぬってほどじゃねえ」

さっきの爆弾で確信した。俺たちが盗み出した証拠は、本物だ。

 だけど、信じたくはなかった。

 それが真実と認識するくらいだったら、甘い仮初めの嘘の方がずっと信じていたいほどに、ようやく掴みとった真実は、残酷だった。

「なあ東雲、俺は……」

 言葉の途中で何かがこちらへ来る気配を感じとった俺は、無理矢理に体を立たせると拳を構えて外壁の方を睨み付ける。直後、派手な破壊音をたてて何かが外壁を突き破り入って来た。

 それはドス黒いシャツとジャケット、スラックスを着た一人の男だった。顔には灰色の十字が描かれたフルフェイスの仮面を身につけ、肩に掛けたストールが風になびいている。

男の周囲には標識や自転車、車の一部などといった金属製の物が力任せに千切られ固められたような、人間の頭ほどの大きさをした金属塊がいくつも浮かんでいた。

「磁力の異能……!」

 まさか、コイツが俺たちをはめやがった犯人か……!?

 能力はまだ発動したままだ。俺は痛む体を気力で駆動させ全速力で加速した。一瞬にして男の目の前まで躍り出た俺は、ありったけの右ストレートを繰り出す。

 その時、男の胸元で何かが光った。

 最初は何か分からなかったが、目をこらして見てみるとその正体が見えてくる。

 それが何なのか理解した瞬間、頭の中でパズルのピースがはまる音が鳴った。

『小さな頃の私もそう考えて、お父様が持っている持ち物を触ってみたことがあったわ、宝石もね。結局、どれを触っても能力が発現することはなかった』

『しかも能力の発動には石を食わねばならんと来た。まったく不便な物でな』

 前に東雲と加土から聞いた言葉が脳裏に響く。

 そうか、そういうことだったのか!

 早く東雲に伝えねえと──

 急いで能力の仕組みを伝えようと口を開きかけたとき、

「ふっ、元気そうで何よりだ」

 男がそう、呟いた。

最初は、何か幻聴なのだと思った。

何度も聞いたその声音は、空耳であるはずはなくて。たった一言だけで言葉を失って思考は真っ白になり、今にも男を殴ろうとしていた拳はピタリと止まった。

 一気に失速をした俺は、横殴りに衝突してきた金属塊に吹き飛ばされる。

 頭を強く打ったのか視界は歪み、仰向けに倒れたまま動けない。それでも頭を振って無理矢理振り払うと、どうにか体を起こす。すると、目の間に男が立っていた。

 男は攻撃をすることなく、自身の身につけていた仮面に手を掛けると取り外す。

 仮面を外した顔を見た瞬間、俺はまるで時が止まってしまったかのようになってしまう。

「数日ぶりだな、九郎」

 その顔は、シグマのものだった。

「……お前は、誰だ」

 目の前の顔に向けて、掠れた声でそう尋ねる。

「おや、師の顔を忘れたか?」

「そのはずがねえ! シグマは能力者じゃねえ。お前は誰かが変装した偽物だ……!」

「いいや、私は本当の榊原シグマだとも。それとも、DNA検査でもしてみるかね?」

「っ……!」

「ふっ、動揺が隠し切れていないぞ九郎。感情はあまり顔に出すな、もし敵に読まれでもすれば、勝てた勝負にも負ける可能性が生まれる。何度もレクチャーしたはずだが?」

 その言葉は、耳にタコが出来るほど何度も聞かされた、確かなシグマの言葉だった。

 今までの動きから察するに、向こうは俺たちを生かして捕まえたいのだろう。なら何故相手は殺傷する可能性のある爆弾を躊躇なく使ったのか。

 その答えは簡単だ。俺が能力を発動すればどの程度まで耐えられるようになるのか、もし東雲が近くにいたとしても庇って守ろうとするのだとよく熟知している人物。

 これにあてはまる人間は、シグマ以外にいなかった。

「なんで……なんでだよっ、シグマぁっ!」

 答えの代わりに直撃した鉄塊により、俺は隠れ家の瓦礫に頭から吹き飛ばされた。

「が、はっ……!」

 頭が割れそうな衝撃と痛みにより灯る熱。続けて感じたのは、体から流れ皮膚を伝う血の感触。どうにか抜け出し反撃しようとするが、続けて飛来した何かが手足に突き刺さる。

 それは磁力で鋭く尖らされた切っ先を持つ、破片などで構成された金属槍だった。

「がっ……!」

 骨と肉が抉られ貫かれる痛みに苦悶の声を上げる。

「無駄だ。……そちらのレディーもな」

 不意に能力でシグマの背後から飛び出した東雲が、背中へ不意の銃撃を放とうとする。しかしその見えないはずの一撃さえ、シグマの前に展開した金属塊が銃弾を防ぎ、続けて飛んでいった二つ目の金属塊が頭部へのカウンターを東雲へ叩き込んだ。

「っ……」

「東雲っ!」

 頭部への攻撃が直撃した東雲は地面を転がると、そのまま動かなくなる。

「く、そがっ……!」

 無理やりに脱出しようとすると、目の前に鉄塊とは別の物が現れているのに気づく。

 それが能力により作られたであろう金属製の腕だったことに気づいた瞬間、大人さえも手の内に収め、握りつぶせてしまいそうな腕による拳が俺に直撃して破片を飛散させる。

 駄目だっ……! 意識、が……!

 朦朧とする意識の中、金属片で出来た鎖で体を拘束されていく東雲が見えた。

 それはこちらも同じらしく、徐々に体が何かで固められていく。

「疲れただろう、今は休むと良い」

「シ、グマ……なん、で…………」

 こちらを見下ろすシグマへ虚しく手を伸ばそうとした次の瞬間、意識は深い闇へ落ちた。 



第五章 暗闇との対峙



「っつ……」

 意識が、視界が、朦朧とする。割れるような頭痛と共に目を開く。

 すると、薄汚れたコンクリートの床が目に入った。

 なんだ、ここ、どこだ。つーか、俺、さっきまで何して……。

「目が覚めたようね」

 声の方向へ視線を向けると、同じ視線の位置へ東雲の顔が見えた。

 東雲? ……そうか、俺たちシグマと戦って、そして……。

「そうだっ! シグマのやつっ!」

 立ち上がろうとした俺は、何かに引っ張られて元の位置へ戻される。

 後ろを見てみると、足が鎖に繋がれていた。

「落ち着いて周りを見なさい。今は身動きが取れる状況じゃあないわ。私も、あなたも」

 言われるとおりにあたりを見ると、自分の腕にはしっかりとした分厚い手錠がかけられていた。首元には同じくかなり厚めの首輪が付けられている感触があった。

「ちっ、ご丁寧に封鎖手錠かよ。ピッキングとかで拘束解いたり出来ねえのか?」

「持ち物は全部奪われたわ、仕込んでおいた道具も全てね」

「くそっ……」

 これじゃあ俺も東雲も能力が使えねえ。最悪の事態になりやがったな……。

「おや、目覚めたかね」

 声の方向へ顔を向けると、暗がりから響く足音と共にシグマが現われた。

 その様子はやはり誰かの変装ではなく、仕草や表情は本人そのものだ。

「シグマ……!」

「傷はもうほぼ癒えているようだな。丈夫なことだ」

「てめえ、自分が何しているのか分かってんのか…… !」

「当然だ。未成年略取に殺人未遂。他にも余罪は数えきれんほどだろうとも」

「そういうことじゃねえっ!」

 言葉を遮るように、俺はシグマを睨み付ける。

「……五十六さんの持ってたメモリーの中身を見たんだ。その中には……、アンタが爆弾や銃器を密輸しているっつー取引の証拠が入っていた。そして、アンタが取引の現場にいる写真も!」

 シグマの目を真っすぐに見つめて俺は問い詰める。声は、少し震えていた。

「本当に、アンタなのか? 五十六さんを殺したのも、他の人を殺したのも、爆破したのも、全部?」

「──ああ、私だ。今回の騒動はすべて、私が起こした」

 いともあっけなく明かされた残酷な真実に、俺は思わず失笑を漏らす。

「何言ってんだよシグマ。冗談はそこまでにしとけって。何か理由があって、仕方なくそう言ってるだけだろ? そうなんだよな?」

 そうだ。きっとシグマのことだ。これは全部演技で、何かの拍子に種明かしをしてくれるはずだ。

 頼む、嘘だと一言口にしてくれ。それだけで、俺は……。

「すべて、事実だ」

「嘘だっ!」 

 思わず、そう叫んでいた。

「いいや、本当だとも」

 シグマの表情は憮然としたものから一切変わらず、声音は恐ろしいほどに冷たく淡々としていた。

「そしてその理由はお前の思うような大それたものではない。ただの私的な理由だ」

「は……?」

「分からないか? 私は自分のためだけに、自身の内側にある欲望を満たすそのためだけにこの事件を引き起こした。それが結論だ」

「……んだよ、それ。分からねえよ……」

 シグマは、すごい探偵だ。

 いくつもの事件を小次郎と解決してきて、どんな時でも悪人に負けず勝利をつかみ取る。

 俺にとっては、小次郎と同じくらい尊敬していて、それで……。

「なんで……、なんでっ!」

 俺は力任せに拳を床へ叩きつける。床にぶつかった手錠の金属音が、虚しく響いた。

 目の前の光景が、今耳にしていることが、夢であってくれたなら。

 どれだけ、良かったか。

「なんでアンタがこんなことやってんだ! 教えろよシグマっ! てめえはっ……! 探偵だろうが……っ!」

 ありったけの声をあげる。しかし、シグマはただ夜の海底のような瞳をこちらへ向けているだけだった。

「いや、私はもう探偵ではない。消えぬ火で焼かれ続ける、ただのなれ果てだ」

「何言ってんだよ? わけわかんねえよ! くそっ……」

「答えなさい、榊原シグマ」

 まだ整理の付いていない頭の中、横から飛んできたのは冷静な東雲の声。

「なんだね?」

「東雲櫻里という名前に、聞き覚えはある?」

「ああ、あるとも」

 そう答えた瞬間、東雲の瞳が漆黒に輝く。

「なら、東雲櫻里を、お父様を殺したのは、あなたなの?」

「さて、どうだろうな?」

「答えなさい」

「黙秘する。そもそも、君はそう問い詰められる立場かね? 身の程を弁えたまえ」

「……ブラッド・リスト」

 はぐらかすだけの答えに対して顔をしかめた東雲は、ぼそりとそう呟いた。

「! ……ほう」

 シグマは驚きに目を見開くと、愉快そうに口端を歪める。

「ただの噂話だと思っていたけれど、実在していたとは思わなかった。五十六尾道の持っていたメモリーには、取引の証拠と一緒にもう一つ、名前のない暗号ファイルが一つ入っていた。それを解いて現れたあのリストは一部だけのようだったけどおそらく、ブラッド・リストなのでしょう?」

「ふっ……。まさか、たどり着いていたとはな。ああ、そうだ」

「ブラッド・リスト……?」

「かつての異能開禍時代、あまりにも増加し続ける犯罪に対して、その対策のためにとある取引をした。これはその取引に携わった人間が載っているリストの一部よ」

「なんだよ、その取引って」

「政財界と探偵協会、そして当時の各異聞街のトップ組織が秘密裏に手を組み、厄介な犯罪者どもを制圧するという取引だ」

「そんなことがあったっつうのか!?」

 シグマが黒幕という事実に加えて、規模感が理解できないほどの大きな情報。頭がまったくついていかない。

「多くの関係者があらゆる手を使ってその情報を片鱗すら抹消しようとし、これを手に入れた者の幾人かは闇に葬られ、今では噂の域を出ないでいる。知らなくとも当然だろう」

「リストにある名前の中には、今では大物となっている人物の名前もあったわ。目的はわからないけれど、あなたはこれを使って探偵協会を、いえ、それと協力関係にある権力者の命を自分の手の内におこうとしている。違うかしら?」

「そのとおり、さすが東雲家のご令嬢といったところか、存分に優秀であらせられる」

「教えろよ、シグマ。アンタは……アンタはそんなことをして、一体何を叶えようとしてんだ」

 シグマは煙草に火をつけると、一度深く吸ってから白煙を吐き出す。

 そして、呟くように語り始めた。

「探偵榊原シグマはあの日死んだ。灰村小次郎が命を奪われた、あの日から。そして私は、そ

れからただ一つの目的のために生きるようになった」

自身の左胸あたりをかきむしるように掴んだシグマの目には、今まで見たことのないような

どす黒い炎が見えた気がした。

「私はかつて、灰村小次郎の相棒という居場所に、探偵という職業に誇りを感じていた。だがそれは、他者へ手を差し伸べようとしない慈悲のなき者たちによって打ち砕かれた。そして私は、私から居場所も誇りも奪っていった探偵という職業を深く憎むようになった」

「まさか、今回の事件の目的は…… 」

「──灰村小次郎の敵討ち。そして小次郎の死の原因となった探偵協会、ひいては『探偵』の破壊。……それが、私の動機だ」

 その一言で、暗闇に投げ出されたような気分になった。

 もう、立ち直っていると思っていた。

 小次郎の死を受け入れて、また前を向いて進むことができるようになったのだと。

 けど、それは表向きでしかなかった。

 シグマの心は、まだずっと、あの日に囚われ進めないままでいる。

 怒りに震えたシグマの声は、どこか泣いている声にさえ聞こえた。

「敵討ち、ということは、灰村小次郎を殺した相手は見つかっていると言うの?」

「いいや、未だ小次郎を殺した人間は見つかっていない。だから私はその情報を探るためにも、奴らに接触しその手先となった」

 手先? 手先だって?

