ドドラデニメ

鮪山ちひさ

プロローグ

 フリフリのフリルのロングスカートが邪魔だ。今日だけの我慢とはいえ、腹が立ってきた。


 城で働く制服だからと言われても、軍学校ではずっと膝から下は素足だったし、膝に布が当たる感覚がどうも好きになれない。服なんて、動ければなんだっていいのに。


「サーヤさん。給仕長が隊長様方への紅茶を淹れるところですよ。教わりなさい。ねぇ、給仕長からも言ってあげてください」

「口で分かるものではない!」

「見て盗みなさい」


 わたしの教育係だと名乗った給仕が何か面倒なことを言っている。え、紅茶って、わたしたちが入れるの? わたしが隊長なら、自分で淹れたもの以外は怖くて口にすることもできない。


 この国の隊長は、みなそれだけ不用心なのだろうか。隊長ともあろうものが? この城中は、どこか平和ボケしている。


 無視をしていたら、そのまま後ろでぐちぐちと言われ始めた。


「聞こえないふりしているみたいよ? 初日から反抗的ですね」

「着替えのときわたし見たんですけどね。ああやって服を着ていると分からないんですけど、彼女の背中ね、男の人みたいに、浮き上がるみたいに筋肉がついていましたよ」

「何を目指しているんですかね。そんな重いものを運ぶ仕事なんて、この城にはないというのに。もう十六歳でしょう。嫁ぐか、働くか、もう決めないといけないのにね」


 散々な言われようだけど、それでいい。わたしだって、わたしは変わっていると思う。背後でやいのやいの喋る給仕たちを無視して、調理室の窓から、そっと城下を見下ろした。


 空には鳥ひとつ飛んでいない。今日はよく晴れているけど、深く息を吸うと、冷たい空気が鼻の奥を突いた。そういえば、春が終わって、もうすぐ夏になるのだから、寒くなるのは当たり前か。今年はどれくらい冷え込むだろうか。


 乾燥した空気のおかげで、遠くの方までクリアーに映る。城下町のずうっと先の地平線の向こうが、そのすぐ先の水平線と重なって、少し二重に見える。もっと高い階層に上れば、きっと水平線がはっきり現れるだろう。ここまで空気が澄んでいれば、北向きの窓からは、噂の八一砂漠も臨めるかもしれない。西には、だだっぴろく平原が続いている。この美しい大地を、悠々と旅できたら最高だろうな。


 こうしてのんびり景色を見るなんて、久しぶりだなぁ、と、手のひらの血豆をさすった。指の皮もボロボロだ。四年間もソードを握り続けたのだから、当然かな。


 ◆


 彼女はベル・サーヤ。少し背丈が小さい、ガラスを空に透かしたようなブルーの目をした少女だ。


 今日という一日は、彼女がこの城下町トラディーに生まれて十六年経つが、その中でも一、二を争うくらいには大事な一日だった。 


 十二歳になると、この城下町の男子のほとんどは軍学校に入る。


 四年制のこのカリキュラムを終えれば、卒業試験を兼ねた、隊員登用を決める実技試験が待っている。試験結果を見て、この国に三十ある隊のどこからか指名を受ければ、晴れて軍部に入隊だ。


 仮に、その年は落ちたとしても、翌年再チャレンジしても良いし、あるいは少数派だが、家業や別の仕事に就く者もちらほらといる。


 仮に、と言ったのは、ほとんどが合格するからであった。


 毎年、実技試験まで一週間の休暇が与えられる学生たちは、この休暇の間に、入隊希望の隊に接触をする。仮にその日たまたま調子が出なかったとしても、予め目をつけてくれていた隊から指名されて登用される。そんな受け皿づくりの期間なのだ。


