社交的な子-1
通学鞄と着慣れた制服を身にまとって、Bは鏡の前に立つ。新学期の始まりに、鏡を眺めながら自分の頬を無理やり押し上げて、歪な笑顔を浮かべた。震えて引きつりそうな頬に笑っていない目。八の字の眉。
しばらくの間、鏡に向かいながら自分の正しい笑顔の形を探し続ける。最適の形を見つけてから崩して作ってを数回繰り返した。最後の一回、自分の中で最高の笑顔を鏡に見せつける。上手く笑えたことを確認して自分の表情をもとに戻す。
改めて鏡を見ると、それに写った像はひどい姿をしていた。ストレスから来る睡眠障害によって、目の下にはひどい隈ができている。首筋には行き場のなくなったストレスを吐き出すために掻きむしった跡が残っていた。
そんな姿を見てBは無意識に短く息を吸って、低い声が混じったため息を吐いた。
ストレスと言っても家庭環境が悪いわけではない。両親の関係は悪くなく、暴力を振るわれるわけでもない。暴言を吐かれるかと問われれば、違うと言える。自分が行ってきますと言えば玄関まで来て、行ってらっしゃいと言ってくれる優しい両親がいる。
荷物を持ったかあれこれ確認する母親に、先程のため息よりも一段高い声を作って大丈夫だと笑った。それでも心配そうな母親を振り切って家を出る。そしてBは家を出た瞬間に崩れ落ちそうになる衝動にかられる。
そんな衝動に負けないように今一度全身に力を入れ直す。次に自分の顔を恐る恐る触ってしっかりと顔があることを確認した。きちんと口や鼻、目、それ以外も全部あることを確かめてほっと息をつく。
Bは時折自分の顔が剥がれ落ちる錯覚に襲われる。まるで福笑いの紙をひっくり返して顔のパーツ全てが下に落っこちてしまうような錯覚。実際はそんなことはなく、顔のパーツは全て揃っていた。それでも確認しないと心配になるほどにはパーツを失くしていそうだと感じていた。
Bは家の前で一息ついてから最寄りの駅へ向かった。近所の高校に行くという選択肢もあったが、誰も自分を知らない場所へ行きたかった。作らない自分を晒せる場所が欲しかったのだ。
駅に着いてから時間を確認すると、次の急行の電車に乗れば余裕を持って学校に着くことができるらしい。Bは改札を抜けてから少し歩いて、改札から離れた定位置につく。電車を待ちながらスマホとワイヤレスイヤホンを取り出して、自分が気に入っている音楽を聴き始めた。
それはいつものBを知っている人が聞けば驚くような暗い曲だった。自分の愚かさや卑屈さ、息苦しさを謳った曲だ。朝から聴くには重たい曲だが、自分を知っている人が居ない空間だからこそ、それを聴くことができた。
一曲目が終わろうとした時に、ホームに急行電車が入ってきた。電車を待っていた人々は開いたドアに吸い込まれていくが、Bは気にする素振りを見せずホームに残ったまま音楽に没頭していた。
次にやってきた急行電車に乗り込んで、再び時間を確認する。このまま行けば遅刻ギリギリという時間だが、Bにとってはそれで良かった。
目的の駅が近づいて来ると、電車の中には自分と同じ学校の制服を着ている人がチラホラと見えた。頃合いを見てスマホを操作して、暗い曲から自分のイメージに合う若者に流行りの音楽に変える。本当は趣味ではないが、流行りの明るい曲のほうが自分らしい。
音楽を変えると同時に、自分の表情も死んだような顔から、目を大きく開いて元気が溢れていそうな顔に変える。電車の中で知り合いに合わないよう位置取りをしているが、それでも用心を重ねるに越したことはない。
目的の駅に着いて改札を抜けた所で、ひっそりと隠れているつもりの友人に後ろから肩を叩かれる。それが誰だかわかっているが、わざと上ずった声を出して後ろを振り向いた。
「おはよー、また遅刻ギリギリだね」
肩を叩かれた衝撃で自分の顔だけでなく、キャラクターまでも崩れそうになるが取り繕って、「遅刻常習犯に言われてもなー」と軽口を言う。上ずったときよりも低く、されど本当の声よりは高めに調整したそれは自分が意図した通りの印象を友人に抱かせた。
「ボサっとしてるなー? さてはまた遅くまでゲームしてたでしょ? 急がないと遅刻しちゃうよ」
「ゲームじゃありませーん。動画見てた」
「同じだよ。夜ふかししてるんだから」
二人は駆け足で学校に向かいながら、じゃれ合いを続ける。友人は目ざとく隈を見つけたがその本当の理由にはたどり着けない。普段Bが作るキャラクターは明るくて少し抜けてるところがある子なのだ。
ストレスから遠く離れたそのキャラクターこそがストレスの原因であるというのに。いまさらその顔をやめようとしても、元の自分の顔がわからなくなってしまった。かろうじて覚えているのは音楽の趣味くらいだ。
急いで校門をくぐると、そこにはいつも怒っている生活指導の先生が立っていた。今も二人と同じように遅れてきた生徒たちに腕を組みながら怒鳴っている。
「お前たち、遅いぞ! 新学期からしっかりしなさい!」
怒れる先生にかまっていると本当に遅刻してしまいそうなので、二人は上辺だけの謝罪をしながら急いでクラス分けを確認する。自分の名前を見つけたタイミングで友人も自身の名前を見つけたようだ。
「何組だった?」
「一組だった。そっちは?」
どうやら二人とも同じクラスだったようで、友人はBの手を取って喜びの声を上げた。新しい下駄箱を探すのにもたついてる間に、着席の予鈴がなってしまう。
「やばいやばい」
友人は焦りからそんな声を出すが、Bはのんびりと上履きを履いている。それは焦っていないからではない。ここで焦るような子ではないから、ゆっくりしているのだ。自分が作った自分に忠実にしなければ、もはや何もできやしないから。
本鈴が鳴り終わり、ホームルームがまさに始まろうとした時、二人はギリギリで教室に滑り込む。
「ふたりとも遅いよー」
そんなことを言うのは中学から一緒に上がってきた友人である。Bが知り合いが誰も居ないと思って選んだ高校で福笑いを続ける理由がその友人であった。
本当の自分を晒せると思ったが、中学からの友人の存在がそれを許さなかった。もし高校で福笑いを止めてしまえば、その友人との関係に齟齬が生じてしまうからだ。
「寝坊しちゃった」
席についてからそんなことを言い、眠そうに口に手を当てる。その口には前からの友人とクラスが一緒であったことの喜びを示す僅かな笑みを浮かべていた。そして机に突っ伏すと腕で顔を隠しながら口に当てていた手で顔全体を覆う。
全てのパーツが揃っていたことに安堵して、先程の反省会を行う。
自分はどんな顔をしていたのだろうか、と。
少年少女の声 ぷろけー @project-k-prok
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