ケモノ
中村智一
プロローグ
人間ってなんだろうな。
たまにそんなこと、考えたりしやしないか?
朝起きたとき。夜眠る前。通勤している電車の中。凶悪な事件のニュースを映すテレビをなんとなく見ながら。
特に意識をしているわけじゃなくても、ふとした瞬間に考えたりしやしないか?
俺はちょくちょく考えるんだ。人間ってなんだろう。
生き物で、二足歩行ができて、服なんか着ておしゃれして、自分の個性を主張したりしなかったり、自分の欲を満たしたり満たさなかったり、愛を育んだり、それを自らの手で壊してみたり。謎が深いのか業が深いのか。
とりあえず、何であるか? という問いに、未だ明確な答えを見つけられずにいるわけだ。
俺は学がないし、社会的地位なんてものもない。学歴は中卒で、職歴は――まあ、見せびらかせるものはあまりない。
頭がいいわけじゃないし、スポーツが得意なわけでもない。インスタ映えする顔でもないし、実は何万人もフォロアーがいるような意識の高い充実な生活を営んでいるわけでもない。
ただ、俺は人を、沢山の人を見てきた。
誤解しないでもらいたいが、別に、人間観察をあえてしているわけじゃないし、たくさんの人と出会うために東奔西走駆けずり回ったりしたわけでもない。
俺はデブではないが出不精だ。めんどうくさがりで働きたくもないし、汗一滴すら流したくないね。
ただ、他のひとよりもほんの少しだけ視線を外側に向けてきたというだけの話。
自分を映す鏡としてではなく、純粋に他人を見るという意味でね。
あんたはどう思う? 働いて、働いてさ。楽しいならいい。幸せならなおのこと。だが、どうだろう。世の中を見渡してみれば、あんたも気づくだろ? 何も、誰も楽しそうじゃない。面白くもなんともない。
いや、これはそう、あくまで俺の個人的な主観でしかないのは認めるよ。言い直そう。俺はつまらない。俺は退屈だ。
そこで俺はいろいろと、ない頭をフル回転してなんだかんだと考えたり、出不精な身体にムチを打って動いたりして、それを今文字に起こしてアウトプットをしているわけだ。
何分、学がないことは前述の通り、語彙と表現の貧困さはそのまま愛嬌として受け取ってくれ。
そして、これを読み終わったあとに、あんたの心の中に何かが残ればいいなんてことを考えながら、俺はこの文章をつらつらと書き進めてる。
笑えるか、泣けるか、怒るか、目をそむけるか。それは全部あんた次第だ。少なくとも俺は大いに笑い、寒々と泣き、奥歯が噛み砕けるほど後悔したし、背中に翼が映えたのかと思うほど歓喜に身を震わせたりした。
俺にとってはドラッグみたいに最高で最低な思い出は、あんたにとってはグロテスクなB級ホラーに成り上がるかもしれないな。
でも、考えてみてくれ。大抵のものがそうだろ? 誰かにとっての幸せの象徴は、きっと、誰かにとっての、首筋に突き立てられたナイフになる。ただ楽しくて見せたその笑顔が、誰かの死の引き金になったりするわけだ。
俺たちはどうも気づかない間に、とびきりの地雷原を、午後のお散歩でもするように、のんきな顔をして歩いているようだ。
何個も、何個も踏み抜いて、爆発してるはずなのに、まわりの誰も、踏み抜いた本人さえも気づかない。踏み抜かれた地雷しか、自らの爆発に気づかない。
そんなふうに、世界を斜に構えて見透かしたように考えてる自覚のある俺だが、別に自分をおかしいと思わないし、まわりが狂ってるなんて糾弾するつもりもさらさらない。自分が正解で、自分が正義だなんて、口が裂けても言えやしない。
ただ、なんか変だな。気持ち悪いな。あんたはどう? そんな感じ。
自己紹介が遅れたが、俺はアキラと名乗っている。
昔のアニメか漫画だかの登場人物の名前らしいが、それを見ていたのは俺ではなく、今は亡き親父だ。それがどんな物語のどんなキャラクターかは知らないが、きっと俺と同じくらいに強くてかっこいいに決まってる。
そう、物語なんて、仰々しい言葉が見合っているかはわからない、けど、どう言われてもこれは俺にとって大事な大事な物語。
継ぎ接ぎだらけの安っぽい幕をそろそろ開けようと思う。
