こんにちは有隣堂
@iri03
第1話
平日の昼下がり、いつもなら人の多い駅前の道もこの時間となると見かけるのは老夫婦や小さな子を連れた女性ばかりだった。
こんな時間にスーツも着ないで歩いている若者は目立たちたくなくても、目立ってしまうものである。
若干の居心地の悪さを感じて、早く家に帰ろうと歩くスピードを上げた。
会社を休職して半年が経つ。
夢や希望に溢れて入社した念願の会社だった。両親も「こんな大きな会社で働けるなんてすごい。頑張るんだよ」と背中を押してくれたのに。
研修を終えて配属されたのは希望していた企画課とは程遠い総務課だった。
企画課に配属された同期と食堂で顔を合わせるたびに気まずかった。
気さくで明るい同期と話すたびに自分の至らなさを思いしらされる。「いつか一緒に働きたいな」と言われると、向こうに悪意がないのが分かっていても、企画課に配属された奴の余裕のある発言だと捻くれて受け取ってしまう。
だんだん会社に行くのが辛くなって、朝起きられなくなった。業務中、お腹が痛くなってトイレに篭ることが増えた。
いつもと変わらない通勤電車の中で突然涙が込み上げてきて、「ああ、もうダメなのだ」と思った。
上司の配慮で休職扱いになったが、あの会社に戻るのかと思うと体が強張る。戻ったところで、同期とは大きな差が開いている。
地味な事務処理を繰り返す日々が待っているだけだ。
転職しようと決意し、駅前のビルにあるハローワークに行ってみたもののコレと言ってやりたい仕事は見つからなかった。
暗い気持ちを抱えながら歩いていると体が大きく揺れ、地面に膝をついた。体から血の気が抜けて、力が入らない。強烈な眠気も襲ってきて途端に目を開けるのが辛くなった。
「大丈夫ですか?」
焦りを含んだ女性の声が聞こえてきた。
肩を軽くゆすられる。
「貧血じゃないか?」
男性の声もする。
目をこじ開けると心配そうに見つめている男性と女性の姿があった。
実家の両親のようで安心するなと思った途端、意識を失って深い眠りに落ちた。
「間仁田さん、腰大丈夫ですか?」
さっきの女性の声がする。
「良い歳してかっこいいとこ見せようとするからですよ」
聞いたことのないダミー音のような独特の声がする。
「イタタタ…」
情けない男性の声にふっと笑みが溢れる。
固く閉じていた目を開くと、モヤがかかっていたような意識がクリアになった。
視界に飛び込んできたのはきれい並べられた大量の本だった。ざっと見ただけでも小説、料理本、児童書に参考書までさまざまなジャンルの本が並べられている。
道で倒れていたはずなのに革張りの黒いソファの上に寝かせられ、体にはタオルケットが掛けられている。
体を起こすと3人の声がさらによく聞こえた。
「岡崎さん、湿布あったっけ?」
「ありますよ。えっと多分ここに…」
コツコツと女性の足音が近付いてくる。
母親とそう歳の変わらないメガネをかけた女性と目が合って軽く頭を下げた。
「あっ!もう起きたんですね!ブッコロー!間仁田さん!起きましたよ!!」
女性が微笑んでいる。
「良かった!たぶん、貧血だと思うんですけど念のため病院に行った方が良いですよ」
「ありがとうございます。ご迷惑を掛けてすみません」
掠れた声が出て、咳払いをした。
「あの、ここは?」
「有隣堂という本屋さんです。見ての通り古びた本屋でお客さんもあまり来ないんですけどね。お茶を持ってきますから回復するまでゆっくりしてください」
女性が素早くその場を離れると、バサバサと聞きなれない音がして、ソファの前にある木製のローテーブルの上にフクロウが現れた。
この店の看板犬ならぬ看板フクロウだろうか。
珍しいなと思いよく見てみると、フクロウにしてはシルエットがずんぐりむっくりで、耳にはカラフルな羽が生えている。目はギョロリと出ていて可愛さの中に不穏な不気味さがある。
ジロジロとこちらの様子を伺っていたフクロウと目が合い思わず「きもちわる…」と小さな声が漏れた。
「気持ち悪いとはなんだよお」
「うおっ!フクロウが喋った…」
