新しい日常
このせいで電車を逃した。次の電車は20分後、私はまた空を見上げて、めぐるめぐる形を変える雲に鋭い視線を送ったり、やっぱり線路を見つめて、これが青森まで繋がっていることに思いを馳せてみたり、結局すべてが暇つぶしになってしまう。それを嘆きもしないのが、救いようのない私なのである。
トレンチコート越しにも脇腹に伝わってくる微かな体温に、私は目を向けざるを得なかった。嘉琳が横に立って私の腕のうちに、彼女の腕をねじ込んだ。つまり腕を組んできたのである。しかも、私と見ているものは違うようだし、授業中の一瞬を切り抜いたような無表情だし、私はほんの少しだけアクションを起こすのを遅らせた。
「何の用です?」
「いや、昨日、自分がしたことを覚えてないの?」
「これじゃ、道連れだよ?」
「じゃあ昨日みたいに、一歩引いたところで、たったらさんを見てればいい?次も同じように反応できる自信ない……。というか、ダメだよ!みんなに迷惑かかるしさ、ほら、死後の世界なんて存在しない!」
「大丈夫だから、さすがに道連れはやらないよ」
「まっ、そんな力があるとは、最初から思ってないけどねー」
そう言って、嘉琳は本当に少しだけ、彼女のほうに私の腕を引っ張った。それは被害妄想で、実際はただ姿勢を直しただけかもしれないけど。
昨日と同じように電車に乗り込む。でも昨日よりは、心の距離が縮まったような気がする。その分足は窮屈に……。
「そうだ、ご飯食べに行きましょーよー」
「昔の人は一日二食だったんだな、これが」
「じゃあ米を五合食べるのか?」
また新しい言い訳を考えないといけなくなった。
乗り換えで一回電車から降りなければならなかったので、抵抗することもできず、嘉琳と一緒に昼食をとることになった。
「で、何食べるー?」
「何でもいい」
「じゃあ焼肉行くしかないねー。肉だー、肉を食えー!」
「やっ焼肉はちょっと……、昼から焼肉を喰らう女子高生がいるかって話」
「ですよね……、じゃあラーメンは?」
「同じセリフを言わせたいの?」
「えーっ、ラーメンぐらい別にいいじゃん。横にマイベストフレンドもいるんだし」
何を言っているのかわからないが、こういう時はファストフード店に収束するのが必定。私にとっては、ラーメンより早く食べ終わるし、こっちのほうがいい。
「あらやだ、私との関係もファストにしようとするなんて……。最近の若者は、怪盗かってぐらい時間に追われて、あぁなんと哀れ……」
「ご飯ぐらい、静かに食べたらどうなの?」
「静かになったら、それで楽しい?」
「別に……楽しくはないけど」
「じゃあ、楽しくお話ししようよー。何がいい?質問攻めにしてもいい?」
無言は肯定とみなすという風潮、私は日本人の美徳から離れていると思う。
「って、意気揚々と切り出したはいいものの、何を質問すればいいんだろ」
「誕生日とか……?」
「そんなに誕生日プレゼントに飢えてるの!?」
「どうしてそうなる」
「だってそうでしょ」
「そうじゃない」
「そうじゃないって言うなら……。あっちなみに私の誕生日は7月7日でーす?」
「あっそ。うーん、あとは資格とか学歴とか……」
「何その淡白な返事。てか他人の履歴書でも作りたいの?」
「まあこれなら聞かれても、答えられるかなーって思ったから」
「逆にそれ以外のことは、秘密にしておきたいってことなのか……」
「またまた、そういうわけじゃないけど」
「なら、一つ聞きたいことがあるんだけど、別に聞いても大丈夫?」
「まあいいよ、太陽が出ているうちは、いろいろ忘れていられるから」
嘉琳と目が合った。同時に、小さな雲に太陽が隠されて、街が薄っすらと影に覆われる。そういう意味で言ったわけではなかったのだが、嘉琳は躊躇してしまったみたいだ。
「まっいっか。そーんなことより、部活とか考えませんか?」
「どっか入るつもりなの?」
「私はこう見えて、物理学徒なんだよ。だから物理部に入るつもり。これは前から決めてたから、今さら部活紹介なんて見に行かなくていいかなーって」
「ふーん、すごいねー」
「もう二人で何か部活作っちゃう?」
「部活作りには、部員4人と顧問と正当性が必要ですけど、集められると思う?」
「やけに詳しいじゃん。経験者だったりするの?」
「私だって中学生やってたんだから、そういう風の噂ぐらい聞いたことありますけど」
「でもまあ、私も部活だけじゃなくて、放課後はやりたいこと最優先で過ごしたいし、その時に付き合ってくれる人がいると助かるなー、なんてね」
「気が乗ったらね。今日みたいに」
嘉琳はそんな、 “行けたら行く” みたいな約束でも、嬉しそうにしていた。とても純朴な人間なのか、それとも裏があるのか、何でもいいけど私はすでに一歩を踏み出しているのかもしれない。
暗く淀んだ部屋に、デトリタスのように沈んでいく。そう、太陽が出ているうちはいいけれど、あんなに早く帰りたがっていた自分の部屋に着いたら、こんなに気分が落ちぶれた。PCに電源を入れる気も起きないし、またそのままの格好でベッドに寝っ転がっていた。
孤独に耐えかねて、莞日夏のことを思い出してみたりもする。きっと上書きされて、美化されていて、まるで別人の心音なのかもしれないが、それでもいい気がした。それが、私の好きな莞日夏ならば。
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