第四科目 英語

夜遅く、線路沿いを歩いて帰宅している次のターゲットを襲撃する。今度こそしくじるまいと彼を背後から襲おうとした。彼は気配に気づいて振り返ると、逆に私を襲おうとした。彼は手強く、そして揉み合っているうちに、変装用のサングラスが取れてしまった。

「お、お前は…」

戸惑っている隙に、左手に握ったナイフで一突きした。グサリ。しかし戸惑っているのはこちらも同様だった。私は取れたサングラスをつけ直すと、すぐに現場から離れた。静かな現場に、電車が通過する音だけが響いていた。


火曜日の朝、僕は目を覚ました。そこは病院の一室だった。美人ナースがそばにいると少しだけ期待して横を見る。そこにはいかつい警部が立っていた。

「おお、気づいたか。いいニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?」

「じゃあ、いいニュースからで」

「分かった。あの夜の事件だが、何事もなく終わったよ。あんたが気絶した後パニックになったひったくり犯が逃げていき、白木君が救急車を呼んでくれた。あんたの怪我もごく軽いものだし、彼女に至っては無傷だ。ひったくり犯の方もすぐに捕まったさ。明らかに様子がおかしかったから警察が職質かけたらあっさりだ。言っておくが、逮捕したひったくりは例の連続殺人とは無関係だぞ。家宅捜索をしたけど、犯行に繋がりそうなもんはなかったしな」

白木君が無事だったと聞いて安心した。同時に悪いニュースについて気になった。

「じゃあ、悪いニュースって…」

「あの夜、もう一つ事件が起こっていたんだ」

僕は驚きのあまり、黙ってしまった。

「驚くのはまだ早いぞ。ガイシャはな、あんたのとこの上司、灰野塾長だ」

言葉が出なかった。なんで塾長が殺されなければいけなかったんだ。以前こそ学歴を理由に見下していたが、彼は周囲から慕われていた。僕にはないものを持っていたんだ。それなのにどうして。

「ガイシャは駅から降り、歩いて家に帰ろうとしたところをナイフで刺されて殺されたと思われる。偶然通りかかった酔っ払いが通報したそうだ。んで重要なのはここからだが、今回もやはり例のフィギュアが置かれていたぞ」

「ということは、例の連続殺人犯が?」

「ああ。まあこの事件も後で捜査権を奪われるんだろうけどよ、それでもやれることはやりたいって思うんだ」

警部が強い口調でそう言った。


「実はな、色々と気になることが出てきた。まず殺された桃坂だが、過去にあんたらの塾に通っていたらしいんだ。もっとも、十年以上前のことだがな。それだけじゃない。この前殺された官僚やママタレに関しても、彼らは子供を塾に通わせていたんだ。確か二人とも、子供への指導が厳しすぎるって生前にちょっとした騒動になっていたはずだ」

大手とはいえ、当塾が殺された全員に関わっている。偶然とは思えなかった。

「なあ、確かあのキャラって、確か子供の実績を横取りしていたんだよな?だからホシは現場にグッズを置いたんじゃないか?ガイシャはこいつと同類なんだ、っていうメッセージとしてさ」

確かに、自分の子供の学力や進学先でマウントを取ったり、自身の学歴へのコンプレックスを晴らそうとしたりするケースは決して珍しくない。現に僕もそれらしき保護者を多く見てきたため、彼の仮説にも納得した。その一方で気になることもあった。

「でも桃坂さんは独身で子供もいません。それに他の事件と比べても、妙な点があります」

「妙な点?」

「刺し傷が複数あることです。今までの事件において、犯人は急所を一刺しするだけでした。しかし今回の事件において犯人は何度も刺しています。これは何か理由があるとしか思えないんです」

「そ、それもそうだな…。あと、耳よりな情報が一つある。この写真を見てほしい」

彼が見せてきたのは、事切れた塾長の写真だった。塾長は右腕を前に伸ばして倒れていた。よく見ると彼の右手の人差し指に血がついている。何か文字を書こうとしていたようだが、途中で途切れてしまっている。

「ダイイングメッセージを遺そうとしたのでしょうか?でも犯人が分からないんじゃ意味が…」

言っている途中で気づいてしまった。

「そう、仮に見ず知らずの人間がホシである場合、ダイイングメッセージなんて遺そうとすら思わないはずだ。つまり、どういうことだか分かるな?」

犯人は彼の顔見知りであり、かつ塾の関係者。すなわち、僕らの中に犯人がいる可能性が高いということだ。


「この事実に気づいてから、あんたの同僚のアリバイを色々と調べたんだ。白川のヤマと昨日の夜起きた塾長のヤマでは誰のアリバイも確認出来なかった。問題は桃坂殺しだが、これに関してはあんたもご存じの通りだろ?」