「じゃあ、シグマは、小次郎を殺した奴の仲間になったってのか?」

「そうだ。いつか奴らを皆殺しするためにも、一度入り込まなければならなかった」

「そん、な……」

「自分のバディーを殺したような相手と手を組むなんて、実に愚かしい選択だわ。どうやら、かつて天才と呼ばれた脳細胞はその全てがショックで潰えたようね」

 汚物でも見るような目で、東雲はシグマを蔑んだ。

「何とでも言え。小次郎ですら敵わなかった相手に打ち勝つには、下水だろうが飲み干す覚悟が必要だ。それに、条件として私に命じられた探偵協会のメンバーを殺せという指令は、私にとって僥倖と言ってもよいものだったからな」

「何が起きたんだよ。あの日から、少しずつだけど立ち直っていったはずだろ……!?」

「……そうか。九郎、お前はあの頃何が起きていたのか、何も知らせていなかったな。なら教えてやろう。……小次郎が死んだあの事件、当時の私とお前は自分の持ちうるコネクションすべてを駆使して小次郎の行方を掴もうとしていた。そうだな?」

「……ああ」

 あの日のことは、今日にいたるまではっきりと覚えている。

 いつまで経っても連絡が取れず、どこからも目撃証言が出てこない。普段事件の調査で行方知れずになる時とは違う、異質な事態で生じた胸の内が焦げ付くような感覚は、今でも昨日のことのように思い出せた。

「だがどんなに探しても、アイツは見つからなかった。さすがに行方をくらませた小次郎を探すには私たちだけでは難しい。捜索の中でそう考えた私は、探偵協会に協力を要請した。しかし、そんな私に対して探偵協会が一体何をしたのか、知っているか?」

「……いや」

「──見殺しだ。奴らは、自らのために小次郎を生け贄にしたのだ」

「どういう、ことだよ」

「世界一の名探偵である小次郎は当然多くの裏に生きる人間から恨みを買っている。奴が弱れば、その首を取ろうと多くの組織が動き出す。探偵協会の愚人共は、そんな状態となった小次郎を囮により多くの犯罪者を捕まえようと、網を構えるばかりでアイツを救おうとしなかった!」

 悲哀と苛立ち、やるせなさが入り混じった声が真正面からぶつかってくる。

こんなシグマの姿を見たのは、小次郎が死んだという事実から憔悴状態になって以来だ。

 だがそれがあまり気にならなくなるくらいに、俺は突如聞かされた新事実に意識を奪われた。

 探偵協会が、小次郎を囮にしただと?

 小次郎が死んでから数年、これまで一度も耳にしてこなかった事実に、俺はただ口を開けて呆然としていた。

「何故アイツが死なねばならん。あの男は、灰村小次郎はいずれすべての探偵の頂点に立ち、たくさんの人間を救うことになる男だった! それを、薄情にも見捨てるとは……。こんなこと。……こんなことっ、許されるはずがないっ!」

 そう叫ぶと同時に、シグマは拳を壁にたたきつける。あまりも強く打ったせいで、拳からは流血していたが、そんなことは一切に気にしていないようだった。

「だから私は、あの時小次郎に手を貸すことを強く反対した人間を殺した」

「五十六尾道も殺したというの? 彼は証拠を捏造していた、私たちを陥れる側の人間だったはず。なのになぜ?」

「そうだ。奴は私の協力者としてお前たちを容疑者にする証拠を提出させた。指紋など、教師という立場を利用すれば安易に採取できるからな。だがこともあろうか奴は、その後突如として私を裏切ろうと画策しだした。おそらく、元よりそのつもりだったのだろうがな。だから殺したまでだ」

 その言葉で、初めて東雲をバディーを組んだ日のことを思い出した。あの日、シグマが忘れ物をしたと言って一度演習場に引き返したのは、おそらく指紋を採りに行っていたのだろう。

 あの時から既に、俺のことを陥れようとしていたのか。

「……そんな理由で、何人も殺したっつーのか?」

「そんな理由? それは違うな。たった一滴の殺意があれば、人は容易く命を奪える。奴らは当時、小次郎の置かれた境遇を知っていながらその手を差し伸べようとしなかった罪人だ。殺すのに何を躊躇する必要がある」

 誰かを助けるわけでもなく、ただ自分の復讐のために、恩人が人を殺した。その事実に少し視界がぐらつく。

「言い訳を並べ立ててはいるけれど、結局のところ私刑をするための方便でしかないわ。そんなこと、あなただって──」

 俺の考えを代弁するかのように、東雲はシグマを問い詰める。

「分かっているっ!」

 遮るように、シグマは叫ぶ。その声には普段感じさせる余裕など微塵も感じさせない。こちらを睨みつける瞳は血走っており、うっすらが涙が浮かんでいるように見えた。

「分かっている……! だがそれなら、誰が奴らの罪を裁いてくれる! 私が罰を与えなければ、いつまでたっても奴らはのうのうと生き続けることになる。ならば手を下すしかないだろう! 誰もやらんと言うのなら……!」

 まるで汚濁を吐き出すようにそう言うと、シグマは頭をかきむしる。

「何か、手を貸せねえ理由があったんじゃねえのか。シグマや、俺にだって、小次郎は何の一つも連絡してこなかったんだろ?」

 殺されるような奴を相手に一ツ星の小次郎が助けを求めたのなら、探偵協会が協力しないはずがない。だが当時の小次郎は俺やシグマを含め、ある日を境に一切の連絡を絶っていた。きっと、何かわけがあったのだろう。

「人命に勝る理由などあるものか! 奴らが結果、小次郎は無残にも死んだ! だから私は復讐することにしたのだ! あの日手を伸ばさなかった探偵どもに、そして探偵協会に!」

「まるで言い訳する子供ね。そう糾弾するあなたも、何も出来なかったのでしょう? 自分は棚上げして、犯人ではなく手をかさなかった他者を責める。ずいぶんと都合の良い話なこと」

 東雲の指摘を受けると、シグマは苦渋の表情を浮かべる。

「その通り、最も不甲斐ないのはバディーでありながら相棒の死を食い止めることができなかった私だ。だから私は、残された者の使命としてすべてに復讐する。まずは忌まわしき探偵協会に。その次は小次郎を殺した奴らをただの一人も残すことなく。そして復讐の最後には私自身を殺すことで、この償いは幕を閉じる」

「大口を叩くものね。子供二人を捕まえるのにすら苦労していたあなたが出来るというの?」

「何を勘違いしているのか知らないが、お前たちが逃げ切れていたのは自分たちだけの力ではないと言っておこう」

「どういうこと?」

「元々、この計画は三ヶ月ほど前に遂行されるはずであり、加えてお前たちを巻き込む予定なぞ一切なかった。だが、計画を実行に移そうとする度に幾度となく妨害に遭い、結果としてこうせざるを得なくなったのだ。……久遠寺有里咲によってな」

「久遠寺先生が……?」

「奴は何度も私の計画を秘密裏に妨害してきた。しかしそれも潜り抜けて、ようやく計画を進められると思ったところで、あの忌まわしい五十六尾道と共に手を打ってきたのだ。そう、お前たちを呼び探偵協会に逃げ込もうとくだらん姦計を仕掛けてきた……!」

苛立ちと怒りがにじみ出るような声音で、シグマは語り続ける。

「だから私は計画を変更することにし、お前たちを利用させてもらうことにしたのだ。しかし、腹立たしいことに彼女はそれすら読んでいた。マスコミを焚き付け高校に縛り付けても、久遠寺有里咲はこちらへ妨害策を放ってきた。お前たちが逃げ切れたのは、奴の工作があったからこそだ」

 ひとしきり言葉を吐き出し切ると、シグマは平静を取り戻す。

「だが、それもこうして徒労に終わった、というわけだ。さあ、これからお前たちには、凄惨な事件に巻き込まれてしまった幼気な生徒を演じてもらう」

「なに…… ?」

「第一発見者は私。お前たちは探偵協会を恨む悪漢の手によって爆破され殺害されたということにする。そして罪を被るのは高校、ひいては探偵協会だ」

「…… そういうこと。私たちは生徒を守り切れなかった探偵高校のせいで起きた悲劇の被害者にまつりあげられるということね」

「それだけではない。私は栄町異聞街一帯に、爆弾を仕掛けている。雷禅に宛てた義憤に燃える探偵を名乗るメッセージと共にな」

「なんだと!?」

「この爆弾は数時間後の夜明けとともに爆破する。マスコミにも情報は流した、今頃街はパニックになっているだろう。探偵が総動員して動くだろうが、爆弾の数も質もこれまでとは大違いだ。そして爆弾に対処している今、爆破までに私を止められる者はいない」

 腹が立つほど愉快そうな声音で、シグマはそう語る。

「仮に雷禅が協力しようと到底解除しきれまい。夜明けと共にすべてが爆発し、更に傭兵による破壊活動も起こさせる。そうすれば町に甚大な被害が及び、住民を守り切れず、爆破犯を内部から出した探偵協会の名誉は失墜する……! くくく、はははははははっ……!」

高らかな笑い声が、あたりに響く。

「私はお前たちとこの街の犠牲を足掛かりとして、私は探偵高校を、ひいてはそんなものを生み出した探偵協会を断罪するのだ!」

 そう語るシグマの顔に浮かんでいたのは、快楽からくる邪悪なものとは少し違う、どこか悲壮感のある笑みだった。

「九郎、私とともに来い、そうすればお前だけは助けてやる。私と共に、小次郎の仇を打とう」

「……断る。一人だけ助かろうとするほど、俺は薄情な人間じゃないんでね。それにアンタはもう、俺の知ってるシグマじゃない」

「ふっ、口では何とでも言えるだろうな。だがこれを聞いてもお前は強がっていられるか?」

 シグマはそう言うと、懐から一つのスイッチを取り出した。

「さあ、そろそろ推理の時間は終わりとしよう。これから始まるのは、選択の時だ。お前たちの首に付けられた首輪には、毒を体内へ注入する装置が仕掛けられている。毒名はグエラトキシン、服用すれば体中の激痛に嘔吐、加えて幻覚や呼吸困難といった症状へ苛まれながら数分で死に至る猛毒だ」

「なっ……!」

「その首輪は私が起動してから十分でお前たちの体へ毒を注入する。加えて最後の仕上げとして、この建物には同様に十五分のタイマーで爆発する爆弾を仕掛けてある。そこでだ。九郎、この鍵をお前が選べ」

 リモコンが操作されると、俺の鎖のみが緩み部屋の中をある程度移動できるようになった。

「っ……!」

 すぐさま俺は駆け出しシグマの元へ向かい手を伸ばすが、あと少しのところで届かない。

「まったくお前は、分かりやすすぎるな」

そう呟くと、シグマは俺の足下へ二つの鍵を落とす。

「お前から見て右の鍵は両者の毒の首輪を解除する鍵だ。だが解除されるのは毒だけ、爆弾は爆発し両者とも死ぬこととなる」

 淡々と、裁判官のように語り続けるシグマ。その様子はとても今までのシグマと同じ人物だとは思えない冷厳さに満ちていた。

「そして左の鍵は片方の首輪と鎖を解除する鍵だ。一人にしか使えないがこの場から脱出できる。能力封鎖手錠は外れないが、異能が使えずとも爆発までに逃げ切ることは出来るだろう」

「……下衆ね」

「なんと言われようと鎌わんさ。九郎、お前が選ぶのだ。パートナーを見捨てせめて自身だけでも助かる道を選ぶか。それとも、二人そろって下らん理想のために殉ずるか」

「何言ってんだよ、シグマ……!」

「言っておくが、これは遊びや脅しなどではない。……命の取捨選択だ」

 ピッという高い機械音をたてて、首輪が起動した。

「お前は何を選ぶ? ──探偵、棺九郎」

「……」

 目の前にある二つの鍵を見て、それから後ろの東雲を振り返る。

「迷うことは無いわ。あなた一人で逃げなさい」

「ほう、自分の死をいとわずパートナーを生かそうとするとは、まったく、近頃の若者は自己犠牲意識が高くて喜ばしいことだ」

「確実な選択肢をとったまでよ。裏の世界に踏み込んだ時点で、まともな最期を迎えられるとは思っていない。その時が来たというだけ」

 強気に言い放ってはいるが、東雲の顔にはわずかに汗が滲んでいた。

「さて、そんな健気なバディーの意見を聞いて、お前はどうする?」

「俺は……」

 答えようとした俺の頭に浮かんだのは、東雲と出会ってからの日々。

 出会いは最悪だった。しかも組んでみればまるで相性が良くない上に、口を開けば毒のある言葉を吐いている。正直、さっさと別の奴と組みたいと思っていた。

 そんな奴と逃げるハメになって、途中で戦いながら異聞街に逃げ込んで。そして紺と出会って、シグマの家に忍び込み情報を盗んだ。まさか探偵だってのに泥棒をする日が来るなんてな思わなかったが。

 我ながら、とんでもねえ毎日を過ごしてきたもんだな。

 俺は思わず笑みを零すと、鍵へ歩み寄る。

 自分だけ助かって毒死する東雲を見殺しにするか、それとも二人そろって毒の注入装置を解除する代わりに十五分後の爆破で死ぬか。

 答えなんて、最初から決まっていた。

「覚悟を決めたか。さあ、選べ!」

「……」

「俺が、選ぶのは……」

 鍵の前にまで来ると、その片方へと手を伸ばす。

「こっちだ」

 俺が手に取ったのは、片方の首輪と鎖を解除することが出来る鍵だった。

「ふふ、ふっふっふっふ……はははははは! そうだ、そうだとも。それで良いのだ、九郎。お前は正しい選択をした。お前はまだ子供だ、そのような選択をしても何も間違ってはいない」

「……」

 シグマは実に愉快そうな笑みを浮かべ、東雲は俯いたまま黙りこくっている。

「おめでとう、お前はこれで自由だ。九郎、やはりお前は私と共に来い。お前がこんな目に遭っているのも今の腐りきった探偵協会のせいだ。そんな欲と血にまみれた探偵などと言う称号など捨てて、一緒に小次郎の仇を取ろうでは無いか」

「……シグマ、俺はな」

「む? なんだ」

「俺はな──最期まで、探偵を張り通す」

 そう答えると、東雲の元へ駆け寄りしゃがみ込む。

「……っ!? ちょっと、どういうつもり!」

「くすぐってえかもしれねえが、じっとしてろよ」

「九郎、お前一体何を」

 俺は東雲に首元についた首輪。その横部分に取り付けられた錠前へ鍵を躊躇無く差し込んだ。そのまま一回転させ、解錠させようと試みる。

 しかし、鍵を差すことは出来たものの、左右どちらへ捻っても回せそうにない。

「んだよ。これもしかして鍵が違えのか?」

「ちょっとあなた、自分が何をしようとしたのか分かっているの!?」

「何って、探偵として人助けをしているってだけだろうが」

「……っ、あなた、本当の馬鹿ね! 今の状況を考えれば、一人でも確実に生き残る方を選ぶべきよ! 分かっているの!?」

「はっ、誰がお前の言うことなんて聞くかよ!」

「っ!?」

 俺の言葉に、さすがの東雲も面食らった表情を浮かべる。

「お前が言ったんだろ、一蓮托生だってな! こんな時にだけ冷静ぶって悟ったようなこと言いやがって、格好付けてんじゃねえよこのバカ! ……くそっ、やっぱり駄目か。イケると思ったんだけどよ。とりあえず、開きそうにねえから時間伸ばすぞ」