 格好よくはないかもしれないが、この国で一番稼げる軍隊、その隊員になるために、みな必死なのだ。


 さて、サーヤである。このトラディーの軍隊には、女性は一人もいない。軍学校に入学する女性自体は、数年に一人はいるようだが、こうして実技試験にこぎつけた例はほとんどない。そして、指名があった、という例は、ひとつもない。


 それでも、サーヤも軍隊に入りたかった。そのために、こうして城の給仕の恰好をしているのだ。ほかの男子と同じように、隊員レベルに接触をしても、その程度の決定権では、わたしの登用は決められないだろう、と。


 それなら、どんな形でも城にもぐりこんで、直接、隊員ではなく隊長に接触しよう、というのだ。


「給仕になるより、城下の商店街で働くより、おじいさんの農園を継ぐより、軍部に入る方が、一番お金が入るもの。それに、刺激的でしょう?」


 入学前のサーヤはかつて、近所の友人にそう笑いながら語っていた。


 ◆


 はぁ。一日きりで辞めるつもりのこの仕事も、一時間で飽きてきたな。全くやる気が出なくなって、ちょっとお手洗いに、と言って給仕室を出た。


 借り物の制服一式が野暮ったい。唯一、靴だけは、普段も履いている黒の厚底の革靴にしていた。鉄板が入った重い靴だから、広い廊下の赤絨毯に皺ができてしまった。別にいいけど。


 今日はほとんど隊は出払っているようだ。何も式典も行事も無いはずなのに、目論見が外れた。どうやら、簡単には隊長と会えそうにない。今日はハズレだなぁ、明日も来ないといけないのかぁ。トイレも全然見つからないし。


 広い廊下を進みながら、脇に細い通路が見えた。あぁ、トイレは汚い場所だから、みたいな理由で、広い通路じゃなくて、見えづらい場所にあるのかな。いけ好かないなぁ。


 そっと通路の先をのぞきこむと、同じような背格好の給仕の背中が見えた。長い髪だ。もしかして同じようなサボりだろうか。声をかけようとしたが、その前に彼女に気づかれて、顔だけ素早く振り向かれた。


 その速度は、あまりにも早かった。


 前後に人がいない細い通路。まるで誰かが来るのを待っていたかのような彼女は、首が少し太い。腕も少し太い気がした。


 給仕の体じゃない。給仕の動きじゃない。給仕の、殺気じゃない。


 本格的に身構えるその一瞬前の、胸の奥に黄色信号が灯る感覚がした。その黄色い光に反応したのか、彼女は勢いよく、体ごとこちらに正対した。間違いない。こいつは、給仕なんかじゃない。この殺気は、例の、噂の、あいつだ。


「ギダンイン」


 偽団員、と呼ばれている狼藉者たちが、最近のこのトラディーでの悪い話題だ。


 突然一家ごと殺されることもあり、強盗もされたという話もある。


 当然、隊員ではない。それなのに、隊員どころか、隊長よりも腕が立つのでは、と噂だ。本当の隊員と区別をつけるためにギタイインと昔は呼ばれていたけど、タイインと紛らわしいので、ギダンインと呼ばれている。


 彼女は姿勢をぐっと低くして、それからうんと低い声で、


「女で、気づくなんてな。驚きだ」


 と言うなり、すぐに真っすぐ突っ込んできた。偽団員が、どうやって城に紛れ込んでいたのか。いや、今は深く考えている暇はない。なんたって、突然の命の危機だ。


 ちょっと早い実技試験だ。


 わたしは丸腰だけど、彼女もまだ何も武器を取り出していない。騒ぎを起こさないよう、素手で取っ捕まえるのだろうか。ええい、考えるな、とにかく動け。


 それにあいつ、なんて言った? 女で気づかれるのは不満なの? 男になら気づかれても納得だったのか? カチンとくる。軍学校でも、城でも、町でも、どこででも。いつもそればっかりだ。


