【本編完結】七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。

酔夫人

第一章

第1話 田舎の洋裁店

「アリシア、店の前に人がいたわよ。護衛付きの大物って感じだったわ」

 隣に住むジーンの言葉に、アリシアは洗濯物を干していた手を止め、

「ありがとう、急いで行ってみるわ」

 礼を言ってアリシアは残っていた洗濯物を手早く干し、店に向かう準備をした。


 アリシアが大通りに出ると一気に視線が集まる。

 これは数年前にこの辺境の宿場町にやって来たアリシアは、昔なじみで構成された住民たちにとって『よそ者』だからだ。ジーンのようにアリシアに対して好意的なものは少数派で、多くは遠巻きにアリシアを見てはヒソヒソ話をするのが常だった。


 ***


 アリシアは洋裁店の店主である。

 地元の人が利用することは滅多にないが、この街を通る旅人を相手に仕事をして生計を立てている。


 彼らも最初は「美人の店主がいる」という噂で店に来ていたが、美人見たさの口実にした些細な補修でも丁寧に対応してくれるアリシアの人柄の良さが旅人たちの間で広がり、客はどんどん増えていった。

 初めの頃はアリシアも頼まれた補修だけをしていたが、せっかく来てくれた客なのだからと彼らの旅が少しだけ楽になるようにオマケをするようになった。


 例えば、膝が痛むと言った人の膝部分を厚地の布で保護したり、御者の手袋にはクセに合わせた保護布を当てたり。それに気づいた旅人たちはこの街に来るたびにアリシアの店に行き、使い心地を褒めてまた仕事を依頼するようになった。


 こうやってリピーターが増えてきた頃、この街を含める地域一帯を治めていた領主が交代した。正確には王家の属領地になったのだが、この街の近くにあった元領主所有の別荘が売りに出されたときの方がこの街にとっては大きな変化だった。


 元別荘は新たな所有者の意向で上流向けの宿泊施設に改築され、裕福な旅人の多くはこの宿に滞在し、この街で国境を越えるための準備を整えるようになった。


 これが追い風となって、アリシアの店の客は急増した。

 元々旅人たちがよく利用する店だったこともあったが、客足がアリシアの店に集中した原因は街の住人の排他的な気質もあった。

 古くからの住人にとって旅人も『よそ者』であり、彼らに対する戸惑いだけならまだしも、忌避するような態度が旅人たちの足を遠退かせてしまった。


 アリシアの店に商人だけでなく貴族も出入りするようになると、アリシアはより一層この街の住人から遠巻きにされた。


 『よそ者』扱いされる寂しさやもどかしさから、この地域の男性と結婚することもアリシアは考えた。しかし、他の地域から来たお嫁さんが子どもを産んでも『よそ物』扱いされ続けていることを知ってその案を捨てた。


 過去を変えない限り、『よそ者』であることは変えられない。


 アリシアは街の住人の相手をすることを諦め、商人相手の商売に完全に切りかえた。アリシアは旅人たちから生きた知識を学び、その知識を生かして仕事をし、顧客を増やしていった。


 異国からきた新人の商人がアリシアに手袋の修理を依頼するとき、他の人のと間違わないように刺繍を入れて欲しいと願った。快く了承したアリシアは彼の故郷の言葉を調べ、旅の無事を願う言葉を刺繍した。

 彼は遠く離れた地で慣れ親しんだ文字を見るとは思わず、ホームシックにかられてその夜は宿の枕を涙で濡らし、翌朝にはスッキリした顔でこの街を旅立って行った。

 それを見送ったベテラン商人が「一人前の面構えだった」と新たな仲間の誕生を酒場で祝った。滅多に新人を褒めない彼の言葉を耳に挟んだ新人商人たちは我先にとアリシアの店を訪れ、ゲン担ぎにとアリシアに刺繍を頼むようになっていった。


 また、故郷からの報せに急いで帰ろうとしていた商人が、この街の近くで獣に襲われて足をケガをした。

 噛み千切られた服の補修を頼まれたアリシアが、早く帰りたいと嘆く彼に急ぐ理由を問えば初めての子どもが産まれたとのこと。それを聞いたアリシアは大きな布と裁縫道具を彼に差し入れ、赤ん坊用のおくるみを作ることを提案した。

 焦る気持ちか、彼の技術か。ガタガタの縫い目のおくるみができる頃には彼のケガも旅ができるまで治り、別れの挨拶と療養中の気遣いへの感謝に訪れた彼に、アリシアは西の地で作られたという珍しい柔らかな布で作った赤ちゃん用の肌着を数枚贈った。

