第2話 夢の少女

 震災から長い年月が経ち、被災者としての苦しみや、父さんを津波に飲み込まれた悲しみさえも、俺の思い出となり風化されていくのが、とても辛かった。


 震災直後は避難所生活を余儀なくしていたが、千葉にある父方の実家から、うちに来ないかとの誘いを受け、身を寄せて暮らしていた。

 

 そんなある日のこと母さんの父、つまり俺のおじいちゃんが体調を崩してしまった。母さんはおじいちゃんの介護をするため、和歌山へと移り住むことになった。俺たちも母さんについて行くこととなった。


 母さんと妹は、一足先に和歌山に来ていた。俺はまだ千葉に残してきたタスクを片付けてから、単身電車に飛び乗り和歌山にやってきた。

 

 電車の車内は春のうららかな日差しを受け、暖かさの中で、うとうとと眠りにつき、夢をみていた。


 眩いばかりの砂浜に一人の少女が立ち尽くして海を眺めていた。顔はボヤけてよく分からなかったがポニーテールの少女だったことだけは覚えている。


 『次は廣河こうがビーチ駅』車内にアナウンスが響き渡る。慌てて飛び起きるて車窓から景色を覗いて見た。

「なんか聞いていたイメージとは違うなぁ……」

 サビれた街のイメージで聞いていたはずであったが、そこは自然が広がる田舎の風景であった。まっ、降りてみればわかるさ……と、リュックを背負った。


 そうそう、これを忘れちゃいけない大切なもの、長い筒袋を右肩にかけた。電車のドアが開くと、すぐに駅のプラットフォームへと降り立った。

 

 そこは無人駅であった。改札口を出るとパーカーの大きなフードをがっぽりと被り、母からもらった地図を確認した。

 

「よしこっちだなぁ……バイブス燃やすぜ」

 もらった地図を頼りに道なりに左方向へと歩き出した。あっ、ちなみに『バイブス燃やすぜ』とは特撮ヒーロー〘ゴーストドライブ焔〙の中で主人公 焔が使う名セリフなのだ!

 

〘ゴーストドライブ焔〙とは

主人公の焔が昔の偉人を自分の身体に憑依させ、その偉人の力を使って、悪の秘密組織と戦う物語である。 


 北陸の四月はまだ春には程遠いが、同じ四月だというのに、ここはとても暖かく、桜の花びらが舞い散り、春の陽気が俺の気分を明るくしてくれた。


 

 浜風が吹く海辺で、悲しげな表情をした少女が一人、手のひらを見つめ、こぼした涙をそっと握り締めていた。

 

 めくり上げていた袖口を元の長さに戻し、束ねていた髪をバッサりと下ろした。

 海風が悲しみを拭い去るかのように優しくなぜてゆく。

 

 海風は潮の香りを乗せ、俺のところまで運び海が近いことを知らせてくれた。

 目の前に大きな看板があり〖西廣海岸せいこうかいがん右折〗と表示されていた。

 急ぐこともなかった俺は、少し寄り道することにした。

 

 トルルッルッるトルルッルッる……リズミカルな曲が流れ出した。誰もが知っている三分手料理のテーマ曲の着信音が鳴り始めた。

 

 誰からかって?そんなのは決まり気っている俺の母さんだ。俺は怠そうに取り出した携帯を耳に当てた。こちらが喋る暇もなく、大きな叫び声が携帯の向こうから響いてくる。

 

「あんた今どこにいるの……予定の電車もう出ちゃってるのに、あんた居ないじゃないの……」

 でかい声を拾いきれず、割れた音がキィーンと聞こえてくる。うるさすぎて耳から離すことにした。

 

「いや、あの電車にちゃんと乗って、廣河ビーチで降りたんだ」

「あんた乗り過ごしたねぇ……もうひとつ前の駅で降りて欲しかったのにさぁ……」

 

「あ〜今、西廣海岸ってとこに来てるから、そこへ迎えに来てよ」

「なにやってんのよ……わかったわ!今すぐ行くから悪さだけはするんじゃねぇぞ!」

 

 ツーツーツー言いたいことだけいい終わると、すぐに切れてしまった。いったい自分の息子をなんだと思っているんだ?

 

 歩けば問題を起こす愚息とでも思っているのだろうか?まぁいいか……ムカつく気分を変えるため、浜辺の空気でも吸いに行こうと海風に誘われるままやってきた。


 そこで俺は天女のようにかわいい少女と出会った。幻ではないのかと二度ほど目を擦り直したが確かにそこにいた。夢に出てきた少女だ。

 

 夢ではポニーテールの少女とディテールが違っていることに、少しがっかりした。 


 清楚なその少女は、肩より少し長いさらりとした髪を風になびかせていた。ベージュカラーでニットのセーターに紺色のスカートを着こなしていた。

 

 少女は悲しげな表情で、涙が頬を伝ったあとを残したまま海を眺めている。

 



 俺はその少女に、なにかあったのかと、声をかけてみることにした。

 砂浜をゆっくりと歩き、少女に近づいてゆく。それに気づいた少女の顔が、引きずってゆくのがわかった……

「いぇ、間に合っているので大丈夫です。ごめんなさい」

「いやいや、まだなにも言ってないだろう……」

――ごめんなさいってなんなんだよ……なぜ謝る?まだなにも言ってないだろうが……


 確かに見知らぬ怪しいやつがナンパ目的で近づいて来たように見えたかもしれない。だが、俺はそんな目的のために近づいたんじゃないんだ。これは誤解だ!誤解は解かねばならん。俺はとっさに逃げる少女の腕を掴んでいた。