 俺は手に持った鍵を放り捨てると、もう片方の鍵を取ってきて差す。

 今度は上手く鍵が回り、東雲の首に付いた毒の注入装置は止まる。俺も同じようにして首に鍵を差すと解除させた。

「つーわけだ、シグマ。俺はあんたと同じ道には行かねえよ」

 シグマの方を見ると、全身を震わせてこちらを睨んでいた。

「お前も、お前もくだらん正義に生きると言うのだな、九郎……っ!」

「くだらねえ、か。自分の命を掛けてでも、誰かを助けようとする。コイツは小次郎が貫いた生き方だぜ、シグマ。てめえはそんなことすら忘れちまったか?」

「言い訳は結構だっ……! ……もう、お前達に興味は無い。その命を持って、私の偉大なる計画、その礎になるが良い」

「シグマ……」

「さらばだ、九郎。……爆弾が起動すれば即死する。せめてもの情けだ。苦しまず痛み無く小次郎と同じところへ行くが良い」

 シグマの顔には、これまで見たことのない、悲哀、絶望、憤怒。それらが織り交ぜあい濁りきったような表情が浮かんでいた。

 背中を向けると、シグマはどこかへと去って行く。

「シグマっ!」

 声を張り上げて呼ぶと、シグマは振り返らず足を止める。

「絶対に、アンタの計画をぶち壊す。小次郎のためにも、……アンタのためにも」

「……」

 シグマは数秒の間立ち尽くした後、何も答えずに歩いて行った。

 俺たちはその背中が完全に闇の奥に消えるまで見送ると、視線を合わせて口を開く。

「……行ったな。で、これからどうする?」

「どうするって……あなた、本当に何の考えも無しで助けたって言うの? はあ、愚かしいまで直線的に生きている人ね……」

 ため息をつくと、東雲は拘束されている状態だと言うのに器用な動きでブーツを脱ぐと、その踵部分を取り外し中から何かを取り出した。そして俺の首元へ近づきそれを首輪へ差し込むとカチャカチャと弄り出す。

 キーピックか。随分と用心したところに隠してんなコイツ。

「仕方ねえだろ。そうしなきゃお前が死んでた」

「それは……、そうだとしても、このままじゃあ結果は同じよ。それどころか、あなたも死ぬことになるって分かっていたでしょう」

「うるせえな。俺だってちゃんと考えて動いたんだよ」

「考えた結果がこの状況? ……はあ。あなた、自分の師が真犯人だったことにショックを受けて、頭がより残念なことになってしまったのじゃあないかしら?」

「かもな」

「かもなって……あなたね」

「さっきはあんな啖呵切ったけどよ。正直、まだ信じられねえ。心のどこかで実は嘘だったり、変装した別人だったりするんじゃないかって考えてる。今だって、自分がちゃんと足踏ん張って地面に立っていられているのかも分からねえんだ」

 シグマとそれなりに時間を共にしてきた俺からすると、今までの凶行がすべてシグマのせいだと言われても、まず冗談か何かを疑う。それほどにシグマは俺の中で大きな存在になっていた。だが裏切られてしまった今となってはもう、何を信じて良いのかも分からない。

「だからこそ、もう一人必要なんだよ。馬鹿な俺の代わりにちゃんと地面に足付けて立っているかどうか教えてくれて、すぐ熱くなる俺の代わりにいつだって冷静に考えて、背中を叩いてくれる奴が。……こんなこと言うのは不本意だし、無茶苦茶癪なんだがよ。──お前が必要なんだ、東雲」

 東雲はその言葉を聞くと、作業の手を止め相変わらずの無表情でこちらを見つめてくる。

「な、なんだよ」

「いいえ。恥ずかしいことをよくもそんなに言えたものだと思って」

「うるせえな。俺だって柄じゃねえことくらい、分かってるっての」

「それで、二人そろったところでどうやってこの状況を脱出するつもり? 言っておくけど、このままじゃあ解錠は間に合わない。二人そろって爆死するわよ」

「分かってるよ。だから手は打ってある。もしかしたらそろそろ……」

 その時、ガタガタと音がして天井の通気口が外れた。

 俺たちがそろって見ていると、ぽかんと開いた暗闇の穴から何かが飛び降りてきた。

「よっ、と。やっほー九郎、玻玖亜。ご機嫌いかが?」

 それはこちらを見つけると、にぱっと笑って手を振っている。

「……紺?」

 そう、突如として現われたのは、いつもの格好であるパーカーの上にフライトジャケットを羽織り、スウェットパンツからスパッツへ着替え、頭にゴーグルを乗せた九条路紺の姿だった。

「うっし、ようやく来たか」

「ようやくって何さ! こっちは君らのとばっちりで変な奴らに襲撃された上、マイスイートホームを滅茶苦茶にされたんだよ!? すぐに来たことを感謝して欲しいくらい!」

 どうやら本当に戦ってきたらしい。怒り心頭といった様子な九条路の服や手足には、ところどころ軽い傷がついているのが見えた。

「悪い悪い」

「ボク自体は平気だったけど、もう本当散々! この被害額は依頼料にプラスして賠償金として後日請求させて貰うからね! 一切まけないから覚悟しておいてよ!」

「分かったよ。払うっての」

「その話は後にして、紺、ひとまずこの拘束具を外してちょうだい」

「むー。まあ契約した以上、依頼はこなさないとね。任せて、カップラーメンが出来る前には全部解錠しちゃうから!」

 九条路は背中に背負ったバックパックから端末といくつかの工具を取り出すと、解錠作業に取りかかり始める。

「ほいほほいのふんふふんのそーれそれ。はいっ、オッケー!」

「……マジかよ、お前本当に天才だったんだな……」

 九条路は宣言通り、三分もかからず二人分の装置と手錠、鎖を取り外して見せた。

「でっしょでしょー! やっぱり僕って天才なんだよね!」

「ひとまずここから逃げましょう。爆発までもう時間が無いわ」

 俺たちは急いで部屋から出ると、九条路のナビゲートの元で建物から出る。外はもう既にすっかり深夜になっており、雲間から月明かりが差し込んできていた。十分な距離を取ったと思った次の瞬間、とてつもない音と熱風を伴って建物が爆発した。

「危ねえ……」

「あのままじゃ二人ともお陀仏だったんだから、助けに来たボクに感謝してよねっ!」

「ああ、ありがとよ」

「それなのだけれど、どうやって私たちの場所まで来たというの?」

「道すがら教えるよ。向こうに車を止めてあるから、そっちの方まで行こう」

 俺たちは紺の示す方へと走り出す。

「で、さっきの話なのだけれど」

「ああ、君たちを追った方法ね。それはね、九郎がボクから買って持っていた発信機の信号を追ってきたってわけさ」

「発信機? その類いの物は、捕まったときに全部奪われたはずじゃあ」

「だから、奪われない場所へ隠して置いたんだよ」

 自分の腹を指し示すと、東雲は眉をひそめる。

「まさか、飲み込んだって言うの?」

「ああ。胃酸で溶けない小型の発信機を飲み込んでおいたんだよ。それで定時ごとの連絡が途絶えたら、発信機を追って助けに来てくれって依頼しておいたってわけだ」

「…………時々、あなたが天才だと錯覚しかけるときがあるわ」

「なんでだよ。正真正銘天才だろうが。そのおかげで助かっただろ?」

「その後、通信機はどうするつもりなの?」

「そりゃ、胃を通ってそのままケツから出てくる……はずだよな? そうだよな九条路?」

「う~ん、多分?」

 確認をとってみるが、曖昧な返事と共に首をかしげるばかりだった。

「おいっ!?」

「いや設計通りなら上手くいくはずだけど、いかんせん人で試すのは初めてだからなあ。ボクがいくら天才でも、こう人体の神秘とか能力とかで予想外なことが起きて、人体に悪影響が出たりしちゃう可能性もなくはないと言うか……」

「そういえば、前に電池を飲み込んだせいで死んだ人の記事を見たことがある気がするわ」

「だ、大丈夫。いざとなったら気合いと根性でなんとかなるなる!」

「だからならねえって言ってんだろうが!」

 冗談じゃねえ、せっかくに助かったってのにこんなことで死ぬかもしれねえのかよ!

「その話はひとまず後にして、今は榊原シグマを追いましょう」

くそっ、もし死んだらこいつらの枕元に毎日化けて出てやる……!

ひとまず不満を飲み込むと、すっかり深夜の静寂に包まれた路地を駆け抜けていく。

「紺、監視カメラの映像で榊原シグマを追える?」

「駄目、どれもハッキング掛けられて潰されてる。今ドローンで追ってるけど、同時に四つ車が出たから対象がどれに乗っているか分からない。行き先は絞り込めてるんだけど……」

「どこに向かってんだ?」

「全部バラバラだから候補は四つ。清洲城に大曽根スタジアム、岡崎オアシスと常滑タワー」

「どうする? 手分けすっか?」

「そうしたいところだけれど、他の場所から合流するには時間が足りないし、一人で榊原シグマに立ち向かうのはハイリスクすぎるわ。どれか一つに絞ってそこへ全員で行きましょう」

「つってもなあ……」

 どれだ? シグマの奴は、一体どこで最後の爆弾を爆発させる気なんだ。

 考えろ、俺がアイツだったらどう動く……?

 これまでに爆破された場所を、覚えている限り思い出す。その時、不意にシグマの家に忍び込んだ時に読んだ事件レポートが頭をよぎった。同時にそれまで全く見えてこなかったものが、霧が晴れたかのように見えてくる。

 ……そうか!

「多分、大曽根スタジアムだ」

「なんで分かるの?」

「爆破された場所には、共通点があったんだよ」

「共通点?」

「あのホテルもシグマの家も、今までに爆破が起きた場所は全部前に事件が起きたことがある場所なんだ。そしてその事件はすべて、小次郎とシグマの二人が解決した」

「てことは、ここもそうだったの?」

「ああ。このスタジアムは二人がバディーを組んで初めて事件を解決した場所のはずだ」

「他に手がかりがない以上、今はそれに賭けるしかないわね」

 そうしてしばらく走っていると、

「ここら辺まで来ればオッケーかな。二人とも、ちょっと良い?」

 と九条路は口にした。俺たちが振り返ると、それぞれにスマホを手渡してくる。

「その端末に注文された装備とかが入った車の位置座標を入れて置いたから。ボクと別れたら、それを使って犯人を追って」

「お前は来てくれねえのかよ?」

 立ち止まってそう言った九条路に俺は尋ねる。

「悪いけど、ボクの仕事はここまで。ボクの方に栄町に仕掛けられた爆弾解除とクラッキング対処の緊急依頼が回ってきてるからさ、行かないと。雷禅さんも出てきて結構面倒な状況になってるっぽい。九郎たちの相手、相当厄介な傭兵を雇ってきたみたいだね」

「大丈夫なの?」

「こんなんでやられてたらとっくの昔にうちはなくなってるよ。ただ数がちょっと多いから手こずってるってだけ」

「そうか……。いや、ここまで助けてくれただけで十分だ。ありがとよ」

 九条路にはこれ以上ないってくらいに助けられた。感謝してもしきれないくらいだ。

「そうね。怠け者の紺にしては頑張ったわ。今度ハンバーガーでも奢ってあげる」

「えー、それよりは九郎の手作り料理がまた食べたいなあ」

 困ったように微笑んだ九条路は、俺たちが向かおうとしている方向とは別の方へ足を向ける。

「んじゃ、またね二人とも。出来れば君らの情報を次に知るのは、ハッピーなニュースがいいな! それと九郎、依頼費はちゃんと自分の手で払ってよね!」

 笑顔で手を振った九条路は、夜の闇中へ駆けて消えていった。

「あの天才にここまでさせたんだ。この戦い、絶対に負けられないな」

「ええ。急ぎましょう」

 俺たちはシグマを追うべく、急いで端末が示す位置へ向かう。

 しばらく走ると、道の途中へ一台だけ車が止まっているのが見えた。

「あれか」

 それは盗みに入った時のチャージャーで、渡されていた鍵を差し込むと開いた。

「こっちは装備ね」

 東雲が後ろのトランクから取り出したボストンバッグには、銃とダイスといった装備の予備が詰め込まれていた。

「なんか足りねえもんはねえか? つっても、暇なんてねえから補充は出来ねえが」

「大丈夫よ。これなら十分に戦える」

 拳銃のスライドを引くと、東雲は頷いた

「うし、じゃあ行くぞ」

 俺たちは車に乗り込むと、エンジンをかけアクセルを踏み込んだ。

「──全てにケリを付けるとしようぜ」

 力強い排気音が、夜の異聞街に響き渡った。


最終章 探偵×怪盗=名コンビ



「よう。また会ったな」

 俺はスタジアムの芝生へ降りると、そう人影に声をかける。

 声を掛けた先、スタジアムの中央で、シグマは祈るような姿勢を取っていた。

「……何故だろうな、こうなる予感はしていた」

 振り返ったシグマは自嘲気味に笑うと、懐から取り出した煙草を咥え立ち上がる。

「ここでやめるつもりは、ねえんだな?」

「ああ。今日この場で、何もかもを終わらせる。いや、違うな。これは始まりに過ぎない」

「いいや、終わりだ。てめえを捕まえて、それでゲームセットだ」

「良くその口で言えた物だな。お前が私に勝てたことなど一度もないだろう」

「だからだろ。今日を記念すべき初勝利日にするんだよ」

「……今の口ぶり、奴に少し似ていたな」

 シグマは深く煙を吐き出すと、携帯灰皿で火をねじり消してから煙草を中へ放り込んだ。

「そもそもだ、私が殺したという証拠はどこにある?」

「あ?」

「尾道氏の殺害に使われたのは異能であって凶器はない。無能力者の私が、一体どうやって殺人をやってのけたというのだ?」

 あくまで自分ではないというような白々しい態度で、シグマはこちらへ尋ねてくる。

「俺らを襲ったとき、能力を使ってたじゃねえか」

「それが絶対に私の能力だという保証はあるか? 私にも協力者がいるという可能性は?」

「……」

「百の推理さえ一の証拠には勝らない。……アイツはそうではなかったがな。そこまで言うのなら、証拠があるのだろう?」

「ああ、あるぜ」

「ほう、ではお前の推理を聞かせて貰うとしようか。一体、どこにその証拠があるのかね? もし正答出来たなら、今すぐの爆破は待ってやろう」

「どこにあるも何も、今ここにあるじゃねえか。てめえの懐にな」

 俺の言葉に、東雲は眉をひそめる。

「どういうこと?」

「五十六さんを殺したのに使われたそれは……東雲の親父さんが盗まれたっていう宝石だ」

「宝石?そんな物で一体どうやって殺したというのだ?」

「宝石を凶器にするわけじゃあねえ。だけどソイツは確かに今までの被害者を殺した凶器にな

った。……異能を発動させるための能力遺物としてな」

「能力遺物? ふっ、面白い推理だが、残念ながら私はそんな物持ってなどいない」

「いいや、あるはずだ。てめえの懐に、確かにその宝石がな!」

「ふん、もし私が宝石を持っていたとして、だ。それが能力遺物だという保証はあるのか? そして宝石が東雲櫻里の物だとどうやって証明する? どちらも確かな証拠があるなどとでもいうつもりか?」

