第一章 生きるっていうのはカロリーを消費することだ #4
僕と父の思い出はとても少なく、そのどれもが暗い記憶だった。父は名の通った銀行勤めで、その中でも特に多忙な部署に勤めていた。
激務だった。僕が朝起きた時にはもう出かけていて、僕が眠る時にもまだ帰ってきていない。休日も、月に一日くらい家にいればいい方。そんなめちゃくちゃな仕事の仕方をしていて、僕はそれが普通の家庭だと思っていた。だから、小学生の夏休みに華礼の家に遊びに行った時、叔父さんが日が昇っているうちに帰ってきて、すごく驚いた。「今日は仕事、休み?」と訊ねて、苦笑されたものだった。それから僕は、これが異常なことなのだと知って、どうにか普通になってほしいと願うようになった。ブラック企業という言葉を知ったのは、もう少し後だった。
僕が小学校高学年の時、母のお姉さん、僕にとっての伯母にあたる人が亡くなった。伯母さんは、難病に指定された進行性の病気にかかっていた。神経がうまく動作せず、筋肉を動かすことが困難になり、少しずつ全身の力が衰えて、やがて呼吸器官を動かすこともままならなくなる。
長い間、伯母さんは闘病をしていて、僕も母に連れられて何度もお見舞いにいった。子供だった僕は、それが治らないものだとは知らなかった。退院したら海に行こうとか呑気に話していた。その度に、大人たちはやりきれないように黙り込んだ。母が最も顕著だった。仲の良かったお姉さんが、少しずつ少しずつ動けなくなって、衰えていく姿にいたく心を傷ませていたのだろう。亡くなる前の一週間はつきっきりで、その間、家の仕事は僕と兄貴で分担してやった。父は出張中だった。
伯母さんが亡くなった深夜になってようやく、父は僕たちが線香の番をしていた斎場にやってきた。本当はお通夜に似合うはずが、トラブルがあって手間取ってしまったらしい。悲しみに疲れ切った母は、お姉さんの遺体に寄り添って眠っていた。父はその背中に布団をかけることしかできなかった。
その光景を見た瞬間、僕は、次に棺に入るのは父になるんじゃないか、という強い不安に襲われてしまった。
僕はいてもたってもいられなくなって、くたびれた様子の父に飛びつくと、はやく仕事を辞めてくれ、と懇願した。遅刻を非難したわけではなく、こんなに頑張ってたらお父さんも死んじゃう、とかそういうことを言ったんだと思う。僕は、絶対に死んで欲しくなかった。
「お父さんは大丈夫だよ……いなくなったりしないよ……」
父は僕の頭を撫でて言った。その後のことはあまり記憶にない。母の悲しみがあまりにも深くて、ずっと父が寄り添っていたのを覚えている。父がいなければ、母は今にも崩れ去ってしまいそうに見えた。父がいなくなったら僕たち家族はどうなるんだろう、とそればかり考えていた。
やがて、その答え合わせの時が訪れてしまった。
数年経って、去年の秋口のことだった。
その日は珍しく、僕が目を覚ました時にもまだ父は家にいた。体調が悪くて、少し出勤時間をずらしたらしい。
「本当に大丈夫? 病院に行った方が……」
「いや、少しふらつくくらい。大丈夫」
心配する母に、父は明るく告げて出かけていった。
そして、帰ってこなかった。ついにその時が来た、と僕は思った。
深夜、僕たちが病院に駆けつけた時にはまだ息があったが、救急室に入っていて面会はできなかった。母と僕は、廊下で時間が経つのを待つしかなかった。どう過ごしていたのか、全く覚えていなかった。そして、二時十六分、父は死んだ。
死因は失血死。車との接触による裂傷からの大量の出血により、生命維持が出来なくなった。つまり、事故死だった。
え?
僕は何を言われているのか、最初は、わからなかった。厖大な労働時間と凄まじいストレスで、ついに脳の血管が切れてしまったのかと思っていた。それか会社で首をくくったのか、或いは、遺書を残して自社ビルから飛び降りたりだとか。
しかし、本当は、居眠り運転の車に轢かれたらしい。
えっ?
僕は果てしない不条理を感じた。自分の使える時間のめいっぱいを、家族や会社、他の人のために捧げた父の人生に、そんな結末があって良いのだろうか。早朝から深夜まで毎日働くだけ働かされて、それで一生遊んで暮らせるだけの給料を得られたわけでもなかったのに、何かを成すためでもなく、何かを主張するわけでもなく、ただの悪い冗談みたいな偶然で、救いも報いも慈悲もなく、ぽろっと命を落としてしまったのだ。
あんまりだ。あんまりだと思った。あまりの残酷さに、僕は涙すら出なかった。
事故の委細は次の通りだった。
時刻は深夜、現場は二車線道路で歩道は無し。端っこに白線の引かれた歩行者一人分の幅がある程度。その道路上、対向車線にはみ出してきた居眠り運転の車に父は撥ねられた。ドン! という強い衝撃と共に運転者が目を覚ました時には、父は車道上に倒れていたそうだ。
現場は最近、外灯をLEDに変えたばかりで非常に明るく、ヘッドライトにも気づきにくかったこと、また父はワイヤレスイヤホンで音楽を聴いていた上、事故車は走行音がほとんどしないハイブリッド車であったため、それで車の接近に気がつくのが遅れたのだろう、と警察の人からは言われた。しかし、何故、父が道路上に居たのか、それはわからなかった。
その日の朝、父は体調不良を訴えていた。父は意識を失って車道に倒れていたのではないか、と当然考えられた。解剖によって異常が見られれば過労死が認められ、会社側からの賠償が期待できる。叔父さんを筆頭に、僕たち遺族は弁護士を立てて調査に乗り出した。
しかし、遺体を精査しても、父の脳や心臓に何の異常はないことがわかった。過労による代表的な症状の、くも膜下出血や、心筋梗塞の発症は見られず、また、周囲の人たちへのヒアリングでは精神疾患がある様子もないようだった。この時点で、国の過労死認定基準から外れ、また父がどうして道路上にいたのか、という謎も明かされなかった。
運転者は五十代の男の人で、誠意ある謝罪と対応をしてくれて、結局、裁判には至らず示談が成った。聞くところによると、その運転者の人も長時間の残業からの帰り道だったという。僕は無常を覚えた。どうせなら悪意ある人なら良かったのに。そうすれば思い切り罵倒し、殴打し、憎悪することができたのに。何かが決定的に悪さをしたのは確かなのに、その何かが何なのかはっきりしない。そんな気持ち悪さに僕は夜な夜な何度も吐いては、喪失のあまりの深さに泣いて、眠れぬ夜を過ごした。母や兄がその時にどうだったか──僕は、覚えていない。自分の喪失感情に振り回されて、家族のことなど頭になかった。
叔父さんはそんな僕たちを心配して、大変だろうにこうして時折、顔を見せては援助をしてくれる。僕は申し訳なく思いながらも、その支援を経済的にも精神的にも支えにしていた。叔父さんにせよ華礼にせよ、この家族には多くのものを与えてもらってばかりだ。いつかどうにかしてこの恩を返せたら──そう思いつつ、そんな希望のある未来なんて僕にはとても想像もつかなかった。僕は先の見えない、不条理の森の中を延々と歩き続けているような気分だった。
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