第21話 勝負師と花火師

 店の外に出た俺は驚くべき光景を目の当たりにした。あの丘石先生が橘さんに頭を下げていたのだ。

「うちの生徒が大変なことをしました。申し訳ありませんでした」

「いえ、そんな……大丈夫なので、頭を上げてください」

 

 そういえば俺、丘石先生を置き去りにして叶芽の元へ行ったんだった。先生にはほんと悪いことをした。

 

「五條もう大丈夫なのか?」

 丘石先生が俺を心配そうに駆け寄ってきてくれた。その後ろには橘さんが意味深な笑を浮かべてこちらを見ていた。

 

「はい、もう大丈夫です先生。ご迷惑お掛けしました。」

「まったくだ!とにかくおまえも橘さんに迷惑かけたんだからお詫びをしろ」

「はい!で、橘さんがいないんですけど……」

「さっきまでここにいたんだがなぁ……」

 

 店先のテラスに居たはずの橘さんがいない。

「探してきます……」

「あぁ……そうだな」

 俺は海の方へ探しに行くことにした。彼を探すのに時間は必要なかった。


 すぐ前の堤防で煙草を吸いながら、物思いにふけっている様子だった。

「橘さん……」

 そんな彼に駆け寄って行った。すぐあとからやってきた丘石先生は、俺達のやり取りを見守っていた。

 

「さっきは俺の勘違いで迷惑をかけてしまって、すみませんでした」

「別にいいさ……君、確か五條君だったかなぁ!」

「はい!五条 陸です」

 橘さんは吸っていた煙草を投げ捨て踏みつけた。

それは俺を挑発するかのような態度をとった。


 

「北川 呼詠さんは、キミの彼女なのかい?」

――いきなりなにを聞いて来るんだ、この人は……今はまだ……彼女でない。

 

 その問にどう答えてればいいか戸惑っていた。 

「えっと……いまは違います」

 それ以上なにも言えず、俺はうつむいてしまった。まだ彼女を振り向かせるだけの力が、まだ俺にはなかった。それが悔しくて情けなかった。

 

「わかった。それじゃ、僕とひとつ勝負しないかい?」

「えっ、勝負……ですか?」

 橘さんはニタリと笑い闘志に満ちた、いい顔をしていた。


「そう……キミが得意とする剣道でいいよ。キミが勝ったら彼女はキミのものだ!しかし俺が勝てば彼女を……もらい受ける。どうだい?」

 

 俺はうつむいていた顔を上げ、橘さんを睨みつけるとニタリと笑い、拳をギュッと握った。

「わかりました。あともう一つ俺が勝ったなら、彼女は勝負の景品やものじゃない。だから彼女にも謝ってください」


 そこに美和母さんが叶芽と福田先輩を連れてやってきた。険悪な二人の雰囲気を和まそうと叶芽が出ようとしていたが、それを丘石先生が首を横に振って引き留めた。

 

「この勝負、この俺が審判を務めよう」

 丘石先生は軽トラの荷台に積まれていた銀色のボックスから竹刀を二本持ってやってきた。いったいなんのために竹刀を積んであるのだろうか?


 俺達は浜辺へと行き、そこで勝負することになった。叶芽が心配そうな顔で俺達を見守っていた。美和母さんは、そんな彼女の肩に手をおいて……大丈夫よっと、つぶやき見守っていた。


 剣道なら俺にも勝ち目はある。しかしなんだ、この不安感は……

「三本勝負を行い、どちらかが二本取った方を勝ちとする。双方前へ……」

 

 俺達は、剣先を合わせ、試合が始まるのを待った……叶芽と福田先輩も祈るような気持ちで見守ってくれていた。

 

「始め……」

 丘石先生の合図と共に試合は始まった。


 さすがは橘さんと、いったいところか……構えには攻撃できる隙はなかった。それでも俺は、この勝負……負けるわけにはいかない。



 場所は砂浜、足場としてはかなり悪い踏み込もうとすれば、足を取られてしまう。しかし俺には、そんなことお構いナシだ!

 

 ジリジリと間合いを詰めてゆく……今だ!得意のコテを繰り出した。橘さんがこの瞬間、ニタリと笑った。

 

「コテー」

 防具はつけていないため、寸止めで勝敗を決めることになっていた。

「コテあり、一本五條!」

 

 なんだやはり、剣道はこの程度なのか?この勝負もらった。俺はこの時、余裕で勝てるものと確信していた。


「二本目始め……」

 俺は余裕で二本目を狙いコテを取りに行った。しかし、橘さんの動きが先程と違う……繰り出したコテを難なくかわしてゆく!なんだこの動きは竹刀の動きがまるで見えない。


 振り上げられた竹刀が一瞬で消えた。早い……気がつけば、俺の頭上スレスレで停まっている。

「メンあり、一本 橘!」


――あの人やりよるなぁ……只者じゃぁない。

 その横では美和母さんが、我が子のように橘さんを褒め称えて喜んでいた。 

「そりゃそうよ。だって剣道も五段の腕前があるんだから当然と言えば当然よね」

 

 福田先輩が携帯で動画を取りながら、橘さんの動きを分析をしていた。しかしその聞いて呆然としていた。

 

――柔道三段、に剣道は五段だとぉ……そんなやつが相手では、五條じゃ勝てんじゃろう!この勝負終わった…………

 

 そんな話がされていたとも知らずに、俺の闘争心にも火が着いてゾクゾクとしてきた。それは橘さんも同じであった。ワクワクとした表情で俺を見ていた。

 

「三本目始め……」

 これが最後の勝負である。俺は呼詠さんを賭けていたことすら忘れ、この試合に集中していた。それはまさしく明鏡止水の境地に入っていた。


 メンが来るのはわかっていた。しかし彼の素早い竹刀を捉えることが、俺には出来ない。誰もが俺の敗北を確信していた時であった。

 

 かすかに橘さんの軸足が、砂に取られたことを見逃さなかった。そのために一瞬、竹刀の振りが鈍り、俺はすかさず、隙が出来た胴を捕えて打ち込んだ!