「メイド相手じゃ、不服ってことね」


 突っ込んできた彼女が、いよいよ目前に迫ってきた。やはり何も取り出さない。


 不用心な人間に負けるほど、やわな四年は過ごしていない。


 重心を落とせ。目線の高さはそのまま安定さを欠くことになる。敵は一人。素手でまっすぐ突っ込んでくる。わたしの今身に着けているものの中で、武器になるものが一つだけある。ほらね、落ち着いたら、答えが一つ導けた。


「強かったら、文句ないだろ!」


 つま先に硬い鉄板の入った革のブーツで、彼女のあごを思い切り蹴り上げた。長いフリルのスカートが、わたしの足の動きを隠してくれていた。油断した彼女のあごに完全に入った。鉄板が骨に打ち勝ち、砕いた感覚もあった。


 しかし彼女はそのまま後ろ向きに大きく宙返りをした。そして着地するころには、どこに隠していたのか短刀を右手にしていた。油断が消えた。長い髪だと思っていたものはかつらだった。


「わたしより強い女の人なんて、初めて見たと思ったけど、結局男なんだね」


 身も心も構えた彼は、やはり紛れもなく、噂通りの偽団員だろう。不意の一撃で仕留めきれなかったわたしに、勝ち目があるような相手ではない。覚悟を決める猶予も与えられず、彼は少し踏ん張ったように見えた。また突っ込んでくる。


 でも、恐怖を覚える前に、ことは終わった。


「ようこそ、偽団員。そしてこれからよろしく、ぼくのペット」


 気配もなく、後ろからわたしの前に大きな影が立ちふさがった。右肘に赤いバンダナを巻いていた。その赤バンダナが意味するのは、ただひとつのことだった。


「団長!」


 あまりに大きな背中が邪魔になって、目の前で何が起こったかが分からない。その影が前に歩き始めて視界が開けると、偽団員は太ももに深い切り傷を負って、その場で転げまわっていた。


 そして、赤バンダナの団長は、彼の腹、おそらくみぞおちに、鉄球のような一撃を右の拳で打ち落として、昏倒させた。


「怖い思いをさせてすまないね。城の内部を手薄にしたら、斥候が調査に来るだろうと思って、隊長もほとんど出動させたら、案の定侵入してきたね。今からこいつの尋問さ」


 彼は、偽団員をひょいと肩に担いだ。


「きみ。彼が手負いで良かったね。顎が砕かれているみたいだ。さては、どこかの団長が取り逃がしたな。まぁ、いいや」


 それはわたしが蹴ったんです、と言おうにも、口がうまく動かない。


 目の前で、隊長でもなく、さらにその上の、団長の戦いぶりを見てしまったのだ。耳のあたりの血がドクドクとたぎって、顔中に勢いよくめぐっているのが分かる。


 鼻血が出そうだ。興奮しきってしまった。


 やっぱり、わたしはこういう世界に身を置きたい。指名になんて頼らなくて良い、自力で受かってやる。


 そうと決まれば退職だ、と、走って給仕室に戻った。


「どこに行っていたの? お茶も入れたくないなんて。そんなのじゃ、給料は払えないよ」

「あ、それは、ちょっと困ります」

「ほんとワガママ。まぁ、力仕事が得意なら、これを運んできてくださる? 本当は、午後に人を呼んで配っているのだけれど、あなたにはこの方がお似合いでしょう」


 そう言って、十個の木箱を指さされた。この興奮を鎮めるにはちょうどいいかも、と思ったし、それに今日の給料は欲しい。両手いっぱいに三箱抱えて、倒れないようにおでこで支えた。