 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁあ」

少女はあまり恐怖に大声で悲鳴をあげた。

 

 その瞬間、二つのソフトクリームが砂浜に落とされた。背後から殺気に満ちた嫌な感覚が迫り来るのを感じた。そのものが俺を殴ろうと拳を振り上げている。

 

 それに反応して右肩にかけられた筒袋の頭部を前に引いた。するともう片方の筒袋の先が後方に押し上げられてゆく。さらに一歩後方に身を引いた。

 

 すると背後にいた者の、みぞおちに筒袋の先を突き刺さった。その筒袋の中身は剣道で使う竹刀だ。

 

「うぬぬぬぬ……」 

 背後にいた者は油汗をかいて、うめき声をあげながら、膝をつきその場にうずくまっている。

 その姿はまるで図体のでかいゴリラのような男であった。

 

「おじさん、ソフトクリームが台無しじゃないか……食べ物は粗末にしちゃ行けないんだぞぉ」

 余裕な表情で話掛けたのだが、返事はなかった。どうやら意識をなくしてしまったようだ。

 

 なにを隠そう!こう見えて俺は、昨年度の千葉県主催の剣道大会において優勝した実績を持つ実力者なのだ。

 

 千葉に残してきたタスクも、道場で行われた練習試合に出場するためだ。連戦連勝向かうところ敵ナシであった!

「あの子、どこへ行ってしまったんだろう?」 

 辺りを見回したが立ち去ったようで、姿はなかった。がっかりと肩を落としていると……


 巡回中のパトカーが通りかかり、警官が降りてこちらに向かって歩いてくる。


――ヤバいこの状況だけみれば、俺が恐喝しているようじゃないか……また母さんに怒鳴られる。

 

 俺は急いでその場を離れることにした。


「ちょっと待ってお母さん……お兄ちゃんまたなんかやらかしたんじゃないの?」

 後部座席で読んでいた本をパタンと閉じたのは妹の風花だ!今年で小学六年になった。

 

 青いメガネがトレンドマークの現実主義者、愛読書が教科書の参考書だ。多分父さんの遺伝子が強いのだろう。将来の夢が公務員と言うのだから夢も希望もない。

「どうしてそんなこと言うのよ……縁起でもない」

 

 俺を指さし不審者でも見るような目つきで俺を見て呆れていた

「あれ見てよ!パトカーの後ろにいるの、お兄ちゃんだよ……」


 母さんもよぉ〜く覗き込み車を急停止した。

「あぁ〜あのバカ息子が……!」

 このままじゃいけないと……母さんは機転を利かして、手前にある駐車場に車を停めた。


 トルルッルッるトルルッルッる……リズミカルな曲が流れ出した。母さんからの着信だ。

 なんか嫌な予感はするが出ない訳にも行かない。

俺は覚悟を決めて電話に出た。


「あんた!こんどはなにやらかしたの……説明はあとでいいから、手前にある駐車場まで早く来なさい!」


 また怒鳴り声が大き過ぎて、音割れを起こして聞き取りづらい。また言いたいことだけ言って切りやがった。

 

 俺ははぁ〜と深いため息をつきながら、言われた通りに迎えに来てくれた駐車場に向かって歩き出した。


 車の助手席に座るりシートベルトをする暇もなく車をスッ飛ばした。母さんもかなり焦っていた。

「んで……こんどはなにやらかしたの……?」

 

 突き刺さるような怒鳴り声がとても痛い……まぁ後ろから襲われて反射的突きに出てしまったが、あれは不可抗力だ!と自分に言い聞かせ、さっきの出来事を頭の片隅に追いやった。

 

「まだなにもやってねぇよ……」

 俺はヒステリックに怒る母さんの横顔を見ることが出来ずに助手席に座り、窓から見える風景を眺めている。

 

「きさま、その衣装でここまで来たのかなぁ?」

 母さんがジト目で眺めてくる。その視線が冷たくて痛い……

「衣装じゃねぇよ。」

「どう見てもコスプレじゃない?厨二病にもほどがあるわぁ……」

 後部座席で参考書を読みながら、毒舌から発する冷たいトゲが俺のピュアな心に突き刺さる。


 確かにこの服装は田舎町ではかなり浮いているように感じた。だが俺もこの信念を曲げる気はない。

 黒のジーンズに派手な柄シャツ、その上に赤いパーカーを羽織り、刀の鍔に紐を通したアクセサリーを首からさげていた。

 

 なるほど……彼女が逃げ去ったのはナンパされると思って逃げたのではなく、コスプレ衣装が原因で逃げたのか?でもそれって本当落ち込むよな……


 母さんがさらなる止めの一撃を食らわせてくる。

「あんた竹刀まで持って来たのか……警察の前で出すんじゃねぇぞ!」

「母さんこそ、なんだよ。そのセリフ地味た話方は……韓国ドラマの見すぎかぁ?」

 母が俺の頭を指でピンと跳ねた。痛くはないが、心が傷ついた……

「うるせぇ、あんたに言われたくないよ……だいたいねぇ……」


 車内はまるで説教部屋のようになり、散々小言を言われた挙句、精神的にぼろぼろになった。小言と旅の疲れが重なり、母さんの実家に着くなり、部屋に閉じこもって寝てしまった。


 この先どうなってしまうのか、とても不安で仕方がなかった。

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