第2話 もう会えぬ家族

「クッソ」

 一人の男子高校生が体育館裏に仰向けとなって倒れていた。

 黒髪に精悍な顔つき、切れのある目尻だろうと、顔には殴られた痕があり、学生服にはいくつもの靴痕が刻まれている。

 全身傷だらけ痣らだけであろうと目尻に涙は一滴もなく、恨むような目つきが空を捉えて離さない。

「オウリョウ、もう盗むんじゃねえぞ」

「性懲りもなく盗むからそうなるんだよ」

「もの盗みに学校来てんじゃねえよ」

 遠ざかる級友たちの声と足音。

 愉悦に弾んだ声に、男子高校生は拳を地面に叩きつけた。

 叩きつけた拳に痛みが走る。ふがいない無力な自分に嫌気が走る。

「なにがオウリョウだ。ふざけたあだ名つけやがって」

 身に覚えなど一つもない。盗む理由もない。

 発端は一人の生徒の鞄から財布が消えていたこと。

 その財布が男子高校生の鞄から出てきたこと。

 無実を訴えようと、聞く耳を持つ者など教師ですらいない。

 後は体育館裏まで有無を言わさず引きずり込まれ、報復という暴行のち自身の金銭を奪われた。

「くっそ、ごっそり持って行きやがって」

 空となった財布を拾い上げるも、中身はポイントカードしか残っていない。

 下校途中の買い出し予定が仇となった。

「バイトもクビになったし」

 力なく仰向けとなって青空を見上げる。

 何故、こうなった、なんて疑問、数えるのを止めた。

「なにが横領だ。父さんはそんなこと絶対していない」

 男子生徒がオウリョウとあだ名されている理由。

 今より二年前、大手企業に勤める父が巨額の横領で逮捕された。

 誠実でまじめを絵に描いたような性格の父がありえない。

 横領した金はギャンブルに使ったとされたが、息子としてあり得ないと断言できた。

「ん?」

 影が差す。

 体育館側より伸びる影が男子高校生の顔を覆い隠す。

 影の正体に言葉を失った。

 一人の女性が垂直の壁にハイヒールの靴裏を磁石のように張り付け、苦もなく立っているからだ。

 ショートヘアーの黒髪にスカートスーツ、胸元の青きスカーフが印象の年若き女性。

 目が合おうと、柔和な目元をほんの少し動かしただけ。

 男子高校生が驚き固まるのを余所に女性は口を開いた。

「男ばかりの四人兄弟の次男坊。兄弟仲は良く、半年に一度、兄弟同士集まって呑み会を開いては、ついつい吞み過ぎて各々の妻からお叱りを受けるのがお約束。性格は至ってまじめで、善意は人のためにあるのが口癖でした。学生の頃より公園や河川の清掃を率先して行うなど近隣住人から慕われていました。数字は嘘をつかないと社内で経理を担当し、同じ経理であった女性と職場結婚。結婚後の生活を想定して大きな家を購入。ご夫婦としては子供は三人ほど予定したそうですが、がんばっても生まれたのは男の子一人だけでした」

 男子高校生は動けない。口を唖然と開けてただ口を開き続ける女性を眺めているだけだ。

 なんだこの女? なんで立っている? ワイヤーなんて見えない。ましてやCGでもない。ハイヒール裏に強力な接着剤でもつけているのか? いや、それなら何故、髪の毛先が風に揺れようと重力に従わない? なによりこの女、表情から感情の色が読めない、見えない、聞こえない。

「今より二年前、突然、会社資金を横領したとして逮捕されます。当然、身に覚えがありません。ギャンブルなんてしませんし、できません。なにしろ彼は超がつくほどギャンブル運がないからです。学校の席替えでは毎回馬の合わぬ不真面目な生徒の隣となり、自転車に鍵をかけようと自転車ごと盗まれる。雨の降る日にコンビニへちょっと立ち寄ったら傘を盗まれる。宝くじは小銭すら当たらず、社内イベントのビンゴ大会ですら穴一つ開きません。それは妻である女性も同じ。そういうところが引き合ったのでしょう。産まれた子供もギャンブル運がないかと思えば、変わったものを持つ子供でした」

 女性は男子高校生を見下ろしたままほくそ笑む。

「その子供は大根を赤、ピーマンを白という頭のおか、ごほん、変わった子でした。心配した両親は病院に連れて行こうと異常なしに困惑します。ですが、我が子が自分たちと違うと把握したのはとある競馬中継でした」

 今となっては忌まわしきものだと男子高校生は舌打ちする。

「おウマさんのかけっこだと、小さきあなたは、とある三頭の馬を色に当てはめていました。そしたらビックリ、その三頭が順次ゴールイン。それを見た父親は戯れで次のレースに息子が指摘した馬で一〇〇〇円分の馬券を購入したのです」

「だが、桁を間違えて一〇〇万円分の馬券を買ってしまった。経理なのにらしくないミスだったよ」

 仕事ならばミスはないだろう。

 戯れ、だったのが痛恨のミスであった。

 住宅ローンの積立金であったため、母親は大激怒。

 レースが始まる前から両親は揃って絶望に消沈ときた。

「ですが、結果は三連単の大穴です。とんでもない額となりましたとさ」

 何故、女性が昔の話をするのか。

 父親の逮捕と無関係ではないからだ。

「後に子供には共感覚と呼ぶ、音や文字から違う感覚を感じ取る能力があると判明しました」

 発露原因は不明だが、幼き故に五感が交差している故、起こる説が有力視されていた。

 成長し、精神が成熟していくに連れて失われるとも。

 男子高校生は今なお健全であった故、見えない・形を掴めない女性に困惑していた。

「両親は話し合って配当金は子供のために使うと決めました。しっかりと息子名義の口座を作り、将来の役に立てて欲しいと祈りを込めて……」

 だが、父親逮捕により祈りは呪いとなる。

 検察は、息子名義の口座が横領した資金の一部の移動先とした証拠を出した。

 当然、反論しようと裁判所は証拠として認め、有罪判決を下す。

「そうして有罪判決を受けたことで刑務所に収監。ですがその一年後、肺炎によりお亡くなりになりました」

「なにが言いたい?」

 声に嫌がこもろうと、相手の女性から表情の変化の色はない。

 ただ淡々と事務的に発言を続けている。

「住んでいた家は差し押さえられ、母は連帯責任のように解雇。二人で狭いアパート暮らしですが、今から半年後、乳ガンによりお亡くなりとなりました」

「もういい黙れ!」

 過去をたらたらと語る女性にもう限界だった。

 胸襟が一瞬で怒りにて膨れ上がり、声は叫びとなる。

 だが、女性は黙ることなどなかった。

 女性はなお語る。怒りなど知ったことかと淡々と語り出す。

「横領した家族だと、犯罪者だと後ろ指刺されながらも妻として夫の無罪を訴え続けながら、あなたを育てます。ですが、自身の健康がおろそかとなり、夫の無念を晴らせることなくお亡くなりになりました」

「二度も、いうか!」

 両親を遠回しに侮蔑しに来たのか。

 女だろうと殴り飛ばしたくなるが、生憎、女性は目視で三メートル先の壁に足をつけて垂直に立っている。

 怒りの声しか届けられずにいた。

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