三話 逃亡

 僕はチューリピアの手を取った。


「逃げるって、どういうこと!」


「そのままの意味だよ。帰りたくないのなら、僕と逃げよう。このまま連れて帰られても、後味悪くなるよ」


 戸惑う彼女をそのまま店の外にまで引っ張って行き、外で草を食っていた馬の背にひょいと乗せた。軽かったので、簡単に乗った。


「正気なの? 追ってきてるのは魔族の精鋭よ? 残念だけど、あなたたち人間じゃ敵わないわ。あなたたちがやられたら、私の方が後味悪いわよ!」


「そんなことは最初から分かってる」


「じゃあなんで!!」


「何も戦わなくちゃいけないわけじゃないだろ?」


 僕も馬の背に跨った。


 みんながそれぞれの家の中に引きこもった町で、店の外にたった二人で出たのだから当然追っ手、ドンファに見つかった。


「姫! どうしてそこに! いや、そんなことはいい。早くお帰りください!」


 チューリピアは後ろめたさに俯いた。


「ほら、もう見つかったじゃない。私を引き渡してしまったほうがあなたの身のためよ」


「いや、大丈夫だよ」


 僕は馬の頭を北に向けた。


「おい! そこの人間! 姫さまに何をしてるんだ!」


 後ろから聞こえる怒鳴り声も今は気にしない。


「ちょっと! 本気なの!」


「だからそう言ってるじゃないか」


「狂ってるわ!」


「魔族にそんなこと言われるだなんて光栄だな」


「ふざけないで!」


「ふざけてるかどうかは、今にわかるよ」


 別に僕は無謀なことを安請け合いしたつもりはない。僕ならできる。その確信があった。


「さあ、行こう!」


 馬に合図を出すと、大きく一回嘶いて走り出した。


「おい貴様! 姫をどこに連れて行くつもりだ!」


 ドンファは僕たちをすぐに追いかけるべく翼を広げた。あれが魔族の翼なのか、初めて見たな。まるでコウモリの羽を何倍にも大きくしたみたいだ。


「姫ーー! お待ちください。どうしてあなたは人間なんぞについて行くのです!」


「……!」


 やっぱり魔族ってのは速いらしい。あの翼は飾りじゃないみたいだ。大きく羽ばたいて僕たちのもとへと一直線に向かってくる。


「どういうつもりだ人間! その方が魔族の姫だと知っての蛮行か?」


 後ろからドンファの叫び声が聞こえてくる。


「そうらしいけど、僕には関係ない。ただ知ってるのは、この子が帰りたくないってことさ」


「あなた、よく魔族にそんな大きい態度でいけるわね! その度胸はどこからくるのよ……」


 なぜか、勝手に呆れられた。


「止まれ人間! 貴様の浅知恵で魔族から逃げられると思うなよ?」


 いつのまにかドンファは僕たちと並んでいた。ぐんと加速したらしい。やっぱり速いな。さすがに何もせずに逃げ切るのは無理らしい。


「ほら! やっぱり追いつかれちゃったじゃない!」


「まあ落ち着いて」


「落ち着けるわけないでしょ! どうしてあなたはそんなに余裕なのよ!」


 どうして余裕か? そりゃ余裕に決まってる。だって……


「観念しろ! もう逃げられないぞ?」


「いや、逃げれるさ。『シューティングスター』!!」


「グォォォォン!!」


「な!!」


「ええええ! 何よこれ!」


 だって僕は速いから。あんなに大きな翼があったところで、僕には到底追いつくはずがない。


「なにい! どうして追いつかんのだ! それどころか離されていくではないか!」


 僕たちが乗る馬はドンファを引き離していく。彼はチューリピアに向かって必死に手を伸ばすけど、届くはずもない。


「これがあなたの魔力なの!?」


「そうさ、『シューティングスター』は大陸一の速さだよ」


「待て! 待つんだ!!」


 ドンファが叫ぶ声も、彼方に響くだけになった。


「凄いわ、本当に振り切っちゃいそうよ」


「そりゃあね。僕よりも速いやつなんて居ないから」


「ほんとデタラメね。そんな魔法見たことないわよ」


「よく言われる」


 もうどれくらい北に進んだだろうか? とっくにいつも仕入れをしている都会の街は通り過ぎている。


「で、これからどこに行くつもりなの?」


「……」


「え? まさか何も考えてないの?」


「うん、まあ勢いだったし」


「あてがないっていうのに……ほんとあなたおかしいわよ?」


 後ろでチューリピアはため息をついた。


「私、この辺りのことは全く知らないからあなたに任せるわよ?」


 うーん、困ったなぁ。勢いだけで飛び出してきちゃったから、本当にこれからどうするのか何も決めていない。なんなら僕の店もそのままにしてあるから、困ってしまった。


「まずは君が休まないといけないだろ?」


「大丈夫よ、と言いたいところだけど、否定できないわね。正直かなりしんどいわ」


「その割に声が弾んでるね」


「だって夢みたいだもの。私がこんなところまで来ているだなんて。一生魔都から出られないと思っていたから」


「そりゃよかった。僕も飛び出してきた甲斐があった」


「本当ありがとう。感謝してるわ」



 だけれど、実際これからが大変なんだよな。


「休めそうなところってどこがあるの?」


「ここの近くだと……王都だな」


「ええ! この国の都ってこと?」


「そうだけど、何か困る?」


「いや、そうじゃないけど、相当遠いでしょ?」


「そうでもないよ。ほら、もうすぐそこさ」


 地平線のあたり、王都の城は見えていた。

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