第二章 言葉に頼らないアドバンテージ #7
数日後。
おばあちゃんがひとりだけ、一番手頃な優先席に座っているだけのガラガラなバスの後方に、五人のバンドメンバーがそれぞれ楽器をひっさげて座っていた。トランペット僕、トロンボーン平林、ユーフォニウム呉、そして、トロンボーン
目的地は安藤の家だった。駅でバスに乗り込み三十分揺られてから、更に徒歩で十分くらい往く。「こんな遠いところから来てんのかよ!」と、この中で一番大きな楽器を持つユーフォニウム呉が声をあげた。「やっぱチューバ無理だったねー」と次期部長のトロンボーン横島がのんびり言う。「わたしたちでコヒちゃんの意志を継がないと……」とホルン阿部が決意を込めて言う。コヒちゃんはチューバ小比類巻の愛称だけど、部員の三割がコヒが本名だと思っている。みんなこの難しい名字を覚えられないのだ。「小比類巻、死んでないけどな……」と、これはトロンボーン平林。
そんな、かつて顰蹙を買った間柄の金管バンド隊は、やいのやいのと賑やかに、すかっと澄み切った青空の下、真っ白な雲を背景に田んぼ道を歩いて行く。熱い日射の隙間を縫うように風が吹きつけ、汗の張った肌を涼やかに撫でていった。夏だな、と僕は呆れるほど陳腐なことを思った。
やがて、見えてきた民家の前で、寄ってくる野良猫を撫でている安藤を見つけた。
「あ……みんな、ごめん……」
安藤はこちらに気づいて立ち上がる。浮かないような、嬉しいような、不安なような、緊張しているような、複雑な表情をしていた。
「謝んなくていいよ。これは僕たちのやりたいことなんだから」
僕は代表して答えた。
今日、安藤のもとへ顰蹙金管バンドが集まったのは、安藤のやりたいことを認めてくれない家族に「合奏」というものを聴かせるためだった。
安藤のお母さんは、演奏会などに足を運んだことがないという。それでいくら言葉を重ねたところで、信じてくれるはずもない。「それなら、実際に合奏を聴かせればいい」と僕は提案したのだった。
正直ダメ元だった。でも、安藤は少し考えた後「やれるのならやりたい」と答えた。「やれる、やろう」と、僕は考えなしに言った。
僕はトロンボーン平林にこのことを掛け合った。安藤の家庭事情について、安藤が説明した以上のラインを超えないように説明し、なんとかできないかと言ったら、その日のうちにはもう、二年金管有志による安藤救済バンドが結成されていた。
「話は聞いてるよ。コンクール、出ようぜ」とトロンボーン平林。
「あたしもさ……話聞いてあげられなくてごめんね」とトロンボーン横島。
「安藤ちゃんがわたしたちと吹きたいって、すごく嬉しいよ」とホルン阿部。
「なんか……青春って感じだな!」とユーフォニウム呉。
「あたしもいるぞ」これは平林のタブレットでオンライン出席のチューバ小比類巻。
「うん……ありがとう」
安藤は俯きがちに言って、目元を指で拭った。
「お母さんは家に?」
僕が訊ねると、安藤は首を振った。
「ううん。今は誰もいない……けど、もう少ししたら彼氏の人と一緒に車で帰ってくるはず」
「なるほど。じゃあ、帰ってきたら始めよっか」
トロンボーン横島が言うと、ユーフォニウム呉がすかさずもの申しに入る。
「いや、今日のお客さんは聞く耳を持ってるかわかんないんだぜ? 始まってもいないイントロでドヤされたら終わりだ。曲の一番盛り上がるとこで迎えられるように合わせたほうがいいだろ」
「はー? そんなタイミングわかりっこないでしょ」
結束した雰囲気はあるものの、イケイケの横島とオラオラの呉は、主張が強い同士なのですぐにぶつかる。
「け、喧嘩はやめてよ……」
剣呑になりかけて、ホルン阿部がおどおどし始める。肉食獣に睨まれた小動物みたいな声に、横島と呉は「あー……」と、すぐに毒気が抜かれてしまう。
「えっと……タイミングならわかる、かも……」
そこで安藤がおずおずと言って、スマホを取り出してみせた。みんなで覗き込むと、画面には地図が表示されていて、車のアイコンが表示されていた。GPSの位置情報を引っ張ってこられるサービスらしい。
「いまその位置にいるなら、大体十三分後に始めれば、呉の言う一番盛り上がるところでお出迎えできそうだ」
タブレット越しの小比類巻が、手元でキーボードをバチバチ叩きながら言った。「すご! スパイ映画のバックアップ担当ハッカーかよ!」と呉がはしゃいだ。横島はそんな呉をジト目で非難がましく見てから、安藤に視線を戻す。
「オッケー、ありがと、安藤ちゃん。そしたら一三分後に始めよう」
「……うん」
安藤は決意を固めたようにうなずく。合流した時よりも、随分とメンタルが安定しているよう見えた。すごいな。みんなの協力のお陰で、全てのことがとんとん拍子に進んでいく。ふと、僕は華礼が言っていたことを思い出した。
──共通点もないような人たちが集まって、音楽でひとつになるっていう感じのが見たかったわけ。
楽器を取り出して、ケースはどこに置くだの、どういう風に並ぶだの、野良猫がこっち来てくれないだの、喧々諤々と準備が始まる。華礼が見たかったのは、実際こういう場面かも知れない。見世物では無いので、本人をここへ呼ぶわけにはいかないのが残念だ。
やがて、それらしくゆるい弧状の列を作り、準備もできたところで、安藤が前に出てきて言った。
「あの……先に言っておくけど、うちの親、ほんとよくわからないから……もしかしたら、酷いことを言うかも知んない。でも、どういうことになっても、私は大丈夫だから、気にしないで。こんな形だけど、アンコンじゃないのが残念だけど、この曲がみんなと出来るの、嬉しいから、変な思い出にならないようにしたいんだ……」
口下手な安藤の訥々とした言葉に、僕たちは頷き合った。
結局、僕たちができることは、演奏を一緒にやるところまでだ。安藤がやりたいことを押し通すための武器を貸すだけで、どんなに腹に据えかねることがあっても、絶対に親子の会話にしゃしゃり出ないことは、バンドメンバーの中で決めていた。
「もうすぐ時間だぞ」
譜面台に置かれたタブレット小比類巻が言う。全員、楽器を構えた。小比類巻も画面の向こうでチューバを立てた。ラグはないものとするらしい。曲目は当然、勝手に練習して合奏して顰蹙を買ったアンコンのあの曲。みんなやりまくっているので譜面は頭に入っていた。周囲には他の家もないので思い切りやれる。
入りは小節頭からドンピシャで入るので、指揮者のいない形態では肝の冷える一瞬になるのだが、まあ、今回についていえば精度はどうでもいいので気が楽だ。。
安藤は緊張の面持ちで僕たちの顔を見渡した。それから、時間が来たのを確認して、キューを出す。
「ワンツ──」
3、4は身体の動きだけで合わせて、僕たちは数ヶ月ぶりにその曲の演奏を始めた。
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