お決まりの、耳をつんざくあのブザーの音を頭の中で鳴らしてくれ。準備はいらない。必要なのは、あんたのその目と何かを感じる何かだけ。俺はその何かに、これまた何かを与えたい。
笑ってくれ、泣いてくれ、そしてあんたの何かに、変化が与えられれば幸いだ。
そんな呪いをかけながら、力いっぱい縄を引き、このカビ臭い幕を上げていこう。
今年の十月に二十一歳となった俺は、ふた月遅れで自分へのバースデープレゼントなんかを探索しながら街をブラブラと歩いていた。
買い物は好きだが金はあまり持っていない。十二月の刺すような寒気に身を強張らせながら、夜空に白々しく浮遊する月に、同じように白い息を吹きかけた。
「アキラ!」
街なかで恥ずかしげもなく大声で呼びかける声に振り返ると、よくつるんでいる連れの一人、シュウゴが嬉しそうな顔を貼りつけて、俺に向けて手を振りながらこちらへと小走りで近づいてきた。
応えるように右腕を上げて、追いついてきたシュウゴとともに、いつものようにパルコの東館と南館の間にある喫煙スペースへと向かった。
ここは、俺たちが住む市内ではとびきりおしゃれなとこ。あえてどことは言わないが、地下鉄があったり、繁華街があったり、オフィス街があったりする、見る人が見ればそこそこ都会に見えなくもない地方都市。
ひとは多くて道路なんかは深夜以外ずっと渋滞してるし、通勤ラッシュに巻き込まれたら、どの電車もどのバスも馬鹿みたいに混雑する。そんなありふれた都市の、モールやショップ、洒落たカフェなんかが集まるこの街が、俺たちのたまり場だ。
徒党を組んでギャングを気取るわけでもないし、我が物顔で、肩で風を切り狭い歩道を闊歩したりなんてしやしない。俺たちは小心者の、心優しい好青年の集まりだった。
ほんと、何気なしに集まって、だべって、飯を食ったり買い物したり、女を相手にふざけたことを抜かしてみたり、そんな愛らしい毎日を過ごしているだけの小物の集まり。
特に目新しいものが置いてない露天商の屋台の上のような、なんの新鮮味もない俺たちは、一週間に二、三回の頻度で集まっていた。
俺は郊外に住んでいるので、電車で来ると三十分くらいかかる。車できたりバイクで来たりとその日の気分で交通手段は変えていた。
シュウゴはこの街のクソみたいなワンルームに住んでいるので、スケボーで現れたり、何故かタイヤが異様に太ったバランスの悪いマウンテンバイクに乗って現れたりするが、今日は徒歩のようだった。
しかし、それなりに都会だと、繁華街には女子中高生からヤバそうなやつまでたくさんのひとが行き交うよな。いろんな年齢のいろんな男女が、いろんな目的を持ってあっちへ行ったりこっちへ行ったり。
たくさんの色のこってりとした絵の具をまっさらなキャンパスにぶちまけたような、異様で、不気味な感じ。ムンクも青ざめそうな色使い。
確実に何かをキメてるジャンキーから、スタバで文庫本を読み耽る大学生。マリファナ臭いヤンキーから、買い物袋を両手いっぱいに持って満足そうなガイコクジン。仕事帰りに部下を連れてキャバクラや風俗に勇み足の中年から、明らかに援助交際だろってつっこみたくなる年の差カップル。
ろくでもないやつから至って真面目なやつまで勢揃い。
そんな愛すべき俺たちのくそったれな街で、今日も何事もない、ドラマティックでもロマンティックでもないが、エキサイティングな夜が始まるわけだ。
「クラブ行こうぜ、クラブ」
シュウゴの女遊びはえげつない。正気を疑うほどの、常軌を逸したセックスモンスター。ゴキブリのような扱いを受けても決してめげない、勇者のような鋼の心を持った馬鹿。
だが、こいつのおかげで女に困ることはなかった。やりたければこいつに連れられクラブやらなにやら、夜の繁華街を歩けば事足りる。まあ、そりゃ頭と股のお緩いお似合いの女としかやれないけどね。
しかし、俺は今年の夏に、こいつのせいで嫌な病気をもらう羽目になったことを忘れちゃいない。パンパンに腫れたアレは、それはもう激痛で、下手に触れば涙がでるほどだった。
「嫌だよ。今は俺、そういうの封印中。大人しくて真面目で、病気持ってなさそうな女が欲しい」
