思い立ったが淡雪

バックミンスターフラーレン

第1話:桜吹雪く浮世

女子高生、空を飛ぶ

 私は駅のホームの一番端に立って、灰色の層が折り重なる曇天を見上げた。限りなく白に近い部分や、何色も混ざっていない、貴重な灰色の部分などと、実に多様な塊があって、意外と飽きずに見ていられる。


 北から冷え切った風が吹き付ける。私はトレンチコートのポケットに手を入れ、天を仰いでいた顔をマフラーにうずめる。桜は全部散って、雪みたいに積もっているし、暦の上では、春が始まって、もう二か月は経ったことになっているらしいが、どうも私はそれらに納得がいかない。春と呼べるのは4月の終わりくらいだけだと思うのだが、もう私に暦を作らせてくれ。


 今度は線路のさびに趣を感じていると、左耳から大きな鉄の塊が接近する音が聞こえてくる。……鉄で合ってるのか?アルミ合金だったらどうしよう。


 こんなメレンゲのような軽い憂いとは裏腹に、私はそのまま足を踏み出していた。


 電車がちょうど来たときに、点字ブロックを超え、線路に向かって飛び込むと、どうやら遺族に多額の賠償金を残して、飛び込んだ本人が死ぬらしい。無論、そんなことは知っているし、家族に遺恨があるわけではないが、たぶんイドに負けて、私は電車に飛び込もうとしていた。


 遊園地の絶叫マシーンに乗っていると、どんなに叫んでも、足をばたつかせても、設計された通りに体が振り回されるが、まさしくそんな感じの衝撃が、今の私を駆け巡っている。入線してきた電車からは、どんどん距離が離れていき、ついでにこの浮遊感。私は特に自らの意志で姿勢を変えることもできず、反対の線路に背中と尻を打ち付けるのを待つのみであった。


 私は初めて、ホームを下から見上げた。この貴重な体験を、もう少し堪能しておいても良かったわけないのだが、とりあえず鈍い痛みを乗り越えなければならない。私は腰を手でさするぐらいが限界であった。


 ホームからは一人の女性がかわいい顔して、私を見下していた。ちょっとだけ目を合わせていると、その少女は急に立ち上がって、どこかへ行った……非常停止ボタンを押しに行っただけだった。なんと、現実的なんだろうか。いやこれは現実……じゃあどうして線路に打ち付けられているんだ?


 あの子の背中を遠目に、わんわん泣きわめくばかりだったあの頃の私ではないので、何か腰に重いものをぶら下げている実感はあるが、とりあえず立ち上がった。すると、駅員さんが救出にやってきてくれたのだが、私は自力で何とかしたくなったので、ホームに手をかけてみる。


 しかし、よく考えたら、この後女子高生としてははしたない姿を見せびらかさないと、ホームに上がれないことに気が付いたので、おとなしく親切な人たちに頼ることにした。私の自尊心なんてそんなものである。


 無事に救出されたところで、私は飛び込もうとした電車に、何食わぬ顔で端っこの席を確保した。しかし、何やらあの少女も乗ってきて、私の前に堂々と立った。


「何か話してよ」

「何を?」

「うーん、いっぱいあるでしょ、感謝とかお礼とか謝辞とか」

「全部同じじゃない……。まあ、ありがと?何に感謝してるんだろう……」

「おーいっ。私が君のことを、うん、救ってあげたんだよ?いやー、これは感謝状とか貰えちゃうんじゃないのーっ?」


 何を一人盛り上がっているのか、私がよくわからないでいると、よくわからないことを見抜かれた。


「もしかして、何が起きたかわかってない?」

「はぁ?わかってますけど、あなたが私のリュックを引っ張って……どうして反対側の線路まで吹っ飛んだの?」

「こっちが聞きたいよ!軽すぎなんだよ、何?一口香みたいに中身すっからかんなの!?」


 どうやら自殺を止めようと、リュックのフックを掴んで、後ろに引き込んだら、私が天を舞って、放物線を描きながら、ホームの反対側の線路に落下したらしい。彼女はとてつもなく怪力なので、できるかぎり機嫌を取らないと、結局死ぬかもしれない。今の状況だと、逃げ場ないし。


