キャリー・ミー!
依田一馬
第1話 安曇野・松本旅①
キャリーミーという自転車がある。
重さは約8キロ、折りたためばA4サイズ程度のスペースに置けるという絶妙なコンパクトさが特徴の極小径車である。見た目がおもちゃのようにも見えるため、「そんなもの碌に走らないだろう」と時折笑われることもある。街中を走れば子供に指差されることもしばしばだ。
しかし、そうではない。そうではないのだ。
この自転車の特徴は、ひとたび展開すれば、キュートな車体からは想像もつかないようなパワフルな走りを見せつける。どこにそんなパワーがあるのかは分からない。しかし、この体に身をゆだねれば、ありとあらゆる場所に行ける。一緒に行ける。どこまでも行ける。
小さい体にそんな魅力を押し込んだ結果、キャリーミーは世の自転車愛好家を虜にし続けていた。
かくいう私も、その愛好家のひとりである。
たまたまその存在を知ってから忘れられなくなった特徴的な車体は、唯一無二のかわいさがありとても気に入っている。私の所有するキャリーミーはオレンジ色をしているので、私は彼女のことをオレンジさんと呼んでいた。
さて、そんな私は本日オレンジさんを担いで新幹線に飛び乗った。
目指す先は長野県松本市。
たまたま読んだエッセイ漫画にオレンジさんと同一車種が登場しているなんて。しかも、その名前までオレンジ君というものだから、なんて。
なんて、なんて運命的なんだ!
気づいたら私はインターネットで新幹線のチケットとホテルの予約をとり、雨が降らぬよう毎日天にお祈りしていた。その結果、前日までの荒れた天気は嘘のように晴れ。
祈りが通じて本当に良かった。
せっかくの輪行旅に雨など似合わない。否、それはそれで楽しいが、このオレンジさんには太陽と青空がとてもよく似合う。だから私は天気が晴れだというだけでとても嬉しかった。
さて、私は輪行初心者なので、事前にお作法を調べた。ものすごく調べた。
電車の自転車の持ち込みはとても幅をとるので、なるべく最前列か最後尾の席をとること。キャリーミーのいいところは膝の間に挟めば座席に座れるほどのコンパクトさである。だが、混雑している場合はやはり端に避けた方がいい。それは新幹線でも同じことが言え、やはり座席は号車の一番後ろの席となるのだった。
そして、かわいい車体を見せびらかしたくても一旦は輪行袋へ入れること。これは鉄道事業者の規程に準ずるためルールは異なる場合があるが、今日の電車では全体をすっぽりと覆うようにする必要があった。私は輪行袋も純正品を使っているので、ぱっと見た感じはただのスポーツバッグだ。周りに合わせて擬態してくれるところも私は気に入っている。
事前にこれだけ準備したらそうそう失敗しないだろう。
私はぼんやりと流れる車窓からの景色を眺めては、頭の中でこれからの段取りについて整理するのだった。
まず駅に着いたら、宿泊用荷物が入っているリュックをコインロッカーに預けること。その後はもう一度電車に乗り、安曇野で思い切り自転車を漕ぎまくること。ホテルのチェックインは15時なので、猶予は5時間。効率的に動くぞ。
朝4時に起床したため、気を抜くと眠気が襲ってくる。前日まで仕事が立て込んでおり、帰宅は23時を回っていた。そこから旅支度を開始したので、実質の睡眠時間は3時間ちょっとだ。むしろよく寝坊しなかったと思う。それだけは自分を褒めたかった。
少し、寝よう……。
心地よい揺れに身を委ねると、私は浅い眠りについたのだった。
――この時まったく気づいていなかったが、私は重大な忘れ物をしていた。
事前にルートどりをし、マーカーで線を引いておいた地図。それを家に忘れていたのである。おかげで、道中「記憶よ甦れ」としばしば念じることになったのは言うまでもない。
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