「ああ、最近流行りの清楚系ビッチな。わかるわ、それ」
違えよ、馬鹿が。心の中でつぶやきながら、俺は首を横に振る。
「とにかく女って気分じゃないんだ。むしろ男だけで安い酒を飲みながらだべりたい気分。確かソウヤがおととい帰ってきたはずだろ? 久しぶりに三人でやろう」
苦い顔をするシュウゴ。どうやら大変不服らしい。
「――わかった。とりあえず一回ソウヤに連絡しよう。それから多数決で決めればいい」
俺はそう言って、スマホを取り出しソウヤに向けて発信した。
まだまだ夜は始まったばかりの午後八時半。ロフト近くのコインパーキング、その横にある寂れた公園で、俺たちはソウヤを待っていた。
熱くて甘ったるい砂糖のような缶コーヒーを飲み干し、灰皿代わりにして一服しつつ時間を潰していると、黒光りするスモークバッチリのハリアーが、公園の入口付近で停車した。きっとソウヤに違いない。
ソウヤはイケメンで長身。何をしているのかいまいちわからないが、自分で会社を立ち上げ運営し荒稼ぎをしている。
俺を含めた乞食で構成される仲間内では、小金持ちという稀有な存在だった。と言っても、俺たちの仲間なんて俺とシュウゴとソウヤの三人でしかないが。
羽振りはさほど良くないが、そもそも俺たちはたかったりはしないのだ。誰が上とか、誰が下とか決めたりはしない。付き合いもそこそこ長いので、持ちつ持たれつという関係だ。
「久しぶりだなふたりとも。これはハワイのお土産な」
ソウヤは三ヶ月前ほどからハワイに飛んでいた。部下の女に手を出して、それがなかなかのメンヘラだったようで、命の危険を感じて逃亡した、なんてこいつは言っていたが、真実は知らない。詳しくも訊かない。友だちだからって、何でもかんでも根掘り葉掘りって間柄じゃないんだ。在り方なんて多種多様、千差万別だろ?
「あと、これはアキラに。お前十月誕生日だったろ? たしかバングルが欲しいって言ってた気がしたから、インディアンジュエリーにしてみた。何族のデザイナーかは忘れたけど」
一つ訂正。こいつは時と場合により気前がいい。普段は一ジンバブエドルたりとも奢りはしないが、こういうところではすかさず何かをこしらえてきたりする。
「おお、かっこいい」
そしてなかなかセンスもいい。
イケメンで長身、金持ちでセンスが良く気配りもできる。しかし、唯一の欠点はそのすべてを帳消しにして、というか無意味にしてしまう。それはその神がかった女運の悪さ。前世でどれだけの業を積めばこんなことになるのだろう。
神さまはきっと、絶妙なバランス感覚の持ち主に違いない。
ソウヤは包装紙を助手席に置き、運転手に一言二言伝えると、ハリアーは静かに、真面目な運転で狭い路地へと消えていった。
「それで、今日は飲みに行くんだっけ?」
ソウヤが聞くと、シュウゴは「聞いてくれよ」と渋い顔で主張し始めた。
「俺は久々にみんなでクラブで騒ぎたいのに、アキラが清楚系ビッチじゃなきゃ勃たねえとか言ってノリ悪いんだよ。どう思う?」
「お前、俺がなんで海外飛んでたのか忘れたのか? 女なんて懲り懲りだ」
大げさに青ざめてみせるソウヤのその一言によって、今夜の行き先は確定した。
「クラブはまた今度な。ジャックで隣の席が美人だったら声かけてもいいからさ」
俺はそう言って、目的地であるダーツバーへと歩き出す。いい加減寒すぎる。缶コーヒーがもたらした温もりなんてこれっぽっちも残っちゃいない。
「絶対だな? そのときは協力しろよ、お前ら。一番かわいいのは俺が食うから」
女が隣に座っていることを信じて疑わないシュウゴの快闊な声を背中で聞きながら、俺と愉快な仲間たちは、仲良く並んでダーツバージャックへと向かっていった。
俺たちは、少なくとも俺は、ろくに働きもせずにこんな生活を繰り返していた。
馬鹿と罵られるかもしれないし、将来のことを考えろ、なんて説教をくらうかもしれない。でも、俺はこんな楽しげな毎日を送りながらも、どこか酷く退屈だった。
セックスをしているとき、ゲロまみれになるほど飲みまくってるとき、なぜか意味もなくハイになっているとき、そんなときは夢中で、退屈なんて微塵も感じやしないが、ふとした時に、猛烈に退屈に襲われるんだ。
