七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。
酔夫人
第一章
第1話 旅人が来る
「アリシア、店の前に人がいたわよ。護衛付きの大物って感じだったわ」
「ありがとう、ジーン。急いで行ってみるわ」
アリシアは洗濯物を干している手を止め、隣人のジーンに礼を言うと残っていた洗濯物を手早く干し、家に鍵を閉めて店に向かう。
アリシアが大通りに出ると一気に視線が集まった。
アリシアがこの辺境の宿場町で洋裁店を始めて七年近くたつが、この街の住民たちにとってアリシアはまだ『よそ者』だ。
この街はここで生まれ育った住民同士の結束が強く、『よそ者』のアリシアは遠巻きにされている。ジーンのようにアリシアに対して好意的な住民は少ない。
店もあるのでアリシアも一時はこの地域に馴染もうと努力はした。
ここで生まれ育った男性と結婚することも考えたが、隣町から嫁いできて子どもまで産んだ女性も『よそ者』として扱われているのを見て、その案を含めた馴染む努力をやめた。
アリシアは住民の反応をいちいち気にして委縮することはやめて、この街が隣国と王都を結ぶ街道沿いにあることを活かして旅人たちを店の客とすることに決めた。
旅人もアリシアと同じくこの街では『よそ者』、住民たちの排他的な対応に眉を顰めた旅人たちは自然とアリシアの店に集まった。
後から旅人たちに聞いた話では、彼らも最初は「美人の店主がいる」という噂を聞いてアリシアの店に来ていたらしい。
ただ旅人たちの間で「美人見たさで店に行った俺たちの依頼にも丁寧に対応してくれた」という話になり、アリシアの人柄の良さが旅人たちの間で広がっていったという。
旅人たちが店に来るようになって、アリシアの仕事は変わった。
初めの頃は頼まれた仕事だけをしていたが、旅人たちの旅が少しでも楽なものになるようにと『お直し』を提案するようになった。
どれも大袈裟なものではなく、膝が痛むと言っていた客のズボンの膝部分に厚地の布を重ねるなど簡単な手直しだ。
それでも旅人たちは『お直し』を気に入ってくれて、旅人たちはこの街に来るたびにアリシアの店に顔を出してくれるようになった。
『よそ者』を嫌う住民たちの間で『よそ者』はよく噂になり、その噂は初めてこの街に来た旅人にアリシアの店を宣伝することなった。
アリシアの店に旅人が毎日二、三人来るようになった頃、この街を含める地域一帯を治めていた領主が廃された。
それにより売りに出された街の近くにあった元領主の別荘が「お偉いさん向けのホテルになる」という噂にアリシアは興味を持った。
実際にその別荘が改築されてホテルになるとなり、裕福な旅人たちが長めに滞在して旅支度を整えるようになると、彼らは旅人たちの噂を聞いてアリシアの店に集まり、アリシアの予想通り店の客が急増した。
店に『お偉いさん』が出入りするようになるとアリシアは更に住民たちから遠巻きにされたが「仕方がない」とアリシアは諦めた。寂しさやもどかしさ、時にはその理不尽さに怒りを感じたこともあったが「『よそ者』であることは変えられない」とアリシアはその扱いを受け入れることにしたのだ。
アリシアが作業をする間、旅人たちは他愛のない話をする。それがアリシアの寂しさを埋めると同時に知識になり、それを活かして次の仕事に繋げていく。
アリシアはそうやってこの街で生きてきた。
***
「お待たせして申しわけありません」
店の前で待っていた四人は外套で全身を覆っていた。顔は見えなかったが、体格から男性が三人に女性が一人だとアリシアは推測した。
『貴族夫人とその護衛たち』と判断してアリシアは女性に声をかけたのだが、反応したのは一番扉の近くにいた男性だった。
それに気づいてもアリシアがそっちを見なかったのは、商人の護衛をしている客から「ジロジロ見られると集中力が削がれて困る」と聞いたからだ。
だからアリシアは不意を突かれた。
「アリシア」
