第4話 自己紹介

 翌日、わたしは今度こそ人間の女の子として中学校に行くために家を飛び出した。猫になったとしても、念じれば人間に戻ることが出来る。そうわかってしまえば、もう猫化は怖くないように思えた。

 昨日猫化した曲がり角を人間のまま曲がり、横断歩道を渡って中学校を目指す。人間の姿ならばこんなに進むのに、猫でいた時は永久に着かないような錯覚におちいった。


「よかった。着いた」


 市立花ヶ丘中学校。一昨日入学し、今日初登校をする。わたしは自分が一年何組なのかを知らなかったけれど、小学校のクラスメイトで親友の桃園聖ももぞのせいちゃんが昨日メッセージをくれたから、迷わずに靴箱から階段を上って教室に辿り着くことは出来た。


「……」


 あと五歩も歩けば、教室の戸を開けることが出来る。だけどわたしは、そこから動くことが出来なくなってしまった。

 昨日、一日休んでしまった。校長先生から担任の先生やクラスメイトに、わたしが体調不良で休んだという話は伝わっているはずだけど、初日から来ないなんて印象が良いはずもない。

 そんなことを考えていると、簡単に足がすくむ。動けなくなる。

 どうしよう。何人もの生徒たちがわたしのことを振り返りながら、自分の教室へと消えていく。恥ずかしくて、心臓がどくどくと早鐘を打ち始めた。


(まずいよ。このままじゃ、こんな廊下の真ん中で猫に……)


 その時だった。後ろから、わたしをぎゅっと抱き締める誰かの温かさを感じた。わたしは思わず小さな悲鳴を上げて、首を回してその体温の正体を確かめる。


「きゃっ」

「もう風邪は良いの? 春花」

「聖ちゃん!」


 にこにこと笑ってわたしを抱き締めていたのは、親友の聖ちゃん。ストレートのロングヘアの良く似合う、眼鏡女子だ。恋愛小説が大好きで、自分でもいつか書きたいと夢を語ってくれる。そして彼女にはかわいい一つ年下の弟がいて、わたしも仲良くさせてもらっているんだ。

 わたしがパッと顔を明るくすると、聖ちゃんも楽しそうに「おはよう」と挨拶してくれた。


「うん、おはよう。聖ちゃん、昨日はメッセージありがとう」

「いいえー。まさか、初日に春花が体調崩すなんて驚いたよ。もう大丈夫?」

「あ、うん。お蔭様で!」


 本当は、風邪を引いたなんて嘘だ。でも、本当のことを言うわけにもいかないから黙っておく。

 わたしが大丈夫と笑うと、聖ちゃんは安心したようだった。ぐいっと私の手を引いて「じゃ、行こう」と教室まで引っ張ってくれる。


「同じ小学校だった子も三分の一くらいいるし、緊張し過ぎなくて大丈夫だよ」

「な、何で緊張してるってわかったの?」

「何でって……緊張で動けなくなってるのが丸わかりだったから。顔真っ赤だったし、春花は昔から緊張しいだったもんね」

「せ、聖ちゃぁん……」

「ほら、行くよ」


 思わず涙ぐみそうになるわたしの手を引いて、聖ちゃんはがらりと教室のドアを開いた。そして何人かと挨拶を交わしながら、わたしのことを紹介してくれる。


「昨日休んでた、わたしの親友!」

「ね、猫山春花です。よろしくね」

「よろしく、猫山さん!」

「体調大丈夫?」

「気分悪くなったら言ってね?」

「うん、ありがとう」


 色んな声をかけられたけれど、そのどれもがわたしを案じてくれるものだった。少し心苦しかったけれど、受け入れられてほっとする。

 そうこうしているうちに、わたしは聖ちゃんに連れられて窓側から数えて二列目の前から三番目の席へとやって来た。彼女曰く、そこがわたしの席らしい。


「で、わたしはここ! 春花の斜め後ろだよ」

「近い! 嬉しいな。よろしくね」

「勿論」


 ようやく席に座り、ほっと一息つく。丁度チャイムが鳴り、クラスメイトたちはいそいそと自分の席へと戻って行った。それでも先生が来るまでは幾らか騒がしい。

 わたしは昨日校長先生が届けてくれた教科書やノートを机に入れて、筆箱を机の上に出す。その時、窓側の隣の席の子がわたしに話しかけてきた。


「なあ、きみが猫山?」

「あ、うん。よろし……!」

「?」


 目を見開いて驚くわたしに、男の子は首を捻っている。だけど、わたしは心底驚いていた。だって、隣の席が昨日裏庭でわたしを助けてくれた男の子だったのだから。

 でも、そのまま無言でいるわけにはいかない。もちろん、昨日はありがとうなんて口が裂けても言えない。

 わたしは軽く首を横に振って「何でもない」と笑ってみせた。そして、改めて自己紹介する。


「猫山春花です。隣の席、よろしくね」

「俺は早川日向はやかわひゅうが。よろしく」


 茶色に近い黒の短髪に、焦げ茶色の目は少し吊っている。すらりとした体形で、顔も整っている。王子様という言葉が似合いそうな、優しい雰囲気を持つかっこいい男の子だ。

 早川くん、とわたしは心の中で唱えた。いつか、昨日のことでお礼を言えたら良いのにと思う。


「あのさ、きの……」

「ん?」


 ふと早川くんがわたしに何かを言いかけた。でもその内容が何なのかを知る前に、先生が教室に入って来てしまう。

 名前だけ知っている、石原賢五いしはらけんご先生だ。体格がとても良いのは、学生時代にラグビー部だったからだとか。昨夜、聖ちゃんが教えてくれた。教科担当は体育だ。


「みんな、おはよう! お、猫山も来てくれたか。体調はどうだ?」

「もう大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか、よかった」


 いかつい顔をしている石原先生に、わたしは内心少し怖気付いていた。けれどふとした笑顔を見て、怖い先生ではないんだと理解する。

 石原先生はうんうんと頷くと、早速朝のホームルームを始めた。新入生であるわたしたちにとって、今日からが中学生活本番。授業などが本格的に始まっていく。


「一限目は国語だ。みんな、中学最初の授業を楽しんでくれよ」


 そう言うと、石原先生は教室を後にした。

 授業が始まるまで、あと五分。早速席を離れてわたしのところにやって来た聖ちゃんと話していて、結局早川くんがわたしに何を言いかけたのか訊くことが出来なかった。


(何を言おうとしたんだろう?)


 その話の内容がわかるのは、もう少し先のこと。

 わたしたちは一限目の国語、二限目の社会、数学を経て、四限目の体育の時間を迎えていた。

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