あいつらとつるむのは楽しい。恥ずかしくて直接言うことはできないが、ずっと連れでありたいと思ってる。
何かがはっきりと違うみたいな、明確な感覚ではないが、妙に心が渇くときがある。別に、クスリをやってるとかじゃない。けれど、やっぱりどこかがカサカサに渇ききっているんだ。
世界を語れる程に、大きい人間では決してないが、でも、この世界の住人として、少なからず何かを訴えてもいい気がする。まあ、俺が語れることなんて、出たこともないこの日本のことだけだが。
なんかおかしくないか? おかしくなってないか? 世界が壊れているのか、ひとが壊れているのかわからないが、なぜだか妙に、そんな感じがするんだ。
増える一方の自殺とうつ病に、無くならない差別や腐敗。破壊されていくモラルや、淘汰されていく文化。
前述の通り、俺は好青年だが優等生ではないからな。難しい言葉を論っては疑問を呈しても、結局その答えは得られない。
戦争を知らない俺は、その時に失われた命の数すら知りはしない。修学旅行で広島に行けば何か違った感覚を得られたかもしれないが、残念ながら、俺は京都で金閣寺を眺めていた。
そんな戦争のさなかに無数の人命が失われた。その一つ一つに意味はあったのか、なんのために彼らは生まれたのか、なんて、現代人は悲哀に満ちた目を戦没者向けるだろうな。国や国土のために命を捧げるなんて理解できない。なんて狂った時代なんだ! なんてね。
盃を叩き割って自爆特攻して命を散らした彼らの望む平和な世界の姿は、はたして、今の世界の姿とどれだけ違っているんだろうな。
確かに今は、平和で安全で便利、最高だ。
戦死した人は、生まれた時代が悪かった。かわいそうに。戦争もなく、世界中見渡しても比較的治安のいいこの国に生まれ育った自分たちは、なんて幸運なんだろう。そんなふうにあんたも思うだろうか。
しかし、俺は今を生きる俺たちこそがかわいそうなんじゃないかって思うわけだ。あんたは生きることに貪欲か? 死にたくないと、声を上げられるか?
俺は思うんだ。生きることに必死じゃないやつは、生きる必要があるんだろうかってね。
まわりを見て、社会というおぞましいものに身を潜めて、目立たないように、目立たないように、実態の知れない何かに気を使って生きている。
俺たちはもっと、ケモノであるべきじゃないか? 熱くなれ、なんてこっ恥ずかしいことは言わないが、俺はこんな冷めた世界じゃつまらないんだ。
なんのために生きるのかわからないやつは、どうか俺のために、存分に醜く気高いケモノになってほしいね。
俺だって善良な一般市民だ。人を殺しちゃいけないし、腹が立つからとボコボコにしていいわけないのもわかってる。レイプは最低な行為だし、浮気だってよくないこと。それくらいのモラルは俺の程度の低い脳みそに、何キロバイトかの容量でダウンロード済だ。
俺が言っているケモノっていうのは、なにも全く人間性のない狂人じゃないんだ。そんなやつはもともと生きる価値もないゴミクズだ。
そうじゃない。違うんだ。もっとこう、必死に生きて、懸命に生きて、死にたくないって願いながら死にたいわけだ。それが正しい生き物の姿だって、俺は勝手に思ってる。
多くの人間が、この世に生まれ落ちてから、今の今まで自身の死を身近に感じたことは、一度もないんじゃないだろうか。
でも、それはどうなんだろう。生と死は表裏一体。死を感じて初めて生を感じることがあるかも知れないよな。
そんなことを考えている毎日の中で、俺はある自殺者に出会った。志願者ではなく、自殺者。
出会ったというか、遭ったというか、表現に困るところではあるんだけどね。俺はそいつのせいで、買ったばかりの新古車のクラウンアスリートを思いっきりへこまされたわけだからな。
とりあえずあんたが飛び降り自殺する時は、その下に俺のクラウンがないことを確認してから飛び降りてくれ。
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