 余裕綽々とこちらを問い詰めてくるシグマに対し、俺は不敵に笑って返した。

「はっ、しらばっくれてんじゃねえよ。てめえは持ってるはずだ。もう一つ、それが東雲の父親の宝石だとわかる重要な物をな」

「ほう?何か思うところがあるのか?」

「……プログラムキー」

俺がそう口にした途端、シグマの顔にわずかながら動きが見て取れた。

「特定のプログラムを起動すると鍵になるっつーのが、プログラムキーだ。もしそれと似たような仕組み、例えば特定の何かを持っていないと発動出来ないという性質が、その宝石に元々備わっていたとしたら?」

人が生来持つ異能にも条件が必要な物はある。俺の能力だってそうだ。能力遺物に関しても同様で、能力遺物が自身の使用者を選ぶということや能力の使役にコストが必要だということはある。しかし発動そのものに必要な物があるというのは今までに見たことも聞いたこともない。

 だが、先例がないということは実在しないということにならない。

「なんで犯人は東雲の親父から宝石だけでなく、身につけていたペンダントまで盗んだのか。それは単なる偶然や金目の物に見えたからじゃあない。そのペンダントが、宝石の起動に必要な物だと分かっていたからだ」

「……」

 俺の推理に対して、シグマは言葉を挟まずただ耳を傾けている。

「アンタの専門の一つは能力学だ。おそらく、戦っている中で東雲の親父さんが持つ能力遺物のカラクリに気づいたんだろう。それを使えると判断したアンタは遺体から宝石を盗み、自分の物にした。だから今も起動のために持っているはずだ。東雲櫻里がかつて持っていたペンダントをな! 東雲、親父さんのペンダントはどんな形をしていた?」

「お父様の持っていたペンダントは、時計がモチーフの白と銀色をしたペンダントよ」

「だそうだぜ、アンタが首から提げているそれ、見せてみろよ。いや、見せられるはずがねえよな。それこそが、アンタが東雲の親父を殺害したっつう証拠なんだからよ!」

 そう言って俺は、目の前に立つシグマを睨み付ける。

 突然襲撃されたあの時、殴りかけたところで胸元に見えたのは確かにペンダントだった。だけど普段、シグマが社交的な場以外でアクセサリーの類を身に着けることを嫌うのはよく知っていた。

「さあ、答えろよ!」

 シグマはしばらくの間俺へ視線を返した後、息を吐きながら口角を上げた。

「ふ、まさかそこまで当ててみせるとは。本当に、お前のひらめきはアイツに似て時々羨ましくなるほど的確だな」

 こちらを見ているようで見ていない、どこか肩越しに遠い何かを見ているかのような目線をこちらへ向けると、シグマは懐から一つの宝石とペンダントを取り出した。

「それは……!」

「そうだとも。私が東雲櫻里を殺害し、この宝石とペンダントをいただいた」

「あなたが、お父様を……!」

「なんで殺したんだ。探偵協会への恨みだっていうなら、東雲の親父さんは関係ねえだろうが!」

 そう問い詰めると、シグマは血走った目をこちらへ向けて来た。

「関係ない、だと? それは違う。あの男こそが事件当時、小次郎に最も近い関係を持っていたバディーだった。だが奴は、その役目を果たさなかった!」

 突然明かされた真実に、俺たちは目を丸くする。東雲の親父さんが怪盗だったってのは東雲本人から聞いていた。だけど、小次郎とバディーを組んでいただと?

「あの男はな、かつて裏の世界では有名だった怪盗だ。その実力を見込まれて、小次郎のバディーとして協力としていた」

「なんだと?」

「だというのにっ! 奴は自身の相棒だった小次郎を救うことなく、みすみす死なせた愚かな人間だったのだ!」

「……東雲の親父は娘に自身の能力を偽っていた。本当の能力を明かせば、自身の正体を教えることに繋がる可能性があると考えたから。そのために使われていたのが、宝石だった」

「その通り。奴の真の能力を知ったときは驚いたが、所詮コソ泥。なんてことはない。奴はあっけなく敗れ散っていったよ」

「……っ!」

 歯を食いしばった東雲は、険しい目付きでシグマを睨み付けていた。

「さて、それでどうする? 私を止めるかね?」

「あったりめえだろ、その鼻っ柱ボッコボコにしてやるよ。『ショウケース』も『魔弾』もねえ今のてめえなんて怖かねえさ」

「確かに、今の私はかつての自分に比べれば大きく力が落ちているだろう。……だが、それで倒せるほど、灰村小次郎のバディーだった男は、甘くない」

 確かに言葉の通りだ。武器を失ったはずだというのに、こちらを見据えたシグマの瞳に宿る気迫は、かつて最高の探偵と共に裏の人間と渡り合っていた時のままだ。

 妙な感覚だ。信じてたのに裏切られて、その上自分を殺そうとしてきた相手だっつーのに、それでもシグマと本気でやり合うことが出来て、どこか嬉しい気持ちが少しある。

俺は自分の単純さに、我ながら思わず笑っちまう。

「はっ、かもな。それでも、勝つのは俺たちだ」

 そう言いながら、東雲の横目でちらりと見る。いつにも増して鋭い目付きでシグマを睨み付けている東雲の瞳は、血走っているかのようにさえ見えた。

 ったく、いかにも頭に血が上ってますって顔だな。

 俺はため息を一つ吐き出すと、東雲のケツを遠慮無しにひっぱたく。

「何のつもり?」

 当然、純度百パーセントの怒りを含んだ蔑みの視線が飛んできた。

「ムカついたか? だったらそれで良い。後でいくらでも殴られてやるから、一旦恨みは忘れとけ。お前は冷静だから強えんだろうが」

 目を見開いた東雲は、深く息を吸って、それから吐いた。

「至極腹が立つけれど、正論ね。今だけは感謝してあげる」

「やけに素直じゃねえか。で、準備はいいか?」

「愚問よ」

俺たちはほとんど同時に、拳銃と拳をそれぞれ構える。

「遺言は、どこかへ残しておいたかね?」

「必要ねえよ。てめえこそ、明日は一日空けておいたか?」

「ふっ。口だけは達者だな」

「口だけかどうか、その身で確かめてみろよ。──行くぞシグマ。探偵ライセンスの元、お前を容疑者として拘束する。てめえの独りよがりなワガママは、ここで全部終わりだ」

「そうか。……なら私に力を見せてみろ、──九郎!」

「やってやるよ、シグマぁっ!」

 俺はその言葉と共に走り出し、シグマはそれに対して巨腕を作り出し迎撃する。

「──緋の先駆者!」

能力を発動し前方へ向かって跳躍した俺は、全力の拳を振りかぶった。拳と巨腕は激突し、派手な轟音をスタジアムに響かせる。

 五十六さんが殺されたことから始まった、一連の事件。

 俺と東雲が巻き込まれた、多くの人間を傷つけ、あるいは殺害したこの騒動。

その全てに幕を引くための一戦が、幕を開けた。



大曽根スタジアム、午前五時三十五分。

シグマとの戦闘開始から、およそ三分が経過しようとしていた。

「うおっと!」

 スタジアムの客席近くを駆け抜ける俺は、迫る金属塊に対し、体を捻って回避する。

背中を通り過ぎて客席を薙ぎ倒していったそれは、勢いのままコンクリートを易々と砕き大きな破壊の跡を刻んでいた。

金属塊はすぐに浮遊すると、シグマの元へと戻っていく。

「どうした! 戦う前の威勢は一体どこへ行ったというのかね!」

「うっせ!」

 コンクリートの破片を拾うと、全力で振りかぶってぶん投げる。

 当然巨腕によって阻まれるが、当然そんな物で倒せるとは思っていない。破片が壊れる瞬間、その音に紛れて後ろから扉で現われた東雲が銃撃を放った。

 シグマはすぐに反応すると、背後に生み出した金属の盾で銃撃を防ぎ巨腕でなぎ払う。東雲はすんでの所で扉に飛び込んで避けた。

「──っ!」

 そして、東雲の一撃もおとりに過ぎない。そちらへ気を向けている間に大きく跳躍した俺は、上からの拳をお見舞いしようと構える。しかし。

 突然横から飛んできた攻撃に吹き飛ばされ、観客席へと激突させられた。

「がっ……!」

 肺の空気を強制的に吐き出させられ、声にならない叫びが喉から漏れ出た。それでもどうにか姿勢を立て直し、追撃で放たれた鉄塊を走って避けていく。

 くそっ、やっぱり手を読んでやがったか……!

 正直言って戦況は全く良くない。今までで一番最悪だと言っていいくらいだ。俺も東雲も能力を完全に把握されており、どの手を打ってもほとんど通用しなかった。

 俺は金属塊で常に牽制され上手く隙を突いて接近したとしても、こちらの格闘を的確に捌いてくる。東雲も同様で、扉での不意打ちを常に警戒されている上、ダイスを放っても悉く起動前に破壊されていった。二人というアドバンテージを持っているにも関わらず、シグマ相手に劣勢を強いられているという状況だ。

「次はこちらの番だ」

言葉と同時に何十本もの金属槍が構築されると、雨のように乱れ撃ってきた。

「「っ!」」

 俺たちは同時に散開し狙いを絞らせないように駆けまわる。

 しかし動きを予測されており、先回りして放たれていた金属槍が幾度も体をかすめては、芝生の地面を大きく抉っていった。

「ちっ!」

 避けながら接近のチャンスをうかがうが、動こうと試みるたびに金属槍が牽制してくる。くそっ、上手く操られているような気がすんな。

 いや、シグマのことだ。おそらくこちらがどう動くのかを読んで誘導しているのだろう。

「だったら……!」

 今度はさっきまでの動きを装いつつ、じっとその時を待つ。そして。

「──っ!」

 おそらく攻撃を警戒していないであろうタイミングで体を捻りシグマの方へ動きだす。

 降り襲う槍の雨を弾きながら無理やりに突破していくと、一瞬で最高速まで加速してシグマへ近づいた。そして。

「!? く、そっ!」

 突然、シグマの後ろ側から東雲が現れたことに気づいた。

 慌てて失速するものの、ギリギリまでシグマの体で死角になっていたところから出現した東雲を躱しきれず、俺たちはぶつかり合う。

 そこに追撃と言わんばかりに二対の巨腕が現れ、俺たちを殴りつぶそうと迫ってきた。

「危ねえっ!」

 東雲を突き飛ばし片腕ずつで二つの拳を受け止めるが、当然そうするだろうと予想していたかのように射ってきた金属槍を躱しきれず、何本かが脚に突き刺さる。

「ぐっ……!」

なんとか拳を押し返したものの、逃がすまいと眼前に金属塊が迫りくる。だがそこに横から現れた銃弾が金属塊を砕き、続けて追撃をしようとしたシグマへダイスが飛んでいき妨害した。

するとシグマはすぐさま狙いを俺から東雲に変え、金属塊に乗って距離を詰めていく。

「東雲、行ったぞ!」

金属槍で扉を牽制しつつ格闘戦を仕掛けようとするシグマに対し、東雲は反撃せず徹底的に距離を取りつつの回避に専念すると、攻撃の途切れたところで足下へダイスを叩き付け起動させ、次の攻撃が届く寸前で扉へ滑り込んだ。

 ダイスは煙を吐き出し周囲を白く染めていく。あっという間に白煙はあたりに充満し、一メートル先ほどしか見えなくなった。

 しめた、今なら……!

 俺は足音を立てないようにしつつ加速すると、人の気配のする方へ向かった。

 シグマは……あそこだ!

煙の合間にその姿を確信した俺は、回り込むと背後から頭を狙って拳を構える。しかし。

「──私が、見えていないと思っているのか?」

「……っ!?」

 突如として足下が崩れ、俺は姿勢を大きく崩す。視線をやると、俺が立っていたのは穴が空いていた場所へ小さな金属塊を集めて作った偽の足場だった。

 しまっ……!

