未来へ

 隆治と高津は薄暗いバーのカウンターで隣同士丸椅子に座ってグラスを持つ。それぞれには綺麗に削られた氷と淡く黄色い酒が入っている。



 「もうそろそろ二十年か」


 「陽大も随分刑事らしくなったもんや」


 「そういう隆治はどう見ても堅気の人間やないな」


 「それは褒めてんのか?」


 「お前は任務を全うしてる。ちゃんと褒めてるやろ」



 ふたりは酒を酌み交わしながら、静かに会話を続ける。密閉空間の中では、あの頃の関係に戻ることができた。


 同じ高校を卒業して警察学校へ進み刑事になった高津と捜査のため桐島組に潜入した隆治。


 それぞれ別々の道を選ぶことになったのは、ふたりが警察学校においてトップの成績を納めていたからで、警察学校の教官から協力を依頼されたから。


 当時、裏の世界の関係図が狂い始め、ふたりがまだ警察学校に所属していた頃、ある教官は優秀な人材を探していた。


 彼は警察組織から外れた非公認の組織、オリジンの一員であり、教官としての表の顔と、決して正体を明かすことができない裏の顔を持っていた。


 ふたりもオリジンの一員として情報を共有し、それぞれの場所で使命を果たすことになった。


 高津と隆治のどちらが警察内部に残り、どちらが潜入のためヤクザになるか。その答えは簡単に出た。


 ふたりの性格から適材適所として選択した結果、それがうまくはまった。高津は刑事課で順調にその地位を確立し、隆治は裏社会で大きな力を持つ桐島組の次期若頭と呼ばれその名が知られるまでになった。


 オリジンからの指示で以前高津から聞いた復讐を代行する組織がアッシュディーラーと呼ばれるものであることを隆治は突き止めた。


 桐島組にいると同じ裏の世界にある組織として、情報を得ることは難しくなかった。


 そんなふたりがすでに営業していないバーで合流したのは、隆治が大切な話があると高津を呼び出したから。


 この後、ある人物がこの場所を訪ねる。ふたりはその人物が来ることを待っていた。


 刑事とヤクザのふたりは、人の目がある場所で堂々と会うことははばかられる関係だ。


 こんな薄暗く、外部の人間が入ることがない場所でしか顔を合わせることができない。入り口にある鉄製の扉は非常に重く、この中がバーであり鍵がかかっていないことを知る人間でないと入ることは諦める。


 扉が開いて室内が明るくなり、また薄暗くなる。


 姿を現したのは高身長の男でかつての教官であり、オリジンの現トップ。


 警察学校にいた頃は堅物で頑固で厳しい教官として有名だった彼を、高津と隆治は苦手だった。しかし、オリジンという極秘の組織に所属することになり特殊任務に従事することになってからは、ことさら苦手になった。


 日本の治安を守るためにあるオリジンは、そのルーツを警察組織を前身に持つが、司法のもとで正義を遂行する警察組織とはまるで違う。治安を維持するためなら司法を破ることもある。


 そんな組織のトップに君臨する人物は、教官であった頃よりも恐ろしい存在に変わった。髪はグレイに染まり、顔には皺が増え、その分の威厳と重厚感を持った。


 隆治と高津は椅子から立って入口に振り返り深くお辞儀をした。


 男は彼らを一瞥して椅子に座ると、ふたりに座るように言う。



 「失礼します」



 許可を得たふたりは丸椅子に再び腰掛けた。


 本当ならできるだけ会いたくない相手ではあるが、隆治にはどうしても伝えなければならないことがあった。


 高津がグラスを差し出すも、男は手でそれを制した。


 重要な話をするときは酒を飲まない。アルコールは正常な判断を鈍らせることがある。


 そう叱責されたようで、ふたりは静かにグラスをカウンターの奥に押しやった。喉を通ったものは、もう返ってこないが幸いまだ身体を支配するほどの量ではない。



 「話とはなんだ? 簡潔に話せ」



 その男の視線が隆治に突き刺さった。獲物を狙う鋭い眼光が緊張感を生む。だが、隆治にはどうしても伝えなければならないことがある。



 「俺を任務から外していただけますか?」


 「理由は?」


 「第二の人生を歩みたいからです。そのためには、ヤクザから足を洗う必要があります」



 潜入先のヤクザから足を洗って、新たな人生を歩みたい。


 愛する人と共に。


 隆治の気持ちをよく知る高津も同じく懇願した。



 「私は刑事という立場で保証されている場所からずっと隆治を見てきました。こいつのおかげで私は安泰な毎日を送ってきた。今度はこいつに自分の人生を歩かせてやりたいんです」


 「なら、高津が代わりにヤクザに入るのか?」



 男がまっすぐに高津を見る。


 隆治は「ちょっと待ってください」と止めようとしたが、高津は覚悟を決めていた。


 長い間、隆治は外れくじを引いたままだった。ようやくそれが報われるときが来た。ならば、背中を押してやりたい。



 「それをあなたが望むなら……」


 「そんなことを望みはしない。気持ちはよくわかった」



 男は非常に残念だが、オリジンの存在とこれまでの経歴、得た情報を口外しなければ隆治の決断を応援すると言った。


 隆治は再び深く頭を下げた。


 やっと、ひとりの人間として生きていける。

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