「ドゥー!」

 

 橘さんは目を閉じ、かすかに笑っていたように見えた。俺も勢いがつき過ぎ、手加減出来ずにまともに胴へ打ち込んでしまった。


 橘さんは打たれた脇腹を押さえながら、膝を付いてしまった。それはあえて胴を俺に打たせてくれたかのようだった。


「胴あり、一本勝者五條!」

「やったぁぁぁ……」

 歓声と共に福田先輩と美和母さんが飛び上がり喜んでいた。福田先輩がまた俺に抱きつきにやってきた。

 ――辞めてくれ……臭いし苦しいよ。

 

「いい勝負をありがとうございました」

 俺はうずくまっている橘さんに手を差し伸べた。

その手を取り立ち上がり、清々しい笑顔で笑っていた。

 

「こちらこそありがとう、完敗だったよ。呼詠ちゃんのことはよろしく頼むよ!」

「えっ……あっ、はい……」

 なんかこう改まって言われると、なんだかとても恥ずかしい気持ちになる……

「陸……」

 そこへ叶芽がやってきて俺の手を取ったが、なにも言わずにただそこに立たずんでいた。


 橘さんは叶芽の前まで来ると頭を下げてお詫びした。

「呼詠さん、キミを勝負の景品にしてしまってすまなかった。お詫びに……っと言ってはなんだが、いいものを見せてあげるよ」

「いいもの……ですか?」

俺は叶芽と顔を見合わせていた。いいものってなんなのだろうか?その答えは、翌日の夜になってわかった。


 花火大会当日、俺は母さんが選んでくれた浴衣を着て、屋台が建ち並ぶ会場で彼女を待っていた。


 そこへ髪をお団子に束ねて、ピンクの朝顔が付いた浴衣姿の彼女がやってきた。これはどっちなのだろうか?

 しかし、俺にはどちらなのかお見通しだ!

「おまたせ……待ったかなぁ!」

「俺もいま来たばかりだよ。行こうかぁ呼詠さん」

「うん……」


 俺達は花火が上がるまでの間、屋台でいろんなものを見て周り楽しんだ!忘れてならないのは『ゴーストドライブ焔』のお面である。結構値は張ったのだが、今日までのバイト料を支払ってくれた……美和母さん神!

 すべてが光り輝き、まるで夢のような時間であった。

 

 橘さんと約束した時間に、俺達は約束の場所へと向かった。そこは花火が打ち上げられている場所で普段なら入ることが許されない場所であった。


 しかし、関係者でもあった橘さんが、俺達をそこに呼んでくれたのだ。関係者席から花火を真下から見上げるこんな光景は初めてだ!すごい雄大な迫力に驚くばかりであった。

 

「今日は、お招きに預かりありがとうございました」

「楽しんでくれているかい?」

「それはもう……それよりも、呼詠さんから聞きましたよ」

 

「なんのことだい?」

 それは昨日の試合が終わって、みなが帰ったあとのことであった。俺のところに駆け寄ってきた叶芽が、いきなり怒鳴り散らして来たのであった。

 

「ダホかぁ!あんたねぇ……橘さんには妻子がちゃんといとんのやから、そんなダホなことするはずないやん。ほんまにそんなこと間に受けとんの?」 

そう言って深いため息をつかれてしまった。

 

 しかしこれだけダホダホ言われると、なんだかムカつくのは関東人だからなのだろうか?

 

 俺は叶芽の言葉を呼詠さんが話したように、言い換えて聞かせた。橘さんも気まずい雰囲気に、苦笑いをしていた。

 

「なんだ、バレていたのか?俺の初恋相手は叶芽ちゃんだった。だから妹の呼詠さんには、いい彼氏がついて欲しくて試させてもらったんだ。すまなかったね」


 なんだか俺は呼詠さんの彼氏として、どうなのかを試されていたようだ。俺はお眼鏡に叶ったのだろうか…………

 

「いえ、そんなことはないです。それよりもあの勝負、ワザと負けたんじゃないでしょうね」

 橘さんは苦い顔をして煙草を吸い始た。夜空には満点の花火が咲き誇っていた。

 

「あれは、キミの…………だよ」

 橘さんはなにかを言おうとしていたが、花火の爆音でよく聞き取れなかった。なんだか、はぐらかされたような気分だ。

 今度、野田君に頼んで護身術の訓練を身につけよう。

 

「……五條君……五條君、どこ?」

 帰りの遅い俺を呼詠さんが、不安そうな顔をして迎えに来てくれた。関係者席は知らない人ばかりで、耐えきれなくなったのだろうか。

 

「早く行ってあげないと……彼女が寂しがるよ」

 これ以上、呼詠さんを待たせるわけにもいかず、俺は一礼をして戻ることにした。

 

 こうして、長い俺の花火大会は幕を閉じようとしていた。

 

 

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