 直後、真上からとてつもない衝撃が襲ってきた。それが巨腕によって殴られたのだとわかると同時に、地面に激しく叩き付けられた俺はバウンドしながら吹き飛んでいく。何周も回る視界の中、壁に強く激突し血を吐き出した。

「九郎っ!」

「っ、心配すんな、生きてる!」

 射撃でシグマに牽制をしている東雲にそう答えると、口に溜まった血を吐き出しいつの間にか額から流れ出していた血を拭った。煙は次第に晴れていき、その中からシグマが現われる。

「お前たちがいかなる手段を企て試みようとも、その全てを読み、上回る。私はお前の師で、探偵なのだから」

「そうか。なら俺たちは更にその先を行くまでだ。案外、アンタの思いつかないとっておきを隠し持っているかもしれないぜ?」

 弾んだ息を整えながら、不敵に笑って見せる。

「ふっ、強がりを」

「で、そのとっておきは思い付きそうかしら?」

 いつの間にかすぐ側にまで現われた東雲がそう尋ねてくる。

「いいや、お前は?」

「私もよ。ここまで手札を読まれていると、いっそ投了したいくらいね」

 と言いながら、東雲は背中に回した手でハンドサインを見せてきた。

……なるほど、そいつは悪くねえ提案だ。

「いいぜ、乗ってやるよ女王様」

「せいぜい死なないようにしなさい、駄犬」

「誰が駄犬だ!」

足下で煙幕賽を起動し、あたりにスモークを充満させ始めた東雲にそう叫ぶと、俺はシグマに向かって駆け出す。

「どうだ、良い作戦は思いついたかね!」

先ほどと戦況は変わらず、俺はシグマの攻撃をかいくぐりながら、隙あらば接近戦に持ち込

もうと試みる。だがこれはあくまでも見せかけだ。狙いは当然別のところにある。

そのまま攻防を繰り広げていると、突如としてスタジアム内の照明が落ちた。

ドーム型の天井で覆われたスタジアムは一瞬で色濃い闇に包まれ、一寸先も見えなくなる。

「……なるほど、先ほどからミス東雲がいないと思っていたが、もしやこれがお楽しみか?」

答えの代わりに、にやりと笑みだけを返す。

どこかへ潜んで絶好の機会を探っている東雲のために、この暗闇を味方にしつつシグマを引きつけ持ちこたえる。それが俺に与えられた役目だ。

 俺は怪盗道具の暗視ゴーグルを取り出すと、装着してあたりを見回す。

 すると暗闇の中、怯むことなく仁王立ちするシグマの姿がよく見えた。

 さすが、この程度じゃ取り乱さねえか。

「どうだろうなっ!」

 暗闇の中、俺は不規則な攻撃をシグマに仕掛けようと走り出す。

「……なるほど、そういう狙いか。しかし、それがわかっている以上、安易に時間をくれてやる道理はない!」

 そう叫ぶと同時に、何かが崩れるような音が周囲に響く。

 なんだ、この音? まるで瓦礫が崩れるような……まさか!

 直後、拳より二回りほど小さい瓦礫が何百と暴風雨のように体を打ち据えてきた。

 全方位への無差別広範囲攻撃。その分威力はねえが、これはマズい……!

 この程度なら、体にダメージはまったくない。ただし機械となれば話は別だ。防御した腕の隙間を抜けて直撃した瓦礫が当たると、ゴーグルの視界は暗転する。

「しまっ……!」

「そこか!」

シグマは巨腕と金属槍を構築して、俺が声をあげた方向へ怒涛の攻撃を仕掛けてきた。こちらが何か仕掛ける前に潰そうとしているだろう。

「く、そっ…… !」

 視界がまったくない中で、地面を転がりながらなんとか直撃は避けていく。どうやらもう夜目に慣れてきたらしい。こちらへの攻撃が的確になってきていた。対して俺は暗視ゴーグルを使っていたせいでまだ慣れていない。明らかに不利だ。

 上下左右前後天地。至る所から放たれる雨のような乱撃をうっすらと見える像と音を頼りに身を縮こめるようにしてかいくぐっていくが、それでも躱しきれず攻撃を受けてしまう。

体力にはかなり自信がある方だが、能力の連続使用もあいまってさすがに息が切れてきた。東雲の策で決めきらねえと、マジでジリ貧になるぞ…… !

「ゲームセットとさせてもらおう!」

シグマは更に攻撃の手を激化させ、こちらを仕留めようと仕掛けてくる。俺は少し距離を取ると、徹底的に回避に集中することにした。

無数の金属塊と巨腕が迫り来る中、暗闇に慣れてきた俺は全力の加速を維持したままのステップで避け続けるが、それでもシグマの前では読まれ攻撃を当てられる。

金属槍が頬や体を幾度もかすめ、金属塊の小さな破片が足へ突き刺さり、巨腕の拳が肩を打ちかけたところで体を捻って受け流す。少しずつだが、着実に体へダメージを負わされていた。

やべえ、このままじゃ……!

押し切られそうになったその時、いきなり照明がつくとシグマの近くにある地面に三枚の扉が現われた。

東雲の奴、ようやく動き出しやがったか!

暗がりから急に明転したことで視界は白く眩む。そしてそれは、シグマも同様だ。

その隙を逃がさんとばかりにすぐに開いた扉からはそれぞれいくつかのダイスが飛び出す。

そしてシグマの目線あたりまで飛ぶと、強い閃光や爆発を作動させようとして──

「無駄だ」

その全てを地面から突き出てきた金属槍に刺し貫かれて停止させられた。

的確にダイスの機構を破壊しているようで、ダイスは作動せずに沈黙している。

「そう来るだろうと片目を閉じておいた。悪くない作戦だが、一歩及ばな……」

言葉の途中で、シグマは自分の頭上に落ちてきた物に気づいた。

プラスチック爆弾。弁当箱ほどの大きさをしたそれは、耳を塞ぎたくなるほどの音をたてて爆発すると周りの金属塊や巨腕と共にシグマを吹き飛ばした。

 すぐさま姿勢を低くすると、俺は直後に襲ってくる熱風と破片を腕で防御する。

 俺の攻撃とダイスで平面に意識を集中させてからの、直上から爆弾を落とすという立体での不意打ち。それが東雲の考案した作戦だった。当然、これで終わるだなんて思ってはいない。俺は爆風が止んだその瞬間黒煙の中へ飛び込むと、全速力でシグマへ接近していく。

 煙の中でうっすらと人影を視界に捉える。爆発の中心にいるその人物はしゃがみ込んでいるように見えた。近づいていくと、段々と実像が浮かび上がる。

 やはりこの一撃でノックアウトとはならなかったらしい。俯いてはいたが、シグマはまだ意識があるようだった。だが周囲の巨腕や金属塊はほとんど砕け散っており、まともに使えるような物はまるでない。

 今が絶好のチャンスだ。これで全部終わらせる……!

 右手を大きく振りかぶると、渾身の一撃を放ちにいく。

──本当に、チャンスなのか?

 近づこうと一歩を踏み出したその瞬間、ふとそんな疑問が頭をよぎった。

 これじゃああまりにも簡単すぎる。あのシグマが、能力遺物を使っていたとはいえ無能力であの小次郎のバディーをやっていた男がこれで終わり? そんなはずがない。

 疑念は段々と膨れ上がり、思考はあまりにも強い違和感に集中し高速化していく。

 なんでしゃがんだままなんだ? 普通は顔をあげて周囲を確認するなり、追撃を避けようと何か動くはずだ。爆破のダメージがでかい? いやシグマなら間違いなく防ぎきるはず東雲が何か追撃をいやアイツにはそんな時間なかったならどうして何かを待っているのかまさか──

 更に加速した思考は、一つの答えを出した。

「東雲、距離を取れ! これは罠──」

「『荒れ狂え(テンペレイ)』」

 振り返ってそう叫んだ瞬間シグマは言葉を呟き、それと同時に全ての金属物が宙に浮いて動き出す。くそっ、何をするつもりだ?

後ろに下がろうとしたその時、何かがとてつもない速度で側頭部に激突した。

「がっ……!」

焼き付く視界でそれを追うと、正体は無数に浮遊していた金属塊だった。何十もの数の金属塊がシグマを中心に、まるで太陽の周りを回る星のように飛んでいる。

冷静に体勢を立て直す暇もなく、続けて第二第三の飛来物が体に直撃し、決して軽くはない一撃を次々と叩き込んできた。前後左右から打ち込まれるまるで土砂降りの雨かのような連撃に一歩も動くことができず、回避どころか最低限の防御さえままならない。

大きなダメージにならない箇所のガードは捨てているというのに、金属塊は体への止まない打撃を続け、腕や足には金属片が突き刺さる。

くそっ、このままじゃまずい。なんとかしねえと……。

 ひとまずこの場から離れようとしたその時。不意に地面に縫い付けられたような感覚が足を襲った。目をやると、金属塊が複数集まって足の周りで固まりがっちりと拘束してきている。

「なっ……!」

「『纏い縛れ(サーキュラス)』」

いつの間に……!

直後、一瞬嵐が停止し、中央にいるシグマが姿を現す。その手元では人間の頭ほどの大きさをした金属塊が浮遊しながら高速で回転しており、高音のうなりをあげていた。

っ、あれはマズい、早く逃げねえと──

「──『射ち砕け(オビド)』」

逃れようと藻搔いた次の瞬間、金属塊は轟音をたてて手元から射出された。それはコンマ一秒にも満たない速度で体に直撃すると、俺を拘束ごと吹き飛ばした。

「……っ、が、ぁ…………っ!」

 電磁砲(レールガン)。

電気を使う能力者が一度、似たようなことをしたところを見たことがある。磁力によって物体を超高速で打ち出す恐るべき豪撃は、とてつもない破壊力を生み出す。

ジェット機との正面衝突。あるいはミサイルの直撃。

そう感じるほどの一撃を受け、俺は一瞬で壁まで吹き飛ばされ激突する。

やべえ……! 意識……が……!

あまりの速度に金属塊が燃え尽きたところで、俺はようやく解放され地面に崩れ落ちる。

全身が砕け散りそうなほどの強力な一撃。とてつもない衝撃に吐血が口からあふれ出た。

激痛に肉体は痛覚を遮断し、意識を途絶しようとしてくる。歯を食いしばってこらえようと試みるが耐えきることが出来ず、視界がひどくぐらつき次第に暗転していく。

く、そ……。こんな、とこじゃ、終われ、ねえ……のに……。

意識を失おうとしている俺の目に映ったのは、再度動きだした破壊の限りを尽くす巨大な金属嵐が、俺を飲み込みとどめを刺そうとゆっくりと規模を増していく姿だった。



「ん……」

 全身の痛みに苛まれて、意識が段々と浮上するように明確になっていく。

 あれ、俺、確か……。っ、そうだ!

 さっきまで自分が何をしていたのか思い出した俺は、横になっていた体を跳ね起こす。

「くそっ、意識飛んでたか!」

「ええ、白目を剥いていたわよ、あなた」

 声の方向を見ると、東雲がすぐ側に立っていた。

「どのくらい落ちてた? 俺」

「せいぜい一分と言ったところね。あんな攻撃食らってその程度で済むなんて本当、丈夫すぎて呆れるわ」

「鍛えてるからな」

 あたりを見回すと、俺たちがいるのはスタジアムの観客席、その一番奥のあたりだった。

 スタジアム中央では未だ嵐が見境なく暴れ続けており、スタジアムは嵐自体と時折嵐から飛び出た金属塊によって、色濃い破壊の跡が刻まれている。

一部を壊されたスタジアム天井からは、月明かりが差し込んできていた。

「私に感謝なさい。気絶したあなたを回収していなかったら、一体どうなっていたか」

「あ? そりゃ俺が警告して余裕が出来たから……っておい、お前その腕どうした」

 いつのまにか東雲の着ているコンバットドレスの左袖は、鮮血で真っ赤に染まっていた。

「どこかの居眠りを捕まえるときに、少しね」

「……悪い」

「応急手当は済ませてある、平気よ。それより、あなたの方が重傷みたいだけど?」

「言うなよ。気にしねえようにしてたんだから」

 俺のスーツはあちこちが切り裂かれ、赤いシャツは出血でほとんどが赤黒く染まっていた。

 腕や足、額からも流血しており、さっきからうっとおしい。

「相当な重傷のようだけれど、戦えるの?」

「クソ痛えよ、死にそうだ。全身これ以上ないってくらいに痛んでしょうがねえが、今は死にそうになろうがケツまくって逃げてられる状況じゃねえだろ」

「それもそうね。……来たわよ」

 東雲が視線を向けた方向を見ると、金属の嵐は次第に小さくなっており、やがて完全に止むと中からシグマが姿を現した。

「おや、生きていたか。今の一撃で仕留めたと思ったのだが」

「生憎、体は丈夫なんでな」

「それで、そちらの作戦はこれで終わりかね? 確かに悪くなかったが、私には及ばない」

「どうだろうな? まだ何かあるかもしれねえぜ?」

「強がるな、今切れる手札はこれで全てだろう。これ以上苦しむことになる前に、今のうちの投降を勧めるが?」

 シグマは一つ、勘違いをしている。向こうからすれば、こっちの必死の手を自身の切り札で潰して、もう俺たちには為す術がないとでも思っているのだろう。

 しかし。

──手札は、切り札はまだ、俺の手の中にある。

「東雲」

 俺は息を吐いて立ち上がると、東雲に声をかける。

「何?」

「今から最後のとっておきを出す。駄目そうになったらお前だけでも逃げろ。……もし俺が死んだら、小次郎の事件、託しても良いか?」

「…………分かったわ。あなたが死んだら、葬式で記念の花火をあげてあげる」

「はっ、んなこと言われちゃ死ねねえな」

「無駄だ。今更どうあがこうとお前達はここで死ぬ。大人しく死を受け入れろ」

「いいや、シグマ、アンタは一つ勘違いをしているぜ」

 こちらを睨み付けてくるシグマに、俺は笑ってそう返した。

「なんだと……?」

「切り札っつーのはな、最後まで切らなかった方が勝つんだよ……!」

 掌を上へ向け、道化師のカードを出現させる。

「黒の道化師・手札公開、緋の先駆者……!」

 カードは回転するとハートのエースに変わる。シグマはそれを見ると鼻で笑った。

「何かと思えば、ただの一つ覚えじゃあ……」

「血の代償(サクリファイス・レイズ)……!」

「!?」

 追加のフレーズを唱えた瞬間、さっきまで一枚だったハートのエースが新たにもう一枚増え、二枚の赤いカードが掌の上へ出現している。

 俺は躊躇無く二枚両方を手で砕く。直後、体をつんざくような雷光が走る感覚と同時に、体に今まで以上の強い力がみなぎっていくのが分かった。

「──ふり飛ばすぜ」

次の瞬間、雷光が走る。

 いや、正確には今までとは比較にならない速度で走り抜けた俺が、反応すら出来ていないシグマを全力で殴り飛ばしていた。その早さは人間の目にはそうそう終えないもので、おそらく普通の人にはただ雷光が走っていただけのように見えているだろう。