「これはどこに運べばいいんです?」

「名前を書いたカードを上に挟んでいるでしょう。ちょうどその三箱は全部同じ団長の分よ」

「え、隊長じゃなくて、団長様、ですか?」


 そうよ、だから大事に運ばないとね、と給仕長は目で訴えてきた。それは大変だ、と思い、ひと箱下ろして、二箱ずつ運ぶことにした。


 ◆


 このトラディーに住む人々はみな、団長、という言葉に特別な感情を抱いている。


 この国の千人の隊員は、十人の団長により管理されている。三十人規模の隊を三つも管理して、一人で百人は従えるのだから、団長という言葉には威厳が備わる。


 家柄だけで出世して上りつめられるのは隊長までで、団長ともなれば、相当に武芸や知性、統率力、忍耐性、求心力、要領、そういったものがないと任命されないと言われている。


 団長を任命するのが、その十人の団長を統率する師団長だ。そのさらに上に王がいると考えると、団長というのはこの国のナンバースリーに位置する。


 ◆


「団長に、会、え、る! 会、え、る!」


 隊長に紅茶を入れるはずだったのが、団長への配達になって、浮足立ちそうだ。同時に、粗相はできない、と異常な緊張もしてきた。


 ノックして、反応がなかったらドアの前に置いておけばいいから、と言われていたので、重厚なドアを叩いた。声はしなかったが、何か近づいてくる音がする。


 中から出てきた大男は、何も言わずにその木箱を乱暴につかんで、部屋に戻ってしまった。あまりに雑に扱われたものだから、木箱の上に置いてあった、ウロンゴロン様、と書かれたネームカードが目の前に落ちてしまった。


 団長に対して持った尊敬や羨望の念をいきなり踏みにじられた気がして、少しカチンときた。


「乱暴でしょう、彼」


 急に声をかけられてギョっとして振り向いた。また気配なく近づかれた、と思うと、先程の赤バンダナの団長だった。落ち着いて見たら、見覚えがある。城の祭典によく臨席している、ジョルドコースト様だ。


「団長としての自覚、ないんじゃないかな。悪いね、気を悪くさせて」


 先程はどうも、とお礼を言うべきなのだろうが、この様子だと、恐らくわたしのことなんて覚えていない。知らない給仕にも声をかけるなんて優しい人だ、とは思いたいけど、目が笑っていない。


 幾度も戦禍を潜り抜けた団長というのは、こういう目をするのだろうか。本音が分からない人だとも思った。


「カンガロ、キャンビーの分はあるかい? あったら持って行ってあげよう」

「戻って、確認いたします」

「今そこに無いならいいや。彼らのためなんかに、そんなに待てない」


 スタスタと行ってしまった。カンガロ様、キャンビー様も団長だが、こうした会話の中で、団長の中でもパワーバランスがあるのだと伺える。


「好きになれないなぁ、ジョルドは。自分が一番かわいいんだから」


 そう言いながら、また二人の団長がこちらにやって来る。次から次に現れる団長に興奮したが、よく考えれば、団長はこの団長棟に一室ずつ華奢な部屋が与えられるのだから、会えて当然なのだ。


「アデライト様と、ピース様。団長方が大集合されているのですね」

「そうでもない。何人かは仕事で遠出だし、一人はいつものごとくいないんだ」


 その一人が誰なのかは分かる。一室だけ、ドアの前に既に二十箱くらい木箱が溜まっていて、ずっと留守なのが分かる方がいる。


 レンジャー様だ。わたしと同じ、町民出身なのに、実技試験の当日、全て十秒足らずで圧勝して採用、それからもたたき上げで隊長、団長まで上り詰めた、いわば軍学校の憧れのような存在だ。いつもいない、というのはどういうことだろう。


「あー、そうそう。アヌボットとミラウの分は、運ばなくていい。給仕室に置きっぱなしでいいから。アデライトがそう言っていた、でいいから」


 投げやりに指示をくれたアデライト様の横で、一言も発さないピース様。この方だけは、なぜ団長になれたかよく分からない。明らかに実力不足だと思うけど。


 団長棟と給仕室とを四回ほど往復して、終わりました、と元気に叫んだ。


「二箱、余っている!」

「それは運ばなくていいそうです」

「そんなわけないでしょう! 大嘘つき! きぃ!」


 ヒステリックな給仕長は不服そうにこちらをにらんできたけど、アデライト様の名前を出すと、そういうことなら、とどこかに行ってしまった。団長の言葉の重さに助けられた。


 運ばなかった箱に手を当てて、アヌボット様にも、一度会ってみたかったなぁ、と思いを馳せた。腕っぷしの強さは非常に有名で、レンジャー様とどちらが上か、とよく軍学校で話題になっていた。


