第12話


 言い返そうとしたが、口をつぐんでしまう。

 彼は粗暴で後先考えないが、発言は至って正論だ。

 水だけでは三日、長くても一週間が生存可能な限界ライン。ただ漫然と助けを待っていれば、すぐに体力の限界を迎えてしまう。

 それに加えて、安路には更なるタイムリミットがある。一日一回の投薬と検査。二十四時間、多めに見積もっても一日半の三十六時間。それ以上引き延ばせば命に関わるだろう。

 つまり、他の者以上に、安路に残された時間は短いのだ。

 猶予ゆうよは殆どない。

 冷や汗がたらりとほほを伝ったその時、


「お、おい。話の途中で、わ、悪いんだがよぉ」


 織兵衛が割り込んでくる。

 また膝が辛くなったのか。「座るなら床に」と言おうとしたところで、


「そ、そのバットくれねぇか?」


 あろうことか、織兵衛は金属バットを強請ねだってきたのだ。

 意外な要求に閉口せざるを得ない。まさか武器をよこせと言い出すとは。その図太さにむしろ感心する。


「オ、オレは最年長だし、若いもんは、く、“苦労は買ってでもしろ”って言うだろ。な? ゆ、譲ってくれよ」

「訳わからん理屈をこねンなや」

「年寄りで、かっ、体が弱いんだよ。だからさ、自衛用にな。だ、大体、老人は敬わうべきだろ。ほら、シルバー席ってあるし、ちょ、丁度それも銀色だからな」

「別にうまくねぇんだよクソジジイ」


 当然、守は拒否する。

 弱い立場なのは考慮されるべき事項だが、それを盾に意見を押し通すのは横暴だ。正義とは言えない。

 むしろ、度を超した要求は逆効果で、


「弱いから譲れって話なら、あたし達女性にこそ武器が必要でしょ」


 明日香も参戦だ。

 仁王立ちポーズで反論してくる。


「う、うるさいぞ。お、おお、女は黙ってろっ」

「何その化石臭い差別発言。これだからお年寄りは嫌なのよねー」

「だよな。つーかむしろ、若者に譲れやって話だわ。高齢化で支えなきゃなンねぇ老人増えすぎだし、後の世代に迷惑だから数を減らせよ」

「お、おお、お前だって中年だろうがっ!」

「これでも子育て真っ最中の現役世代だコラ」


 物乞いに始まり女性差別、そして世代間の争いに発展している。

 無益な口論だ。

 全員が一致団結して尽力するべきなのに、何故互いを責め合うのだろうか。今頃、主催者達がほくそ笑んでいそうだ。


「いいからよこせ、よこせって言っているんだっ!」


 口では勝てないと判断したのか、織兵衛は実力行使に出る。

 年老いた腕を伸ばし、金属バットを力尽くで奪おうとする。


「離せや、この強突ごうつくジジイ!」

「いいや、これはオ、オレのもんだ!」

「あぁン!? 一発シめられねーとわかンねーのか!?」


 実力伯仲じつりょくはくちゅう、ではないが、意外にも織兵衛は健闘する。

 金属バットの引っ張り合い。まるでひったくり犯と格闘するかのような図。傍目はためから見るとコントである。

 しかし、このままにしてはいけない。滑稽こっけいでも放っておけば最悪の事態、殺し合いに発展しかねないのだ。


「やめてください、二人とも一旦落ち着きましょうって!」


 安路は仲裁しようと、二人の間に入るのだが、


「てめーはすっこンでろ!」

「邪魔じゃ!」


 肘鉄砲ひじでっぽうが同時に繰り出される。


「ぐぁっ!?」


 一発は左の二の腕に、もう一発は鳩尾みぞおちにめり込む。内臓がひっくり返ったような気持ち悪さにくずおれてしまう。


「よ、こ、せぇぇえええっ!」


 織兵衛は粘り続けており、こめかみに血管を浮き上がらせている。金属バットを横取りしようと全力で必死の形相だ。


「いい加減にしろや、この老いぼれ――がッ!」


 とうとう、守の堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れた。

 がら空きの織兵衛の腹部へと、渾身こんしんの蹴りを放つ。肥えた腹回りに作業靴がぐにゃりとめり込む。


「う゛っ」


 小さくうめくと、織兵衛の手は金属バットからするりと離れる。脂ののった中年男性の蹴りは、年老いた体を簡単に吹き飛ばしてしまう。

 スローモーションだった。

 織兵衛の体が“く”の字に曲がったまま、横方向へと水平移動していく。宙に浮いている。踏ん張ろうにも足が地に着いていない。スピードはそのままに、老体は錆び色の椅子へ――


「あっ」


 ――ガツッ。

 誰とも知らない声の直後、濡れた地面に石をぶつけたような、鈍い音がした。

 その時にはもう、何もかもが手遅れだった。


「あぐ、お、あがっ……」


 織兵衛は白目をいて床に転がる。

 彼の鼻と後頭部から赤黒い液体が溢れ出し、コンクリートの床をさっとワインレッドに染め上げていく。金属製の椅子の尖った角には、同じ液体がべっとりと付着していた。


「あぶっ、おっ、お……」


そのうち、口から血のあぶくを吹き出して、びくびく活きの良い海老えびに似た動きで痙攣けいれんし――やがて動かなくなった。

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