シグマはどうにか受け身をとるものの、膝は震え、明らかな動揺が表情に出ていた。

「一体、何を……!」

 驚くのは当然だ。だってこれは、師であるシグマでさえ知らない、俺が生み出した新しい能力の使い方なのだから。

 使い方を模索していくうちに黒の道化師が開花させた能力の一つ、血の代償。体へかかる負担が倍以上になる代わりに、倍の出力で戦えるようになる能力展開。当然、ただでさえ大きい緋の先駆者の負担が更に倍以上になるわけで。俺は雷光と化す一撃を放つ代わりに腕から多量の出血をし、拳には砕けそうな激痛が走っていた。

 だが、そんな痛みも今は全く気にはならない。痛みよりも、何よりも、今は目の前に立つ相手を倒さなくちゃならない。おそらく、今まで受けたダメージを考えるにあまり時間も残されていないだろう。俺が反動でぶっ壊れて倒れるのが先か、こっちがシグマをぶっ飛ばすのが先か。息を深く吐き出し、再度拳を構える。

「さあ、ファイナルラウンドと行こうぜ……!」

「良いだろう。これで幕引きだ!」

 シグマがそう叫ぶと同時に、数え切れないほどの金属塊と巨腕が俺たちへ向けて迫り来る。

「行くぞっ!」

「ええ!」

 俺たちは同時に左右へ別れて走り出す。こっちへは遠距離からの金属塊が、東雲の方へは巨腕が繰り出され、こちらの得意な戦い方を妨げようとしてくる。

 しかしそれを見た瞬間、俺は東雲の方へ跳び、東雲は扉で俺が元いた方へ移動して入れ替わった。そして巨腕を殴り砕き、金属塊はダイスと弾丸で破壊される。向こうの攻勢を突破した俺は瞬時に距離を詰め、全力の拳を振るった。金属塊を展開して反撃しようとしたシグマだったが、それよりも早く俺が迫る。

「うおらあっ!」

「ぐっ……!」

 咄嗟に盾にした金属塊ごと殴り飛ばすと、シグマは苦しげに呻いて数メートル後ろに飛ぶ。

 体勢を立て直そうとしたところへ追撃をかけるが、すかさず差し込まれた巨腕の拳が飛んできた。しかしそれすらも凌駕する速度で前へ出た俺は、シグマが打ち込んできた打撃を食らいながらも全力で胴体へ右の拳を叩き込む。吹き飛び壁に叩き付けられたところへ、東雲のダイスが投げつけられると派手な音と共に爆発した。

「まだだっ!」

負けじと金属塊に乗って飛び出してきたシグマは金属槍を繰り出す。俺は横に跳んで躱そうとするが、足下から飛び出した鎖が足を縛り付けて拘束してきたかと思うと、複数の巨腕による乱撃が襲ってきた。

「っ……! 負けるかよ!」

巨腕を真っ正面から受けとめそのまま砕くと、即座に加速した俺は再びシグマに接近をする。そして一瞬で背後に回り蹴り飛ばし、東雲が開いておいた扉に叩き込んだ。勢いよく扉から飛び出たシグマへ銃弾が放たれるが、すんでのところで金属槍がそれを弾き落とす。

「おらあっ!」

 そこへ拳を喰らわせようとしたが、巨腕の一つがいくつもの金属槍へ姿を変えるとこちらへ乱れ打ちしてきた。躱そうと横に跳ぶが、俺の動きを予想して打ってきたのだろう巨腕が直撃して吹き飛ばされる。

「ぜってえに、止めてやる……!」

「いい加減、しつこいぞ……!」

 絶え間ない攻防を繰り広げながら、乱れた呼吸で言葉を交わす。

「何故だ、何故お前はそこまで命を懸けて戦う! 探偵協会に、それほどまでの価値がまだあるとでも言うのか!」

「それは違え!」

 連射される金属塊を叩き落としながら俺はそう叫んだ。

「!?」

「探偵協会そのものを守るために戦ってんじゃねえ。俺は、俺たちは自分の大切なもんのために戦ってんだ!」

 俺に能力を託した後、小次郎が掠れた声で発した言葉を思い出す。

『僕が死ねば、布石は、打ち終わる。後は託したよ。……九郎』

 金属塊をかいくぐり、乱れ降る金属槍を殴り落として迫っていく。

「小次郎だってそうだ! アイツは自分が死ぬまで、探偵として、みんなの平和を守るために戦い続けた! アイツがなんで助けを求めなかったか分かるか!? 自分が死んでも、託されたアンタが、俺が! きっとその意志を継いでくれると信じていたからだ! そんな簡単なことすら、アンタは忘れちまったのかよ!」

「……!」

「俺は探偵として、小次郎から受け継いだもんを代わりに背負って、アイツの分まで守るために戦い続ける! そのためにも、こんなところで負けられねえっ!」

 真っ正面から激突してきた巨腕を、右の一撃で粉砕した。

「大体、正論ぶってはいるが結局小次郎の願いを裏切ってんじゃねえか!」

「なんだと……!」

 金属塊が俺を取り囲むが、放たれたダイスが爆発してすべてを打ち落としていく。

「てめえが壊そうとしてんのは、小次郎が守ろうとしたもんじゃねえのか!?」

「っ……!」

「アイツを信じて前を向けよ! てめえは小次郎の、バディーだろうがぁっ!」

 次々に繰り出される至近距離での槍を躱した俺は、シグマの横っ面をぶん殴った。

「ぐおおっ……!」

 苦悶の表情を浮かべ、シグマは吹き飛ばされていく。だがすぐに姿勢を立て直すと巨腕を生成し、すぐさま反撃に転じてきた。土砂降りの雨のように降り注ぐ金属槍を素早いステップで躱していく。

「そんなこと、とうに分かっているっ……! なら私の身を焼くこの炎は、どうやって消せば良い! 今も、今も内から叫び続けるのだ! 小次郎の仇を討てと、奴の受けたものよりも大きな傷を、世界に刻み込めと! 私は、こんなところでは、終われないっ! この歩みを止めるには、命を踏みにじりすぎた……! こんなところで止まれんのだ! 『荒れ狂え』っ……!」

 怒濤の嵐がスタジアム内に轟き響く。地面すら抉って俺たちを排除しようと荒ぶる破壊嵐は、あまりの勢いにまるで断末魔のような音をたてながら迫ってきた。

「シグマぁっ!」

 名前を呼ぶが返事はなく、その代わりに今度は二つの嵐が現れる。

 片方は先ほどと同じシグマを中心としたもの、そしてもう一つはスタジアムの芝生部分を丸々囲うような巨大なものだった。俺たちは二つの嵐に挟まれる形になる。飲み込むものを次々に破壊していく二つの嵐は、轟々と音を立てながらゆっくりとその間を狭め始めていた。

「くそっ、どうにかしねえと……!」

 周囲を見回し今の状況を打開する物がないか確認する。しかし、今の荒れ果てたスタジアムには当然ながら瓦礫程度しか物は無い。

 くそっ、最悪のピンチだ。どうする、どうする……!

 考えていると、ふと顔に上から明かりが差し込んできた。

 明かり? そういや、さっきの一撃で天井が崩れてたんだったな……。……いや、待てよ。

 俺は穴の空いたスタジアム天井と嵐を見比べる。そして、一つの答えを導き出した。

 違う。今が最大のチャンスだ!

「東雲っ!」

 俺は大声で東雲を呼ぶと、崩れて穴が空いているスタジアムの屋根を指さした。

「…………っ! ええ!」

 東雲は少しの間固まっていたが、俺が何をやろうとしているのかに気づくとすぐさま扉で横へ現われる。俺は東雲の背中と膝の裏あたりに手を回して抱きかかえると、全力で上へ跳んだ。

 しかし、さすがに届きはしない。屋根にまで到達する前に失速すると上昇は停止し落下し始める。そこで東雲はワイヤーガンを取りだし、屋根へ向けて打ち出した。

 俺がワイヤーガンを掴むと同時にトリガーが引かれ、ワイヤーは音をたてて巻き取られ始める。あっという間にスタジアムの天井上まで飛び上がると俺たちは着地した。

「うっし! 東雲、ダイス寄こせ!」

「怖じ気づいて失敗するのはやめてちょうだい!」

 そう言いながら東雲はダイスを手渡してきた。

「任せろ、下はあんま見ねえようにする!」

 それを受け取った俺は後ろへ数歩下がると、助走を付けて屋根から跳躍する。高さは嵐を超えており、空中からは嵐の中央に立つシグマの姿が見えた。

 嵐の操作に集中しているのか、微動だにせず掌を嵐へ向けている。

 この高さなら嵐に阻まれずシグマの元へ到達できるが、それには少し横の距離が足りない。

 だから、コイツで埋める……!

 俺は受け取ったダイスを握りしめると、手を後ろへ回して背中側へ投げる。

 次の瞬間、炸裂した爆薬と空気圧が俺を強く押し出し、嵐の中央へと吹き飛ばした。

「届いたっ……!」

 俺は拳を構えると、落下しながら狙いを定める。ダイスの音で気配を察したのか、シグマが顔を上げてこちらを見ていた。

「なっ……!」

 空から落ちてくる俺に対してシグマは驚きに目を見開くものの、すぐに対応して金属盾を何重にも展開する。だがもう遅い。

「おらあっ!」

 重力の乗った右の拳は盾を容易く叩き割ると、落下点の地面を抉る。

 しかしシグマ自体には当たらなかったが、これで嵐の中に飛び込めた。

──これなら。

 今この時、相手の策を乗り越えて予想外の隙を見せたこの瞬間なら。

 必殺の一撃を、ぶち込める。

「緋の先駆者、完全解放(カーディナル・エース、オールイン)……!」

 俺がそう唱えた直後、つんざくような雷鳴と共に激しい赤雷が右手に顕われる。右腕はまるで血が沸騰しているように熱くなり、周囲の空気は慄いているかのごとく震えだした。

 そのまま拳を更に固く握りしめ、振りかぶろうとすると、

「甘いっ……!」

 そう言ってシグマがジャケットの前を開く。そこにはベストのように金属の膜が体にまとわりついていた。膜はシグマの体を離れると盾を形成していき、やがて俺とシグマの間には一枚の分厚い障壁が展開された。

 今のままではこの盾に阻まれ、全身全霊の一撃は威力を削がれてしまうだろう。

 ここまで仕掛けてもシグマはこちらの一歩先を行き、俺たちの攻勢は届かない。しかし。

「んなこと想定済みなんだよ……!」

シグマが常に俺たちの一歩先を行くというなら、こっちは二歩先に居れば追いつける。

俺は懐からとある物を取り出すと、ほんの数秒の後、素早く安全装置を外し盾へ向けて引き金を引いた。直後、盾は爆散し、中から驚きの顔をしたシグマが現われる。

「っ……!」

 にやりと笑う俺の左手には、一丁のショートショットガンが握られていた。

 通常の物と違って、装弾数はたった一発。その代わりに銃弾には爆薬が仕込まれており、着弾と同時に四方に炸裂し一発だけでとてつもない破壊力を誇る。それこそ、構築された堅牢な盾を一撃で破壊するほどに。

 これも俺が隠し持っていたとっておきの一つだ。

 盾の破片と爆発の熱煙が舞う中を、俺は躊躇なく前へ進んで距離を詰めた。すぐに晴れた煙の中からは、わずかに動揺で揺れたシグマの顔が見える。だがそれもつかの間、こちらが見えたと同時に構築していた金属槍を放っていた。

 素早く前に進んでいた俺は躱しきれず、すぐ目の前にまで飛来した槍の正面へ突っ込んでいく。あと少しで槍の切っ先が胴体を捕らえ、容易く貫いていきそうなその時。

「……っ!?」

 次の瞬間、シグマはまるで幽霊でも見たかのような表情で目を見開いた。

 それもそうだろう、俺のことをよく知っているシグマなら尚更だ。何故なら。

──何故なら、シグマの前に立つ俺の方へ飛んでいった金属槍は、突如として体に開いた扉によってすり抜けていき、その右手には先ほどまで轟いていたはずの雷光がなかったのだから。

 シグマが反応したのは一秒にも満たない時間の後、それだけで思考を回し現状を理解しこちらの意図を汲み取ると、真後ろに振り返って反撃しようと金属槍を構築し始める。

「よう……!」

 扉から飛び出しシグマの背中側から近づいていた俺は、不適に笑みを浮かべてみせる。

 あの一瞬ならバレねえと思ったがさすがシグマだ。もう気づきやがったか。

 二歩どころか三歩先。これだけの仕掛けで上回ってなお、シグマ相手に生み出せたのはたったそれだけのわずかな時間のみだった。

──だが、それで良い。たった数瞬さえあれば、この勝負を決める一撃は届きうるのだから。

 シグマの正面へ立っている方の俺はいつも通りの無愛想な表情でこちらへ一瞬視線を向けると、足下へ扉を開きそこへ滑り込んで逃げていった。

 これなら巻き込む心配も無い。思いっきりぶっ飛ばす……!

「私が、こんなところで……!」

「終わるんだよ、ここでな……!」

 芝生の地面が引き飛ぶ抉れる勢いで、地面を強く踏みしめる。

「『射ち(オビ)』」

「遅えっ!」

 この戦いで放つ、最後の攻撃。しくじりゃ終わり。倒せば勝ち。つんざくような雷鳴を轟かせているこの拳が、俺たちの明日を決める。

 全身全霊を、ありったけを、この一撃に。

「──緋閃の雷槌(イグニトゥルス・バースト)ぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 俺はそう叫ぶと同時に、残された全ての力を使って拳を振るう。

 大気をつんざきあらゆる物を砕き荒ぶる雷霆が、中途半端なところで放たれた電磁砲を容易く破壊して、シグマの体へ突き刺さった。

「がっ、はあっ……!」

「うおおおおおおおぉぉぉぉらあああぁぁぁぁぁっ!」

 あまりの威力の大きさから起きた雷光を伴う爆発と共に、俺は喉が張り裂けそうなほどに叫びながら、拳を全力で振り抜いた。

 雷そのもののような一撃を叩き込まれたシグマは全力投球されたボールのように吹き飛ぶと、数十メートル離れたスタジアムの壁へ派手な音をたてて衝突する。

 舞い上がった粉塵によってあたりは包み込まれ、視界は遮られ何も見えない。しばらくスタジアムに何かが崩れる音が響いた後、それまでの激闘が嘘かのように静寂に包まれた。

 今の一撃は確かに手応えがあった。頼むからこれで倒れてくれよ……!