 無事今日のお給料をもらって、退職することを給仕長にこれも元気に宣言した。


「自信が持てたので、辞めます!」

「紅茶ひとつ入れられないじゃない!」

「お仕事なんて、お金をもらって、自分に自信をもってニッコリ笑えるなら、それで終わりでいいでしょう!」


 まだ後ろでキャンキャンと叫ぶ給仕長に背中を向けて、さっさと城を出てしまった。


 来週、実技試験で全勝して、文句なしに指名されて採用されるしかない。大丈夫。偽団員に、一撃をくらわせたじゃない。


「ただいま。父さん、母さん」


 城下町の中でも端の方、古く黒みがかってきた柱が頼りなく屋根を支える、お世辞にもキレイとは言えない家が、わたしの実家だ。軍学校は女性用の寄宿舎がないので、わたしはずっとこの家から学校へ通っていた。


「おかえり、サーヤ。どうだい、初めての仕事は」

「うん。でも、目星はついたから、明日からはまた学校で軽く体を動かしておくよ。ほら、一日分だけど、給料ももらえたよ」


 数枚の銀貨が入った小さな巾着をテーブルに置くと、父さんも母さんも、聞いているこちらが恥ずかしくなるほど褒めちぎった。


「このお金はね、サーヤ。自分で使いなさい」

「でも、今月も、厳しいでしょう」

「いいから。試験の日まで、ちょっとでも体力をつける方がいいんだから。明日、商店街でなにか美味しいものでも食べてきなさい」


 そう言うと、父さんも母さんも、代わりばんこにわたしをぎゅうっと抱きしめた。


 父さん、母さん。こんなにもわたしを愛してくれている。


 わたし、なにがなんでも、二人を喜ばせてあげたい。たくさんのお金を稼いで、安心させてあげたい。


「ねぇ、母さん。隊員になって、わたしがみんなに賞賛されるところを見せてあげるからね」

「隊員になれなくても、もう立派な娘だよ」

「ううん、絶対になる。見ていて。わたし、強いんだから」


 ぎゅっとガッツポーズをつくって見せた。


 ◆


「どいつもこいつも敵だ。吐き気がするよ、ジョルド」

「それは言いすぎですよ、師団長」


 師団長をなだめるジョルドコーストは、決して慌てる様子はなく、むしろ落ち着き払っていた。


「レンジャーはその筆頭だろう。一匹狼の団長なんて聞いたことがないぞ」

「一兵卒でも団長になれる、という前例作りは大事ですし、実際実力は相当ですから」

「ミラウなんかも扱いづらいんだよなぁ」

「彼は変わった出自ですから。イレギュラーな経歴というのは、組織全体にとっては刺激になりますが」

「俺に忠誠なんて誓わないだろう、あんなやつは? アヌボット共々、左遷して正解だよ。野垂れ死んでねぇかなぁ。

 あ、あいつら、何か俺に文句言っているかな?」

「さぁ。そういった個人的な話をする場はほとんどないので」


 ジョルドのその返答は事実だった。だが同時にジョルドには、口をつこうとした不満があった。


 今はまだ我慢だ、まだ、忠誠を誓っているフリをしろ、と自分に言い聞かせて、口をつぐんで気道をしぼめて、なんとかこらえた。


 ヒソヒソと内緒話がされているここは、城中最上階にある、王室並みに華奢な部屋、師団長部屋だ。


 その名称通り、師団長という役職は、一人で百人の隊員を統べる十人の団長たちの長、言い換えれば千人もの隊員のトップだ。


 組織的には一応、ひとつ上位に世襲制の王がいるとは言え、この国ではナンバーツー、いやナンバーワンかもしれないポジションだ。この国のパワーの九割が集まると言っても過言ではない。