アリシアの耳に届いたのはこの街で聞くはずのない声。解錠した店の扉を開ける途中で手が止まり、アリシアは隣の男性を仰ぎ見る。静かにアリシアを見る視線と、驚愕に満ちたアリシアの視線が絡まった。
「……ヒューバート、様?」
「久しぶりだな」
アリシアの瞳の中でヒューバートがフードを外すと黒髪がこぼれ出た。
信じられない状況にアリシアが呆然としていると突然強い風が吹いた。開き掛けの扉が風に煽られ、アリシアの体にぶつかりそうになる。
「危ない!」
ヒューバートの焦った声が聞こえたと思うと同時に体を強い力で引っ張られ、扉が閉まる大きな音が聞こえたと同時にアリシアの体に鈍い振動が伝わった。
「大丈夫か?」
ぼうっとしてしまったが、耳元で聞こえたヒューバートの声にアリシアはハッと我に返る。
自分の体がヒューバートの腕に抱きこまれていると気づき、アリシアは慌ててヒューバートの胸を押して体を離した。
風に煽られた扉から守ってもらったことはアリシアにも分かるが、静まり返った店の中で二人きりだと強く意識してしまった。
呼吸や心臓の鼓動が聞こえそうなほど近くにヒューバートがいる状態に戸惑っているのに、漂ったコロンの香りを懐かしいと感じてしまう。不意に「夢ならいいのに」と思った自分をアリシアは叱った。
(落ち着くのよ)
貴族はいついかなる時でも感情を殺しなさい。家庭教師に言われたことを思い出し、体に叩き込まれた厳しい教育に感謝しながらアリシアは顔に微笑みを浮かべる。
「いらっしゃいませ」
ヒューバートの怯んだ姿にアリシアは胸がすく思いだったが、ヒューバートも貴族の男。瞬く間に感情は消えて無表情になる。
「久しぶりだな」
無駄な会話を嫌っているのに同じことを言うヒューバート。その顔は相変わらず端整で、アリシアの記憶の中の二十歳の彼より精悍さが増している。しかしよく見ればヒューバートの口元は強張っているし、目が合わないように少し視線をそらしている。
(この
相手が緊張していると分かったら、アリシアの緊張が少しだけ消えた。
「アリシア?」
名前で呼ばれたのは二回目。どちらも自然過ぎて、ヒューバートとはもう名前で呼び合う間柄ではないことに気づくのが遅れた。
アリシアは質素なワンピースのスカートの端を指で摘まみ、左足を右足の後ろに引いて膝を軽く曲げる。筋肉の震えに、カーテシーを初めて習った頃を思い出した
「ご無沙汰しております、レイナード侯爵様」
レイナード侯爵、ヒューバート・クリフ・レイナード。
ノーザン王国にある侯爵家の当主で、たった七日間だけアリシアの夫だった人である。
「ヒ ューバート様」
挨拶が終わるのを待っていたのだろう。
アリシアが姿勢を戻すと直ぐに、外で放置する形になっていた三人が店の中に入ってきた。
ヒューバートにケガの有無を確認し始める彼らの外套にはレイナード侯爵家の家紋が刺繍されている。アリシアは彼らがレイナードの騎士だとが分かると同時に、彼らが『七日間の花嫁』と言われる自分に気まずそうな理由も理解できた。
(当然よね)
アリシアはため息を堪えて、騎士たちの少し後ろ、所在なさ気にしている女に店主の微笑みを向ける。
「レイナード侯爵夫人。こちらへどうぞ」
「え!? あの、その……私は……」
イスをすすめられた女性が戸惑った視線をヒューバートに向け、ヒューバートがため息を吐く。不思議なやり取りだとアリシアが内心で首を傾げると、ヒューバートだけがイスに座った。
(妻に勧めず自分だけ座るなんて)
ヒューバートの不作法に思わずアリシアは眉間にしわを寄せてしまい、それに気づいたらしいヒューバートの無表情が苦笑に変わった。
「彼女は『妻』ではない」
(では婚約者? それとも恋人?)
反射的にアリシアは女に目を向け、彼女はアリシアと目が合うと慌てて外套を脱いで下のお仕着せを見せた。
「彼女はうちの侍女だ」
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