第13話 祖父は心配する

(『幸せ』?)


 ヒューバートの予想外の質問にアリシアが戸惑っていると、「ただいま!」と勢いよく扉を開けてパーシヴァルが店に戻ってきた。

 先ほどの動揺がなくなったパーシヴァルのいつも通りの様子にアリシアの肩から力が抜ける。


(思い出に引きずられて過去の恋心が蘇ってしまっていたみたい)


 満足のいく仕事にパーシヴァルという大切な家族。これがアリシアが『手に入れたもの』でこれ以上を願うことこそ不幸だとアリシアは思った。


「ヴァル、ちょっとこっちに来て?」

「どうしたの?」


 首を傾げつつも素直に近づいてくるパーシヴァルに、アリシアの胸の中でパーシヴァルへの愛情がはちきれんばかりになる。


「大好きよ」


 そう言って抱きしめたパーシヴァルが照れ臭そうに腕の中で身じろぎする様子に、これ以上は無理と思っていた愛しさがさらに膨らむ。


「僕も、大好きだよ」


 パーシヴァルもアリシアの行動に何か思ったのか。最近は照れ臭がって言ってくれない言葉を返してくれるパーシヴァルにアリシアは笑顔になる。


「お祖父じいさんに会ったから、一緒に来たよ」


 しかしその感動もパーシヴァルの一言で消える。


「お祖父様? どこ?」

「外の騎士さんの検査を受けてる。あ、ほら、来たよ」

「やれやれ、貴族とは厄介なものだな」


 パーシヴァルの言葉の通りカウベルが鳴り、ルークが入ってきた。

 着ているスーツの仕立ては良いが、荒くれ者と似た剣呑な雰囲気を隠せていない。


「お祖父様、どうなさったの?」


 アリシアの言葉を無視してヒューバートを見たルークは、十秒ほどジッとヒューバートを見たあとアリシアに視線を戻す。ルークの目はアリシアとパーシヴァルと同じ萌黄色だが、その目は実に挑発的だった。


「お前の店に貴族らしい男が長居しているとジーンが言っていてな。あの子はロマンス信者だから恋が芽生えたと騒いでいてね、どんな男か見ないといけないと思ってな……まさか、まさか」


 外の騎士がつけた紋章を見てレイナードだと分かっていただろうに、『いま分かりました』と言うような振りをするルークにアリシアは痛む頭を抑える。そんなアリシアの気持ちを汲むことなく、ルークはヒューバートに近づくと手を差し出した。


「お初にお目にかかります。ルーク・シーヴァスと申します」

「ヒューバート・レイナードだ」

「侯爵様が何の用でこちらに?」


(……白々しい)


 パーシヴァルがヒューバートを自分の父親と知らされているのだから、ルークがアリシアとヒューバートが元夫婦だと知らされていることはヒューバートにも分かるだろうに。


(それなのにこの物言い)