 しかし、この師団長、メルボネはそうは思っていなかった。


 師団長も、王と同様に世襲制なので、せめてもの権威付けとして、師団長は一度、団長就任を経由する。現場出身、という箔を付けるためだ。そうして、師団長に繰り上がるときに、師団長は直属の軍団を失うことになる。


 このシステムである以上、軍団に守られた十人の団長に対して、隊員を一人も持たない師団長という身だと、引け目が生まれてしまっていたのだ。


「そうか、そうか。プライベートの話をする時間なんてないよな」


 そうした結果、メルボネは、定例会でもある団長会議を廃止にした。団長同士が組んで反旗を翻してこないかと不安になったのだ。


「パディントンは、どうです。頼りになる男でしょう」

「あいつは信用できるけどなぁ。でもよ、パディントンの隊員たちは、絶対、俺よりもパディントンの命令を優先するよな。徹底しすぎて、こわいよ」

「彼は自身の隊員がかわいくて仕方ないんでしょう。

 私は、私よりも師団長の命令の方が上だ、と軍に徹底していますよ」


 メルボネの喜ぶ顔を見て、油断している、こっちのものだ、とジョルドはほくそ笑む。


 メルボネの軍団を直接引き継いだ団長こそ、このジョルドだ。


 そしてジョルドは、こうした笑顔の裏で、メルボネを裏切ろうと考えている。


 彼は、このメルボネ体制の転覆、そして師団長に成り上がる下克上を狙っている。こうしてメルボネの愚痴を聞いている間も、心の中では、隙を見て首を絞めて殺してしまおう、などと物騒なことしか考えていない。


「そういえば週末の登用試験ですが、師団長は来賓を受けられるのですか」

「受けない、受けない。君が行ってくれてもいいよ」

「今回は面白いですよ。順当に二次試験を突破していれば、女が出てきそうで」

「出てきても、落とすだろう」


 それはそうだと思いますがね、と、わざと雑談を挟んで話の腰を折ってしまい、ジョルドはさっさと席を辞した。


 城を出て、ジョルドコーストは天を仰いだ。このまま自分がクーデターを起こしたとして、残りの団長は、自分と師団長のどっちに与するのだろうか、と皮算用をした。


 十人の団長のうち、反師団長の旗印となるジョルド側につくのは、彼の試算では五人だった。自身と併せて六人。数的有利には立っている。


 だが、残っている四人の団長が厄介だ、とジョルドはいつも悩んでいる。腕っぷしで言えば、アヌボットやミラウは脅威で、レンジャーにいたっては脅威を通り越して不気味だった。


 やはり、気にくわないが、団長クラスではナンバーツーと言っていいパディントンをこちらにつけないと、とは思うものの、金で動く男ではないので難しい。


 ジョルドは指を折って数えながら、この下剋上計画は、なかなか実行に移せないな、とため息を吐いた。


 機をうかがっているとはいえ、ジョルドは近い未来、必ずクーデターを企てるだろう。


 あるいはそれより先に、メルボネのこうした独裁的な采配により、この国の軍備は大きく落ちて、統率もとれなくなるだろう。


 車もないこの時代、歩けば二か月ほどで一周できてしまうこの小さな島国アウスリアは、このままでは、外敵の危機に陥ることになり、そうでなくても、内紛に対抗できる力もなくなってしまうだろう。


 役職だ、性別だ、敵だ味方だと言わずに行動できる、そんなヒーローが必要だ。この島国には、清廉で、快活で、腕っぷしの強い主人公が必要だ。


 サーヤには、それだけの器があるのだろうか。

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