その時ちょうど能力が解除され、雷光は激しく放電すると体から消えた。

同時に能力の反動が訪れ、俺の体はとてつもない倦怠感と激痛に襲われる。

「……っ!」

 いっそ気絶してしまいたいほどの痛みが襲ってくるが、ここで気を失うわけにはいかなかった。俺は歯を食いしばりながら煙の奥を睨み付けるが、反撃が飛んでくることはない。

だが、これがシグマの作戦だという可能性もある。もし、もし倒せていなかったら。

最悪の場合を考えて、いつでも能力を発動する準備をしておく。今使えば反動で確実に死ぬだろうが、それでも二人まとめて死ぬよりマシだろう。

しかし、いくら待ってみても、何も起きはしない。

「なんだ? 終わった、のか……?」

 シグマは、倒せたのか……? そういや、東雲もどうなったんだ……?

 確認しようと一歩を踏み出したその時、糸が切れたように足が動かなくなった。

「あ……?」

 足下へ目をやろうとすると、いつの間にか地面がすぐ目の前にまで来ている。

 いや、俺が倒れてんのか。

 それを理解した瞬間、意識が途切れた。



「──ん」

 っ……、痛ってえ……。

「──くん」

 誰かが、俺の名前を呼んでる……?

「──棺君!」

 その声に導かれるようにして、俺は瞼を開ける。

 するとすぐ目の間に、こちらを覗き込んでいる東雲の顔があった。

「うっせえな……起きてるよ」

 唸るようにそう答えると、東雲は安堵したようなため息を吐き出す。

「そう、なら介抱はいらないわね」

 直後、頭が少しの間浮遊してから芝生に衝突した。

「ってえ……! おい、いくらなんでも落とす奴があるかよ!」

 立ち上がって文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、もう起きるのも億劫だった。

「で、お前の方は無事か……?」

「私は大した傷じゃ無いわ。そっちは?」

「ああ、死にゃあしねえよ。全身ボロボロだけどな……そういや、シグマは?」

「向こうよ。既に拘束してある」

「連れてってくれ」

 肩を支えられながら立ち上がってあたりを見回す。

 スタジアムは俺たちの攻防で生み出された衝撃により、あちこちが破壊されて酷い有様になっていた。これじゃあしばらくはまともに使うことは出来ないだろう。

 その惨状の中を少し歩くと、壁にもたれかかっている人影が見える。

 相手は俺の顔を見ると、力ない笑みを浮かべて口を開いた。

「どうやら私の完敗のようだな、九郎」

 かなりボロボロの姿となったシグマの手には既に能力封鎖手錠がかけられており、足は鋼鉄製のワイヤーで近くのポールへしっかりと繋がれていた。

「もう宝石もペンダントも奪い返してある、起爆装置も停止済み」

「シグマ……」

「ふっ、探偵の卵たった二人、それも片方はよく知った相手だというのに、まさか計画を頓挫させられようとは。私も、ずいぶんと落ちぶれた物だな」

 先ほどまで威圧感で満ちていたはずだというのに、すべてが終わった今は見ていられないほどに弱々しく小さく見えた。

「殺せ。お前たちにはそうしたい理由も、その権利もある」

「そうね。そうさせてもらうわ」

 自嘲気味に笑って告げたシグマの言葉に対し、東雲は躊躇無く拳銃を取り出すと、マガジンを装填して銃口をシグマの額へと向けた。

「おい、東雲……!」

 俺は体を引きずりながら二人の間に割って入る。

「止めないで、私がこう動くことくらい、戦う前から分かっていたことでしょう?」

「……ああ」

 相対する目には迷いが無い。

 俺がどこうものなら、すぐさま拳銃の引き金を引いてすべてを終わらせるだろう。

「ならそこをどきなさい。あなたごと撃ち抜くわよ」

「それは、出来ねえ」

「……ふざけないで」

 銃口が、シグマから俺の額へ向けられる。

「ようやく、ようやく見つけたお父様の仇なの! ずっと殺したいと願い続けた標的を殺すチャンスが、やっと転がってきた! この機会を逃すわけにはいかない!」

 東雲がはっきり感情を出す姿を、初めて見た気がする。

 まだ知り合って一週間も経っていないはずだが、それでもそれなりに付き合いがあるコイツが初めて見せたはっきりとした感情が憎悪だというのは、少しだけ残念だ。

 鬼気迫る表情で思いを叫ぶその言葉に普段の皮肉な様子はなく、拳銃を握る手は震えている。

 目の前にいるのは巷で噂のなんでも盗み出すやり手の怪盗ではなく、ただ家族を思って戦い続けてきた少女だった。

「止めるな九郎、彼女は正しい。その思いは遂げられるべきだ」

「悪いなシグマ、アンタは死なせねえよ」

 後ろから飛ぶ肯定の言葉を、すぐさま否定した。

 立つのもやっとな足で、それでも東雲の前へ立ちはだかる。

「もしあなたにとって大切な人が殺されて、その犯人を捕まえられたとしても。それでも、あなたは手を出さずに、平気な顔をしていられるって言うの……!」

「ああ。そうだとしても、俺は殺さず捕まえる」

「綺麗事は聞きたくないわ!」

 東雲の声は、もうほとんど絶叫に近かった。

「いいや、綺麗事じゃないさ。俺はどんな奴が犯人だろうと、誓って殺しはしない」

「なんで、どうしてそこまで言い切れるの!」

 どうして、そこまで言い切れるのか。

 その答えは明白だ。いつだって、俺はその信念で動き続けてきたのだから。

「それはな、俺が探偵だからさ」

「探偵? ……だから、どうしたって言うの」

 更に視線を険しくした東雲は、拳銃の撃鉄を下ろした。

「知ってるだろ? 探偵は危ねえ時に皆を守って、犯人がいれば捕まえるのが仕事だ。痛めつけて、死なせるのが仕事じゃねえ。ましてや殺すなんて御法度だ。例えどんなに恨んで恨み尽くして、あらゆる手を使おうと殺したい相手であってもな……!」

「私は怪盗よ! そんなものは関係ない!」

「ああ、そして俺は探偵だ。だから命をかけてシグマを守る。罰を受けさせるためにも。だから、シグマを殺したければ先に俺を撃て」

「……!」

「お前の仇を取りたいって気持ちは否定できねえ。お前をぶっ飛ばすこともしたくねえ。だから俺に出来るのは、命張って覚悟を見せるってことだけだ」

 最後の力を振り絞り、両手を広げて東雲の前に立ち塞がる。

「もうほとんど動けねえからな。そのまま頭をぶち抜けば俺は即死だ。お前の秘密を知っている人間を殺せる上に、最悪なバディーを排除できる。お前に取っちゃ良いことづくめだろ?」

「よせ、九郎……!」

「……自分が盾になれば、私が撃てないとでも?」

「はっ、んな計算出来るタマだと思うか?」

 もう足下がおぼつかなくなってきたが、俺はそれでも笑ってみせる。

「だけどよ。俺の命は、お前に救われたもんだ。てめえに撃たれて死ぬって言うのなら、まあ、いいさ。そん時は悪いけど、さっきした約束のことは頼んだぜ」

「…………っ!」

「お前が決めろ、東雲玻玖亜。さあ、どうする……!」

 東雲の顔は葛藤に揺れているようにも、怒りに震えているようにも見えた。

 銃を持つ手はまだ震えており、上手く狙いを定められていない。

 短いようで、とてつもなく長いような時間が、俺たちの間に流れた。

数十秒か、それとも数分か。遂にどちらを選ぶか覚悟を決めたのだろう、東雲は息を一つ吐いて冷静に拳銃を構え直す。そのまま引き金に指をかけると、一息に引いた。銃口から飛び出した弾丸は、火薬の匂いと共に飛んでいく。そして。

 ──そして、何も撃ち抜くことは無く、地面を貫いていった。

「……東雲」

「……腕の痛みで狙いが偶然外れた。それだけよ」

「一体、何を」

 顔を上げたシグマは唖然とした表情でそう尋ねる。

「あなたのことは、殺したいほどに憎い。お父様のことを考えると、どんな仕打ちをしても到底足りはしない。……だから」

 憎悪の滲んだ声でそう呟きながら歩み寄ると、シグマを睨み付ける。

「罪を償いなさい。あなたが行ってきた罪以上の善行を積み上げ続けて、私に、今この時殺さなかったことを正しい判断だったと、そう思わせてみなさい」

 淡々と語られていく言葉は、しかし暗闇に光る灯台の光のような強さを持っていた。

「それが、あなたを見逃す条件。もしそれを破るようなことがあれば、今度は怪盗ですらなくただの復讐者として、あなたを生まれたことを後悔するような暗闇へと落とす」

「許すのか? この、私を」

「許したわけじゃあない。ただ、大罪を犯したあなたを、命を張ってでも公平な裁判の場へ立たせようとしている、どうしようもなく愚かで、探偵に首ったけの馬鹿な人間がいたから、仕方なく見逃してあげるというだけ」

「東雲……」

「勘違いしないで。あなたには命を救われたし、共に事件を解決した協力者でもある。だからその借りを返してあげるというだけ」

「それでも、ありがとな」

 きっと、簡単なことではなかっただろう。

 アイツはずっと父親の敵を探して、そのために怪盗として一人孤独に戦い続けてきた。そこまでさせた決意を、俺はたった今捨てさせた。

 東雲には世話にもなったし、そういう意味でも、感謝しなければならない。

 いつもなら突っかかっていた馬鹿という言葉も、今は飲み込んでおこう。

「……そう。……さっきから、疲れてしょうが無いの。あっちで休んでいるわ」

「おう」

 背中を向けて離れていく東雲は、途中で振り返ると口を開く。

「後、さっき馬鹿という言葉を無視していたけれど、あなたは自分が類人猿にすら劣る馬鹿だと認めた、ということでいいのかしら?」

「てめえふざけんな覚えてろよ」

 前言撤回、やっぱりアイツは後でしばく。

「さて、と」

 アイツのことは置いておいて、俺はシグマに向き直る。

「……このままここで殺されるのが末路だと思っていたのだが、どうやら、何もかも私の思い通りにはいかないらしい」

「既にずいぶんと暴れてくれやがったんだ、これ以上好き勝手させるかよ」

「それも、そうだな」

 俺とシグマの間に、わずかな沈黙が流れる。

「……アンタは、とっとと吐き出すべきだったんだ。辛いって、悲しいって、助けてくれって。子供みたいにダダでもこねて泣きゃ良かったんだ。なんで、一人でずっと抱え続けちまったんだよ」

「出来るわけ、ないだろう。子供のお前に『私のせいで小次郎は死んだ』と、言えると思うか?」

「小次郎が死んだのは、お前のせいじゃ」

「いいや、私のせいだ! 私が! ……私が、アイツの背中を守れるほどに強ければ、あんなことにはならなかった」

 俺の言葉を遮ると、最初は絶叫するように、だが言葉尻は消え行くように、シグマは叫んだ。

「そうだ。私は怖かったんだ。小次郎に懐いて憧れていたお前に、弱かった自分のせいでアイツが死んだのだと言われることが、私は怖かった。だから……」

 言葉の途中で、俺はシグマの頬を殴りつけた。

 ボロボロの腕が更に悲鳴を上げるが、そんなことは気にしない。

 シグマはあっけにとられた表情でこちらを見つめている。

「言うわけ、ねえだろ……!」

 俺は歯を食いしばって睨み付けながら言葉を続ける。

「なんで俺がさっきの能力を見せてなかったか分かるか!? それはな、使いこなせるようになったらアンタにいきなり見せて驚かせようと思ってたからだ!」

 しゃがみ込みシグマの胸元を掴んで、俺はまだ出血している口で叫んだ。

「私に……?」

「ああそうだ! あの能力はまだ未完成で暴発の可能性もあった。だからちゃんと使えるようになってからアンタに見せるつもりでいた!」

 そう、あの能力は発動がそもそもの賭けだ。五割程度の成功率しかない上に、失敗すれば一日はまともに能力が使えなくなる。

 だから確実に成功するようになるまでは、シグマに見せたくなかった。

「……アンタに、褒めて貰いたかったから」

「九郎……」

「それにだ! アンタは言ったよな、小次郎という光を失ったって!」

 今でも思い出せる、小次郎が死んだ日の衝撃を。シグマほど絶望してはいなかったが、それでも、生きていくのに大事な支えを失ってしまったような気分になった。

「確かに小次郎にはたくさんのことを教えてもらったし、探偵科に入った今アイツがどれだけ探偵として立派な奴だったのかがわかる! すげえ尊敬しているよ! でもな!」

 目の前にいるバカが一言一句聞き逃さないように、はっきりと言葉を口にする。

「アンタが自分のことをどう思っているかは知らねえ! それでも! ……それでも、俺にとっては小次郎と同じくらい、アンタも輝いて見えてる。今も、その背中を追いかけているところだよ」

「……!」

 シグマは何も言うことなく、ただその瞳を見開いた。

 そして微かに笑い、首を横に振って項垂れる。

「私は、そんな立派な、誰かに追いかけられるような人間ではない。矮小で、卑屈な人間だというのに。お前たちは、私を信じ笑いかける。本当に、どうしようもない馬鹿だ。お前も、アイツも」

