夏の終わり、僕の恋、姉はAI

メグリくくる

序章

序章

 窓を開けると、空はもう日が傾きそうになっていた。

 昼間は泣き叫ぶような勢いで照っていた太陽も、夕暮れ時には泣き過ぎて眠くなった赤ん坊のように大人しくなり、夏の暑さも鳴りを潜めている。クーラーで冷たくなった部屋の空気が、自分の居場所を見つけたように、我先にと網戸の間から夜になろうとしている空に向かって、ベランダの方へと飛び出していく。なんともなしに夕日を眺めていると、背中に何かがぶつかってきた。

「もう、夏も終わりだね」

 そう言って、姉の榧木 娃(かやのき あい)は僕を抱きしめるように、こちらの背中から手を回してくる。僕の胸の前で娃が手を結んで、より自分の体を僕の体にくっつけた。娃の柔らかさと女性特有のの甘い匂いから抜け出すように、僕は結ばれた娃の手を優しく外す。

「そんなにくっつくと、暑いよ」

「漣(れん)が寒いから、クーラー切ろうって言ったんでしょ?」

「遠回しに温めて欲しいって言ったわけじゃないよ」

 ふぅん、と少し不満げな表情をして、娃は僕の隣に来ると、こちらの肩に頭を乗せる。

「もう、夏も終わりだね」

 先程の台詞を繰り返した娃に、僕は小さくうなずいた。

「そうだね、娃」

「夏休みに入る前は、こんなことになるとは思わなかったよね」

「……そうだね」

「漣にとって高校最初の夏は、あっという間に終わっちゃったね」

 そう言って娃は、少し強く僕の肩に頭をぐりぐりと押し付けてくる。そしてその後、小さくつぶやいた。

「夏休み、本当に終わっちゃったんだ」

「寂しいの?」

「どっちかって言うと、実感がない、かな」

「確かに、娃にとっては、本当に一瞬で終わった、みたいな感じだかね」

「そうそう。寝て起きたら、もう夏休みが終わってた、みたいな?」

 そう言って僕の肩から頭をどけると、娃は少し笑いながらこちらを見つめてくる。

「でも、変なの。夏が終わるのに、全然寂しくないや」

「いいんじゃない? そう感じてても。っていうか、夏の終わりが寂しいって、誰がいい始めたんだろうね?」

「さぁ? でも、考えてみたらさ。その表現って、ちょっと失礼だよね」

 娃の言葉に、僕は首を傾げる。

「失礼? 誰に対して?」

「秋に対して」

 そう言われて、僕は少しだけ呆れたように口を開く。

「秋って。それって、もうすぐそこまで秋が来てるのに、去っていく夏を惜しんでいるから?」

「そうそう。なんかさ、新しい恋人ができたのに、昔の恋人を想ってるみたいじゃない?」

「季節を擬人化させて、凄いこと言い始めたね」

 僕の言葉を聞き流したように、娃は少しだけ考えるように、人差し指を自分の顎に当てる。

「でもそうなると、夏が始まった時のことを終わった後に懐かしむのは、春さんに対して失礼だよね」

「春さんて。でも、確かに終わったのに懐かしんでもらえない春は、ちょっと可哀想な気がしてきた」

「でしょ? 夏も冬も季節の始まりと終わりがわかりやすいから、そんな感じになるんだろうけど」

「あと、日本は学生で夏休みを体験するからじゃない? 僕たち学生からすると、一年で一番長い休みなわけだし」

「なるほど、それはそうかも! 休みが終わったら、学校行かないといけないからね。楽しい時間が終わるのは、あっという間だから、そりゃ寂しくもなるし、始まりを懐かしくも感じるかぁ」

 そう言って娃は、僕の手を握り、こちらを見つめてくる。彼女の瞳いっぱいに、どこかぼんやりしているような、冴えない男子高校一年生の顔が、つまり僕の顔が映し出されていた。

「漣はさ。来年の夏は、海と山、どっちに行きたい?」

 ……それを、娃が言うんだね。

 淡いピンク色の唇を笑みの形にしている姉のことを見ながら、僕は娃に握られた手に、僅かに力を込める。遺伝子上の繋がりがないこの姉の手を、僕はしっかりと握り返していた。

 

 そう、娃は、生物学的に僕の姉ではない。

 

 僕と血の繋がりがある姉は、夏休みが始まる前に、死んだ。

 

 つまり僕は、全く血縁関係のない女性を姉と呼び、そして今手を握っていることになる。

 

 ……なんだか、ややこしいことになっちゃったな。

 夏休みが始まった時の僕に、今の僕の状況を伝えても、きっと言っている意味がわからない、さっぱり理解できないと言うに違いない。なにせ今の僕ですら、この状況を正確に理解できていないのだ。そんな僕に説明された所で、今の僕の状況を理解できるとは思えない。娃も言っていた通り、こんなことになるだなんて、全く想像もできなかったのだから。

 だから僕は、改めて思い出すことにした。この夏、僕の身に起こった出来事を。

 あれは、そう。夏休みに入ったばかりの頃。

 姉が死んで、僕が一人で夏休みを迎えた、あの頃。

 

 僕の目の前に、未来人がやって来たのだ。

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