「お祖父様、侯爵様はパーシヴァルに会いにいらっしゃったの」

「その様だな」


 ヒューバートへの問いかけをアリシアが代わって答えたことにルークの眉間に皴が寄り、それに気づいたヒューバートがアリシアに顔を向ける。


「アリシア、すまないが少しだけ彼と二人にしてもらえないか? 君の店なのに追い出すような真似をしてすまないが」


 ヒューバートの言葉にアリシアは戸惑ったが、その気だったルークによって店を追い出されることになってしまった。


「うちの騎士を一人連れて行くと良い」


 ヒューバートの言葉にアリシアは苦笑した。


「私はここで七年近く暮らしております、ご心配なく」


 ***


「二人きりだ、言葉遣いもマナーも気にしなくていい」


 ヒューバートはその言葉を証明するように締めていたネクタイを緩めた。そんなヒューバートにルークは顔に驚きを浮かべたあと、獰猛な笑みを見せながらネクタイを緩めた。


「改めてこの街に来た目的をお聞きしたい」

「アリシアが言っていただろう、子どもに会いにきた」

「子どもだけ、ですか?」


 アリシアも目的なのではないかと探るルークに、ヒューバートは肩を竦める仕草でその疑問を肯定した。


「ここは辺境の地ですがそれなりに情報が入ります。この国屈指の資産家でありながら、まだ独身の侯爵様はこの街でも人気がありますよ」

「情報に誤りがあるな。一度結婚して離縁しているのだから、『まだ』ではない」


 ヒューバートの平坦な声にルークが笑みを返す。


「結婚と言ってもたった七日、ほぼ無効ではありませんか」

「七日だろうが結婚の事実は神殿が確認している、無効にはならない」


 アリシアはヒューバートの正式な妻だった。そのことを二人の特徴をあわせもったパーシヴァルが証明している。


「パーシヴァルを、お望みですか?」

「アリシアとパーシヴァル、俺は二人を望んでいる」

「パーシヴァルはともかく、アリシアは愛人として、ですか?」

「……俺のことは何と思っても構わないが、自分の孫娘を貶めるな」


 込み上げる怒気に合わせてヒューバートの喉から唸るような声が出たが、脳の冷静な部分はルークの心配も当然だとも分かっていた。


 ヒューバートは貴族であり、その中でも高い侯爵の位にある。

 王族を除けば最高に近い位にあり、国の重要な場所を領地として与えられているレイナード侯爵家への王家の信頼は厚い。


 そんな家の当主の妻が平民であることは許されない。

 貴族と平民の恋などロマンス小説の中だけの話で、定番の締め言葉のように「二人は幸せになりました」なんてあり得ないのだ。


(これは半ば八つ当たりだな)


 上手くいかないこと、特に自分の利己的な考えをアリシアに見透かされた苛立ちをぶつけてしまったことをヒューバートが申しわけなく思った。


「安心しました」


 意外なルークの言葉にヒューバートが目を見開くと、ルークは一度目を伏せた。

 そして再び目をあけると、そこあった敵意も怒気も消えていた。突然の変化に戸惑うヒューバートを余所に、ルークは深くため息を吐く。そこには安堵があった。


「ここは小さな田舎街です。住民の結束が強いと言えば聞こえはいいですが、排他的で余所から来た者を『よそ者』と排除してしまう傾向が強い。アリシアもパーシヴァルも肩身の狭い思いをしてきました」


 そう言って力なく自嘲的に笑うルークだったが、街の者を責めているようではなかった。


「私も彼らと変わりありません。アリシアを孫娘と認めてはいますが、やはりほかの孫たちと違って『よそ者』と感じてしまうことがあります」


 突然目の前に現れたアリシアを『孫』と認められただけでも十分すごい。

 そう言ってやりたい気持ちがあるのに、アリシアたちが不当に差別を受けていたと言われたヒューバートは素直にルークを慰めの言葉をかけられなかった。


「私もこの街の顔役として商会を興しもしましたが、結局は田舎街の便利屋です。あの子たちを庇っているつもりでも、あの子たちをこの街の枠にはめるしかできません。あの子たちはそれを窮屈に思っているでしょう」


 ルークが何を言いたいのかがヒューバートにはやっと分かった。


「あの二人を連れていけと?この街から出ていけ、と言っているのか?」

「あの子たちを見捨てたいのではありません。逆です。いつまでたってもあの子を『家族』として受け入れられない私たちが見捨てられるのです」


 ルークの顔には寂しさや歯がゆさが浮かんでいた。


「侯爵様なら、あの子たちを守ることができますよね?」

「命に代えても」


 ヒューバートとしては嘘偽りのない言葉だったが、ルークは可笑しそうに笑った。


「未来ある若者がそう簡単に命を投げ捨てず、どうか三人で幸せになってください。ただ、アリシアたちが戻ったらお帰りくださいね」


 前半まであった優しさはどこに消えたのか。

 堂々と「帰れ」というルークの変わり身にヒューバートは驚き、理解しかねるという顔をするヒューバートにルークは苦笑する。


「言いましたよね、ここは田舎だと。住民はみな保守的で、特にご婦人方の男女に関する教育は尼僧並です。いい年齢の男女が二人きりでいればふしだら、相手が貴方のような貴族様とあってはアリシアが娼婦のように扱われます」

「……分かった」


 先ほど窓から見えた、通りから店のほうをみてヒソヒソ話す女たちの姿を思い出したヒューバートは唇を噛む。

 あんな目で、ふしだらな娼婦と蔑む目でアリシアが見られるなど、ヒューバートには耐えられなかった。


「それでもしばらくはこの街に滞在しなければならない。いい宿を知らないか?」

「街を出たところにあるホテルが宜しいでしょう。この街にも宿はありますが、宿屋の者はこの街の者ですからね」


 なかなか厄介だと、苛立ったように髪を乱すヒューバートにルークは笑う。


「こんな中であの子は七年も頑張ったんですよ」

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