 「気に入ったら仕入れてきて欲しい」というアリシアの言葉にうなずいた彼は、この街に来るたびその布を格安で卸し続けている。


 ***


「お待たせして申し訳ありません」


 店の前で待っていた四人はマント姿で、フードも被っていたので顔は分からないが、体格から男性三人に女性が一人だと分かる。夫人とその護衛と推察したアリシアは女性に向かって話しかけた。

 一番扉の近くにいた男性らしき影が動いたが、アリシアはそちらに目は向けなかった。ジロジロ見られると集中力が削がれて嫌だと商人の護衛たちに聞いたことがあるからだ。


「いらっしゃいませ、私は店主の……」


「アリシア」


 この街で聞くはずのない声に名前を呼ばれ、扉を開けて店内に招き入れようとしていたアリシアは手を止め、声のした方を見る。

 アリシアを見る男性の視線と、驚愕に満ちたアリシアの視線が静かに絡まった。


「どうして……」

「久しぶりだな」


 アリシアの瞳の中で男性がフードをとると、その黒髪が風に揺れる。

 この信じられない事態に、「今日は風があるな」とアリシアが現実を直視できずに呆然としていると、突然強い風が吹いて扉が煽られた。


「危ない!」


 焦った声と同時に強い力で引っ張られ、扉が閉まる大きな音のあとにグワンッと体が揺れるのを感じた。


「大丈夫か?」


 どのくらい時間がたったか分からないが、体に直接響いた男性の声にアリシアは自分が彼の腕に抱き込まれていることを理解して、慌ててその胸を押して体を離す。

 強く閉まる扉から守られたのは分かるが、静まり返った店内で二人きり。

 呼吸や心臓の鼓動が聞こえそうなほどの近くにいる状態には戸惑いしかない。


 懐かしいコロンの香りにクラリと眩暈がし、夢ならいいのにと思いながらも脳の冷静な部分は「夢ではない」とアリシアを叱咤する。


(落ち着くのよ)


 窮地に陥ると蘇るのは家庭教師の、『貴族女性たるもの、いついかなる時も感情を殺して優美に微笑まなければならない』という教え。

 体に叩き込まれた幼き頃の教育に感謝しながら、アリシアは微笑む。


 今度怯んだのは目の前の男の方だったが、こちらも貴族男性。

 学んだ貴族のたしなみで表情を無にしたが、


「いらっしゃいませ」

「久しぶりだな」


 先ほどと同じ挨拶の繰り返しになり、


(この人も緊張することってあるのね)


 体から力を抜いて、改めて目の前の男性を観察する。


 久しぶりに見るその顔は相変わらず端整で、アリシアの記憶の中の二十歳の時より精悍さが増していた。

 オーダーメイドとひと目で分かる、体にピタリと合ったスーツ。

 磨き上げられたピカピカの革靴。

 一分の隙もない立ち姿だが、さきほどの風の所為で乱れた髪がその『とっつきにくさ』を緩和していた。


「アリシア」


 名前を呼ばれてアリシアは可笑しくなった。

 あまりに自然に呼ぶから気づくのが遅れたが、彼とはもう『アリシア』と名前で呼ばれる間柄ではなくなっていた。


 それが貴族のマナー。

 そして貴族のマナーがアリシアの体を動かす。


 質素なワンピースのスカートの端を摘まみ、左足を右足の後ろに引いて、右足の膝を軽く曲げる。

 筋肉の震えに初めて習った頃を思い出した。 


「ご無沙汰しております、レイナード侯爵様」


 ***


 二人の挨拶が終わるのを待っていたらしい。


「ヒューバート様」


 アリシアが姿勢を戻すと、外で放置する形になってしまっていた三人が入ってきた。

 彼らは直ぐにヒューバートの元に行き、ケガの有無を確認する。


 彼らが身にまとうマントに刺繍されたレイナード家の家紋に、アリシアは彼らがレイナード家の騎士だと気づいた。

 そして彼らが自分に向けてくる視線に、彼らが自分とヒューバートとの関係を知っていることを理解する。

 そしてその気まずそうな理由も。


(当然よね)


 アリシアはため息を堪えて、騎士たちの少し後ろで所在なさ気にしていた女性に淑女の微笑みを向けた。


「レイナード侯爵夫人。こちらへどうぞ」

「え!?あの、その……私は……」


 椅子をすすめられた女性が戸惑った視線をヒューバートに向けると、彼は大きなため息を吐いて一人だけ椅子に座る。

 教本の見本のようなエスコートをしていたはずの彼の思いがけない不作法にアリシアが思わず怪訝な顔になると、ヒューバートは無表情を苦笑に歪めた。


「彼女は『妻』ではない」


 それなら彼女は恋人、もしくは婚約者だろうか。

 そんな疑問が目に出ていたのか、アリシアと目があった女性は慌ててマントを取って着ているお仕着せを見せた。


「彼女はうちの侍女だ……のところに妻を連れてはこない」

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