驚いて体が大きく仰け反ったが、よくよく考えてみるとインコは人間の言葉を真似して話すし、フクロウが話してもおかしくないのかもしれない。
「倒れているところを運んで看病してあげていたのに気持ち悪いって!!」
フクロウは怒ったように羽をパタパタと広げている。
真似するだけじゃなくて、人間の言葉を理解して話すことができるなんて…。
「フクロウって賢いんだな」
体が大きい分、脳みそも大きくて頭が良いのか。
「何感心したように言ってるんだ!フクロウじゃなくて名前はブッコローだ!!」
「ブッコローね。気持ち悪いって言ってごめん」
素直に謝るとブッコローは満足したように見えた。
「イダダダダ…」
店の奥から先ほどよりも情けなさを増した声が聞こえる。
「あっ、間仁田さんの湿布すっかり忘れてたなー。アハハ」
苦しんでいる間仁田さんの声を聞いているのに、弾んだようにブッコローは言う。
「湿布持って行きますよ。私が起きたせいで湿布持っていけなかったわけだし」
「…ありが…とう…」
間仁田さんの声はさらに力を無くしていく。
「ブッコロー、湿布どこにある?」
ブッゴローが羽をはばたかせて肩に乗ってきた。ずっしりとした重みがあったが、それよりもふわふわの羽が頬をかすってむず痒い。
「参考書がある棚の一番下の引き出し」
言われた場所の棚を開けると、さまざまな医療品が詰まっていた。そこから、湿布を取り出して、間仁田さんへ渡しにいく。
「間仁田さん持ってきたよ」
ブッコローが楽し気に言う。
「すみませんね…」
間仁田さんは丸椅子を並べた上にうつ伏せで横になっている。顔のあたりで立膝になり間仁田さんに問いかける。
「腰に貼ったら良いですか?」
「お願いします…」
湿布を取り出すと、ツンとした薬の独特の匂いがした。服をめくって貼っていると、ある考えが頭をよぎった。
「もしかしてなんですけど、このゲガって私を運んでくれたからですか…?」
さっきまで元気そうに外を歩いていた間仁田さんが、こんなに腰を痛めているなんてそれしか考えられなかった。
間仁田さんは「あー、いや、まあ」と口ごもり、それを見たブッコローが「はっきり言いなよ」と笑う。
「そんなところです」
間仁田さんはポリポリと頭を掻く。
「近い距離だったからひとりで運べると思ったんだけどなあ」
「すみません、ご迷惑かけて…」
「気にすることないよ」
「本当、気にしなくていいよ」
ブッコローがそう言うと、ちょうど良いタイミングで岡崎さんがお茶を持って来た。
「動けない間仁田さんのことは放っておいて、向こうのソファでお茶を飲みましょう」
そう言った岡崎さんの後ろに続き、ソファへ再び腰をかける。
「このお茶、静岡から取り寄せたとってもおいしいお茶なんですよ。おせんべいは向かいのお店で買ったものです」
テーブルにお茶を並べながら岡崎さんが話出す。
「おせんべいは醤油が香ばしくて、海苔の風味がとっても良いんですよ」
おひとつどうぞと勧められて手を伸ばした。ひとくち食べた途端に、口いっぱいに海苔の良い風味が広がる。
「おいしい…」
「そうでしょう!」
岡崎さんが嬉しそうに言った。
「家の近くにこんなお店があるなんて知りませんでした。もう、ここに住んで何年か経つのに」
おせんべい屋さんも有隣堂も家から歩いて10分ほどの距離だ。
「家の近くほど出かけようって気持ちにはならないかもなあ」
ブッコローがそう言って、同意するように頷くと岡崎さんが「もったいない…」と呟くように言う。
「このおせんべいだけじゃなくて、駅前から少し歩いたところにあるケーキ屋さんのロールケーキは旬の果物がたくさん入っていて、とってもおいしいですよ。この辺のお店でおすすめしたいものはたくさんあるんです」
「へぇ、ケーキ屋もあるんですね」
「休みの日は何してる?」
ブッコローの問いかけに、なんと答えれば良いか分からず黙ってしまう。
休職してからは毎日休みのようなもので、昼過ぎに起きては動画配信サイトで適当に動画を見る。気が付くと日が暮れていて、お腹が空きカップ麺を啜る。食べ終わるとベットに寝転がり、また時間潰しに動画を見て眠たくなったらシャワーを浴び、寝るような日々を過ごしている。