 多くの傷と皺が刻まれたシグマの頬を、涙が伝っていった。



あたりを見回すと、スタジアムの壁にもたれるように座り込んで東雲が休憩しているのが見えた。俺は体を引きずってその横へ行くと、同じように腰掛ける。

「榊原シグマは?」

「気絶したよ。アイツも相当無茶してたんだろ」

 そう答えて、一つ伸びをする。全部終わらせて気が緩んだのか、体中から一斉に無理をし続けた反動の悲鳴が上がっているのが分かる。こりゃ下手しなくても入院コースだな。

「そう」

 東雲はいつも通りの表情でそれだけ返事をすると、視線を空へ向ける。

「はあーあ、これで全部、片が付いたか」

「ええ、後は警察に任せましょう」

 同じように空を見上げると、そろそろ夜明けなのだろう、遠くの方から少しずつ空が白んできているのが見えた。

「終わったな」

「終わったわね」

 空を見たまま、俺も東雲も相手の顔を見ることなくただ会話を続ける。

「疲れた。マジで今まで遭遇した事件の中で一番疲れた……」

「私もよ。ここまで消耗させられたのは初めて」

「確か、俺らが巻き込まれ出したのが確か七日くらい前のはずだから……、嘘だろ、一週間しか経ってねえのかよ!? 実感ねえー、もう半年くらい経った気がすんな」

「あら、その若さで老化かしら?」

「やめろ、笑えねえかもしれねえだろ」

 この歳でボケでもしたら、マジで笑えねえ。

「あなたと組み始めたときはまさか、こんな最悪な状況にまで追い込まれるとは、予想だにしていなかったわ」

「それを言いたいのはこっちだっつーの。組んだ相手が怪盗だったって気づいた時には、どうしたもんかと思ったもんだ」

「でも、私たちは事件を解決した」

「ああ、そうだな。俺らの勝ちだ」

「実際には、紺の協力もあってのものなのだけれど」

「勝ちは勝ちだ。胸張って帰ろうぜ」

「ええ」

「……そういや俺、後で九条路へ金払わなくちゃな」

 あまり値段を見ずに即決したような気がするが、よく思い出してみればあの時見せられた額、結構値が張っていた気が……。

 ……やめだやめ。そんなのはとりあえず後で考えりゃあいい。

 現実を放り出し、今は勝利の余韻に浸ることにする。

「紺は差し押さえをしてでも確実に取り立ててくるわよ」

 その言葉で、俺は一瞬にして見たくない現実へ引きずり戻された。

「マジかよ。……ちなみに、一緒に事件を解決した仲っつーことで金貸してくれたりは」

「一銭たりとも貸す気はないわ」

「だろうなわかってたよわかってたっつーの!」

 叫ぶように答えて、後ろの壁に頭を軽く打ち付ける。

 体はボロボロ、財布はペラペラ。なんて日だ。

 あーあ、頑張ったで賞とかで探偵協会から報奨金出たりしねえかな……。

 ため息を吐いただけで体中が痛み、俺は軽く咳き込む。

「後、五十六さんにも謝りに行かねえとな……」

「そうね。それになら、付き合ってあげる」

「そりゃどうも」

 再度空を眺めていると、どこからかけたたましいサイレンの音が少しずつこちらへ向かっているのが聞こえてきた。

 おそらく通報をうけたのであろう警察が、もう俺たちのいるすぐ近くまで来ているらしい。

「東雲」

 今度こそは変な差し金の入った奴じゃあねえだろうな、なんてことを考えながら、隣に座る少女へまた声をかける。

「何? これ以上泣きつかれてもうっとおしいから、お金であればトイチの利子で良いなら貸してあげるけれど」

 こっちを見て毒づいてきた東雲に、俺は違えよと言ってから手を掲げて見せた。

「確か、ハイタッチは知っているんだったよな?」

 東雲は俺のやりたいことを察して目をわずかに見開くと、

「ええ、もちろんよ」

 と言って微笑む。

 それは始めてコイツが演技などではなく、自然に見せた笑顔だったと思う。

 東雲の奴、そんな表情も出来たのかよ……。

 さっき見せた怒りの顔よりも遥かに上を行くその微笑みの衝撃に、俺は思わず言葉を失って呆然とさせられる。

「どうかしたの?」

「あ、ああいや、なんでもねえよ」

 もうちょっと普段からそういう表情を見せていたら、多少は可愛げがあるだろうに。なんて言ったらコイツはきっとまた嫌味を言うのだろう。

 だからその言葉を胸の奥にしまって、改めて手を上げる。

 同じように東雲も、俺とは反対の手を掲げた。

「んじゃ、お疲れさん」

「お疲れ様」

 俺たちは短く言葉を交わすと、互いの手を叩き合った。

 気持ちの良いハイタッチの音が、空へ高く響く。

 それと同時に夜明けを示す眩しい太陽の光が、スタジアムへ差し込んできた。 

   


エピローグ シロ×クロ=バディー!



 入戸高校探偵科、上階に位置する校長室。

「棺九郎並びに東雲玻玖亜。二人を今日付で退学処分とする」

 二人並んで立つ俺たちへ向けて、椅子の上で仁王立ちをかました久遠寺先生は、いつもとは全く違った冷たく響く声色でそう言った。

「……あの、先生」

「なんて事態になる可能性は、今回十分にあったんだからね、もう!」

 言葉に詰まった俺が何を言おうかと考えていると、いつもの子供らしい口調で怒り出すと子供らしく頬を膨らませた。

「悪い悪い、でも事件は解決したんだ。大目に見てくれよ」

「結果良ければ全て良し、なんてことじゃないなーい! 今回は事件解決の為必要な行動だったってことでアタシちゃんがどうにか説得したけれども、警察からの逃亡や勝手な調査だなんて、本来なられっきとした犯罪なんだからね!」

 机をばしばしと叩きながら、久遠寺先生は説教をしてくる。

「わかってるよ、色々と迷惑かけたことについては、反省してるって」

「反省じゃ済まされなかったから、一週間も謹慎してたんでしょーがっ!」

「は、はい……」

 一週間の謹慎と、五千字の反省文。それが今回俺たちが起こした騒動に対する罰だった。

 もっと厳しい物だと覚悟していたが、校長や今回の事件に関する真実を知った他の探偵や探偵協会員が何人か協力してくれたらしく、そのおかげで大分罰は軽くなった。

 本当、動いてくれた人たちには頭を下げても下げきれない。

 加えて情報統制もかけてくれたらしく、俺たちのことは実名も出ず、冤罪をかけられた入戸高校探偵科の生徒とだけ報道されていた。

 おそらく、これなら俺と東雲の秘密もバレていないことだろう。

 事件から一週間以上経つ今日になっても、誰もこちらの秘密へ触れてくる様子は見られない。

「もう、協力してくれた他の探偵協会員にも感謝してよ?」

「すみません、校長先生。今回のことは強く反省しています」

「お、俺もマジに本気でガチに反省してるからさ、本当、すんませんでした!」

 俺たちはそろって頭を下げる。

 実際、久遠寺先生がかばってくれなかったらどうなっていたかわからないからな。

 退学で済めば御の字、刑務所行きだってあり得ただろう。

「むー。そこまで真摯に謝られちゃうと、これ以上責めたらまるでアタシちゃんがワル中のワルになりそうでやだなー」

 罰の悪そうな顔になると、校長は椅子にもたれてくるくると回り出す。

「しかも、本当だったら大人が助けるべきところを子供たちだけで行動するしかないような状況においたわけだし? そう考えると、ちゃんと庇えなかった学校の方が悪いんだけどさ……」

「校長……」

「ま、とりあえず九郎君と玻玖亜ちゃんが無事で良かった。まだいくつか問題は残っているけれど、ひとまずそれを喜ぼうか」

 校長はため息をついてからそう言うと、いつも通りの表情に戻った。

「それでセンセ、シグマの方は……」

「うん。今のところは素直に自白してくれているよ。重い罪だし実刑は免れないだろうけど、協力的な態度や動機になった羅刹事変の際の探偵協会の対応、その他諸々を考慮して死刑や終身刑はないってさ」

「よかった……」

 思わず胸をなで下ろす。正直、自分たちの扱いよりもそこが一番心配だったからな。

「ただシグマちゃんが教えてくれた裏の協力者の方は駄目だったよ。てんで情報が出てこなくてもう参っちゃう。トカゲの尻尾切りって奴」

「何も手がかりが出なかったんですか?」

「綺麗に痕跡消しちゃってさ。もう全然駄目だわ~」

「ちっ、自分たちだけとっとと逃げるのかよ」

 散々こっちのこと荒らし回っといて、状況が不利になったと見るや撤退。

 一番俺が嫌いなタイプだ。

「でも、しばらく奴らは動けなくなったんじゃないかなあ。栄町異聞街あたりは今、探偵も雷禅の方の人員も目を光らせているし。しばらくはおイタが出来ないと思うよ」

「なら、良いんですけど……」

「校長、榊原シグマが仕掛けた爆弾の方はどうなりましたか?」

「そっちはうちと警察、それから雷禅で手分けして解除したよ。通報前から危険物が仕掛けられた可能性は察知してたからね」

 すげえな。どうやらシグマが言っていたとおり校長も相当のやり手みたいだ。

「というわけで、今回の報告は以上! 他にもいくつか話しておくべきことがあるけど、まあ二人とも謹慎から明けたばっかだしアタシちゃんも今日は気分が乗らないのでまた今度!」

「それでいいのかよ……」

「モウマンタイ! だって校長アタシちゃんだし!」

 ……このやりとり、バディーを組んだ初日にも聞いた気がすんな。

「改めて二人とも、今回は色々と前代未聞の事件だったけど、よくぞでこの難事件を解決してみせました。まあ、ちょっとやり方はあれだけど、それでも入戸高校の校長として、君たちを誇りに思います! てなわけで、九郎ちゃんも玻玖亜ちゃんも、これから期待ガン盛りだよ!」

「おう!」

「はい」

「明日あたり今日と同じような感じで他の連絡事項について話すから、今日は二人とももう帰っちゃっていいよ!」

「うし。そんじゃ行こうぜ、東雲」

「ええ」

「およ? 二人そろって用事?」

 久遠寺は俺たちの会話を聞くと、興味深そうに尋ねてくる。

「ああ、ちょっと祝勝会に行くんですよ」

「そっかそっか。二人とも、そこまでのバディーになったんだねえ、お姉さん嬉しい!」

「お姉さん……?」

 どう考えてもお姉さんって年齢じゃあ……。

「何?」

「いっ、いえ。なんでもないっす!」

 校長から鋭いにらみを聞かせられ、慌てて言葉を修正する。

 今の久遠寺先生の目、シグマより威圧感あったぞおい……!

「そ? ならよしっ」

「あはは。そ、そんじゃ失礼しまーす」

「失礼します」

「はーい、いってらっしゃーい!」

 いつだったか聞いた脳天気な声を背に、俺たちは校長室を出た。



「で、なんでその祝勝会がこの店なのかしら」

 栄町異聞街、東雲と逃げ出した初日に立ち寄ったハンバーガー屋。

 俺たちは自分たちにとってある種の思い出の店に立ち寄っていた。

「しょうがねえだろ? 紺への支払いでほとんど金使っちまったんだからよ」

 今日は昼時ということもあってか混んでおり、俺たちは列の中央ほどの位置にいる。

「仕方ないわね。彼女を巻き込んだのは私たちなのだし」

 事件が終わった後、長時間の取り調べから解放されてすぐに紺から連絡があった。

 その内容は調達させた発信器や車両、その他装備の費用請求というもので、加えて俺たちのとばっちりで受けた襲撃により破壊された設備、その損害賠償と称して俺は、新社会人の年収クラスの額という、学生が払うにはかなり高い料金をふんだくられたのだった。

「だとしても、もうちょっと手心とかあってもいいだろうよ……」

 おかげさまですっかり素寒貧だ。バイト、増やさないとな……。

「で、貧乏になったからここになった、と」

「そうだよ、悪かったかよ。お前だって気に入ってそうに食ってただろ?」

「さあ、そうだったかしら?」

「お前な……」

 コイツは本当、事件の最初から最後までほとんどぶれなかったな……。

「まあ、今回はあなたの頑張りに免じて許してあげるわ」

「お、なんだよ。珍しく認めるんだな」

「私だって、頑張りを認める日くらいあるのよ」

「だったら普段からもうちょっと俺の扱いを丁寧にしてくれるといいんだがな」

「それはそれ、これはこれよ」

「どっちもこれだろ」

 いつもと変わらない毒舌と屁理屈。

 ここまで来ると、安心感すら覚えてくる。それはそれとして腹は立つが。

「だからこれからも従いなさい、司令塔であるこの私にね」

「何言ってんだよ。司令塔は俺だろうが」

「あ?」

「はあ?」

 俺と東雲は向き合うと、お互いに睨み合う。

「どうしてあなたのような絞る知恵が一滴もない人間が司令塔を務められると思うのかしら」

「俺の方が戦い慣れてるからな。お前のような頭でっかちよりずっと良い判断が出来るはずだ」

「はあ?」

「ああん?」

 俺たちは顔をつきあわせると、互いにメンチを切りあう。

 こ、この女……!

「ったく、多少は見直せる奴かと思って来たらこれだ。もうちょっとくらい俺に気を遣ったり、愛想良く出来たりしないのかねえこの冷血女は!」

「あら、最初から最後までまったく変わらず直線にしか走れない、その上どうしようもなく愚かで救いようがなく、脳まで筋肉が詰まっているせいで類人猿よりも知能が低い、まるで低知能という言葉を肉付けして作られたかのようなあなたが、そんな文句を言えるような立場かしら?」

「なんだとてめえ! 全部言い返してやるからもう一度最初から言って見やがれ!」

「覚えていないんじゃない、やっぱり脳筋ね。本当、あなたみたいなのと組んで今回の事件を解決できたのが奇跡なくらいだわ」

「ああ!? 俺がいたから解決できたんだろうが! とことん頭に来たぜ、てめえ表でろ! 女だろうと関係ねえ、今日こそはぶちのめしてやるからな!」

「やめておきなさい、きっと触れることも出来ないまま泣いて謝ることになるわよ」

「上等だ、今までの舐めた態度、まとめて後悔させてやるよ!」

「あ、あの、お客様、ご注文はいかがなさいますか……?」

 言い争っている間に、いつの間にか俺たちが注文をする番が来ていたらしい。

 店員がおずおずとこちらへ尋ねてくる。

「「ダブルチーズバーガーのセットを一つ!」」

 半ば叫ぶように注文した俺の声と、このどうしようもなく相性の悪い、冷血で傲慢な相棒の声は、残念ながらぴったりと合っていた。


                                      終


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