「ええ、僕、緑沢さん、村崎さんは昼間ずっと授業でした。殺された塾長を除いて、アリバイがないのは当日体調不良だと言って欠勤した黄池君だけです」

「いや、そいつに関してもアリバイはある」

「え?」

意外な言葉に、僕は思わず驚いた。

「事件の日高校の同級生と夕食を摂っていたそうだ。どうやら県立大学の近くにいたところを声をかけ、夜遅くまでずっと一緒にいたらしい。違う大学に行ったはずなのにどうして、と思ったようだな」

「なんで彼は大学にいたんでしょうか?」

「さあな。当日大学では高校生向けの模擬試験と資格試験が行われていたらしいが、もしかしたら試験監督のバイトかもな」

当塾では試験監督のバイトを並行して行うことは禁止されている。同時に模擬試験の運営側も、不正防止の観点から塾講師等が応募しないよう言っている場合が多い。そのため彼が嘘をついてそのことを隠すことは、なんらおかしなことではなかった。そのことに関しては後日彼に対して厳重注意が下されるだろう。しかし今の問題はそこではない。桃坂さんの件において、全員にアリバイが成立してしまった。

「もしかしたら、今の同僚じゃなく、過去の同僚とかが犯人ってことも…」

「いえ、あなたの推理は間違っていないと思います。何かトリックを使ったのかもしれません」

最初は信じられなかった。しかし難関国立大出身者としての、いや、塾講師としての勘が次第に騒ぐようになった。犯人は同僚の中にいると。


その日の夜、僕は病室で大学時代を振り返っていた。難関国立大に合格してから人生バラ色になるかと思われたが、それは幻想に過ぎなかった。まず学歴だけではモテることはなかった。仮に学歴が武器になったとしても、同等の学歴を持つイケメンに横取りされるか、将来稼ぐだろうと見込んだ金目当ての女性しか近づいてこないというのがオチだった。

それでも僕は学歴に縋った。それこそ就職活動も学歴だけで乗り切ろうと思っていたほどだ。実際学歴が有利に働く場面はあった。たとえば会社説明会の予約をするときである。特に人気な大手企業の場合、偏差値の低い大学の学生が予約しようとしても、「満員」と表示されることがある。しかしある程度の大学を出ていると、難なく予約出来るのだ。僕の大学の場合、個別説明会で大手企業がブースを構えていたり、大学限定の選考枠があったりしたこともあった。

しかし、それをモノに出来るかどうかはまた別の問題である。現に僕の場合、毎日学歴関係の掲示板でレスバトルに浸っていたため、面接で話せるネタはなかった。おまけに人と話すことも苦手だった。そのため大手は勿論、中小やベンチャーでも一次面接で落選した。そして夏休み明けまで暑苦しいスーツを着て、ようやくこの塾から内定を取れたというわけである。そのため、ペーパーテストの点数が武器になっていた頃が人生のピークになっていた。同時に自分の性格がより卑屈なものとなってしまった。

虚勢を張るために、学歴を振り回していただけだった。僕はただ自分に自信を持ちたかった。胸を張れる自分になりたかった。ただ、それだけだったんだ。


翌日、退院してエントランスに行くと、白木さんが駆け寄ってきた。側には警部もいた。

「し、白木さん。学校はどうしたの?」

「母親の葬儀の準備で…。それよりごめんなさい、昨日は来られなくて」

「大丈夫だよ。むしろ、何ていうか、ごめん、この間はあんなこと言って」

僕はしどろもどろに言いながら頭を下げた。

「こちらこそ、あんなこと言ってごめんなさい。実は以前から、親からの圧力で勉強することから逃げたくて、親がいない今がチャンスだと思って。でも、やっぱり私は勉強することから逃げたくないんです。先生となら、乗り越えられると思うんです。改めて、ご指導よろしくお願いします!」

そう言うと、彼女もそれに呼応するように頭を下げた。僕は逃げない。自分に、そして生徒に胸を張れる塾講師となりたい。彼女のために、改めて事件に向き合うことを決心した。


退院後、三人で病院周辺を歩いていた。普段の生活圏からは少し離れているため知らなかったが、ちょっとした観光地になっているらしく、学生や観光客で賑わっていた。

不意に中性的な顔をした外国人から声をかけられた。観光客だろうか?彼は何かを話している。僕は学生時代某英語の試験を受け、九百点を超えたことがある。しかし彼の訛りが凄い。何となく道案内を頼んでいることは分かるが、それだけだった。仮に内容を理解出来たとしても、話すことが出来ない。日本語でのコミュニケーションですら怪しいのだから、無理もない。白木さんや警部もお手上げのようだった。