本気で企画課に異動したいと思っているなら、仕事に役に立つ資格を取るとか同期と差をつけるようなことをするべきなのに。
今の環境に甘えている自分が嫌になる。
ポツリポツリと話し出すとふたりはうんうんと静かに聞いてくれた。
こんなに人と話したのも久しぶりで、鼻の奥がツンとなってお茶を啜る。
温かいお茶は久しぶりに飲んだ。実家で母が淹れてくれたお茶を思い出し、思わず目がうるみうつむいた。
しばらく実家に帰省していない。良い所に就職した子どもが休職中の身で帰ってきて、両親をガッカリさせてしまうのが嫌だった。たまに届くメッセージには働いているふりをして返信している。
「辛いことはやらなくて良いと思うし、今の暮らしが良いなと思ってるならそのままでも良いんじゃない?お金が続く限りだけど」
岡崎さんが言ったが、それじゃダメなんですと力無く首を振った。
今のままで良いとは思っていない。なんとかしなくちゃと思って外に出たのに間仁田さんにケガをさせてしまい、自分は使えない人間だとまた思い知らされた。
なんとかしなくちゃと思うのに。
「岡崎さんは文房具王になりそこねた女なんだよ」
なんの脈絡もなくブッコローが話し始めた。
頭中にハテナが浮かぶ。文房具王ってなんだろう。
「岡崎さんは王になれなかったのに、今こうやってこの店で文房具バイヤーとして働いている」
あそこを見てと立派な羽で指された方向には、小さな文具コーナーがあった。
「テーブルに少しだけですけど、各地から集めた文具を販売してるんです」
恥ずかしそうに小さな声で岡崎さんが言った。
テーブルには美しいガラスペンと数種類のインクがある。よく見るとヌンチャクえんぴつなど決して役に立つとは言えないおもしろ文具もあった。
「普通の店なら売らない文具もあるってコアなファンに人気で」
岡崎さんが少しはにかむと、ブッコローが話し出す。
「諦めなければ夢は叶うとは言い切れない。夢の妥協点を見つけて自分を満足させてあげることも大事だと思う」
夢の妥協点、今まで考えもしなかったことを言われて虚をつかれた。
「どうなりたいか、どうしたいかは、まだまだじっくり考えて決めたら良い。ここはいつでも空いているから、遊びに来なよ。資格の勉強をするのも良いし、昼寝をするのも良い本を買って売り上げに貢献してくれるのがいちばんだけど」
言葉がカイロのようなぬくもりで胸がじんわりと温かくなる。
そのとき、ガタガタと奥から丸椅子が倒れる音がして、慌てて間仁田さんの様子を見に行くと床に転がっている間仁田さんがいた。
「イテテテ…」
「大丈夫ですか!?」
間仁田さんを支えてイスに座らせる。その横に腰かけると、どうもと間仁田さんが軽く頭を下げた。
「さっきの話が聞こえて、居ても立っても居られなくなっちゃって」
湿布が効いてきたから立ち上がったのにまだダメだったと腰をさする。
「ここは24時間いつでもやっていて誰かはいるから。お客さんもこう少ないと僕らも寂しくてね。いつでも待ってるよ」
また胸がじんわりと熱くなる。
「ありがとうございます」
ふと、時計を見ると時刻は18時を過ぎていた。ハローワークを出たのが13時過ぎだったから、5時間もお邪魔していることになる。
「すみません!そろそろ帰ります」
急いで立ち上がりカバンを掴むと、さっきまでやる気がなかったのが嘘のように気力が湧いているのが分かった。
まず家に帰って掃除をしようと思った。ちょうど明日はゴミの日で幸先が良いスタートだと嬉しくなった。
「あら、もう帰るの?おせんべい持って帰る?」
「いえ、大丈夫です。あの、また明日も来て良いですか?」
「もちろん」
笑顔を向けられてますますがんばろうと思えた。
3人に送り出され、数時間前とは打って変わって軽やかな足取りで家に帰る。
明日はお礼に岡崎さんがおいしいと言っていたロールケーキを持っていこうと考えるとさらに胸が高鳴り思わず走り出す。
踏み出した新しい一歩が夕陽に反射して、きらめいているように見えた。
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