「まあいいや、それで、そなたは白高はくたかの生徒?」

「んー、そうですが……」


 私はこう、何とも淡泊と言えば聞こえが多少マシになる感じで、返事をした。県立白山高校、略して白高なのだが、かっこつけたいお年頃なのか、新幹線だか酒蔵になぞらえてそう呼ぶのが公式である。こんなんでも、一応県内トップの進学校らしい。つまり、私もすごい。


「というか、どこまでついてくるつもりですか。別に、他の場所で死のうなんて、思ってませんよ。あれは一瞬の気の迷いですから」

「いや、家こっちなだけなんだけど……」

「素直じゃないですね。普通はもっと離れた場所に乗ると思いますよ」

「さあ、飛び込み自殺止めたの、これが初めてだし、こんなもんじゃないの」


 最後のほうは少し早口になっていた。何を照れているのか。いや、こんな時でも、斜に構えている私のほうがおかしいのかもしれない。


「それより、電車が止まったら、しに困るんだよー。今日、3Dプリンターが届くの。まっ、作りたい物が特段あるわけじゃないんだけどねー」

「沖縄の人?」

「違うよ、これはちょっとした洒落。生粋の新潟県民です」

「紛らわしいなぁ」

「それじゃっ、またあした~」


 私の最寄り駅の二駅前で、彼女は弾むように、何かにせかされながら降りていった。彼女のせいで、私は5分弱、友達とわかれた後の孤独を味わうことになる。


 それはさておき、最寄り駅に着いた私は、ふとあることを思い出し、駅前のコンビニに寄ることにした。私の親友で恋人だった木滑きなめり 莞日夏いすかのお墓参り、一度も行っていなかったが、せっかく外出したんだし、彼女の大好物である、砂糖と油まみれのあんドーナツを見せびらかしに行こう。あまりのルサンチマンに、天国から降りてくるかもしれないし。


 自宅とは反対方向に歩いて10分、莞日夏の父方の実家に到着した。立派な柿の木などが門塀を覆っており、いかにも名家な風貌を漂わせている。その先ではツツジが咲き始めており、これを地獄への花道だと曲解しながら、母屋の裏に回り、木滑家のお墓を見つけた。


 正直、この中に莞日夏の骨が本当に埋められているのかなんてわからない。それに、私が好きだったのは、莞日夏の骨ではない。究極的には彼女の自我だ。もう一人私がいたら、お墓の前で手を合わせる私をせせら笑うだろう。


 莞日夏に食べられてしまう前に、あんドーナツを回収して、さっさとお暇させてもらおうとしたら、縁側から私の母親が呼びかけてきた。


 帰るのが楽になったのはいいとして、私はこれに変な緊張感と、いびつな嫌悪感をいだいていた。莞日夏が亡くなってから、私の親と莞日夏の遺族、それから他に彼女と仲良くしていた二人の家族の間で、交流が生まれたらしい。今更感もあるし、何より莞日夏の死を出汁にしている気がして許せない。まあ、そう敵意を向けてはいるが、私も莞日夏の死を利用しているし、これからも言い訳にし続けるだろうから、口には出さないでおいた。


 ここでお茶でも一杯飲んでいくよう、木滑家の人間に言われたが、それなりに居心地が悪かったので、母親を引きずり出して、車で帰宅した。あんドーナツは甘いだけで、あまりおいしくなかったので、一口かじって母親にあげた。


 私は自分の部屋に辿り着くや否や、ベッドに臥せて、ふかふかの布団で充電した。まあ充電したところで、使い古されたバッテリーのように、最大量が削られていて、碌に動けやしない。せいぜい、暗く外界と隔てたこの部屋のベッドの上で、スマホを無策に見るか、天井に架空の図形を描いて、それを数えるかぐらいしかできない。


 どうしてこうなってしまったのか。私は、何かの中心に立つべき存在ではないのだろうなぁ。誰かの取り巻きとして、食いつないでいく努力をしていれば、こんなに落ちぶれることもなかっただろうに……。

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