「大丈夫ですか?」

困っているところに思わぬ助太刀が入った。私服姿の村崎さんである。彼女はその外国人の話を聞くと、流暢な英語でその質問に答えた。


彼は無事に目当てのラーメン店にたどり着くことが出来た。道案内をしてくれたお礼に、僕らに対してそこでご飯を奢ってくれた。村崎さんはともかく、力になれなかった僕らまでいいのだろうか。

彼は自己紹介をしてくれた。彼の名前はパットというらしく、留学生らしい。同時にSNS上では有名な人らしく、ファンも沢山いるとのことだった。

「それにしても助かったよ。君にあんな特技があるとは」

「特技だなんてとんでもないです。実は私、幼い頃外国に住んでいたんです。今でも英会話に励んでいますよ」

将来に向かって努力する彼女の中に、僕にはない強さを見た。同時に遊び目的で留学していると思っていた自分の思慮の浅さを恥じた。もし塾講師になったことに後悔はない。しかし、もし学生に戻れたら、先生としてより多くのことを伝えられるように、沢山の勉強や経験をしたいと思っている。彼は写真を見せてきた。どうやら多くの人からツーショット写真の撮影を求められているらしい。

「あれ?」

その中で気になる写真を見つけた。殺された白木さんの母親とのツーショット写真だ。彼女は普段講師である僕らに見せないような笑顔で写っていた。撮影日から考えると、殺害されるほんの数時間前に撮影されたものだろう。

「おかしいな、これ」

不意に警部が呟いた。

「写真の彼女は真っ赤な付け爪をつけているが、遺体は付け爪なんてしていなかったぞ」

「え?白木さん、お母さんっていつもネイルつけていたよね?もしかして殺された日も?」

「は、はい。母は出かけるときはいつもつけていました」

自分でネイルを外したのか?それとも犯人が外した?何のために?考えているうちに、僕はある「可能性」にたどり着いた。

「すみません、彼女の遺体ってもう火葬されてしまいましたか?」

「いや、葬儀は明日だからまだだと思うが」

「今すぐ遺体を調べてください!」

僕は思わず声を荒げた。その様子に周囲は困惑していた。

「あ、ああ…」

警部は戸惑いながらも、遺体を調べるよう連絡した。


その後の僕は、一人公園で事件の真相を推理していた。皆で話し合ったり、海外出張中の赤田の手を借りたりしようかと思ったが、その前に自分で考えたかった。何となくではあるが、自力で事件を解決し、白木さんに向き合う方がいい気がしたからである。

何と言っても大きな問題は、桃坂さんの事件のアリバイである。殺害された塾長と黄山君を除いて、同僚全員が一日中塾で仕事していた。黄山君も事件が発生した頃、事件現場から離れた場所で目撃されている。それでも、「何か」が引っかかっている。あの事件の前後における彼らの言動における「何か」が。それを解き明かすことが出来ればトリックも真犯人も分かるのではないかと思うのだが、それこそが僕にとっては大きな壁となっていた。

ベンチに座って考えていたところ、ふと足元に何かが転がってきた。薄汚れた野球ボールである。誰のだろうと思い周囲を見渡すと、そばに野球部らしき中学生が何人か集まって盛り上がっていた。帽子で少し隠れてはいたが、それでも健康的に日焼けしていることは明らかだった。身体も鍛えられており、色白で痩せていた僕とは大違いである。

「もしかして、このボールって君達の?」

僕は彼らに尋ねた。

「いや、これ俺らのボールじゃないっすよ」

彼らの中の一人、恐らくこの中でもリーダー格であろう男子中学生が返答した。「あ、あの、すみません」

若い男性、それこそ僕と同じくらいの年生の男性が声をかけてきた。どうやらここから少し離れた場所で、息子とキャッチボールをしていたそうだ。

「このボール私達のなんです。その、拾ってくださりありがとうございます」

「いえいえ、とんでもないです」

彼が頭を下げたのにつられ、僕も頭を下げた。どうやら彼らの服装、すなわち野球部のユニフォームを見たことで野球ボールが彼らのものだと思い込んでしまったそうである。

そこで僕はふと、急に覚醒したかのような妙な感覚に襲われた。

服装?思い込み?

頭の中の黒い霧が、すぐさま晴れていく。

そうか。そうだったんだ。

僕は脳内でそう呟いた。桃坂さんのときのアリバイの謎も、真犯人の正体も分かってしまった。

僕は立ち上がった。

この事件の真相を暴くために。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る